オンリーミー 誕生日の朝に圭が幼馴染から手渡された一枚の紙ぺら。等間隔に波線が引かれており、やはり等間隔に書かれているのは……『なんでもする券』
「なんこれ」
「誕生日プレゼント」
「お、おお?随分古典的なのね」
動画サイトでたまたま見た古いアニメ。その主人公が母の日のプレゼントとして送っていたのを見たことがある。確か、こづかいを使い果たした上での苦し紛れのプレゼントだったような。
清峰葉流火という男は記憶喪失になってから何かと自分に依存心を示してきた。そんな男からのプレゼントが、これ。いささか不十分な代物に感じて圭が思わず訝しげな視線を葉流火に投げると。
「圭が金かけるなって言った」
どうやら過去の自分が原因のようだった。
「へえ。まぁ知らんけど。これ何に使ってもいいの?」
こくりと頷く幼馴染。なんにでもか……。暫く手の中の券を見つめたあと圭はニンマリ笑った。
「ふ〜〜ん。じゃあさ、ちょっとついてきてよ」
「どこに?」
「俺の列の一番後ろの娘んとこ!タイプなんだよね〜〜あの娘の連絡先聞きたいんだけど一人じゃ不安だからさ。ついてきてくれん?んで、できたらアシストして♡こいついい奴って!」
かわいい子が多いと評判の小手指高校で過ごす三年間の目標は甲子園出場……なんて全く興味なくて童貞を卒業することだ。シャイな自分も援護射撃があればいけると思ったのに。
「……いやだ」
あっさり断られた。ルンルン花を飛ばしていた圭がすごい勢いで眉間に皺を寄せた。圧縮された缶のようにグシャリと。
「は!?なんでも言うこと聞くんじゃないんかい!」
「ほかのなら」
「……じゃあ中学の子のこと教えてよ。俺のファンだった子とかいそうだし?初対面よりチャンスあるんじゃねぇかな」
「却下」
「はぁ〜〜!?んだよ!全然言うこと聞かねえじゃん!」
女の子紹介して。どうしたらモテるか考えて。あれもこれもお願いしてどれもこれも却下される。童貞卒業は目下最優先重要課題であり、猫の手だって借りたいのに幼馴染はちっともその手を貸してくれない。
その後、不本意ながら野球部に入部させられキツイ練習が始まり、圭はなんでもする券のことをそのうちすっかり忘れてしまった。
にねん
「誕生日おめでとう」
「あ、いつものやつね。ありがとちゃん」
渡されたのは記憶喪失になってから二回目、いや二枚目の『なんでもする券』だ。結局去年は一枚だけ、練習後にコンビニで肉まんを買ってもらうときに使っただけだった。
圭的には初めてもらってから一年が経った。その間に葉流火とのつきあい方も少しずつわかってきた。基本的にこの幼馴染は自分の言うことを聞いてくれる。童貞卒業に直接関わるお願いは無視されるが、キングオブAV鑑賞ニストの兄からの物資調達には協力気味だ。なので正直に言うと彼になんでもしてもらうためのチケットは必要ない気がする。
「……………………」
そう、いらないのだ。しかし圭は隣で忠犬の如く待っている幼馴染の眼前で見せつけるように券を一枚ちぎった。
「今度の休みひま?隣町の広い公園さ、リニューアルしたみたい。近くにはバッセンもあるし。一緒に行ってくれる?」
「行く。俺も行きたいと思ってた」
長い睫毛の影がかかった目元が小さく緩む。圭にしかわからない感情の変化。さらにもう一枚、券をもぎる。
「あと、帰り駅前の肉屋寄っていい?あそこのコロッケ食べたい」
「うん。いいよ」
葉流火の手の中に不器用にちぎられた券が増えていく。——葉流ちゃん嬉しそう。葉流ちゃんが嬉しそうだとなんだか嬉しいな。自分のための券なのに葉流火のために使っているみたいだった。へんなの。でもいっか。圭は去年の券も有効なのか後でコロッケを齧りながら聞いてみようと思った。
さんねん
今年で三回目になるそれを受け取って、圭はまず最初にど真ん中に折り目をつけた。ピシッと強めにクセをつけてその場で丁寧に切り取り、片方を大切に財布の中にしまう。毎年全部で十枚の券。でも使えるのは五枚だけ。主人が全部使っていいと言われていたけど大切なもう一人の自分にもちゃんと残しておきたかった。
隣の幼馴染は今年もじっとみつめてくる。してほしいこと、どうしよう。う〜〜んと喉を鳴らして考えた。大好きな葉流火にしてほしいこと。
去年から葉流火と恋人になった。行きたい場所には全部行ってしたいこともいっぱいした。でもまだ全然足りない。それどころか毎日毎分毎秒、葉流火としたいこと溢れてくる。
でも、圭は前みたいにしてほしいことを簡単に言えなくなっていた。
言ったら嫌じゃないかな。嫌われたりしないかな。そんなことをつい、考えてしまう。どうして昔の俺はあんなに簡単に言えたんだろう。特に一昨年の俺。券もっと大事にしろよ。
葉流火は相変わらず圭の望むことをなんでも叶えてくれた。それはずっとかわらないのに自分だけがかわってしまった。心の奥底にこんな欲深い自分がいたなんて。
たった五枚。この五枚だけ俺だけの葉流ちゃんになる。
――来年もこれくれる?
――俺のこと好きか教えて?
――どうかずっと俺を忘れないで
最後なんて自分が言えたことじゃない。それでも最近よく願うようになった。今の俺を、俺への気持ちをどうか忘れないで。智将も大切なのに。葉流火の笑顔がみたいのに。それは違わないけど願いという呪いは際限なく膨れ上がる。
「これで」
手元の五枚から一枚もぎ取り葉流火に手渡す。子供の頃から何度も二人で遊んだ公園。すっかり葉桜になった桜の木のしぶとく残った台から花びらが一枚飛び立つ。
「葉流ちゃん、キスして」
ねえ、土に還るその前に最後に俺の気持ちを隠してよ。
花びらが地面に落ちるより先に葉流火の唇が圭のに触れた。
「大好きだ、圭。この先もずっと。誕生日おめでとう」
「うん、ありがと」
唇が離れる。ふいに逸らした視線の先に落ちた花びらが見える。生い茂りつつある新緑の影が圭をひっそり隠してくれた。