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    60_chu

    @60_chu

    雑食で雑多の節操なし。

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    60_chu

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    ブラッドリーが産まれて育つ話ですがほとんどモブが話してる架空の話なので架空の話が大丈夫な人は読んでください。

    #まほやく_FA
    mahoyaku_fa
    #ブラッドリー
    bradley.

    ベイン夫人が言うことには 幌越しに風の音を聞きながら今夜も降り続ける雪のことを思った。馬橇は止まることなく故郷から遠ざかる為に走っていく。どこまでも白い景色の中で私たちは揺られ続けていた。自分でどれだけ息を吹きかけても指先は暖かくならない。私たちは互いに手を擦り合ってここより暖かいであろう目的地のことを話した。誰かが歌おうと声をあげた時、体が浮き上がる感覚がして私たちは宙に放り出された。浮いている時間は一瞬だったはずだけれど空にある大きな白い月が触れそうなほどはっきり見えた。天使みたいに私たちは空を飛んで、そして呻き声をあげたのは私だけだった。
     轟音と断末魔が落下していく。馬橇がクレバスを越えられなかったのだろう。獣みたいな唸り声が自分から出たことが信じられなかった。痛みのせいで流れた涙が、すぐに凍って瞼を閉ざしてしまう。体は動かない。肌の上で融ける雪を感じながら私は自分たちの村を守護してくれていた魔法使いに祈った。それしか祈る相手を知らなかった。私は私を馬橇に乗せた人を憎もうとしてでもできなくてまた泣いた。
     ごめんなさい。小声で懺悔していると暖かいものが頬に触れて涙を融かした。瞼をゆっくり開くと柘榴みたいな瞳が私を見下ろしていた。


     いち、に、さん……。鐘の音が増えるごとに私の胸は高鳴った。指折り数えているとついに鐘は七回鳴った。私はすぐに外套を羽織って広場に駆けた。他の村人達も広場に集まっている。南から来た犬橇は広場の一番目立つところで停まると大声で順番に村人の名前を呼んだ。正しくは荷札に書いてある名前を。呼ばれた村人はいそいそと彼の手から荷物や手紙を受け取る。そのほとんどは喜色満面とした笑みを浮かべて帰っていく。酒場の主人、夫が海豹猟に出ている若い妻、子供が中央の国に出稼ぎに出ている老夫婦、ちんけな商売人に村外れの寡婦の名前が呼ばれた後、凍った髭を蓄えた郵便夫は口を噤んだ。私が駆け寄ろうとすると残念そうに首を横に振る。そして、犬を撫でてやってからすぐに村を出ていった。真っ白な地面についた二本の橇の跡を眺めながら私は溜息をついた。それは白い息になって私の周囲に漂うと初めからそこに何もなかったかのように消えた。
     私は家に帰らずにそのまま仕事場である酒場に向かった。扉の鐘が鳴るのに反応して背の低い主人が振り向く。私の表情を見てすぐに察した様子だった。かわいそうにと肩を抱きながら椅子代わりの樽に座るよう促してくれる。
    「きっと中央の国で楽しくやってるさ。便りが無いのがいい便りって言うじゃないか」
    「そうね」
     何度したかわからない会話をまた繰り返す。年子の妹が中央の国に奉公に出てから三年が経とうとしていた。彼女は何事もなければどこかの貴族の屋敷で下女として働いているはずだった。屋敷についてから送ると言っていた手紙はまだ来ていない。
     私は妹が私を憎んでいることを祈っていた。本当は屋敷に行くのは私だったのだ。生まれつき体が弱かった妹は子供の頃にかかった熱病のせいで髪が栗色と白の斑になってしまっていた。それを見咎められて奉公人に選ばれなかったのを、私が髪を染めさせて半ば無理矢理送り出したのだ。身寄りも金もない私たちにとって違う国で暮らせる最初で最後のチャンスだった。過酷な北の国よりは中央の国の方が妹が元気でいられると考えて勝手に下した決断に妹は最後まで反発した。いつでも姉さんと慕ってくれた妹に頬を打たれた時には、自分そっくりな顔が泣きながら怒る様を呆然と眺めているしかなかった。それでも妹は出発の直前に抱擁しながら手紙を送るねと耳元で囁いた。涙声だった。私も泣きそうな声で待っていると応えたのだ。そのことを忘れようとしながらもできないまま月日だけが徒に過ぎている。
     突風が吹いて扉が軋みながら開いた。鐘がうるさく鳴っている。客が扉を閉めないからだった。寒さと風が私と主人しかいないフロアに満ちる。
    「悪いがまだやっていないんだ」
     主人が迷惑そうに告げると客はにやりと笑って言い返した。
    「悪いが客じゃねえ。そこの姉ちゃんに用があるんだ。だが、酒はいただこうか」
     客人ではないらしいそいつは服についた雪を散らしながら無遠慮に樽に腰掛ける。長身の男は黒と灰白色の斑の髪を振って頭の雪を落とす。床に落ちた雪はすぐに融けて泥になった。そいつは長い脚を組んで私をためすすがめつ見た。口元にはにやけた笑みを湛えているが柘榴色の瞳は笑っていない。酔っぱらった客に下卑た視線を寄越されることはあっても見知らぬ男にこんな風に検分されることは初めてだった。上から下までじっくり眺めると気が済んだのか男がふんと背を逸らした。すると、背負っている背嚢がもぞもぞ動いてそれからすぐにけたたましい泣き声が響き渡る。私と主人は咄嗟に立ち上がると男から距離を取った。
    「そうらお前ら苦しかっただろ」
     男は警戒心を露わにする私たちに臆することなく背嚢を降ろすと紐を緩めた。そこから出てきたのは二つぐらいの子供と生まれたばかりの赤ん坊だった。子供の方は泣きこそしてはいないものの不安そうに辺りを見渡している。
    「主人。あんたに頼みがある。酒と肉あとはこいつらにミルクと何か甘いものを持ってきちゃくれないか。これが頼み事なうちに言う通りにするのが吉だぜ」
     文句を言おうとした主人を制するように男は凄みを効かせて最後の台詞を付け加えた。両腕に赤ん坊を抱えて揺りかごみたいに軽く揺すっていなければ、気が弱い奴なら気絶するに違いなかった。あんた酒はと尋ねるのでもちろん飲めるとすぐに答えた。その声は上擦って聞けたものではなかった。男はこの姉ちゃんにも酒を頼むと厨房に向かう主人に言い足しつつも泣き続ける赤ん坊をあやすのはやめなかった。片手で赤ん坊を抱きながら器用にもう片方の手で指を鳴らす。子供が浮かび上がったかと思うと男の膝の上に乗せられる。
    「あんた魔法使いなの?」
     自然と後ずさってしまう。男は頷く代わりにもう一度指を鳴らしてシュガーを掌に転がした。急に現れる北の魔法使いに碌な奴はいない。あいつらは奪うか暴れるかしか能がない。私の心を読んだのか魔法使いは大袈裟に溜息をついてみせるとやれやれと首を横に振った。
    「あんたに言伝がある。それと渡す物もな」
     視線をシュガーを舐める膝の上の子供に向ける。父親と同じ柘榴色の瞳をしたその子供の切りそろえられた前髪の色を私はよく知っていた。息を呑むと魔法使いはテーブルにそっと縄のようなものを置いた。それは栗色と白が斑になったお下げだった。
    「あいつはこれを見せればきっと分かると言ってた」
     柘榴色の瞳が一瞬だけ濡れて伏せられた。


