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    この人生の全ての誤り
    zfsn モブサンの軽い描写有/ 現代不思議特殊設定 / 新刊の進捗報告(サンプル公開) / 短編集110ページまで書けました

    この人生の全ての誤り(現パロ・不思議設定)





    「昨日は眠れました?」
    「まあ、」
    そうやって聞けば、カメラの前だというのに緊張もしていない様子でゆったりと座っている目の前は男が。
    「それなりに」
    と答えて、こちらを向いた。
    そうすると、なかなか日常生活では目に掛からない真っ青な目と視線があって、僕はなんだか恥ずかしいような気持になって、つい、目を逸らしたくなってしまう。
    「緊張しています?」
    「緊張は、そんなに」
    さすが、というべきかギリギリまで悩んでから、僕は結局、
    「それは、よかったです」
    などという変な立ち位置からの言葉を選んでしまった。
    いつも通りの仕事をすればいいだけなのに、むしろ今日は僕の方が緊張してしまっている気配があった。
    なぜなら、これは久しぶりの大仕事で、そしてきっと、ここまでの知名度、・金額・期待が集まった仕事をすることはこの先ないと思えるくらいに。
    そのくらいに、大切な仕事だったからだ。
    「それじゃあ、ここから色々、掘り下げたお話を聞かせてください。話せる範囲で結構ですので」
    撮影前にも話したことをもう一度伝えると、彼は小さく頷いて理解を示した。行動の後で目線だけが僕の横にあるカメラへとそっと向く。
    この金色の髪が、ライトの下に立つのはいつぶりなのだろうかと僕は考えている。少なくともあの頃の彼は、こんな小さなスタジオの安い光を浴びていていいような存在ではなかった。
    「じゃあ、改めて、お名前を教えてください」
    「……サンジです」
    「それは……本名、ですよね?」
    「……まあ」
    「一応聞きたいんですけど、こういう作品に出るにあたって、偽名を使おうとかは思わなかったんですか?」
    いつもは緊張した初々しい顔ばかり相手にしているから。昔から一方的に知っている、演者としての経歴で言えばはるかに格上の相手を前に、僕は自分が思うよりもずっと緊張していたらしい。別に、聞かなくてもいいだろうことを、口走ってしまっている。
    「だってなァ、今更……、みたいな?」
    怒られたらどうしよう、とか。機嫌を悪くしてしまったらやりにくいなと考えていた僕に、向けられたのはむしろ微笑みだった。それは、寂しい独り笑いではあったのだけれど、彼がそれなりの覚悟を決めてここにきたのだということと、そして、そのくらいで腹を立てるような人ではないことを証明するには、充分な表情だった。
    「今更、隠せることじゃねェのかなと思って」
    彼の言うことは、一理あった。だからこそもっと、話を聞きたくなってしまう。
    僕たちの目的はこの先にしかないというのに、この、お互いのことをなにも知らない時間を。もう少し楽しみたい、とかそんな馬鹿げたことを考えている。
    二人の終わりがどうなるかなんて、最初から決まっているというのに。
    「……なるほど。じゃあ次は、年齢を教えてください」
    「今年で十九になる」
    「じゃあ、まだ」
    「十八歳」
    あの頃から、どのくらい経ったのか無意識的に数えようとする、僕の目の前で。
    「最後にテレビに出たのが、十一歳の時」
    彼の方から、答え合わせをしてくれた。
    その顔はずっと、うっすらと笑っている。
    自分の需要を、まるでわかりきっているのだというようだ。
    「じゃあ、あれから七年経ったんですね。その間、なにをしていたか聞いてもいいですか?」
    「あんまりなんもしてねェけど、強いていえば知り合いの店で働いていた、かな」
    彼が足を組み替える。突飛すぎなければ好きな格好で来てくれていい、という条件に、なにを思ったが彼はスーツでここにやって来た。
