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    saibashi255

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    saibashi255

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    なんでも大丈夫なひと向け
    リョ(→)三くらいの感じです。
    オリキャラの女子(しぶのシリーズの2話と3話で名前だけ出てきた女子)と三井さんが噂になる話です。
    完成したのでしぶにも同じものを載せてます。

    ある噂 二年の布瀬が三年の三井に告白した、という噂は二年一組の教室にもすぐに回ってきた。
     それを聞いたとき、へぇ、三年にはオレの知らない三井がいるんだなとまず思った。しかし間を置かず、どうやらくだんの男は数ヶ月前バスケ部に復帰した、元ヤンで人相の悪い三井であるという続報が耳に入る。そんな三井はひとりしかいない。
     教室は、にわかにざわめいた。
    「あの布瀬さんが?」
    「まじかよ、ショックだわー」
     男子生徒たちが驚き、大声で嘆き合う声をオレは聞くともなしに聞いていた。
     たしかに驚いた。あの布瀬が、男子生徒に告白を?

     二年五組の布瀬ふせ南。女子バスケットボール部のエースで新キャプテン。二年生どころか、他の学年でも知らない生徒のほうがめずらしいんじゃなかろうか。
     布瀬は入学当初から有名人だった。というのも、清涼飲料水のCMに出ている若手女優の誰それに似ているとかで、大勢の男子生徒が布瀬を見るために一年生の教室に押し寄せたからだ。
     廊下からの視線を避けるように布瀬が窓際に目をやるので、当時隣の席だったオレは自然、彼女の視線をまともに頬に受けることになってしまう。
    「……あんま見ないでくんない?」
    「は? あんたを見てるんじゃないし」
     少し三白眼気味の目でにらまれ、仕方なくこちらも窓の外に目をやるほかなかった。
     尖った顎のラインがよく見えるショートカットに、勝ち気そうな大きな猫目。身長はオレと同じかやや高いくらいか。
     その似ているという若手女優をオレは知らなかったが、布瀬は可愛らしいとか親しみやすいといった形容詞とはほど遠い、近寄りがたい雰囲気の女子生徒だった。
     ファンクラブがあるほど有名なサッカー部だかバレー部の上級生に告白されたときには、「わたし、あなたの名前すら知らないんですけど」とすげなく返したという逸話がある。その一件以来、廊下でミナミちゃーん、なんて気軽に声をかけていた“イケてる”上級生集団すら無言で道をあけるようになったとかなんとか。
     ──その布瀬が、あの三井サンに告白を?
     登場人物の取り合わせが意外すぎてちょっと理解が追いつかない。

     それが昼休みのことで、放課後までの間に噂は尾ひれはひれをつけて広まった。
    「バス停で三井が布瀬の肩を抱いているのを見かけた」とか「布瀬は三井になんらかの弱みを握られている」とか、「三井が布瀬をヤリ捨てた」とか、もはやなにが真実かわからなくなっていたし、更正したとはいえ以前の素行の悪さが災いしてか、大方の意見は三井寿が非道な手を使って布瀬南をたぶらかしたに違いない、という男の嫉妬とやっかみの入りまじったような内容だった。


