──ああ、苛苛する。
身を隠すようにその体躯を縮め、瓦礫の陰で眠るロナルド君を見つめる。
その目の下には深いクマ。
血色はすこぶる良くない。
せっかく屋根のある寝床を確保出来たというのに、休まっているふうではない。
理由は明白。
日中(常闇だが)にかけられた言葉がロナルド君を苦しめている。
──お兄ちゃんは勇者様なの?
あどけない年頃の子供の、悪意のない問。
──違うけど、そうなれるように頑張るね。
そう返したロナルド君の胸の痛み。
命を共にする私にも、その痛みは伝わる。
まだ何か言いかけたその少女を、引き剥がすように連れ去った親らしき大人。
その目に浮かぶのは、嫌悪。
結局人間は、自分が理解できないものを忌み嫌うのだ。
ロナルド君が見せた神業のような射撃や、体捌き。吸血鬼を威圧する鋭い眼光。
口では感謝を述べるが、早々に立ち去って欲しいという気持ちがありありと伝わる引きつった笑み。
脅威は去って欲しい。
しかし得体の知れない奴と関わりたくない。
今しがた命を助けられたというのに、その恩人に向けてそんな感情を抱くなど、人間とはなんと罪深いのか。
──吸血鬼より余程恐ろしいな。
個々は大した存在ではないくせに、徒党を組んだ途端驚く程にその態度を変える。
勇者だのなんだの勝手に祭り上げて、期待に沿わねば罵倒する。
自らは、何もしないくせに。
──こんな奴ら放っておけばいいのに。
私がそう言っても、ロナルド君は彼らに救いの手を差し伸べる。
心を殺して。
笑みを浮かべて。
何故、こんなに身をやつしてまで──。
「……怒るなよ。ドラ公。」
うっすらと開いた瞼。
変わらずに美しい青。
「ちゃんと寝ろ。私が見張っているから。」
「……もうじゅうぶん寝た。」
「嘘つけ。」
仲間達と共に行動しろと何度言ってもロナルド君は単独行動を選んだ。
──俺にはお前がいる。
そんな風に言われてしまっては何も言い返せないが、私は存在しているだけで何もしてやれない。
仲間達なら共に戦い、例えロナルドくんが無茶をしようとしても体を張って止められるだろう。
──私にできることは、何もない。
「……居てくれるだけでいいんだ。」
「私の心を読むな。」
「そんだけデケェ声で考え事してたら嫌でも聞こえる。」
「ふん。」
実体を伴っていたとしても、私は何しろ雑魚だから何の役にもたちはしないだろう。
だがそれでも、こんな時には抱きしめて、口付けて、髪を撫でてやるくらいのことはできるだろう。
それから、あの群衆に向かって、丁寧に嫌味の一つでも言ってやれるだろう。
「起きたのなら何か食べろ。携帯食がまだあるだろう?」
「……今はいい。」
「私と君は今生命活動を共にしてるんだ。かの有名な錬金術師のようにな。君がきちんと栄養を摂らねば私の雑魚さが増すぞ?」
「分かったよ。」
ロナルド君は身を起こし、ポケットから携帯食を取りだし包装を破り、口の中の水分をしこたま奪われそうな固形食を齧る。
もそもそと動く口元。
味なんかどうでもいいとは言うが、美味くねぇなと物語る瞳。
──もう随分とまともな物を食べてないな。
実体があったなら、僅かな食料でも何か温かいものを作ってやれただろう。
そう、例えこんな携帯食しかなくとも、工夫を凝らし、もっと美味しく──。
「…腹減るからやめろ。」
私が考えていることが伝わったのだろう、ロナルド君がぶすっとふくれている。
──ふむ、その方が随分と君らしい。
勇者だのなんだの、くだらない偶像たらんとするよりも。
「食欲は生きるための大切な欲求だ。いつだって手放すな。」
「お前がそれを言うのかよ。食わねぇくせに。」
「私だからだよ。」
──誰よりも君を失いたくないのだから。
私の言葉にロナルド君が俯く。
心の声音を必死に抑えてはいるが、伝わってくる悲哀。
「私は失われた訳ではない。」
「……。」
「その心臓、返そうなどと思うなよ。」
ざわざわと塵の濃度を増し、ロナルド君にまとわりつく。
以前私の塵を見た人間がロナルド君を化物と罵ってからは、人目には分かりにくいようにしている。
その事が余計、ロナルド君の心を抉るのだろう。
──こいつはそんなんじゃない!