    確かに突飛というほどではないが、状況的にはおかしいだろうとスタッフは一旦彼の衣装のことで話し合いを始めたのだが。スタジオの隅で立ち尽くし、どこか遠くを見ていた彼の、スーツの立ち姿があまりに美しかったから。
    結局、全員がスーツ姿での撮影に同意したのであった。
    むしろその姿の方が自然に見えるから、とかなんとか言いながら。
    「お店?」
     吹き出すように、短くサンジくんが笑う。
    「……多分、あんたが想像したようなそういう店じゃなくて。普通の、街外れのレストランだよ」 
    「レストランですか。ということは、サンジくんは、料理はするんですか?」
    「……ある程度は」
    そう答えた瞬間だけ、纏っていた近寄りがたい雰囲気が和らいで。ああ、きっと、彼は料理が好きなのだと直感的に思った。
    そして、手伝っているその店も、彼にとって大切な場所なのだろう。
    「なら、得意料理はなにかありますか?」
    「シーフード全般」
    「凄いな。食べてみたいです」
    「……機会があれば、いつか、な」
    みるみる雰囲気が優しくなる。青年から、少年の部分が覗く。
    ずっと話していたいような気分になるが、時間にも撮影容量にも限りがある。
    「そういえば、会った時かなり背が高い印象を持ったんですけど、身長は何センチですか?」
    「最後に測った時は、175cmだったはず」
    「足も凄く長くて、かっこいいですよね。正直、かなり、モテるんじゃないですか?」
    「いや、あ……」
    サンジくんが首を傾げる。どう答えたら視聴者が喜ぶのか、しばらく考えて結論が出なかったのだろう。彼は、
    「どうかな」
    と言葉を続けて、それから肩をすくめる仕草をしてみせた。
    「否定しないなら、肯定と捉えますけど……それなら、かなり経験も豊富なんじゃないですか? 今までの経験人数とかって、わかりますかね?」
    空気が変わる。穏やかさの中に、張り詰めた冷たい糸のようなものを、感じるようになる。
    「大体でいいなら……二十人、くらい」
    「おお。結構、経験豊富なんですね。
    今日はこういう撮影なんですけど、正直なところ、男性とは経験は……?」
    彼が頷く。伏せたまつ毛から、知らない彼の人生の時間を感じる。
    「その歳で二十人くらいだと、初体験も結構早かったんですか?」
    「……多分、」
    「何歳くらいですか?」
    「十一」
    短く、彼が言う。
    「中一?」
    僕が、聞き返す。
    「十一歳」
    今度はゆっくりと、彼が答えて。その数字の響きに、怖さを覚えた。
    この仕事をしていれば、色んな人を、とりわけ普通の人生を歩んでいればまず関わらないような人と関わってくるわけだが。その中でも彼は、異質な存在のように思えた。
    開けてはいけない、パンドラの匣のようなものに思える。
    問題なのは僕たちはそれを、とっくに開けてしまっていることだ。
    「十一歳というのは、かなり早いですね。小学校五年生とか、六年生くらいの頃ということになるかと思いますが、お相手は彼女さんとかですか……?」
    「いや。あんまり知らない、おとなの人だったな」
    異質さが一層際立つ回答。
    掘り下げるべきか、先に進むべきか。人として、演者として、売り手として、観客として。いろんな立場の自分がぐるぐると頭を悩ませる。
    「それは、どういう、」
    悩んだ結果口から出たのは、結局は一人の人間としての純粋な疑問だった。
    僕は彼を暴きたいわけではなくて、ただ知りたかった。どうして彼が、こうして僕たちの前に現れるに至ったのかを。
    「ガキの頃、おれはずっと施設にいて。そこで、なんというか……。簡単にいえば、客を、取らされていた、みたいな感じかな」
    確かめるように、ゆっくりとサンジくんは話した。主体性と客観性を行き来しながら、あったことをできるだけフラットに話そうとする彼は、どう考えてもただの被害者だと云うのに。
    「そんなことが、あるんですか……」
    「実際にあったからなァ」
    遠くを見る、横顔。懐かしむような表情をする彼からは、とてもそんな、醜悪な思い出があるようには見えなかった。