     ◇

     六限後のホームルームが終わり、急ぎ足で教室を出る。
     狭い廊下は部活に向かう生徒や、帰宅の途につく生徒の波でごった返している。ちょうど同じタイミングだったらしいヤスと潮崎と並んで部活に向かう途中、潮崎が少し興奮気味に切り出した。
    「布瀬さんが告白とは驚いたよな。しかも三井さんに。三井さん、オッケーしたのかな」
    「どうかなあ」
     ヤスが首をかしげ、言葉を継ぐ。
    「そういや、告白してどうなったかは誰も知らないみたいだよね」
    「あんまりそういう話しないけど、三井さんかっこいいしモテんだろーな」
    「……そもそも三井サンが布瀬をヤリ捨てたって説もあるけど」
     ふたりの会話に口を挟むと、一瞬間をあけ、真ん中のオレを飛び越えるように潮崎が首を伸ばしてヤスを見る。
    「そういうタイプではないだろ、なぁ」
    「だねぇ」
     やりとりを聞きながらオレは、あの人はそうかもしれないしそうでもないかもしれないな、と思っていた。
     心に決めた相手と真摯な付き合いをするようにも見えるし、「一度ヤッたくらいで彼女面すんなよ」と言い捨てそうな気もする。くだらない話ならいくらでもする仲だが、三井サンはこういう人である、と言いきれるほどオレはあの人を知っているだろうか。
     三井サンがバスケから離れていたという二年間について、詳しく聞いたことはない。隠すつもりはないにしても、世間話のようにはいかない話のひとつやふたつくらいはあるだろう。少なくとも、オレはまだ兄の話をしていないし、今後するかもわからない。
     ぼうっと考えこんでいると、ヤスがのんびりした口調で言う。
    「三井さんに彼女ができたら寂しくなるね」
     誰に言っているかわからなかったが、言い終え、こちらに目線をやるので。
    「え、オレ?に言ってる?」
    「うん」
    「いやいやなんでそーなんの」
     驚きのあまり、思いのほか大きな声が出てしまった。ヤスは事も無げに続ける。
    「リョータ、三井さんと一緒に帰ってるし、よくご飯行ってるじゃん」
    「いや無理やり連れ回されてるようなもんだし。むしろ彼女できてくれたら面倒ごとが減って気が楽になるわ」
    「そうかなあ」
     ヤスは言葉を切ると上を向いて少し考え、ふたたび穏やかな笑みをこちらに向けた。
    「でもリョータ、三井さんと話すようになってから雰囲気変わったよ。ずいぶん明るくなったと思う」
     わかるわかる、と軽い口調で潮崎も同意する。
     んなわけねぇだろと言いたかったが、オレのことを一番よくわかっているヤスにそう見えているのだ。そうなのかな。そんなわけないけど。なんだよそれ。
     否定も肯定もできずにいたら、ところで今日世界史の丹野がさあと潮崎が別の話題を振り出し、オレはふっとひとつ息を吐いた。


     湘北高校バスケットボール部のロッカールームに、エアコンはない。
     強豪でなければ私立でもないので当然といえば当然だ。夏場は汗と熱気がこもり、地獄のような環境でみな唸き声をあげながら着替えていたが、さすがに十月だ。疲労の色は濃いけれど、談笑する表情にも余裕が感じられる。
     これなら、あしたの様子を見て外周を増やしてもいいかもしれない。周りの話し声をぼんやり聞きながら思案する。隣で着替える目の上のたんこぶにも相談してみようか。
     かつてキャプテン経験があったからか、一歳差とはいえ年の功か。この人は周りを意外とよく見ているし、オレの見えないところが見えていたりもするのだ。癪だけど。
     三井サン、と呼びかけようとしたところ、準備していた台詞を発するように切り出したのは潮崎だったか角田だっか。
    「三井先輩、布瀬さんに告白されたって噂、まじなんですか?」
     さすがに一年生も二年生も気になる話題だったのだろう。みな、ぴたりと着替えの手を止め、にぎやかだった室内が途端に水を打ったように静まり返る。
     噂を知らないらしい花道が周りを見渡し、「ぬ?告白?」と眉をよせる。いっぽう、知らないのか興味がないだけなのか、流川は「おつかれっす」とひと言、堂々とロッカールームを出ていった。
     部屋中の注目を一身に集めた三井サンが首をかしげる。
    「……フセサン?なに?」
     潮崎が早口で答える。
    「二年の布瀬ですよ、布瀬南。学校中で噂んなってますよ」
    「なぬ!?オレは知らんぞ!桑、フセさんはかわいいのか」
    「えっそこ?めちゃくちゃ有名な先輩だよ。桜木くんって、赤木さん以外に本当に興味がないんだね」
     土曜ドラマのヒロインに似てるって有名な、と桑田が花道に説明するのを聞いた三井サンが「ああ」と合点のいった顔になる。
     そしてやれやれと首を振り、オレを指差した。
    「おまえら、人のレンアイ事情を気にする暇があったら自分の心配しろよ。こいつみたいに哀れな男になる前に」
    「はぁ!?」
     とつぜん引き合いに出されて憤慨するも、「ほら帰んぞ」と当の本人はどこ吹く風で扉を開けて出ていってしまう。
    「たしかに……」
    「彼女ほしーよなあオレらも」
    「高望みしすぎるのも、よくないよな」
     なんだか全体的に失礼なことを言われている気がする。明日ぜってえ外周増やす。おまえら覚えてろよ。
     若干私情を挟みながら決意を固め、オレはふたたび騒がしさを取り戻したロッカールームを後にした。

