例え姿形が変わっても -前-●◯●◯●◯
「クラさん! 俺を離してください! ここから泳ぎますから!」
「ヨ、夜ノ海、危ナイ」
「一緒に落ちるよりは! ほら島も大きく見えてきましたしって断崖絶壁すげぇな!?」
「ガ、頑張ルシマああぁぁああぁ〜」
「一回落ちしてから後で拾ってくれればいいですから!」
夜の海。
月明かりが海面を照らすその空を三木はクラージィに抱えられ飛んでいた。
因みに抱え方はほぼ垂直に浮かんだクラージィが、三木の後ろから脇下に腕を入れ胸元で組み、それで浮遊するというやり方である。
浮かび移動こそしているが、念動力を覚えたてのクラージィの浮遊は不安定であり、近くの陸地からここまでくる間に何度も危なげな場面があった。
「旅ハ道連レ世ハ情ケデス! 落チルナラ一緒ニッ」
「俺の仕事の為にそこまでしなってぇ!?」
ガクンとまた高度が下がり、靴裏が海水に浸かる、という時、三木の胸倉が掴まれた。
そのままジェットコースターのような速度で急上昇し、放物線を描くように曲がったかと思うと勢いはそのまま島まで向かっていく。
「ちょお!?」
これ着地前に減速するよな!? と希望を願うが、三木を浮かしているのはクラージィではない。どうにも反りが合わないこの吸血鬼に期待すべきではない。
五点接地か。いやそれは高所からの飛び降り方か。車のような速度で落とされる場合はどうすれば。
とにかく着地の衝撃を体の各位に分散させればいい。もう後少しで地面だ。迷っている暇はない。肩から着地してそこから転がって衝撃を——
ふわり
車の急ブレーキほどの衝撃もなく華麗なほど綺麗に減速し、気づけば三木は地面に降り立っていた。
え? と自分を運んでいた吸血鬼を見やるが、上を向いている彼とは目線すら合わない。
話しかけてもいいものか悩む事、数秒、
「ノースディン!!」
クラージィが大声と共に空から降ってきた。
「助カッタアリガトウ! ダガ一言欲シイ! 特ニミキサンハ退院シタバカリダゾ!!」
「今にも海につきそうだったものでな、そんな余裕はなかったよ」
嘘つけと思ったが、口には出さない。
クラージィがルーマニア語に切り替え何か言い、ノースディンが肩をすくめつつルーマニア語で返す。
クラージィの眉間に皺が寄り、表情が険しくなった。
その様子を見て、三木はこれは長くなるかもなと二人から視線を外した。
周囲を見渡す。
月が明るい晩とはいえ、人間の三木の目には遠くまで見えはしないし、葉の一枚一枚視認するのも不可能だ。
それでも分かる事はあるもので、ここが島の端の方に位置する事。島は緑豊かで、アスファルトは見える範囲にはない事。
そして、一軒の古い洋館が建っている事だ。
古いといったが三木に根拠があるわけではない。あの柱にあの木を使っているのはだとか、あの窓ガラスの材料はだとか、この作りは何十年前に流行しただとかいう知識はない。
テレビや雑誌で見た異人館だったり、教科書に載っていた西洋館がこんな形をしていたなという感覚だ。
そしてそんな屋敷には灯りが付いており、誰かが中にいるらしい事が分かる。
ひょっとしてここが——
「ココガミキサンノ、オ勤メ先デス!」
いつの間にかノースディンと話し終えたクラージィが紹介してくれる。
その声に反応したかのように、中からギィっと玄関の扉が開いた。
出てきたのは、二十五歳ぐらいの青年。身長は180センチほどで顔立ちはアジア系、色白で唇は薄く、あっさりしている。
青年は三木達を見て、顔を綻ばせた。
「こんばんは。声がしたので出てみて正解でしたね。どうぞ入ってください」
「イエ、私達ハコレデ。デハ、ミキサン、ヨロシクオ願イシマス」
三木が何か言う前に、クラージィは飛び上がり、ノースディンがその横に付き添うように夜空に消えて行った。
あっという間だった。挨拶をする暇もなかった。
三木は「えーと」とわざとらしく言ってから、青年に顔を向けた。
「貴方がおれ……私の雇い主のハジメさんでいいですか?」
「『俺』でいいですよ三木さん。口調も楽に。そしてハジメで合ってます。雇い主かという質問ですが……う〜ん、おそらく、多分……お金を出しているのはノースディンさんですし、僕はお世話してもらうだけっていうか……」
「金はノースディンさん竜の一族で、貴方は依頼主、理解しました。クラさんから『孤島に住む、竜の一族が後ろ盾になっている小説家の身の回りの世話をして欲しい』と聞かされているのですが、相違ないですか?」
