勝手に作った設定
・白狐
妖狐の白変種。長じるにつれ妖力が強くなり天狐になるのも難しくないと言われているが、若いうちは普通の妖狐と変わりない。リケは若くして力に目覚めた白狐。
鬼に狙われやすい為に天狐になる前に命を落とすことが多い。
・黄狐
街に住む妖狐。いわゆる普通の妖狐なので、黄狐ではなく「妖狐」や「狐」と呼ばれる。ルチルやミチル、ヒースクリフの一族の殆どこれ。基本的に寿命は千年未満。
・赤狐
街に定着せず放浪する妖狐。大抵一人か番いで旅をしている。子供が出来たら独り立ちまでは一緒に居る。野を流離う以外は黄狐とほぼ変わりないが、生活環境上、街の妖狐より荒事に長けていることが多い。街に住み着く赤狐も居る。
・天狐
千年以上生きている強い妖力をもつ四尾の妖狐。白狐に生まれなければ成れないということはない。
オーエンは白狐の生まれ。シャイロックは黄狐、ムルは赤狐の生まれという噂。
・鎌鼬
妖力で鎌を作れる。大鎌や鎖鎌、手足に刃を付けることも可能。
三体以上で安定する集団妖怪なのではぐれの一体などは危険視されることも。
・獣姿
妖怪は成長すると二本足姿がとれるようになるので、通常は獣姿は幼児の真似として笑われる。例外的に竜族のみ竜の姿でも畏怖される。獣姿の他、四本足、鳥型(天狗)、天の姿(竜)など言い方は色々。
このところシノは機嫌が悪かった。二人目の用心棒が雇われたからだ。
良家の白狐なら用心棒が何人も居るのが当然らしく、信頼できる用心棒を探している気配はずっとあった。それでも気分がささくれ立つのは止められない。
オレ一人で十分だ。そう思えば掃き掃除の箒も荒くなる。
勿論、一族に拾われた身が決定事項に意を唱えられるわけがない。カインが十分な実力者であることも解っている。だが自分一人でもヒースクリフを守れる、というシノの言い分に反して「用心棒の二人が付いてなら」という条件でヒースクリフは最近出かける自由が増えた。それが喜ばしいことだと解っているが、どうしても何か言いたいようなもやつく気持ちが治まらない。
ばさばさと店先に積もる桜の葉を掃いていると、店内から丁稚の一人が顔を出してきた。
「シノ、それが終わったら昼飯。それからお前は今日は上りでいいってさ」
きょとんとシノは目を丸くした。丁稚が突然暇を貰うなど有り得ないものだが、それよりシノは午後の予定が入っている。
「午後はヒースと薬を取りに」
「その天狗の先生が自分から卸に来てくれたんだよ。それで坊ちゃんはカインを連れて天狗の先生をお見送りに行った。だからお前は休んでいいってさ」
良かったなと言いたげな表情への返事に、シノの手から離された箒の倒れる音が響いた。
暇があるとシノは山へ入る。木々の側は落ち着くし、常に誰かがうろついている店内は息苦しかった。一人で日や風を浴びる方がずっといい。偶に柄の悪い妖怪や鬼もうろついているが、用心棒の鍛錬に丁度良かった。幸か不幸か今日はそういった気配は無かったが。
シノはふらふらした足取りで進んでいた。奇妙なことに空腹なのに食欲が湧かない。満腹でもないのに食べたくないという状態に、足は通いなれた場所へ向かっていた。
「あった」
シノは何十年も根を張っている立派な木に辿り着き、実がぶら下がっているのを見上げた。
ヒースクリフはこの木の実が好きだ。今も贈った時にありがとうと微笑むヒースクリフが思い浮かんだ。あの笑顔を向けられるたびに嬉しくて誇らしくなる。けれど今日は思い出しても胸の内があたためられることが無かった。登って木の実を採る気にもならない。仕方なくシノは幹にもたれて座り込んだ。
