たった4センチの差で届かない物を取ってくれたり。
歩く時はさりげなく車道側に立ったり。
危うくもなく死にそうな場面でサッと手を差し伸べたり。
──随分とまぁいい男になったものだ。
初めは無理しているのがありありと分かった。
今ので良かったかのか?と一瞬考える素振りもあった。
だが今はそれらの行動がしっくりくるほどに身についている。
──ああ、面白くない。
今だって物を落とした所をサッと抱き寄せられて足に落ちるのを免れた。
落とした物がカランカランと床の上に転がるのを見つめながら、腰に回された手の温かさに僅かばかり苛つく。
死んでないななどと言いつつ私が落とした物を拾い上げて渡してくる。
「……サマになってきたねぇ。」
嫌味を込めて言ってみるが、返ってくるのは「そうか?」と嬉しそうな顔。
──相変わらず腹が立つほどに顔がいいな。
もともと顔立ちは整っていた。
それが歳を重ねた事で磨かれた。
奥行きが出たというか、色気が増したというか。
シンヨコのマダム達はもちろん、今でも若いお嬢さん方にも人気だし、言い寄られることも多いようだ。
──ありがとうございます。でも、俺、好きな人がいるんです。
断る為の嘘か、それとも本当か分からないその言葉に胸がザワついた。
ロナルド君だって年頃……はもうとうに過ぎたが、いい歳なのだ。そういう相手がいたとして何もおかしくはない。
時折、告白はしないのかと尋ねてみることはあったが、「まだその時じゃねぇな」などと言う。
5歳児にはまだ早いでちゅねぇなんて揶揄えば、容赦なく拳が飛んできた。
そうやって、行動に移さないと確認しては安堵した。
ロナルド君に想いを告げられて、断らない女性など居ないだろうから。
そんな日が来れば、私はここから去らなければならない。
嫌だ。
私は、ここに居たい。
そう自覚したのはもう随分と前だ。
賑やかしくて騒がしくて、目眩がするほどに楽しいこの毎日を手放すなど、考えただけで死ねた。
例えそうなったとしても相棒という肩書きさえあれば、仕事中はロナルド君の隣に立てるだろう。
だが。
家路につくその方向も、共に歩くのも、そして、同じ扉をくぐるのも。
全て、私ではなくなる。
耐え難い。
耐えられない。
「どうかしたか?」
「……いや?君がどんなスーツを選ぶのか少し気になっただけだ。」
「あっ!お前!また俺のひきだし開けたな?!」
「ちょっと半田くんとセロリトラップ仕掛けようとしただけだ。」
ひきだしの中に入っていたメンズスーツ特集というタイトルの雑誌。
パラパラとめくれば時折ドッグイヤーが現れた。
──ふむ。悪くない。
そのどれもが破天荒なデザインではなく、落ち着いたシックなデザイン。
ただ、どれもビジネススーツではないことは明らかだった。
誰の為の、ドレスアップ。
そんな事を考えてしまってまた死んだ。
パソコンの検索履歴を覗き見すれば、贈り物だの花束だの、見たくないものばかりが出てきた。
「……君、告白するのかね。」
そう聞いてみれば、
「……わ、悪ぃかよ。」
と、真っ赤な顔で視線を逸らした。
否定ではない言葉に、死にそうになるのをぐっと堪える。
「……まぁ、頑張りたまえ。」
「……おう。」
今日は特殊イベントだから集中したい。失礼するよと棺桶に逃げ込んだ。
棺桶の蓋にロックをかけて、静かに静かに砂になる。
ゴリラの5歳児にちゃんと告白ができるのか?上手くいくものかバーカ。
そんな言葉を投げつけようと思ったが出来なかった。
何とか思いとどまらせようとも思ったが、何も手段が思いつかなかった。
「バーカ……。」
上手くいかなければいい。
そうすれば私はずっとここにいられる。
想い人の事など過去のこととして、また今までのように面白おかしくすごせる。
腹黒い思いがぐるぐると全身をめぐる。
ロナルド君の幸せを願うなど到底できなかった。
こんなにもロナルド君の失恋を願うなど。
──随分と、大人びた顔をしていたな。
告白するのかと問うた時の、視線を逸らした赤い顔。
──大人になど、なってくれるな。
いつまでも、いつまでも五歳児のままで。
そうすればきっと、ずっとこのままでいられる。
君がもっと歳をとって、白髪のじじいになったとしても、
きっと毎日は楽しいに違いないのに。
どうして。
伴侶を得て、家庭を持って。
子供を授かって、歳をとって。
テンプレみたいな人生を選ぶのか。
今が楽しければ、それでいいではないか。
それとも、君はそうは思っていなかった?