    「里親になってくれるかもって言われて、期待して一時預かりって形で家に連れていかれたらそのまま、みたいな。
    それこそ、身体を触るだけならそれよりもっと前、施設に入った七歳の時からずっとあったし。……流石に、歳が一桁の時はまだ犯されなかったけど。
    ま、そのお陰で業界のお偉いさんに見初められて、コネでテレビに出られるようになったんだけどさ」
    その話につながるのか、と思った。この撮影が大仕事な理由。僕が彼を知っている訳。
    彼、サンジくんは幼い頃、子役としてドラマに出演して活躍していた。天使のような見た目、子供らしかぬ演技力、しっかりとした受け答え。
    大人が求めるものを全て持っていた彼は、あれよあれよと人気を博し、活躍はドラマに留まらずコマーシャルやバラエティにも引っ張りだこで、テレビで見ない日はないほどだった。
    「ドラマ、僕も見ていました」
    「ありがとう。……ありがとうでいいのか、分かんねぇけど」
    「サンジくんは、テレビの仕事は好きだったんですか?」
    「ああ〜……好きってこたァなかったけど、嫌いにはなれなかった、かな。
    この道でならいずれ一人で生きていけるんだって思ったし。そっちの仕事で金稼げるようになったからか、忙しくなったからか、夜な夜な見知らぬクソショタコンどもの相手も、しなくてよくなったから」
    この道にたどり着いた人間に、まっすぐな人生を歩んで来られた人は殆どいない。
    強姦の経験がある。家庭内に暴力があった。貧困の中で育った、など
    だから、彼がこの仕事のオファーを受けたと知った時も、その人生に紆余曲折があったことを予感していたけれど。
    それが、あの脚光を浴びるずっと前から続いていたと思うと。どうしても、三秒で泣ける、と言われていたあの小さい子供が流していた涙のことを考えてしまう。
    あの子は、当時、何を思って泣いていたのだろう。
    「演技などとても素晴らしかった印象があるのですが、機会があれば、芸能界に戻りたいとは、思いますか?」
    「全く思ってないな。それに、ンなこと少しでも思っていたら、こういう仕事受けねェだろ」
    「いえ、今は、アダルトビデオの仕事を足掛かりに、一般向けでもモデルやタレント、インフルエンサーとして活躍している方も多いですよ?」
    立場的にそうは言ったものの、僕は彼の言葉に納得していた。きっと、彼も僕の胸中を察していたのだろう。
    「そうかもな」
    と言って、少し、呆れたように笑った。
    なんというか、話せば話すほどに不思議に思える人だった。粗暴なようで、どこかにずっと気品がある。子供のように振る舞ったと思えば、年齢よりもずっと大人であるような顔をする。
    どこかが歪で、きっと何が決定的に欠けていて。
    だからこそこんなに、美しいのだと思った。
    「それじゃ、ええと……」
    「ん?」
    「なにか、スポーツとかはやっていましたか?」
    「ちゃんとならったものは、ないな」
    「ペットは飼っていますか?」
    「家が飲食店だから、」
    「ああ、それだと難しいですね。それから、」
    「それから……?」
     彼が首を傾げる。瞳がまっすぐ、こちらを見ている。
    「なんで、アダルトビデオに出ようと、思ったんですか?」
    これまでの共演者に尋ねてきた答えが脳裏にチラつく。
    断りきれなくて、えっちが好きだから、なんとなく、面白そうだと思って、有名になりたくて、誘われたから、興味があって。
    彼が息を吸う。この部屋にいる誰も彼も、いつのまにか彼の言葉に聞き入っていた。たった数時間しか交わることのない人生なのに、本当に彼のことを、知ろうとしてしまっていた。
    「おれはさ、とにかく、金が必要なんだ」
    サンジくんがため息を吐く。タバコの煙を吐くみたいに清潔に、吐かれた息はたちまち消えていってしまう。
    「芸能界に居られなくなった理由が理由だろ? CMもなくなって、出演ドラマも放送中止。バラエティも急遽出演シーンを全部カット。
    そんなんだから、いろんなところに迷惑かけて、損害出しちまってさ。いわゆる、違約金ってやつが発生したんだ。
    つまりは、栄光から一点、莫大な借金背負わされたってこと」