そう叫べば叫ぶ程、人間達はロナルド君から距離をとった。
人ではないのなら都合がいい。
勝手に吸血鬼と戦え。
万が一にでも吸血鬼を倒せたら、その後はとっとと死んでくれ。
そんな風に言う人間すらいた。
あまりの怒りに我を忘れた。
──なんと傲慢。
──なんと横暴。
この塵をその口に詰め込み、喉を塞ぎ、首を絞めあげてやろうとした。
けれど。
『ドラ公。』
柔らかな声に毒気を抑え込まれ、その声に従った。
ビリビリと耳をつんざくような罵声の中に潜んだ怯え。
幾ばくかの恐怖を与えたことで溜飲を下げたことにし、ロナルド君を促しその場をあとにした。
『──怒ってくれてありがとな。』
『君が怒らないからだ。』
『……お前が怒ってくれるからな。』
そう言ってふわりと笑ったその笑顔は、大衆に向けられるような作った笑みではないロナルド君の笑顔そのもの。
私にだけは変わらずに向けてくれるその笑顔に、そっと塵のまま触れる。
──手が、ほしい。
そうすればこの痩せた頬を撫でてやれるのに。
──腕が、欲しい。
そうすれば背負わされた重荷に耐えるその肩を抱いてやれるのに。
──唇が、欲しい。
そうすれば不条理に震えるその唇を塞いでやれるのに。
「なぁ。」
「うん?」
物思いに耽っていた私をロナルド君の声が引き戻す。
「……ちょっとだけ、いいか?」
ロナルド君が襟元を少し寛がせる。
「俺、風呂はいってないから、その、臭ぇかもしれねぇけど。」
「もちろんいいとも。」
滅多にないお強請りに、ない口角が上がる。
「……招いて。」
「……来い。」
襟元から全ての塵を滑り込ませる。
首筋を撫で、鎖骨をなぞり、腕へ、胸へ、そして更に下へ。
「んっ……。」
ざらり、ざらりと全身を撫で、襟元から口元(の塵)を覗かせ、かわいた唇に触れる。
──今回は、随分と参っているようだな。
ざり。
弱い所を強く撫でてやれば、ロナルド君の喉から小さな声が漏れる。
腕に、胸に、腹に、足に。
全てを塵で多い尽くし、手袋の隙間に滑り込む。
「……。」
ロナルド君が自分の体を掻き抱く。
そこにないものを求めるように。
「ちゃんと泣いて。」
ロナルド君はゆるく首を横に振る。
「ちゃんと、言って。」
ロナルド君はなおも首を横に振る。
「言葉にはね、ロナルド君。」
ざら、ざらと肌を撫でる。
「ちからがあるんだよ。」
ざり。
ロナルド君の首が仰け反る。
「叶えるためにはね、声に出すんだ。音を与えて、命を与えてやるんだ。」
仰け反った首を撫で上げ、唇を覆う。
「叶うんだよ。願いはね。」
見つめてくる青い瞳。
その瞳にはやがてじわりじわりと涙が浮かび、ゆらゆらと青が揺れた。
「…誰かにとっての勇者は、誰かにとっては許せない奴なんだよな。」
「俺は勇者なんかじゃない。なれない。こんな弱くて、バカで、あさましくて。」
「……昼を取り戻したい。」
「でも。」
「……。」
「……お前を、取り戻したい。」
触れたい。
お前のぬるい体温に。
聞きたい。
お前の体にある心音を。
「……キス、してぇな。」
「私も。」
──こんな、塵のままでは満足などさせてやれないしな。
そう言うと、ロナルド君の顔が赤くなった。
「可愛いねぇ。」
「……うるせぇ。」
独白の中で飲み込んだであろう言葉。
聞きたい、と思うけれど、それを言わせてはいけない。それも分かっている。
ギリギリで保っている精神が、音もなく崩れて行ってしまうだろうから。
──君は、ただの君なのに。
「ドラ公?」
「ねぇ?ロナルド君、私思うんだが。」
「何だよ。」
「氷笑卿の心臓、奪えないかなって。」
「はぁ!?」
「私がそれを失敬すれば、体が再生するのではないかと思っているんだが。」
ロナルド君の胸の中には、失われたロナルド君の心臓の代わりに私の心臓が入っている。
取り出せばロナルド君は今度こそ死んでしまう。
奪った心臓と私の心臓を入れ替えて、ロナルド君を生き長らえさせることもできるだろうが、ロナルド君の中に奴の心臓が入るなど考えたくもない。
ならば奪った心臓を私が使えばあるいは__。
「……でもそれって、その、俺達がしてる事とか奴に筒抜けになるんじゃ……?」
「んんっ、やめだ、やめ。」
ふうむ、いい案だと思ったんだが。
「そうだ。」
「今度は何だよ。」
「奴の心臓を人質にして竜大公に人工的に心臓を作らせようか。うん、素晴らしいアイディアだ。そうは思わんかね?」
「……めっちゃハードル高くないか?」
「大丈夫さ。君と私なら。」
「どこから来るんだよ、その自信。」
呆れた顔で、
「でも、いいかもな、それ」
と笑う。
「さ、もう少し寝たまえ。」
「……うん。」
ほんの僅かな幸福の時間。
その後に訪れるどうしようもない寂寥の時間。
胸の痛みはロナルド君のものか、それとも。
「このまま眠る?邪魔なら出るが。」
「……このままでいい。」
服の上からそっと私の存在を確かめ、甘えるように身をすくめ、ロナルド君は瞳を閉じた。
「……夢に出んなよ。」
「保証できんな。」
やがて聞こえてきた小さな寝息。
先程よりは幾ばくか良くなった顔色に安堵する。
道のりの先はまだ不確かだが、君の手を離したりなどしない。
どんな状況もくぐり抜け、いつだって君と共に。
共に生き、共に笑おう。
明けない夜を抜けた、その先で。