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    ussamitu115

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    ussamitu115

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    スカイウォードソードの別の世界線の話
    ⚠️ギラヒム様が主人公
    ⚠️あまり絡みはありませんがギラファイ前提です。

    #ゼルダの伝説
    theLegendOfZelda
    #スカイウォードソード
    skywardSword
    #ギラファイ
    giraffe

    剣の人柱 スカイロフトの象徴、女神ハイリア像─────
    彼女は今日も変わらず、美しい微笑みを浮かべて民を見守っている。
    朝になればオレンジの淡い雲が島を包み込み、段々と市場は活気づく。子どもは元気に走り回り、夜になれば灯火の元人々は食卓を囲む。
    このような日々の当たり前の幸せは、女神の加護がある限り永遠に担保されると誰もがそう思う。
    そんな常日頃と変わらぬ景色の最中、とある少女が私の目の前に現れた。
    「お前が次の人の子か」
    問いかければ、少女は透き通る空の瞳で私をじっと見つめたのだった。





    ***

    少女はスカイロフトで一番位の高い家に産まれた。
    少女がこの世に産み落とされたとき、産声をあげることはなかった。生まれたその瞬間から、透き通る瞳は何かを悟ったように両親を見つめ返した。
    少女の見た目は常軌を逸していた。宝石のように透き通る空色の髪と瞳を持っていたのだ。いや、宝石の「ように」と表現するのは間違っているかもしれない。むしろ、髪の毛の一本一本が間違いなく透き通る宝石だった。それに加え人間離れした青白い肌を持っていた。と言っても病人のように生気のないそれではなく、健康的な美しさを放つ青白さであった。
    また、少女は見た目だけでなく性格もどこか人間離れしていた。というのも、この子供は滅多に感情を見せないのである。また、そうしたことはあるのかと疑問に思うほど言葉を発さなかった。
    しかし、このように見た目や性格が人間離れしていたとしても腹が空けば飯を食べるし、眠くなれば眠った。人間と寸分たがわぬ暮らしを少女は送っていた。間違いなく彼女は人間だった。
    そうは言っても客観的に少女が人間離れしているという点に変わりはない。人は理解できないものに恐怖を抱くので、村の人間は少女を忌み嫌った。隠れて石を投げつける者もいた。彼女がスカイロフトで一番高い位の家柄の娘だったとしても、村人たちによる差別的な態度は変わらなかった。
    少女には兄がいた。周囲から差別的な扱いを受けている彼女を気遣う優しい兄である。
    「なぜお前は感情を出さないのか」
    いしつぶてで傷ついた額を撫でながら優しく問いかけても、無表情の瞳が彼を見つめるだけだった。しかし、いくら無反応を返されても、彼だけは少女を見捨てることは決して無かった。いつでも彼は少女の身を案じていた。少女が怪我をして帰ってきたときは怪我をさせた人物に倍以上の報いを返し、影でコソコソと悪口を言う使用人にはその人物に対する悪評を屋敷中に蔓延らせた。彼のこういった仕返しは行き過ぎていると一部で話題になったこともあったし、実際少女を護る方法としては間違っているという声もあがるだろうが、それでも少女にとってはただの優しい兄であった。いつしか彼の隣に少女がいる、という光景が当たり前となっていた。
    ちなみに、これは彼が少女に強制したものでは毛頭無い。少女が自ら兄の隣を選んだともいえる。その事実に一番喜んだのは無論兄である。やはり彼女には、「ファイ」には心があると、彼が誰よりも近くで理解した瞬間であった。

    ***

    朝起きたらファイがいなかった。
    そう理解した瞬間、まだ寝起きで働かなかった頭は瞬時に覚醒し、ばさりと避けた毛布が床に落ちるのも気にせずワタシは声を枯らして叫んでいた。
    「ファイ!どこにいる!!」
    いくら叫んでも普段無口な妹がワタシの呼び掛けに答えてくれる方が珍しい。そう理解した瞬間ワタシは呼びかけるのをやめて脇目も振らず部屋中を探し回った。繊細な彫刻の美しいクローゼットや大きなシルクのカーテン裏、去年の冬に使ったまま放置していた暖炉の中など、小さな少女が隠れられそうな場所は全てこの目で確認した。それでもファイはいなかった。なぜ居なくなるのか……。こんなことは、ファイが自らの意思でワタシの元に付き添うようになってからは一度たりとてなかった。それとも、普段からファイがワタシの近くに居なくてはならない明確な理由などなかったので、ワタシと共に居るという選択肢以外を見出したとでもいうのか。それはそれで筆舌に尽くし難いが、何はともあれまずはファイの安全を確認することが先決だと思いとどまる。
    何も、ワタシはただの脳筋の妹好きという訳では無い。ワタシが焦っているのはこの出来事に何か嫌な予感を感じ取ったからだ。脳裏に蘇るのは昨晩の出来事……。いつもワタシの近くにいると言っても、本当にただ近くに居るだけでそれ以上自ら要求してくることのなかったファイが、一緒に寝たいと言ってきた。その時ワタシは格好いい兄を演じる裏で心底舞い上がっていたが、今考えればあれは不穏の前兆だったのかもしれないと思い至る。よく考えてみれば、ファイが何の理由もなくあんなことを言い出すはずがない。どんなに些細なものだったとしても、人より感情の起伏に劣る少女があんなことを言い出したのだから、それは彼女にとってとても大きな心境の変化だったはずだ。ワタシはそれを見逃した。兄として失格だ。
    ふと視線を落とすと、そこにはベッドサイドに置かれたクリスタルが寂しげに輝いていた。これはファイが出歩く時には必ずと言っていいほど耳に下げていくものだ。それがここにあるということは……。嗚呼、嫌な予感はますます膨れ上がっていく。こんなに不安や心配という感情が心を支配するのはいつぶりだろうか。こんなに心配していた自分が馬鹿みたいだと思えるくらい、呆気なく見つかったりはしないだろうか。しかし理由はわからないが、そんな可能性はありえないのだという確信のみがじわじわと胸中を支配していくのだけはわかった。ワタシは着替えるのも忘れて、なりふり構わず寝巻きのまま部屋を飛び出した。

    午前中、教育係による神事の授業をすっぽかして屋敷中駆け巡り、すれ違った使用人一人一人に質問して回ってみても、誰一人としてファイの目撃者を得られずワタシは悶々としていた。昼近くになっても見つからずついにワタシは屋敷を抜け出して外を探すことにした。まずは近いところから探そうと思い、屋敷の外に取り付けられたテラスや屋根の上に目を凝らした。それでも見つからなかったので、屋敷を出てすぐ近くにある備え付けの騎士学校付近を探索したが、やはりそこにもファイはいなかった。
    朝起きてから今のいままで神経を張り巡らして探してきたせいで心身共に疲れていたワタシは、次に探索しようと思っている女神像の所まで行って一度休憩を挟もうと考えた。
    女神像へ続く階段をのぼっていると、何やら人の話し声のようなものが聞こえてきた。階段をのぼり切った所にある敷地入口の壁面から中へ顔をのぞかせると、そこには巨大な女神像の足元の祭壇で話し込む母メイシェと家令のインパがいたのである。
    インパは母の両肩に手を置いて何か言った。
    「お務めご苦労様です、メイシェ様。」
    「…………」
    インパの言葉に母は何かこぼしたようだったが、生憎彼女はワタシのいる位置から背を向けていたので、その言葉を聞き取ることはできなかった。
    「今はお屋敷に戻りゆっくりとお休み下さい。」
    インパはそう言うと母の肩に手を添えてこちらに向かって歩き始めた。咄嗟のことで焦ったワタシは入口付近の崖下にある小さい段差に飛び降りて身をかがめた。
    それ以降二人は特に何か会話したわけでもなく、ただ黙って屋敷へと向かっていったのだ。

