ああ、ダメだな、と思った。
このままじゃダメだと。
毎日のようにテーブル並べられる美味しい料理。
栄養バランスだとか見栄えだとか好みだとか、そんなものが全て考えられたメニュー。
どれもこれも本当に美味くていつも箸が止まらない。
着ている服だってそうだ。
毎日きちんと洗われて、たたみジワ以外のシワなんてない、ゴワゴワもしてないしかすかにいい匂いさえする。
部屋だって。
丁寧に掃除され、部屋の隅にわたぼこりが丸まってることなんてない。
時折季節の花なんかが飾ってあって、それが腐り落ちることもない。
すごく、贅沢だな。
そう思った後に気づいた。
それをしているのが自分ではないことに。
どれもこれも一つとして満足に関わっていないことに。
だから思った。
このままじゃ、ダメだと。
いつかあいつが俺に飽きて、ここを出て行ってしまったら。
何も出来ないダメな自分だけがこの部屋に取り残される。
飯はきっとコンビニで買って、美味い飯のことを思い返しながら食べるんだろう。
風呂だってシャワーだけで済ませて、ゴワゴワでカチカチでほんの少しカビ臭いタオルで体を拭くんだろう。
取り込んだままたたまれることなく積み上げられた洗濯物の中から適当に服を着て、静かな部屋で煙草を吸うんだろう。
──うわ、めっちゃ辛くなってきた。
あいつはいつまでここにいてくれるんだろう。
明日?明後日?明明後日?
あっさり出ていきそうだな。
じゃあね、なんて言ってジョンを抱き上げて。
──うわ、泣きそう。
そう遠くなく訪れるだろういつかくる未来。
──少しは、備えないとな?
「おはようロナルド君、いい夜だね。」
棺桶の蓋が開いて、寝巻き姿のドラルクが起き出してきた。
「どうした元気ないな?お腹がすいたのかね?」
何か作ろうか?
その言葉にハッとして咄嗟に言葉が口をついて出た。
「俺も、俺もやる!」
***
「ほら、それだと手を切るぞ。手は、こう。」
お揃いのエプロンを付けてキッチンに立つ。
玉ねぎの皮を剥き、縦半分に切る。
硬いところを取り除いて薄くスライス。
ドラルクは終始背後に立ち、危なっかしい、と包丁を持つ俺の手に自分の手を添えた。
玉ねぎを押さえる手はこうだ、なんて言いながら反対の手にも手を添えられ、体はピッタリと密着する。
一人で料理をする日が来ても、このぬるい体温の事をきっと思い出してしまうんだろう。
一人で玉ねぎを切りながら、そう言えば手を添えてくれたよな、なんて思ってしまうのだろう。
──何だ、どっちにしろ、駄目なんだな。
結局、惨めに泣くのだろう。
「ふ。」
唇が震えて、声が漏れた。
「どうした若造──泣いてる!?」
「泣いてねぇ。玉ねぎがしみただけだ。」
いつ来るか分からない未来を恐れて涙が出てしまう程に、今の生活を失いたくないと──ドラルクを失いたくないと思ってしまうほどに。
いつの間に、こんなに好きになっていたんだろう。
今は所謂恋人だけれど、飽きっぽいこいつの事だからすぐに飽きてしまうのだろうと、だからいつそうなってもあばよって言えるくらいでいようと、そう、思っていたのに。
「……いったん包丁を置け。刃は向こうに向けて、そう。」
カッティングボードの向こう側に包丁を置いたのを確認し、ドラルクの細い腕がそっと体に絡みついた。
「……何を考えているか当ててやろうか?」
耳元で囁く低い声。
「私が出ていくわけないだろう?」
やれやれ、と小さなため息。
「まだ、愛し足りないかね?」
「……そんなんじゃねぇよ。ただ、料理が出来るようになったらいいなって思っただけだ。」
「ほう?まぁそういう事なら教えてやるのはやぶさかではない。ちゃんと出来るようになるまでこの私が手ずから指導してやる。だがね?私程の腕になるには相当な年月が必要だぞ?おやおや、そうなると私、当分ここにいなくてはねぇ?」
「は?お前みたいになろうなんて思ってねぇよ。」
「何を言っているのかね。それくらいにならなければ料理ができるなどとは言わさん。」
「そんなの、無理だろ……。」
「一生かかっても無理かもねぇ。だからね?」
安心しておきたまえ。
ずっと、そばにいて教えてあげるから。
柔らかい声音だけれど強い言葉。
信じてないわけじゃない。
でも。
どうしても。
──なんで、こんなに不安になるんだろうな?
