一粒のいのち「わし様腹が減った!!!」
もう一歩だって動けんわ!と、寝そべったベッドの上を転がる。横から小さい声で動けてんじゃねぇかよ、という無礼な文句は聞こえなかったものとする。わし様な~んも聞こえんかったもんね!
「どこかのクソゴリラのせいで、わし様は腹ペコペコで今にも死にそうだ!」
「じゃあそのまま死ねよ。ちったぁ静かになる」
「はぁ!?貴様が死ね!いや…今死なれるとわし様のご飯を運ぶ足がなくなる…よって、わし様に夜食を献上してから死ね」
「ぶっ殺すぞてめぇ…」
立てた肘を枕にし、そう遣わしたわし様を睨み付けてクソビーマは唸る。だが、そんな奴も腹が減っているらしく、先ほどからぐぅぐぅと聞くに耐えん音がわし様の耳に入ってくる。あれだけ喰らっておきながらその様とは。どこぞに穴でも空いておるのではないか?
だが、腹の音を鳴らす己を恥じているのか。それを聞かれているのがわし様であるという事実に屈辱を感じているのか。まぁ、両方か。わし様なら羞恥心に耐えきれず爆発するわ。
ギリギリと歯を噛みしめてこちらを睨むだけのビーマの姿がたまらない。これ以上面白いものもないだろう。先の無礼を不問にしてもよいと思うほど気分がいい。
…いや、ぶっちゃけ食われすぎてカスカスのシオシオで、腰が砕けて転がる以外になに一つできん状態であるのは確かであるからして…ゴリラ以外の魔力補給を今すぐにしたい。あまり煽るとゴリラがキレて手を出して来ないとも限らん。これ以上喰われたら冗談抜きで本当に死ぬ。
「…まったく、仕方のないゴリラだな。このわし様が、貴様の作る夜食を所望しておるのだ。如何様な相手であろうと要望であろうと応える、それが料理人として在る貴様の矜持ではないのか?」
「………チッ」
「舌打ちしおったかこのゴリラ!?」
「うるせぇ黙れ死ね。クソ…てめぇに諭されるとか屈辱以外のなにものでもねぇ」
「喧嘩売っとんのか」
青筋を浮かべながらも、その姿を料理人としての二臨へと変化させていく。どうやらわし様のご高説のありがたみがよくわかったらしい。よい心がけだ。その無礼極まる減らず口がなくなればもっといいのだが。
「この時間だ。簡単なモンでも文句言うんじゃねぇぞ」
「よい、赦す。ただし手は抜くなよ」
「相手がてめぇだろうと料理に対してそんなことはぜってぇしねぇよ」
首洗って待ってろよ、みたいなノリで吐き捨てると、ビーマは部屋を出ていった。
ビーマが再び戻ってくるまでの間、わし様三回は寝落ちそうになったが、その度に寝るなと腹が盛大な音を鳴らして妨害してくる。助かったと言うべきか、それとも中の弟たちも腹を空かしておるのか。だとすれば、食わないなどという選択肢は存在せん。たらふく、満足のいくまでに食わせたいと思う兄心よな。
「おら、溢すんじゃねぇぞ」
目の前のテーブルへ運ばれたのは、随分と質素なものだった。確かにこの時間、おそらくあと数刻で夜も明ける頃合いだろう。時間と手間のかかる豪奢な料理が出てくるとは欠片も思ってはおらんかったが…。
「…マスターの国じゃ、夜食ったらこれなんだと。不満そうな面してんじゃねぇ、潰すぞ」
と、さりげなくわし様を睨み付けながら、自分の分も作ったのか。同じもの…マスターの名を出したのなら、材料も日本のものであろう。
白く、ホクホクとした温かな湯気。確かパリパリと旨い海苔が巻かれていたはずだが、これにはない。はくり、と。なんでも飲み込めるだろう大口で、拳ほどの大きさもあった握り飯をなんと三口で食らってしまう。さすが大喰らい。
握り飯を飲み込んだ、ビーマの突き出た喉仏が上下に動くのをじっと見つめてしまう。いやいや!なにをしておるんだ!そんなところを見たって腹は膨れん!