    二人がたち去った後、ワタシは直ぐに女神像へ向かった。彼女たちは一体何をしていたのだろう。インパが母にお疲れ様と言っていたことから、母は普段からワタシが授業を受けている間に女神に祈りを捧げる仕事をしていたのかもしれない。二人がここにいた理由も気になるが、何より今はファイを見つけることに集中しなければならない。しかし敷地内をどんなに探してもファイはいなかった。自分の非力さに無性に腹が立って、この気持ちをどこかに逃がしたい思いでいっぱいだったが、なんとか踏みとどまる。
    ワタシはもう一度目を凝らして女神像周辺を探し直すことにした。何も本人ばかりを探す必要は無いのだ。もちろん本人がそのまま見つかることが何よりも嬉しいことに変わり無いが、そんなに単純な話では無いだろうということは、今までの経緯から何となく察している。探すべきはファイの居場所に繋がりそうなヒントだ。もしかしたらファイが困ってどこかにSOSを書き残したかもしれないし、そうでなくとも彼女が落し物をした可能性だってありうる。
    ワタシは周囲に生える木々の幹を一つ一つ確認した。女神像の周りを護るように存在する石造りの壁も細かくチェックする。
    「やはりないか……」
    いくら探してもめぼしいものは得られず、思わずため息がこぼれる。もはやここですべきことがわからなくなり、ワタシは何となく女神像の足元に戻っていった。ふと女神の顔を見たくなって上を見上げてみたが、この女神像はとても大きいので、下から見上げただけでは表情を確認することが出来なかった。しかし年に一度、鳥乗りの儀の間だけその顔を拝むことのできる者がいる。それは、鳥乗りの儀の優勝者と女神ハイリア役、そして神主家の長である。神主家の長は神事を取り仕切る者たちの代表として、優勝者と共に女神の手元に降り立つことが許されているのだ。かくいうワタシも、後に一族の跡を継ぐ者として父と共に女神の手元に連れて行ってもらったことがある。その時に見た女神は、母親のように柔らかい笑みを浮かべて人間らしくもあったが、逆に人間とはかけ離れた神々しさも持ち合わせていたと記憶している。
    ふと、人間らしさと人間離れを持ち合わせているという点で女神とファイは似ていると思ったワタシは、像の足元に刻まれた女神の紋章に向かって手を伸ばした。すると驚いたことに、ワタシの手は紋章に触れることなくすり抜けたのだ。驚いて手を引くと紋章の刻まれた壁は元通りただの壁に戻る。意を決してもう一度手を伸ばすと、やはり手は壁の向こう側へと吸い込まれた。まさに実体の無い壁という感じだ。驚いて少し体が固まってしまったが、手が壁の向こう側へ吸い込まれたことで女神像の中に空間があるということが分かり、ワタシは恐る恐る中へ踏み出した。

    中に入ってまず視界に映りこんだのは、一本の剣だった。ワタシは見えない何かに引っ張られるように剣の前に立つ。美しい彫り込みがなされたオフェリアの柄と柔らかい光を放つ乳白色の刀身を携えたこの剣に、これを視界に入れた者を魅了する何かを感じ取った。もはや化学や物理といった人間たちの生み出した法則では説明のつかない、神域に至る何かであった。
    ワタシは無意識にその剣に引き寄せられて、柄に手を伸ばした。そして触れた瞬間、
    「っ!!」
    ワタシの手は大きく弾かれてしまった。触れた右手にバチバチと痺れが走る。同時にどこか懐かしい記憶みたいなものもフラッシュバックする。記憶の中でワタシは誰かの近くにいるけれど、その「誰か」の顔は分からなかった。
    「これは一体……」
    突然のことに驚いて動けずにいた身体が落ち着いた頃、改めて剣を凝視する。
    あの記憶は何なのか、そしてあの身を包み込むような懐かしさは一体……。
    情報が足りなすぎて考えても考えても埒が明かない。わかったことといえば、剣は結界のようなもので護られていて、かつワタシがその剣にとってお呼びでは無いということだけだ。なんといっても、ワタシは剣に弾かれてしまったのだから。

    「お前は一体何者だ」

    突如、空間に低い男の声が響き渡った。ワタシは思わず声のした方を返るが、そこに人の姿はなかった。慌ててドーム状の空間をくまなく見回してみても、そこに誰かがいる訳でもない。
    「お前、何故ここに入ることが出来た」
    続けて呼びかける声を遮ってワタシは声をはりあげた。
    「お前こそ何者だ。姿を見せろ!」
    動揺をひた隠しにするように一気に捲し立てると、声の主はあからさまに笑い声を上げた。
    「ほう、なかなかに威勢のいい子どもだ。実に面白い。」
    声の主はさもワタシのことを馬鹿にしたようにそう言った。
    「……よく見てみればお前は神主家の子か。耳に下げたクリスタルが何よりの証拠だからな。ならばお前がここに入ることが出来た理由も納得が行く。」
    「御託はいいから正体を見せろ」
    いい加減怒りが沸点に達しようとしたところで、相手はいやいやそうはいかぬのだと火に油を注ぐようなことを言う。
    「どんな考えでここに入ってきたかも分からぬ者に正体を暴くことなど出来ぬ。」
    「なんだと?」
    「だがひとついいことを教えてやろう。」
    姿の見えない相手に食ってかかろうとした瞬間、それを遮るように男は言った。
    「その剣は卑しい心を持つ者には触れることすら叶わない。……お前はその剣に弾かれたのだから、つまり、それが答えということだ。」
    「どういうことだ?」
    更に問い詰めようとするが、相手は既にワタシに興味はなくなったとでも言うように突き放す。
    「私から言うことはもう何も無い。気になるならばここにあるもの、好きに調べればいい。但し持ち出すことは許さん。」
    この言葉の後、今後男が何かを言うことはなくなるだろうと察したワタシは慌てて彼を呼び止めた。
    「待ってくれ!ここに空色の少女を見なかったか?」
    空に向かって真剣に問いかけたが、相手は無慈悲に突き放すだけだった。
    「……私から言うことは何も無い、それが答えだ。」
    男はそう言ったきり姿を見せることも無く、これ以上何か言ってくることも無かった。
    何故彼はワタシの質問の後、少し答えに詰まったのだろうか。そしてあの回答……あんなのは質問に対する答えになっていない。それこそ真実を濁すための曖昧な回答だ。
    ふと嫌な予感がワタシの胸中を燻った。勘違いであって欲しいものだが、何故かワタシの中で疑念は確信へと変わりつつあった。つまるところ、ファイの失踪と何か関わりがあるのかもしれないという疑念である。