「……。」
正面から聞いたことはなかった。
今の生活をどう思っているか?と。
少しは疑問に思ったのだろうか。
私という吸血鬼と寝食を共にしていることを。
告白へと赴く前に、ロナルド君に一度くらいは聞いておこうか。
──私との生活を捨ててしまえる程に、その人が好きなのかと。
いや、違うだろ。
そうじゃなくて。
私との生活は楽しかったか?とか、他に聞きようがあるだろう。
──はぁ、最低だな、私。
もう寝てしまおうと目を閉じたが、結局色んな思いが交錯し、ほとんど眠れないままに、ただ、時間だけが過ぎていった。
***
迎えた翌夜。
棺桶から出たくなかった。
そこに着飾ったロナルド君が居たらと思うと。
多分。
おそらく。
きっと。
ロナルド君に無様な姿を見せることになるだろうから。
しかしそんな私の気持ちとは裏腹に、コンコン、と棺桶の蓋がノックされる。
寝たふりを決めこみたかったが、続くノックの音に、
「しつこい!」
と、棺桶の蓋を開けてしまった。
「もう夜だぞ。」
そう言ったロナルド君は、あのファッション誌から抜け出してきたような出で立ちだった。
クラシカルだがモードなスーツ。
ひげもきちんと剃られ、形のいい眉も手入れされている。
もちろん鼻毛など伸びていない。
撫で付けられた銀髪。
手に持った真っ赤な薔薇の花束。
──もう、行くのか。
「分かってる。少しくらい寝坊したっていいだろう。何か困るか?」
失望と苛立ちでつい口調がキツくなる。
「……待ってた。」
そんなに、見せつけたかったのか。
告白という舞台に赴く君の背中を。
手を伸ばせば届いていた頼りなかったその背中が、私の目にどう映るかなんて気にもせずに。
「どうだ?今日の俺。」
憤死しそうだった。
どうだ?などと、私に聞くのか。
君が。
……どんな、女性なのだろう。
これだけの美丈夫から愛の言葉を囁かれるのは。
そして、どんな顔をして承諾するのだろう。
驚愕?
歓喜?
それとも呆然?
どんな表情であれ、飛び込んでいくのだろう。あの腕の中に。
断る理由なんて、あるわけがない。
ロナルド君に、告白なんてされたら。
「……するな。」
「え?」
「告白なんて、するな。」
「は?何だよ急に。」
「するなって言ったらするな!」
「……何で。」
「私は、今の、ままがいい。」
ああなんて女々しくて。
無様。
「今の……まま?」
きっと今、私は酷い顔をしている。
寝不足もそうだが、それ以上に醜い感情が浮かんでいるに違いない。
「そうだ。君との毎日は楽しい。それを失うなどまっぴらだ。」
「……今のままじゃなくなるのか?」
「はぁ!?バカか君は。君が告白したら私がここに居座るわけにはいかんだろう。」
私の言葉にロナルド君の表情が曇る。
「出ていく…のか?」
「当然だ。」
「じゃあ、告白しない。」
「は!?」
ロナルド君はそう言うと立ち上がってジャケットのボタンを外し始めた。
「何のつもりだ!せっかく告白すると決めたんだろう!何故そんなに簡単にやめようとするのかね!君の気持ちはそんなに軽いものなのかね!?」
「軽くなんかねぇよ!俺が今日までどんだけ悩んできたと思ってんだ!」
「知るか!」
「大体なぁ、するなって言ったり簡単にやめるのかって言ったり、結局お前は俺にどうしろって言うんだよ!」
どうして欲しいか、なんて。
決まってる。
「とっとと告白して玉砕しろ。」
そうだ。
そうなれば何の問題もない。
私はずっとここにられるし、毎日だって楽しいまま。
「玉砕しか選択肢ねぇのかよ。」
「ないな。」
暫くの沈黙の後、ロナルド君が再びスーツを脱ぎ始めた。
「やっぱ十年後にする。」
「はぁ!?十年後だと!?君は何歳だと思ってる!完全にじじいだろ!」
「……玉砕したくねぇからな。」
「十年経ったら玉砕しないとでも?」
「んなのわかんねぇけど、努力はできるだろ。」
君はまだ、努力するというのか。
思いを寄せる、その人のために。
「今すぐしてこい。」
苛立ちで死にそうだった。
「さっきから何なんだよお前。」
奥歯がギリギリと嫌な音を立てる。
「振られて無様に泣く君が見たいんだよ私は!」
心臓がキリキリと痛い。
「は!!?」
足が、震えて。
「どこの誰かは知らんが、私の方が君を!」
指先から静かに砂になっていく。
「君の、事を。」
誰よりも、誰よりも私が君の事を知っているのだ。
誰よりもそばにいたんだ。
そう、誰よりも。
何故、奪われなければならない。
顔も知らない誰かに。
私は、こんなに。
こんなにも。
「ドラ公……?」
気がつけばぽたぽたと涙が頬を伝っていた。
「あ?あー……もしかして、お前…?」
「うるさい、黙れ。」
「嫌だ、言わせろ。」
「却下だ。」
「言うわ。」
なおも抗議しようとした私の前にロナルド君が跪く。
何のつもりだ、と言いかけた私に、薔薇の花束を突き出す。
「お前が好きだ。ドラ公。」
その言葉を理解するまでに、どれ程の時間を要しただろう。
呼吸も、瞬きも忘れ、時間すらも止まったようだった。
「なぁ、お前は?」
ドクン!