    理由が、理由。言われなくても、ここにいる全員がきっと、その理由ってやつを知っていた。
    突如として世界に現れた天使みたいな子供は、突如として世界から姿を消した。
    週刊誌に掲載された、彼の、未成年喫煙の現場を押さえた記事ひとつのために。
    「流石におれも、今ならガキの交わした契約にそんな効力がないことはわかる。それに、契約の主体はきっと事務所……おれの場合は入っていた施設なんだけど。そこが、本来責任を負うもので、本人が背負わなくてもよかったんじゃないか、と思うんだけどさ。
    まあ、当然わかんなかったわけだ。だってまだ、十一歳だったんだぜ?」
    こういう世界にずっといるのだ、泣きを見た人間だってごまんと目にしてきた。大人だって、契約の意図を理解せずに後から困った、こんなはずじゃなかった、知らなかった、わからなかった、と涙を流す人もいる。
    生育や環境や、知能や注意力、若さ、さまざまな理由で人間の人生は想定されていた道を外れる。
    そして誰にも助けられないまま道を誤り続けることは、決して珍しいことではないのだ。
    「週刊誌に載った件は、あれは、どういう経緯で撮られた写真だったんですか?」
    「あ〜、あれは、確かに写真のままだった。合成とかじゃなくて、おれは本当にあの時、火のついたタバコを口に咥えた。
    見知った大人に、咥えて、って言われて。
    考えてもみろよ? 引き算覚える前から、チンコしゃぶらされてきた子どもが、そんな善悪わかるかっての」
    脳の奥の、どこかにあった記憶が蘇る。暗い写真だった。その真ん中に映る、少年の金色の髪と、唇の先の火だけが明るい、そんな白黒の写真だったはずだ。
    真っ青な目で、少年が大人たちを見ている。
    大人たちは、いつものように優しい口調で、子供に言う。
    大丈夫だよ、咥えてごらん、と。
    その一連の場面が、見たはずもないのに、鮮明に目の奥に浮かんでしまった。
    「それで、今もそのお金を返すために?」
    「いや、それはもう……っていうか、こんな話していていいのかよ? おれが思っていたインタビューと、だいぶ違うんだけど」
    「……どんなこと聞かれると思っていました?」
    「もっとこう……どこが感じるの? とか」
    「よろしければ、このままもう少し話を聞かせてください。
    ちなみに、どこが感じやすいのかも聞いておいていいですか?」
    へらり、とサンジくんが笑った。笑うと、子供の頃の面影が濃くなった。
    「こんな話誰にもしたことねェけど……、まっ、いいか。
    破格の提案してもらった恩があるからな。アンタが聞きたいならもう少し話してやるよ。
    その後で、」
    どこが感じるかは自分で探して、と。少年は言った。その言葉の選択にすら彼を追い詰めた様々なものの片鱗を感じて。僕はたまらなく、居た堪れない気持ちになっている。
    「芸能界に居られなくなった後、おれの生活はそれ以前のものに戻った。
    でも、おれは前の自分には戻れなかった。
    自分がずっと騙されていたんだって、さすがに子供でもわかったんだ。
    ひとつ気がついたら、これまで当たり前に自分を取り囲んでいたものの異質さにどんどん気がついちまって。嫌だけど従っていた色んなことが受け入れられなくなって。
    施設の奴らはおれに、金返させるためにまた色々させようとしたんだけど。……おれは、嫌で、嫌で、泣いて、暴れちまって」
    遠くで、子供の泣き声を聞いた気がした。
    部屋を模しているとはいえ、撮影用のスタジオで、外の音が聞こえてくることなど、あるはずがないのに。 
    「そしたらさァ、アイツら、みんなおれのことが嫌になったんだろうな。ある程度までなんとかならないか、あやしたり殴ったり説得したりあの手この手を使っていたんだけど。ある時急に、見捨てられたんだ。
    思いきりいいよな。使えないってわかったら、一番楽で効率的な方法を選びやがった。
    どこかのヤクザと手を組んで、おれに保険金たっぷりかけた上で殺そうとしたんだぜ?」
    なにを、どう間違えたから彼の人生があって。どこの選択を違えば、真っ当になれたのかと。ずっと考えている僕は、彼の人生に選択の余地がなさすぎることに吐き気すら覚えていた。
