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    リノリウム

    @lilinoleilil

    ごった混ぜ
    🐺🦇ですが深く考えないほうがよい

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    リノリウム

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    #MZMart

    🦇と🐺の二人が心配で仕方ない🎲の話。
    🚬をちょっぴり添えて。情と義に厚い🎲さんは素敵。
    寿命が違う仲良し煩悩組のあれこれ。連作その3。
    ※各々の寿命の設定については完全に捏造。捏造ありきの創作物として大目にみてください。

    #MZMart

    リフレイン・メモリー③ それがたとえ定められた運命だったとしても。大切な友をひとりきりで、時の流れに置き去りにすることなんて出来ない。叶わぬのならせめて、側で寄り添わせてくれ。彼の気が済むまでずっと。
     
    ***

     連休を前に街中はどことなく浮き足立ち、華金の酩酊を今かと待ち望む雑踏で大通りが埋め尽くされている。
     そこから一本入った筋に佇む、青いのれんが軒先に吊り下がっている居酒屋。店主とその女房、お手伝いの三人で営むその店は、手頃な値段にもかかわらず料理の味はピカイチで、それらに合う酒も多数取り揃えられている。普段は人通りも少なく静かだが、今日は流石に常連客で賑わっていた。
     誰にも教えたくない、とコーサカが言い切ったその店に呼び出されたのは、司とホームズのお馴染みのメンバー。店内に一角だけ存在するボックス席を三人で囲み、ようやく運ばれてきたビール片手に小気味よく乾杯した。

    「ッンパーイ! いやー、ここめっちゃくちゃ美味えんだけど、何せ繁盛してるから来るのがまあゆっくりなのよ」
    「いいことじゃねえか。何ならもう一人バイト増やしてもよさそうなのに」
    「この狭さじゃ動けるスペースも限られてるし厳しいでしょ」
     なんて口々に好きなように言いながら、お通しの小松菜の和え物を頬張る。
     天井のスピーカーからざらざらとしたノイズ混じりの昭和歌謡が流れてくる。メロウで印象的なイントロが記憶を呼び起こし、歪みのないシンセサイザーやパキッとしたギターの音色が郷愁を誘う。店内の客は皆あの頃へ思い思いに馳せ、程よい酩酊感に顔を綻ばせていた。
     お前らに言っておきたいことがある、とやたら仰々しい面持ちのコーサカ。たまたま空いていたスケジュールに気付けば飲み会の予定を放り込まれていた司。そんな二人のやり取りが妙に性急なので何だ何だと自らスケジュールをこじ開けたホームズ。
     三種三様だが、仕事や趣味を通じて気の合う仲間なのは確かで、何か事あるごとに各自持ち回りでオススメの居酒屋を飲み歩く、というのが彼らのセオリーだった。
     順番だけで言えば今回は司が当番だった。……のだが、それを無視して誘ってきたコーサカが思わせぶりに語気を強めてきたので、相対する二人はこれから一体何が始まるんだと内心小首を傾げていた。
     互いの近況、仕事相手の愚痴、趣味の最新トピック、その他エトセトラ――。尽きない話題を楽しんでいるうちに、頼んだ料理がつぎつぎに運ばれてきた。
    「へへ、きたきた焼き鳥に刺身、あとはアオサの天麩羅、まだなのはおでん?」
    「この舟盛りすげえな。サーモンもつやっつやのピンク色……」
    「わ、天開みて。このぼんじり、ジューシーですっごい美味しい」
     真っ先に串を掴み焼き鳥を頬張ったのはホームズだった。
     隣の司が大声で反駁する。「お前食うのはえぇよ! 俺も鰤食べよ! ……まじで美味やん」
    「いいってことよ。二人とも、今日はたあんとお食べ」とコーサカはにこにこと笑う。妙に芝居がかった口調で足元が定まらない態度だ。