と鼓動が再開した。
思い出したかのような呼吸。
全身に酸素が回るのと同時に、血が顔に集まる。
「……は…?」
「俺が好きなのはお前だ、ドラ公。」
見上げてくる青い瞳。
嬉しそうに弧を描く唇とは対称に、少し下がった眉。
「……私には、君の大好きなおっぱいはないよ?」
「そうだな。」
「……ガリガリのおっさんだし。」
「知ってる。」
「……吸血鬼だし。」
「それがどうした?」
長い年月をかけて自分を磨き上げたのも、その精一杯のドレスアップも。
──全て私の為……?
「お前ならこの薔薇が何本あるか分かるだろ?」
分かるとも。
見るも鮮やかな深紅の薔薇の花束の、その本数くらい。
「受け取ってくれるか?」
君に告白されて、断る者などいるものか。
私はそんな風に苦々しく思っていたな。
知らない誰かに嫉妬して。
その誰かが、まさか自分だとは!
「ふ…ふふっ。」
「えっ!?何だよ!俺何かおかしかったか!?」
突然笑いだした私にロナルド君が焦る。
「ああ、すまない、君は完璧だよロナルド君。何もおかしくはない。」
滑稽。
その一言に尽きた。
──ただの思い込みで私は何度死んだ?
そう思うとおかしくてしようがない。
「謹んでお受けするよ。」
そう言って受け取った薔薇の花束は、想像以上に重たかった。
「持てるか?」
「馬鹿にするな。」
「だってお前雑魚じゃねぇか。」
「それはそう。」
花束を持つ手に、温かい手が添えられる。
「……お前、俺が他の誰かに告白するって思ってたんだな。」
「当たり前だろう?私は君の好みの対極だぞ?君こそ何でもっと早く告白しなかったのかね。」
「……お前に五歳児って言われなくなったら、告白しようと思ってたんだ。少しは、相応しくなってからじゃねえとって……。」
何とバカバカしくて君らしい。
「馬鹿だなぁ君は。」
「あ!?」
「私は、五歳児の君が好きなのに。」
薔薇越しにキスをした。
「ふぇっ!?」
「んっふふ、形はごまかせても、やっぱり君はまだまだ五歳児だ。」
薔薇の花束を一旦ロナルド君に預け、その首筋に腕を回して抱きしめる。
「んっふふ。香水とは。頑張ったねぇ?」
「……悪ぃかよ。」
「いや?それも全て、私の為だろう?」
「お前とか、親父さんとか見て研究した。」
「なるほど。いい男になる訳だ。」
少し腕を緩めて至近距離で見つめ合う。
もう一度言って、と言えば、はにかみながらも好き、と応え、私も、と言えば嬉しそうに破顔する。
こんなにもいい男なのに、なんて可愛い。
可愛さ余ってキスをした私に、ロナルド君が少し不安げな顔をした。
「……なぁ、本当に俺でいいのか?」
「何だ今更。急に弱気になるな。」
「だってよ、俺、うなじの綺麗な美少女じゃないし。」
「そうだな。」
「汗臭いゴリラだし。」
「知ってる。」
「……人間だ。」
「それがどうした?」
些細な事だ。
そんなもの。
この先それが障壁となろうとも、些細な事にしてみせるとも。
「なぁ。」
「何だね?」
ロナルド君が薔薇の花束ごと私を抱きしめた。
「お前が持てないものは俺が持つ。お前ができないことは俺がやる。」
だから。とロナルド君が言葉を続ける。
「俺が出来ないこととか、俺に足りない所を、お前に任せてもいいか?」
「プロポーズとしては50点。」
「うっ……。」
まだまだだな、とキスをして、んっふふ、と小さく笑って言い放つ。
「だって、それだと今までと同じだろう?」
クスクスと笑う私に、そうだよ、悪ぃかよ。とロナルド君が不貞腐れる。
「今のこの毎日を、俺は失くしたくないんだよ。」
「んっふふ、100点。」
え?何で?何が100点だった!??
と悩むロナルド君に、一生考えてろバーカと舌を出す。
長い間悩ませてくれたお返しだと言えば、俺だって悩んできたんだよバーカ、と返される。
くだらない毎日と変わらないやり取りの中、変わったのはほんの少しの距離感。
不思議と優越感はなく、溢れてくるのはとてつもない幸福感。
「せっかくだ、今日の夜食は君の好物ばかり作ってやる。唐揚げ、何キロ食べるかね?」
「えっ!パーティじゃん!」
こみあげる言葉と気持ちを美味しい料理とデザートに混ぜ込んでみようか。
今のこの思いを言葉にするのは容易いが、素直に言ってしまうのはほんの少しだけ悔しいから。
ロナルド君は気づくだろうか。
気づいてもいい。
今は、気づかなくてもいい。
これからも続く変わらない毎日の中で、そう遠くない未来にきっと、嫌という程にわからせてやるのだから。