きみとあなたの我儘な恋心⑩ 休み時間。
スレッタと友人の女学生は、廊下の開け放たれた窓にもたれかかっていました。澄み切った青空を眺めて窓から入るそよ風に吹かれていると、心地よく過ごせます。
そんな折、スレッタはとある話題を切り出しました。
「エランさんと三人でお食事、今後もどうでしょうか!?」
意気込む彼女に対し、女学生はうーんと喉を唸らせます。
「私はいいけど、あっちはどうだろう」
「い、嫌がってなかったと思いますけど……」
記憶を必死に手繰り寄せて出した答えに、からからとした笑いで返されました。
「そもそもさ、スレッタから見てエラン先輩はどんな人?」
話の 方向性が変わったことに戸惑いつつも、心の中にエランを浮かべます。オリーブ色の髪、イエローグリーンの瞳。灯る感情の温度は低いながらも、意志を強く持った眼差し。差し伸べる手はいつだって暖かい。
「え、えっと……優しくて、親切で――」
――いつまでも一緒にいたい人。
流石にそこまで言えず喉元を詰まらせましたが、相手は中途半端な回答で満足したようでした。
「私の印象と全然違う。ガードがかたくて近寄りにくい。昨日もね」
彼の喜怒哀楽は、確かに一目見て分かるものではありませんが――そこまで言うほどでしょうか。
「反面、スレッタには面倒見がいいし、凄く優しくてびっくりしちゃった。すごく心を許してるんだね」
そんなことはないと否定しようとした唇は、はたと止まりました。
彼は最初から優しかったのです。同室になる前から、水をかけてしまった時から、ずっと。ガードのかたさなんて、自分に対しては感じたことありません。つまり――。
(最初から特別扱いだったってことでは……!?)
ようやく気づいて、頬を手で覆ってどんどん体温が上がっていくのを抑えようにも、既に真っ赤に染まっていました。
きゃあと小さく叫びを上げる少女を他所に、話は続けられます。
「だから、誘うならスレッタから言ってね。何か狙いがあるんでしょ?」
友人の察しの良さには、目を見張るものがあります。
特別隠す必要もありません。開き直って胸を張りました。
「名付けて、『エランさんに学校生活を楽しんでもらおう大作戦』です!」
「それは、その……直球過ぎて本人に怒られない?」
突っ込みは現実になりました。
辺りが闇に包まれて月が昇った頃、夕食後の落ち着いた時間に一通り事情を話しました。
机に向かい椅子に座ったまま振り返った格好で、イエローグリーンの瞳を眇めます。冷たい瞳が突き刺さって凍えるようです。
「いらない」
「えぇ!?」
拒否されたことよりも、にべもなく即断った付け入る隙のなさにショックを受けていると、追い打ちをかけるように続けます。
「うん。鬱陶しい」
ぐさり、ぐさりとダメージを食らいますが、嫌がる気持ちはあって当然です。本来であれば他人が口を出すのは憚られますし、ましてや友達作りは無理強いするものではありません。
ですが、ばっさり切り捨てられても諦めるわけにはいかないのがこちらの立場というもの。いま求めているのは結果ではなく、意識の変化なのです。
「そんなに、いや、ですか……?」
「ぼくはきみだけで十分楽しいよ」
さらりと出た殺し文句に、うっかり喜びそうになるのを何とか耐えます。
「そ、それじゃダメなんです! エランさんへのいじめを無くしてそれから――あ」
口を滑らせたことに気づいて慌てて覆いましたが、時既に遅し。
さっと目を逸らした相手の横顔は、明るさを失っていました。
「……知ってるんだ」
「は、はい……」
エランが自分で言い出せるようになるまで待っているつもりだったのに――。
(〜〜わたしの! ばかばかばか!)
