はつ恋 ふと目を覚ますと俺はリビングのソファーの上にいて、目の前のテレビ画面には見覚えのない古い映画が流れていた。覚醒したての視界には眩しすぎるような風景が流れていて、一瞬だけ、ここがどこだかわからない。見覚えのない風景と見覚えのない人たち、聞き慣れない言語で聞いたこともない台詞が突然脳内に押し入ってくる「愛のない人生なんて、最低だ」。
隣では俺にもたれ掛かりながら三郎が少し前の俺のように寝落ちていた。俺はとりあえず座り直して、ずり落ちそうになっていたケツを戻す。深夜アニメリアタイしようとしてそのまま寝落ちしたんだな。変な姿勢を取っていたせいか、首が少し痛い。そうそう、二郎は友達んちに泊まりに行ってて、今日は三郎が付き合ってくれてたんだ。本当はそう興味なかっただろうのに、三郎はキラキラした瞳で「是非是非お供させてください!」と笑っていた。結局、俺まで寝落ちてなんだか申し訳ない。俺は三郎の身体をそっと横抱きすると、起こさないように部屋へと運んだ。随分と重くなったな~なんて思いながら三郎の寝顔に小さな声でおやすみを言って、リビングへと戻る。煌々としていた電気を消して、おそらく三郎がかけてくれたのだろう毛布を被り直すと、なんとなく画面を見つめる。やべえ太陽が眩しい。森が綺麗だな。南欧だろうか? ピレネー山脈って何処の国だっけ? 既に映画は終わりかけで、若い頃はきっととんでもないイケメンだったんだろうおじいさんが、その人生に幕を引こうとしている。映像も綺麗だし、登場人物も老いも若きもみんなそれぞれに美しくて目に優しい。ちゃんと観たら泣けるんだろうな。なんとなくスマホで情報を取ってみると、三十年くらい前のフランスの映画だった。ストーリーはざっくりいうと死んでしまう前に初恋の人に逢いに行く、というものだった。
「言葉にすると随分と陳腐だな」
心の動きと共に素直に口に出せば、覚醒したての白々した脳内に、ポツリ、と黒点が落ちた。
すっかり目が覚めてしまって俺はスマホを置いてテレビを見つめる。映画に集中しようと思えば思うほど、俺は他のことばかりを考えてしまっていた。美しい映像だけが淡々と俺の目前を通りすぎてゆく。そもそもあんなにイケ爺になれるなんて思わないし、今でさえ大概不安定な俺のこの人生がどれだけ続くかなんて誰にも分からない。だけど、俺はきっと、あのおじいさんみたいには生きられないし、死ねないだろう。そんなことを思った。そしてこうも思う。もしかしたら俺にとっても、初恋がこれほど美しいものだったとしたら少しは共感できたかもしれない、と。だけど、それなら俺はきっと今もあの人に恋をしているだろうし、現状みたいな恋愛のない日々が続けば寂しいと呟いただろう。いつか死に際になったら、きっとあの人に逢いたいと願ったんだろう。残念ながら俺の初恋はこんなに甘く優しくない。それなりに地獄だった。少なくとも振り向く度にそのあったかさに小さく震えてしまうような、そんな愛しいものじゃなかった。
思い出すな。思い出すな。思い出すな。思い……、
暗闇の中に低い声で繰り返せばそう珍しくもない言葉もまるで呪文のようだ。
気がつくとおじいさんは死んで、子供が泣いて、映画は終わっていた。俺は欠伸にしちゃ気持ち多めの涙を目に浮かべたままテレビを消すと部屋に戻ることにした。ねむい、ねよう。顔をタオルで雑に拭く。ねむって、わすれよう、あとかたもなく。