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    aokiss2481

    @aokiss2481

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    aokiss2481

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    ゲ謎にハマって書き始めたはいいものの書き上がらなかったのでこちらで供養させてクレメンス!!!
    因習村から戻った水木が目玉の父と鬼太郎を育てながらドタバタするお話。未完成。

    目玉オヤジと鬼太郎を育てる水木な父水【未完】「待て!早まるでない!ワシじゃ!ワシじゃよ!!」

    「悪いな、生憎俺に目玉の知り合いはいねぇんだよ」

    「待てと言うに!!ほんに手が早い所は変わっておらんのう!?」

    「そこに直れ、なかったことにしてやらぁ」

    土砂降りの夜に墓場で土から這い出て来た赤子を拾う、という稀有な体験をしたのが数日前。恐らく水木の人生の中でこの奇妙な体験を塗り替える出来事はもう起こらないだろう、と。そう感じていた自分の予想を易々と塗り替えた目の前の存在に、水木は淡々と告げながらハエ叩きを構え直す。

    事のあらましを話そう。夕飯を作っている後ろでキャッキャと笑う我が子を微笑ましく思いながら振り返ると、我が子の横に目玉が居たため無かった事にしようとした。以上だ。育てて数日だが確実に父性が芽生えつつある水木は、我が子を守るべく武器になりそうなハエ叩きを装備した次第である。もしこの家に三八式歩兵銃があったら迷いなくそちらを選択していたところだ。

    「ええい、話を聞かんかたわけ!その子にも関係する話じゃ!!」

    「鬼太郎に…?」

    「そうじゃ。お主のここ数日の様子は見ておったが、記憶を失くしておるようじゃの」

    「記憶って…お前、もしかして俺が覚えていない数日の事を知ってんのか…?」

    「当たり前じゃろう、何せお主と共におったんじゃからな」

    ジリジリと間合いを取り合う、両者一歩も引かない攻防に終止符を打ったのは目玉が発した一言だった。思わず振り被っていたハエ叩きをゆっくりと下ろして問えば、目玉は何事でもないように水木の求める以上の答えを口にした。共にいた、確かにこの目玉はそう言った。俄には信じ難いが墓から出てきた子どもを育てている今、何が起きていたとしても驚くまい。水木は求める真相を前にして、ゴクリと唾を飲む。と、ジッとこちらの様子を伺っている赤い目玉に告げた。

    「…とりあえずは話を聞いてやる。信じるかはその後だ」

    「疑り深い所も変わらんのう。まぁ良かろう。ちと顔を寄せい」

    「はぁ?何だよ急に」

    とりあえずはと話を聞く姿勢を見せれば目玉は分かりやすく、強張らせていた肩を撫で下ろして安堵の息を吐いた。どっから出てんだその溜息は、という言葉は寸での所で飲み込んだ。話が進まなくなるからだ。そんな水木の配慮をよそに目玉はやれやれと首を振っている。旧知の仲かのように水木を語る口振りは普通であれば不快な物に思えるのだろうが、何故だか嫌悪は感じなかった。それどころか、どこか懐かしい気すらする。

    不意に顔を寄せろと言われ、水木は言われるがままに小さな存在の手が届きそうな位置まで顔を寄せた。額にペタリと目玉の小さな掌が添えられる。水木はいまいち意図の読めない行動を訝しみつつも、これから語られるのであろう空白の時間を聞くためには仕方のない事だと自分を納得させて大人しく待つことにした。

    「おい、こりゃ一体何のつもりだ」

    「そう慌てるでないよ。話を聞けとは言うたが、記憶のないお主を納得させるのはちと骨が折れそうなのでな」

    「は?おい、何の話をして───ッ!?」

    いつまでも語られない真相に痺れを切らして抗議の声を上げれば、不穏な返答とともに小さな額に柔らかな温もりを感じる。


    「できればもう少し、感動的に思い出して欲しかったんじゃがのう」

    ワシの方が寂しゅうなってしもうたわ。


    少しだけ寂しげに、拗ねたように。告げる赤い目が、かつての相棒の瞳と重なった。

    とある因習村での凄惨な出来事。
    Mと幽霊族の妻を探して求めて戦った記憶。
    その隣にいた、着流しの男の姿。

    「ゲゲ、郎…?」

    「ようやく思いだしおったか。待っておったよ」

    「何で、お前ッ…!!」

    「約束したからのう。"また会おう"と」

    「──ッ、はは。律儀な男だな」

    「そうじゃろう?」

    ワシはお主と違って嘘はつかん。

    熱くなった目頭を押さえながら、水木はかつてのように軽口を叩く。そんな水木の反応に満足そうに頷くと、相棒はその小さな身に合わない太々しい態度でフンと鼻を鳴らした。ゲゲ郎の言葉に哭倉村の座敷牢での一幕が蘇り、そこだけは忘れたままでよかったんだがなと苦笑する。しかし今はそんな都合の悪い思い出すらも懐かしくて。水木は最後に見た姿と変わらない目の前の赤い瞳を見つめると、改めて口に馴染む名を口にした。

    「おかえり、ゲゲ郎」

    「ただいま帰ったぞ、水木」


    ◻︎◼︎◻︎◼︎◻︎◼︎

    「で?何だってそんな姿になっちまったんだよ」

    「話すと長いんじゃが、掻い摘んで話すと鬼太郎への愛でこうなったんじゃ」

    「全ッ然分かんねぇ…」

    「愛じゃよ、愛」

    「お前それ好きだよな。元には戻れんのか?」

    「その事なんじゃが…」

    抽象的すぎるゲゲ郎の説明にツッコミを入れ、もっと詳しく話せと水木が促せばゲゲ郎は時間をかけて自分が目玉の姿に至るまでを話し聞かせた。全てを聞き終わる頃には夜もとっぷりと暮れ、黒で塗り潰された空には金色の月がボンヤリと浮かんでいた。ゲゲ郎のお猪口に手酌で酒を注いでやりながら、水木は「するってぇと、何か」とゲゲ郎の話をまとめるように言葉を紡ぐ。

    「お前が元の姿に戻るには、俺の力が必要だってことか?」

    「さすがは聡い男じゃな、話が早くて助かるわい」

    曰く、水木のような視える側の人間には血液が流れるように霊力が流れているのだそうだ。霊力が枯渇しているゲゲ郎はその霊力を分け与えて貰うことで本来の妖力が回復するのだと、ゲゲ郎はそう言った。言わば吸血鬼が血を吸うような、エナジードレインの一種だ。ただし一度に必要分を吸収してしまえば水木の命を奪う事になる。そのため長い時間をかけて少しずつ水木から力を分けて欲しいのだ、と。