     いつもの飲み会に変わりはないのだが、自然体とは決していえないその素振りがどことなく居心地の悪さを感じる。酒を少しずつあおるのもほどほどに、司は今日の本題に切り込んだ。
    「……それで、コーサカ。俺らを呼び出した理由って何? そろそろその変な口調やめて教えろよ」
    「コーサカのオカン口調も変ちくりんで面白いけど……でも気になるなあ。あのコーサカの告白が一体何なのか」
     もとより、真っ先に二人に告げたくて急ぎ酒の席に誘った。否、司とホームズでなくてはいけなかったのだ。コーサカはビールを一気に飲み干し、依然として大袈裟に道化を演じ続ける。
    「パンパカパーン! うちに! 家族が増えます」
    「んぇ? 猫でも拾ったのか。メスの茶トラ?」
    「いや、子供。大人しいガキ」と今度は至極冷静に答える。
     緩急の激しさにちっとも追いつけず、司は思わず「はぁ?」と間抜けな声を上げ、その隣でホームズは信じられないと言わんばかりに目を大きく瞠った。
    「家族って、拾い猫とかじゃなくて、マジもんの人間の子供?」
     司はもう一度尋ねなおしてみるが、向かいに座るコーサカは「そ、そんなとこ」と大きく縦に頷き、揚げ出し豆腐を一口つまんだ。
    「は……コーサカ、あの小さい1Kにもう一人住まわせる気かよ」
    「それは流石に厳しい。だから来週引っ越し。物件ももう決めた」
     あまりの展開の早さについていけない。司は瞳を激しく瞬かせた。
    「どうしてまた急に……ってかどんなやつだよ。お前まさか、何処からか攫ってきたんじゃ……」
    「勝手に人を犯罪者にするな! 法には触れてねえよ!」
    「じゃあ何故? 神経質なコーサカにしてはずいぶん浅慮だな、と思ったよ。正直言って」
     ホームズが挑戦的な笑みを浮かべ、瞳の奥を鋭く光らせた。何が何でも彼の真意を曝いてみせると強い意志が込められた視線だ。
     その挑戦、真正面から受けてやろう。コーサカは一瞥し、一つ一つ慎重に言葉を選びながら、訥々とした口調で語りはじめた。
    「それなりのコミュニティなら、一人くらいいるだろ? ちょっと人より力が強いとか鼻がいいとか、とびきり優れているって理由だけで、そうでない奴らからやっかまれて、除け者にしてやろうと爪弾きにされてる。大人からも秩序を乱す扱いづらい奴だって邪険にされる。本人はいたって真面目にやってるだけなのによ。本当にしょうもない」
     彼の弁舌が次第に熱を帯びてくる。はっきりとした口調で、酩酊をちっとも感じさせない。
    「その、取り扱いに困ってた大人のクソ野郎……のほうとひょんなことで知り合って、とんとん拍子に話がついたってとこ」
    「……それだけ?」と聞き返すホームズに向かって、コーサカは熱っぽい情を語気に滲ませた。
    「信じられない話だが、居場所を失い精神的にも追い詰められた、いたいげで可哀想なガキを平気で売り飛ばし食い物にする野郎なんだよ。女だろうが男だろうが関係ねえ。アイツの脳内に〝人権〟なんて単語は存在しない。自分の欲求に目が眩んだ、とんだ下衆のペド野郎……。そんな奴の手にかかるくらいなら、俺の身銭を切った方が遙かにマシだと判断した。それだけの話さ」
     正義を振りかざし心を燃やす熱血漢というよりは、純然に許せず腹が立つと一方的にくだを巻く中年男性に近いな、と司は漠然とした印象を抱いていた。
    「それで、どんな子なん? 写真ねえの」と尋ねてみる。
     コーサカはすぐに懐から黒色のスマホを取り出し、何度か親指をスライドさせたのち、「ん」とこちらへ差し出してきた。