     風のない夜は音が消える。今夜も雪に全てのまれてしまったかのように静かだった。時々、どこかで枝から雪が落ちる音がする。四人分の呼吸音がうるさいくらいだった。
    「あいつはずっとあんたの話をしてた」
     魔法使いは懐かしむように酒場でのことが嘘みたいに穏やかな声で話し始めた。魔法使いが呪文を唱えるとどこかから白い骨壺が現れて私の腕の中に収まった。話していないと雪を踏む足音さえよく聞こえる夜だ。
    「私の為に仕事を譲ってくれたのに中央の国にいないと知ったら悲しむに決まってる。このまま連絡しなければ死んだと思って諦めるはずだ。そう言い聞かせるように何度も言ってたな」
    「そんな訳ないわ」
    「俺もそう言ってやったよ。お前に似て頑固な姉貴ならずっと待っているだろうって」
    「でも聞かなかった」
    「頑固だからな。よく似た姉妹だ」
     顔以外で他人から似ていると言われたのは初めてだった。すぐにカッとなって言い返してしまう私と違って妹は私の後ろに隠れているような性格だったから。
    「あんたのどこを妹は気に入ったのかしら」
    「さあな。でも色が混じった髪はお揃いだなんだと言って喜んでたぜ」
     私の家の前に着くと魔法使いは骨壺を受け取ってから赤ん坊を私に預けた。
    「赤ちゃんなんて抱いたことないの。怖いわ」
    「ビビるこたねえよ。頭と尻をよく支えてやればいい」
     丸い瞳をぱちぱち瞬かせて妹の娘が私を見つめていた。手を伸ばして妹と同じ栗色のお下げを掴もうともがいている。二歳の男の子の方は眠たいのか目をこすりながらも背嚢から顔を出していた。
    「そいつが産まれてから肥立ちがよくなくてな」
    「魔法でもどうにもならなかったのね」
    「生憎、そこまで万能なもんでもねえのさ」
     月を背にして立つ魔法使いの表情は陰になって窺えない。
    「もう一つ預かったものがある」
     魔法使いはおもむろに一歩踏み出すとスカーフを捲って私の額に口づけた。幼い頃、妹とよくしていたおやすみのキスだった。吹雪が酷い日や雷が怖い夜に、両親が死んでからは母親の代わりに互いの額に口づけてから眠った。堰を切ったように涙が溢れる。熱いはずのそれはすぐに凍って瞼を閉ざした。魔法使いの大きな両手がそっと頬を包む。涙が融けて流れ出す。赤ん坊が珍しそうに笑う声がした。