     ひと気のない廊下を歩き、先を行く大きな背中を追う。
     校庭に面するすべての窓が閉じられているにもかかわらず、廊下には、ひんやりした空気が漂っていた。
     ここ数日で日が暮れるのがすっかり早くなった。窓の向こうには、オレたちと同じく遅くまで残っていた野球部連中が校門を出る姿がちらほら見えている。秋季大会の地区予選が始まり気合が入っているのだと、先々週の部長会議で坊主頭──野球部はみんな坊主だが──の新部長に話しかけられたのを思い出す。「バスケ部すごかったから、負けてらんねえよ」と眩しい笑顔で言われて、ちょっぴりこそばゆい気持ちになったことも。
     オレが近づくのを待ちかまえていたように、三井サンがぽつりと呟く。
    「コンビニおでん食いてえ……」
    「わかる」
    「奇遇だな。オレおでん買うから宮城、ゴリゴリくん買って」
    「オレ、ゴリゴリくん食べたいってひと言も言ってないですけど」
     隣に並びながら冷めた声で返すと、三井サンはわかってねぇなと言わんばかりに大きく肩をすくめた。
    「こんくらいの時期は熱いのと冷たいの、交互に食べたいじゃん」
    「絶対ゴリゴリくんひと口しか食べないパターンじゃん」
    「食うよ半々で」
    「それ絶対食わねぇやつじゃん、いままでずっとそうじゃん!」
     静かな廊下にオレの声が反響する。ただでさえ冷え性で飽き性なこの人のことだ。おでんを専有され、カチカチアイスを押し付けられる未来しか見えない。断固反対である。
     三井サンが歩きながら少し沈黙し、不意に訊いてくる。
    「なんかさ、最近おまえ雰囲気変わった?」
     まさかこの人にそれを言われるとは思わなかった。動揺を隠し、前を向いたまま返す。
    「……身長が伸びたとか?」
    「え、伸びたの?」
    「いや伸びてないけど」
    「なんだそりゃ。だいたいおまえが5センチ伸びたとしても気付かねーわ」
     まったく。これだから180越えの男は。
     眉をよせ、不快指数MAXですという顔でにらみつけるも、三井サンは気にするそぶりもなく不敵な笑みでオレを見下ろした。
    「オレの目はごまかせないぜ。さては」
     足を止め、耳元に口をよせてくる。
    「……童貞卒業した?」
     脱力。がくりと肩を落とす。一瞬でも動揺したオレが馬鹿だった。
    「三井サン、あした外周増やすかんね」
     そう言い置き、早足で昇降口に向かう。
     下駄箱前の段差に足をとられて危うく転けそうになる。あーダッセぇ。ポケットに突っ込んだ手をそっと動かし、手汗を裏地に擦りつける。

     おい、図星なのかよ!という三井サンの焦ったような声を後ろに聞きながら、噂について考える。
     噂が嘘なら単純に否定すればいいだけの話だ。となると布瀬が三井サンに告白したというのは、おそらく本当なのだろう。
     しかし肯定すれば、根掘り葉掘り質問され、噂は本当だったと新たな話題の火種となり、おもしろがって消費される。だから否定も肯定もしない。噂は噂で終わらせて周囲が飽きるのを待つ。告白してきた子──布瀬のことを思って。元ヤンにしちゃあずいぶん紳士的なことですね。この男はバスケでも、バスケ以外のことでも意外と周りが見えているのだ。そりゃ正しい判断だとは思う。思うけど。
     ……ねぇ三井サン、オレにくらい本当のこと話してくれたっていいんじゃねーの。


     ◇

     週が明け、月曜日の放課後。
     たいして広がっていない机のうえの荷物を片づけ、教室を出る。向かってくる制服の波をかき分け、ロッカールームがある西校舎とは反対方向、集会室へ続く階段を登る。
     ふだんはホームルームが終わればすぐ部活に向かうのだけど。今日はほかに行く場所があった。