「だったら余計に放っておいてくれ。君には関係ないだろ」
先程よりも一段低いトーンの声で、青ざめるスレッタを睨みつけました。嫉妬のこもった緑の瞳がぎらりと光ります。
「憐れみ? それとも『自分より下がいる』という優越感か?」
「ど、どっちも違います!」
自分の軽率さが猜疑心を抱かせてしまい、雰囲気がどんどん悪い方向へ向かっていくのを止められそうにありません。泣きそうになるのを必死にこらえながら、何度も首を横に振りました。
「じゃあなに?」
「……いじめを、無くして、他の楽しいこともたくさん知ってもらって、エランさんの世界を広げてほしくて……」
「そんなことをしたってきみには何のメリットもない。僕は望んでいないし、無意味だ」
「……意味なら、あり、ます」
ぽつりと呟く弱弱しさとは逆に、青い瞳はしっかりとエランを見据えてました。真っ赤に縁取られた涙目でしたが、力は失われていません。
「わたしがエランさんを幸せにしたいんです」
厳しい追及によって正義感に溢れた建前ははぎとられ、心の奥底に閉じ込めていた思いが顔をのぞかせていました。
いじめを見て後ろめたさを感じながらも、当人が我慢していればいつか終わると言い聞かせて見ないふりをしたくない。自分の思う正しいことを貫きたい。建前とはいえ、その思いは真実です。
ですがそれ以上に、ずっと優しくしてくれた恩返しがしたい、何より苦しそうな顔ではなく笑った顔をもっと見たいと思っていました。
「いじめがなくなれば学校生活が楽しくなりますし、そっちのほうがいい、はずなんです。でも、今のエランさんは目を逸らして逃げていて……だったらわたしが、解決して幸せにしてみせます!」
そして、隣に立ってあなたの手を取って一緒に幸せになりたい。流石にそこまでは言えず、口を噤んでこっそり言葉の裏に忍ばせます。
一方、エランは一気にまくしたてられて呆気に取られれていました。何か言いたげに口を開閉したものの言葉にならず、長くため息を吐きます。
「どうしてそこまで入れこむの」
「ずっと優しくしてくれた恩返しと、……あと、もっと仲良くなりたいんです」
「……そう」
少女の答えを受けて、少年は考え込んでいるようです。真摯な眼差しから顔を背けて、幾ばくかの沈黙ののち口を開きました。
「そこまで言うならいいよ、好きにして」
本当は巻き込みたくないけど、と小さく付け足した声はスレッタにも聞こえてきましたが、ここで退くわけにはいきません。
決意を新たにしていると、エランが向き直って目を伏せました。
「さっきはひどい言い方してごめん」
「い、いえ! 嫌がっているのを分かってるのに、踏み込んだわたしも悪いですから」
先ほどの剣呑な雰囲気が無くなった、穏やかな顔のエランを見てほっと胸を撫で下ろします。
これで仲直りできたのでしょうか。一時はどうなることかとハラハラしました。
気が抜けてぼんやりしてると、神妙な面持ちで尋ねられます。
「ひとつ教えて。ぼくのいじめのことはどこで知ったの」
「ええと、あちこちで何となく聞いて……。あ、でも最初は、ファンクラブの人たちがなんとなく教えてくれました」
「……ふうん」
何とか掘り起こしたうろ覚えの記憶を渡すと、エランは顎に手を当てて視線を宙に泳がせました。
そうして、三人は食堂で昼食を一緒に取るようになりました。
場所は決まって壁際のテーブル。目立たないほうが人目が少なく話しやすいからという理由で選んだのですが、なかなか目論見通りとはいかないものです。
一番先に食堂に着いた者がテーブルを確保することになりましたが、2年生よりも1年生の教室が食堂に近く、自然とスレッタや女学生の担当になっていきました。
親しい者でテーブルを囲み、食事をとる。三十分程度の短い時間ですが、スレッタにとって至福のひとときとなりました。念のためエランにも確認しましたが、「まだよくわからないけど嫌じゃない」と言ってもらえました。滑り出しは上々のようです。
しかし、ひとつ問題がありました。
エランはファンクラブができるほど校内で人気を集めています。ほとんど他人と会話せず、人前に姿を現すことすら珍しいエランが毎日食堂にいるとしたら――男としてはもちろん、女装しても女として通用している眉目秀麗な容姿を視界に入れて昼休みを過ごそうとする生徒が集まるのは、至極当然のことでした。