    「時間はかかるやもしれんが、元の姿に戻れればワシも鬼太郎を育てられるじゃろう?」

    「そりゃあ、元の姿に戻れるなら実父のお前が育てるに越した事はないだろうな」

    ゲゲ郎の最もな言い分に水木も異論はない。今でこそゲゲ郎の代わりに養父として鬼太郎を育ててはいるが、実の父親が育てられるのならそれが一番良いに決まっている。特に鬼太郎は人間の赤子とは出自が違うのだ。獣の親が子に狩りの仕方を教えるように、妖怪にも妖怪の親にしか教えられない事はあるだろう。しかしここで、水木は話を聞いた時から浮かんでいた疑問を投げかける。

    「話は分かった。ただ、力の分け方なんて俺は知らんぞ。どうするんだ」

    普通の人間と比べて稀有な経験が多い自覚はあるが、それでも人の子として普通に生きていれば妖怪に霊力を分け与える方法など学ぶ機会もない。お猪口に入った酒を飲み干して首を傾げる水木にゲゲ郎は「なに、そう難しいことじゃあないわ」と事もなげに告げる。

    「水木よ、ワシを掌に乗せておくれ」

    「今度は何すんだよ、また額か?」

    「違うわい、こうするんじゃよ」

    新芽の葉よりも小さな手でチョイチョイと誘われて、水木は今度は何だと指示に従いゲゲ郎を掌に乗せた。先ほどと同じように顔を近付けてやれば、目と鼻の先に居座るゲゲ郎は先ほど額に触れた掌を水木の頬に添える。そして、

    チュ───

    神経を集中させなければ気付かないほどの小さな熱が水木の唇に触れた。

    「ッ、何すんだこの野郎!!」

    「あぁ!こら、まだ少ししか吸うとらんわ!!」

    「吸うって、お前…!!」

    「言うたじゃろう?こうするんじゃよ」

    時間にして数秒。何をされたかを理解した水木は慌てて自らの唇に吸い付く相棒を引き離すと、すかさずゲゲ郎の不満の声が飛ぶ。食事を味わっている途中で邪魔されたかのような反応に一瞬自分が悪い事をしたような感覚に陥るが、そんな訳があるかと首を振った。そんな水木の様子を気にもせず「ほれほれ、早う」と催促するゲゲ郎をキッと睨み付ける。

    「先に言えよ!驚くだろうが!!」

    「言えば良いのか逆」

    「あ?一回言ったことを反故になんかするわけねぇだろ」

    水木とて生娘ではない。その上人には見えない、どちらかと言えば人形の類に見える小さな生き物との口吸いとなればそこまで抵抗もなかった。ただ力を分け与える方法がまさか口吸いだとは夢にも思わず驚いてしまい、何だかそれが癪だったのだ。それで良いのかと言わんばかりのゲゲ郎の視線を無視して、今度は水木がフンと鼻を鳴らす番だった。日本男児たるもの、一度交わした約束を保護にするなどあり得ない。男に二言はない、というやつだ。

    「まったく、男らしいのか女々しいのか分からんヤツよの。分かった、冗談じゃからそのハエ叩きを置け」

    ドンと構える男の頬が微かに染まっているのを、目敏い妖怪は見逃さなかった。茶化してボソリと溢した言の葉は水木の耳にも届いてしまったようで、無言でハエ叩きを握り直した水木をどうどうと諌める。

    「何はともあれ、これから親子ともども世話になるぞ」

    ニッコリと目を細めてそう宣言するゲゲ郎の呑気な挨拶にすっかり毒気を抜かれて、水木は思わず「仕方ねぇな」と笑ってしまった。憎めないヤツなのだ。

    かくして妖怪の親と子を育てる、水木の珍妙な育児生活が幕を開けたのだった。




    ◻︎◼︎◻︎◼︎◻︎◼︎

    「鬼太郎はまだこんなに小せぇのに、お前は結構な速さでデカくなるんだな」

    「ワシの場合は元々成熟した妖体が力を失って小さくなっておるだけじゃからな。まだ成長の過程である鬼太郎とは訳が違うわい」

    「そういうもんなのか?」

    たまの休日くらい鬼太郎を遊ばせてやろう、とやってきたのは屋上デパートだ。目の前で鬼太郎の口を拭いてやりつつ自分もクリームソーダを喫するゲゲ郎は、二年も力を与えればすっかりと元の姿の面影を残す青年へと成長していた。歳にすれば十八ほどだろうか?ちょうど水木が戦地へ赴く前と同じくらいの年頃だ。目玉のまま成長してしまうのではないか、なんて戦々恐々としていた頃を懐かしく思いながら水木はアイスコーヒーを嗜む。

    思えばこの二年は長かった。時には赤子の姿で説法を説くゲゲ郎に何とも言えない気持ちになったこともあった。また時には時弥君ほどの年齢に成長した幼児姿のゲゲ郎との口吸いに倫理観と罪悪感から抵抗を覚え、一時期は力の供給が途絶えた事もあった。あの時は痺れを切らしたゲゲ郎から「男に二言はないのじゃろう?」と足払いを食らい、押し倒されて無理やり力を吸われたのだが、あれは今思い返してもこの上なく鬼太郎の教育に悪い絵面であったことだろう。それも今となっては遠い目をしながらも乾いた笑いを漏らせる程度には思い出として昇華できている。

    「ん、みじゅき」

    「ん?どうした鬼太郎」

    「あい」

    「はは、くれるのか?ありがとな」

    「鬼太郎、ワシもワシも」

    そんな事を考えていると、ゲゲ郎に見守られながら一生懸命に自分でアイスクリームを掬う鬼太郎が、愛らしい声と共に水木に匙を差し出した。どうやら匙に乗せたアイスクリームを水木にくれるらしい。辿々しい手付きや自らが美味いと感じた物を水木に分け与えようとするその幼心に、愛おしさで胸がキュウと鳴る。

    (もし、ここに居たのが岩子さんだったら…)

    同時に脳裏に浮かんだゲゲ郎の妻の存在に、心臓を鷲掴みにされるような息苦しさを感じた。この空間に居られることに幸せを感じている。けれど、どうしたって守れなかった彼女の存在を差し置いて幸せを感じていることに仄暗い罪悪感を抱えずにはいられないのだ。

    代用品の自分が、ただの穴埋めに過ぎない自分が。

    彼女が母親として享受するべきだった幸せを噛み締めていいのかと、そう思わずにはいられないのだ。

    口の中で溶けていくアイスクリームがドロリと絡んで上手く呑み込めず、水木はそれを穢い感情とともにアイスコーヒーで流し込む。そんな水木の様子を探るように見つめる、赤い瞳には気付かずに。