     これは自分がキャプテンになって初めて知ったことなのだが、キャプテンの仕事というのはコートの中だけではないらしい。
     練習メニューの管理にはじまり、顧問(鈴木先生だ)や安西先生と今後の大会日程に合わせたスケジュールを考えたり、来期の予算を検討したり。思ったよりも、事務作業が多いのだ。さらに、部員とのコミュニケーションを積極的にとり個人個人のスキルを伸ばせるように導いていく──までできれば理想的なリーダーと言えるのだろうが、なかなかそうもいかない。
     スケジュールは副キャプテンのヤスと一緒に調整し、練習メニューはときに三井サンと喧々諤々しながらきめている。備品の管理や予算の作成は、アヤちゃんや晴子ちゃんがいないと成り立たない。まさに女神と天使。同学年のメンバーや一年生たちも、チームになにが足りないか、自分になにができるか考えながら練習に取り組んでくれている。花道と流川の小競り合いが相変わらずなのはもう、致し方ない。
     オレって頼りがいがあるとか、カリスマ性があるキャプテンじゃねえのかも。
     と、認めてからは少々、気持ちが楽になった。最初こそ自己啓発本に影響されて鬼キャプテンを目指してみたけど、オレはダンナみてぇにはなれないし、仙道みたいなタイプじゃねえし。
     もっと周りを頼っていいんだよ。なんてこと、あの人は直接言ってきたりはしない。
     でも部活帰り、寄り道に誘われる頻度が夏ごろにくらべてふえている。コンビニで肉まん買い食いしたり、おでんとアイスをわけ合ったり。その日の練習を振り返ったら、あとはなに喋ったかも忘れるくらいくだらねぇ話して、駅前で別れるだけ。三井サンなりの気遣いなのか、はたまたダンナと木暮さんが引退して寂しいからオレにかまってほしいのか。たぶんどっちも。
     いずれにせよ、あの人のおかげで肩の荷が軽くなっているのはたしかなのだ。だからといって、結局先週もオレがほとんどアイス担当だったのを許すわけじゃないけれど。

     そんなことを考えながら集会室に入り、窓際の後ろのほうの席につく。
     いつまでたっても慣れない仕事がこの、二週に一度、月曜日の放課後に行われる部長会議である。

     部長会議とは、二年生を中心とした新体制になって数ヶ月の間、体育会・文化系部活動の部長が一同に介して行われる会議体のことだ。今後の目標や練習時の課題を共有したり、いまの時期は、文化祭に向けて各部活の出し物や運営の注意点がおもな議題にあがっている。
     こうして各部の部長たちが集まっているのを見るにつけ、オレっていわゆる部長タイプじゃねえよなあと、いやでも自覚させられるのだ。先日話しかけられた野球部をはじめ、吹奏楽部もバレー部も、みんなして部長をするために生まれてきたような顔つきに見える。柔道部なんて青田さん二世みたいな感じ。いちばん最初の前に出て各部の目標をひとり一分で話す回で、うへぇっとなったオレとはもう、積んでるエンジンが違うのだ。

     席が半分ほど埋まったところで、後ろの扉から布瀬が入ってきた。
     布瀬はもともと存在感のある生徒だが、噂のこともあってか、教室の空気が変わり、多くの視線が彼女のもとに集まった。布瀬はそんな視線をものともせず冷たい目で周囲を一瞥した。下世話な興味や野次馬根性をすべて見透かされ、吸い取られるような鋭い視線だった。
     男子生徒たちはたじろぎ、なにかをごまかすように先ほどまでより大きな声で談笑を再開した。布瀬は何事もなかったように、黒板よりの女テニや女バレの部長の近くの席に腰をおろした。

     オレと布瀬は、部長会のなかで若干浮いていると思う。
     たぶん向こうも同じように思っている。

     彼女とは、初回の部長会議で一度だけ会話したことがある。
     オレはあのときも今日と同じ、後ろの席に座っていた。布瀬は少し遅れて教室に入ってきた。空いた席を探す目がこちらに向けられ、あからさまに怪訝そうな表情になる。彼女はその顔のまま、つかつかと歩いてオレの机の横に立った。
    「へぇ、宮城がキャプテン?」
     信じられないと言わんばかりの声色だ。まったく遠慮や気遣いというものがない。オレだって、オレがキャプテン?と戸惑いながら、なんとか自分を奮い立たせているのだから放っておいてほしい。
    「意外だろ」
     オレが肩をすくめて答えると、布瀬はくすりとも笑わず真顔で言った。
    「まぁわたしも、人のこと言えないけど」

