Recent Search
    Create an account to bookmark works.
    Sign Up, Sign In

    ???

    特異点の向こう側

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 19

    ???

    ☆quiet follow

    2020.9.26 ミス晶♀

    No title  賢者は机に向かい、賢者の書をしたためていた。賢者の書─それは自分が『前賢者』となったときの引き継ぎ書であり、『賢者』真木晶の日記でもある。賢者は動かしていたペンを止めた。初めは白紙だらけだったこの賢者の書も段々と文字で埋められていく。賢者はそっと息を吐いた。カーテンの隙間から漏れ出る月の光は世界をめちゃくちゃにしたとは信じられないくらい優しい。
     一年分の時間は約52万5600分。一体どのくらいの時間がもう過ぎ去ってしまったのだろう。賢者は息を吐いた。物語の終焉は着実と迫ってきている。パラパラとページをめくった。書かれた文字を指でそっと撫でる。この世界での思い出が詰まったこの書は賢者・真木晶が確かにこの世界にいて、たくさんの今日を生きた証だ。
     賢者はページをめくりながら、ふと寝ている間に魂が肉体を離れ、どこか旅に出ているという話を思い出した。魂は旅をして再び肉体に戻ってくる。目覚めた私は目覚める前の私と同じだと言えるだろうか?ならばこの賢者の書は幾つもの『今日』を生きた『真木晶』の遺書とも言えるかもしれない。
    「賢者様」
    「ひょわ!」
     突然呼び掛けられた声に驚いて賢者はペンを落とした。ギギギ……と錆び付いたロボットのように、ゆっくりと声のした方へ首を動かす。そこには妖しげな緑の輝きを放つ瞳に、燃えるような赤い髪を持つ、大層整った顔立ちの魔法使いが気怠げに立っていた。
    「あはは、変な声」
    「ミスラ……」
     魔法によって突如賢者の部屋に現れたミスラは悪戯が成功した子供のように笑った。いまだにバクバクと脈を打つ心臓を押さえながら、賢者は床に落としてしまったペンを拾い上げた。大きく息を吐いてから文句を言う。
    「もう、ノックしてくださいよ」
    「ドアから入るときは俺だってノックします」
    「お願いなのでドアから入ってきてください……」
     ミスラは賢者の言葉に「はぁ……考えておきます」と答えたが、絶対に実行されることはないであろうと賢者は分かっていた。それでも言わずにはいられない。おそらく理解と納得は別物なんだなと賢者はどうでもいいことを学んでまた一つ賢くなった。
     ミスラは賢者のベッドへ腰を下ろした。勝手にクッションを引きずり出して両手に抱える。綺麗にベットメイキングされていたベットは一瞬でぐちゃぐちゃになった。
    「眠いです、あなたの力でどうにかしてください」
     主人よりも先にベッドを独占する猫のようにミスラはそのまま横たわる。傍若無人だがそんなところも猫はかわいいので、忠実なる猫の下僕である賢者の選択肢は「はい」か「YES」のみだ。これによって賢者はこの大きくて美しい猫(のような魔法使い)をなんだかんだで甘やかしてしまう。
    「これを書き終えてからでいいですか?」
    「明日でもいいでしょう」
    「もう少しで終わるので!」
     眠れないストレスからぐずりだすミスラを横目に賢者はペンを動かす。幼児を育てる親の心境だ。もちろん育てたことはないからあくまでも想像である。ペンを動かしながら賢者は一日を振り返った。忘れずに全て書き留めておきたい。いいことも悪いことも、いつか全てが思い出となるのだから。
    「なんだか辛気臭いですね」
     ふいにミスラが声を上げた。思わず振り向けば吸い込まれてしまいそうな深い常盤色の目が賢者をじっと見つめていた。
    「……え」
    「ため息が多いですよ」
     確かに賢者は少し落ち込んでいた。しかしそれをミスラに指摘されるとは思ってもいなかったので目を丸くする。ため息も無自覚だった。思わず口を手でおさえる。
    「あちゃあ……そんなにため息吐いてました?」
    「吐いてましたよ。陰気なオズの真似ですか? それとも昼間のことですか?」
    「……いや、まあ……その、はい」
     今日の昼、依頼先で魔法使いへの偏見からくる誹謗中傷を受けた。魔法使いへの理解が深まってきているとはいえ、まだまだ偏見は消えない。ため息の理由まで当てられるとは。賢者は内心舌を巻いた。
    「あなたが言われたわけでもないのに。小さいことばかり気にしますね」
     ミスラは聞き分けのない子どもをあやすような目で賢者を見た。ふとしたときに見せる長命の魔法使いらしさを含んだ言動は賢者をどきりとさせる。
     賢者はそっとミスラから目を逸らした。
    「それでも悲しかったんです」
     この魔法使いには他人から嫌われようが、なにを思われようが、自分の意志を貫く覚悟と強さがある。赤子のようなちっぽけな人間の言葉などに、感化されることも傷つくこともない。賢者もそれを理解してはいる。それでも、賢者は投げつけられた言葉を悲しく思った。結局賢者は自分自身のために腹を立てたのだ。
    「……結局私のためなんですよね。私はミスラのことが好きだから、悲しい言葉を投げかけられるのはやっぱり嫌です」
    「千年も生きれないのに随分と生意気なことを言いますね。まあ別にどうでもいいですけど……」
     ミスラはごろりと仰向けに寝そべった。つられるように天井へと目を向けた賢者だったが、暫くするとまた賢者の書へと向き直った。
     ときおり賢者がペンを走らせる音がする以外、部屋は静けさで満ち満ちていた。それは決して不快なものではなく、寧ろ心地よいものだった。
