例え姿形が変わっても -後-●◯●◯●◯
三木さんは見た目とは裏腹に、分かりやすく素直な人だった。
だから僕に向けられた好意に気づくのは簡単だったし、僕の行動で一喜一憂する様が可愛くて愛おしくて、気づけば僕も好きになっていた。
とはいえ自分はもう四十の冴えないおっさん。
しかも恋愛経験も豊富とは言えず、自分から踏み出す勇気はなく、三木さんからの出方を待った。
そんな僕達をクラさんは見守って……くれてなかったな、めっちゃストレートに背中押しまくってたな僕のも三木さんのも……クラさんが
ガンガンいこうぜであの手この手をするものだから、ノースディンさんに、『人間の短い時間でなにを躊躇しているんだ。というかな、私との時間もお前等の相談が増えてる、どうにかしろ』って言われた事もあったな。
そんなこんなで一波乱二波乱もあり、三木さんから告白された。
白いスーツに真っ赤な薔薇を持って、え? 今、令和だよ。その格好で待ち合わせのレストランまで来たの? 半裸やマントが多いシンヨコとはいえ、それは目立つだろうという格好で。
モブを自称するくせに目立ちに目立つ中、三木さんは僕に告白してくれた。というか結婚してくださいと言われた。
正直、滅茶苦茶恥ずかしかった。
もっとこう、時代に合わせたスマートな告白の仕方があるだろうと。お互いいい歳だよと。
だけど真剣な三木さんの表情と、何着ても似合うなぁという格好良さと、惚れ抜いた弱みで、結婚はしますがお付き合い期間もください、と返事をしたのだった。
レストランにいたお客さんだったり、いつの間にかいたクラさんや神在月さんやノゾミさんだったりに祝福された。
その時、言ってくれたのだ。
『俺、金稼ぐ事しか考えてこなくて、出す出す星人で、吉田さんによく叱られますし、でも、吉田さんが一緒にいて良かったって、吉田さんの事、大事にして、常に笑ってくれるようにしますから。だから末長くよろしくお願いします』
嘘つき。
●◯●◯●◯
目を開ける前から、頬に伝うものには気づいていた。
またかと自分に呆れ、手のひらで乱暴に拭ってから目を開ける。
この生活が残り一週間をきってからは、毎日これだ。
日付が変わるまで寝付けず、寝れたと思っても数時間で目が覚めて、頬が濡れている。
目覚めてしまうともう寝られず、身を起こすと、ため息をつくと、吉田は頬を軽く叩いた。
「よし」
リビングに行き、珈琲をいれてこよう。
そのままリビングにいると、三木に気づかれてしまうから、部屋に戻ってシンヨコに帰ってからの計画を見直そう。
『ハジメじゃなくて実は吉田って言うんですすよ、ちょっと呼んでみてくれません?』
なんて言って、この変身を解いてもらい、そこから実はお隣さんだったんです! 三木さん忘れてますけど! あ、写真ありますよ? 畳みかけよう。
恋人だったんですはどうしようか。
反応がちょっと分からないから、吉田として再会して、一ヶ月ぐらい様子を見よう。
また好きになってもらえるよう頑張ろう、今度は告白は僕からしてもいいかもしれない。
珈琲飲みながら細部をつめて、と思うのに、暗い部屋の中、吉田は動けなかった。
●◯●◯●◯
竜の一族が所有する孤島で一ヶ月、三木と暮らすと決めてから、三木の親友である神在月が集合住宅を訪ねてきた。
髪の毛をセットし無精髭を剃り、スーツを着た彼は、前に会った時とは別人のように見えた。
前はクラージィが、三木に漫画を借り、その中に神在月が三木に貸した漫画が一冊紛れ込んでおり、その内容が異端審問など扱う内容だった為、親吸血鬼が乗り込んできて、という騒動の中だった。あの時、神在月はノースディンの圧に負け、泣き顔や慌て顔や、奇行を連発してたので、まともな顔が記憶にないし、ゆっくり顔をみる時間もなかった。
こうして見ると、かなり整った容姿をしているのだなとぼんやり思う。
部屋に上がった彼は手土産を吉田に渡すと、「ミッ……三木の事なんですが」と緊張した面持ちで切り出した。
「……三木は、吉田さんには吉田さんの事だけを考えて欲しいと思うと思うんですけど……友達として、ありがとうございます。三木の為に選んでくれて」
「……別に三木さんの為というわけではないですよ。僕も三木さんとの思い出は大切ですし……一ヶ月と決めてますし」
孤島で暮らすのは一ヶ月と、吉田が決めた。
それ以上は三木さんを孤島に押し込むのは無理があるだろうし、それに吉田だって仕事がある。今回は状況が状況なだけに、一ヶ月、仕事を休ませてもらったのだ。
神在月はもう一度、ありがとうございます、と頭を下げると、帰っていった。
