人形たちのクリスマス エランは急いでいた。
決闘委員会のラウンジルームで、いつになく慌ただしく動き回る彼の姿が見れるのは、今日が初めてではないだろうか。
普段ならしわ一つ寄らない眉間には、いくつも縦に刻まれている。口角を下げて唇を突き出し、不機嫌な様子を隠そうともしない。今の姿からは、氷の君という呼称は思いつきもしないだろう。
しまいには、おずおずと提出する生徒の手からタブレットをぶん取るように受け取った。
所属寮の決闘成績と備品の購入予算の申請内容を照らし合わせて、逸脱していないか確認していく。
決闘で勝てば勝つほど購入できる備品の予算は上がっていくのだが、時折書類内容を誤魔化し、ズルして多く買おうとする寮がある。教師陣ではチェックしきれないため、こうして決闘委員会の居合わせたメンバーが確認することとなっている。問題なければサイン、気になる箇所があれば差し戻しするだけの作業。
今日に限って、決闘委員会の仕事が間断なく舞い込んできた。年末が近いからだろうが、この人数は異常だ。単純かつ慣れているので迷うことはないが、やってもやっても終わらない。本来なら教師がやるものでは、と普段なら浮かんでこない不満も出てきてしまう。
確認し終えたタブレットを返却する仕草もぞんざいになっていく。受け取った生徒はそそくさと走るようにしてラウンジを後にした。
生徒たちだけではなく、近くで他の仕事をしているシャディクですら遠巻きに見ているが、どう思われようと興味ない。
ちらりと生徒手帳を見やる。
『お仕事お疲れ様です! 待ってますから、頑張ってくださいね!』
遅れると告げたメールの返信。おうちデート──もとい寮室デートでクリスマスイブなるものを祝う約束していたスレッタからのメッセージが、焼き付いたように脳裏から離れない。受け取ってから、すでに一時間は経っている。
──早く帰らなければ。
一つ呼吸を置いて気合を入れ直すと、どうしたらいいのか困り果てている生徒からタブレットを奪った。
仕事中よりも、帰る時の方がはるかになりふり構っていられなかった。
蹴破るようにしてラウンジを飛び出し、ペイル寮まで全速力で駆け抜け、教師や守衛すら完全に無視して自室へ走る。
ドアの認証パネルに生徒手帳を重ねると、ピッという電子音と共に解錠される。逸る気持ちを抑えきれず、ドアノブを掴んで勢いよく開け放った。
「スレッタ・マーキュリー、遅れてごめ──」
飛び込んできた光景に、少年は息を呑んだ。荒い呼吸を整えることも忘れるほどに。
「──エランさん! お帰りなさい!」
所在なさげに宙を彷徨っていた視線が音に反応して、エランに焦点を結ぶ。途端に広がる少女の笑顔は太陽のようだ。視界すら明るくなった気がする。
立ち上がってぴょんぴょんと跳ねるようにエランと距離を詰める。いつもの赤い一つ結びの他に、今日はもう一つ揺れるものがあった。
「それは……?」
白いふわふわしたもので縁取りされた赤い三角帽子を身につけていた。とんがり部分にも白くて丸いぽんぽんが付いていて、一つ結びと一緒に動く様子はつい目で追いたくなる。
帽子だけではなく、同じ赤地の衣服を身につけていた。特徴的な赤毛が溶け込むほどの真っ赤な出で立ちに、エランは目を瞬いた。
「えっと、サンタクロースの衣装、だそうです!」
「さんたくろーす」
「はい! 地球寮の皆さんにお借りしました。元は白ひげのお爺さんなんですけど、これは女性風にアレンジしたものだとか。すごくかわいいんですよ」
白くて柔らかそうなものが、あちこちを縁取り、飾り付けられている。ぱっと目を引く、鮮やかなデザインだ。
"すごくかわいい"。
エランには、スレッタの言う『可愛い』というのがよくわからない。調べると、心惹かれる、愛嬌があるといった説明が出てくるが、どうも個人差があるようだ。現に、自分には服の善し悪し以前にそもそも興味がない。
それでも、彼女のサンタクロース姿が焼き付いたように視界から離れない。
スレッタがその場で一回転すると、膝丈のスカートがふわりと広がる。彼女のスカート姿を見るのは初めてだと気づくのと同時になぜか少しだけ鼓動が速くなって、もう一度目を瞬いた。
「エランさんに見て欲しくて。ど、どうですか?」
指先を捏ねながら上目遣いに見上げる彼女には、あまり自信がないんだろうか。こんなにも目を奪われるのに。
「……とても似合ってる。ありがとう」
「えへへ、良かったぁ」
嬉しさのあまり緩んだ頬を抑えるスレッタに、エランも嬉しくなる。
「それより、一つ気になったのだけど。今日はクリスマスイブ、だよね」
「はい! ケーキやチキン、美味しいものをたくさん食べる日だそうです!」
「キリスト教の創始者であるイエス・キリスト。彼の誕生日の前夜祭だと思っていたのだけど、サンタクロースと彼にはどんな関係が?」
