手記後ノスクラ「君に何を言えばいい」続きその2「ここは変な吸血鬼ばかりだな。悪さはするが人に致命的な危害を加えようとする者は、まあいるにはいるのかもしれないが、そちらのほうがよっぽど数は少ないようだ。あの頃は、人間がこうして気軽に夜道を歩ける時代ではなかった。もちろん今でも深夜を出歩く女子供は放っておけないが。悪魔より怖い人間などいくらでもいる。思い知ったよ。」
今日のクラージィはなんだかご機嫌だ。前回会った時から間が空いているせいか話が尽きないし、主に相槌を打つばかりの私だが聞いていて楽しい。孤独に苦難の道を歩まされていた彼が、ここでは幸せに過ごしている。私はそれがとても嬉しかった。
「それにしても、今の私には悪魔祓いの黒い杭も、吸血鬼としての能力も何もないが、いずれは何か発現するのだろうか。その時はどのような能力になるのだろう。楽しみなような、少し怖いような。まだわからない。見ていてくれるか? ノースディン。」
つらつらと話し続けるクラージィの声が徐々に間延びしていっているのに気付いた。私の肩に頭をもたせかけてくる。ぎょっとして横を向くと、彼は既に目を閉じて寝息を立て始めていた。
「クラージィ? まさか、ここで寝るつもりか?」
起こそうとして彼の肩を掴んで揺さぶったが、まるで反応がなかった。クラージィの眠りは深い。異様なほどに深い。
本当は猫カフェの閉店時刻の午前四時まで働きたいのだが、すぐにうとうとと眠くなってしまうから、長時間勤務がまだできない、とクラージィが口を滑らせたことがあった。返す言葉が思いつかなくて黙り込まざるを得なかった私の様子に気がつくと、困ったように眉尻を下げて微笑んだ。
「気にしないでくれ。別にお前のせいじゃない。」
クラージィが人間として生きていたのは二百年も前で、この新横浜から遠く離れた地だ。それが何の因果か氷漬けにされて、長い時を越え、海を越えて、ある日突然目覚めさせられた。時代も場所も言語も、何もかもが違う環境に放り込まれて、そればかりか人間から吸血鬼に転化させられて、いきなり全てを受け入れられるはずもなく、心も体もついていけていない。私より先にドラルクと再会し、世話好きな彼の助力を得て、この地で新たな生活を送れるようになって数ヶ月を経ているが、二百年の断絶はそうそう覆せるものではなかった。
いずれは時が解決する問題なのだろう。次の二百年が経過するのを待たずとも、クラージィがこの地、この時代に完全に馴染むようになったなら、一種の時差ぼけのような眠気からも寒気からも解き放たれて、もっとのびのびと暮らしていけるのだろうと私は見ていた。
わかっている。それだけではない。彼が寒いのも、眠いのも、私のせいだ。私が与えた血によって彼は甦った。彼の血管には吹雪の悪魔たる私の血が流れている。私が何度も彼に近づき、言葉を交わすせいで、否応もなく私達の血が共鳴する。私と関わりを持ち続ける限り、生と死のはざまで眠り続けた氷の棺から彼はずっと逃れられない。いつまでも半ばまどろみながら寒気に震え続ける。
私は彼と距離を置かねばならない。私の知らぬ間に目覚めていた彼は、この地で居をかまえ、友もいて、職も得ている。今の彼に私は必要ない。彼のためを思うなら、私は彼を手放すべきだ。
そんなこと、知ったことか。私がつなぎとめた命だ。彼には私の血が流れているのだ。私のものだ。百年も廃教会に通っては凍てついた彼の棺の前で立ち尽くしていた。その棺の蓋がついに開いた。彼と向かい合い、言葉を交わし、笑い合えるようになったのだ。今更諦められるわけがなかった。