足をくすぐる草の花はやわらかい。低木の花が一斉に咲き誇って山道は見事な眺めだった。風も日差しも丁度いい。だけどいつものように清々しい気持ちにはなれない。
「……ヒース」
木の実も花も、ヒースクリフの好きなものだ。部屋に忍び込んで何度も贈った。監視が厳しい時は不本意ながら獣姿を取っても。ヒースクリフは花一輪くわえたイタチ姿を見るたびに腹を抱えるほど笑って、帰ろうとするシノを引き留めて膝に乗せて撫でようとした。子供扱いするなと抗議しても、獣姿の時は分が悪いから何度かは撫でられたりもした。
ヒースクリフは部屋から出られない子供だった。声や言葉で禁じられていなくても、ヒースクリフ自身がが良しとしない。外で遊ぶと一族の皆に心配をかけると知っていた彼は、一族全員で出かけるような時以外は部屋に籠って過ごしていた。
だからシノは花を摘んで、木の実を抱えて部屋に向かった。用心棒になって、守るから大丈夫だと、一族にもヒースクリフにも見せつけた。
シノは目を閉じて、もたれかかっていた背をずるずる滑り落として地に倒れた。あの日のように。
あの日、ヒースクリフはシノを見つけた。
群れからはぐれた子供は獣も妖も死にやすい。幼い命は餌の採り方も天敵からの逃げ方も碌に知らない。飢えた身体は弱り、些細なことで大きな怪我を負い病に罹った。そんな半分死にかけた鎌鼬の子供に、ヒースクリフは傷薬を擦り込み、少しづつ辛抱強く水薬を与えた。それがもしもの為にヒースクリフに与えられた貴重なものだったのだと、後になって店の者の話で知った。
――大丈夫?
かけられた声は必死だがやさしかった。名前も無い鎌鼬の子供を、初めて「誰か」と思って呼んでくれた声。それにつられて目蓋を開こうとすれば、キラキラとした光があった。
「――ノ! シノってば!」
「…………」
思い出の中と同じ金色が眩しい。泣き出しそうな子供顔ではないが、見つめてくる深い青の眼は変わらずに美しかった。
「ヒース」
シノが確かめるように名を口にすれば、大きな溜息が落ちてきた。
「なかなか起きないから具合悪いのかと思っただろ」
膝をついてこちらを覗き込んでいたヒースクリフが身体を引き上げる。開けた視界に「昼寝でよかったな」と笑うカインに「こんなところで寝るのは止めなさい」と説教を呟く例の天狗も居た。シノは小さく口をへし曲げる。
「こんなところで何をしてるんだ」
「それは俺の台詞だけど」
「そこの天狗の見送りなら山裾までだろ。どうしてこんな山中まで来てるんだ。しかもこんな遅くまで」
「それ、は」
シノは半身を起こしてヒースクリフに詰め寄った。言葉を詰まらせたヒースクリフのピンと立った耳がそわそわと向きを変え、美しい毛並みの尻尾も小刻みに揺れる。ヒースクリフは困ると耳先や尾先が落ち着かなくなる癖があった。
「ヒース、もう教えてもいいんじゃないか」
腰をかがめてカインがヒースクリフに顔を近づけた。シノは面白くなさに声を荒立たせる。
「何の話だ」
眉を吊り上げるシノにヒースクリフがまた小さく溜息を吐いたが、観念した様子で手提げ包みから何かを出した。
「これ」
出されたのは見覚えのある土台に布製の鎌鼬の妖怪が立っているものだ。たしかにこの土台に何かを組み立てているのヒースクリフを何度か見た。あのよく解らなかったゼンマイたちに短い黒髪に赤い眼の見覚えのある姿がかぶせてある。
「オレ?」
「そう。お前は勝手に部屋に入って来るから最後の仕上げに見つからない場所があったらって話をしたら、ファウスト先生が庵を貸してくれるって。山道なら慣れてるから用心棒代わりもしてやれる……」