「えっ」
意表を突かれたようで、固まると同時に目がぐるりと回った。どうしよう、どうしようと焦りながら、地球寮の面々から教えてもらったことを反芻しているが、答えが見つからないらしい。
悩むこと数秒、最終的には懐の生徒手帳を取り出した。目をぐるぐる回して明らかにパニックを起こしている。
「皆さんに聞いてきます!!」
「待って、聞いた僕が悪かった」
でも、と逡巡する彼女の肩を掴んで引き止める。
「先にケーキを食べて、あとで一緒に調べよう。イヤ?」
「い、いえ、よろしくお願いします!」
ほっとして笑う彼女の姿に、エランも安心した気持ちになる。
そうして二人は小さなパーティーの準備を始めた。
壁際に置かれた勉強机をベッドの前に移動してテーブル代わりに、並べた紙皿の上にケーキを盛り付けていく。長時間冷蔵庫に保管されたケーキは、充分に冷やされていた。
「うんと悩んで、一番可愛いのにしたんです!」
生クリームをたっぷり乗せた生地の上に、イチゴが円状に、中心には、マスコット調の赤い服を着た白ひげの男性、トナカイ、もみの木が飾られていた。成る程、この男性が本来のサンタクロースなのだろう。
「どこが可愛いと思ったの?」
「えっと……」
たとえその気持ちが自身になくても、スレッタがどうして思ったのか知りたい。分からないなら分からないなりに、彼女の言葉で聞きたい。顎を手で押さえでうんうん唸りながら、一つ一つ言語化して教えてくれた理由を、心の中に留めていく。
一通り聞き終えると、食べる時間になった。
「いただきます!」
スレッタは、フォークを指で挟んだまま両手を合わせる。地球寮で教わった、食事をする前の挨拶だと言う。日本という小さな国の習慣らしい。
スレッタの様子を横目で見ながら、見よう見まねで同じ仕草をした。食事への感謝など考えたことがなくて、不思議な気持ちに包まれる。
──体内に入って消化すれば、全て同じだと思っていたけれど。彼女にとっては、違うのだ。
感慨深く思う横で、少女は自身の赤い髪と同じ色をしたイチゴを口の中へ運び、美味しさに頬を綻ばせていた。
「ん〜〜! 美味しいです!」
堪能する様子は嬉しさが溢れ出るようで、微笑ましさに笑みが漏れる。エランはフォークでイチゴを刺すと、少女の口元へ寄せた。
「スレッタ。口を開けて」
「ん゙!? ん゙ん゙ん゙!?」
飲み込もうとした最中の、目に飛び込んできた光景の衝撃に喉を詰まらせる。ようやく飲み込むと、恥ずかしそうに口を開けた。
「あ、あーん……はむっ」
イチゴが彼女の口の中に吸い込まれて、咀嚼されていく。
「美味しい?」
「はひ……美味しいれす……」
頬をイチゴと同じ染める味わう彼女が面白くて笑いを噛み締めていると、気にさわったのかむっと頬を膨らませた。フォークに刺されたイチゴを、ずいっと突き出す。
「エ、エランさんも! あ、あーん、です!」
「じゃあ遠慮なく」
顔にかかる邪魔な横髪を避けて耳にかけ、イチゴに顔を近づけた。しかし何故か遠ざかったので、手首を掴んで引き寄せる。びくりと震えたのも構わずにそのまま口に含んだ。
瑞々しさを味わいながら飲み込む。掴んだままだった手を離すと、スレッタの体は強張っていた。見上げた先のイチゴよりも更に顔を赤く染めて、自分を凝視したまま震える少女に、耐えられず吹き出す。
「わ、笑い過ぎです〜!」
「ふふ、ごめ……」
飛んでくる抗議に謝罪しつつも、思わず笑ってしまう。
二人でケーキを食べる時間は、普段の食事よりはるかに贅沢に感じられた。
「美味しかったね」
「はい! イチゴはもちろん、生クリームのまろやかな舌触りが絶品で……」
悦に浸って語る彼女は幸せそうで微笑ましい。
「他にも食べたかったお店があって、来年はそこにしようと思います」
「同じ店にはしないの?」
あんなに嬉しそうに食べていたのに。
少しびっくりして尋ねると、勢いよく首を振る。
「いろんな味を試してみたいので……い、いや、ですか?」
「君の食べたいものが食べたい。楽しみにしてる」
「──はい!」
喜色満面の笑顔は、あ、と何かを思い出して固まる。
「新年が明けたら一番に電話するので、それまで寝ないでくださいね!」
「うん」
いつも、日が変わる前には寝付く習慣を心配されているのかもしれない。万が一寝てしまってもいいように、アラームをかけておかないと。
そうして、二人で冬休みの予定を埋めていく。会える日には一緒に遊んだり、会えない日は電話したり。いつか行うお互い誕生日は、今日以上の盛大なパーティーにする約束も。みっちり書き込まれたスケジュールは、去年の自分から見れば同一人物とは思えないほどだ。
──ピピピ、ピピピ。
自身の変わりようにまじまじと見つめていると、アラーム音が聞こえた。……スレッタの生徒手帳から鳴り出すそれは、門限10分前を告げるもの。
