わるいゆめ 二人で酒を飲んだ夜、ふらふらとゆれる頭で布団をかぶった。
「灯りを消して」
「よし」
「口を開けておくんだよ」
「うん」
手馴れたように聞こえる指示に相槌を打って、手探りでガス管の口を開いた。
それから、それから、どれくらい経ったのか。いつの間にか寝ていたらしい。目を覚ました自分は正気に返っていて、たちまち自分のしでかしたことが恐ろしくなった。
布団を抜け出した。ガス管を閉じた。慌てて、外に逃げ出した。一緒にいこうとした相手を置いて。
次の日、自分に置いていかれたあいつは死んでいた。布団を被ったままで。最後に見た姿のままで。大きく口を開けて、死んでいた。
檀は布団を蹴り飛ばす勢いで跳ね起きた。寝ていたにもかかわらず、酷い量の汗が寝間着を湿らせている。荒い呼吸をなかなか落ち着けることが出来ない。着の身着のままで部屋を飛び出した。
混乱した頭でも、目的の場所に辿り着くことは出来るものだ。静まった図書館の廊下をひた走り、もう何度も通った部屋の扉を見つけると、必死で叩いた。
「太宰、なあ、太宰……!」
頼む、出てきてくれ。生きていてくれと。
檀の手が痛くなってきた頃、ドアノブがゆっくり回った。
「もう、なに……やっと眠れるかと思ったのに」
どこか気だるさをまとわせて、うっそりとした表情で出てきた太宰は扉の前に立っていた男の様相に目を丸くした。
「太宰……!」
「え、は? なに、どうしたんだよ……早く入って!」
慌てた様子の太宰に手を引かれ、檀はもつれた足で部屋の中へ転がり込んだ。手の温もりから生を感じて、一粒、涙がこぼれた。それを見留めた太宰は、そのまま檀の手を引いて座布団の上に座らせる。
「どうしたの、俺ならともかく檀がそんなになるの、珍しいじゃん」
形の良い眉を心配そうにひそめて、太宰は立ったまま檀を見下ろした。何せ、檀に自覚は無いがその姿は常とは思えないほどに乱れていたからだ。
顔面蒼白。寝巻き姿で、素足。拳が赤くなっているのは、どれほど力を込めて扉を叩いていたのか。誰が見ても、何かあったに違いないと思うだろう。こんな檀を見たのは太宰も初めてだった。
何か悪い夢でも見たのだろうか。たとえば、春夫先生に見捨てられるとか、自分の作品が評価されないとか。うん、どっちも自分にとっての悪夢だわと太宰は脳裏に浮かんだ選択肢を振り払った。檀にとっての悪夢とはなんだろう。そもそも、悪夢に悩まされる檀というのが想像できなくて、本人に聞くのが早いと太宰は口を開いた。
「悪夢でも見ちゃった?」
「あく、む……。そうだな、悪夢だった」
未だ顔色はよくないが、はっきりとした声で頷いた檀を見て、太宰はいくらか安堵した。
「どんな夢? あれか、性病になったとか」
あの時の檀もなかなか気が動転してたよなと生前のことを思い返しながらおどければ、首が横に振られる。まあそうだよねえと思いつつ、紡ぐ言葉を待てば思いもよらぬ言葉が耳に入った。
「俺のせいで、太宰が死んだ夢だ」
「……ばっかだなあ、檀は」
幾分か間を置いて、体温の低い手が乾いた涙の跡の残る檀の頬をそっと包み込んだ。金色の蛇のような瞳が、今世は檀と同じ色をした瞳が、すうと細められる。
「そんなありえない夢なんて見ちゃってさ。……なあに、夢の中の俺は檀に丸太で殴られでもしたわけ?」
「違う。夢の中でだって、俺がそんなことをするわけないだろう」
思いのほかはっきりと否定されたので、おかしくて太宰は笑ってしまった。
「えー、さっきまで顔真っ青だったのに、すごい自信じゃん。じゃあ、なに?」
「……ガス栓の」
「ああ、あれ。結局死ねなかったのに」
生前、二人して酒に酔って心中未遂をした時のことだなと太宰は直ぐに思い当たった。あの時は、たしか目覚めたらガス栓は閉まっていて、一緒にいたはずの檀は姿を消していた。散乱した布団の上で「ああ、逃げられた」と残念に思ったのだったか。
次に会った時、恨み節を吐いたのを覚えている。
「夢の中で一緒に死ねたってわけじゃなさそうね?」
「俺は逃げて、太宰だけが死んでいた」
なるほどそこの結果が違ったのねと太宰は内心唸った。たしかに置いていった結果、相手が死んでいたらゾッとするだろう。だが、そもそも。
「檀のせいではないんじゃない?」
言い出したのは太宰で、自殺の仕方を教えたのも太宰、檀は実行したとはいえそもそも酩酊していた。そんな状況で太宰が死んで誰に責任があるかと言われれば、ほぼ太宰としか言いようがない。
「だが、俺が、置いていかなかったら……」
「本当は置いていかれても生きてたし、最終的に、置いていったのは俺だし」
今更そんなことで落ち込んじゃうんだ。自分の死に動揺する相手に対して、太宰はどこか他人事のように感じてしまった。
「それは……そうだな」
「うん、そうだよ。檀も言ってたでしょ。俺たちがお前を置いて楽しそうにしてたんだなって」
やっと迎えに行けた時に話していたことをなぞれば、檀もいつもの自分を取り戻してきたようだった。
「置いていかれたと思ったから、夢の中でくらい置いていってやろうと思ったのか……?」
「何それ。仕返しのつもりで自分が弱ってどうすんだよ」
「本当にな」
言って、檀は自嘲するように眉を下げて笑った。それでもやっと笑顔が見えて、太宰はほっと息をつく。いつもと違う様子の檀に影響されて、いくらか緊張していたらしい。腹いせにいつもは見上げないといけない頭を、わしわし撫でてやった。
「もー、檀のせいで寝れそうだったのに完全に目が覚めたんだけど。責任取ってよね」
「悪い悪い。何かあたたかい飲み物でも入れて来るか?」
「んー、置いてかれちゃかなわないから、ついてこうかな」
冗談めかしてくっつけば、「いいな、これ」と檀が真面目な顔で言うので、仕方ないからしばらくそうしてやった。