     纏まりがない灰色の毛髪があちらこちらへ無造作に撥ねていて、纏う黒のトレーナーは薄く煤けている、言ってしまえば小汚い子供。上半身を落として身構え、牙を剥きだしながら威嚇の表情をこちらへ向けている。様相は子供そのものだが、瞳の奥にははっきりとした拒否の意志を見せている。それに、彼が普通の人間とは異なるという最たる特徴。ピンと垂直に立ち上がり正面を向いた毛むくじゃらの耳と、見せつけるように大きく膨張した灰色の尻尾。
     その様相を食入るように観察し、思案に暮れ、ピンと来たのかホームズは一言だけ質問を述べた。
    「――この子、もしかしてワーウルフ?」
     コーサカは無言で頷く。
     隣の司が聞き慣れない単語に「ワーウルフ……って」と尋ねる。ホームズは向かいをちらりと見遣り、当人の表情を確認してから、知りうる知識について説明を続けた。
    「狼男。ライカンスロープ。人ならざるものは、月夜の下で獣に変身し、ビルも飛び越える凄まじい筋力、岩ほど分厚い皮膚も切り裂く鋭い爪、大きな肉も簡単に噛み千切る牙で、下々の人間を畏怖させる。そして……非常に激しくエネルギーを使い続けるがゆえに、人間より相当短命だと言われている」
     ほとんど空想上の話みたいだ。分かることは人間の理から大きく外れた存在ということだけ。分からないなりでも追いつこうと必死の司とは対照的に、コーサカは表情一つ変えず、追加の酒を頼もうと店員を呼び止める。
     少ししてから、何かに引っかかった司がぽつりと呟いた。
    「……人間より短命? それもかなりって」
    「僕が知ってるのは文献上の知識だけ。実際に狼男と喋った経験もないし。……この子もそうなの? コーサカ」
     ホームズの問いに対し、コーサカは「らしい、な」とだけ答えた。
    「らしいな、って!」
     気に留めないという彼のいかにもな態度が無性に気に入らず、司は大きく声を荒げた。
    「そんな、お前そんな簡単に言っちまうのか。そんな大事なことを簡単に決めていいのかよ」
    「俺が家族を迎え入れようが司には関係ねえ話だろ」
    「……っざけんな!」
     頭に血がのぼるばかりで、怒りをどこにぶつければいいのか分からない。司が勢い任せに立ち上がると、その反動で食卓ががたがたと大きく揺れ、店内にけたたましい音が響いた。
     隣には、必死に怒りを抑えようと細く長く息を吐き出す司と、まだ視線を合わせようとしないままハイボールを一口含むコーサカ。店内も依然として驚愕の余韻を残しながら静けさに包まれている。この場に流れる異様な雰囲気に堪えきれない。ホームズはつまみのたこわさでやり過ごすことを諦め、大声で店員を呼び日本酒を二合とお猪口を三つ頼んだ。
    「そいつの一生、面倒を見てやる覚悟がお前にはあるのかよ」
    「ある」
     コーサカは即答する。反論などさせまい。どう言われようが己の意志は変わらない。頑とした意思表示の代わりに、突き刺すように射すくめた。
     人に対して誰よりも興味を持つ彼が、何の考えもなしに決めるはずがない。一人になることも一人にすることも嫌がるはずのコーサカが、先に待ち構えているであろう未来を理解していないはずがない。司は怒りの片隅できわめて冷静に考えていた。否、理解なら最初からしていた。だからこそ無性にはらわたが煮えくり返って仕方なかったのだ。
    「コーサカ……何で先に俺らに相談しなかった。新しい家族を迎えるって、そんな大事なこと一人で決めていいのか」
     ルビー色の光彩が揺らぐ。コーサカは瞳をわずかに眇めた。
    「だってお前ら、相談したら絶対止めるだろ」
    「止める。当たり前だ」司は語気をいっそう強めた。
    「コーサカお前……だって、そのチビと一緒に暮らしたら愛着が湧くだろ。きっと、いや絶対。なのに一緒に年を取ることは叶わない。しかも見送らなきゃならない。それも比較的すぐに。寂しがりのお前がそんなの、堪えられるって言うのか」
    「……そんなの、これまでに何度も繰り返してきたっつの」
     コーサカは声が震えるのを抑えきれず、肺を大きく膨らせた。
    「お前らと出会う前から何度も何度も、それこそ飽きるくらいにな。だから今回も同じだ」
    「同じ……って。何でそんな突き放すんだよ」
    「俺が〝そういうもの〟だからだよ。俺のことは俺が一番よく分かってる。……っていうか司、今から死ぬときのことを考えてんの? それってめちゃくちゃ失礼だろ。今生きたいと必死なヤツに対して、好きな死に方を選べって平気な顔して言えんのか」
    「言わねえ。言いたくもない。……でも、死んだらお前だった悲しいだろ!」
    「当たり前だ! でも今論ずるべき事じゃねえって言ってんだよ。今を見ろアホ!」
    「アホって。一応心配して言ってやってんのに!」
    「そういうところだよ! 人の心配する前に自分の心配しろ!」
     着地点の見つからない応酬が続く。二人ともすっかりヒートアップし、荒々しい大声が店中に響き渡っている。一体何の騒動だとカウンター席に座る客が好奇の視線を店の奥へ向けてくる。
     ――じっと手をこまねいたところできりがない。見るに見かねたホームズが待ったをかけた。
    「天開。……コーサカも。気持ちは分かるがほどほどに。ほら、店員さんも困っているでしょう」
     通路側を振り向くと、日本酒を持ってきた店員が声をかけられず気まずそうにしていた。頭の冷えた二人が恥ずかしそうに「スンマセン」と謝るとさらに苦笑いを浮かべた。
     