ペイル寮は御三家が占有する言わば一等地、地球寮は辺境と言っていいほど外れにあるため、行き来するのに時間がかかる。本来であれば20分は見ておきたいところを、少しでもエランと長くいる為走れば間に合う10分に設定していた。
「もう、帰らないと……」
楽しい時間があっという間に終わりに近づいてる現実に、目に見えるぐらい明らかに気落ちしていた。ベッドから降りようとのろのろと動き出すスレッタに、エランは声をかける。
「まだ僕に言いたいこと、あるよね?」
「……え?」
返す視線すら力ないものだが、構わず追い討ちをかける。
「一人で僕を待っていた時どうだった?」
「あ……」
空虚な青い目を大きく見開いてから、顔をくしゃくしゃに歪めた。重い体をゆっくり動かして、エランに体重を預ける。肩をすくめて、鼻を啜る音がした。
「──すごく、寂しかったです」
「うん」
「もしかしたら、今日来れないかも、と思いました」
「ごめん」
よく言えたね、とあやすように背中を撫でると、スレッタはエランの制服を握りしめて嗚咽を漏らし始めた。背中に手を回して優しく抱擁する。
ひとりで待つのはどうしても寂しい、とこぼす少女の声に、少年は静かに耳を傾ける。
可能な範囲で本音で話す。二人の約束ごとの一つだ。特にスレッタは躊躇って言い淀むことが多いので、必要だと判断した場合にはエランがこうやって聞き出すことも多い。
他人の顔色を伺っての行動は、決して悪いことではない。けれど、彼女は自身へのストレスも厭わずに背負い込んでしまう。
悩んでいたり寂しそうだったり、見れば彼女な気持ちを察することはできる。しかしその度合いや詳細は、本人の口から聞いてみないと分からないものだ。
何より、吐き出せば心理的負担は減るし、悩みも解決するかもしれない。
「仕方ないのは分かってます。でも、出来れば……次回は約束した時間から始めたい、です」
「──わかった」
今日の仕事も全てシャディクに押し付けて帰っても良かったかもと思う一方、翌日の彼の地獄から這い出てきた表情を想像すると、やや躊躇われる。あらかじめ相談しておくのもいいかもしれない。
「……すみません。私、すごくわがまま言ってて……」
縋り付いていた胸元から顔を離して、上目遣いに見上げる。泣き腫らした目はすっかり真っ赤になっていた。
「シャディク・ゼネリに相談したら解決するかも。気にしないで」
「……はい」
安心したのか、胸元に顔を乗せた。エランも先程よりも強く抱き締める。
──確かに、かわいいという感情がよく分からない。彼女の可愛いも理解できないかもしれない。
それでも、自分には伝えられる感情がある。スレッタに出会って初めて抱いたものが。
腕に力を込めて、耳元で囁く。
「君が大好きだよ」
何よりも、どんなことよりも。
元気な顔が見たい。やりたいことに邁進している姿を応援したい。悩んでいたら手を差し伸べて、困っていたら背中を押す。些細なことかもしれないが、君の力になると信じているから。
どうか、君の旅路が眩いものになりますように。
腕の中の少女は、ひゃあ、うひぃと俯いたまま声を上げてひとしきり照れた後、顔を上げた。
「ひとつだけ、訂正します。──私の、ではなく、私たちの、です」
スレッタからの視線は、真っ直ぐで迷いのないものだった。影に潜む自分を明るい太陽のもとに連れて行くのは彼女だと、確信せざるを得ないほどに。
「これからもよろしくお願いしますね」
「喜んで」
おそらく、これからたくさんの障害が行く末を阻む。普通の子供でも難関な問題は潜んでいるだろうに、自分たちの稀な境遇は更に問題が山積みだろう。
それでも彼女と手を取り合っていけば乗り越えていける。どこかが常に暗雲垂れ込んでいる自分の心を、こうして一気に晴らしたように。
「そういえば、門限は大丈夫なの?」
「はっ!! だ、だめです、帰らなければ!」
腕の中から飛び出すとベッドを降りる。帰り支度を始めようとした途端、「一つ言い忘れていました…!」と振り返った。
「この部屋には家具が足りない、です! テーブルとか椅子とか、エランさんの決闘成績なら充分申請できるのでは」
思いがけない提案に、エランはぱちぱちと瞬きを繰り返した。確かに、今日やってきた生徒の誰よりもたくさん申請できるだろう。
ぐるりと部屋を見渡す。備え付けのベッドと勉強机だけの部屋は、二人で過ごすには無機質で味気ないものだろう。
「いいね。他には?」
「置けるならソファも欲しいです! 一度でいいからゆったりごろごろ寝てみたいのですが、地球寮じゃ手が出せなくて……」
手が止まってしまったスレッタの帰り支度をエランも手伝いながら、会話に花を咲かせていく。
部屋の模様替えは、彼らの旅路の次の一歩となりそうだ。
<了>
20241231