     喪失感で結ばれた私たちがすぐに離れられる訳がなかった。だから魔法使いが村を出る時に私もついていくことにした。村の人たちはこぞって反対したが私は耳を貸さなかった。魔法使いはベインと名乗った。
     ベインは魔法使いの子供を欲しがっていた。彼はさも当然だという風に人間は魔法使いより先に死んでしまうとぼやいた。だからもう一人の自分が欲しいのだと。私は既に自分の半身を喪ったようなものだった。そう思うと彼の願いを叶えてやりたくなった。
     人間は住めないような北の国の僻地で私たち四人は暮らすことにした。北の魔法使いらしい魔法使いだったベインは襲って奪ってを繰り返して生計を立てていた。それを仕事と呼んでいいのなら。最初は私も彼の所業に懺悔していたがお腹が大きくなるにつれてやめてしまった。罪悪感を感じるよりも子供二人の世話が大変だったのが理由の一つだ。やっと言葉を紡ぎ始めた子供と赤ん坊の世話は妊婦の私にとって容易いものではなかったが、それでも妹の俤を残す子供たちを路頭に迷わせたくないという一心で踏ん張り続けた。
     彼は私に日に一度はシュガーを与えてお腹に耳を当ててこう話しかけた。
    「さあ、未来の偉大な魔法使い。早く出て来い」
     その度に私はあと幾月かかるか教えてやった。それから二人で顔を見合わせて笑った。それがついに一になったある晩に私は産気づいた。ベインはすぐに麓の村から産婆を攫ってくると赤ん坊を取り上げるよう脅しつけた。いきなり攫われて見知らぬ妊婦を突き付けられたのに白髪をまとめあげたその産婆は二、三度深呼吸して腹を決めるとすぐに湯や清潔な布を用意するようにベインに命令した。立場逆転。そんなことにかかずらうこともなく彼は産婆の命じたものを次々に魔法で取り出す。妹もこんなに泡を食った彼を見たんだろうか。私の叫び声と産声が重なった時には空は白み始めていた。産婆は産褥の間に留意すべきことをメモに残すとすぐに歩いて帰っていった。ベインは元の村に送ろうとしたのだがこんな時に母親を一人にするなんて非常識なやつがあるかと怒鳴られてしまったのだ。それを言うなら産婆を攫ってくるなんてもっと非常識だ。でも、彼女のお陰で私たちは無事に朝を迎えることができた。
    「よくやった」
     彼は額に口づけると産着にくるまれた赤ん坊を見下ろした。目も開いていないその子は男の子だった。魔法使いなら性別は関係なくなってしまうけれど。ベインはベッドの端に腰掛けると眠る赤ん坊を慎重に抱き上げた。それから部屋の隅で怯えていた子供たちに手招きする。母親代わりの私が泣き叫び続けているのを見るのはきっと辛かっただろう。私はベッドによじ登ってきた子供たちをぎゅっと抱きしめた。
    「魔法使いじゃないが俺の子供には違いねえ」
     ベインは静かに微笑んで振り返った。そうね。私もそう微笑んで相槌を打つ。だがベインは目を見開いてそれから口元の笑みを消した。柘榴色の瞳から光が喪われる。真一文字に結ばれた口が苦しげに呼吸するようにまるで魚のように開閉すると、最後にそうかとだけ零した。生まれたての赤ん坊をそっと私の腕の中に預ける。初めて会った時のように。何も言わずに見つめ合う中で赤ん坊が欠伸をした。小さな欠伸が私たちの間の張りつめた空気を和らげる。緩んだ表情のままベインは呟いた。
    「気をつけて暮らせよ。麓の村ならきっと受け入れてくれる」
     彼は箒を取り出すと崖に面した窓を開けて飛び降りるように外に出た。暖炉の熱を全て吹き飛ばすような寒気が流れ込む。冷たい上昇気流に乗って彼はあっという間に私たちの前から姿を消した。
     お母さん、これ。不安気に袖を引く子供たちの両手に革袋がぶら下がっている。そこには一生食うには困らないであろう額の金貨が詰められていた。どうしてこうなったかは私が一番よく分かっている。
     自分の子供が魔法使いではなくて安堵したのだ。彼が赤ん坊を抱きしめて魔力の有無を確認している時に、魔法使いであれば祝福できないかもしれないと感じていた。子供にもあなたにも置いていかれて忘れられるのが怖い。私の赤ちゃんをあなたの分身にしないで。そう叫びそうになっていたことに私よりも早く彼は気づいていたのだろう。
    「ねえ、いい子ね。かわいい坊や。お母さんのために窓を閉めてくれる?」
     閉ざされた窓の向こうで風が鳴いているのを聞きながら私は黙って涙を流した。熱いそれはとめどなく頬を伝っていった。


