ノースディンは生まれつきの吸血鬼ではない。元人間の私を彼が吸血鬼化させたように、強大な血を有する誰かが彼を一族に引き入れた。竜の一族だし古き血の一員入りを果たしたくらいだから、ノースディンを吸血したのはおそらくは御真祖様だろうと私は考えているが、まだそこまでうがった質問をする度胸はなかった。いつかノースディンから話してほしい。
古き血の中で唯一元人間で、かつ一番年が若いらしい。その彼が、一族に許可も取らず無断で一族入りさせたのが私だ。私のせいで一族に迷惑をかけるわけにはいかない。
吸血鬼化したばかりで右も左もわからない私を惑わせて、竜の一族の懐に取り入ろうとしているのではないか、とノースディンは三木を疑っている。悪魔祓いだった頃には、身元を伏せた潜伏調査も往々にして行われていた。ノースディンの考えもよくわかる。
「……でもどうしてもそうは思えなくて。彼は親切な人だ。彼のおかげで日本語も上達してきた。」
「……お前、本当に悪魔祓いだったのか? 警戒心がなさすぎだろう。」
頼むから日本語なら私やドラルクに聞いてくれ。何でも教えてやるから。ノースディンは深々と溜息をついた。
ノースディンと入れ替わる形でドラルクが訪ねてきたので、三木のこと、ノースディンの懸念について話をした。
「血で血を洗う二百年前ならともかく、今のこの時代でわざわざ竜の一族に楯突く無謀な人間がいるとは思えないのですけどね。ノースディンも三木さんも親切で優しい方なのに。」
「三木さんのことは今聞いたばかりですが、ノースディンが親切で優しい? あいつが優しく接するのは、私のお父様と御真祖様をはじめとした竜の一族と、あなただけですよ。」
「えっ、でも村人達や新横浜の女性達は……。」
「あなたにはいつか自分から打ち明けるかもしれないので、私が話したとは言わないでくださいね。」
チャームなんて能力を持っていながら、あいつは実は筋金入りの人間嫌いです。憎んでいるとさえ言っていい。過去に何かあったんでしょうね。私はそこまでは聞いていませんが。お父様や御真祖様ならきっと知っています。元人間だったノースディンを吸血鬼に転化させたのはお父様ですから。
人間だったノースディンを吸血鬼にして竜の一族に招き入れたのは御真祖様だと思っていたが、実はドラルクの父だったとは初めて知った。ドラルクの父にもそれほどの強大な力が備わっていたのか。彼らの過去には何があったのだろう。いつか教えてもらえるだろうか。
しかし人間嫌いとは。私とて元は人間だったのに。
「なら何故彼は私を吸血鬼にしたのだろう?」
「即時転化に失敗したのに諦めきれなくて二百年も冷凍保存し続けたくらいですから、あなたのことがよっぽど気に入ったのか、私達のせいで教会を追放され、放浪の末に死にかけたあなたを見捨てられなかったか。」
何にせよ、あなた、もう逃げられませんよ? お父様を見てきたからわかります。ノースディンは二百年、あなたを葬ることもできずに待っていたんです。目覚めたからには、あなたを決して手放しません。
ドラルクのその言葉を聞いて、私の胸に訪れたのは捕らわれた恐怖よりも安堵の情だった。ノースディンは、彼が引き延ばしたこの命が尽きるまで、ずっと私のそばにいてくれるのか。私はもう、ひとりでさまよい歩きたくないのだ。毎夜のように窓から訪ねてきて、血を与えたり接吻をしたり、抱きしめてくれるノースディンを今更手放せない。手放したくない。
「おや、まんざらでもなさそうですね。」
ドラルクは口角をつり上げて笑った。
ヒゲヒゲのことはそりゃ気にくわないし恨みつらみしかないけども、あれでも竜の一族ですしあいつを一族に引き入れたのは私のお父様ですからね。不幸になってほしいわけではないんですよ。お父様が悲しんでしまう。そしたらめちゃくちゃめんどくさいことになる。あなたが目覚めてくれてよかった。あんなゆったりとした雰囲気のノースディン、初めて見ます。