     なみなみと酒が入った徳利をお猪口に傾けながら、ホームズは窘めるように言った。
    「僕だって心配には思うさ。でもコーサカが考えに考えて決めたことなんだから、あまり外野が口だしし過ぎるのも野暮ってもんでしょうよ」
    「……わり。ついカッとなっちまった」
     肩を落として詫びる司に向かって、コーサカもまた「突き放して悪かった」と謝り表情を緩めた。怒りはすっかり消え果てていて、言い得ない寂寞だけが少し残っていた。
    「いなくなるその瞬間のことは覚悟してるよ。分かってる。でも、そう思えば思うほど、あのガキを放っておけなくなる。……みすみす見殺しにできねえよ。あんな吹きだまりに一人きり、だなんて」
     人を愛することを誇りに思い、人から愛されることを恐れない。愛嬌のある笑顔と自信満々の振る舞いが彼のトレードマークで、その矜持は決して揺るがないという何よりの証。それがコーサカという男だ。比較的小さな背丈なのに、彼の背中は誰よりも大きく見える。司もまた、そんな彼を好ましいと長らく思っている。
     なのに、肘をついてぼんやりと視線を動かす彼は、一回り縮んだみたいで頼りなく、一歩踏み込めば砕けてしまいそうだった。橙色の照明が彼の横顔にくっきりと陰を映し出す。コントラストの向こうにあるのはきっと、彼がひた隠しにしている、彼しか知り得ない深い悲しみだ。
    「……っあぁーもう! なんか湿っぽいな! 折角の飯がまずくなるだろ。飲もうぜ! あ、ホームズ。俺にもくれよ、その日本酒」
    「もとよりそのつもりだよ。注いでるから二人ともどうぞ」
    「なら早速いただきます……ん、ウマ。このキリっとした感じ。何頼んだん?」
    「えぇと、これどっちだっけ……八海山? たぶん」
     司もお猪口に口を付けてみる。果実のように瑞々しい香りがはじけ、すうっとした清涼感が喉元を過ぎていった。
    「……やべ。これするする行くかも」
    「それすげえわかる。王道こそ至高な。何かおかずが欲しい……。ねえお姉さん! まだのどぐろある?」
     コーサカがふたたび大声で店員を呼び止める。店内中に響くほどの声の張りと遠慮のなさが戻っていて、すっかり元通りだ。
     けれども、司の脳裏にはまだ、深い翳りを帯びた横顔が強烈に焼き付いていた。手元の酒を一気にあおる。つんと痺れる感覚が喉元から全身へ広がっていった。
    「……コーサカ」
    「ん?」
    「言われたところで、やっぱりお前を放っておけねえ。何か……何かさ。俺たちに手伝えることはないの」
    「うん……そうだなあ。じゃあ、その時が来たら、一緒に悲しんでよ」
     そう言うとコーサカはふにゃりと溶けそうに笑った。


