思い出の紙片 午後の柔らかな日差しの下。波は穏やかで、遠くでカモメが狩りをしている声が聞こえる。魔物の気配もなく、いつも以上に快適な船上。船の背中を押す風は弱いかもしれないが、それすらも心地よく感じる。
シーターは甲板にいることが多かった。予言が降りてきたときにすぐ仲間へ伝えられるよう、舵の近くに椅子を置いて座るのが常であった。何より、仲間たちの語らいが聞こえるこの場所が好きなのだ。この眼に映らずとも、広い世界を感じることができる、シーターにとってそれが何より重要なことだった。
階段が重みのある鳴き方をした。足音から誰が来たのかを察して、そういえばしばらく振りだと思った。心がほんわりと温かくなったのは、彼のこの行動が健気にみえて仕方がないからだろう。
「シーター、今いいか? 保護魔法を頼みたいんだが」
「もちろんです」
足音の持ち主はレノだ。めったに乱れぬ一定のリズム、軽やかだが急いてはいない。特徴がなさすぎて自然な歩き方ではない、というのが特徴だった。わざわざ判別しづらい歩き方になっているのは職業柄かもしれない。
「いつものですね」
「ああ、そうだが……その前にクッキーでも食うか? 偶然手に入ってな」
「ふふ、ええ、いただきます」
レノが木箱をズズズ、と動かしてきた。
クッキーはお礼のつもりだということもシーターにはお見通しだった。毎回運良くクッキーが、しかもシーターの好きなアイシングのついたクッキーが手に入るなんてことはないはず。彼の運の良さを言い訳にしても、だ。
シーターはクッキーを指でなぞりながらレノと二言三言交わした。円形や星から始まり、クマのような動物の形まであった。彼は偶然と言っていたが、詳細を問われたらどう答えるつもりだったのだろう。カジノや賭場にこのようなクッキーが並んでいるとは到底思えない。
ひととおりクッキーを楽しんだあと、木箱の上に置かれた物に指を伸ばす。想定通りの触り心地に、シーターはレノの方へ顔を向けて微笑んだ。
「では、始めます」
* * *
リヴェラとレノによって持ち込まれた物に、一同興味津々といった様子だった。仲間の衣服がいつも以上に擦れる音や興奮しきった声色は、シーターまでもそわそわとした気持ちにさせた。
「試作機とは思えないわね。謀略の世界にあったものとほぼ変わらないわ」
「こっちはマナの応用で作るらしいが。詳しいことはわからねえな」
その物は“シャシン”と呼ばれた。小さな機械を使って紙に景色を映すことができるらしい。
「なんかおかしくねーか? オレ様の顔こんなんじゃねえだろ」
「神器の管理に使えそうだ。絵で残すよりも正確だね」
「ほほう、まさかこんな代物を拝めるとは長生きするもんじゃな」
「遠いところは靄がかかってしまうようだけどね。アタイの眼の方がよく視えるよ」
「このレンズという物、陽の光を集めるのによさそうだ。ガラクスィアス、この部品を──」
「なあ、なあ、やっぱりオレ様の顔違うよな?」
仲間たちは思い思いの感想を口にした。合間にパシャ、という機械の、何かが噛み合う音が聞こえる。
「シーター。これ、触ってみて」
リヴェラがシーターの手を取り、話題の中心になっているシャシンというものを手のひらに乗せてくれた。指で確かめてみるも、ツルリとした表面からは何も読み取ることができない。
「ここに、絵が?」
「絵というより、風景そのままね。まるでその場所を切り取ったみたいに映るのよ。これは映写機からすぐに出てくるものだけれど、設備があればもっと大きいものや鮮明に映るものもできるらしいわ。ただ、どれも劣化が激しくて、まだあまり長持ちはしないみたい」
リヴェラはシャシンがどのようなものか言葉で説明を続けた。
頭の中でツルリとした表面に描かれた世界を想像する。仲間たちの盛り上がりを完全には理解しきれないが、話を聞いたり、触ったりして、こういうものだろうと想像することは楽しいものだった。
「リヴェラ、シーター。ほら、レノの方を向いて」
ガラクスィアスがリヴェラとシーターの間に割り込んで顔をあげさせた。
パシャリ。
「ほらよ。で? 次は誰を撮りゃいいんだ?」
「あら、レノはまだ誰とも撮ってないんじゃない? 代わるわよ」
「いんや、オレはいい。そもそもこれには興味ねえからな」
「せっかくなんだし──」
リヴェラの言葉を遮って、ガラクスィアスがわざとらしく「あ!」と声を上げた。
「グール=ヴール! レノの隣に並んでくれるかい? レノがまだシャシンに写ってないんだ」
「ああ、構わないが……もしやレノ、君はシャシンが苦手なのか? もしそうなら無理に撮る必要はないと思うのだが……。もちろん私は君とのシャシンがあれば嬉しく思うよ」
「本当に興味がねえだけなんだがな。まあ、旦那が撮りたいっていうならいいぜ。減るモンじゃねえし」
「はーい! それじゃ、撮るわよ!」
それからしばらく、ふたたびパシャリ。
一瞬の静けさのあとに響いた無機質な機械音に、シーターは少しかしこまった二人を思い浮かべて自然と口角が上がってしまった。
* * *
「レノ、終わりました」
シーターはツルリとした紙──シャシンをレノへと手渡した。
レノは「助かったぜ」と一言。
「毎度悪いな。潮風は特によくねえらしいんだ。でもだからといってどっかの本の間に挟んでおいてもな」
シャシンの劣化は約二、三年ほどだという。せっかく切り取った思い出もたったの数年で色褪せてしまう。賢者の塔でさらなる研究がされているようだが、いまはもう初めほど仲間たちの興味も薄れてきているようであり、新たな情報が話題に上がることもない。
「大切にしているのですね」
「──ああ、まあな。仲間の顔が写ってるのに無下にできねえだろ? ありがとな」
「はい。またいつでも」
ゴソゴソ、と服が擦れる音。それから特徴のない特徴的な足音が床板を鳴らして去っていく。
写っている人物も、きっと普段より少し硬い表情も、触れるだけではわからない凹凸のないシャシン。
レノが保護魔法のために訪れるたび、シーターは願う。あの紙に乗っている儚いマナがどうか色褪せずにいてほしい、と。自分は食べないクッキーを買い、健気にシーターの下へ足を運ぶ彼の大切な想い出が、いつまでもそこにありますように、と。
了