     それから幾年か私たちは麓の村で過ごした。産婆が、ベインが魔法使いだということに気づいていたはずなのに何も言わずに憐れむべき寡婦とその子供たちという体で他の村人に紹介してくれたおかげで事なきを得た。 子供たちはすくすくと育っていった。長男は特に妹に似ていて、栗色の髪が雪原を駆け回っているのを見る度に懐かしい気持ちになった。魔法使いのことは忘れてこの村を終の棲家にしようと決めた矢先だった。私たちの前に双子の魔法使いが現れたのは。
    「スノウ様とホワイト様だよ。あんたたちはお会いするのは初めてだろう」
     村人たちが懸命に拝んでいる魔法使いはどう考えたって上の息子と同じくらいの歳にしか見えなかった。彼らは千年近くもの年月を共に暮らしてきたのだという。その途方もない時間の流れの渦中にいる彼らを前にして、私はベインの試みが成功したのかどうか知りたくなった。彼らは先日の猛吹雪で割れてしまった寝室の窓をステンドグラスに変えて修繕してくれていた。雪と日光に反射して色とりどりのガラスが床に鮮やかな模様を浮き上がらせる。その模様に視線を落としながら私は平伏して二人に尋ねた。
    「失礼を承知で魔法使い様方にお尋ねします」
    「ほう、気丈な寡婦よ申してみよ」
    「ほう、剛毅な未亡人よ述べてみよ」
    「お二人はベインという魔法使いをご存じでしょうか」
     そっと頭を上げると双子は瞬きの間、顔を見合わせると同じ顔で思案した。その姿だけとれば彼らは仲睦まじい幼い双子にしか見えなかった。魔法使いは魔法使いとして成熟した時点で成長が止まると聞くが、もし私の子供たちが魔法使いだったなら私の背を追い抜くこともないまま私のことを忘れる未来もあったのだろう。はて、ベイン。ベインベイン。名前を呟いているうちに思い出したらしい、後ろ髪の跳ねた方がぽんと手を打ってあやつじゃあやつじゃと話し始めた。
    「ほら、ここより北の山で男を囲っておる魔女がいるじゃろう」
    「あー、あの魔法使いの子供を産むと言ってきかんやつじゃな」
    「人間の胎で産めぬのなら魔女の胎ならばと話しておったが」
    「お前が魔女になっても産むことはできぬと予言してやった」
    「ベインは今は魔法使いなのでしょうか、魔女なのでしょうか?」
    「さあの。我らは性別にはあまり頓着しないからのう」
    「年齢も、のう」
     双子は呪文を唱えると青年の姿になって私に手を伸ばした。二人はエスコートするように窓際まで私を曳いていく。整った顔立ちは美しくとても間近で直視できるものではなかった。
    「幼い子を持つ母親には我らの姿は辛いものもあろう」
    「この姿の我らは貴重じゃからよく目に焼きつけておくがよい」
     いたずらっぽく笑う双子の白い肌に赤や青のガラスが反射している。ステンドグラスの向こうには雪玉を投げ合って遊ぶ村の子供たちの姿があった。そこにはもちろん私の子供たちもいる。
    「ベインが望む魔法使いは産まれる」
    「しかしそれはそなたの子ではない」
    「再会すればもう二度と平穏は訪れぬ」
    「子供たちは全て悪党になるじゃろう」
     双子の魔法使いは老獪な口調で私に託宣を下した。ろくでもないこれらの予言はきっと当たっているのだろう。そんな予感がした。窓の外で我が子たちが走り回る。赤いガラスを通ったかと思えば青いガラスの中で跳ねる。緑、金色とあちこち渡り歩いた末に透明なガラスの真ん中で足を止めた。それは陽の光を模したガラスの一部だった。
    「ありがとうございます。スノウ様、ホワイト様」
    「我らの庇護から離れても達者での」
    「そなたの歩む道に光あらんことを」
     その夜、私は子供たちを連れて村を出た。私たちの後ろには長い影が伸びるばかりだった。


     三人目の夫人は人形のような見た目の人だった。それも天鵞絨のドレスを着た豪奢な絡繰りの人形ではなく、素朴で粗雑な手作りの人形みたいな。小さくてずんぐりしていて、絡繰りの人形ならば角度によって瞬きしたり表情を変えるけれど、そんな仕掛けもないような毛糸でできた瞳で笑っているだけのそんな人形。だけど彼女はここにいる誰よりも肝が据わっていて頼りがいがあった。ベインによれば彼女は南の国の出身らしい。産婆を攫おうと訪れた南の国で、鉄砲水で夫と娘三人と息子一人を亡くして途方に暮れていたところを拾ったのだそうだ。
    「産婆を攫うのはやめろって言わなかった?」
     ベインは素知らぬ顔で私が注いだワインを飲んだ。大きなお腹を抱えた彼女のカップにはハーブティーを注ぐ。彼女はカップを掲げてニコニコ顔をさらに笑顔にして感謝を示した。彼女はおそらく私より少なくとも十は年嵩だった。
     今の私たちは、北の国のとある廃村で最も大きな屋敷を改装して数えるのも面倒な数の家族と暮らしている。妹の子供が二人に私の子供が一人、ベインが魔女になって産んだ子供が三人に南の国の彼女が産んだ子供が一人。お腹の子が無事に生まれたら二人。それに魔法使いが怖くなって逃げた女の人たちの子供が三人。
    「はい、いったい子供は全部で何人でしょう。あんたって算数は得意?」
    「さあな。とにかく魔法使いはゼロってことは確かだぜ」
    「毎日作るごはんが鍋一杯ってことも確かだわね」
     南の国の彼女はハーブの香りを堪能しながらカップを干した。開拓地である南の国では人間も魔法使いも協力し合って細々と生きている。魔法使いの力を以てしても自然の営みに負けてしまうことは珍しくないらしい。傍にいるだけで息が詰まるような佇まいをしていた双子の魔法使いを思い出す。なんだか信じられなかった。
    「さあ、私はもう眠るから手を曳いて。べべ・ロディ」
    「いい加減、その呼び方なんとかなんねえのか」
    「うるさい子! 野菜もまともに食べない奴はいつまでも子供なの」
     南の国の彼女は自分より百近くは年嵩であろうベインを何の衒いもなく「柘榴ちゃんべべ・ロディ」と呼んでいた。土仕事でよく灼けた肌は北の国で生活をしている今でも小麦色をしている。彼女は鉄砲水に巻き込まれてから脚を悪くしたらしい。彼女が一たび号令をかければ子供たちはすぐに従った。大声での𠮟責は野菜を食べない父親以上に効果があった。さらに彼女は褒めるのも上手だった。どんな些細なことでも子供が喜ぶことを見つけては抱擁して頬ずりをして褒めちぎる。少年ではあっても子供とは呼べない歳になった一番上の息子も彼女の抱擁は避けなかった。
     家の中では好き嫌いはせずに脚の悪い親の手を曳く息子だけれども、一歩村を出ると父親と一緒に強奪に励んでいた。生きるために仕方がない部分はあるとはいえあまり嬉しい話ではなかった。私は双子の予言が当たりつつあるのを感じていた。
     夏のある日、北の国では珍しい雪がない地面を拝める短い時期に彼女の子供は産まれた。女の子で人間だった。ベインは私の子供にした時のように優しく抱き上げると人間だけど俺の子だと嬉しそうに語りかけた。そして当然のように新しい母親を探しに旅立ってしまった。残されたのは子供たちと母親だけ。でも、彼女は夫の留守中に妻ができ得る最高の遊びをいくつも知っていた。彼女は人生を楽しむことにかけては天才と言ってもよかった。
    「あなたってなんだか私のお姉さんみたい」
    「頑固な姉妹の姉とあっちゃあんたはきっと甘え下手ね。いいよ、存分に甘えなさい」
     そう言って腕を広げる彼女の胸に顔を埋めていると本当に泣いてもいいような気になって、私は子供を産んだ日以来初めて泣いた。嗚咽が止まらなかった。子供たちが寝静まった屋敷に私の泣き声がこだました。