    ***


     季節は巡り、やわらかい日射しのもと時折吹き付ける風が心地良い、そんな日曜日の早朝。
     突っ立っているだけなのに、強烈な眠気に意識を持って行かれそうになる。昼夜逆転生活が当たり前の人間に慣らしナシの早朝活動は相当に酷だった。
     逆ピラミッドが特徴的な建物の下には、終わりの見えない長蛇の列が形成されている。司はその中で自らも入場の順番を待っていた。
     司の前には、自らとは対照的にけろりとした表情のコーサカと、手を繋がれたまま不思議そうに見上げるアンジョーがいた。
    「見渡す限りの人、人人……すっげえなあ、アンジョー。ここにいる全員、同じ目的で来てるんだってさ」
     コーサカが語りかけるのを聞いてか聞かずか、アンジョーは尻尾をぶんぶん振り回しながらずっと辺りを見回している。
    「まあ俺らも同じなんだけど。な、司。……司? え、立ったまま寝てんのお前」
    「……? あ、あぁ。寝てた? なんか目蓋が勝手に降りてくる……ふぁーぁ、マジでねみい」
     酸素が頭までまったく回らず、何度大あくびをしても眠いものは眠い。抗えない眠気の前でまた目を閉じようとする司に「お前すげえな」とだけコーサカは言った。
     近くボードゲームの大きな即売会がある。インディーズの楽園がここにある、だなんて期待で声を弾ませながらコーサカが誘ってきたのが五日前。アンジョーも一緒に行くって、と一言メッセージを送ってきたのが三日前。朝五時集合じゃないと買いたいものも買えねえ、と悲鳴の電話をよこしてきたのが前日の夕方。
     ボドゲの即売会に行きたい。と言った記憶が確かにあったが、こんなに朝が早いとは聞いていなかった。
     コーサカの無茶ぶりの応えるのはこれが初めてではなかったのだが、流石に今回は急過ぎた。昼過ぎに起きて朝方に眠る生活に慣れていた司にとって、生活リズムを半日前倒しにしろ、それも明日必ずやれ、という突然の指示。
     二時間仮眠を取るだけだと自己暗示をかけ、アラームも何重にもかけ、何とか約束の時間に間に合わせたが。それでも身体は悲鳴をあげている。エナジードリンクでブーストをかけるにも限度がある。
    「夜型人間にはマジできちいよ、こんな朝っぱらから待ちぼうけだなんて」
     もにゃもにゃと愚痴をこぼす司に対しコーサカははっきりと応酬する。
    「しゃあねえよ。ここは戦場だ。欲しいものを得るためには自分の犠牲も厭ってちゃあいけない。司が欲しいって言ってたボドゲだって結構な反応があったろ? 悠長に構えてても手に入らねえ」
    「わかってる。けどさあ……クソ眠いのに待ってるだけってのがホントに辛ぇ。早く動かんかな。歩くだけでもマシになるのに。……コーサカ、お前なんでそんなに元気なの?」
    「そりゃあアレですよ。喉から手が出るほど欲しいボドゲがそこにあるなら、頭もギンギンよ」
     今にも踊り出しそうなくらいうきうきする彼の表情は晴れやかで、日光を嫌う吸血鬼とはとても思えない。
    「コーサカ! あれなに?」
     アンジョーが繋がれたコーサカの手をぐいぐいと引っ張り、海側の遙か先を指差した。
     司も一緒になってその方向へ視線を向ける。……米粒くらいの大きさの何か物体が見える。大きく開けた場所にぽつんとそびえ、ほんの少しだけカラフルな模様が見えるから、きっと看板か何かか? けれども人間の並の視力では判別することが出来ない。
    「あの斜めになってるデカいやつ? うー……何も見えねえ」とコーサカは思い切り目を細める。
    「左の……おねえさんがいっぱいいてキレイ」
    「お姉さん……? 今日他にも何かイベントがあるんか?」
    「あ」とスマホに視線を落とした司が声を上げた。「西館でフェスか何かやるって」
     司が掲げた黒色のスマホの画面には、ピンク色の髪が特徴的な魔女、緑髪のエルフの少女、色黒の獣人の少女……とにかく多彩なジャンルを取り揃えた色とりどりの美少女達が映し出されていた。
    「え、A社のフェスも今日!? いいなあ、行きてぇな――……アンジョー。お前にエロゲはまだちびっとだけ早いからな」
     そっと目に手を翳されたアンジョーは、視界を奪われるのが嫌だとコーサカの腕の中でじたばたした。
     そうこうしているうちに、ようやく入場待機列が進み出した。後ろに並ぶ男から少し強めに肩を叩かれ、司たちも慌てて前に進んだ。

    *
     
     出会った日といえば、久しく覚えていなかった心の温もりに触れ、昨日の出来事のように思い出せる。
     司にも紹介したい、とそわそわしたコーサカがアンジョーを連れてきたのは、件の飲み会から一ヶ月が過ぎた頃だった。真っ昼間のカフェで会うなんて滅多にない話だ。手前から三つ目の窓際の席でブラインドも下ろされず、窓から射し込む直射日光でそこがやたら暑かったことまではっきりと覚えている。
     頼んだ軽食が揃ってもコーサカは中々切りだそうとしない。ただ流れていく無言の時間が焦れったく、俺はたまらずアンジョーに問いかけた。
    「アンジョー、って言うのか?」
     幼いアンジョーは素直にこくりと頷く。コーヒーゼリーのパフェなんて顔に似合わず大人びたものを頬張りながら、不思議そうな表情で俺を覗き込んでくる。
    「まーじゃんの人? コーサカがいつもパソコンでわあわあしてる……」
     アンジョーが問うた瞬間、隣に座っていたコーサカは「あ、やべ」と気まずそうに視線を逸らし、イチゴジュースから口を離した。
    「司の名前教えんの忘れてたわ」
    「はあ!?」
     思わず叫んで反論する俺をよそに、コーサカは隣を向きゆっくり言って聞かせている。
    「アンジョー。この人が司。麻雀がすっげえ上手くて赤いお兄さん」
    「本当だ、あかい……」とアンジョーは興味深そうに目を瞠り、それから満足そうに顔を綻ばせた。
     どんな教え方だよ、と物申したくなったが、頭に熱くのぼった血はすぐに鳴りをひそめた。
     その時のコーサカの表情が。今までに見たことがないほど真っ直ぐで、茜さす双眸はきらきらと光り輝いていた。アンジョーという子供の成長を見守るコーサカは、心底楽しそうに顔中を皺くちゃにさせていた。
     あまりにも新鮮な光景だったので、俺はアイスコーヒーを口にしながら彼らのやり取りを静かに見守っていた。ああだこうだと言い合ながら表情をころころを変える二人を見ていると、不思議とこちらの心も優しさで凪いでいく気がした。