    「んー…」

    「鬼太郎、厠行くか?」

    「クリームソーダで冷えてしもうたかの。どれ、ワシが連れて行こう」

    「いいのか?」

    「自分の倅じゃからのう、当然じゃろう?水木はここで座っておれ。久々の休日くらいゆっくりすると良い」

    不意にプルリと震えて足をモジモジとさせる鬼太郎に気が付いて水木が声をかければ、ゲゲ郎が水木よりも先に腰をあげた。ゲゲ郎を気遣う水木の頭を大きな掌でクシャリと優しくひと撫でして「いつもすまんのう」と柔らかく笑うと、鬼太郎を抱き上げる。その台詞にはきっと、ゲゲ郎と鬼太郎の生活を支える水木への労いと謝罪が含まれているのだろう。

    いつもそうだ。気にする必要はないと何度伝えても、優しいこの男は水木を気遣うことを止めようとしない。水木が疲れて帰れば夕飯を用意し、理不尽に傷付けられれば天狗の酒を掲げて月見酒に誘い愚痴を吐かせてくれる。「水木は頑張っておるよ」「ちと気張りすぎなくらいじゃ」と認めてくれる。受け止めてくれる。寒さで眠れない夜には鬼太郎を連れてコッソリと水木の布団に潜り込むこともあった。

    水木とは比べものにならない程の永い時を生きるこの男は、人を甘やかすのが上手かった。兵役時代から虐げられ、否定ばかりされてきた水木にとって、遅効性の毒のようなその温かさはなかなかどうして離れがたくて。それでも、

    (そんなことしなくても、)

    名前を呼んでくれる、ただそれだけで満足だった。

    悲しみに暮れて涙が溢れる時、
    ふと寂しさに溢れて心が萎んでいく時。
    そして自分自身を嫌いになりそうな時。

    「水木」と、その声で名前を呼んでくれるだけで心は再び膨らんだ。この男が呼ぶ自分の名前はいつだって、二人の大切な存在を支える誇らしい自分に立ち直らせてくれるのだ。二人の愛おしい名前を呼ぶだけで、これからどんなに先の見えない暗闇の中でも、どんなに長い坂道が続いたとしても越えていける。そう思わせてくれるのだ。

    「…案外気付かれねぇもんだな」

    厠へ向かって遠ざかっていく二人の姿を眺めながら吐き出した安堵の呟きは、回転木馬の賑やかな音に掻き消された。いっそのこと二人を想う純粋な心から顔を覗かせている浅ましい心も消え去ってしまえばいいのに。なんて、水木は自嘲すると煙草に火を付ける。ゲゲ郎を呼ぶ自分の声音に特別な想いが混じっていることは既に自覚していた。伝えるつもりはない、この想いは墓場まで持っていく。

    理由がなければ触れられない。報われることもない。まるで自傷のような行為の期限も、ゲゲ郎が元の姿に戻るまでの限られた時間だ。きっとこの生活もそう長くは続かない。

    (隠し通すさ。だから、せめて──)

    力の供給が終わるその時まで。

    時間が許す限りは、二人を支えることを許してほしいと切に願った。




    「ッ、わぁ!!」

    「ッ!?おい、大丈夫か!?」

    「ん、平気だよ!」

    「泣かねぇのか、強い子だ」

    「えへへ、ぼく男だもん!」

    きっと極楽で過ごしているだろうゲゲ郎の最愛の人へと思いを馳せていれば、目の前で少年が躓く姿が目に入った。一瞬の出来事に手は届かず、そのまま重力に従って倒れた体に水木は煙草の火を揉み消してすぐに駆け寄る。体を支え起こして砂を払ってやれば、少年は泣き声すらあげずに笑って見せた。ちょうど時弥君と同い年くらいだろうか。無邪気に笑う姿が守ってやれなかった男の子の姿と重なって、思わず頭を撫でてしまった。

    「空斗!あぁっ、大丈夫!?」

    「あ、沙夜香姉ちゃん!うん、大丈夫。このおじさんが起こしてくれたの」

    「怪我はない…?すみません、助けていただいたのですね。ありがとうございます」

    「いいえ、助けが間に合わず、私は何も。倒れても泣かない強い子ですよ」

    「まぁ、良かったわね空斗」

    「うん!えへへ…」

    幸いにも嫌がられることはなく、少年は照れ笑いをしながら心地良さそうに水木の手を受け入れている。暫くそうしていると少年の名前を呼ぶ、鈴の音のような声が聞こえた。遠くから転ぶ姿を見ていたのだろう。息を切らしてやってきた少女が着物の裾が地面に付くことも気にせずしゃがみ込むと、少年の体を隅々までチェックする。怪我がないことを確認してようやくホッとしたのか、傍の水木に深々と礼をした。齢二十ほどの姉と呼ばれたその人は、「きっと沙代さんがあのまま成長していればこんな姿になっていただろうな」と夢想せずにはいられないほど、彼女によく似た黒く長い髪が美しい少女だった。

    「あら…空斗、まだ服に土が。こっちにいらっしゃいな」

    「あぁ、本当だ。良ければこれを使ってください。使い終わったら捨ててくれて構いません」

    「そんな…!いいんです、ハンカチなら私も持っていますもの」

    「せっかくの白い美しいハンカチを汚してしまうのは勿体ないでしょう?」

    「ですが…」

    「安物で申し訳ないが、土を払う程度の役には立つでしょう。気にせず使ってやって下さい」

    「まぁ…では、お言葉に甘えて。ありがとうございます」

    取り急ぎ綺麗に払ったつもりではあったが、少年の服には払いきれなかった土が残っていた。気が付いた少女が自らのレースのハンカチを当てる前に、水木は手にしていたハンカチを差し出す。戸惑う少女を安心させるように笑って再びハンカチを差し出せば、白雪のような頬を朱に染めた少女はようやくそれを受け取った。

    土を払ってやりながら交わす何気ない会話に、因習村の悲劇に消えた少女と少年が生きて東京に来ていれば…なんて空想を重ねて思わず頬が綻ぶ。


    そんな三人の姿を、少し前に戻っていた男の赤い瞳がジッと見つめていた。


    ◻︎◼︎◻︎◼︎◻︎◼︎

    「どうやら私の娘と息子が世話になったようだね、ありがとう」

    「は…と、言いますと…?」

    「この前の休日、屋上デパートにいただろう?」

    「えぇ、確かにいましたが…あぁ!もしかして、彼女たちは…」

    「私の娘と息子だよ。とても親切にして貰ったと娘が頬を染めて話すものでね」

    「しかし、なぜ私だと分かったのですか?」

    「娘と息子が話す特徴を聞いて、もしやと思ったんだ。写真を見せたら間違いなかったよ」

    「あぁ、それで…いいえ、大した事はしていませんよ」

    出社した水木に人のいい笑顔で感謝を口にする部長に水木は首を傾げた。最近部長に昇進したこの男は、人の良さと的確な指揮で部下達からの信頼も厚い人だった。表の言葉の裏に嫌味を隠すような人ではない。となれば本当に何かしらの礼を言われる出来事があったということだ。しかし全くもって思い当たらない水木が更に情報を求めれば、上司から付け加えられた「屋上デパート」という単語に合点がいく。活発な少年と美しい少女は、どうやらこの上司の子息であったらしい。世間は狭いものだなと苦笑を浮かべながらも、水木は礼を言われるほどの行いではないと首を振る。