    「それ、で」
    「でも、おれは殺されなかった。だからこうして、生きちまった」
    死ななかったから生きるしかなくて、生きるしかないからには生きてしまったというしかない。
    そうやって生きていくしかない彼が、敢えて選んだ「生きちまった」というセリフは彼にこそ相応しいな、と。風も吹いていないのに重量の影響を受けて、さらさらと首を傾げるほうに流れる金色の髪を見て、ぼんやりとそんなことばかり思っている。
    「変なジジイがいてさ」
    ふ、と。彼の纏う雰囲気がまた柔らかくなった。
    ここにたどりついた時よりも、ずっと。料理の話をした時よりも、もっと。穏やかでたおやかに彼は、言葉を紡いでいく。
    「そいつ、元々はおれのこと殺そうとしたヤクザだったんだんだ。おれを殺して、保険金がおりるようにしなきゃならなかったのに……。バカだよな、なんでだかおれのこと、助けようとしやがった。
    それまで会ったこともねェ見ず知らずのガキに、いきなりどこか行きたいとこはねェかって聞いてきて。ちゃんと、そこに連れてってくれたんだ。
    そうやって、あのジジイはおれを匿いながら、逃げ続けた」
    「サンジくんは、その時、どこに行きたいって答えたんですか?」
    「……母親の墓。子供だったから場所もちゃんとわかってなかったのに、おれの話聞いて、調べて、本当に連れて行ってくれたんだ。
    バカだよな。そんな義理、ねェのによ」
    ぶっきらぼうな呼び方には、愛があった。騙され、消費され続けた子供が突如として出会った、嘘をつかない大人を。その時の彼は、どう思ったのだろうか。
    「親子のフリをして、追ってくる他のヤクザとか警察とか、施設の奴らからずっとおれたちは逃げた。
    色んなとこ転々として……、忙しなくて落ち着かなかったけど、でもおれからすれば永遠に続いてほしいような時間だった。
    無愛想で、無駄にデカくて、口の悪いジジイだったけど、おれを騙すようなことはしなくて、おれが嫌がることも何もしなかった。おれがなにもしなくても失望しなくて、おれがなにも出来なくても呆れないで、おれがなにをしてもじっと見つめて受け入れてくれて。そして、なぜか料理が上手くて。
    ガキだったおれはいつからか、この人が本当のお父さんだったらいいのに、って思うようになっていたんだ」
    幸福そうな顔で彼が語る。困難だらけの人生に突如現れた一つの光のことを。彼は、誇らしげに話した。
    その人生はきっとなに一つ現在も好転はしていないのだけれど。それでも、そこに一つの光があるだけで。暗い苦しい道でも、不思議と、愛せてしまう瞬間はあるのだ。
    「それで、おれたちが出会って八十五日が経った時、二人は見つかって、追い詰められた。
    おれはいよいよ終わりだと思った。
    人が、自分を本気で殺そうとしていて、死んでくれと願っていて。もう、生きていくのは無理なんだって思った、のに。
    あいつ、そうなってもおれのこと、守ったんだ……」
    サンジくんが目を伏せる。そして、その時の光景を思い出すかのように、しばらく目を閉じてから、ゆっくりと深い瞼を開いた。
    「気づいた時には、ボロボロになったジジイの腕の中にいた。
    あいつは今にも死にそうで、傷だらけで。右足なんて膝から下がぐちゃぐちゃで原型をとどめちゃいなかった。
    そうなってもジジイはおれを離そうとしなくて……今からでも普通の人生を、歩かせたいって言って……、それで、」
    「はい」
    「叶えちまった。おれが小さい頃から毎日お願いしても叶わなかったことを。神様でもなんでもない、人間のあいつが叶えたんだ。
    おれにかかった借金を全部払って、片足と幾らかの金でヤクザも辞めて。
    それからはずっと、二人で生きてきた。家族のいなかったおれにとっての、ただ一人の家族になってくれた。自分を、おれの父親だと言ってくれた。
    眩しい光の中でも、真っ暗な闇の中でもない、普通の毎日を。ずっと、これまで過ごしてきたんだ……」
