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    68_nemui

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    68_nemui

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    新刊出だし 変わるかも

     元々、神やら天使やら悪魔やらを信じる性質ではなかった。
     だが丸っきり否定している訳でもない。もし実際にそういうものを目にする、もしくは存在しているという明らかな証拠があるのならば信じてもいい。だがそれがないから信じていない。それだけのことだった。

     たかだか二千円程度の商品券で釣られた自分が馬鹿だった、と頭を殴る。指の関節と頭蓋骨がぶつかって鈍い音が鳴り、打ち付けた場所を中心にしてじんわり痛みが広がっていく。ますますこの状況が馬鹿らしくなってきて、とうとう堪えきれずに大きなため息が一つ漏れ出た。
    ──ちょっと話聞くだけで二千円だぞ、ウマすぎるだろ──
     それは話を持ちかける側の台詞じゃねえだろ、と突っ込むには遅すぎた。
     わざわざ報酬まで用意されていた、怪しい話に乗るのは自分でもどうかと思う。大学の夏休みで暇を持て余していた八月の始めとはいえ、限度がある。
     友人(一応)に声をかけられてやってきたセミナーは、案の定胡散臭い何かの話をするらしい。そもそもテーマについて聞いていない。後ろめたいものを隠していると雄弁に語っているようなものだが、気付いた時にはもう、目の前の餌に食い付いて離せに離せなかった。
     ため息を吐き終わり、諦めて辺りを見回すと、入って数十人程度の小さなホールにはぱらぱらとまばらに人が座っている。七十は過ぎていそうな老婆や襟のよれたスウェットをだぶつかせた中年の男など冴えない顔が並んでいると思えば、装飾過多の真っ黒い服を着た女、学ランの男子学生までいる。年齢層がバラバラだ。だがそのいずれも正面のモニターに顔を向け、これから起こる何がしかを心待ちにしているようだった。
     何となく、嫌な予感がする。その予感も、友人に脇をしっかり固められた今、余計なものでしかなかった。
    「おい、もう始まるぞ」
     憂鬱なのを隠そうともせず天井の照明をぼーっと見つめていると、隣から肩を叩かれた。始まる、と言われても何が始まるのかすら知らないのだから、期待のしようがない。とりあえず眠くならなければいいが、と俺は顔を前に向けた。
     いつの間に入り口から入ってきたのか、ステージ──と言うにはいささか低すぎる段差に、二人立っていた。一人はスーツを隙なく着込んだ男だった。いかにもビジネスマン、という出で立ちだが、この男が講演者なのだろうか。
     そして、その横に立つそれ──紅髪の子供を自分の視界に認めた途端、周り全てが遠のいていった。
     まるで俺と紅髪を除いて、世界が見えざる指で無造作にピンチインされていくような。空間感覚が引き伸ばされて、すぐ隣にいる奴すら「自分達以外」のカテゴリに入れられて、単なる一オブジェクト、テクスチャに成り下がったような。下手くそなピント合わせみたいに、紅髪の周りからぼんやりと景色がかすんでいく。
     そうして俺が紅髪を見ている間、紅髪は何を見るでもなく目を伏せていた。
    「ああ、ロキ様だわ」
    「今日もなんてお美しい……」
    「そのお姿を拝見できるだけで、こんな俺にも生きる意味があるってもんだよな」
     紅髪に惚けていたのはどれ程だろうか、周りのざわめきに正気へと引き戻された。声を上げていたのは十人程度だったが、そのつぶやきはいずれも異様に紅髪(名前はロキというらしい)を持ち上げる、崇めるようなものばかりだった。大袈裟なくらいに恍惚としたため息が、あちらこちらから聞こえてくる。その場の空気が変わった──と言うより、支配されていた。先程感じた「嫌な予感」が的中し、思わず口角を引きつらせる。やはりここはそういう集まりなのだ。
     特に突飛な格好をしている訳でもないスーツの男と違い、ロキの姿はどうにも浮世離れしていた。目を引く紅い(色的にはマゼンタに近いだろうか)髪に、はっきりとした青のメッシュが入っている。光沢のある黒い生地に金の刺繍が入ったローブを身にまとい、髪と似た色の紅と青の瞳を開いて立っていた。全くの無表情で、今どのような心持ちでここにいるのかは伺い知れない。まるでファンタジー小説の登場人物がそっくりそのままここに現れたようで、身も蓋もない言い方をすれば、コスプレじみていた。片目を隠す鮮やかな頭髪も、もしかしたらウィッグか何かなのかもしれない。
     フローリングと白い壁紙のホールに存在しているだけで、何だかおかしく見える。だが、逆に異物なのはこちらであるような、妙な胸騒ぎも胸にあった。
    「えー、皆さんお集まりありがとうございます。本日はお日柄もよく……」
     定型的過ぎてむしろ形骸化すらしている挨拶を男が口にした。話の内容に期待はできなかったが、眠ることもできそうになかった。
     立て板に水のように口を回す男をよそに、俺はロキに釘付けになっていた。目を離そうにも、できなかった。この集まりはこの一人のためにあるのだと、本能的に感じる。まだ声すら聞いていないのに、その姿を見ただけで思った。
     見てくれは確かに美しい(注視して見ても、男女の判別ができない)が、それだけであんなに異常な感覚に陥るだろうか。その理由を考えながら、俺はロキを見ていた。
     その間、ロキと目が合っていたのは多分気のせいだと思う。

