黒いカレイドスコープ 随分前からこっちを見て笑う瀧のことをまっすぐ見ていられなくなった。瀧の顔なんて今まで腐るほど見てきたはずなのに。水をかぶればマシだけどいつもは変な顔で変な奴のはずなのに。なんで俺の心臓こんなにうるさいんだろ。
やめろよ、心臓。いっそ止まってくれよ頼むから。じゃないと、もう。
年明け最初の練習帰りに学校近くの神社に立ち寄った。正月を過ぎた神社は人気も少なく落ち着いていて、俺たち以外は犬の散歩にきたおじいさんしかいなかった。
「照夜初詣いったか」
「兄貴といった。瀧は彼女と?」
「ああ。元旦は家族とだけどな」
じゃあいっか。そのまま通り過ぎようとすると瀧が石階段を登り始めた。
「いかないのか」
「え、でも」
「照夜とはまだだろ」
「お?お、おお……」
タン、タン。小気味良い音を立てて登っていく背中をのろのろ追いかける。石畳に響く硬い足音をちょっと面白くない気持ちできいた。「家族」と「彼女」のつぎ。いや別にいいけど?俺んちから瀧んち遠いし、瀧が彼女たちを大切にしているのは今に始まったことじゃないし。そうやって心の奥底に黒い雫が落ちる。随分前から溜まり続けた雫は黒い水溜りになっていて、その水溜りを踏み荒らすように俺も階段を登った。
賽銭を投げて手を合わせる。隣で瀧も目を閉じ、じっくり時間をかけて手を合わせていた。念入りな参詣に何をお願いしたかと尋ねる。甲子園出場。同じだ。何も言わずに笑って拳を合わせた。
「お、おみくじまだある。ひいてくか」
元旦に兄貴とひいたおみくじは可もなく不可もない吉だった。おみくじの上書きって可能なのか考えてまた雫が落ちる。瀧はこれ何回目のおみくじなんだろ。彼女と顔を寄せ合ってお互いに笑ったりしたのかな。瀧に彼女がいるなんてそれこそ今更のことで、考えたって仕方がないことなのについまた考えてしまう。考えて考えてモヤモヤが止まらなくなる。せっかく今、隣にいるのに。
だから瀧には言わなかったけど俺は神様にもう一つ願い事をした。もちろん一番は甲子園だし、二つもお願いするなんて我ながら欲深いと思う。でもこの願いはどうしても叶えてもらわなきゃいけない。自分ではどうしようもなくて、叶わなきゃもう死んでしまいそうなほどの切なる願い。だからどうか、神様。
そんな俺の胸の中を隠してお互いのおみくじをせーので開いた。瀧は中吉、俺はまた吉。2回やって2回とも吉なら俺の今年の運勢は吉で確定なんだろうな。こっそり見たご縁の箇所には「ためらうな」と書いてあった。なんだよ。煽んじゃねーよ。瀧は何よりも大切な友達なんだからためらうに決まってるだろ。
「今年はいいことありそうだ」
「俺はまあまあかな」
「ほらここ、探し物みつかるって。この前無くしたテーピングみつかるんじゃないか?」
「もう新しいの買ったっつーの」
どうでもいいことを話しながらおみくじを結びにいく。瀧はさっさと自分の分を結ぶとすっと俺に手を差し出してきた。結んでくれるつもりらしい。自分でやるからいいと断ったのにいいからと無理やりひったくられてしまった。
「おいっ…………あ」
「失礼します、よっと」
すぐそばの石段に登って更に背伸びして。そこから結ぶ場所の一番高いところに俺のおみくじを結んだ。場所が場所なだけにその場所はぽっかり空いていて、結ばれた俺のおみくじは夕暮れの空に浮かんでいるように見えた。
「こうしとけば神様に一番に見つけてもらえるだろ」
「な、なんでそんなこと」
「ん〜、変な顔してたから、なんとなく」
またよっと声をあげて飛び降りた。こっちを見て笑う顔はやっぱり全然イケメンなんかじゃない。それなのに俺の心臓はバクバク暴走し始めていた。静まり返った正月明けの神社。怖いくらいの静けさの中でその音は耳を塞ぎたいほどにうるさい。
今日まで「それはない」と何回も否定した。ありえない、あるはずない。あってはならないと何度も何度も。それでもどうにもならなくて神様にお願いしたんだ。この気持ちを忘れさせてくださいって。瀧のことを忘れるなんてできないから、せめてこの気持ちを俺の中から消してください。じゃないともう隣にいられないから。
「帰るか〜」
「…………」
「おーい、照夜?ったく、先行くぞ〜」
でも、無理だ。その神様さえ俺を煽る。ためらうな。あらがうな。探し物はそこにある、と。数歩先で振り返って俺を待つ瀧のもとにいかなきゃいけない。一歩足を出す。強く踏み抜いた水溜りから黒い飛沫がキラキラと跳ねた。
ああ、俺は――瀧がすきだ。