    彼の言った、ずっと、という言葉の響きがいつまでも部屋の中に残り続けているような気がした。そのずっとには、永遠のようで、それでいてすでに失われたものを思わせるような悲しい響きがあった。
    「じゃあ、先ほど話されていたお金が必要だという話は、」
    「借金を返すためじゃない。これは、おれのための金なんだ」
    「君のための?」
    「そう。あの日からずっと、おれはジジイと小さいレストランをやりながら生活してきた。デカくはないけどいい店で、たまに喧嘩もしながら、割りかし二人で上手くやってきたつもりだった。
    でも、ずっとこのままでいるわけにはいかないって、分かっている。
    ジジイには夢があって、アイツの人生があって。おれが、それを台無しにした。金も繋がりも積み上げてきたものも何もかも捨てさせた。ジジイは、おれの居場所になるように、って店を作ってくれたけど、アイツにはもうなにもない。
    だから、おれはジジイに貰ったものを返そうと思った。
    おれができることなんてほとんどないけれど、返せる金だけでも渡して、好きなように生きて欲しいと思っているのに。
    おれが、店で働き出してから貰った金の一部を渡しても、アイツはそれを全部、おれの名義の口座に入れるんだ。
    おれからはなにも受け取ろうとしないし、第一、こんな調子で返していたら、きっとジジイが先に死んじまう。
    じゃあどうしようか、何かデカい金になる仕事はないかって思っていたら……アンタから連絡が来たって訳。
    だから、オファーを受けた。運命だと思った。デカい、金になる仕事で。おれにでもできることだったから」
    重ねてきた言葉が、繋がって線を描く。やっと手に入れたものを、失うために彼がここにいるのだと知った時。彼にその選択肢を提示した自分は、とんでもないことをしてしまったのではないかと思った。
    眩くもなく、けれど後ろ暗いことはない、平穏な日々。この撮影を続けることで、彼がそれを恒久に失う可能性があると知ってしまった今、僕たちはどんな選択を取るべきなのだろう。
    これまで、結果的に何人もの人生を狂わせてきた可能性があるくせに、今更怖気づいてしまった。
    自分のやっていることの、重大さ。人と人が出会うことで起こる反応の大きさに、その不可逆性に。気押されて、息が吸えなくなる。
    「あの、そろそろ……」
    編集で切られる間が生じたのを確認して、カメラの後ろにいたスタッフが声をかけてきた。はっとして足元に置いた時計に目をやると、既に、予定していた倍以上の時間をインタビュー撮影に費やしてしまっていることに気付いた。
    組んでいた撮影スケジュールはタイトではないとはいえ、これから思わぬトラブルが起きる可能性や、スタジオレンタルの時間があるのだから早く進行するに越したことはない。
    「あっ、あの、サンジさんのこと、たくさん教えてくださってありがとうございます」
    「こちらこそ、どうも。悪かったな、どうしようもない身の上話聞かせて」
    「いえ、その……」
    「なんだよ、まだ聞きたいことあンのか?」
    悪戯っぽく彼が笑う。そうする一瞬だけ、彼は見た目がいいだけの普通の青年であるように思えた。
    人は見た目ではないが、外面は内面の一番外側であることもまた事実だった。数奇な人生を送っている人間は、それを隠し通すことができない。仕草が、雰囲気が、においが、眼差しが、振る舞いが、生育の奇妙さを人に嗅ぎ取らせる。
    けれど、今この瞬間の彼からは、そういうものは感じないのだ。
    それは多分、サンジくんがほんとうのさいわいを手にしたからなのだと思った。
    そして僕が、それを今から壊すのだ。
    「折角だから、最後に一個だけ、なんでも答えてやるよ。
    話してみて気付いたけど、おれ、オマエのこと結構好きみたいだからさ」
    好き、という言葉は甘く聞こえた。一番ライトな、承認の感情。
    「……昔、テレビで君が、演技について質問をされて。どうしてすぐに涙を流せるの、と聞かれた時に。悲しいことを思い出すと涙が出るの、って答えていたんです。
    それから、サンジくんにとっての悲しいことってなに、って聞かれて。君は、ナイショって照れたみたいに答えていたけど。 
    本当はあの頃、何を想って、泣いていたんですか……?」