一週間が経つ頃には、変化が現れ始めていました。周囲のテーブルにまばらに集まった生徒たちの視線を感じて、女学生がそっと耳打ちします。
「これ、大丈夫なの? 虐めてる奴らを下手に刺激するんじゃ」
「で、でも、おかしいことは何もしてない、です」
口ではそう言いつつも、ここまで注目を浴びるとは思っていませんでした。
フォークでパスタをひたすら巻き付けることで悶々とした心を落ち着かせていると、パサリと何かが差し出されました。
見知らぬ女学生の写真が何枚かあります。めくっていくと、机に何か細工をしているような様子のものもありました。
「虐めてる人たちのことだけど、聞いてきたよ。証拠写真ももらってきた」
まるで他人事のように淡々と告げるエランとは正反対に、二人の少女は目を剥きました。
「だ、誰から!?」
「ファンクラブの人。知ってるみたいだったから」
先日スレッタの教えた情報をもとに行動してくれたのでしょうか。無理しないでほしいという気持ちと、変化を嬉しく感じる気持ちで胸がいっぱいになります。
「いきなり推しに尋ねられるなんて、生きた心地がしなかったでしょうね……」
「? ぼくは普通に聞いたけど」
「あはは……。な、なんでもないですよ……」
隣の友人のつぶやきに、エランと同様にスレッタも首を傾げます。
それはさておきファンクラブの人から聞いた話をまとめると、虐めている生徒は数人であり、主犯格は学校の地主の娘のようです。機嫌を損ねると学校経営に影響を及ぼす可能性があり、教師たちも強く出れないんだとか。
「顔良し成績良しで、何かと注目を集める先輩が気に食わないのでは?」
「さあ。本人に聞いてみないと」
二人の会話が切れたことを見計らって、スレッタは抱えていた悩みを打ち明けました。
「あ、あの……これからどうしたらいいんでしょう」
虐めをやめさせるにはまず相手を知ることが必要です。しかし、こんなにあっさり判明するとは思っていなかったのです。
相手の行動を変えるにはどうしたらいいのか、何もわかりません。話し合って直接変えるのか、別の間接的な方法で変えるのか。ほかの二人からも特に案は出ず、その日は解散となりました。
憂鬱な気持ちは放課後まで続きました。これからの方向性が見えないことへの不安もありますが、何より大きかったのが自分への不甲斐なさです。
エランへの虐めを解決したいと言い出したにも関わらず、早々に足踏み状態になってしまいました。女学生と一緒に玄関に向かっていても、溜め息が漏れます。
「とりあえず一日置いてみようよ。寝て起きたら考えが浮かぶかもしれないし」
「そう、ですね……」
各々の下駄箱に向かい、緩慢な手つきで扉を開けます。続けて靴を取り出そうと手にしたとき、何かが指に当たりました。
一枚の紙――便箋のようです。折りたたまれたそれを広げると、書かれていたのは丸みを帯びた字体の一文。
『×階の×××号室 ××時までにひとりで来るように』
(これ……虐めの人たちからの?)
時間まであと十分もありません。あまりにもびっくりして気が抜けたせいか、後ろから近づく友人の足音にも気づきませんでした。
「それ、呼び出しじゃない。エラン先輩も呼んで、私も一緒に――」
「ま、待ってください!」
今にも駆け出しそうな彼女を慌てて呼び止めます。
「こ、これをわたしに送ってきたということは、何らかの意図があるんだと思います。だから、ひとりで、行きます」
エランに対し長く陰湿的な虐めをしてきた人物です。何をされるかわからない、会いたくないという恐怖心があります。
でもそれ以上に、解決したい思いのほうが強いのです。例え脅しであっても、ここで逃げ出して後悔するより進んで後悔したほうが次につながるからです。
スレッタの決意が伝わったのか、観念したように息を吐きました。
「――分かった。私は少し経ってから、エラン先輩と先生を呼ぶ。何かあったら全力で叫んでね、助けに行くから」
「はい! ありがとうございます」
友人からの気遣いに深々と頭を下げて、その場を離れました。
指定された教室は最上階の一番奥にありました。物音ひとつしない廊下に、自分の足音だけが反響します。