     陽がどんどん短くなっていって冬の足音が聞こえてきたある日、出て行った時と同じ唐突さと気軽さでベインは一人の少女を連れて帰ってきた。子供たちが寝静まった後、二人で就寝前の一杯を嗜んでいる時にまるで今日のこの時間に会う約束でもしていたかのようにふらりと二人は暖炉の前に現れた。黒く長い髪をしたその少女はそれこそ「人形のような少女」だった。怯えて潤んだ黒い瞳は持ち上げれば瞬きする絡繰り人形のまさにそれだった。ベインの上着にくるまっていた彼女はペチコートとシュミーズしか身に着けていないからか、きまぐれな子供に遊んでいる途中で投げ出されたかのように見える。細い指も華奢な体躯も職人が一つ一つ手をかけて作ったみたいに綺麗だ。魔法のお陰で寒くはないのだろうが、その顔には不安が浮かんでいるのがありありとみえた。しかしその憂わし気な様子さえも美しくて、私も南の国の彼女もしばらく見惚れていた。
     最初に調子を取り戻したのは南の国の彼女だった。
    「ねえ、べべ・ロディ。なんだってこの子はこんな恰好をしてるの? あんたまさか」
    「本当にあなたが言った通りだったのね」
     南の国の彼女がベインに詰め寄ったところで人形のお嬢さんは口元に手をやってはらはらと涙をこぼした。今にも消えてしまいそうなぐらい体を小さく丸めて泣く彼女の肩を抱いて背中を撫でてやる。緊張しているのだろう彼女の体は死人みたいに冷たかった。
    「私、死んでいないんだわ」
     死という剣呑ではあるが私たちの日常からそう遠くはない言葉にベインを振り返る。彼はバツが悪そうに額を掻くと、長くなるがと言い置いて彼女との出会いを語り始めた。
     ベインはなるべく集落から外れた土地の上空をあちこち飛んでは妻もしくは夫となりそうな人物を探していた。村や街にいる人間は大抵は誰かの母か娘か妻か――もしくは父か息子か夫――であったし、独りであってもいきなり目の前に現れた魔法使いの話を怯えずにまともに聞ける者はいなかった。だから、孤独に生きている変わり者の人間を拾っては一緒に生活していたらしい。人形のお嬢さんはまだ雪が積もり始める前の断崖の傍を箒で飛んでいる時に見つけたそうだ。
    「鷺か鶴に見えたから捕まえてやろうとしたんだ。晩飯にしようと思ってよ。でも違った。翼に見えたのはペチコートで尾羽に見えたのは解けたリボンだった」
     お嬢さんは北の豪商の一人娘で春には父親の選んだ結婚相手との式が決まっていた。年老いた貴族との婚約は当たり前のことだと諦めていたけれど、仕立て上げられた花嫁衣裳を目の当たりにすると自分の人生が自分のものではないことに気づいてしまった。それから星が瞬き始めた水平線に向かって自分の意志で飛び込んだ。痛いのは一瞬ですぐに溺れて死ねるはずだと言い聞かせて震える脚で。好きでもない男の花嫁にならないために。花嫁衣裳に大きな石をのせて遺書の代わりにして。しかし、彼女を待っていたのは冷たい北の海ではなくて魔法使いの箒だった。
    「昔、本で読んだ西風の妖精のお話みたい。西風の妖精は綺麗でなんでも好きなものが揃った素敵な宮殿に女の子を連れて行くのよ。彼に私って死んだのねって尋ねたらこう答えたわ。いいや、これからお前が行くのは天国でも地獄でもない。俺の屋敷だ、って」
     私はベインが飛び去った崖の上で、残された花嫁衣裳が早雪のように白く地面を彩っているさまを想像した。朝が来たって融けないそれは遅くなりつつある夜明けが近づいた今もそこにあるだろう。