    最後に聞くことではない、と分かっていながらも、聞かずにはいられなかった。
    あの日、テレビの画面の中で、美しい涙を流す君を見てからずっと。僕の心の片隅に、君がいたから。
    「お母さんが、死んだ時のこと」
    君は答える。その瞬間の君は、子供の時のような顔をしている。美しく、儚く、寂しい。天使のような、愛しい顔だ。
    「今でも、まだ、あの頃みたいに涙を流せますか」 
    「最後の質問、って言っただろ」
    ふ、と。雲間から光がさすような自然さで、彼は幼い顔から今の彼の顔へと表情をすげ替えた。
    「それに、今からおれを泣かせるのは、アンタの仕事だと思うけど?」
    彼が立ち上がる。つられるようにして、なぜか俺も起立してしまった。
    この体勢では、用意したカメラから見切れてしまって意味がなくなってしまうことはわかっていた、のに。
    「……うん。やっぱり、オマエのことかなり好きだな、って思うな」
    彼の手がこちらに伸びる。細い腕が首にまわされて、彼が頭を、俺の肩に軽くのせた。
    「だからすげェ緊張してる。わかる?」
    細い身体。白くて薄い皮膚越しに、彼の心臓が奏でる音が聞こえてきた。とくとくとく、と。忙しなく血が走る音色が、一番近くで聞こえる。
    「おれ、好きな人とするの、はじめて」
    彼が腕を離して、二人の間に距離ができる。
    それでもまだ、あのささやかで速い鼓動が腕の中にある気がして。
    「優しくしてね」
    彼が言う。まだ大人というには程遠い、少年の、子供じみた甘えた声で。
    そうして、彼は。俺にだけ見えるようにして。隠れていない右の青い目から一粒だけ、透明な涙を流したのであった。




    場所をベッドに映して、本格的な撮影が始まる。本当に後戻りできなくなるのは、どこからなのだろうと思っている僕に、躊躇なく少年はキスをした。
    「……エッチなこと、好きなの?」
    「えっちなこと、得意なの」
    瞬き。笑み。論点のずらし。緊張など微塵もしていない様子で、彼は笑う。それから、俺たちはさらに深いキスをした。
    撮影前の契約の段階で、彼の出来ること、出来ないこと、やりたくないことは確認していた。元々、彼の提示したNGは極端に少なくて。それでも、出来ないと言った幾つかのものは、到底初めての、しかも名前を出して出演するような演者にやらせるものではなかったから。実際のNGなんてないようなものであった。
    そのチェックリストを見た仕事仲間は、自己肯定感が低いんだろうとか、安売りをしているとか、自暴自棄になっているとか、彼のことを勝手に想像しては好きな言葉を並べたけど。そうじゃない、と僕は思った。
    口腔内の深いところで舌を絡めて、どろどろのキスを重ね続けながら。自分の想像が正しかったことを、確信している。
    溢れた唾液が舌を伝って彼の口腔へと流れる。彼はそれを、蜜であるかのように喉を鳴らしてこくこくと飲み込んだ。
    そういう男だった。単に、なんでも飲み込んでしまえる男で、青年で、少年で、子供だったのだ。
    そういうものをずっと与えられてきたから、そういうものを受け入れることが出来るように育った。
    ただ、それだけなのだ。
    彼はなんでも受け入れた。柔らかい男だった。よくある例で、スポンジが水を吸収するように、とあるが、そんなに優しいものではないと思った。
    彼の場合は、まるで。乾き切る前のコンクリートに、跡をつけるかのようだった。触れるもの、受け取るもの、接するもので彼はその形を変えて、形成されてきた。
    全ての成れの果てが彼だったのだ。
    そしてそのコンクリートは、もう固まってしまった。あらゆる人に傷つけられ踏みつけられた足跡を、鮮明に残したままで。
    「は、……あっ、ん」
    唇を離せば透明な糸が二人の口を繋ぎ、音もなく切れて千切れて落ちた。彼の目は潤んでいた。僕は欲情していた。たかが仕事に、感情を揺さぶられていた。
    薄い肩を抱きしめてベッドへと押し倒す。細い身体がマットレスに僅かに沈み、小さな音をたてた。
    ワイシャツのボタンを外していく。彼の身体がよく映るように身を引き手を伸ばして動作を遂行しようとしたが、彼が俺の頬にキスをしてきたのでそのまま受け入れてしまった。