    「いいや、ハンカチまで貸して貰ったと感謝していたよ」

    「部長のお嬢様とは知らず、あのような安物を…お恥ずかしい限りです」

    「そんなことはない、君の気持ちが嬉しかったそうだ。…そこで水木君さえ良ければなんだが、もう一度会ってやってくれないか?」

    「え?」

    「どうしても自分で君にハンカチを返したいんだ、と言って聞かなくてねぇ」

    「それは、気を使っていただいて…しかし大層な物ではありませんし、わざわざお嬢様にお手間を取らせるような物ではありませんよ」

    「それがなぁ、どうやら君のことを気に入ってしまったようなんだ。隅に置けないな君も。しかし水木君ほどの色男なら仕方ないな」

    「そんな…!!私はお嬢様のお眼鏡に適うような男ではありません、きっと勘違いですよ。それに、知人の子とは言えコブ付きです」

    「もちろん知人の子どもを育てている君の大変な状況も知っている。ただ、普段我儘を言わない娘の頼みとあっては弱くてなぁ…」

    「部長…」

    「すまない水木君、この通りだ。どうかもう一度だけ、娘と会ってやってはくれないか」

    謙遜する水木に柔らかく笑ってもう一度上司は礼を述べた。それから少し間を置くと、意を結したように告げられた提案に水木は目を丸くした。上司の言葉の意味をそのままに捉えるのなら、あの日会った少女は水木を気に入った、と…そういうことだ。まさかそんなはずはと否定するが、頬を掻き困ったように笑う上司の表情に水木は口を噤む。その表情は普段職場で指揮を取る男のそれではなく、ただ愛しい子どもを想う父親のそれだった。我が子のためにどうにかしてやりたい、願いを叶えてやりたい。その親心を水木はよく知っている。だからこそ最愛の娘のために部下に頭を下げる上司に、水木はすぐに首を横に振ることはできなかった。それに、

    ──人の真剣な想いを弄ぶな、

    ──それだけはやっちゃいかん。

    いつか聞いた言葉が水木を責めるように、脳裏に反響した。

    ◻︎◼︎◻︎◼︎◻︎◼︎

    「とうさん」

    「んー?どうした、倅や」

    「みじゅきはいないのですか?」

    「水木なら今日は大切な会合があるそうじゃ。寂しいがワシとともに過ごそうな」

    「はい…」

    「よしよし、そうショボくれてくれるな。あとで山の麓まで魚でも獲りに行くかの」

    「─っ!はい!」

    朝早くから出て行った水木を眠い目を擦りながら見送り早数時間。既に日は高く上り温かな陽光が降り注ぐ午後の日。鬼太郎を庭で遊ばせ、オモチャ代わりの石を一緒に積み上げる。「賽の河原みたいじゃのう」なんて、水木の耳に入れば「鬼太郎に縁起でもねぇことさせんじゃねー!!」とすっ飛んで来そうな妖怪ジョークを心中で独りごちながら、小さな紅葉の掌に握りやすい石を渡してやる。

    そんな存在が今日はいないことに気が付いていたのだろう。おずおずと尋ねる鬼太郎に水木の不在を告げれば、表情に乏しいながらも愛らしい眼がションボリと垂れてしまった。ゲゲ郎に似た唇を拗ねたようにチョンと尖らせる姿の何と愛くるしいことか。胸が締め付けられるように、いっそ苦しいほどに込み上げてくる愛情を何とか抑えつつゲゲ郎は鬼太郎の丸みを帯びた頭を撫でてやった。水木がいない代わりに、と耳打ちしてやった提案に鬼太郎の表情がパッと明るくなる。

    水木の協力を得て人の姿を取り戻してからと言うもの、一人で生活を支える水木の力になるべくゲゲ郎は山や川へ山の幸や魚を獲りに行っていた。少しでも生活の足しに、と始めたその狩りに最近は鬼太郎も連れて行っているのだ。人里離れた場所に連れて行っては狩りの合間に髪や下駄のコントロールの仕方など妖怪の力の使い方を教えてやり、鬼太郎自身もすっかりとやる気になっている。いずれこの力は役に立つはずだ。かつて愛する妻と我が子、そして相棒を因習村の狂骨たちから守り抜いたように。そう思えば教える腕にも自然と熱が入っていた。

    「ん?どうした、鬼太郎」

    「とうさんは…」

    「うん?」

    「とうさんは、まだ小さいままなのですか?」

    不意に視線を感じて下を見れば、石を積む手を止めた鬼太郎がゲゲ郎の事をジッと見つめていた。何か伝えたいことでもあるのだろうかと優しく問い掛ければ、鬼太郎は舌足らずな言葉でゲゲ郎に会心の一撃になり得る言葉を投げ付ける。

    「…すまんの倅よ、最近耳が遠いようじゃ。もう一度言うてくれるか?」

    「とうさんはどうして大きくならないのですか?」

    いやバレとるなコレは。鬼太郎の言葉にそう確信を得たゲゲ郎は目を閉じて空を仰ぎ見た。鬼太郎の言わんとしている事には心当たりがある。なぜ大きくならないのか?言葉の通りだ。ゲゲ郎がその目で見たものの妖力が分かるように、恐らく鬼太郎も他者の妖力が分かるまでに成長したのだろう。

    ゲゲ郎には水木に隠していることが一つあった。実のところゲゲ郎は既に元の姿に戻れるまでに妖力は回復しているのだ。鬼太郎の発言は妖力をわざと抑えた姿で生活している父親への純粋な疑問からきた発言だった。

    (しかしのう…)

    これは何と説明したものか、とゲゲ郎は唸る。「元の姿に戻れば水木が口吸いをしてくれなくなるじゃろう?」とでも説明しろと言うのか。変態ここに極まれりだ。そんなバカ正直に事実を告げてしまえば父親としての威厳は光の速さで失墜してしまう。ものの本質を見抜く心眼を開花させた倅の成長に感動しつつも、痛い所を突かれた焦りにゲゲ郎は眉間を揉む。


    弱いくせに、非力なくせに。とても強い男。


    それがゲゲ郎から見た水木という男だった。哭倉村で出会ったあの日からずっと、人嫌いのゲゲ郎の心の中に唯一居座る男だ。一目見た時にどうせすぐに死ぬのだろうな、と。列車の中で水木を取り巻く亡霊を見て、憐れみから声を掛けたのが始まりだった。

