手記後ノスクラ「君に何を言えばいい」続き。 こうやって新横浜の公園のベンチに並んで座って、クラージィの話に耳を傾ける夜を何度過ごしただろうか。いや、吸血鬼は数を数えずにいられないものなので正確に覚えているのだが、彼と彼の友人達の交流にはまるで及ばない数なのでここでは明かすまい。
クラージィはいつものように私が与えたペットボトルの温かいお茶を飲みながら、せいぜい二週間に一度くらいしか会うことのない私に近況報告をしてくれる。
「このあいだ、なんといえばいいのか、ウインナーに無数の足が生えたような姿形の女性らしき吸血鬼と鉢合わせした。あとから聞いたところによると、熱烈キッスという方で、吉田さんの部下だそうだ。」
「熱烈キッスのことは知っているが、なんだそのよくわからん関係性は?」
吉田とはこの新横浜でクラージィが出会い親しくなった人間のひとりだ。どこにでもいるような中年の会社員だと聞いたが、何故その下で熱烈キッスが働いているのだ。彼女、会社勤めのOLだったのか?
というか熱烈キッスは美男子が好きで、好みの男とあらば誰彼かまわずキスしまくると聞いている。クラージィは頭髪がモジャモジャながらも高身長で端正な顔立ちの持ち主だ。そんなやつと遭遇してしまって無事だったのだろうか?
「ベネディクト・カンバーバッチ枠は貴重かもしれないが、残念ながら私の好みではない。せめて十年若返ってから出直せ、と言われてしまった。ベネディクト・カンバーバッチ枠とは何なんだ?」
褒められたんだかただ単に失礼なんだか判断に苦しむこと言われてるぞお前。どこから突っ込めばいいのかわからない。とりあえず今度熱烈キッスを見かけたら一応女性であろうと問答無用で冷凍ウインナーにしてやろうと決意を固めつつ、私は言った。
「テレビとプレーヤーは持っているか? 友人の家でもかまわないぞ。次カフェに行く際にBlu-rayボックスを差し入れしてやろう。」
二百年前に死別したはずのクラージィが何がどうしてか新横浜で甦り、猫カフェ店員となっていたと知ってから早くも数ヶ月が経つ。いまだに理解が追いつかないが、私が唯一己の血を分けて吸血鬼に転化させてまで生き永らえそうとした男だ。彼の今後は当然気になった。
私があずかり知らぬうちに目覚めていたクラージィを保護し、時代も言語も違うこの新横浜で新たな生活を送る手はずを整えたドラルクとは、ひとり暮らしを始めた今でも時折出会って近況報告をしているそうだ。ならば彼の命を現代につないだ私にも、その権利はあるだろう。
クラージィの勤める猫カフェを初めて訪れた時は驚かれたものだが、定期的に顔を出し続けていたら今は笑顔で迎えてくれる。ポイントカードもずいぶん貯まってきた。
今夜の受付担当は、初来店の私にクラージィのストーカーかとあらぬ疑いをかけてきた女性店員だった。すっかり顔なじみになった今では彼女も愛想よく出迎えてくれる。
「あ、こんばんは。いらっしゃいませー。残念ですが、クラさんは今日もバックヤードですよ-。うちの子達と遊んでお待ちください。」
クラさんモテすぎで、フロアに出すとお客さんに猫が回らなくなっちゃうんですよー。
女性とはいえ初対面でストーカー呼ばわりされた時はつい声を荒げてしまったものだが、にこにこと愛想よく入店手続きをしてくれる彼女は可愛らしくて好ましいし、性根が素直で親切なのが窺い知れる。だからこそ、間違って私のチャームが発動してしまわないように甘い言葉は極力避ける。そうするとどうしても私は言葉少なになる。
「おや、ずいぶん和やかに接してくれるようになったね。」
「だって初来店の時は、普通にめっちゃ怪しかったですから。クラさんの上がりに合わせて三時間待ちは吸対呼んでも文句言わせませんってー。」
猫カフェのフロアに入ると、これまた馴染みになった保護猫達が私に挨拶してくれた。もちろん私の最愛の猫は賢くて美しい我が使い魔だが、ごくありふれた保護猫も可愛いものだ。
受付の彼女の言うとおり、ここ最近はフロアでクラージィを見かけていない。今夜は珍しく私以外の客はいないので、ちょっとは顔を出してくれないだろうか。制服のエプロンの上に厚いカーディアンを羽織って猫を抱いている彼の姿が私は好きだった。
ソファーに腰かけて猫を撫でていると、別料金で注文していた紅茶が前のローテーブルに置かれた。持ってきたのは受付の彼女だ。
「お客さんが来たらベルが鳴りますので、ちょっとお話ししてっていいですか?」
「かまわんが?」
思いがけない彼女の申し出に途惑いながらも、とりあえず了承してソファーの脇に寄った。その席はふたりがけだったが、私に魅了された数多の女性と違って彼女は寄り添おうとすることなく、私から極力離れて端っこに軽く腰を下ろした。
といっても、お客さんのプライベートに首を突っ込むのはいけないことなので、おふたりのことは聞きませんが、お客さん、クラさんの古い知り合いってのは間違いなかったんですね。お客さんが来てからクラさんますます楽しそうで、一緒に働いていてめっちゃ和みます。