    *

     一行がブースを一通りぐるっと回った頃には十二時を過ぎていた。
     目当ての戦利品も手に入れ満足げな大人二人に対し、はじめての人混みの中をあちこちへ連れ回されたアンジョーは、途中からおんぶをせがみはじめるくらいには疲れていて不機嫌だった。彼のお気に入りらしい菓子をコーサカが与えてやっても全く機嫌は直らない。耳はすっかり伏せていて、泣き叫びもせず黙ったまま、下唇をぎりぎりと噛み締めながら耐え忍んでいた。
     一方でコーサカは「もう一周してきていい?」なんて物欲しそうに首を傾げる始末。子育てしてる自覚はあるのか、と司は問い詰めたくて仕方なかったが、久しぶりの娑婆の空気だと伸び伸びしている彼を見ているとあまり強く言い出せない。
     結局ボドゲのお土産一つとコンビニのおにぎりで手を打った、というのが事の次第。
     司はアンジョーと二人でベンチに座り、手元の軽食で空腹を誤魔化しながら、人混みへ飛び立ったコーサカの帰りを待つことにした。
     
     通路側に面したベンチの隣を無数の人が行き交っていく。
     せめてもと一目のストレスから守るためにアンジョーを内側に座らせたが、表情は緊張で強張りっぱなし、不愉快をそのまま顔に張り付けたような様相だ。
     ……そりゃそうだろうな。朝っぱらからいきなり人混みの中に連れて来られ、そのうえにほとんど初対面の見知らぬ男と二人っきりにさせられて。ストレスが溜まらないほうが嘘だろう。
     こんなごちゃごちゃとした場所で、というのも無粋だが、それでもリラックスできたほうが幾分かましだろう。
     司はすぐそばにあった自販機を指差しアンジョーへ尋ねた。
    「何か飲む? ジュースとか」
    「……」
     アンジョーは依然黙りこくったままだ。警戒心をまだ解ききっていない様子で、司の様子をじっと伺っている。
     選択肢を与えてやれば答えやすいだろうか。司はもう一度質問を変え尋ねてみる。
    「りんごジュースとオレンジジュース、どっちがいい?」
     するとアンジョーはすぐに首を横に振った。
    「……コーラ」
    「あの赤いの?」と聞き返すと、自販機の下の方を指差し「しゅわしゅわ!」と声色を明るくした。
    「炭酸飲めるんだ。ちみっこいのに渋い趣味してんな……」
     自販機からガコンガコンと大きな音が鳴り、コーラのペットボトルと缶コーヒーが出てくる。赤いほうを渡してやると、そこでようやくアンジョーの表情が緩み、司もようやく心の荷が下りた気分だった。