    とにかく、ここにあるものは持ち出さなければ好きに調べていいということなのでそうさせてもらう。ここで一番気になるのはあの剣のことだが、触れられないのではどうしようも無い。そのため剣は一旦後回しにして、他を調べようと思う。実は先程から剣の他にずっと気になっていたものがもうひとつある。ワタシは剣の台座の奥へと足を進めた。そこにはフワフワと浮かぶ女神の紋章のモチーフと、三つの石版が嵌められた台座があった。石版にはそれぞれ「フィローネ・オルディン・ラネール」の文字とそれに対応する地図のようなものが刻まれており、一つずつ小さいクリスタルも嵌め込まれていた。
    (どれも見たことの無い言葉と地域だ……)
    剣の時からそうだったが、この空間にあるもの全てに何か重要な意味を感じてならなかったワタシは、見落としのないように隅から隅まで調べることに専念した。石版の上に指をはわせて地図の地形を確かめていると、「ラネール」の石版に女神の紋章に似たモチーフが刻まれていることに気付いた。そのモチーフは女神の紋章と異なり、上に三つの正三角が足されていた。ワタシはその正三角を伽話に出てくるトライフォースのようだとも思ったが、気になったことといえばそれだけだった。なによりこれがトライフォースだという確証も持てなかった。他に気になることもあるにはあるのだが、何より見たことも聞いたことも無いものが多すぎてワタシの手には負えなかった。
    そもそも、人間の住む世界にこのように広い地面の広がる場所など存在するはずがないのだ。
    (ただの空想上の産物か……?)
    そう思って石版から顔を離し立ち上がる。かがみっぱなしで凝り固まった肩と首をぐるぐる回すと、コキリと軽快な音が鳴った。
    空想上の産物だと無理やり考えてしまえれば楽だが、それだとどうにも納得がいかない。何より姿を見せない声の主……。絶対になにかを知っている。この剣や石版が何の意味も持たないただの飾りならば、あのように意味深な存在がここにいる説明がつかない。
    そもそもこれらがただの飾り物ならば、今頃民に公にされていてもいいはずなのに、実際にはそうなっていないのだから不思議だ。神主家のワタシが知らなかったのだから、一介の人間がここの存在を知るはずがない。……つまり、この場所は民から隠されるべき相当の理由があるということだ。一体この場所にはどんな真実が隠されているのだろう。
    考えても埒が明かないので再度石版を見つめていると、ふとあることに気がついた。石版の周り、絵画でいうところの額縁のようなところに文字のようなものが刻まれていたのだ。近づいて確認してみるとそこには「雲の下」と刻まれていた。
    (「雲」とは、スカイロフトの下に広がる厚い雲のことか?)
    そしてその下、とは一体何なのか。まさかあの雲の下にこの広い地面の世界が広がっているとでも言うのか。しかし盲点ではあったと思う。なんせ生まれてこのかた、雲の下のことなど考えたことがなかったからだ。今まで雲の下には奈落が広がっていると当たり前に思っていた。いや、思い込んでいたのだ。この目で確かめた訳でもないのに。
    やはりこれがファイの失踪に関係しているに違いないとワタシは思い至る。スカイロフトの狭い敷地を時間をかけて探索したにも関わらずファイを見つけ出すことが出来なかったこともあり、藁にもすがる思いだったというのもそうだが、なにより姿を見せない声の主が最後に残した言葉がワタシにそう確信させたのだ。
    だが、この空間がファイの失踪と関わっていたとして、それはそれで厄介である。隠された空間と人間の理解を超越した存在は、ファイが神々の戯れに巻き込まれたことを暗に示すものだったとしても何らおかしくないからだ。
    現実的な考えをする人間ならばそんな考えは馬鹿らしいと一蹴するだろうが、女神のお膝元の神主家が人々の上に立つここスカイロフトではそのような当たり前は通用しない。
    まだ言っていなかったが、神主家の当主となった者には女神ハイリアの加護の元、新たな力が与えられる。それはないところから物を生み出す創造の力だったり、テレパシーの能力、予知能力など様々であると言われている。現神主家当主であるワタシの母・メイシェにも神々から治癒能力が授けられた。
    つまり何を言いたいのかと言うと、そのような人知の及ばぬ現象が紛れもなく現実に起こっているのだから、ここスカイロフトでは神々と人間の距離は限りなく近く、また、神々のしでかすことがもし人に理解出来ないものだったとしても、神だからという理由で正当化される可能性があるのである。もしそのような「神々の戯れ」にファイが巻き込まれたのだとしたら、もはやワタシに為す術はない。
    だが、だからといって諦める訳には行かない。そこでワタシは考えた。この空間の存在を知るものは恐らく母メイシェとインパに限られる。どうにかして彼女たちから情報を得なければならないが、真正面からファイの行方と女神像内部の空間について尋ねても恐らく教えてくれる可能性はゼロに近い。恐らく、姿を見せぬ声の主と同じように曖昧に返されて終わりだ。
    なのでとりあえず、今のところは大人しく授業に戻ることにする。座学担当の執事のホーネルにはワタシが授業を抜け出していた事を口止めさせる。今頃ホーネルはワタシが居ないことにあたふたして色々な人に尋ねて回っているだろうが、恐らく今戻れば母にその情報が伝わることもない。今はそれぞれの使用人が各々の持ち場を担当している時間帯であり、その仕事が終わるまで使用人達は持ち場を離れることが出来ないからである。また、母の仕事中は使用人はいかなる場合であってもその仕事の邪魔をすることは出来ないという決まりもある。理由はそれが神事を司る神聖な大任だからだ。神聖な職務中の介入など以ての外だということだ。そのため、ホーネルが直接母にワタシの行方を尋ねてしまう心配もない。
    ということで先程も述べた通り、まずはさりげなく授業に戻ってホーネルを口止めする。そして夜になったらさりげなく母の書斎に行き彼女にファイの行方を問う。そこで母が白か黒か確かめる。もし白の場合、母はファイの行方を探すのに協力的になるはずだ。
    しかし黒の場合はまた対処を考えなければならない。その場合は大まかに二つのパターンが考えられる。一つは母たちが全くファイの失踪に関わっていなかった場合だ。ファイの失踪に関わっていないが探すのに協力的で無い、それはつまり、ファイの失踪を年頃の少女の家出程度にしか考えていないということになる。この場合、雑な言い方をしてしまえばファイを探すのに非協力的な理由は探すのが面倒臭いからというだけなので、ワタシが独自に探したいから召使いを大勢招集したいと言えば大方OKを貰えるはずなのである。ワタシの不安も勘違いで済んで終わりというわけだ。
    問題なのは二つ目だ。彼女らがファイの失踪に本格的に関わっている場合も考えられるわけである。その場合、少なくともワタシは彼女達の協力は得られないだろう。なぜなら彼女たちはファイを失踪させたことに対する後ろめたい真実を知られたくないからだ。なのでその場合、ワタシは独自にあの空間の秘密を暴き、ファイを見つけださなければならない。
    とにかく、この空間からこれ以上の情報を得られない今ここに留まっていても意味が無い。ワタシは女神像から抜け出して、屋敷へ続く道を急いで戻って行った。

    ***

    「ギラヒム様!今までどこにいたのですか!」
    講堂に戻って早々、半分死んだ顔をしたホーネルに耳元で怒鳴られた。少々面倒くさいなと思いながらも事前の予告もなく授業を抜け出した自分に全ての非があるので、とりあえず彼の小言は全て聞き入れることにした。したのだが、その決意は数分後いとも容易く崩れ去る。あまりにも似たような小言が続くのでいい加減聞きあきてしまったのだ。
    「ホーネル、うるさい。今日やる予定だった内容は必ず次回までに追いつかせるから、その代わりひとつだけ頼み事を聞いて欲しいんだが。」
    「……それは一体なんですか?」
    小言を言うのをやめてさも渋々といった様子でワタシの頼みを聞き入れようとするホーネルに心底感謝する。なんというかこんなことを言っては悪いが、彼は結構扱いやすい。お人好しが炸裂して悪い奴に利用されなければいいのだが。まぁそんなことは置いといて、とりあえず本題に入ることにする。
    「今日ワタシが授業をサボったことは、母上に言わないで欲しいんだ。」
    ワタシがそう言うと、ホーネルは訝しげにワタシの顔を覗き込んだ。
    「まさか怒られるのが怖いのですか?」
    「まさか。ワタシがそんな情けない理由でこんな頼み事をすると思っているのか?お前は。」
    少し睨みつけながら言うと、ホーネルはこれ以上心労を溜めたくないといった様子で渋々頷いた。
    「はぁ……まぁわかりました。確かに、毎日休むことなく勉学に勤しんでこられたあなたが事前の連絡もなしに急に授業をお休みになるなど、相当な事情でもあったのでしょう。本来ならばメイシェ様に報告しなければならないところですが、今日一日分の内容であれば十分次回までに補うことが可能です。ただし、次回までに今日の内容を理解できていなかったらその時は……おわかりですね?」
    普段の締まりのない顔を引き攣らせてそう言うホーネルは中々に迫力がある。
    「あぁ、わかっている。感謝するぞ。」
    ワタシがそう言うと彼は引き攣らせた顔を少し弛めてこう言った。
    「ええ、どういたしまして。もし本を読んで分からないところがあれば遠慮なく私に聞きなさい。」
    やはり彼はお人好しだ。普通こんなことがあれば誰だって問答無用で母に告げ口する。しかし普段、剣術担当のアウールと並んで一番ワタシの近くにいるホーネルは約束したことは必ず守る男だと知っている。小さい頃からワタシの世話係を務めてきた二人に抱く信頼は母のものと比べ物にならない。というより、明らかにホーネルやアウールの方が母よりもプライベートな話を出来る距離感なのだ。ワタシは母を信頼出来ないのではなく、そもそも母のことを知らなすぎるのだ。これが、ワタシが母に対して慎重になってしまう原因なのである。勿論母と寸分も関わりがない訳では無いが、やはりスカイロフトの現族長である母は日々業務に追われて忙しく、一日の中で唯一接する機会のある夕食時であっても何も話さず終わることが多い。話しても事務的な内容くらいだろうか。物心ついた頃からそんな感じなので、ワタシの中ではむしろ世話係の二人の方が気さくに話し合える仲なのである。
    そんな訳で、他の召使いと異なりファイに対する理解も厚い二人だ。だからワタシはそんな世話係の片割れであるホーネルに思い切って聞いてみることにした。
    「ホーネル、神学を専門とするお前に折り入って聞きたいことがあるのだが。」
    「なんですか?」
    「あの女神ハイリア像はどういう経緯で建てられたんだ?」
    ワタシが聞くと、彼は細い眉をピクリとあげた。
    「それは今までに習ってきたことですよ。あれは女神様が神主家にスカイロフトの統治をおまかせになった際、両者の盟約の証として女神様が神主家に贈ったものだと教えたではありませんか。」
    「あぁ、わかっている。だがそれはあくまで表向きの理由だとも考えられるわけだろう?」
    「何が言いたいのですか?」
    再度訝しげにホーネルはこちらを見つめた。
    「つまり何が言いたいのかと言うと……あの女神像が建てられた本当の経緯を知りたいんだ。」
    少し考えてワタシがそう言うと、ホーネルは少しの間を置いて考え始めた。暫くして彼は普段閉じた細目を少し見開きワタシを真っ直ぐ見つめ、こう言った。
    「……ギラヒム様、女神様の教えを疑うのですか?」
    「そうじゃない!」
    「ではなぜそのようなことを?」
    あくまで聞く体勢を崩さないホーネルを見てワタシは思い切って本題に入ることにした。今のワタシに協力者がいるとすれば目の前の彼か、もう片方の世話係のアウールしか居ないのだから。
    「……ファイが失踪したことは知っているか?」
    そう聞くと、ホーネルは鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。思わぬ方向からの回答に理解が追いつかないのだろう。暫くしてホーネルは口を開く。
    「いえ、知りませんでした。ファイ様がどうかなされたのですか?」
    「実は……」
    そうしてワタシはこれまでの経緯を全て彼に説明した。失踪したファイを探すため授業に出ていなかったことや、母とインパが女神像の前で会話していたこと、女神像内部の謎の空間、そしてそこに納められていた剣と石版、姿を見せない謎の男のことなど、全部。
    「お前に最初、ワタシが授業に出なかったことを母に報告しないで欲しいと頼んだのもこれが理由だ。」
    そうして全て話し終わった頃には、ホーネルは深刻な顔をしてワタシにこう言ったのだ。
    「……大変申し訳ないのですが、ギラヒム様。これ以上この件には関わらない方が良いかと思われます。」
    ホーネルのその言葉に、ワタシは背筋が凍る思いをした。
    「……お前までファイを見捨てるのか?」
    心底冷えきった目で彼を見つめるが、ホーネルは決してワタシから目を逸らさなかった。
    「決してそのようなわけではございません。……ですが、そのように長年の間隠されてきた真実の裏には必ず関わってはならない危険が付きまといます。よりによって神々が絡む事象ともなれば、一介の人間に過ぎない私に出来ることなど何もありません。」
    「そんなことはわかっている。神学専門のお前に元から神々に抗う力など期待していない。だからお前には真実を教えろと頼んだのだが、やはり骨折り損だったか。」
    話にならないと席を立ち上がると、ホーネルは俯きがちにこう呟いた。
    「ギラヒム様……あなたがファイ様を大切に思っているように、私にも大切な存在が……家族がいるのです。あなたなら私のこの気持ちも理解できるはずです。」
    そう言ってホーネルは顔を上げ、更に続けた。
    「この話を聞いたことは決してメイシェ様には報告致しません。」
    その言葉からワタシが感じたものは、幼い頃から信頼を置いていた人物に対する落胆だった。見て見ぬふりをする人間……そんな曖昧な存在が、ワタシは一番嫌いだ。
    そうしてワタシは振り返ることなく講堂を後にした。