     三井サン、土曜ドラマを毎週熱心にチェックしてたみたいだけど。あれってヒロインの女優が好みだから見てたのかな。告白されてじつは内心、よろこんでたりして。
     オレたちは旧体育館、女バスは新体育館を練習に使用しているので日ごろ関わる機会はなかった。布瀬が試合を見にきていたら男連中が騒ぎ立てるだろうから、それもなし。三井サンもいろんな意味で目立つ人ではあるけれど、なにがきっかけで告白したんだろう。
     布瀬の後ろ姿を見ながら悶々としていたら、彼女がとつぜん後ろを振り向いた。オレを見ている。目があっても逸らすという性分ではないのでそのまま固まっていると、「時間になったのではじめます」という司会担当の生徒の声がして、視線は外された。


     きょうの議題もおおむね、文化祭での各部活の出店の配置や、予算の配分についてだった。うちはメガたこ焼き。ソースとマヨネーズの模様でバスケットボールふうに見せるのだ。これもアヤちゃんと晴子ちゃんがいなければ、絶対でてこなかったであろうアイデアだ。
     会議が終わり、さっさと部活に合流するべく立ち上がろうとしたところで、前のほうから歩いてきた布瀬がオレの目の前に立った。
    「メガたこ焼きって、どのくらいのサイズなの」
    「……通常の3倍サイズ」
    「メガってほどでもないね。何個入り?」
    「え、2個……」
     こいつが世間話とはめずらしい。というか、この話題ほんとうに興味あるか? 
     疑問に思いながら、中途半端に浮かせた腰をふたたびそろりと椅子の背につける。周囲も気になっている様子だが、“バスケ部の”宮城に話しかけるということは、なにか噂に関する事情があるのだろうとでも思われたらしい。残る生徒はおらず、教室にはオレと布瀬のふたりだけが残された。
     外はもう日暮れの色が濃い。グラウンドでは野球部が練習を行っている。窓は閉じているから、かけ声は聞こえない。さきほどまで会議に出ていた部長もこれから着替えて練習に参加するのだろう。
     布瀬は前の席の椅子を引き、オレに半身を向けて座った。
    「宮城はキャプテン業、順調?」
     こっちが本題なのかもしれない。オレは思っていることをそのまま答えた。
    「向き不向きはわかんねぇけど、いいチームにしたいとは思う」
    「ふぅん」
     訊いておいてずいぶん気のない返事だ。
    「そっちはどうなの」と一応こちらも質問を返す。
     問いには答えず、布瀬は窓の外に目をやった。
    「噂のこと、知ってるでしょ」
    「……いろんな噂がありすぎてどれが真実かは知らねぇよ」
    「わたしってさ、こんなじゃない」
     漠然としすぎだろと思ったが、言わんとすることはなんとなくわかる。
    「そうだね」
    「こんなだからさ、まさかキャプテンやるなんて思ってなかったんだ。同じ学年に、いつも明るいムードメーカーの子がいて。わたしだけじゃなくて、たぶんみんながその子がキャプテンになるんだろうって思ってた」
     こぼすように語り始める。ふたりきりの教室は静かで、廊下を走る女子生徒たちの上履きの音と甲高い笑い声がこちらまで響いて聞こえてきた。
    「わたしがキャプテン、その子とは別の子が副キャプテンってみんなの前で発表されたとき、なんか変な感じになっちゃって。空気が凍るっていうのかな。あ、やばいかもって思ったけどどうしたらいいかわからなくて。翌日から避けられてるの感じたけど、キャプテンだからまとめなきゃいけないし。練習の指示出したらみんな黙ってやるけど返事はないし、まあ、すごい空気だったよね」
    「……知らなかった」
    「言ってないし」
     それはそうだが。淡々と返され、どうリアクションしていいかわからない。
    「あんま具体的に言いたくないけど。なんて言うのかな、透明人間みたいなの。部室でも黙って着替えて、怖くて自分から話しかけられなくなっちゃった。二年がそんなだから一年も遠巻きに見てる感じ。キャプテンなのにやばいでしょ」
     自嘲気味に言うので、思わずオレは語気を強める。
    「なんだよそれ、キャプテンどうこうじゃねえだろ。……周りがおかしいよ。コーチはなにやってんだ」
    「うち強豪でもないし。コーチも毎回は練習見に来ないんだ。そもそも部活に対するモチベーションが男バスとは違うんだよね。わたし、ただ楽しく部活やりたいって子の気持ちとかわかんないから、雰囲気作りも下手だし。そういう子たちからしたら窮屈なのもあったと思う」
     布瀬の言葉を聞きながら、過去を振り返る。
     オレが一年の頃は、やる気のない三年生が部活の中心で、部全体にその空気がまん延していた。オレは去年の冬以降しばらく部活を休んでいたけれど、三年生が抜けてからの数ヶ月で、男子バスケ部を立て直したのはダンナと、木暮さんのふたりだ。というか、ダンナはキャプテンになる前からずっとあの感じだった。ロッカールームでオレがあのクソむかつく三年生に絡まれたときもはっきり意見してくれた。オレは喋れって注意されてもすぐにはできなかったのに。ダンナが三年生に馬鹿にされてたとき、なにも、言わなかったのに。