日課の新横浜散歩のあとでまたカフェに行く予定だったが、道の途中で足下にすり寄る影があった。服越しでも柔らかくて温かい。前にもあったことなのでだいたい予想はついていたが、下を見ると澄んだ青い目の綺麗な黒猫がまとわりついていた。やはりノースディンの使い魔だ。
「ついてきた、というか、ノースディンがついてこさせたんだろうね。ごめんよ。」
謝るついでにちゃっかりと撫でさせてもらおうとしてかがみ込んだら、黒猫は軽やかに私の肩に飛び乗ってきた。マフラーを巻いていたので首が覆われているからか、私の頬に頬をすり寄せてくる。
「困ったなあ。」
口ではそう言いつつも、猫は好きだし可愛いのでにこにこしてしまう。ノースディンの指示だからというだけではなく、私自身にも懐いてくれていたらいいな。とはいえ飲食物を扱うカフェに猫を同伴させることはできない。今日は諦めて、この子と一緒に散歩だけして帰ろう。
猫を肩に乗せて歩いていると、すれ違う人達の視線を感じた。わー可愛い、と声に出す人もいる。正直言って優越感があった。綺麗な子でしょう? なんせノースディンの使い魔なのですから。
公園のベンチで休憩する。猫は私の膝に移動して丸くなった。本当に可愛いな。いやがられない程度に軽く撫でていると、聞き慣れた声がした。
「クラージィさん?」
三木だった。影のように、何なら吸血鬼のように、どこからともなくするりと現れた。さも当然のように私の隣に腰を下ろしたが、穏やかに私の膝で寛いでいた猫が牙を剥いた。
「おや、嫌われてしまった。私も猫は好きなんですけどね。残念です。」
ところでその子、あなたの飼い猫ですか? とても綺麗な子ですね。
「イエ、コノコハ、ワタシノ・・・・・・」
そこで口が止まった。ノースディンと私の関係をどう説明すればいいのだろうか。それもまだままならない日本語で。
「ワタシノ、スキナカタノ、ツカイマデス。キレイ、カワイイ、カシコイ、トテモイイコデス。」
「なるほど、だからあなたを守ろうとしてるのですね。この人に悪いことをしたりしないから、できれば警戒しないでくれないかな?」
三木は人差し指を差し伸べてみたが、黒猫はフシャーと威嚇して引っ掻こうとした。さすがにそれはいけない。とっさに抱き込んだ。私には抵抗せずにすり寄ってくれる。三木は特に気を悪くした様子もなく笑っていた。
ちょうどその時、三木のポケットから電子音が鳴った。失礼、と言って彼はスマートフォンを取り出して画面を確認し、小さく声を上げて笑った。
「まったくもう、吉田さんってば。猫画像の貯蔵が尽きないな。」
どうもまだ怖くて手に取りづらいし欲しいとも思えないスマートフォンだったが、三木に見せられた画面にはふくよかな猫が仰向けになって腹を見せ、警戒心などまるでなしに寛いだ様子で寝転んでいた。
「……トテモカワイイデスネ。」
「吉田さんは私の友達です。猫を三匹も飼っていて、自慢、いや、見せてきます。クラージィさんも猫が好きですか? 遊びに行ったら、抱かせてくれますよ。」
「イインデスカ!? ネコヲダク、タクサンシタイデス!」
私は目を輝かせた。三木は涙が浮かぶほど笑いながら目尻を拭い、ふと真面目な顔になっていきなり早口で話し始めた。
「申し訳ありません。あなたのことを疑っていました。強大な血の気配が感じられたので、敵性吸血鬼かどうか確認したかったのです。自分が恥ずかしい。あなたはこんなにも優しくて純朴で、いい方だったのに。」
これからもお付き合いしていただけますか? 仲よくしたいです。私はあなたが好きです。とても好ましい。
おそらく彼は、私が聞き取れないようにあえて早口でまくし立てたのだろう。ごめんなさい、吸血鬼、優しい、仲よく、好きです、くらいしか理解できなかった。彼が何故私に頭を下げているのかわからなかったが、私は日本語で「ハイ。」と答えた。