不安と恐怖に駆られながらも一歩ずつ前へ進み、教室の扉へ手をかけました。
中にいるであろう人たちを想像きて逃げ出したい気持ちをこみ上げてきましたが、頭を振って追い出します。気を取り直して大きく深呼吸します。
「よし……!」
気合を入れた勢いで扉を開けると、三人の女学生がいました。確かに先ほど写真で見かけた生徒たちのようです。
主犯格と呼ばれていた生徒を中心に、三人は席に座っていました。スレッタが入ってきたのを気づくと、肘をついたままこちらを見遣りました。口を開く姿すら、尊大な性格が見て取れます。
「あなた、エラン・ケレスと絶交しなさい。寮室から出て行ったら見逃してあげる」
「え……?」
口をぽかんと開けたまま呆気にとられました。脅される可能性も考慮していましたが、初めに交渉されるとは思ってもみなかったのです。そう思ったのもつかの間、
「入学したばかりの新入生に何を言い含めたのやら。あんな不良生徒の近くにいるなんて、先が思いやられましてよ」
思い込みにむっとしました。自分の敵で間違いないようです。
「変な言いがかりはや、やめてください。エランさんはわたしを助けてくれた、親切ないい人、です」
「あなたを助けたのもただの気まぐれに過ぎないわ。誰とも仲良くしない、授業もまともに出ない。そんな不良生徒、この学院にいる資格はないわ」
「資格は、あなたが決めるものじゃない、です。不満は、直接先生に言えばいいじゃないですか」
スレッタの提案は、むしろ相手を激昂させるものでした。
強い怒りを滲ませて机を拳で叩き、睨みつけます。
「言いましたわ! でもどこぞの企業が多額の寄付金と共に言い添えてきたから断れない、と。お金にものを言わせて怠けるなんて、許せるものですか」
「だ、だからっていじめていい理由にはなり、ません! 確かに保健室によくいるようでしたけど……きちんと成績は取っていますし、文句言われる筋合いは――」
――ぱしゃん!
右隣の少女がふと立ち上がって体を捻った後ろからバケツが出てきて。あっと思った瞬間には、全身水浸しになっていました。
ぴちゃん、と赤い髪から水が滴り落ちます。真っ白になった頭の片隅で、どうやって帰ったらいいんだろうと場違いな思考さえ浮かびました。
茫然として黙り込んだ様子に満足したのか、主犯格の少女は自慢げに鼻を鳴らします。
「よく喋る口ですけれど、頭は冷えましたかしら。――この私が言っても聞かないなら、追い出すしかないのです。この学校を正しくするために」
朗々と語る声が、飛んでいたスレッタの意識を引き戻しました。ここで負けてしまえば、全て水の泡と化します。
拳を握り締めて、目に意識を集中して見据えました。青い瞳が相手を捉えます。
「たとえどんな言い分があろうと、いじめをした時点であなた達は悪い人たちです。わたしは今もこれからも、エランさんの味方です!」
「この!」
「ひいぃ――」
相手が手を振り上げます。
先ほどの威勢の良さとは真逆の間抜けな悲鳴に内心がっくりしながらも、身を縮めて衝撃に備えようとしましたが、痛みはやってきませんでした。
「エラン・ケレス――なんであなたがここに……」
びっくりして顔を上げると、オリーブ色の髪が視界の半分を埋めていました。
エランが受け止めていた腕を、そのままぞんざいに振り払います。主犯格の少女は衝撃でふらついて後退し、机に体を打ち付けました。
「大丈夫?」
気が抜けて尻もちをついていたスレッタに駆け寄ると、ハンカチを取り出して顔や髪を拭き始めます。
エランの「部屋に戻ったらちゃんと拭こう」という気遣いに安堵しながらも、自分でも動こうという気力はおきません。なすすべなくされるがままの状況に形見が狭くなり、スレッタはへらりと笑いました。
「前と、出会ったときは似ていますね……今回はわたしがずぶ濡れになっちゃいました」
ちょっと格好良く終わりたかったのに、びしょびしょに濡れて介抱もしてもらって、全然締まりません。情けなくなって自嘲して誤魔化そうとするスレッタに、ゆっくりと頭を振りました。
「そんなことない。とても格好良かったよ、ありがとう」
「本当、ですか。えへへ、良かったあ……」
自信がなくても、感謝されれば嬉しいもの。