「んっふふ。」
不意に聞こえたドラルクの小さな笑い声。
「……何だよ。」
「いや?私に飽きられて嫌われて捨てられる事にそんなに脅えるなんて、君って本当に私の事が好きなんだなぁって思ってね。」
「……。」
「むくれるな。」
頬に柔らかく唇が触れる。
「でもね。」
「何だよ。」
「不安なのが自分だけだと思うなよ。」
「あ?」
「私より遥かに短い生しか生きない君を愛した、私の気持ちを考えた事はあるかね?」
初めての恋愛でいっぱいいっぱいの君に、そこまで求めるのは酷だとわかっている。
君と私は違う。
考え方も、生き方も、そもそも生物としての在り方が。
私が君に飽きる?
それは君にだって言えることだろう。
いつか夢から醒めて、異性の──人間のお相手を見つけて、恋仲になって。
種を、自分の生きた証を残したいと、そう思う日が来るのではないかと、私だって不安に思う時があるのだよ。
「……夢?夢なんか見てねえよ。」
「私達からしてみれば、君達の寿命など一時の夢のようなものだよ。」
「そんな風に思ってんのかよ。」
「瞬きを一つする度に君が歳をとる、そんな感じだよ。仕方ないさ、私達は生きる時間が違いすぎる。でも。」
「でも?」
「……息を一つする度に、君の事をもっと好きになる。」
ドラルクの細い指がエブロンの隙間に潜り込む。
その手はそのまま胸元を弄り、長い舌が耳を這い回る。
「お、おい……?」
「しようよ、ロナルド君。」
「バッ…!ここでかよ!?」
「いいじゃない、愛し合おうよ。君の、そして私の不安が無くなるまで。」
エプロンの腰紐で固定されていたTシャツの裾を捲り上げ、隙間から冷たい手が滑り込む。
すくい上げるように柔らかく胸筋を揉みほぐし、指の先がその先端を撫でる。
「バッカヤロ、こんなとこでしたら」
「そうだねぇ、ここでしちゃうとここに来る度に思い出してしまうね?」
反対の手がエプロンの下──今度は腰紐よりも下──に潜る。
「お、おい!」
「わからない?刻みつけているんだよ。どこにでも私はいて、どこででも君を愛していると。」
細い指がスウェットのウエストから下へ下へと滑り降りていく。
「んっふふ、体は素直だねぇ?」
「う……。」
ドラルクの手が動く度に、エプロンのシルエットが揺らぐ。
見えない事で、手の動きを想像してしまう。
形を確かめるように肌に沿う手のひらだとか、弱い所を探り当てる指先だとか。
「ねぇ……いい?」
許しを請う甘く掠れた低い声。
「……ちょっと、だけだぞ……。」
「んっふふ。分かった。」
早くなる手の動き。
弱いところを知り尽くしたその動きに、直ぐにイキそうになる。
「ま、待て。汚れる。」
「いいよ、私が洗うんだし。」
「でも……んっ!」
「いいから集中しろ。気持ちいいかね?」
「わ、かってんだろ、……っ!!」
達した開放感と、服を汚した罪悪感。
ごちゃ混ぜの感情を持て余したままふと視線を落とせば、切りっぱなしの玉ねぎがカッティングボードの上に放置されたままな事に気づいた。
「な、なぁ、玉ねぎ……。」
「大丈夫。玉ねぎは切って放置しておく方が辛味も抜けるし栄養価も上がるんだ。」
「で、でも……。」
「ほら、ちょっと屈んで。」
「え!?まだすんのかよ!?」
「ちょっとだけちょっとだけ。」
促されるままに調理台に手を付き、少しだけ上体を倒す。
少し下げられたスウェット。
尻だけ空気に晒されてる自分の姿を思うと少し、いや、かなり恥ずかしい。
いつだったか不思議な駅で自分の尻を上から見たな…なんて思ってたら、ぬるりとぬめる指がその中央に触れた。
「……っ!!」
ぬちゃり。
小さな音を立てながら入ってくる細い指。
節が通り抜ける度に、指よりも押し広げられる感触が生々しい。
服を着ているせいか、さらけ出され触れられている所の感覚が嫌に鋭い。
「ん……ん…っ。」
押し広げる指は二本、三本と増え、立つ音もぐちゃりぐちゃりと大きくなる。
「も……っ、ドラ……っ!」
「ん?こっちも触って欲しい?」
そう言ってガチガチに屹立とした前を握り込む。
「違っ……!!」
「うんうん、気持ちいいね?」
「両方は無理だって、止めっ……!」
「うーん?やめて欲しくはなさそうだけど?」
強すぎる刺激に、脳が痺れ、膝が震える。
「ほら、ちゃんと立って。私じゃ君を支えられないよ。」
「クッソ、テメェもうとっとと挿れろよ!」