    ***

    こんなことなら最初から期待しなければよかったのに、人間とはつくづく過ちを犯す生き物なのだと実感する。次の授業が剣術だったので、剣術担当兼もう一人の世話係であるアウールにも協力を仰ごうと思っていたが、もうこれ以上気分を害したくないので相談するのはやめにした。
    とにかく、今日は一刻も早く母の心の内を確認しなければならない。ワタシはおもむろに壁にかけられた時計を眺めた。夕食の時刻は刻々と近づいている。もし母が黒だとして、彼女に怪しまれでもすればワタシの身に危険が及ぶ。だがいつもいるはずのファイがいないなど緊急事態に変わり無いのだから、居場所を尋ねた所で全くおかしくないはずだ。そう、普段の事務連絡のようにさりげなく聞き出せばいい。そして母が限りなくファイの安否を心配して真剣に探す素振りを見せてくれたのなら、ワタシの命の危険が全くなくなるという意味で少しは心労も軽減する。
    しかしもし神絡みでなかったとしたら、あんなに真剣に探したのに何処にもいなかったのでそれはそれでファイを見つけ出すのが本当に困難になってしまう。だがワタシにはまだ探しきれていない部分がある。それはスカイロフト周辺にまばらに広がる小島だ。流石に捜索範囲をそこまで広げるとなると、相当の人手が必要なのである。そしてその人手として、母の管轄する先鋭の救助部隊が必要なのだ。彼らを招集して空全域を探した上で、そうまでしても見つからなかったら……いや、少しでも希望がある限り最悪の事態を考えるべきでは無い。
    ワタシはベッドサイドに置かれていたファイの耳飾り……紅のクリスタルをそっと握りしめた。どうしようもなく不安な時はこうして何かに縋りたくなるというのは何となくわかる気がする。
    そんな柄にもないことを考えていたら、突如部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。
    「ギラヒム様、お夕食の時間でございます。」
    遂にこの時がやってきた。じっとりと汗が滲み、ゴクリと生唾を飲み込んだ。ワタシはクリスタルをそっと懐にしまい込み、服装を正して自室を後にした。

    食卓のある部屋へ通された途端、いい匂いが鼻腔を満たした。チラリと食卓を見ると母は既に席についていて、ワタシが来るのをひっそりと待っていた。
    席に着くと、母の側仕えのインパが次々と料理を食卓に並べてくれる。
    本日の夕食は神々からの賜り物である(とされる)ニワトリの香草焼きに、穀物の香りがこおばしい焼きたてのパン、かぼちゃの葉を蒸して柔らかくした和え物と、同じくかぼちゃをとろとろになるまでじっくり煮込んだスープ、そして栗とクルミをすり潰してこんがり焼いたクッキーだった。
    豪勢な食卓にいつもならそそる食欲も、さすがに今回ばかりはなりを潜めている。
    しかし不安げにしてはならない。あくまで普段通りにしていなければ、もし母が黒だった場合に勘づかれてあっという間に終わりだ。
    そうしてあれこれ思案していたら、急に母に問いかけられた。
    「ファイはどうしたのですか?姿が見当たらないようですが。」
    母の方からこう聞いてくるのは想定内だった。通常なら普段居るはずのファイがいない現状をおかしく思うはずなので、母が黒の場合でも怪しまれないためにこうして先手を打ってくるのは考えられることだったのだ。
    「ワタシも母上に伺おうと思っていたのですが、やはりご存知ありませんか」
    前菜のかぼちゃの葉の和え物に手をつけながらチラリと彼女の顔を盗み見る。様子は普段と特段変わりない。そのまま様子見で更に揺さぶりをかけることにする。
    「授業後外へ探しに出たのですが一向に見つからず………民の中にはファイのことをよく思わない輩もおります故、ワタシは心配でなりません。」
    「………………」
    黙りを決め込む母に食事の手を止めて彼女の顔を見る。母は表情ひとつ変えなかったが、褐色の瞳は瞳孔が開き、いまいち何を考えているのかよくわからない。
    「母上?」
    呼びかけると彼女はハッとして、緩慢とした動作で食事に手を付け始めた。
    「いえ……私もファイの行方が心配でなりません。」
    なんだかパッとしない。彼女はファイの失踪について何かを知っているのか、いないのか。これだけではただ娘を心配する母親に見えないこともない。だからといって怪しさが拭えない訳でもないのだが。
    「ええ。ですから一時的にファイを探すため、空域救護班から五十人程招集したいのですが。」
    「空域救護班からですか?」
    「はい。スカイロフト周辺の空島にいる可能性が捨てきれないからです。もしかすると、ファイのロフトバードが怪我をしてこちらに戻って来られなくなった可能性もあります。」
    ワタシがそう提案すると、母はしばらく考えた後ゆっくり頷いた。
    「…そうですね。夜は冷えて危険ですし……今すぐ出動要請を出しましょう。……インパ」
    「はい、メイシェ様」
    母が呼びかけると、奥で控えていたインパがすぐに彼女の近くに駆けよってひざまづいた。
    「空域救護班を五十名招集しなさい。そしてファイを見つけ出したものには報奨金の上乗せを約束すると伝えてください。よいですね。」
    つらつらと、まるで予め言葉を用意してきたかのように告げる母。
    「かしこまりました」
    インパはそう言うと早速屋敷備え付けの兵舎に向かっていった。
    「どうしたのですか、ギラヒム。食べなければ力がつきませんよ。」
    「いえ……」
    (なぜだ……いや、一見おかしな所はないのだがこの違和感……何かが引っかかる……)
    ワタシは黙々と食事を続ける母を見た。なんというか、あまりにも淡々としている。
    母が敵だろうが味方だろうが、何かを失う恐ろしさは必ず付きまとうはずなのだ。それがただの親なら娘を失うことに対する底なしの不安を、神の戯れに尽くす者ならいつ粛清にあうかもわからぬ終わりのない恐怖を。
    必死さが足りない─────
    そう、圧倒的に必死さが足りないのである。
    (何故だ…何故こんなにも悠然としていられるんだ)
    スープを掬いながら再度母の顔を見る。やはり娘を失うのが怖いから協力しているという風には見えない。
    (……では母は敵なのか?
    いや、ならば何故協力する必要がある!)
    そこまで考えてふと思い至る。
    (まさか、興味が無いのか?)
    興味が無い。それはつまり、ファイの行方などどうでも良いということだ。ワタシが勝手に探し出してファイを見つけ出そうが、あるいは見つからず行方不明のままとなろうが、どうでもいいのだとしたら──────
    (だからワタシの提案を汲んだというのか?)
    嫌な冷や汗が背中を伝っていく。
    いや、それとも──────
    (それともこれは、いくら探しても見つけ出せはしないという自信か?)
    ふと視線を上げるとそこには作業のように鶏肉を切り、口に運ぶ母。今日も絶品だわと後ろに控えた料理長に褒め称えているサマを見て、言いようもない気持ちがワタシの胸を支配する。
    いくら考えても求める答えの出てこない状況に、しかし、ただ一つだけわかったことがあるとすれば…
    ワタシは目の前の存在を誰にも分からぬように睨みつけた。
    (こいつはクズだ)
    理由はどうあれあの態度…娘をモノのようにしか思っていないクズ。
    ゴミクズだ……!
    ワタシは込み上げる吐き気を隠すように残りの食事を片付けた。強く握りしめた手の爪が肉にくい込み、血が滲む。
    怒りが込み上げ殴り掛かりたくなるが、ここで牙を向いても意味は無い。
    ワタシはただひたすらこの時間が終わるのを待った。そして待ちながら考える。決して怒りに身を任せて目的を見失ってはならない。目的はあくまでファイを見つけ出すこと、ただそれだけ。それだけなのだ。
    そしてそのまま刻々と時間は過ぎ、新たな展開になるでもなく夕餉の時間は幕を閉じた。

