鬼ふたり あいらしい鬼が泣いている。己の名を呼びながら、けれども別の男を思って泣いている。抱き着く茨木の頭を撫でながらそっと瞼を閉じた。ああ、なんてつまらない。すべてはあの男が来てからだ。いつかそんな相手ができるだろうとは思っていたが、いざその姿を見るとどうしようもなく苛立たしい。彼女のすべてを向けられるあの男がずるい。
ふと、胸に押し付けられていた茨木の顔が見たくなり、彼女の顎へと指を添えた。
「しゅてん…?」
びいだまのような瞳がぼんやりとこちらを見遣る。泣き顔も可愛いけれど――そんなことを思いかけて、漸く己の心を思い知った。眉間に軽い口付けを施せば、少しの間ののち、ぽ、ぽ、ぽと彼女の頬に朱が走る。
「可愛らしいなあ」
おどろきが勝ったのかすっかり涙は止まったようだ。目も口も忙しなく動揺を隠せずにいる彼女を「ええこ、ええこ」と頭を撫で慰めていく。誰にも渡したくはないけれど、なにも彼女を隠してしまいたいわけではない。先ほど自覚した己が言えたことではないが、幸い、愛らしい彼女もあの朴念仁も未だ互いへの気持ちを自覚してはいないだろう。それならばまだ手段は選べる。そんな自分をらしくないとは思う。しかし、稲穂のようなきんいろをもつ彼女は、光の下がよく似合う。そんな茨木が好きなのだ。
怒って、泣いて、驚いて。疲れてしまったのだろうか。すう、すうと小さな寝息が腕のなかに閉じ込めた彼女から聞こえてくる。ああ、明日から楽しみだ。
酒呑、酒呑と己の名を呼ぶかわいいこ。その音はいつぞやとは異なり弾んでいる。喜色を惜しみなくあらわにしたその姿に思わず笑みがこぼれてしまう。彼女の歩調に合わせてゆっくりと己への恋心を育てるのは思いの外楽しいものだった。
「いつにもましてご機嫌だな!」
「せやねえ」
「だが、悪事をするわけではない…のか?」
「うふ…―わかってまう? よう見とるんやね、うちのこと」
「と、当然だ!」
勢いのいい返事とは裏腹に、続く言葉はもごもごと歯切れが悪くなっていく。頭を傾げてその言葉を拾っていけば心の内がじわりと温まるのを感じた。
「茨木、なあ…そないにうちが好きなん?」
あぁ、もう。てっきりまた即答されるものだと思っていた。だからこそ、聞いたのに。彼女の熱が移ってしまったように頬があつい。なんと愛らしいことか。そんな風に「好き」を伝えられてしまっては抑えることなぞできやしない。…おいしそうな、唇だ。
「んぅ…⁉」
柔らかな輝きをもつ彼女の髪へ指を絡ませながら口吸いを深くしていく。ときおり下唇を甘く噛めば、お気に召したのか、ふるりと彼女の身体が腕のなかで身動いだ。
「ふ、ふふ。うちも。茨木ぃ、うちも好きやで」
接吻だけで陶然とした表情をさらす彼女が息をつく最中そう伝えると、大きく見開かれたきんいろと視線が絡む。こぼれ落ちそうだ、なんて思っていた飴玉のような瞳は濡れているようだった。舐めたらどんな味がするのだろうか。どこもかしこも甘そうだ。甘いものは彼女ほど得意ではないけれど、きっとどんな美酒でさえ敵わない。そんな茨木を自分はきっと手放せはしないのだろう。