「えー?でも、ちょっとだけなんでしょ?」
「〜〜〜〜〜!!」
後ろに立っているから見えないけれど、きっとこいつは今相当腹立つ顔をしているんだろう。
──さぁ、お強請りして。
きっと、そんな瞳をしている。
獲物を嬲る絶対的強者のような瞳で、口角を釣り上げて。
「したくねぇならそう言えよ。」
「そういう訳ではないがね。君がちょっとだけと言うから。」
「白々しいんだよテメェはよ。」
後ろ手に手を伸ばしてドラルクに触れる。
エプロンを押し上げているそれに、「体は素直なのになぁ?」と悪態をつく。
それでも「私はジェントルだからね」なんてほざくから、取っておきのやつをお見舞いしてやる。
「……来いよ。」
両手で尻を掴み、左右に広げる。
きゅうきゅうとドラルクの指を加えていた穴を、内膜がめくれそうな程に広げる。
「〜〜〜!どこで覚えてきた!」
「バーカ、テメェだよ。」
ずるりと勢いよく指が抜かれ、カチャリと音がしたかと思うと圧倒的な質量に貫かれた。
「んっ!……んっ。」
「君が煽ったんだからな。」
抱き抱えるように上体を密着させながらドラルクが俺を突き上げる。
いつもより性急で激しいそれに、膝がガクガクと震える。
調理台に手をつき体を支えるが、今にも崩れ落ちそうだ。
「ロナルド君……ロナルド君。」
熱くて荒い息の中、掠れた声で名を呼ばれるのが好きだ。
それが一番、心の奥底の本音な気がする。
「……ルク…。」
「うん。」
「ドラルク。」
「……うん。」
愛してるよ。
俺も。
ちゃんと言え。
……。
不安にさせるな。
ずるいだろ、それ。
なんとでも言え。
…好き。
「んっふふ。上出来。」
動きが大きくなる。
深く。
奥へ、奥へ。
「一番奥で出したい……いい?」
小さく頷くと、ありがとう、と首筋に一つキスをして、ドラルクの動きが早くなる。
「あ、ぁ、ん……んんっ!!」
「ロナルド君……!!」
ほぼ同時に二人で果てる。
俺の中でドラルクはどくどくと脈打ち、奥の奥で欲を吐き出す。
「ごめ……めっちゃ出たかも。」
「バッカヤロ……。」
ドラルクは力尽きたようにぐったりと俺の背に体重を預ける。
触れ合っているはずなのにそのほとんどが布越しで、肌が触れているのが繋がっているとこだけ、なんて。
……やっべ、なんか、めっちゃエロいな???
目覚めてはいけない何かに目覚めそうで、ちょっと怖い。
「ふー……これ、やばいね。」
「あー……うん、まぁ…。」
「君こういうの好きでしょ。」
「お前はどうなんだよ。」
「うーん、そうだねぇ。」
料理をするためにここに来る度に、私、堪らなくなってしまうかもね?
くすくすと笑う振動が背中に伝わる。
それがなんだか可愛く思えて、
「そん時ゃ呼べよ。」
なんて言ったりして。
「んっふふ。ありがとう。でもそれはそうとして、君さ、何でいつも愛してるって言ってくれないのかね?」
私はいつもあんなに君に愛を囁いているのにさぁ。
ぐりぐりといじけたように指先で胸を弄りながらドラルクが拗ねたように尋ねる。
「どこ触りながら言ってんだよ……何か、その、好きって言う方がしっくりくるんだよ。」
「そんなものかね?……まぁいい。とりあえず風呂だな。君のお腹が心配だ。」
「……どんだけ出したんだよお前…。」
「正直分からん。」
「マジか……。」
ずるりと体温が去って、包み込まれた布の温かさにほっとする。
出ちゃうと気持ち悪いだろう?押さえてあげようか?なんて悪戯っぽく言うドラルクに、俺のケツ筋を舐めんな、と言い返す。
ドラルクの方を向けば、今の今まであんな事をしていたなんて思えない程に身なりは整っていて、でも少しだけ乱れた前髪に、そういう事をここでしたんだよな、と唾を飲む。
「どうした?」
「いや、全然顔見ずにしてたから、その……。」
「キスしたくなっちゃった?」
「わ、悪いかよ。」
「全然。」
細腕に引き寄せられて唇が触れる。
「私も、君とずっとキスしたかった。」
再び唇が重なり、舌が絡み合う。
もう少しこうしていたい、と思ったけれど、後ろの決壊の危機を察してドラルクを風呂に促す。
離した唇を撫でながら、ドラルクが小さく笑う。
「んっふふ、名残惜しそう。」
「言ってろよ……。」
自然と小さくなる歩幅。
そんな俺の手を楽しそうに引きながら、ドラルクがとんでもない事を言い放つ。
「ね、お風呂でも、する?」