ふにゃふにゃに相好を崩して笑うのに対し微笑み返すと、エランは目を向けます。視線の先では、件の少女が二人の友人の手を借りて立ち上がろうとしていました。
「ぼくに何をしようと無視するつもりだったけど、スレッタ・マーキュリーを傷つけるなら絶対に許さない。覚えておけ」
「この――」
「そこまでにしなさい!」
歯ぎしりと共に怒号が浴びせられるかと思いきや、もう一人の闖入者が現れて、張り上げた声で場を収めました。
スレッタは数度しか顔を見たことありませんが、学年主任の女性です。後ろでスレッタの友人である女学生が顔を覗かせているのを見ると、彼女が呼んできたようです。
「ケレスさん、あなたも煽らないように」
主犯格の少女とエランを交互に視線を送って制すると、元のトーンに戻して話し始めました。
「ケレスさんへのいじめは耳にしていましたが、まさかあなたたちだったとは。証拠も揃いましたし、マーキュリーさんの言う通り、あなたの父君の言い添えがあってもいじめはいじめです」
「……は、い」
学年主任の正論に悔しそうに受け入れる少女を一瞥すると、エランに向き直りました。
「ですが、ケレスさん。あなたも嘘をつくのは頂けない。ペイル・テクノロジーズから言われていたから黙認しましたが、見学可能な体調ならば今後はせめて行うように」
「……まぁ、わかった」
面倒くさそうな様子を隠さないものの、エランも応じます。両者納得したのを見て取って、学年主任は踵を返して教室に背を向けました。
「このことは他言無用とします。虐めの処分は追って連絡します。三人とも疲れていると思いますから、明日は休みを取って休養するように」
座り込んだままのスレッタとエランを、友人の女学生が引っ張って寮に連れて戻されました。部屋の前に来ると感謝を告げて、各々の部屋に入ります。
ゆっくりできる空間に戻ってくると、全身の緊張が一気に解けて再びへたり込んでしまいました。
そういえば体が寒いような気がします。水を浴びたことを思い出した矢先、くしゅん、とくしゃみが出ました。
「いまお風呂の準備してるから、もう少し待ってて。その間冷えないように体を拭こう」
既に浴槽の操作を済ませたエランに、頭からバスタオルを被せられます。
服の水滴を取って、髪を拭いていく間にも震えはこみ上げてきて、もう一度くしゃみが出ました。
「風邪を引かないといいけど」
手を動かし続けるも、体の震えが収まりそうにないのを確かめると小さくため息をつきました。用意した別の真新しいバスタオルを取ると、包むように巻きます。
「……もう少し自分を大事にしてくれ」
「そ、その言葉はエランさんにお返しします!」
相手からの反論は予期していなかったのか、顔を上げたスレッタに対して目を丸くして見つめました。
「エランさんはわたしを大事に扱ってくれますけど、自分のことはぞんざい、です」
「ぼくのことは気にしなくていいよ」
「でもいじめで傷ついてましたよね? そうやって目を逸らすの、良くないです」
エランは目を細めて口を噤むと、ぷいっとそっぽを向きました。図星を刺された不満をこうやって表すのだと、最近知りました。優しくて親切な彼の子供っぽいところは、微笑ましくさえあります。
「今回は結果的にうまく行きましたけど、自分のことを大事にしてほしいです。大好きなエランさんが傷つくところを、もう見たくありません……」
優しさが、気遣いが、大事にされたことが嬉しかったから。ひとつひとつを返したいのに気持ちが伝わらず、歯痒ささえ感じます。
下唇を噛んで俯いてると、エランが顔をのぞき込んできました。鼻先が触れ合うほど近づいたイエローグリーンの瞳が、涙に濡れる青をじっと見据えます。
「なら、ぼくに自分を大事にする方法を教えて。どんなに時間がかかってもいいから」
教えを請う姿がますます子供っぽく見えて、思わず笑みがこぼれました。
「わたし、厳しいですよ? 無視したり言うこと聞かなかったりしたら怒っちゃいますから」
「喜んで」
顔にかかった赤毛をつまんで耳にかける仕草はウェディングベールを避けるようで、それだけでのぼせた心地がします。はやる気持ちを抑えて、ゆっくりと静かに目を閉じました。
少し乾いてるけど湿った感触が唇に当てられて、少年の袖口を小さく掴みます。
二人の影は、いつまでも重なっていました――。