    しかし中々どうしてしぶとく生きる、弱くて強いこの男の生き様に興味が沸いてしまったのだ。ゲゲ郎の後を追って禁域にまで入り、少し脅せば白目を剥いて気絶した男はそれでもゲゲ郎から離れはしなかった。あまつさえ妖怪の頂点である幽霊族であるゲゲ郎に、自分と手を組めとまで宣ったのだ。

    ゲゲ郎が石を投げられれば自分の事のように怒り、ゲゲ郎が捕まれば自分も殺されるかもしれない中を引き返して救いにきた。これまで誰かを守ることはあっても、守られたことのないゲゲ郎にとっては今でも忘れられず、昨日のことのように鮮やかな色で思い出せる衝撃的な出来事だ。

    その時には既に、憐憫は情愛へと変わっていた。

    踏み付けられてきた過去を悔やみ、誰にも踏み潰されない力が欲しいと願った。そんな男が、だ。いざ自分の輝く未来とゲゲ郎一家の命が天秤にかけられた時には、迷う間もなくその望んだ未来を「つまんねぇな」と一蹴した。

    自分一人きりで迎える未来には何の意味もない、と笑い飛ばして魅せた。

    そんな男に、惚れるなと言う方が無理な話だった。

    力の供給のために義務的に交わす、愛を真似た行為にしがみつく理由だ。今でも鬼太郎と三人で暮らす生活の中で、水木への恋情は雪のように降り積もっていくばかりで。いっそこの気持ちが雪のように溶けてしまえば、同じく降り積もる最愛の妻への罪悪感も消えるというのに。

    伊達に人の子よりも永い時を生きていない。のらりくらりとしていても、感情の機微の変化には聡い方なのだ。だからこそ、ゲゲ郎の名を呼ぶ水木の声に特別な想いが含まれていることにも気付いていた。

    気が付いていて、何も応えない。そのくせに今更離してもやれない。生かさず殺さず現状を維持して水木から与えられる愛情を享受する己の、何と卑怯で浅ましいことか。目も当てられない醜悪さにゲゲ郎は自嘲する。

    「カァ!」

    「おぉ、お主は水木を見張ってくれておる鴉だな。世話になっておるのう」

    「カァ!カァー!!」

    「どうした?水木の身に何かあったか」

    「カァア!!」

    自己嫌悪に陥るゲゲ郎の意識を呼び戻したのは一羽の鴉の鳴き声だった。鬼太郎とゲゲ郎の元に飛んできた濡羽色の鴉は、何かと怪異に憑かれやすい水木の身を案じてゲゲ郎が追跡を頼んだ鴉だった。腕を差し出してやれば留まっていた屋根から羽ばたき、ゲゲ郎の腕へと場所を変える。特に慌てた様子も見られないことから、恐らく水木の身に危険が降りかかっているわけではなさそうだ。

    しかしゲゲ郎の元を訪ねたということは、何かしらの伝えたいことはあるのだろう。どうした、と顎の下を指で擽ってやると彼女はクルルと甘えた声を出す。そうして嘴を開くと、とある情報をゲゲ郎の耳へと告げるのだった。

    ◻︎◼︎◻︎◼︎◻︎◼︎

    「ただいまーっと…誰も起きてやしねぇか…」

    「遅かったのう、水木」

    「ッ、ゲゲ郎…!?何だ、まだ起きてたのか。てっきり寝たもんかと思ったぜ」

    「何を言うておる、夜の淵こそワシら妖怪の舞台じゃろうて」

    「ハッ、おっかないねぇ」

    「気を付けねばお主など、すぐにでも獲って食われてしまうぞ」

    夜の帷も降りた頃。寝ているであろう二人を起こさぬよう、静かに引き戸を開けて入った水木をゲゲ郎が出迎えた。まさか起きているとは思わず不意に掛けられた言葉にビクリと肩を揺らす。ゲゲ郎達と過ごすうちに怪異の類が身近になった水木は一瞬身構えたが、視線を上げた先に見えた声の正体にホッと息をついた。暗がりで表情こそ見えないが、玄関の磨りガラスから差し込む月明かりが微かに照らす見慣れた縹色の着流しはゲゲ郎のもので間違いない。

    「…ゲゲ郎?」

    「何じゃ?」

    「いや…お前、何か怒ってんのか?」

    「……なぜそう思う?」

    「なぜ、っつー根拠はねぇけど…何となくだよ。勘違いなら悪かったな」

    柱にゆるりと寄りかかるゲゲ郎の表情は陰になって見えなかった。普段と変わらない軽口を交わしながら、しかし水木はふと違和感を感じる。いつもののらりくらりとした口調、だがどこか険のある雰囲気。ゲゲ郎から漏れるピリピリとした緊張感が水木の肌を刺す。二人はここで遠慮などというものをするような間柄ではない。水木が感じ取った怒気を率直に問えば、ゲゲ郎は否定も肯定もしなかった。

    「ぱぁらぁ、とやらは楽しかったか?」

    「は…?」

    「会合と聞いておったからのう。まさか逢引だとは思わなんだ」

    「──ッ!?お前、なんで、それを…」

    「お主を尾けさせていた鴉が教えてくれたのじゃよ。それにしても、水臭いのう。そうならそうと言うてくれれば良いものを。なぁ──水木や」

    ゆらりと陰が動く。月光が照らす中、人ならざる者の赫い瞳が怒気を孕んで爛々と妖しく輝いていた。水木しか知り得ない事実を当然知っているとでも言うように、悠々と唄うように告げられた真実に息を飲む。

    ゲゲ郎の言うパーラーとは、恐らく水木が今日出掛けた先のことを言っているのだろう。あの日上司から頭を下げられた水木は今日、上司の娘である沙夜香という少女とパーラーで会ってきたのだ。上司の送迎で待ち合わせてパーラーでお茶をした。

    「して、返事はしてやったのか?」

    「ッ、お前どこまで知って…!?」

    「ぜーんぶ知っておるよ。お主が少女と出掛けたことも、そこで想いを告げられたことも、な」

    ゆらり、ゆらりと。獲物を追い詰めるように近付く陰が恐ろしくて。水木は一歩後退るが、背後の扉が虚しくも退路を阻む。恐怖をを感じる水木を尚も追い詰めるゲゲ郎には全てがバレているようで。パーラーで再会した少女から想いを告げられたことすらも言い当てられ、水木は後ろ暗さに目を逸らした。

    だがゲゲ郎はただの親友で、相棒だ。何も後ろ暗さを感じる必要などないことは理解している。これはゲゲ郎を好きでいる自分の勝手な操立てであり、水木の一方通行の想いである以上は交友関係や対人関係にまで口を出される謂れはないはずだ。