     満足げな表情を浮かべながら、ごくごくと喉を鳴らし気の済むまでコーラを飲み続けている。アンジョーは好きな物を前に喜びを隠せないあどけない子供だ。その辺にいる子らと何ら変わりない。
     ――この無邪気で愛くるしい子狼は、閉鎖的でおぞましいコミュニティを追われ、吸血鬼のコーサカに拾われて、日々何を思い過ごしているのだろうか。
     子供に聞いても仕方ない、求める答えは返ってこないだろう。予感は頭の片隅に勿論存在していたが、それでも司は聞いてみたくなった。
    「アンジョー」と呼びかけられ、子供はきょとんとした顔で振り返る。
    「毎日どう? 楽しい?」
     漠然とした問いかけに対し、アンジョーは何を言っているのかよくわからないと首を傾げた。
     より具体的な質問に噛み砕き、もう一度問いかけてみる。
    「コーサカんちに来てから、アンジョーはどんなことが楽しかった? アンジョーとコーサカのこと、たくさん教えてほしいな」
     するとアンジョーの双眸が露草色にきらきらと光りはじめた。
    「たのしいことなら、いっぱいあるよ!」
     弾む心を抑えきれず、ころころと口を転がしはじめる。
    「コーサカ、色んなこと知ってるんだ。海も山も動物園もいっぱい行ったよ。すずめ捕ったらめっちゃ怒られたけど……」
    「あぁーー。……そういうとこ潔癖なんだよな、あいつ」
    「あと絵とか本とかがいっぱいあるところ……? 一緒に行ったらコーサカは何だかぴりぴりしてるけど。おれはすきなのになあ」
     静寂をひとたび破れば白い目で見られる独特の緊迫感に我慢できず、椅子から立ったり座ったりを繰り返す吸血鬼の姿が目に浮かぶ。
     ふふ、と笑いを溢す司の隣で「そうだ!」とアンジョーが一層声を弾ませた。
    「コーサカ、歌うとめちゃめちゃカッコイイんだ!」
    「歌?」
    「最初は静かで、それがだんだんとわあぁって叫びだすの。虎みたいにがおーって鳴くんだ、コーサカの歌って。すごいんだよ」
     アンジョーは誇らしげに鼻を鳴らす。
    「それ、ラップって言うんだよ」
    「ラップ?」
    「歌の種類のひとつ。コーサカはラップを歌うラッパーなんだ。そっかアンジョー、コーサカのラップをいつも特等席で聴いてるのか……」
     俺らの前じゃ『大事な商売道具を簡単に見せられるか』なんて勿体ぶるくせして。羨ましいな、と思わず嘆息する司。その姿をアンジョーは不思議そうに見上げる。
    「CDもいっぱい持ってて、好きな曲をかけながら楽しそうに教えてくれるの。……あ、でも。たまにそうじゃない時もあるよ」
    「そうじゃない、って」
    「歌いながらうつむいて、何だか寂しそうで……。おれここだよって言ってるのに、おれを見てない。そういうときは決まって『ごめんな』って言いながら笑うんだ。アヒルみたいに尖らせて全然そうじゃないみたい、なのに」
     そう言って、アンジョーもまたしょんぼりと肩の力を落とした。
     司ははっと息を呑む。小さい外見に反して、妙に大人びたことを言うのだ。
     ――獣は嗅覚に優れているが、心の機微にも敏感な生き物なのか。それとも、人ならざるもの同士で無意識に通じ合っているのか。
     この子狼は、コーサカという吸血鬼が抱える孤独に気付いている。それも理解でなく直感で。そしてコーサカもまた、子狼の成長を前に本心を隠しきれなくなっている。
     吸血鬼と狼男。長命種と短命種。ふたりの汽水域は広くなるばかりなのに、〝寿命〟という目に見えない隔絶は絶対的に存在し続け、混ざり合うことはない。少なくともどちらかが生き続ける限りはずっと。
     どうにもならないのか。皮肉るよりもどかしさが上回る。司は考え込んだのち、一つ提言した。
    「アンジョー。お前は歌うの好き?」
    「わかんない。でも楽しそう。……おれもやってみたいな」
    「なら一緒に歌ってやればいいよ。アンジョーが一緒ならあいつ、きっと喜ぶ」
    「そうなん……?」と気弱げに尋ねるアンジョーに対し、司は力強く続ける。
    「コーサカと一緒に楽しいことするの、好きだろ? コーサカもそうだよ。根っからの人大好きマンだからな。なら音楽も一緒にやっちゃえば」
    「でもさ、でもさ! ……おれが?」
    「アンジョーがやらなきゃ誰がやるんだよ。コーサカなら心配すんな。ぜってえ喜ぶ。そうでなかったら俺が度突くから安心しろ」
     熱が入りすぎて前のめりになってしまった。子供相手、しかもよその家の子だというのに。冷静になった司は慌ててアンジョーの表情を伺う。
     何の混じりけもなく笑い、大きな口を開けて喜んでいた。素直をそのまま形にした子供は、隣人の優しい兄貴分からたくさんの勇気を貰い、やる気を身体中に漲らせていた。
     素直なのが一番愛らしい。歯茎を見せて屈託なく笑うアンジョーの姿につられ、司もまたにっと笑った。

    *

     音楽。自由に音を鳴らして楽しむ。さまざまな音を重ねて楽しむ。個性と個性を掛け合わせ、思いがけず生まれた響きの色彩を楽しむ。
     音楽の本質というものを、俺は入口程度にしか理解していない。人々がどうして音楽に囚われ夢中になって生み出し続けるのか、推し量るには遠く及ばない。
     けれども、そうして重ねて生み出されたユニゾンが、人と人の絆を強固に結びつけることなら分かる。一人きりで平気な人はいない。誰かと楽しみを共有することは、単純な倍々計算では測れないほどの幸福を生む。
     たとえ人でなくても、時の流れが違うもの同士だったとしても、例外はない。彼らは音を共に楽しみ、賑やかに幸せに生きるべきだ。俺はそう信じて疑わなかった。