     南の国の彼女は最後まで人形のお嬢さんが屋敷で暮らすことに反対した。
    「ここじゃあみんな何か仕事をしなくちゃいけないんだよ。私らの子供だって家事やらなにやらやってる。あんた、働いたことあるの? 働き始めたらその白魚みたいな指なんてすぐに皸だらけの枝みたいな指になっちまうよ。今ならまだ間に合うから綺麗な服もうんとたくさんの使用人もいる家に帰りなさい」
     彼女はそう言われたその日に凍った河と屋敷を往復して人数分の水を汲んできた。スカートをぐっしょりと濡らして帰った彼女を暖炉まで引き摺りながら南の国の彼女は馬鹿だねえ井戸も知らないなんてと泣き笑いしていた。しかし実際、彼女は物覚えもよくてすぐになんでもこなした。力仕事は不得手だったけれど、繕い物や炊事や洗濯は暫くすると歌いながらでもこなせるようになっていた。子供をあやす歌や遊びもよく知っていて子供たちもすぐに懐いた。毎朝下女に梳られていたであろう髪はほつれ、肌も雪に焼けてきたけれど、西風の姉さまと子供たちに名付けられた彼女はそれでも誰よりも美しかった。
     ベインは彼女を妻としてというよりは年の離れた妹のように扱った。胎を目当てにして攫ってきたはずなのに閨に呼ぶこともなく、毎晩彼女が暖炉の前でベインのヴァイオリンに合わせてバレエを披露するのを私たちと子供たちと一緒に眺めていた。彼女の親だと言ってもおかしくない歳の私たちと違って、若く凛々しいベインの炎に照らされた横顔を見ていると二人は本当に生まれつき兄妹であるかのように思えた。
     しかし、平穏な日々はそう長くは続かなかった。幾年かが過ぎて私たちの生活は少しずつ変化していた。まず、ベインについて略奪に加わる子供たちが増えた。それに伴って人間や魔法使いに目をつけられることも増えた。そしてベインが負う傷の数も少しずつしかし着実に増えていった。一番上の息子――妹の遺児――は青年と呼んで差し支えない年齢になっていた。反対にこの生活から逃げてどこかの街の青年と駆け落ちしてしまった娘もいた。いつ捕まって裁かれてしまうのかわからない生活に嫌気がさすのはもっともな話だ。ベインと暮らすためには罪悪感を鈍麻させるだけのふてぶてしさが必要だった。
     南の国の彼女が病がちになってしまったことも大きな変化の一つだった。これまでに六人の子供を産んでずっと家じゅうを動き回って笑っていた彼女が床に臥せっているのは太陽が沈み続けているのと同じことだった。小さな子供たちは早くよくなってと彼女のベッドを囲って歌ってやったり手紙を書いたりしていたが、大きな子供たちは避けようのない運命を言葉にせずともうすうす感じとっていた。
     そして私たちにとってもっとも忘れられない日が来た。その夜、私は夢を見た。確かめこそしなかったが南の国の彼女もベインも同じ夢を見たはずだ。夢の中の彼女は出会った時の姿そのままでシュミーズとペチコートを着ていた。彼女は見知らぬ洞窟にいる。洞窟の奥には湖が広がっていて彼女は水に濡れることも厭わずにどんどん湖の沖へ沖へと歩いていく。膝まで水に浸かったところで彼女は湖に両手をつっこんで何かを探すそぶりをみせる。まるで洗濯桶に髪飾りを落としたぐらいの気安さで彼女は探し続ける。あら、見つけたわ。弾んだその声は薄青く光る壁に何度も何度も反響する。彼女の腕には濡れた赤ん坊がいた。その子は産声を上げることなく静かにこちらを見つめている。彼と同じ柘榴色の瞳で。
     ベッドの中で私は汗みずくになっていた。大きく息を吐いて深呼吸する。それでも呼吸は浅いままだった。西風の彼女の様子を見に行こうとする前にノックもなしに扉が開いた。夢に出ていた彼女本人だった。彼女も私と同じように真冬の夜なのに汗だらけになっている。現実の彼女はネグリジェ姿で私のベッドに腰掛けるとか細い声でついてきてと囁いた。お伽噺の怪物に怯える子供みたいに。どこへ行くかは言わなくてもわかった。突き当りの彼の部屋まで伸びる廊下がこれほど長いと感じたことはなかった。私たちは二人とも素足で今になって床石がとても冷たいことに気づいた。出会った時のように震える彼女の背を撫でさすってやる。大丈夫よ。ええ。怖くないわ。ええ。空虚な慰めだが口に出さずにはいられなかった。
     ベインの部屋をノックすると扉の前で待ち構えていたらしい彼が私たちを迎えた。彼の額にも脂汗が浮いている。ベインは私を見て彼女を見てそれからまた私を見ると傷ついた顔をして西風の彼女を自分の元へと引き寄せた。彼女は大人しくベインの腕の中に収まった。彼はまだ震えている背中を長い腕で覆い隠す。幾人もの女や男を暴いた指で彼は彼女の髪を梳った。私を見つめながら彼女の額へ口づける。私はそっと扉を閉めてそれから長くて冷たい廊下を自分の部屋まで走った。