私はどんな顔をして聞いていたのだろう。彼女は慌てて手と首を左右にぶんぶん振った。
「大丈夫! 私彼氏いますから! クラさんのことは好きですが狙ったりしてませんって!」
臨時でヘルプに入ってくれる人の紹介だったんですが、東欧出身の方らしくて言葉もあまり通じなかったし、男前ですがどちらかといえばいかめしい顔だし背も高くてぱっと見威圧感あるし、なんでこの人が猫カフェに、と最初はびっくりしましたが、猫に好かれる人に悪い人はいませんよ。
そう言って、彼女は横に座る私をざっと眺めた。保護猫達が私の膝の取り合いをしていた。
「お客さんも猫に好かれていますしね。」
そこで玄関のベルが鳴った。では失礼します、と私に告げて、彼女は受付に戻った。
クラージィの仕事上がりは深夜一時だ。カフェの猫達と受付の彼女に別れを告げて、店舗の外でクラージィを待った。私服に着替えて出てきた彼は、ずっとバックヤードにいたから私の来店を知らなかったし彼女もあえて教えなかったのだろう。私に気付くと一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑って隣に来てくれた。私達は連れ立っていつもの公園のベンチに向かった。
「このあいだ、吸血鬼クソデカマンという子に会ったんだ。」
「もうその名前だけでどんなやつだか想像つくな……」
「身長はこれくらいの、名前に反して小柄で可愛い子だったが、物が巨大化する光線を放つ能力の持ち主でな。外で私が食べていたおにぎりを大きくしてくれた。残念ながら時間切れで、途中で元の大きさに戻ってしまったのだが、食べ応えがあったよ。愛嬌のあるいい子だった。」
「よく食べる気になれたな……」
拾い食いとかするなよ、と口を挟みかけたが、教会を追放されて食べるものもなく泥水をすすりながらさまよい歩いていた時期のある彼に言ってはいけないことくらい私にもわかる。
「あと、吸血鬼ねこの奴隷という者にも会った。私同様に猫が大好きとのことで意気投合し、こちらからお願いしてしばらく猫にしてもらった。」
「待ってくれ。お前、そいつに吸血されてないか?」
「猫の目線で歩く町は少々怖いながらも新鮮だった。ただ、吸血鬼だから窓ガラスに猫の自分の姿が映らないのが残念で。せっかくだからどんな姿なのかどうしても見てみたくて、すぐアパートに戻った。何故か吉田さんも三木さんも一目で見抜いて、吸血鬼でも映るスマホのカメラで写真を撮ってくれたんだ。面白いから見てみないか?」
私以外の吸血鬼に血を吸わせるんじゃない、とか、真っ先に頼るのはそのふたりなのか、とか、いろいろ言いたいことはあったのだが、だいたい想像はつくものの猫化したクラージィの姿はどうしても気になる。差し出されたスマホの画面を覗くと、よく言えば巻き毛、有り体に言えばモジャモジャの黒猫らしきよくわからない毛玉の塊が映っていた。ふたつの赤い色は多分目なのだろうが、毛深すぎてほんの少し垣間見える程度だ。あまりにも予想どおりすぎて声が出るほど笑ってしまった。
「……は、はは、可愛いな!」
涙まで浮かんできて、指先で目尻を拭いながら、思わずそう口を突いて出たのはそんな言葉だった。
「からかうのはやめてくれ。猫はみんな可愛いものだが、それが自分だとこんなにも微妙だとはな。期待してしまった私が馬鹿だった。」
クラージィは苦笑いしていたが、何が何だかよくわからないモジャモジャした黒毛玉が、私には心底愛らしく思えたのだ。叶うものなら写真ではなく、実物をこの目で見て、この手で撫でてみたかった。
なんでお前、道を歩けば変態吸血鬼にうざ絡みされてたいへんな目に遭うこと確実のこの町で平然と暮らせているんだ。楽しそうに近況報告をしてくれる彼を見ているぶんにはこちらも嬉しいのだが、聞かされる内容には頭が痛くなってくる。新横浜在住の業ゆえに彼の変態遭遇率も相当高いししっかり巻き込まれてもいるのだが、「おっさんだ! 逃げるブリ!と、出会い頭にいきなり叫んで飛び去っていった謎の吸血鬼もいたが、後日検査のためにVRCを訪れた際、所員の方に訊ねてみたら、現在収監中とのことだった。吸血鬼魔法少女スコスコ妖精というそうだ。彼は一体何をしでかしたのだろうか?」と首を傾げていたりと、彼の話を聞く限りでは今のところ、衆人環視の前で尊厳を辱められる事態にまでは陥っていないのは単純に感心する。少なくとも彼のおにぎりを大きくしただけのクソデカマンとやらは時と場合によっては傍迷惑ながらも悪い吸血鬼ではなさそうだし、多分クラージィの善性が悪質な変態どもを無意識に撥ね除けているのだろう。できればこの先もまっさらなままで今生を送ってほしいが、いかんせんここは魔都新横浜だ。時間の問題だとも思えてならない自分が悲しい。