●◯●◯●◯
朝から灰色だった雲は、昼を過ぎたあたりに、とうとう雨粒を落とすようになった。
しとしとと降る雨はまだ小粒であるが、雲の厚さから降り止む様子はみえない。
「来られますかね」
三木が窓から空を見上げて呟く。
話しかけたというより、独り言のようやソレに反応するかどうか迷ったが、吉田——ハジメは、「そうですねぇ」と相槌を打った。
「天候次第では無理せずにって、電話しておきましょうか」
ハジメはスマートフォンを持っていない。三木もあの事故でスマートフォンは壊れた設定である。
この島と外部を繋ぐのは固定電話のみだ。
こんな離島にも電気が繋がっているのか、竜の一族、凄いなぁとしかハジメには思わなかったが、三木はこの島に来た当初は、海底ケーブルつながってる? あの建物、水力発電? とかブツブツ言っていた。
「まだ寝てるでしょうけど、留守電にメッセージ入れておきますね」
「あ、俺が」
「僕がしておきますよ」
ハジメは黒電話の受話器をあげる。
電話番号をジーコロ、ジーコロ、と回す。
何コール目かで予想通り、留守番電話に繋がった。
「クラージィさん? 今日で一ヶ月。迎えの予定でしたが、雨なので無理はしないでくださいね」
●◯●◯●◯
孤島に出発する数日前、集合住宅に三木の弟、ノゾミが手土産を持ち、訪ねてきた。
ノゾミは部屋に上がると、吉田が用意した座布団には座らず、正座し、床に手をつくと頭を下げた。
「この度は兄が申し訳ありません」
驚いた吉田が、謝らないでください。むしろ僕が謝らないとお兄さんを怪我をさせてしまってと必死に言う。
それでも頭を下げ続けようとするノゾミになんとか頭を上げてもらい、雰囲気を変えようと、つとめて明るく、この前、神在月が来た事を話す。
無精髭を剃り、髪をセットしてスーツを着た彼はとてもかっこよかったと語り、神在月が手土産に持ってきた果物がゴロゴロ入ったゼリーをだした。
吉田が世間話をほぼ一方的に話し、ではそろそろ、という雰囲気になった時、ノゾミが背筋を伸ばし、真剣な顔で吉田を見つめた。
「……自分の事を忘れた恋人のそばに、正体を明かせず暮らすのは、想像ができない辛さがあると思います」
「…………それはどうだろうね、案外、楽しめちゃうかも」
んふふっと笑ってみせるが、ノゾミは真剣な表情を崩さない。
「……吉田さん、兄ちゃんが自分のせいで記憶を失ったのだからとか、そんな事、気にせずに自分がどうしたいかを優先して下さい」
「……」
吉田は何も言えなかった。
ノゾミはそれ以上は何も言わず、もう一度頭を下げると、帰っていった。
●◯●◯●◯
もうす日が暮れる時間。
雨も降っているので、すでに島は暗い。
出歩くのは危険なのでやめておいた方がいい。そう三木に注意した事もあるくせに、ハジメは一人、草木が茂る道を歩いていた。
今日で一ヶ月。
この一ヶ月、辛くなかったと言えば嘘になる。
自分を知らない三木と話すのも、本当に“吉田”という存在を忘れているのだなと突きつけられるのも。
いっそ早く終わってくれと思った事も何度もあった。
だがクラージィが三木を迎えに来ると心がざわつき、雨が降りホッとした自分の気持ちになった。そんな自分に気がつき、雨の中、傘もささず外に出ていた。
外に出たからといって、あてがあるわけでも、何をするわけでもないというのに。
沈んだ気持ちをさらに落とすように容赦なく雨はハジメの身体を打ち、体力も体温を奪っていく。
ハジメは、いい大人が何をしているんだ、三木さんが心配するだろう、と大きなため息をつく。
「……帰ろ」
帰路につこうとして、気がつく。
「……屋敷、どっちだっけ?」
●◯●◯●◯
頭痛の頻度は日に日に増えていった。
それがハジメと共にいる時が多いと気がつき、彼を観察するようになった。
まず、彼はなんだか自分の身体なのに手足の動かし方や、身長に慣れていないようだった。
急に大人になった、とまでいかないが、腕を伸ばせば届く範囲でも身体を傾けて取ったり、台を使う。
それにメガネをなおす仕草をする時があり、コンタクトに変えたのかと思ったが、眼球を盗み見たり、洗面所を探してみたが、コンタクトをしている様子も、コンタクトの用品を発見する事もできなかった。
他にもまだある、料理はできないと言っていたのに、妙に詳しかったり、卵を混ぜてもらった事があるのだが、殻を割るのも混ぜるのも手つきが慣れていた。
一つ一つは細々としたものだが重なると、ひょっとしてこの人の普段の姿形は違うのではと、そんな考えが浮かんだ。
