Forget me. Can’t 「忘れてください」
その手紙はコズプロの副所長宛てに届いた。差し出し人はHiMERU ではなく十条要。ファンレターへの返事に使っていた勿忘草色のレターセットに、一言だけ綴られた言葉には不自然な不誠実さがあった。
「これってどういうことっすかねー」
「どうもこうもこのまんまっしょ、朝イチで呼び出されてヘビちゃんに問い詰められてさ、あーこわっ」
「寮の部屋は変わりなくて、貴重品だけがない様子や」
その日を境にHiMERU は姿を消した。ちょうど大きなツアーを終えての休養期間で、細かい仕事は残りの3人でもこなせた。
「天城氏、所在はまだですか」
「そっちが見つけられねぇなら俺っちじゃどうにもならないっしょ」
事あるごとに呼び出されていつものやりとりをして、面倒くさい儀式だが、メンバーとしてもコズプロとしても絶対に忘れてやらないという意地があった。
「とりあえずこれ以上は隠しきれないので、一度事務所としてプレスリリースを出します」
「HiMERU 失踪ってか」
「まずは体調不良ですかね、精神的なもの、としておきます。その後は最悪」
「脱退かぁ」
「その時には忘れて差し上げましょうかね」
かちゃ
ずれたメガネを直して、その目元には疲れが滲んでいた。ふざけるなと叫びたかったが、自分たちのためにここまでしてくれている相手に当たるのは、きっと間違えていること。
「もう1か月たつっすね」
「ふくしょちょーはんやわしらの捜査網にひっかからないっち異常やな、もしかしてもう」
「んなこたねぇよ。必ず連れ戻すから待ってろ」
何もない部屋、何もない自分、ナニモナイ、なにも
「ここは、どこでしょう」
HiMERUでいるべき自分と、俺でありたい自分がせめぎあって悲鳴が聞こえた。だから独りになろうと決めて実行した。この時のために蓄えていた現金をつかんで、遠くへ行くためのバスに乗り込んだ、はずだった。
ほっとして気が緩んで眠り込んでしまったことまでは覚えているのに。
真っ白な部屋はワンルームマンションの作りで当面の生活に必要そうなものはそろっている様子。ずきずきと痛む頭を押さえながら体を起こすと左の足首に異様な感覚。
「なぜ」
きれいな細工が施された足枷、それに見合った華奢な鎖はどれだけ力いっぱい引っ張っても千切れる気配はない。
「気に入ったか」
しばらくチャリチャリといじっていると、聴きなれた声がした。
「あま、ぎ」
「そうそう俺っちでーす、きゃはっ☆」
いつも以上に癇に障る口調。普段の自分であれば『黙るか死ぬかしてください』くらいは言えたのに。
「居心地はどうだ。って今起きたばかりだもんなぁ」
「っつ」
近寄る人影に警戒心を覚えて、あとずさった、鎖のせいで逃げ切れるわけがないが。
「来ないで、来るなっ」
「冷たいねぇ、せっかく誰にも見つからない場所を用意してあげたのに。何か足りなかったのか」
「忘れてくださいと伝えたはずです」
「蛇ちゃんにはね」
「あれは皆に伝えたものですが」
「従うつもりはねえよ」
壁に追い詰められて、抱きしめられた。首筋を這うくちびるが一点に吸い付いて、
「痛っ、離して、ここから出して」
「やだよ、お前また姿を消すだろ」
「もう限界なんです」
「知ってるよ」
ここ、指差したのは先ほどのキスマーク。
「消える頃にまた来るから」
そう、残して届かない距離にあるドアの向こうに吸い込まれた。
その後、天城がここを訪れることはなく、窓もなくて情報機器もないので、時間の流れもよくわからない。なぜか俺の好みの食べ物や本があったので困ることはない、何回寝て起きたか知れないけれど、首元の印はまだ赤くそこにあって消える気配はない。
「おかしいですね」
自分で腕につけたキスマークはとっくの昔に消えていたのに、『それ』は薄くなることもなく、存在を主張している。
嫌な汗が背筋を伝う、もしもここから一生出られなかったら、もしもここで朽ち果ててしまったら、もしも、忘れられてしまったら。
「どうだったよ、独りの世界は」
自分で自分を抱きしめて震えていると、頼もしい声が響いた。顔を上げてそちらに向ける。
「ちょうど飽きてきたところでしたよ」
いつのまにかそこにいたのだ、
「強がっちゃってかわいいねぇ」
伸ばした手を取ってくれ、抱き寄せられ、感じた温かさにほっとした。彼の背後にある鏡を見ると、キスマークはきれいに消えている。
「あ、まぎぃっ」
「あーあ甘えっちゃって」
よしよし
「誰もお前のことを忘れねえよ。お前の居場所は必ずあるから、帰って来い」
「でも、あのような騒ぎを起こしてしまって」
「だぁいじょうぶ、心配なら仕事して返してな」
こくり、天城の練習着を握りしめて安心する。少なくともここに俺の居場所はある。
「来いよ」
いつの間にか鎖もなくなって、軽い足取り。手を引かれて扉へ向かう。
「ありがとう、ございました」
「夢は、みれたかよ」
それはSSVRSによって作られた世界だった。怪人も追えない秘密の場所。少し、『自分』を見る必要があったから。