「はい。ありません。かれこれ数年スランプでここに引っ込んでるんですけど、家事の才能が皆無で……みかねた竜の一族の方々が定期的に三木さんのような方を雇ってくれるんです。あ、立ち話もなんですし、どうぞ中に」
ハジメは身を引いて、三木を中にへと招く。
三木は軽く頭を下げ、玄関に上がる。
「あ、靴はどうしたらいいです?」
ハジメは日本語で話している。建物の作りは洋風だが、靴は脱ぐ可能性も高い。
そう思い尋ねれば、ハジメは玄関の隅、そこに敷かれたウェルカムマットを指差した
「この家の本来の持ち主の竜の一族は土足で使っていたらしいんですが、どうにも落ち着かなくて、できればそのマットに靴を脱いで、スリッパを履いてくれると助かります」
「分かりました」
今の家主の希望にそおうと決め、靴を脱ぐ。
スリッパを履くと、ハジメに「では改めて」とかしこまられた。
「今日から一ヶ月、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
ニッコリと笑い合い、ハジメはとりあえずキッチンに案内しますねと歩きだす。
その後ろをついて歩き、なかなか腹の読めない人だと思いつつ、一ヶ月同じ屋根の下、遠慮してても仕方ないかと気になっている事を聞く。
「で? 実際はどこまで家事はできないんですか? これ、俺の療養もかねてますよね」
「あ、やっぱり分かってました?」
前を向いたままだが、ハジメが笑ったのが分かる。
「掃除はある程度はできます。主にやってもらいたいのは料理ですね。ご馳走というわけではなく、三木さんの負担にならない程度の家庭料理でお願いします。後は療養に専念していただければと。あ、僕の話し相手にはなって欲しいかな」
最後のは無理にとは言いませんが。
そう笑って振り返った顔が、誰かと重なる。
その誰かが分からず、三木はズキリと痛みを覚えた頭を押さえた。
●◯●◯●◯
「ミキサン!!」
白い天井に白いカーテン。目を開けて病院だと気づき、やらかした、と呻いた。
羞恥心にうめいている場合ではない。クラさんに連絡をしなければと起き上がれば、聞き慣れた声が鼓膜を打つ。
慌ててカーテンを開ければ、気づいたクラージィが三木を見つけるなり突進してきた。
「ミキサーン! 意識アリマスネ!? 五体満足デスネ!? アァー! 頭包帯! 誰ニヤラレマシタ!? ドーンデス!!」
「クラさん落ち着いてください。そして声を小さく。ここ病院なので」
「分カリマシタ! ソレデ何ガアリマシタ?」
分かりましたは全く分かってない声量だったが、その後は普段より少しおさえてくれている。
三木は頬をぽりぽりとかき、視線を逸らすと、病院に来るハメになった出来事を話しだした。
「仕事帰り、便利モブオフ会の買い出しをして、マンションに急いでたんですよ。そこにシンヨコ名物ポンチ吸血鬼が現れまして、咄嗟に買い物袋庇ったら、すっ転んで頭打って、今です」
クラージィの顔が曇る。怒っているというより戸惑っているようだ。
「分かりますよ? 食材なんて庇わなくてもいいだろとか、すっ転んだんかいとか、言いたい事は。俺だってさっき起きて状況を把握して呆れてるんですから」
「……ミキサン、買イ物袋庇ウシテ、今、起キマシタカ?」
「はい。あ、ナースコール押さないとですかね?」
ナースコールにてを伸ばそうとするが、それよりクラージィの探るような目線が気になった。
「えっと、クラさん……?」
「ミキサン、気ニナル事ハアリマセンカ?」
「え? ええっと……入院代、とか?」
恐る恐る問えば、クラージィの眉がひそめられた。
「違う? ええっと、その、本当に、あ、謝ればいいですかね? 次からは買い物袋、見捨て……」
るんで、とはなぜか舌がもつれて言えない。
そんな三木をクラージィは気遣わしげな顔を向けていた。
「ミキサン。よ——」
「ハロー」
瞬きほどの瞬間に現れた長身の老いた吸血鬼は、クラージィの後ろに立ち、彼の口を塞ぎ、三木を赤い目で見下ろしていた。
この老いてはいるがフィジカルもメンタルにも衰えは見えず追随も許していない吸血鬼には見覚えがある。かつてシンヨコを狂乱の渦に巻き込み鬼ごっこをした竜の一族の長、竜太公だ。
そんな吸血鬼が三木をジッと見下ろし、顔を近づけてまたジッと見下ろし、顔を近づけてジッとって、近い。
三木が思わず後ろに下がれば、「なるほど」と竜太公もすっと上半身を正した。
「御真祖様! ノースディント一緒ダッタノデハ!」
そういやクラさん、今日は便利オフモブ会までノースディンと会うと言っていた。親吸血鬼だけでなく、この竜太公も一緒だったという事だろうか?