別れ際に聞いてやろうかと思っていた最終日、雨が降った。
夕方になってもやまず、ハジメと相談でもしようと彼を探すが、屋敷のどこにも姿が見えない。
彼は大人だ。
姿が見えないぐらい。
雨の日の散歩でもおかしくは、そんな事を考える前に、三木は突き動かされるように外に飛び出していた。
●◯●◯●◯
「え〜〜」
道に迷い、いつの間にか道すらなくなり、茂みをかき分けるように進む事、数十分。
ようやく視界が開けたと思ったら、目の前に広がるのは海で、いつのまにか崖の上に来ていた。
「うそぉ〜」
弱り目に祟り目。
歩くのも辛くなってきたので、いっそどこかで待ってようか。
「三木さんが気づいて探してくれるとは思うんだけど……」
とりあえず、待つにしてもこんな危険な場所ではないと踵を返した時、強風が吹く。
いつもなら耐えられる風。
だが長時間雨の中を歩いた事で足に力が入らず、ぐらりと傾いてしまった。
●◯●◯●◯
頭が痛い。
——好きになったのは、こら、と叱ってくれた時だった。
服が雨を吸い込み、重くなる。
——好きだと気づかれている事に気づいていた。脈なしかもと思った。諦められなかった。
割れるほど頭が痛い。
——クラさんに相談して、シンジにもノゾミにも相談した。なりふりかまわずノースディンさんにだって相談した。
雨のせいで視界が悪い。
——付き合えてからは、浮かれっぱなしだった。クラさんには微笑まれ、シンジには喜ばれ、ノゾミには泣かれて、ノースディンさんには呆れられた。
頭の痛さに突き動かされるようにこの一ヶ月、散歩し尽くした島を走る。
彼の名を呼ぼうとして、口がもつれる。
ハジメさんと、なぜか呼べない。
それでも彼の姿を求めて走っていれば、スイッと雨なのに蝙蝠が目の前を通り過ぎた気がした。
ほぼ反射的に方向転換し、そちらに走りだす。
この木々の間を抜ければ崖で、雨が降っている日は危ない場所だ。
嫌な予感に足を早めれば、人影が見える。
濡れている姿に過去の記憶が刺激され、心臓が痛いほどに鼓動を刻む。
頭痛に吐き気と眩暈までしてきたが、あんな危険な場所に彼を立たせておくわけにはと走り続ける。
あと数メートルという時、木々を揺らすほどの強風が吹いた。
彼がバランスを崩す。
向こう側、崖の向こうへと傾いていった。
●◯●◯●◯
死ぬ瞬間は走馬灯が見えると聞いたが、そんな事はないんだなと、傾いていく自身を冷静に受け止めていた。
あぁ、この高さでは助かりはしないだろうという思考に、声が割り込む。
「——吉田さん!!」
幻聴かもしれない呼び声が聞こえ、幻覚かもしれない手が伸びてくる。
その手に縋ろうと手を伸ばすが、あと少しで互いの手は空をきった。
あぁそんな顔をしないでとすまない気持ちになっていると、ふいに、グッと何かが身体を持ち上げた。
「え」
と思っている間に手を三木が掴み、力強い力で引き寄せてくれる。
三木に抱きしめられる視界の端で、数匹の蝙蝠が見えた気がしたが、今はそれどころではない。
「三木さん!? さ、さっき、僕の名前……っ!!」
「す」
「す?」
「すいませんでしたぁぁ! 俺が不甲斐ないばっかりに吉田さんに迷惑かけて! 俺まだ恋人ですか!? 恋人でいさせてくださいお願いします!!」
すいませんのすの時点で土下座をする三木。
映画ならキスシーンの一つでも入るところではないかなと思いつつ、まぁ僕達らしいかと、吉田は膝をつくと三木に顔を上げさせ、自らキスをした。
●◯●◯●◯
あの後、雨がやみ、クラージィとノースディンが迎えに来た。
クラージィは吉田の姿が戻っているのをみて涙を浮かべるほど喜び、ノースディンは夜空を見て「ありがとうございます」と頭を軽く下げていた。
シンヨコに帰ってからは会う人、会う人に喜ばれ祝われた。
神在月は新しく覚えたという一発芸を披露してくれ、ノゾミは嬉しそうに吉田に何度も礼を言った。
「そういえば吉田さん、“ハジメ”っていう名前、意味があったりします?」
「……」
「クラさんから、吉田さんがそれがいいって譲らなかったと聞いて……」
「……えっとね、意味というか……今考えると恥ずかしいんだけど、僕の苗字の吉田の吉、それを横に右に九十度倒してみてそしたら、口に1に十みたいになるでしょう?」
口|十
「そっからさ、その……カナエを漢字にしたら口と十で、それを引いてみたら縦線が残ってそれを横にしたら一、ハジメかなぁって……僕からカナエを引いたらって恥ずかしいっ!」
「………………吉田さん」
「はい」
「一生、大切にします」
「……僕も大切にするので、よろしくお願いします」