    ***

    ワタシは食事後すぐさま母の尾行を始めた。何故こんなことをするのかというと、母への疑いが拭えないからだ。心の中で彼女のことをゴミクズだと思いながらもその実、残念ながらファイの失踪に彼女が関わっているかどうかはまだ確信が持てないままでいる。
    それはそうだ。あくまでワタシが食事の時考えたことは、その全てが確たる証拠のない憶測でしかない。また、今日の昼に授業を抜け出した時母は女神像の前にいたが、あの空間に入っているところをこの目で実際に確かめた訳では無い。ワタシが見ていない以上、百パーセントの確信は持てない。
    無論母が女神像の中に入っていたとして、それとファイの失踪とは全くの無関係だったという場合もありうる。
    だが、だからといって少しでも可能性の残る道をみすみす見逃すわけにはいかないのである。見逃してしくじって、ファイを救えなければ全てが本末転倒、塵芥に帰す。
    幸いなことに空域救護班がスカイロフト一帯を捜査してくれている今、ファイが単なる迷子だった場合の対処法は少なからずなされていると考えて良い。空域救護班は空を専門とする捜索・救助のスペシャリストである。探し物を見つけ出すという点ではワタシよりも遥かに腕のいい者たちだ。なのでワタシが彼らと共に外に探しに行くくらいなら、もうひとつの可能性……母メイシェの動向を探っていた方がいい。
    ワタシは腹を括った。見つかったらどんなことをされるかわからない……そんな不安はもしかしたら杞憂かもしれないが、神々が絡んでいるかもしれない以上可能性はゼロではない。
    ワタシは途中まで大人しく部屋に戻るふりをして、上手く使用人たちの目をかいくぐりながら母の後ろをついていった。
    幸いなことにインパは空域救護班の指揮係として外に出向いており、尾行をするには今が最大の狙い目である。側仕えをしながら指揮官もこなすなどどんな人間だとツッコミたくなるが、今は彼女のなんでもこなす要領の良さが素直にありがたい。
    ワタシは尾行を続けながら母の行動を観察した。どうやら彼女は自分の書斎がある方向へと向かっているようだ。ワタシはそのまま彼女の後を追うように歩みを進め、着々と距離を詰めていった。そして母がようやく目的地に辿り着きそのまま中に入るかと思われたのだが、なんと彼女は自分の書斎に入ることなく扉の前を通り過ぎたのである。一体どこへ向かっているのだろうか。この先には今は使われていない父の書斎があるだけなのだが。
    (まさかそこに用があるのか?)
    だが目的地が父の書斎だったとして、一体何をしに行くのだろう…ワタシは母の行動を訝しんだ。
    そこでふと思い出した。
    ワタシが幼かった頃のあやふやな記憶の中に、ひとつはっきり覚えていることがある。
    それは「父の書斎に入ってはならない」という母との約束だった。

    父の名前はアルマクといった。
    彼はワタシが幼かった頃…正確には四、五歳位の時に忽然と姿を消した。それ以前の記憶は物心が着く前なので正直あまり記憶が無い。父との思い出といえば丁度その頃に行われた鳥乗りの儀くらいである。例の女神の手元に連れて行ってもらったというあれだ。そういうわけで父については知らないことの方が多い。どんな人柄で、どういった顔立ちだったかも朧げだ。
    また成長した後世話係の二人から聞いたところによると、父は新たに見つかった小島に調査に向かったまま帰ってこないということだ。その話を聞いてワタシは事故死したのかと思ったくらいで、それ以降彼について特段なんとも思わずに今まで過ごしてきた。神主家の長として日々仕事に追われていた父との思い出などほとんどないに等しかったので、ワタシにとっては正直生きてても死んでいてもどちらでも良かったのである。
    また「父の書斎に入ってはならない」という約束事についても、なぜ入ってはいけないのかとか、中にはどんなものがあるのかとか、そんな小難しいことを考えられるほどあの頃のワタシは大きくなかったし、なによりともかく幼かったので、本を読む以外にも生活の楽しみがごろごろしていたからあれ以来その書斎について興味を持つことすらなかった。
    ともかくワタシは幼い頃から興味のないことにはとことん無関心なタチなので、あの頃は父や書斎のことについて何一つ考えていなかったのだ。
    それでも時々書斎のことを思い出して入ってはならない理由を考えてみたことが…あるにはあるが、暫くしてそんなものは考え出したらキリが無いと考えるのを諦めたのを思い出す。
    例えば本棚の上に重いものが置かれていて幼い子供が無闇に入っては危険だからとか、日々の職務に欠かせない重要な書物や道具が置いてあるからだとか、理由などいくらでも想像がついたのである。

    そこまで考えてワタシはふと閃いた。
    (書物……)
    書物でなくてもいい。紙や石版……つまり文字を残せるものならなんだっていい。そういったものに、人に知られてはならないようなものがもし記されていたとしたら…?
    もしそうなら、書斎に入ってはならない理由……それは人々から何かを“隠す”ため、ということになる。
    それは大いに有りうるだろう。なぜなら既に女神像内部の空間という実例があるからだ。
    あの場所にいた姿を見せない謎の男はこう言っていた。
    『……お前は神主家の子か。ならばお前がここに入ることが出来た理由も納得がいく。』と。
    つまり、どういう仕掛けか分からないがあそこには神主家以外の者が入ることは出来ないのだ。それなのに民たちは愚か、ワタシですらあの空間の存在を知らなかった。つまり、あの空間は長い間人々から隠されてきたのだ。
    それと全く同じことが父の書斎にも当てはまるのではないかと───
    そして、その隠された何かを知ることが出来る者はここスカイロフトで母メイシェぐらいのものだろう。なぜなら神主家の血筋を持つワタシにすら真実を隠しているからだ。つまり、真実を知ることは神主家当主にだけ許された特権なのだろうとワタシは考えた。
    いや、もしかするとワタシがまだオコサマだからという理由で教えられていないだけかもしれないが、それはそれで如何なものかと思う。もう十八だぞ?流石にその歳にもなれば次期当主として教えてもらえることも増えるはずだ。
    実際帝王学は幼い頃から施されてきた。初めは面前での礼儀作法を学び、剣術を嗜んだ。それに加え七、八歳にもなれば様々な学問分野に通じる幅広い知識を吸収しはじめた。そして十二歳になる頃にはスカイロフトでの統治の仕方を学びはじめ、今に至る。その長い学びの中で少しでも女神像に隠されたあれらの秘密を教えて貰えたかと言われれば、それはNoだ。
    ならば誰ひとり真実を知らないのかと言われればそれも違うだろう。神に仕える一族が何も知らないでは済まされないことだ、それこそ女神に仕える者として。
    そういえば、ファイの失踪に気付いて外に探しに出た時、インパは女神像で母に「お勤めご苦労様です」と言っていた。ならば少なくともあの時点で母はワタシに何も告げず、女神に何か祈りやら儀式やらを捧げていたということになる。
    思い返せば女神に祈りを捧げる儀式についてワタシが教えてもらえたものは、鳥乗りの儀など民の目が入るものばかりだった。誰の目にも触れずに行う儀式など、今までひとつも教えてもらったことがない。
    もしかしたら、今までワタシの学んできたことなどこの世の真実に比べたら拳ひと握りにも満たない些細なものなのなのかもしれない。そして恐らく父の書斎にはそのような真実がごろごろしているのだろう。
    何度も言うとおり、この目で確認できていない以上これらはあくまで憶測にしか過ぎない。しかしワタシに対して何か隠し事があるのはもう確実だろう。
    問題はその隠し事がファイの失踪に絡んでいるか否かだ。だがいずれにせよ捜索のプロが外に出向いてファイを探している今、ワタシにはこうする以外の道はないのだ。
    勘違いで済めばそれでいい。ただ、隠されていた女神像の内部に、入ることが禁じられた元神主家当主の父の書斎……そして失踪した父とファイ。全て憶測でしかないが、何か繋がりがあるように感じてならない。この謎が全て解明されるまで、ワタシは突き進まなければならない。