「ん、ゴホ、ゴホン」
偶にヒースクリフに薬学を教えている天狗が居心地悪そうに嘘くさい咳ばらいをした。あまりこの話を続けてほしくないらしい。
「で、やっと出来たんだ。見てて」
ヒースクリフが巻き鍵を捩じると、小さな鎌鼬の前に千代紙のようなものが現れた。シノを模した小さな鎌鼬は背面から大鎌を持ち上げ、腕を振って千代紙を小さく刻む。途端、小さな紙片が丸い可愛らしい花々に変化した。小さな鎌鼬が誇らしげに顔を上げる。じじじ、と螺子が切れる前の音がすると花は消えて鎌鼬も元の立ち姿に戻った。
「……凄い」
シノが感嘆の息を吐くと、「だよなー」と同意の声がした。カインと天狗もからくりを覗き込んでいる。
「恰好いいよな。くるくる踊ったりお茶を運んでお辞儀したりするからくりは見たことあるけど、こういう格好いいのは珍しいよ」
「ヒースクリフが君をそう思っているということだろう。よく出来ている」
二人に褒められヒースクリフが耳を寝かせ尻尾をぴたりと身体にくっつけた。恥ずかしいと小さくなりたがるのもヒースクリフの癖だ。頬を朱に染めながらヒースクリフはシノを見つめた。
「これシノにあげるよ」
今度は驚きにシノが耳と尾を立たせる番だった。こんな凄いものを易々と貰えるのはあり得ない。
なのにヒースクリフは貴重な薬を行き倒れていた子供に使ったように、シノに与えようとする。シノは叫びたいような気持で何とか声を絞り出した。
「嬉しい。ありがとうヒース」
ヒースクリフがふわりと微笑みを浮かべる。あの頃と全く変わらない、「良かった」と安堵の声で。
「シノ、最近ちょっと機嫌悪かったみたいだから」
喜んでくれて良かった、と聞こえた言葉にシノはまた目を瞠った。
「オレの為?」
「そうだよ」
「ヒースがオレの為にこれを作った?」
「そうだってば」
当然とばかりの声音に何かが胸の中で弾けた。最近のもやついた気持ちを吹っ飛ばして。
シノはその勢いのまま叫んだ。
「お前たち見ろ! ヒースが作った格好いいオレだ! ヒースがオレの為に作ってくれたんだぞ!」
「おう。格好いいな」
「解ったから落ち着きなさい」
シノはからくりを持って立ち上がると、二人に押し付けるように見せびらかした。同意も呆れもシノの機嫌をよくするばかりだ。
だってこれはヒースクリフの心だ。ヒースクリフにとってシノはずっと見てきた友達で、一番の用心棒だ。
確信に満ちたシノは満面の笑みを浮かべた。
「これ、旦那様と奥様にも見せよう」
「え……」
ヒースクリフの渋る様子も気にせずシノは名を続ける。
「桜の世話をしてるミチルとリケにも見せてやろう。大盛りにしてくれる飯屋にも」
「止めろよ恥ずかしい」
「それと」
「止めろって!」
「あ」
目を輝かせていたシノが言葉を止めた。どうしたと一同が見つめる中、シノは腹に手をあてる。
「腹減った」
ヒースクリフと会ったら食欲が戻ってきた。それも猛烈に戻ってきた。ヒースクリフを食べたいのかもしれないと思うぐらいだ。
「……何か怖いことを思われた気がする」
「シノがヒースに齧りつく前に飯屋に行きたいが……あそこは混んでるんだよな」
「大丈夫だ。空腹で死にそうな雛を見たら食わせずにいられない店主だからな。僕も同行しよう」
好き勝手言われるのを聞き流し、シノはもたれかかっていた木に素早く登った。成っていた実を幾つか懐に入れて降りる。
「ヒース」
ヒースクリフに一つ投げると、受け取った彼が「ありがとう」と微笑んだ。その笑顔にもう寂しさは感じない。
二人で並んで果物を齧る帰り道は胸いっぱいになる甘い匂いがした。