     オレに返せる言葉はなかった。布瀬はただ、かぶりを振る。
    「毎日、どうすればよかったんだろうって。わたしむりです、そういうタイプじゃありませんって言えばよかった、ほんと向いてないって」
     クラスも同じ子が数人いるから教室でも気まずかったのだと静かに続ける。いまは和解したのだろうか。口ぶりが過去形なことに、オレはほんの少しだけ安堵した。
    「そんな感じが続いて、九月の半ばごろだったかな。月曜の朝バスに乗ってて、学校の最寄りのバス停で降りたらなんか急にもうむりってなって。体がふるえて、目の前が真っ白になってしゃがみこんじゃった。ああいうときって意外とみんな、声かけてくれないのね」
    「……ひどいね」
     そうは言ったが、とっさに声をかけられるかと訊かれると自信はなかった。相手は女子だし。そのような場面に出くわして、はたして自分はすぐ行動に移せるだろうか。
    「動けないでいたら、おい大丈夫かって前のほうから声がして。うっすら目をあけたら、大丈夫?貧血?って知らない男子生徒がしゃがみこんでた」
     問わず語りは続く。布瀬は気持ちを落ちつかせるように、両腕を交差させて体をさすっている。
    「わたし、答えられなくて。立てる?むりだよな、オレが運ぶわけにはなあとか言って、後ろからきた女子グループに付き添える?って声かけてた。めちゃくちゃ話しかけるじゃんってちょっと笑っちゃった」
     布瀬がほんの少し口角を上げた。それは笑顔と呼ぶには痛々しげで、オレはうまく表情が作れない。
    「落ち着いてから、その人が荷物持ってくれて、女子の先輩が付き添ってくれて、学校の医務室まで連れて行ってくれた。それで、先生と会話して親に迎えに来てもらうことになって」
     動きを止め、布瀬は呟くように言った。
    「部屋から出てくときに、ミツイいいとこあんじゃんって先輩が話しかけてた。そのとき名前を知ったの、初めて」
     吹奏楽部だろう、管楽器のスローテンポな音色がどこかから聞こえてくる。曲名はわからない。
     布瀬がふたたび話し出す。
    「わたし、全然大丈夫じゃなくて。ずっと大丈夫じゃなくて。大丈夫?って誰かに言って欲しかったんだってそのとき気付いた。……で、好きになってた。たったそれだけのことで。ばかみたいでしょ」
     オレはただ首を横に振った。
    「ばかみたいとは、思わない」
     まぎれもない本心だった。
     世界でひとりぼっちで、誰にもかまわれたくなくて。誰かに頼りたいけど頼りたくなくて。強がって必死で立っているときにかけられた言葉がどれほどの意味を持つか、オレはよく知っていた。
     わかるよ、と心の中で言ったが口には出さなかった。だってそれはオレがかつて一番言われたくなかった言葉だから。
    「むこうはただの善意で声かけたのに。そんなことで好きになられて、ほんと気持ち悪いよね」
    「そんなふうに思う人じゃないよ」
     言い終わるのを待たず、思わず遮るような鋭い声が出た。
    「部活でも噂について聞かれてたけど──本当になにも言わなかった、何も」
    「やめてよ!」
     布瀬が短く、叫ぶような声をあげた。
    「これ以上好きになりたくない」
     両手で顔を覆いうつむいてしまう。
     ああ、しまった。胸に苦い思いがこみ上げる。
     いまオレは、三井サンはそんな人ではないと主張したいばかりに余計なことを言ってしまったのではないか。いっそ嫌いになれたらどんなに楽かと思う気持ちもまた、わかっているはずなのに。
    「……ごめん」
     それしか、言えなかった。