    ワタシは改めて前をゆく母を盗み見た。あの先には父の書斎しかないのだから、必ず中に入るはずだ。
    するとやはり母は父の書斎の前で足を止めた。そして彼女は襟の中にしまわれていた何かを取り出した。アレはなんだと思い目を凝らすと、どうやら父の書斎の鍵らしい。なるほど、普段から書斎の鍵をネックレスにして持ち歩いているのだと理解する。そして思った通り母はその鍵を使って扉を開けて中に入っていった。
    今はその瞬間だけ見届けられれば上々だ。ここで焦って尾行しているのがバレてしまっては意味が無い。
    ワタシは来た道を戻りながらひたすら考えた。問題はあの鍵をどう入手するかである。あれは母が首にかけて持ち歩いているので、どこかで隙をついて盗み出さなければならない。
    そして更なる問題は、盗み出す隙があるのかどうかということだ。あの鍵は肌身離さず持ち歩くほどに重要な意味を持つもの…つまり鍵を持ち歩くというその行動自体が、父の書斎に隠された秘密の重要性を暗に示してくれている。そんな大切な意味を持つ鍵に、母は盗む余地など与えるのだろうか。
    鍵の入手方法で今すぐ思いつくものとして挙げられるのは、入浴時や就寝時などやむを得ず首から外さなければならない時を狙って手に入れる方法だ。しかし裏を返せば、そのように誰でも簡単に思いつきそうな手法程持ち主は盗まれないための予防策を張ってくるに違いないのである。もしそれをしないならば持ち主は余程のザルということになる。いわば、それほど重要じゃないところばかり守りを固めて弱点がガバガバになっているということなのだから。
    …果たしてそんな隙を母は見せてくれるだろうか。
    しかし考えても無意味なことに心頭していても貴重な時間が無駄になるだけだ。
    とりあえず今日のところは捜索の成果を伺いに母の書斎を訪れようと決意する。勿論、怪しまれないように二時間ほど時間を置いてだ。そして書斎に赴いた際母が部屋に居なくとも、必ず見つけ出して成果を聞くまでは眠らないようにしよう。上手く行けば何か新たな手がかりが得られるかもしれない。
    そしてワタシはつかの間の休息を得るため、足早に自室へと向かっていった。

    ***

    二時間経ち、場面は母メイシェの書斎に移り変わる。
    「失礼します、母上」
    「どうぞ」
    その言葉を合図に重々しく扉を開くと、そこには残りの職務を淡々とこなす母がいた。
    「何の用ですか?」
    こちらを見向きもせずにそう言う母にワタシは述べた。
    「捜索の成果を伺いにまいりました」
    すると母は手を動かすのをやめ、ワタシの顔をまっすぐ見つめてきた。その何を考えているか分からない瞳に心の内を暴かれているような気がして心底居心地悪い。
    ワタシはこの言いようのない気持ちを払拭するため、すぐに本題に入った。
    「それで、ファイは見つかりましたか?」
    「……いえ、まだ見付かっていません。」
    その言葉を聞いてすぐに、不安がワタシを足元からすくい上げ、安定した足場のない浮遊感に襲われた。
    しかし同時にやはりそうかと確信に至る部分があるのも否めなかった。
    「あんなに大量に人を送り込んだのにですか?」
    「はい。」
    「ちゃんと隅々まで捜査したのですか?」
    「今回選任された五十人は空域救護班の中でもトップクラスの腕を持つもの達です。捜索に抜かりはありません。」
    「……」
    信用出来ない言葉に黙りを決め込んでいると、母はこう言った。
    「今日見つからなかったというなら後日また探すまでです。」
    そんな母の言い分にワタシは我慢ならなくなる。
    「後日に捜索?意味ありませんよそんなものは。」
    何故って、スカイロフトは一人で本島と周辺の島々を見て回るのに丸一日もかからないからだ。それを空域救護班の先鋭を五十人も派遣したというのに見つからないのであれば、いくら探したって見つかるはずもないのだ。
    しかし薄々母が怪しいということは勘づいていて、気持ちの面で衝撃は少なかった。というよりむしろ、異常事態の連発で空回りした心はそんなものだろうと納得すらした。
    そんなワタシに母は言った。
    「なるほど、確かに意味はないのかもしれません。ですがあなたはそれでいいのですか?まだいなくなったと確定したわけでもないのに諦めるなんて、あなたらしくもない。」
    ワタシの反発に母は少しも動揺する素振りを見せなかった。そのどこか達観した表情がワタシに勝負を挑んでいるように見えて、胸糞悪かった。
    「……何か言いたげな顔ですね。言いたいことがあるならはっきり言いなさい。」
    その言葉にワタシの中の何かがプチンと切れた。
    「…娘の所在わからないというのにやけに冷静ですね。」
    「……ここで焦って何か意味はあるのでしょうか」
    「そう言って、本当は母上がファイを失踪させたのでは無いですか?」
    しまった───
    気づいた時にはもう遅かった。なんて余計なことを口走ってしまったのだ、ワタシは。
    しかし母はワタシの言葉に驚くでもなくふむと言って立ち上がり、紅茶を二つ入れ始めたのだ。
    既に入れられた母のものを除いて二つ……。
    母は紅茶を作りながら言った。
    「インパ、そこにいますね。」
    するとその言葉に一人の女が返事した。
    「……はい。」
    「あなたも出てきなさい。三人でお茶でも飲んで少しお話ししましょうか。」
    そう言って笑う母は、先程までの無表情が嘘のようにニコニコと場違いな微笑みを浮かべていた。