    * * *

     大方想像通りのセミナーだった。スピリチュアルな方向性の胡散臭い新興宗教のような何かを、二時間みっちり耳に流し込まれた。それでいて、終わってからほとんど内容を思い出せないのだから驚きである。
    「今日は来てくれてマジサンキュな! これ、約束の商品券。でも結構学びになっただろ? テレビじゃやってない──」
    「ああ、うん。そうだな。ありがとう」
     話を途中で切り上げ、差し出された千円分の商品券二枚をふんだくる。こういう手合いはしつこく絡んでくるものだし、早々に縁を切っておくべきだ。軽く手を振って別れた後、スマホの電話帳からそいつの名前を消した。
     そんなことよりも、俺の中でぐわんぐわん響いていたのはあのロキという子供の存在だった。セミナーが終わってからしばらく経つが、未だに心がざわついている。
     俺はあれがどういうものなのか、ほとんど知らない。あのセミナーの中で「天使」と呼称されていたのは聞こえてきたが、まあ何とも大層なものだ。しかしロキ本人に関わる部分──性質、声、趣味嗜好、性別まで、あの二時間では知る由がなかった。ロキは現れてから去るまで一度も声を発さず、何をするでもなくただ立っているだけだった。しかし、俺はロキにどうしてか惹かれている。無理やりにでもこじつけられるような理由すらないというのに、だ。
     声を聞くだけでいい。込み入った話をして仲良くなりたい。手篭めにして全てを手に入れたい──そういう動機も、俺の中には見つからなかった。
     一目見ただけで、どうしようもなく焦がれてしまう。
     そうさせるような人間がこの世にいるだろうか。もしいたとしてもそれは人間であるとは思えないが、そうは言ってもいたのだから仕方ない。ロキ様だなんだと崇められていたのも分かる、と納得するのも危ない気がする。カリスマというのは、ああいうのを言うんだろう。俺にはないものだ。
    「まあ、もう会うこともねえだろうがな……」
     ロキがあの集団の内でどういう扱いをされているのか、何となく察しはつく。いくらカリスマ性があれど、所詮は子供だ。周りの大人達にいい様に扱われ、出がらしになるまで酷使される。都合が悪くなったら追放、信者達には聞こえの良い言葉で誤魔化しておく。想像に難くないシナリオだ。どういう経緯であの集団に捕まったのかは知らないが、何とも可哀想なことだ。思えば、ロキの目は物憂げに下を向いていた(ような気がする)。もしかしたら、一人ではどうにもできない現状を嘆き、誰かの助けを待っているのかもしれない。哀れみはするが、俺には関係ない。助ける義理もない。
     それでも、あの恐ろしく整った顔は脳裏にこびりついて、今日の夢にでも出てきそうだった。
     一度深呼吸をして、自分の心に素直になってみる。ここまでどうこう考えを巡らせている時点で、明白だ。俺はあの子供──ロキが何故か無性に気になっている。そう受け入れてしまうと、驚くほど素直に胸の中へ入ってくる。我ながら面食いではないはずだし、この感情も恋愛的なものではないと思う。かと言って、では何だと言われると説明し難い。
     猛烈に気がかりなのは否定できないが、もう二度と会わないような人間のことを考えて気忙しくするなど、どう考えても無駄だ。忘れた方がいいだろう。
     落ち着かない心へそう乱暴に結論付けて、カバンの中に入れっぱなしだったペットボトルを取り出して水を飲む。二時間以上放置されていたそれは、すっかりぬるくなっていた。

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    68_nemui

    DOODLEマネロキ(のつもり) 頭のおかしいファンがロキの前でアピールする話

    ・ファン(モブ)がだいぶ喋る そして死ぬ
    ・ちょっとだけ流血描写
    ・前半マネ視点で後半ファン視点
    実体化するアンビバレンス 柔らかい陽光が雲間から差し、街の広場に影を作っている。ロキは雨が降るのではないかと危ぶんでいたが、そうはならずにひとまず安心。西に黒い雲の塊が見えるが、あれがこちらに流れてくる頃には撤収しているだろう。

    「あ……あ、あの! お会いできて嬉しいですっ! 僕、ロキ様みたいに堂々と振る舞えるようになりたくて……! えっ、いや、もちろんお歌も大好きです! っ、すみません上手く話せなくて! 色々考えてきたんですけど、いざロキ様を目の前にすると、んん、くぅ……!」
    「フン……うっとおしい。どうにでもなっちまえよ」
    「ううぅ……っ! カッコイイ……!」

     今日、今まさに開かれているのはロキの握手会だ。街の広場の一角を借り、俺とロキ、今回のために雇った数人がそこに突っ立っている──なんて簡素なものだが。前々から「少しでもファンの喜ぶことをしたい、ファンの声を近くで聞きたい」と、本人がやりたがっていた。多少の不安はあったものの、俺はロキの、あの眼にどうにも弱い。不思議に移ろう瞳で見つめられると、何も言えなくなる。そんな目でねだられてしまえば、俺は頷く他の反応を手放してしまう。もちろん、駄目なことにはしっかり駄目と言わなければいけないとは思っている。だが、今回は否を突き付けるような事柄でもないだろう。
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