    きっと近い将来で独りになるその前に、他の繋がりを求めた。

    それはそんなにも罪深いことだったのだろうか。

    「──んでだよ」

    「…水木?」

    「何でだよ、俺がどこで誰と何してようとお前には関係ねぇだろうが」

    気持ちの伴わない愛の真似事で擦り切れた心は既に限界を迎えていた。無意識に溢れた言葉は、報われない現実に幾度となく刺され傷ついた水木の吐血だ。空気を揺らして反響したその言葉が水木の耳に音となって伝わった時、冷静さを取り戻した脳が現状を理解し「やってしまった」と冷や汗が頬を伝う。

    ゲゲ郎という男は自分が懐に入れた相手に対しては過保護なほどに甘い。それに比例するようにその人物への執着心は強くなる。それは数年を共に過ごして知ったこの男の一面だった。知った当初は「熊かよ」なんて呑気に笑っていたものだ。

    たった今、水木が無意識に発した一言はそんな男に絶対に言ってはならない一言だった。

    「──ハッ」

    出てしまった言葉は今更取り消せない。掛ける言葉が見つからずに視線を彷徨わせていると、気持ち悪いほどの静寂を破ったのはゲゲ郎の乾いた笑いだった。思わずビクリと肩を揺らしてゲゲ郎を見れば、ヒヤリとした掌が水木の顎を掴み視線を合わせられる。いつの間にか詰められていた距離で、ゲゲ郎は身動きが取れないようにと捕らえた水木の両手を戸に押し付けて頭上で固定した。

    「もどかしいのう。人間とは関係性すら名で縛らねば目も離せぬとは」

    「ゲゲ郎…!?クソッ、やめろ!離しやがれ!!」

    「関係ない──?笑わせおって、ワシに名を与え先に縛ったのはお主の方じゃぞ。途中で放り出すなど、許すわけがなかろうが」

    「っ、ゲゲ郎…!!」

    「あぁ、そう言えば最近はあまり力も貰えておらんかったのう。なぁ、水木や」

    「や、めろ…!」

    「どこの誰とも知らぬ人間にくれてやるくらいなら─その体、食い尽くしてくれようか」

    「──ッ、ゲゲろ、ンんッ…!?」

    呼びかけようとした名前はきちんとした音になる前に阻まれた。無理やり合わせられた唇は、これまで交わしてきたものとは比べ物にならないほどに強引で。僅かに開かれていた隙間からゲゲ郎の長い舌がスルリと侵入し、舌同士を絡ませられれば水木の口からは無意識に甘い声が漏れ始める。

    「…ン…ッ…」

    「んん…っは、ゲゲ、ろ…ッ、やめっ…」

    「ッは、この程度で終わると思うか?全然足りぬわ」

    「ンッ…!ふ、ぁ…ッ!!」

    「全部──全部寄越せ」

    両手を捕らわれ抵抗する術もないまま口内を貪られ、せめてと上げた抗議もゲゲ郎を煽るだけの燃料にしかならなかった。クチュ、ジュル、と暗闇に響く卑猥な水温に耳を塞ぎたくなるが、それも叶わないまま羞恥に晒される。歯列を舌でなぞられ口内を蹂躙されれば、口の端からは飲み込みきれなかった、どちらのものともいえない唾液が零れた。一度離れて零れた唾液を舌先で舐めとり、また角度を変えて深く口付けられる。

    どれだけの間そうしていただろうか。お互いに荒い息を吐きながら、水木の目の前にはチカチカと星が飛び体からは次第に力が抜けていく。呼吸すらも奪う口吸いに、水木はようやく普段は手加減されていたことを実感した。水木の体調を気遣いながらの、優しく触れるだけの口吸いの何と可愛らしかったことか。忘れかけていたが相手は人ならざる者であり、その気になれば水木の身など案じることなく根こそぎ力を奪うことだって出来たのだ。

    そこまで思考したところで、水木の意識は途絶えた。

    「おっ、と…やりすぎてしもうたか」

    力が抜け崩れ落ちそうになる水木の体を支える。怒りに任せて少々霊力を吸収しすぎてしまったことを反省しつつ、水木の胸に自らの耳を当てた。規則正しく鼓動する心臓に安堵すると、ゲゲ郎は水木の体を横抱きにして布団へと運び慣れた手付きで服を寝巻きへと着替えさせてやる。シャツを脱がせた際に見えた、上気したしっとりと汗ばんだ肌はこの上なく目に毒で。手早く着替えを済ませて水木から離れたゲゲ郎は縁側に腰掛け、首を擡げつつある情欲の念を月見酒で散らすことにした。

    霞がかった空に浮かぶ月を眺める。そこにあるのに、確かに輝いているのに、朧げにしか見えない月は水木から向けられる想いのようだ。触れてはいけない、触れらないと分かっているのに、もどかしい。手に入れられないことが苛立たしい。容易く水木を手に入れようとするどこの誰とも知らない娘に、殺意を覚えるほどに。

    「諦めが悪いのも考えもんじゃのう…」

    不甲斐なさに重く息を吐く。既に最愛がいることを頭では理解していても、本能は隣で眠る男をも手に入れたいと求めるのだ。その男も自分を求め、けれどゲゲ郎のためにその気持ちを押し殺そうとしている健気な姿を見ていれば尚更愛おしさは増していくばかりだった。

    ──崖から二人の大切な存在が落ちそうになっている時、どちらを助けるか。

    二つの大切な存在への取捨選択を迫られた時の例として耳にしたことのある話だ。妻と水木がその状況に陥ったとしたら、ゲゲ郎は恐らく迷いながらも妻を救う。そして水木自身もその選択を良しとして、笑って落ちていくのだろう。狂骨に追われながらゲゲ郎に着せられた霊毛の羽織を妻に着せ、代償に記憶を失った。水木はそういう男なのだ。

    そんなところを、きっと愛してしまった。

    崖から救うのは妻の方かもしれない。けれどきっとゲゲ郎は妻を救ったそのあとで、水木とともに落ちることを選ぶ。

    あれほど嫌っていた人間に、これ程までに執着する日が来るとは思ってもみなかったのだ。途方もなく長い時間を生きてきたが感情に振り回されて身動きが取れなくなるなんて、初めての経験だった。

    「この想いはどこに捨てたらいいんじゃろうな。なぁ──岩子」


    夜風に紛れてどこからか呼ぶ声が聞こえた気がして、ゲゲ郎は静かに目を閉じた。

    ◻︎◼︎◻︎◼︎◻︎◼︎

    閉じていた目を開くと、目の前にはあの日の屋上遊園地の光景が広がっていた。左側には丸いテーブル。その上には氷菓の乗った若竹を思わせる鮮やかな緑色のソーダ水がシュワシュワと音を立てている。水木と鬼太郎とともに来た際にも喫したクリームソーダというものだ。そしてそれを最初に教えてくれたのは──