    * 

    「……まじ?」
     大荷物を抱え二人が待っているベンチへ戻ってきたコーサカは、思いがけない光景を目にし思わず間抜け声を漏らした。
     手前には腕組みしながら頭をカックンカックンと上下に揺らしている司。信じがたいのは、その奥で司の膝に頭を埋め温そうに身体を丸めているアンジョーだった。二人とも随分リラックスした様子でよく眠っている。
    「めっちゃ懐いてんじゃん。……ええ? あんな短時間で?」
     実際には一時間以上経っていたが、コーサカは時間感覚の狂いに気付かないまま、面白そうにほくそ笑む。片や二人は待ち人の足音に気付かず、すやすやと眠ったままだ。彼らにいそいそと近づき、手に持っていたペットボトルを司の首筋にぎゅっと押し当てた。駄賃として渡そうと別で買っておいた、キンキンに冷えたペットボトルだ。
    「冷たッ!」
     突然の寒気に司は思いきり身体を跳ね上げる。予想以上の良い反応にコーサカは満足そうに口元を吊り上げた。
    「よく寝れました?」
    「マジで何すんだよぉ。背筋がぞくっとしたわ。お前の代わりに子守してんのに」
    「子供と一緒に寝てちゃ子守とは言えねえんですよ、司パパ?」
     彼はなおもニヤニヤを笑みを浮かべているが、コーサカの指摘はもっともだったので、司は強く出れず「お前……もう……悪かったな」と口をもごもごさせている。
     コーサカはコーサカでそれを別に責めるつもりはなく、「ホントありがと、助かったわ」とだけ言い緑茶入りのペットボトルを渡した。
    「なぁ司、アンジョーと二人で何話してたんだ?」
     コーサカは外からぐいぐい押し気味に司の隣へ腰掛け、興味津々の様子で訊いてきた。
     ……何だか、そのまま教えるのは面白くないな。素直なアンジョーの一大決心を伝聞するのは、いくら親代わりのコーサカ相手といえども違うのではないだろうか。
    「そうだなあ……そうだ。お前の話だよ。コーサカという男は大概面倒だから覚悟しとけ、って教えてた」
    「おい! 純粋な子供に余計なことを吹き込むな! 司のろくでなし! そのお茶返せ!」
     コーサカ渾身の叫びが壁にぶつかり反響する。目をかっと見開き本気で焦るコーサカがやはり面白く、司はつい噴き出した。
     
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    リノリウム

    DONE※左右とくに定めてませんが製造元は🐺🦇の幻覚を見がち

    もし🐺の日常が🦇ごと全部ひっくり返ったら?
    イマジナリー兄弟回の🦇一歳弟妄想から着想を得ている
    BLかもだいぶあやしい🐺のサイケデリック話ですが、肉体関係あり前提なので_Bタグです。
    とある木曜日のイマジナリー そりゃあ俺だって一人よりは二人のほうがいいと思うさ。
     一人じゃ抱えきれない強烈な不安が目の前にあったとしても、誰かと折半して互いに勇気づけ合えるならどうにか堪えられる。それに同じ楽しみも誰かと共有できるなら、その喜びは何倍にも膨れ上がっていく。
     〝自分ではない誰か〟という存在は何にも代えがたいものだ。かつての狼のコミュニティでは言わずとも当然の共通認識であったし、東京というコンクリートジャングルに出てきてからもその恩恵に何度何度も救われていた。
     コーサカという男が俺にとってのその最たる存在なのは事実だ。何やかんやでずっといちばん近くでつるんでいる。彼を経由して俺自身も知人友人が増えていく。
     そんな毎日が楽しくて仕方ない。刺激に溢れている。飽きる気もしない。それでいて安心して背中を預けられる。感性が一致している。自分の生き様に誠実だ。言葉交わさずとも深く信じている。
    7763

    リノリウム

    DONE #MZMart

    🦇と🐺の二人が心配で仕方ない🎲の話。
    🚬をちょっぴり添えて。情と義に厚い🎲さんは素敵。
    寿命が違う仲良し煩悩組のあれこれ。連作その3。
    ※各々の寿命の設定については完全に捏造。捏造ありきの創作物として大目にみてください。
    リフレイン・メモリー③ それがたとえ定められた運命だったとしても。大切な友をひとりきりで、時の流れに置き去りにすることなんて出来ない。叶わぬのならせめて、側で寄り添わせてくれ。彼の気が済むまでずっと。
     
    ***

     連休を前に街中はどことなく浮き足立ち、華金の酩酊を今かと待ち望む雑踏で大通りが埋め尽くされている。
     そこから一本入った筋に佇む、青いのれんが軒先に吊り下がっている居酒屋。店主とその女房、お手伝いの三人で営むその店は、手頃な値段にもかかわらず料理の味はピカイチで、それらに合う酒も多数取り揃えられている。普段は人通りも少なく静かだが、今日は流石に常連客で賑わっていた。
     誰にも教えたくない、とコーサカが言い切ったその店に呼び出されたのは、司とホームズのお馴染みのメンバー。店内に一角だけ存在するボックス席を三人で囲み、ようやく運ばれてきたビール片手に小気味よく乾杯した。
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