     産まれた赤ん坊は確認するまでもなく魔法使いだった。悲願を達成したベインはこれまでになく喜んで西風の彼女の額に口づけてから赤ん坊を抱きあげた。彼女は疲れ切った表情でシーツに埋もれている。体力を振り絞って産婆の代わりを務めた南の国の彼女も同様にベッドに倒れこんでいた。私はベッドに腰掛けて彼女の汗を拭ってやった。
    「ねえ、男の子だった? 女の子だった?」
    「男の子よ。変わってしまうかもしれないけれど」
    「そう。あのね。まず、あなたに言っておきたいんだけどね」
    「ええ、なあに」
    「私、あの子が二つになったら家に帰ろうと思うの」
    「どうして」
    「ここでの私の役目は終わったから。私、きっとあの子を産むためにここに来たのよ」
     西風の彼女は夢の中での時のように幼い表情で微笑んだ。汗が一筋額から涙みたいにシーツに滑り落ちた。
    「それに街に降りた時に聞いたの。父が亡くなったんだって。ここで生活して気づいたわ。私は自分の運命に絶望してしまっただけで家族が憎かったわけじゃない。帰って自分がすべきことをもう一度考えたいの。まだなにをすべきかはわからないけど」
    「でも、でもあの子に母親がいなくちゃかわいそうじゃない」
    「ふふ、おかしな人! そんなこと言ったらここにいる子供はほとんどがそうだわ!」
     私の放った言葉は彼女を引き留めたいがための咄嗟のでまかせでしかなかった。
    「ベインは許すかしら」
    「あら、あの人が私たちのすることを許さなかったことがあって?」
     ベインはきっと引き留めないだろう。そんなことはわかりきっている。
     彼は自分がこれから先の人生を孤独に過ごさなくていいことに安堵していた。私が子供を産んだ時もきっとこんな表情をしていたのだろう。私たちは老いて死んでいくけれど、彼らは肖像画のように若いまま同じ姿で生き続けなければならない。これまで疎外感を感じていたのはベインだったが、今はそれが逆だった。赤ん坊がぐずる声を聴きながら私も彼女の傍で眠りについた。
     ブラッドリーと名付けられた赤ん坊はたくさんのきょうだいと三人の母親、魔法使いの父親に育てられてすくすくと育ち、あっという間に二歳の誕生日を迎えた。ブラッドリーは黒と灰白色の頭に柘榴の色の瞳まで父親にそっくりだった。しかし、静かになったときに時折見せる思慮深そうな表情は母親そっくりだった。
    「この子はもうこの年齢で思索に耽ることができるのね」
    「走り回ってる時は手に負えないけど」
    「元気なのが一番だわ。私も心置きなく帰ることができる」
     西風の彼女が崖に向かって旅立つ夜、いつもはすぐに眠ってしまうブラッドリーがどれだけ寝かしつけようとしても眠らなかった。何かを悟ったかのように母親の腕の中でぐずり続けている。ベインが抱こうとすると火がついたように泣いて暴れまわった。
    「ごめんね。ブラッドリー。でも、私は私のすべきことをしに行くの。ここであなたを産んだみたいに」
     母が私たちにしたように、妹が私にしたように、私が妹にしたように、ベインが私にしたように、ベインが彼女にしたように。彼女はそっとブラッドリーの額に口づけた。涙が頬を伝ってブラッドリーの涙と混じった。私たちも順番に同じように彼女の額に口づけた。自分の肌を伝う涙が誰のものなのかわかる者はいなかった。大人たちがすすり泣いている中でブラッドリーはしゃくりあげながらも泣き止もうとしていた。大粒の涙がほろほろと零れ落ちる。ベインはバルコニーへの扉を開けて箒を取り出した。手摺を乗り越えて空に浮かぶ。月が私たちの影をバルコニーの床石にくっきりと映し出していた。西風の彼女は手摺の上に立つとそこでピルエットをしてみせた。パッセをしてまっすぐな姿勢のままくるりと回る。白いドレスがカーテンのように膨らんで広がった。影と彼女の二人のバレリーナが踊っているみたいだった。私たちは何も言わずに拍手を送る。
    「お見事。天才バレリーナ」
    「ありがとう。西風の妖精さん」
     彼女は箒の後ろに飛び乗るとベインの背中にしがみついた。
    「さよなら」
     月と私たちに見守られながら西風の彼女は屋敷から離れていった。


     双子の魔法使いの予言は全て当たっていた。子供たちはみな父親について盗賊まがいのことをしていた。幼いブラッドリーも徐々に魔法が使えるようになってきていた。こいつは魔力が強い訳じゃないが俺とあいつに似て頭がいいからいい子分になる。シュガーをブラッドに与える度にベインはそう口にした。
     ある村を襲った時、息子の一人が死んでしまった。立ち向かってきた村の若い男と揉み合いになって挙句に殴られてしまったのだ。打ち所がわるかったらしく血が出過ぎたと思った時にはもう遅かった。このやくざな稼業を始めてから家族で初めて死者が出たことになる。これに一番傷ついたのが南の国の彼女だった。亡くなった息子は彼女が産んだ子供ではなかったが私たちの中でそんなことに頓着する者は誰もいない。それまでなんとか動いていた体も動かなくなり、これまで以上にもっと床に臥せっている時間が長くなった。あまりものも食べなくなり起きているのか寝ているのかわからない状況が続いた。彼女は時折、思い出したかのように「柘榴ちゃんべべ・ロディ」とベインを呼んだ。彼は呼ばれれば何をしていても彼女の元に駆けつけてどうかしたかと笑いながら手を握った。そんな時はブラッドリーも彼女の元に駆けつけた。ブラッドリーはベッドの端に腰掛けるとシュガーを作ったり覚えた手遊びや歌を披露したりしていた。後でわかったのだが彼は呂律の回っていない「べべ・ロディ」を自分の名前と聞き間違えていたのだった。私はわざとその勘違いを正さなかった。
     ついにその日がやってきた。双子たちにはどんな風に私たちの運命が見えていたのだろうか。彼女は動かなくなった。そしてある魔法使いの集団が私たちの屋敷を突き止めた。私たちは広間に南の国の彼女の遺体を横たえると、周りを好きな花や食べ物やお気に入りのドレスで埋め尽くした。       
     それから火を放った。
     屋敷は一つの大きな棺として彼女に捧げられた。子供たちは助け合いながら屋敷を取り囲む森へと逃げて行った。昏い夜空に赤々とした炎が映える。ごうと燃える音がして生き物が森から逃げ出す足音が聞こえた。魔法がなくても暖かいぐらい炎は勢いを増していた。西風の彼女がピルエットを披露したバルコニーが燃え落ちる。真昼みたいに明るい夜を私はブラッドリーを抱えながらベインの背に手を回して箒で飛んでいった。
     森の奥の洞窟をベインは集合場所にしていた。入口に降り立って箒を消すとたくましい腕で私を抱擁した。私は皺だらけになって思うように動かない体で彼を抱きしめ返した。柘榴色の瞳が近づいたかと思うと額に唇が触れた。
    「今夜は眠れやしないだろうが」
     ベインは苦笑すると未だ燃える屋敷を見下ろした。そなたの歩む道に光あらんことを。双子が言った言葉を思い出す。これが私の光だ。私はそっとベインの瑞々しい手とブラッドリーの小さな手を握った。
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    60_chu