    母とインパが隣合って並び、それに向かい合うようにワタシは座っていた。
    全員の手元には芳醇な香りのする紅茶が鎮座する。
    傍から見ればなんとも呑気で平和な光景だが、その実ワタシは内心穏やかでなかった。
    この重苦しい空間にいるだけで、ヒリヒリとした刺激が全身を蝕む音がする。
    そんな鉛みたいに重い空間で、はじめに静寂を切り裂いたのは母だった。彼女は紅茶を手に取り語り出した。
    「あなたが私のことを嗅ぎ回っているのは知っていました。」
    その言葉に、ひたりと、背筋に冷や汗が零れ落ちた。
    「……言いがかりはやめてください。」
    すると母は、そんなに警戒しなくていいのよとでも言いたげに、再度ニコリと笑った。
    「言いがかりではないわ。ちゃんと裏は取れてるの。」
    「それは……どういうことですか?」
    問えば、母は紅茶を啜ってこう言った。
    「インパには空域救護班の指揮を執らせたと言いましたが、本当はギラヒム……あなたの尾行をしてもらっていたのです。」
    「……なぜそのように回りくどいことを?」
    「今日の昼……あなた、女神像にいましたね。」
    「…………」
    何をだんまりしているんだ、ワタシは。早く否定しろ。
    だが、まさか彼女の方から秘密を明かすようなことを仄めかすとは思っていなかったので、混乱した頭はフリーズしたまま動かなかった。
    「……ただの見間違いでは?」
    そうしてやっと絞り出した声は掠れていて、どこか情けなかった。
    「あら、そんなにかしこまらなくてもいいのよ。」
    そう言って母は再度紅茶で喉を湿して続けた。
    「昼に女神像から屋敷に戻った後インパに言われたのよ。授業に出ているはずのあなたが何故か女神の島にいて、もしかしたら私たちの存在を見られたかもしれない……ってね。インパの言うことだから間違いないのはあなたもよく知っているでしょう?だから、確信を得るために尾行をしてもらったの。」
    「……確信?」
    「あら、なんて思わせぶりなの?そんなことあなたが一番よく分かっているはずでしょ?」
    とげとげしさを感じさせる言葉の羅列に反し、母の表情はどことなく柔らかくて、そのアンバランスが言いようのない底なしの不安を増幅させた。
    「……まぁいいわ。とにかくそういうことがあったから、夕食後、インパにあなたの尾行をお願いしたの。」
    ワタシは母の隣に座るインパを睨みつけた。いつもと変わらず何を考えているか悟らせない、能面のような表情だ。
    ワタシが母を敵にまわすとなると、何があっても取り乱さず任務を遂行するインパはワタシにとって最大の敵だった。
    ───まさか、母はその事を知っていたから裏をかいたのか?
    インパが指揮官として外に出向けば母はザルになるとワタシに“思わせる”ためにそうしたのだとしたら……。
    失念していた。ファイを見つけ出すのに必死で、敵である母の言うことを真に受けたワタシの完敗だ。ワタシは夕食後、母を尾行していたのではなく、母とインパに尾行されていたのだ。
    「えぇ、ワタシは母上を尾行していました。まぁそれは飛んだ思い違いで、あなたの手のひらの上で見事に踊らされていただけのようですが……。それで結局、母上は何が言いたいのです?」
    尾行しているところがバレていたなら隠しても意味は無い。逆に、ここは潔く認めてしまった方が穏便に済みそうだ。なぜなら彼女たちはワタシを捕らえるでもなく、このようにニコニコとお茶会を開いているからだ。これは、母がワタシと向き合って真剣に話し合いたいことがあるという証拠なのだ。
    すると思った通り、母はワタシの問いかけに答えた。
    「……ここからが本題です。ギラヒム、あなたにアルマクの書斎を見せようと思います。」
    「なんだって?」
    アルマクの書斎……ワタシが母を尾行して、危険を犯してでも入ろうとした父の書斎だ。それをこんなにもあっさりと見せてもらえるなんて。
    「有難いご提案ではありますが、理由をお聞かせ願えますか?恐らくあの書斎に隠された秘密は長い間人々から隠されてきたものだ。それこそ神主家の血を引くワタシですら、それは例外ではありません。そうでしょう?」
    問えば母は紅茶を啜りながら頷いた。
    「ならばなぜ今になってそんなことを言うのです?」
    すると母は手にしたカップをソーサーに置き、ワタシの顔を真っ直ぐ見つめた。少し眉を八の字にして、困ったように微笑んだのだ。
    「なるほど、あなたの疑問は最もです。そうですね………、先程、“確信を得るためにあなたを尾行した”と言ったのを覚えていますか?」
    「えぇ、覚えています。」
    「そう、私はあなたが“女神像の秘密を暴こうとしている”という確信がなかったのです。なので、それを確かめるためにインパに尾行させました。結果確信は得られませんでしたが、あなたが何らかの理由で私を怪しみ、つけ狙っているということが分かりました。」
    「えぇ。」
    「そして、あなたが私を怪しんでつけ狙う理由などひとつしかありません。それは居なくなったファイを探すこと……そうですね?」
    ワタシは無言でうなづいた。
    「……ワタシはファイの失踪に関わっています。またその答えは全て、アルマクの書斎に収められています。」
    あぁ、知っていたとも。そしてワタシは今回の事件で信頼していた家族を二人失った。この怒りを目の前の女は理解しているのだろうか。
    彼女はワタシの怒りなど意にも介さず続けた。
    「あなたがファイの失踪に関して少しでも私を怪しんだ……。ということは、私がいくら押さえ込もうとも、ギラヒム……あなたは何度でも立ち上がり、身を滅ぼすまで前に進むのを止めないでしょう。なぜならその原動力は全て、なんとしてでもファイを見つけ出すという固い決意から来ているからです。そして私が必死に隠した秘密も、あなたが危険を恐れず進み続ければいずれは明かされてしまうでしょう。」
    「……まさか、自ら父の書斎を見せようと思い立った理由がこれですか?」
    すると彼女はゆっくりと頷いた。
    なんとも馬鹿らしい。なんだか急に、今までやってきたことが全て馬鹿馬鹿しく思えてきた。
    「それで結局、ファイは戻ってくるのですか?」
    「……それも全てアルマクの書斎でわかることです。とにかく今あなたは、私と共に書斎に行く他ないのです。」
    「なるほど。ですが、それならば最初から隠すことなくワタシに全て明かしてしまえばよかったのではないですか?」
    「……本来あの書斎や女神像のことはまだあなたに話すべきものでは無いのです。これらの秘密は全て、神主家の当主にのみ知ることが許された神聖なもの……。」
    そう言って母は鋭い眼差しでワタシを見つめた。
    「ですがギラヒム、もうすぐ当主になることが定められたあなたなら話は別です。あなたに今書斎のことを知られたとて、それは少しだけ全てを知る時期が早まっただけのこと。」
    やはり彼女はワタシが少しばかり考えたことと同じことを言っている。ワタシは既に秘密を知る権利があったのだ。
    「私は少し早いがあなたに秘密を明かすべきか、時を待つべきかを天秤にかけました。そして結局、あなたが私をつけ狙うようなことをしたので秘密を明かすことにしたのです。」
    「……………」
    ワタシは正々堂々勝負しない母がなんだか気持ち悪かった。彼女のことを、まさに女神の犬のようだと思った。
    だが正面からぶつからなかったのはワタシも同じかと気づいてしまった時は、自分は嫌いな母親の子供なのだと嫌でも実感させられて、反吐が出そうだった。
    「……わかりました。つまりファイは、怪しまれればすぐに明かされてしまうような軽い秘密のために居なくなってしまったということなのでしょう?正直、母上にはガッカリしましたよ。」
    ワタシは立ち上がって部屋を後にしようとした。
    「すみませんが、少し部屋で休ませてください。アルマクの書斎には後で赴きます。」
    扉に手をかけたその瞬間───
    「お言葉ですが」
    そう言って、一人の女が声を荒らげた。
    振り向けばインパが立ち上がり、ワタシを睨みつけていた。
    「なんだ?インパ。お前ができる人間だということはよく知っているが、あくまで召使いなのだということを忘れるな。お前は神主家の犬なんだぞ。気安くワタシに呼びかけるな。」
    ワタシはインパに睨みを利かせ、部屋を出た。
    「ギラヒム様!!」
    部屋の中からワタシを呼び止める声がする。そしてそんな彼女を止める母の声も……。
    「インパ、良いのです。あの子には気持ちを落ち着かせる時間が必要ですから。」
    「ですがメイシェ様……」
    ワタシは振り返らずにその場を後にした。

    ***

    夢を見た。

    ゆりかごに揺られるような、ふわふわとした心地の、そんな日だった。

    窓から入ってくる柔らかな日差しに照らされて、一人の少女がこちらを向いた。

    逆光で顔がよく分からなかったが、ワタシは少女のことを知っていた。

    顔も名前も分からないのに、自分は少女を知っていた。

    「おや、お前が伽噺を選ぶだなんて、珍しいね。なにか、気になることでもあるのかい?」

    「イエス、──の中に生じた、ごくささやかな疑問です。」

    今、少女は名を言った。

    しかし、ワタシは上手く聞き取れなかった。

    だが、不思議と疑問は抱かなかった。

    ただ、ずっとずっとこの時間が続けばいいのにと、心の奥底で思っていたような気もする。

    「疑問とは?」

    問えば、少女は少しだけ俯いてこう言った。

    「ワタシと人が、異なる理由についてです。」

    ワタシは少女の抱える伽話を指さした。

    「それを読めばわかるのか?」

    その伽話は、誰かが誰かを救うとか、そんな話だった気がする。

    名前は忘れてしまったが。

    ワタシの問いかけに、少女は意味がわからないとでも言いたげだった。

    「わかりません……深く読みこまなければ。」

    その言葉に、はは、そりゃそうだとワタシが笑うと、少女は困った顔をした。

    無表情のままなのに、少女は困った顔をした。

    そうしてワタシは少女の頭に手を乗せた。

    「笑ってすまないね。」

    ポンポンと優しくたたき、その次にするりと撫でれば、空色の髪が日差しに反射して、キラキラと輝いた。

    まるで宝石みたいだと思った。

    ワタシは、見とれる前にどうしても言いたいことがあって、名残惜しいが、きらめく髪から指を離した。

    「だが、お前はそれを知りたいと思ったのだろう?」

    問えば、少女はこくりと頷いた。

    「じゃあ、それでいいじゃないか」

    ワタシが言うと、少女はこてりと首を傾げた。

    「なぜ?」

    そうして、ワタシの目には映らない、そして感情をともさないはずの瞳が、こちらを見つめた。

    その瞳は、どこまでも温かかったような気がする。

    「お前も、ワタシたちと同じ、人間だからさ。」

    忘れないようにそう言えば、少女は緩く笑ったような気がした。

    ***

    いつまで眠っていたのだろう。
    ふと目を覚まして壁掛けの時計を見ると、針は午前3時を差していた。
    喉が渇いて起き上がると、頬を何かが伝っていった。
    それを涙だと認識するのに少しも時間はかからなかった。
    だが、なぜ自分が泣いているのか、本当に訳が分からなくて、疲れているだけだと起き抜けの重い体に鞭打ってベッドの外に出た。
    何か夢を見ていたのかもしれないが、その内容はどうしても思い出せなかった。

    今日、日が昇った頃には母と共にアルマクの書斎を訪れる。そこに書かれた真実がどうあれ、ワタシはそれを受け入れるしかないのだろう。
    ワタシはフラフラとした足取りで水を求め、自室に備え付けられた洗面台に赴いた。
    ワタシは目の前の鏡に映る顔を見た。
    今日一日でだいぶやつれたなと、普段の自分なら絶対に思わないことを考えていた。
    喉を湿して、再び寝室に戻る。
    そこにはいつもいるはずのファイが居なかった。
    それだけで、どうしようもなく胸が締め付けられた。
    同時に、今を生きる全ての人間に対して怒りが湧いた。
    なぜファイでなければならないのかという心の叫び……。
    理不尽な怒りの元凶はただそれだけだった。

