春 氷の君に春が訪れたようだ、とあちらこちらで話題に上がるようになったのはいつからだったろうか。
意味は二通りある。一つ目は、笑いもしなければ怒りもしないことから「氷の君」と名付けられたエラン・ケレスが笑うようになった。全てに対して素っ気なく、無愛想なまでの無表情で対応していた彼が、だ。しかし笑う相手がほぼ一人の為実際に見かけた第三者は殆どおらず、最初は風の噂程度だった。
二つ目はその唯一笑う相手であるスレッタ・マーキュリーと付き合っているというものだ。転校してきた頃から交流の多かった二人だが、いよいよということで落胆する彼に想いを寄せていた生徒もいれば、氷の君と田舎娘がカップルなんて信じられないと訝しむ生徒もいた。尾ひれ背びれがついた末においおい本人たちに尋ねて真実だとわかるが、この時点で既につぶさに知り尽している集団があった。
「エラン・ケレス隠れファンクラブ」である。
◇◇◇
「水星女が来てから本当に変わったよね…」
とある寮の一室。
ばさりと持っていた写真を放って机に突っ伏す。隠し撮りされたエランの写真が机だけではなく床にも散らばっている。同じように何人かの女子生徒もぐったりと横たわっている。
最初は表立ったファンクラブだった。だが本人から早々に「必要ない」「興味ない」「解散してほしい」と冷たく言われたら、そのままでいる訳にもいかない。ペイル社に目をつけられるのも困るので、水面下で細々と活動していた。彼自身他人と交流が薄く、一定の生活しかしない為ほぼ隠し撮りしかしていないが。
彼をこっそり眺めては思いに耽る。そんな毎日が様変わりしたのはスレッタ・マーキュリーが転校してきてからだ。いつの間にか話す間柄になって、連絡先を交換する相手になって、寮に誘われて、デートして、決闘して、あまつさえ付き合って。
短い期間の怒涛の変化に耐えきれず狂った会員もいたが、既に脱退している。残ったのは二人を歯ぎしりしながら見守り煩悶するやや自虐的な面があるファンだけだ。
「でも笑うエラン先輩、とても素敵だよ…」
何気なく拾い上げる一枚には、スレッタに微笑むエランが写っている。スレッタは後ろ姿の為表情は見えないが、風に撫でられた灰がかった髪とタッセルを揺らして、目元を和らげ、少し口角を上げて彼女を愛おしそうに見つめている。あまりの魅力に身悶える反面、一人だけに向ける表情は見たくなかったという苦悩も混ざる。
どうして自分じゃないのか、何故彼女だけがと思いも募るが、ずっと追いかけていたからこそ自分達じゃこの笑顔は引き出せなかったことも知っている。
はぁ、と長く嘆息して再び脱力していると、扉が勢い良く開いて女子生徒が駆け込んできた。
「氷の君、と水星女、が、デートするって……!」
どんよりした空気が更に重く立ち込めるが、寝転がっていた女子生徒達はのろりのろりと立ち上がって準備を始める。
自分達が見れないのなら、こっそり覗き見るしかない。彼の魅力を一つ知るごとに胸を打たれかつ苦しんで顔を覆うことになっても。
今日も今日とて彼女たちの懊悩は続く。
<了>
20230222