     しばらく考え込むように天井を見つめていたミスラだったが、ふと顔を賢者の方に向ける。引力が作用するように自然と賢者もミスラを振り返った。深い森のような緑色に吸い込まれるようにして賢者はミスラを見つめる。
    「あなたは異界に帰るんですよね」
    「そうですね、いつかは」
    「ふぅん」
     拗ねたようにクッションにミスラ顔をうずめた。不貞寝をする猫のようだ。
    「あなたは嫌じゃないんですか」
     言葉を探すように紡がれたミスラの問いに賢者は思わず微笑んだ。ミスラが自分がいなくなることを『寂しく』思っていることが暗に伝わってきて、不謹慎ながらも嬉しいと思ってしまった。ミスラの綺麗な眉間にシワが出来たのを見て、賢者はこほんと咳払いをして真面目な顔をした。
    「どうしたって私はこの世界の人間じゃないから、きっと仕方がないことだって思っています。でも寂しくないわけじゃないですよ」
     元の世界に帰りたい気持ちはある。家族や友だちに会いたい。でもこの世界のみんなに忘れられて、ひとりぼっちで元の世界に帰るのも寂しい。どちらも賢者の本心だった。どっちつかずで宙ぶらりんなこの気持ちは影のように賢者に付き纏う。
    「ふぅん……」
     ミスラは相槌のような、独り言のような言葉を漏らして黙った。賢者も何も言わずにただただ黙っていた。
    「……あなたがいなくなっても俺は変わらずにこの世界で生き続けるんでしょう」
    「そうですね」
     ミスラは言葉を探すように目を彷徨わせた。パチパチと火が爆ぜるように赤い髪が揺れ動く。
    「異界にはあなたがいて、この世界には俺がいる」
    「はい」
     賢者は静かに微笑んだ。垂れてきた鳶色の髪を耳にかける。
    「俺の死はあなたの死ではないし、あなたの死は俺の死ではない。俺が俺であり続けるように、あなたはどこまでもあなたでしかない」
    「はい」
     賢者はまた微笑んだ。ミスラは腹筋を使って上半身を起こし、ベットの縁に座り直す。賢者は開きっぱなしになっていた賢者の書を丁寧に閉じるとミスラの横に腰掛けた。スプリングが二人の重さでぎしりと音を立てる。今までの流れを引き継ぐように賢者が口を開く。
    「ミスラは誰にも縛られないし、私も誰のものでもない」
    「そうですね」
     ミスラは黒い爪先を見つめながら答えた。
    「私とミスラは永遠を共にすることはない」
    「ええ」
     ミスラは賢者の右手をとった。賢者は重ねられた大きさも色も違う手をただ見つめた。
    「私は千年生きられない。ミスラの生涯で瞬きようなものです。ましてや異界の者ですし」
    「はい」
    「でも、この刹那の時、あなたと共に居れる偶然を私は嬉しく思います」
     ミスラは何も言わなかった。黙って賢者の手を握ったり離したりしている。
    「だけどね、せっかく出会えたからには私はミスラと友人になりたいんです」
     賢者はミスラの手を握りしめて、彼のエメラルドに輝く瞳が自分を映しているのを見た。ミスラは少しだけ目を見開いて賢者を見つめた。
    「はぁ……あなたやっぱり変わってますよね」
    「嫌ですか?」
    「嫌とか好きとか、悪いとか良いとか。そういうことを気にするの面倒くさくないですか?」
     ミスラが否定も肯定もしなかったので、賢者はこの返答を肯定として受け取ることにした。夢の中で友達になりたいと差し出した手は取ってもらえなかったけれど、今日、ミスラと賢者は友人となったのだ。
    「あ、なんかいい感じに眠くなってきました」
    「わっ! もう、唐突だなあ」
     ミスラは賢者の肩に頭を埋めた。賢者の頬を赤い髪がくすぐる。
    「横になりましょう! 私の肩が死んじゃうので!」
    「うるさ……」
     心底迷惑そうにしながらミスラは顔を上げ、縁に下ろしていた長い足をベッドの上に乗せた。賢者はスリッパを脱いでベッドに上がり壁際に寝転ぶ。若草色の掛け布団を引っ張って二人はベッドに潜り込んだ。一人用のベッドだから賢者とミスラの二人で眠るにはいつも少し窮屈だ。でも、これはこれでいいのだ。はちゃめちゃで少し意地の悪いこの世界で、今この時だけでも互いの熱量を分かち合えるのだから。
    「では友人のために」
     賢者はミスラの手を再び握りしめて、彼が眠れますようにと祈りを込めた。繋いだ手は暖かく、生きていることを感じられる。静かな部屋には互いの微かな呼吸音と鼓動だけが響いていた。
     どれくらいの間そうしていただろうか。気づけばミスラは賢者の横ですうすうと寝息を立てていた。「賢者の力」によって寝かしつけに成功した日から、賢者は数えきれないほどにミスラの寝顔を見てきた。しかし、何度見ても美しいかんばせと睫毛の長さに対して新鮮に驚くことができる。賢者は握っていた手を離してミスラの頬をそっと撫でて、顔に掛かった髪を除けてやった。
     きっとさよならを言えないお別れだから、さよならの代わりにおやすみを。私があなたに残していくものが寂しさだけではありませんように。賢者は暗い部屋で小さな願いをかけた。
    「おやすみなさい、ミスラ。いい夢を」
     どうか自分がいなくなったあとも、この美しい友人が良い夢を見れますように。
     そして願わくば、明日の真木晶もあなたの顔をみることが出来ますように。
     賢者はまぶたをゆっくりと花弁のように閉じて眠りにつく。
     今日の真木晶は死んだ。     
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    💙
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works