    「あなた」

    鈴の音のような声がゲゲ郎を呼んだ。友から貰った名ではない、彼女だけの呼び方で。

    「──ッ、ここにおったのか」

    あぁ、本当に、心から。

    「──会いたかった、岩子」

    「えぇ、私もよ」

    「ッ岩子ぉ…!!」

    「あらあら、もう。泣かないのよ、本当に泣き虫なんだから」

    最愛の妻の名を呼べば、彼女は慈しむように目を細めて笑ってくれた。変わらない笑顔はゲゲ郎が妻を失ったあの日からずっと、心の底から「もう一度だけ」と願ったものだ。大きな目からは一粒、また一粒と涙の粒が溢れては頬を伝い落ちていく。そんなゲゲ郎を目の前にして、岩子は困ったように笑いながら鞄から取り出したハンカチでゲゲ郎の頬を拭ってくれた。

    「すまんのう、お前にはいつも面倒をかける…」

    「面倒だなんて、何を仰るの。それが夫婦というものでしょう?」

    「うっ、うっ…本当にできた嫁じゃあ…」

    「ほらほら、泣き止んでくださいな。聞きたいお話がたくさんあるのよ」

    夢だということは既に分かっていた。それでも最愛の妻との再会に、夢であろうとゲゲ郎へ向けてくれる温かな優しさに次から次へと涙は溢れていく一方で。泣き止む頃にはゲゲ郎の涙を吸い切ったハンカチはビショビショに濡れてしまっていた。いつかの墓場の宴会では相棒に「泣き上戸なのか」と揶揄われたが、妻に関してはどうやら酒は関係ないらしい。

    「ずっとあなた達のことを見守っていたの。元気そうで何よりだわ」

    「水木の手を借りて何とかやっておるよ。鬼太郎も随分大きくなってのう、力の使い方も上達してきたところじゃよ」

    「あら、ふふ。それは将来有望ですこと」

    「もう少しで下駄の使い方も自分のものにするじゃろう。師の教え方が良いのじゃろうな」

    「まぁ、誰のことかしらね?」

    「そりゃあ、お前の夫の儂のことに決まっておろう?」

    岩子と死に別れて目玉だけの存在となった日から、鬼太郎の成長や水木と共に過ごす日々を話して聞かせる。楽しそうに今を語るゲゲ郎に、時には相槌や返事を交えながら、岩子は耳を傾ける。そうして一通りの話を聞き終えたあとで、穏やかに口を開いた。

    「よかったわ…本当はね、心配していたの」

    「鬼太郎のことか…?それなら心配は要らんよ、水木もおるしの」

    「いいえ、あなたのことよ」

    「儂を?」

    岩子の言わんとすることが皆目見当も付かず首を傾げるゲゲ郎に、岩子は一度目を伏せると深く息を吸い言葉を続ける。

    「元々あなたは人間が嫌いだったから…あの村の一件で人間を滅ぼしてしまうんじゃないか、って」

    「──そんなことは、」

    ない、とは断言できなかった。龍賀の一族や時貞翁から受けた仕打ちを今でもこの身に、この胸に覚えているからだ。確かにあの時、哭倉村の人間に恨みを持つ狂骨達が村を滅ぼしたように、湧き出る狂骨を止めずに人間を滅ぼし妖怪達の住み良い世界を作る選択肢だってあった。

    だがそうしなかったのは、きっと───、

    "友よ、お主の生きる未来"

    "この目で見てみとうなった──!!"



    「水木さんが隣にいてくれたおかげね」

    依代となる前に叫んだ想いの丈を、本心を。口を噤んだゲゲ郎の代わりに岩子が口にした。

    「岩子…すまない、儂はどうしたらいい」

    「情けのうて仕方がない。幾年を生きてきたくせに、想いの捨て方が分からんのじゃ」

    鬼太郎のために。そして──水木のために。思えば名前を与えられた時から既に水木を特別視していたのかもしれない。自覚してしまえばもう隠せない。岩子という最愛の存在がいるというのに、水木へも同じ重さの愛情を抱いている罪悪感に耐えられずに俯いた。本来妻にするような相談ではない。場合によっては殺されても文句を言えないような行動だ。だがゲゲ郎はその判別すら付かなくなるほどに弱っていた。弱々しく泣き言をこぼす姿からは、戦闘時のような凛々しさは微塵も感じられない。

    そんなゲゲ郎の姿に驚いたように目を丸くしてキョトンと見つめた岩子は、次に声をあげてコロコロと笑い転げるのだった。予想だにしていなかった岩子の反応にゲゲ郎は弾かれたように俯いていた顔をあげると、未だに笑い転げる妻におずおずと声をかける。

    「い、岩子や…?朗らかに笑うお前も愛いのじゃが、儂も結構真剣に悩んでおってな…?」

    「あーっははは!んふふふ…!!もう、あなたったら…!!あーおかしい…うふふふ」

    「おぉ、身を切る思いで打ち明けたのじゃが…爆笑しておるわ…」

    「うふふ、ごめんなさいね。だってあなたったら、真剣な顔で素っ頓狂なこと言うんだもの」

    稀に見る妻の大爆笑に気圧されながら、そんなにもおかしな事を言っただろうか?とゲゲ郎は心中で考える。岩子はと言えば一頻り笑って満足すると、笑ったことで目尻に滲んだ涙を指で拭う。それから呼吸を落ち着けると、何でもないことのように言った。

    「ねぇ、どうしてその想いは捨てなければいけないの?」

    「は…?」

    「捨てることなんてないでしょう?」

    「何を言うておる、儂にはもうお前という愛する存在がおる。許されていいわけがないじゃろう」

    「あらあら、人間嫌いだったあなたが随分とまぁ人の価値観に染まったものね」

    岩子の言葉はゲゲ郎の価値観を底からひっくり返すものだった。捨てる必要などないと、確かに岩子はそう言った。どうしてと、聞かれれば根拠のある説明はできないため弱ってしまう。人間と違い妖怪には婚姻制度などというものは存在しないため、人間のように法で裁かれることはない。しかしそれとこれとは話が別だとゲゲ郎も負けじと返すが、岩子はそれすらも笑い飛ばすのだった。

    「一人しか愛せない、なんて人の子の価値観に囚われる私たちじゃないはずでしょう?」

    「私たちは妖怪、誰よりも何よりも自由なのよ」

    ねぇ、違うかしら?