     布瀬はちらとオレを見てからひとつ息をつき、苦笑した。
    「でもまあ、わたしの見る目は正しかったってことだ」
     そうだね、と口に出してあの人をいい男だと認めるのはさすがに抵抗があった。オレは無言でうなずくことで、一応の同意を示す。布瀬は知らないと思うけど。わがままと繊細がごっちゃになってて、傍若無人だけど誰よりチームをよく見てる。三井寿という男を構成する要素はあまりに複雑なのだ。
     布瀬はそのままオレの机に頬杖をつき、淡々とした声で言う。
    「で、その一週間後くらいに顧問の先生から呼び出されたの。指導室に行ったらほかの二年生が数人いて、このままじゃやばいと思った子たちが先生に事情を相談したらしくて。副キャプテンも、みんなも泣いてた。わたしは泣けなかったけど。そのあと先生が二年生全員と個別に話してくれて、部員同士でも思ってることぶちまけあって、まあ解決したっちゃしたのかな」
     どこか他人事のような口調だ。しかしそこにはいろんな感情が含まれているに違いなかった。
    「いまはクラスでもふつうに話すし、気持ち切り替えて練習もやってるよ。部活辞めちゃった子もいるから、なんとも言えないけど」
     話し終えると、机の上の落書きに目を落とす。オレもなんとなくそれに倣う。動物らしきものが描かれている。少しかすれているけど、おそらくうさぎ。いや、カンガルー?
    「布瀬、たまにはオレの相談にも乗ってよ。問題児だらけで苦労してんだ」
     オレの言葉に、布瀬は力なく首を振る。
    「わたし、アドバイスとかむりだよ。三井先輩に相談すれば?」
     こちらも大げさに首を振って答える。
    「あの人がいちばんの問題児」
     顔をあげた布瀬の目が倍ほど見開き、そして柔らかく細められた。今度こそはっきり、笑顔だった。

    「ねえ、どういうところが問題なの」
    「どうって言われても……なんつうか、具体的に言える話はねえんだ、悪いけど」
    「知ってるよ。不良グループから抜けようとして仲間にボコられて、それでもバスケ部復帰したんでしょ。噂で聞いただけだけど」
     やれやれ。まったく噂なんてあてになんねぇもんだ。この噂に関しては、表向きの真実だから、信じておいてもらったほうがいいんだけど。
    「ま、そんなとこ」
    「ふぅん」
     訝しげな声が返ってくる。布瀬は窓の外を見て、座ったまま体をほぐすように大きく伸びをした。
    「ありもしない噂が色々流れてるみたいだけど、わたしが三井先輩を勝手に好きになって、告白して、ふられた。それだけの話」
    「え」
    「いまはバスケのことしか考えられないからってね」
     そう言い残すと布瀬はオレの顔も見ず鞄を手に立ち上がる。話は終わった。いま、訊かなければ二度と機会はないだろう。しばし逡巡したが教室の外に向かう後ろ姿に声をかける。
    「布瀬」
     立ち止まった彼女がゆっくりこちらを振り返る。意思の強そうな三白眼が、窓から差し込む夕陽に照らされて赤く光った。意思が強そう。近寄りがたい。それらも勝手に周囲が作り上げたイメージにすぎないのかもしれないと、ふと思った。
    「どうしてオレに話したの?」
    「だって」
     布瀬の声に、あきれたような笑いが滲む。
    「教室に入ったときから宮城、すごい顔してわたしのこと見るんだもん。自分じゃ気付いてないみたいだけど、あんた結構顔に出やすいよ。それと、おせっかいついでにもうひとつ。三井先輩のこと見てたらいやでも目に入るから気付いたんだけど、最近宮城明るくなったよね。三井先輩といるときの顔、こっちが笑えるくらい楽しそう。……三井先輩、もうすぐ卒業だし、引退したら告白する女子ふえちゃうかもしれないよ? それじゃあわたし部活行くね。宮城もキャプテン業、頑張って」
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