    ちゅ、ちゅ、と幼いキスが頬を濡らす。無垢ではない身体が打ち明けられていく。首、喉仏、胸元、鎖骨、へそ。
    「……んん、あ、っ」
    ボタンが開かれたことで見えるようになったそれらを目でなぞってから、追うようにして指で、確認するように触れていく。
    彼の皮膚はとても薄くて、その下にある骨の硬さがありありと伝わってきた。
    リン酸カルシウム、タンパク質、コラーゲン。そういうものでこの肉体は作られていて、そこには悪意も善意も含めて他人の介在は存在していなくて。だから、君の何もかもが他人に踏み躙られたわけではない、とか。なにかそういう、どうにもならないことを思いながら、無防備な身体に柔らかく触れていく。
    シャツに隠れた胸の突起、胸骨、肋骨。
    より深く知るためにシャツを脱がせる。舌で唇を舐めてこちらを誘う彼にまたキスをする。
    すると、サンジくんは僕の内股に触れた。息が浅くて熱い。
    いつもはもっと相手のことと視聴者のこと、カメラのことを全部気にできるのに、どれもわからなくなりそうな瞬間がある。
    スタジオのライトに照らされた金髪が、眩しい。
    「えっ、」
    そして、僕たちは音を聞いた。
    舌が絡む粘液の音だけが聞こえていた部屋の中で、空気をふたつに割るようにその、電子的な音が響く。
    撮影スタッフたちが辺りを見渡して、一人が、それがスタジオに備え付けられている玄関の呼び鈴であることに気付いて、足早に入口の方へと向かって行った。
    不測の事態に部屋の中に戸惑いが生じる。としても、キスをやめたサンジくんは穏やかだった。凪いだ海のように、感情の起伏はない。
    まるで肉体の外の世界になにがあっても、自分には関係がないと諦めているみたいに。
    「ちょっと、困ります……待って、うわ!」
    扉が強引に開かれた気配がして、次に、こちらに向かう大きい足音が響いた。
    全員が固唾を飲んで、微動だに出来ない中で。
    「てめぇは」
    その人が、姿を現す。
    「どうして、こんなことばっかりしやがるんた」
    大柄な、男だった。ルーツが異国にあることを悟らせる金の髪、高い鼻、灰がかった青色の目。
    そしてその視線は、まっすぐ一人だけに注がれている。
    「……てめェこそ、なんでこんなとこに居んだよ、クソジジイ」
    「お前が人間として間違えかけてんだ、止めにきた」
    「知らねぇよ、出てけよ!」
    ずっとなににも動じていなかった彼が、取り乱して、ベッドの上にあったクッションを掴んで男に投げた。
    男は黙ってそれを受け入れて、落ちた枕には一瞥もくれずに、
    「お前が一緒に来るまで、出ていくつもりはない」
    と言う。
    「一緒には帰らねェ」
    「だったら、おれもここを退かん」
    「話のわからねえ、ジジイがよ!」
    残ったクッションを少年が投げつける。それは、彼を見つめる男の顔にぶつかったが、男は微動だにせず、またその視線も微塵も動かなかった。
    感情が見えない男に対して、サンジくんは彼を見てからずっと動揺していた。息が荒くて視線が忙しなくて、落ち着く様子が見えない。
    「帰れよ」
    「息子が間違えを犯そうとしてんのを、みすみす黙って見過ごせるわけねェだろ」
    「……おれの人生に、間違いじゃなかったコトなんて一つもねェよ!」
    投げるものがなにもないことを気づいた時、青年は腕を振り上げた。
    けれども、その手は振り上げられてから降ろされるまでの間で勢いを無くし、結局、男の胸に静かに当たっただけだった。
    男はそうする青年を、ただただ、見つめている。
    「なに一つ、正しいものなんてなかった……」
    青年は項垂れた。全身から力が抜けて、やがて、どうしようもなくなったみたいに男の胸にもたれ掛かった。
    「おれは、」
    男が言う。低い、とても優しい声で。
    「少なくともお前の前では、なにかを間違ったつもりは、ない」
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