    そう言って慈しむようにゲゲ郎の頬を撫でた妻は、変わらず愛に溢れた人だった。岩子を愛し、水木を愛する。そんなゲゲ郎を、それでも「愛しているわ」と笑うのだ。

    「──…ッ、本当にお前はいい女じゃなぁ」

    「今更気が付いたの?」

    「いいや、ずっと前から知っておるよ」

    「愛してるわ、あなた」

    「愛しておるよ、岩子」

    もうすぐ夢が醒めるのだろう、景色が徐々に白んでいく。現世と隠世、それぞれの世に戻りこれからを歩んでいくとしても、お互いが幸せであることを願って。祈りを込めた愛言葉を口にした。

    「こっちに来たら聞かせてちょうだい」

    「あなたが愛した鬼太郎と、水木さんのこと」

    "幸せでいなきゃ、許さないんだから"

    意識が現世へと引き戻されていく中で、ゲゲ郎は最後に聞いた岩子の言葉の答えを探していた。

    ゲゲ郎にとっての幸せは───…


    ◻︎◼︎◻︎◼︎◻︎◼︎

    目を覚ますと布団に寝かされていた。自分で布団に入った覚えはなく、水木は寝起きでボンヤリとした頭を働かせて記憶を探る。そこでゲゲ郎から無理やりに口を吸われたことを思い出し、体が熱くなる。一体どのくらいの時間気を失っていたのだろうか。確認しようにも時計がなく、ならばと縁側の方に目をやれば暗闇を月明かりが照らしていた。一先ず朝にはなっていないようだと胸を撫で下ろす。

    「起きたか」

    「ッ、いたのか…」

    「お主が気を遣ってしもうたからの。運んだついでに月見酒を嗜んでおったんじゃ」

    「あ、あぁ。悪いな。いや、つーか誰のせいだと思って──」

    突然暗がりの中から声をかけられ、思わず肩が跳ねた。闇に慣れ始めた視界でよく見れば、縁側にゲゲ郎の姿が見える。声音からもう怒ってはいないことを察しつつも、力の供給のためとは言え好いた男とあれほど艶かしく口付けを交わした後ではどうしたって返答がぎこちなくなる。対するゲゲ郎はと言えば何食わぬ顔で月見酒を嗜んでいた。美丈夫だからか、はたまた惚れた欲目か。そんな姿すらも絵になるのだから腹立たしい事この上ない。こんなにも悶々としているのは自分だけだという事実が虚しくて、悔しくて。文句の一つも言ってやろうと再びゲゲ郎の方を向き直り、水木は言葉を失くした。

    「──元に戻れたのか」

    「…あぁ、おかげでな」

    覚悟はしていたつもりだった。けれど、その覚悟はいざ実際に時が来れば、こんなにも脆く、呆気なく崩れ落ちる程度のものだったようで。因習村で初めて出会った時と同じ姿で穏やかに笑うゲゲ郎に、二の句が告げなくなる。

    (あぁ、時間切れだ)

    「──じゃあ、俺のお役も御免だな」

    ゲゲ郎が元の姿に戻った今、水木がゲゲ郎と触れ合う理由はなくなった。留まる理由がなくなってしまった。心で嫌だと叫んだところで、流れる時はそれでも進めと急き立てる。

    優しく触れる手が好きだった。

    名を呼ぶ声が好きだった。

    妻を愛するお前を、愛していた。


    「あの子と──」
    「沙夜香さんと、一緒になろうと思うんだ」

    告げた言葉は存外重く、畳の上に転がった。それはパーラーで少女に想いを告げられた時から考えていたことだった。少女に対して、現時点では恋情はない。浅はかかもしれない、薄情かもしれない、不誠実かもしれない。けれど、どうせならば「愛せるかもしれない」と感じたこの子と添い遂げたい、と。そう思ったのだ。

    そうして今日という日まで抱いてきたこの男への恋情は、少しずつ風化して忘れ去ってしまえたらそれでいいと、そう思ったのだ。

    「今後も手を貸すことは変わらねぇから、そこは安心して──」

    ゲゲ郎からの返事はなかった。しかし水木は構わず独白に近い言葉を並べていく。その傍に近付く存在には気付かずに。

    「だから…ッ、ゲゲ郎?」

    「…ゃ、じゃ」

    「は…?おい、聞こえねぇよ」

    「嫌じゃ、と言うた」

    月明かりに延びた自分の影が他の存在の影によって上書きされたことで、ようやく水木はいつの間にか傍まで来ていたゲゲ郎の存在に気が付いた。小さく呟かれた言葉が聞き取れず、水木が再び聞き返せばハッキリとした拒絶の言葉が返ってくる。まるで幼子が駄々を捏ねるかのような言い方に、水木は思わず瞠目した。普段は飄々として何事にも動じない男が初めて見せた一面に、二の句が告げずにいれば水木の側に腰を下ろしたゲゲ郎に緩く抱きしめられる。

    「は……ちょ、おい…ッ、離せ…!!」

    「嫌じゃ、離さん」

    「もう俺の霊力は必要ねぇはずだろ!?必要以上に接触するな…!!」

    「儂がお主に触れたい、と言うてもか」

    「なッ…!?」

    突然の抱擁に一瞬反応が遅れてしまった。間を置いて現状を認識した水木がゲゲ郎の妻への罪悪感から抵抗するが、幽霊族であるゲゲ郎からすればその力は些細なもので。ゲゲ郎の身を離そうと力を込めた両の手は、逆に絡め取られて封じられてしまう。そのまま布団に押し倒されれば、それ以上の抵抗などできやしなかった。

    「お主が好きじゃ、水木」

    「は……?ッはは、何の冗談だ、そりゃ」

    「冗談などではない。聞いてくれ、水木」

    「聞くわけねぇだろ、何考えてんだ」














    続きは誰か書いてくれ頼んだぞ。
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    Replies from the creator

    aokiss2481

    MOURNINGゲ謎にハマって書き始めたはいいものの書き上がらなかったのでこちらで供養させてクレメンス!!!
    因習村から戻った水木が目玉の父と鬼太郎を育てながらドタバタするお話。未完成。
    目玉オヤジと鬼太郎を育てる水木な父水【未完】「待て!早まるでない!ワシじゃ!ワシじゃよ!!」

    「悪いな、生憎俺に目玉の知り合いはいねぇんだよ」

    「待てと言うに!!ほんに手が早い所は変わっておらんのう!?」

    「そこに直れ、なかったことにしてやらぁ」

    土砂降りの夜に墓場で土から這い出て来た赤子を拾う、という稀有な体験をしたのが数日前。恐らく水木の人生の中でこの奇妙な体験を塗り替える出来事はもう起こらないだろう、と。そう感じていた自分の予想を易々と塗り替えた目の前の存在に、水木は淡々と告げながらハエ叩きを構え直す。

    事のあらましを話そう。夕飯を作っている後ろでキャッキャと笑う我が子を微笑ましく思いながら振り返ると、我が子の横に目玉が居たため無かった事にしようとした。以上だ。育てて数日だが確実に父性が芽生えつつある水木は、我が子を守るべく武器になりそうなハエ叩きを装備した次第である。もしこの家に三八式歩兵銃があったら迷いなくそちらを選択していたところだ。
    19788

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