竜太公はクラージィに優しい眼差しを向け、
「ノースディンにはちょっと用事を頼んでね。それで昼の子よ」
何やら心の底まで見透かすような眼差しを三木には向ける。
「転院しよう」
「エ?」
「は?」
クラージィと三木は疑問符ごと、御真祖様のマントの中に吸い込まれていった。
●◯●◯●◯
「そんな感じで、気づいたら竜の一族の息がかかった病院にいて、個室に突っ込まれて、あれよあれよといううちに友人やら弟まで賛成して、退院したらココで働く事が決まってました」
「それは大変だったね〜」
一夜経っての朝。
三木が作った簡単な洋食のモーニングを食べながら、二人は世間話をしていた。
世間話といっても共通の話題すら手探り状態。
三木はココに来る経緯を、ハジメはココに暮らし始めた経緯を語っていた。
「僕は小説家なんだけど、書けなくなって弱ってちょっと遠くに行きたくなってたら、竜の太公様が、『じゃあうちの別荘いく?』ってここに暮らし始めた感じだなぁ」
「竜太公らしいですね」
じゃあ、で別荘を貸せるのも、こんな孤島に別荘を持っているのも。
食べ終わり、「ご馳走様」で手を合わせたところで、ハジメに質問する。
「昼ごはん、希望あります? 食材揃ってるんで、大抵はできますよ」
「あ〜、おにぎりとお味噌汁お願いしようかな」
「おにぎり」
「うん。おにぎり。具はお任せで……って言ったら手の込んだ物つくりそうなので、冷蔵庫に入っていてたいして調理しなくてもいいもの縛りで。夜はそうだな。焼きそば食べたいな」
「……では掃除を……」
「別にピカピカにする必要はないし、毎日掃除する必要もないからね? お互い大人でそんなに汚さないしさ、三木さんは療養も兼ねている事を忘れないで」
「…………」
「まぁ騙し討ちみたいな形でココにきたとしてもさ、働きすぎのきらいがある三木さんを、みんな、心配してるんだよ」
「それはそうなんでしょうけど……」
「けど?」
ハジメにジッと見つめられ、喋りすぎたと三木はニッコリと笑い席を立つ。
「療養には散歩もいいですし、皿を洗ったらちょっと外を歩いてきますね」
皿を運びだした三木に、ハジメはそれ以上、何も言わなかった。
●◯●◯●◯
「——という事で、兄ちゃんの弟である俺が仕事先全部に説明して回ったし、病院代も払ったりしたから、何の憂もなく行ってきてね」
竜太公が用意してくれた病院の個室、そこのドアが開いたかと思ったらつかつかつかと歩み寄ってきたノゾミに告げられた言葉に、三木はえ? え? と混乱する。
因みに、「という事で」が第一声だ。
「待て、待ってくれ、ノゾミ」
「待たないよ。退院して下手に家に戻したら勝手にまた仕事するでしょう? 今回ばかりは一ヶ月、クラージィさん達が用意した仕事をゆっくりやってきて」
「でも」
「でももへったくれもない」
「いやでも」
「いやでももへったくれもない」
「いやでもあの! 仕事にかこつけた療養だよな?」
三木がなんとか言い切ると、ノゾミはとてもよい笑顔を顔に貼り付けた。
あれ? なんかこれ、すげぇ怒ってね?