    DONEブラッドリーが産まれて育つ話ですがほとんどモブが話してる架空の話なので架空の話が大丈夫な人は読んでください。
    ベイン夫人が言うことには 幌越しに風の音を聞きながら今夜も降り続ける雪のことを思った。馬橇は止まることなく故郷から遠ざかる為に走っていく。どこまでも白い景色の中で私たちは揺られ続けていた。自分でどれだけ息を吹きかけても指先は暖かくならない。私たちは互いに手を擦り合ってここより暖かいであろう目的地のことを話した。誰かが歌おうと声をあげた時、体が浮き上がる感覚がして私たちは宙に放り出された。浮いている時間は一瞬だったはずだけれど空にある大きな白い月が触れそうなほどはっきり見えた。天使みたいに私たちは空を飛んで、そして呻き声をあげたのは私だけだった。
     轟音と断末魔が落下していく。馬橇がクレバスを越えられなかったのだろう。獣みたいな唸り声が自分から出たことが信じられなかった。痛みのせいで流れた涙が、すぐに凍って瞼を閉ざしてしまう。体は動かない。肌の上で融ける雪を感じながら私は自分たちの村を守護してくれていた魔法使いに祈った。それしか祈る相手を知らなかった。私は私を馬橇に乗せた人を憎もうとしてでもできなくてまた泣いた。
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    60_chu

    DONE11/23の賢マナで出す予定のものです。前にアップした「The day before dispersal」を含めて一冊にして出します。前回のブラッドリー視点に続き、ネロ、石になった魔法使い達、賢者の視点から語っていく話です。加筆修正はたぶんめっちゃする。あと、架空の植物が出てくるので前回の話を読んでからの方がわかりやすいかも。
    The day before dispersal 2 オーロラ色の小さな欠片は飲みこむ前に口の中でひとりでに融けていった。ブラッドが撃ち落としたもう一人のマナ石はおそらく吹雪に埋もれてしまった。短い春が来るまで雪の下で眠ることになるだろう。それか誰かに掘り起こされて食われるかだ。
     ブラッドが、とどめを刺した魔法使いの荷物を確認している間に俺は白樺の樹でテントを作ることにした。ここまで吹雪が激しいなら帰ることは難しい。追跡するうちに風に流された影響もあってか位置も掴みづらい。
    「《アドノディス・オムニス》」
     幹が太くて頑丈そうな一本の白樺に狙いを定めて呪文を唱える。落ちたのが白樺の林でよかった。白樺は一晩中、魔法で雪を掃うわけにもいかないような夜に雪から身を守るためのテントになってくれる。選んだ樹の周囲に生えていた樹々が、めりめりと轟音を立ててしなりながら円錐形になるように中心の樹に絡みついていく。吹雪がやまない夜は時折この音がどこかから聞こえてくる。北の国の魔法使いは葉の代わりに雪を茂らせた白樺の中に籠ってどこにも行けない夜を遣り過ごす。
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    zo_ka_

    REHABILI大いなる厄災との戦いで石になったはずのネロが、フォル学世界のネロの中に魂だけ飛んでしまう話1俺は確かに見た。厄災を押し返して世界を守った瞬間を。多分そう。多分そうなんだ。
     だけど俺は全て遠かった。
     ああ。多分、石になるんだ。
    『ネロ!』
    『石になんてさせない』
     ぼんやり聞こえてくる声。クロエと、後は、ああ……。
    『しっかりしろ、ネロ!』
     ブラッド。
    『スイスピシーボ・ヴォイティンゴーク』
    『アドノポテンスム!』
     はは、元気でな、ブラッド。早く自由になれると良いな。囚人って身分からも、俺からも。
    『ネロ……‼‼』
    「……」

    「なあ、ブラッド」
    「何だよネロ」
    「今日の晩飯失敗したかもしんねぇ」
    「は? お前が?」
    「なんか今日調子がおかしくてよ。うまく言えねぇんだけど、感覚が鈍いような……」
    「風邪か?」
    「うーん」
     おかしい。俺は夢でも見てるんだろうか。ラフすぎる服を来たブラッドがいる。それに、若い。俺の知ってるブラッドより見た目が若い。傷だって少ない。
     何より俺の声がする。喋ってなんてないのになんでだ?
    「ちょっと味見させてくれよ」
    「ああ、頼む」
     体の感覚はない。ただ見ているだけだ。
     若いブラッドが目の前の見たことのないキッチンで、見たことのない料理を 2283