「…なに物欲しそうな面してんだよ」
口の周りにはなにもついていない。だから、その行為はわざとであるとすぐ察しがつく。
わし様を見下ろすように見て、ビーマはあつい舌で己の唇を舐めとる。その、動きに。ビーマの視線に…先ほどまで行っていた行為を思い出して頭に熱がのぼる。羞恥か。それとも怒りか。
…頭に、ちらついた。あの舌が。肉の熱い、厚い舌がわし様を翻弄する様を。乳飲み子のように男の胸を執拗に吸い、口を吸い、舌を吸った。魔力を、精も根も全部なにもかもあの口の中に飲み込まれて。ぼんやりと滲んだ視界に、ビーマの目があった。熱を帯びた、殺気ではなく別のものに濡れた紫炎。貴様は、そんな目で俺を――
「早く食えよ、冷めたらうまくねぇぞ」
「…!」
ふん、と鼻を鳴らして。場に流れた微妙な空気をビーマは払ってしまう。そうだ!おまえのせいでわし様の夜食が不味くなるところであった!と噛みつく意欲も失くして、言われるままテーブルの上に鎮座する握り飯を手に取る。
冷めると言ったが、保温の某かはかかっているらしい。指先から微弱な魔力を感じる。
ホクホクとした握り飯を両手で掴み、ビーマに習うわけではないが、わし様にしては大きな口でかぶりつく。
絶妙。まさにその一言である。
舌に感じる仄かな甘さ。噛めば白米からじゅわりと旨味が溢れだし、表面についていた塩気と混ざり…つい、満足げな息を鼻から出してしまう。
う、旨い。ただの握り飯がこんなにも旨いなど信じられん。具のひとつも入っていない。ただの塩むすびが。
「はっ、あまりの旨さに言葉を失くしたか?」
「!」
バカにするような笑い声に、むぐむぐと口の中で握り飯を咀嚼しながら隣のビーマを睨む。睨んで…ほんの少しだけ後悔する。
バカにされれば噛みつく。ふざけろと万倍にして煽りたてる。それがわし様だ。相手がビーマであるなら、百倍にして返さねば気が済まんというもの。だというのに、このバカタレは。
「旨いなら文句言わずにさっさと食え」
言葉自体は常のそれと変わらん。だが、その表情は。わし様を見るその目は。
(――あたたかい)
この感情を悟られてはならん。
この心を見られてはならん。
隠そう。しまってしまおう。
両手の中の握り飯と共に喉の奥へと消し去ろう。
「むぐむぐ…む…っ!」
勢いよく握り飯にがっついた結果、喉で押し込められた米が渋滞を起こす。
「あーあ…バカ野郎が。ちゃんと味わって食わねぇからバチが当たったんだ。ったく、ほら」
差し出された漆塗りの椀には、確か味噌汁というスープが満ちていた。豆腐とワカメの入った典型的とも言えるそれを、わし様は喉に流し込む。あ、ウマ…。
「けふ…はぁぁあ…死ぬかと思った…」
「ガキかよ…あぁ、ガキだったな」
「バカにするな!ちゃんと、れっきとした大人だわい!!」
椀に残った味噌汁をぐびりと飲み干して、おかわり!と声高に叫ぶ。決して、決してこの味噌汁がハチャメチャに好みで一杯では全然足りんとかそんなわけじゃあない。
「大人がおかわりひとつでんな必死になるかよ。旨いなら旨いって素直に言やいいだろバカ王子」
「ふん、野蛮人が作ったわりにはわし様の口に合う出来であったぞ。珍しく役にたったではないかクソビーマ」
早う持ってこんか~い、と。指先についた米粒を舌で拾い上げる。マスターの国では確か、米粒ひとつひとつにも神が宿るとかなんとか。その教えをした者は善性の固まりであったのだろうな。その教えを守り続けるマスターも。
「おい」
「ん?なん」
だ。という言葉は、不意討ちまがいに乗り出してきたビーマの熱い口の中へ飲み込まれる。は?なんでキスしとるんだこのバカは!?
「んんっ!!ん…っ、ふ…」
舌と舌が絡み合う。口内を満たしていた神の旨味は蛮行によって悉くを喰らわれ、そのほとんどを上書きされてしまう。
「ん、ん…!っぷは!きさ、ま!!」
せっかく腹を満たして魔力を回復したというのに!つっと、己とビーマとが混ざった唾液が口の端からこぼれ落ちる。それを、手の甲で拭いながら、まだ鼻息の荒い図体ばかりデカイ野蛮で恥知らずな獣を睨み付ける。
そんなわし様の視線などどこ吹く風。ビーマははっ!と笑うとわし様の手をぞんざいに掴んで…その指先を舌先でなぞる。
「誘ってんのかと思ったら喰らいたくなった」
「な…」
最後に指先を吸って、ビーマはおかわりだったよなと、人の気も知らずに部屋を出ていった。
あいつ、やっぱりぶち殺して構わんか?
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