灯火事務所の方で大きな音がした。
メビヤツが騒いでいる。
ロナルド君に何かあったようだ。
慌てて事務所に向かう。
扉口で両手と膝をつき、心配そうに覗き込むメビヤツに大丈夫だという真っ青な顔。血の気のない唇。
体を支える震える両腕。
何が大丈夫だ。バカ造。
若造には見えていないのだろう、体を取り巻く雑多なモノ達。
それらは影のようであったり光のようであったり、靄のようであったり様々だ。
人ならざるもの達。
またたくさん連れてきたものだ。
──あぁ、面白くない!
チッ、と舌打ちをする。
──誰の許しを得て触れているのだ。
ソレは、私のものだ!
「ロナルド君。大丈夫かね?」
声をかけ、肩に手を置く。
それだけで逃げ出す矮小なモノ達はまだ可愛げがあるというものか。
ギロリと睨みをきかせても離れようとしないモノ達は、胆力があると褒めるべきか。
──冗談ではない。
座り込んでいるロナルド君の側に膝立ちになり、背中に手を回させマントを掴ませる。
「……?」
「しっかり掴んでろ。いいな、殺すなよ。」
そう言って両手でロナルド君の頬をつつみこむ。
「飲み込め。」
唇を重ね、深く深く口付ける。
絡み合う舌先。
混じり合う唾液。
苦しそうな息。
ロナルド君を取り囲んでいたモノ達が揺らぐ。
ごくり。
喉が音を立てた瞬間、雑多な気配は蜘蛛の子を散らすように消えた。
唇を離し、そっと頬を撫でた。
「上手。いい子だ。」
汗ばんだ額に口付けた瞬間、拳が襲いかかる。
「おまっ…っ!」
ザラリと体が崩れる。
「だが楽になっただろう?」
再生しながら尋ねれば、そういえば、とキョトンとする。
「…何だったんだ?」
「君、神社とか教会とかそういった類の所で何かしたのかね?」
「あー…」
神社のお社がイタズラされていて荒らされていたのを何となく直したり、ボランティアで教会の草むしりしたり、それから…。
つらつらと重なることばを、もういい、と制する。
「お前が聞いたんだろ。」
「どうせ君の事だ、そこいらのものに声を掛けでもしたんだろう。」
「お前見てたのかよ。」
「見とらんでも分かるわ。この無自覚タラシが。」
はぁぁぁ、と溜息をつく。
何故こうもお人好しなのか。
ただでさえも見た目が良く、あらゆるものを引き付けやすいというのに。
「無闇矢鱈と神仏に手を出すな。連れ去られるぞ?」
「え?何でだよ。神様がそんな事するわけねぇだろ。」
もう一度、はぁ、と溜息をつき、ゆっくりと言葉を続けた。
君たち人間は光あるものを良しとし、暗きものは悪しきものだと言う。
光あるものが鉄槌を食らわせてもそれは試練だといい、暗きものが力をふるえばそれは厄災だという。
光あるものが何かを与えれば恩恵だと有難がるし、暗きものが手を差し伸べれば誘惑だと嫌悪する。
何故だね?なぜ人はその本質を見ようとしないのかね?
「私を見ろ若造。」
牙を見せつけるように、今にも食らいつきそうな程に大きく口を開ける。
「君の傍にいる私だって、人ならざるものだ。いつこうやって牙を剥くか分からんのだぞ?」
そんな私を見てロナルド君は柔らかく笑う。
「怖くねぇよ。お前はお前だ。」
あぁ愚かなロナルド君。
そんなだから君はあらゆるものに魅入られてしまうのだよ。
君は懐が深すぎて、他者との境界線が曖昧すぎる。
ふぅ、と再度溜息をつく。
先程のような雑魚達ならまだいい。
固有名詞や実体としてのイメージを持つような高位と呼ばれるもの達にでも目をつけられたら、それこそ厄介だ。
お祖父様に何か手立てを考じて頂くかな。
「さ、何か温かいものでも淹れよう。立てるかね?」
ロナルド君は差し出した手を取らない。
「どうした?」
少し俯いたまま、ボソボソと呟いた。
「…お前。」
「ん?」
「もし、他の奴がさっきの俺みたいになったら…やっぱ同じ事するのかよ。」
「…ロナルド君?」
姿勢を低くし、表情をうかがう。
眉間にはぎゅっとシワがより、結んだ唇は震え、青い瞳は潤んでいる。
──起きてもない事象にヤキモチとは!
緩みそうになる口元を諌める。
「ああいう対処をするのは君だけだよ。」
「…他の奴は放っとくのかよ。」
「相手にもよるがね。まぁ顔見知りなら払ってやるくらいのことはするさ。もっと別の方法でね。」
「他の方法があったのかよ。」
じゃあ何でさっきは、と言いかけた唇をそっと塞ぐ。
「君が私のお手付きだと知らしめるためだよ。」
私の言葉に、ロナルド君はキョトンとしている。
いまいち意味が伝わっていないようだがまぁいい。
「私のものに手を出したらただではおかない。そう教えてやったのさ。」
奴等にコミュニティがあるかどうかは知らんが、君に手を出すとヤバい。そんな情報が少しは伝播するるだろうと思ってね。
かえって興味をそそられる心配がなくはないが、まぁ、私の後ろにはお祖父様がいるからな。相当なバカでない限り闇雲にちょっかいはかけてこないだろう。
「…お前って、意外と色々考えてるよな。時々。」
「時々はよけいだ。何しろ恋人が怪異ホイホイだからな。おまけに肉体はゴリラだが精神は脆弱ときてる。私が知恵を絞るべきだろう?そして私は知略には長けるが肉体は雑魚だ。君がそれを補ってくれる。どうかね、相棒としては申し分ないだろう?」
そして、恋人にもね。
そう言いながら頬を撫でれば、もにょもにょと唇を唇を動かし、うろうろと視線を差迷わせる。
「今日、準備、できる?」
耳元で囁けば、うぅ…と唸りながらも小さく頷く。
ありがとう、と一つキスを捧げて手を引いて立ち上がり居住スペースへ。
風呂場へと消える背中を見送った後、スマホでお祖父様にRINEを送る。
直ぐに返ってきた〇のスタンプ。
ありがとうございますと返信し、アプリを閉じた。
暫くスマホの黒い画面をただ見つめていた私に、ジョンがどうしたのかと小首を傾げる。
ジョンを抱き上げてキスをして、内緒話をするように小さな声で語りかける。
私にはお祖父様がついている。
という事は必然的にロナルド君もその庇護下にある。
その事にあの若造は気づいていないのだろうと思ってね。
あぁ、気づかなくていいんだよ。
威を借るような人間ではないがね。
まぁだからこそ我が一族の皆がロナルド君に好意的であるのだがね。
「ま、私のものだけれどね?さぁジョン、何が食べたいかね?」
ジョンのリクエストに耳を傾けつつ、いつもより時間のかかっている風呂場に視線を送る。
ロナルド君は私のもの。
それは揺るぎない事実だ。
ただ、もう少し自覚を持ってもいいかもしれないな。
ロナルド君は竜の──いや、竜達のお気に入りなのだという事を。