三木が冷や汗をだらだらと流す。
「兄ちゃん」
「はいっ」
ベッドの上で素早く正座すると、ノゾミは盛大にため息をついてから、真っ直ぐに見つめてきた。
「一ヶ月、頑張ってね」
じゃあと、ノゾミは帰っていった。
●◯●◯●◯
島で生活をはじめ、一週間が経った。
朝、昼、晩の食事の用意と、後は簡単な掃除だけで、三木にしてはダラダラと過ごしている。
初めの二、三日は無理やり仕事を探そうとしたが、ハジメに見つかったり先回りされてしまった。彼の「療養なんですから」という声にどうも逆らえない。声というより話し方が安心し、誰かに似ている気がするのだが、思いだせなかった。
そんなわけで、本を読んだり散歩をしたりと、三木にしてはダラダラと過ごし、一週間という短い期間でハジメとそれなりに仲良くなっていた。
「あ、ハジメさん、今日の夜は巨大料理に挑戦してもいいですか?」
「……」
リビングでコーヒーを飲んでいたハジメが停止する。
「クラさんと便利モブオフ会をよく開催してたんですけど、そこでよく作ってて、懐かしくなっちゃって」
「……いいですよ」
「クラさんみたいに上手く作れるかわからないですが、頑張りますね」
クラさんの料理食べた事あります? 和風の家庭の味も作れて美味いですよね。
そう話せば、ハジメは「凄いですよね」と笑ってくれた。その顔がなんだか悲しげに見えたが、直後に襲ってきた頭痛に見間違いだと意識の外に追いやってしまった。
●◯●◯●◯
「ミッキ〜!!」
個室のドアを開けるなり走り寄り抱きつこうとした親友をヒョイと避け——るまでもなく、べターンと床で転けた。
おい嘘だろう。転倒しないようにと凹凸に配慮された病院の床だぞ。
信じられないものを見る目で大の字に倒れたシンジを見るが、本当に何もないところで勝手に転けた。
「えへへ」
と、恥ずかしげに起き上がるシンジは、今度はゆっくりと三木が座るベッドまで歩いてくる。
「……大丈夫か?」
下手な所は打ってなかったようだが、念の為に聞けば、シンジは「うん」と頷いた。
「ミッキーってば、仕事のしすぎで隔離されるんだって?」
「隔離じゃねぇ、療養だ」
そう言い切り、「あ、違ぇ仕事」と言い直した。
シンジは声を出して笑い、「この機会にゆっくりしてくればいいよ」と言う。
「ゆっくりって言ってもなぁ」
気軽に言ってくれるとぼやけば、シンジは微笑んだまま三木を見つめた。
「仕事仕事でゆっくりした事なかったでしょ? 後で思い返せば良い思い出で笑い話になるような、そんな結末になるって信じてるから」
「なんか信頼が重いんだが?」
それになんか話が深刻すぎないか? クラさんが気を回して竜の一族使って強制休暇ってだけだろう?
そう言えば、シンジは笑って話をかえた。
●◯●◯●◯
「——さんっ!」
誰かの名を呼び、自分の声に驚いて目を覚ます。
夢の中ではスーパーの袋を持った誰かを庇おうとしていたが、起きてしまえば名前も顔も思いだせない。
頭を振って沈みそうになる気を変え、朝食を作ろうと部屋を出る。
まだ日が登る前、今日ぐらいは手の込んだ豪勢な料理にしても叱られないだろう。目が覚めてしまってと言い訳をすれば、——さんは許してくれるはずだ。
——さん?
誰、と思考の霧の中で何かを掴みかけた時、リビングでコーヒーを飲んでいるハジメを見つけた。
「……おはようございます」
早起きに驚いて声をかける頃には霧の中、掴みかけたものは存在すら霧の向こうに消えてしまっていた。
ハジメは驚いたように目を丸くした。
「おはようございます三木さん。早起きですね」
「ハジメさんこそ」
「僕は寝付けなくて」
「え!? 寝てないんですか!?」
「そうなんですよ。朝ごはん食べて少ししたら、お昼寝しようかなと……」
「じゃあすぐ作りますね」
手の込んだとか言っている場合ではない。すぐに作れて胃に優しくて体が温まるものを作ろう。
お茶漬けと焼き魚にするかと、キッチンに立った。