    ワタシは部屋をそっと出て、とある場所に向かった。
    その場所とは、アウールがワタシに剣技を教える際に使う講堂である。
    ここにはある剣が保管されている。神主家の人間ならば必ず一振は持ち合わせている刀……御神刀だ。
    この刀は、神主家の人間が生まれる際にスカイロフト一の刀工によって作られる。そして神主家の人間が成人するまではアウールの講堂で大切に保管され、成人すると、当人は今まで培ってきた神主家としての知識や技術を生かし、剣に魂を宿す儀式を行うのだ。
    その儀式は「御霊降ろしの儀」と言われ、儀式を終えると剣には不思議な力が宿るとされている。また、儀式以降は本人が鳥乗りの儀などの儀式を司る際には御神刀を用いることになるなど、神主家の人間の生活の一部となる。つまり、帯刀が許可される。
    色々言ってしまったが、いわば御霊降ろしの儀はスカイロフトの神主家ならではの成人の儀の様なものなのである。
    そして無論、ワタシは自分の御神刀目当てで今ここまでやってきた。
    ……今日アルマクの書斎で全てを知ってしまったあと、場合によっては母を殺そうと思っている。無論、そのようにならないことを祈ってはいるが、もしもの時は、神々に仕える母と、神々自身に報いをしようと思ってのことなのである。
    自分でもどこかバカバカしいと思ってはいるが、不思議なことに割と正気でもあった。
    儀式前の、神のものでないただのなまくらの剣ならば神を殺せるかもしれないと、そんなくだらないことも考えていた。

    「誰かそこにいるのか」

    男の声と共にキィと少しだけ扉を開く音がして、ワタシはそちらを振り向いた。
    「ギラヒム様……なぜそんな所に?」
    そこに居たのはアウールだった。彼はワタシが手にしているものを見て、部屋の中には入らず扉の向こうからゆっくりと声をかけてきた。
    「何をなさるおつもりですか」
    「……………すまない、アウール。今は何も聞かないでくれ。」
    「そういう訳には行きません。」
    「このままだとお前まで傷つけることになる。」
    「…………ふむ、困りましたね。ではこういうのはどうでしょう」
    アウールはそう言って自らも保管庫の中に入り、練習用の剣を手に取った。
    「私はこれで、ギラヒム様はその御神刀で勝負する。一体一の真剣勝負です。もし私が勝ったらあなたはその剣を諦める。あなたが勝ったらその剣と共にどこへなりとも行きなさい。」
    「だが、ワタシは真剣なのにアウールのものは偽の剣じゃないか。これでは真剣勝負とは言えない。しかも、危うくお前を殺してしまうかもしれないんだぞ?」
    ワタシがそう言うと、アウールは自信ありげにこう言った。
    「あなたに私は殺せませんよ。」
    普段全く笑わないアウールが、口の端を少しだけ上げて微笑んだ。
    ワタシは何かに心を動かされたような気がして、気付けば勝負を受けていた。

    講堂の大きい窓から降り注ぐ月光のもと、ワタシたちは剣を構えた。
    目の前の相手が普段剣術の稽古をつけてくれる講師と重なった。
    やろうとしていることはいつもと全く変わりない。いつもと同じ光景に、同じような緊張感。違うのは、ワタシの持つ剣が本物であるということのみ。その少しの違和感が、ワタシの背にゾクリと昂りを上乗せした。
    勝ちたい───
    とにかく今はその気持ちしかなかった。
    別に、ファイのために母を殺す必要などないことは重々理解している。しかし、どうしてもワタシは思い立った時にすぐ行動に移せるようにしておきたかった。だから目の前の彼と戦う行為は、神主家のワタシが神々に逆らうことに対する自分なりのけじめなのだ。
    さて、殺さず、しかし確実な勝ちを得るにはどうすべきか……。
    (峰打ちしかない)
    生かして勝つのは難しい。練習時のアウールの行動パターンをいくつも思い浮かべ、構想を練っていると、突然アウールがこう告げた。
    「今、余計なことを考えておられますね」
    「………………」
    「構えの姿勢は頭から足元にかけて筋の通った一直線。重心は土踏まずよりやや前。どのような攻撃にも対応出来るよう肩の力を抜いた柔らかな姿勢。これが普段のあなたの癖です。」
    ワタシは意味ありげなことを言うアウールを互いの間合いの外から見つめた。
    「それで、何が言いたい」
    問えば、彼もワタシの目を見つめ返した。
    「重心が普段よりやや前気味にかかっています。そのせいで変幻自在に動けるラフな姿勢が崩れかかっている。何か、普段と違うことをなさろうとしていますね?」
    「………………」
    「普段の練習と異なることを実戦で突然なさるのはやめた方がいい。いつものように、“殺す気で”かかってきなさい。」
    こんな時まで指導か。その観察眼と、どんなときも動じない精神力……これが彼の強さの秘訣なのだろう。
    「随分余裕そうだな。真剣とはいえ手は抜かないぞ。」
    そう言って揺さぶりをかけても、アウールには全く通用しなかった。
    「……それでこそギラヒム様です。」
    彼は、何故か嬉しそうにそう言った。

    「では、いざ尋常に……勝負!」
    アウールによる宣言を皮切りに二人の戦いが始まった。
    瞬間、目の前をヒュンと風が吹き抜けた。
    (……速い!)
    戦い開始の合図が終わった頃には既にアウールがワタシの間合いの中にいた。そして彼はワタシに考える暇を与えることなく、すぐに上から斬りかかった。いつものことながらその素早さに感服する。
    だが……
    ワタシは瞬時にその刃を自分の持つ剣で翻し、その反動力で躱した相手の隙をついた。
    しかしその攻撃はものの見事に躱され、それが第二、第三の攻撃へと転じていく。
    そしてしばらく、剣同士が激しくぶつかり合う攻防が続いた。
    彼の一撃一撃が重い。叩きつけるような、しかし同時に鋭い切れ味を彷彿とさせる無駄のない剣の軌道は、彼の持つ剣を本物だと錯覚させる。うかうかしていると自分の方が殺されてしまいそうだ。
    何度か打ち合いを続けていると、アウールが斜め上から斬りかかってきた。ワタシは自分の剣で相手の刃を受け止めながら、彼の剣の軌道を利用して力を外に逃がした。すると相手の右脇腹に隙が生まれる。すかさずワタシはそこに斬り込んだ。
    しかしアウールは体制を崩すことなく軽い足取りで攻撃を躱し、ワタシの背後に回り込んだ。彼が背後から斬り掛かる前に瞬時に屈み、足払いしながら距離をとる。
    先程は危なかった。危うく殺されていた。
    ドクドクと心臓が大きな音を立てる。
    興奮で血が頭に登る。
    手のひらが汗ばんで、剣が手から離れ落ちてしまいそうだ。
    ワタシは息を整え、再度剣を構えた。相手も同じく剣を構える。
    ゾクゾクとした緊張感の元、再度打ち合いが始まった。
    カンッ、キーン、と、金属と金属のぶつかり合う音が静かな夜に響き渡った。
    しばらくそれを続けていると、アウールの剣が大きく外側に逸れ、再度左脇腹に隙が生まれた。
    ワタシはあれこれ考えず瞬時に切りかかった。
    (入った!)
    そう思ったのに、いつの間にか、目の前には虚空が広がっていた。
    (!?)
    気づけばワタシの体は宙を浮いていた。
    瞬間、頭がバグを起こした。何も考えられなかった。
    そして、全身が硬い床に叩きつけられた。
    「……かはっ……」
    強い衝撃に耐えかね、視界が一瞬白く飛ぶ。
    ワタシは床に転がりながら何が起こったのか理解しようとした。しかし、ぐらぐら揺れる視界の端に追撃の刃が飛んでくるのが見えて、ワタシは慌てて横に転がり攻撃を躱した───
    はずだった。
    意識はあるのに、体が全く動かないのである。
    横に避けられない。まして、剣が握れない。
    全身が痺れて呼吸もままならない。
    ワタシはギュッと目を瞑った。
    おしまいだ───
    そう思っていたのに、体が貫かれる痛みはいつまで経ってもやってこない。
    恐る恐る目を開く。そこには、ワタシの上で屈みながら、剣を喉元に掠る手前で止めるアウールの姿があった。
    「………勝負あり、ですね」
    彼はぼそりと呟いた。
    はぁと大きく息を吐き出し、アウールがワタシの身体から立ち退いた。
    「軽い脳震盪です。背中を打った時、脳にひずみが生じたのでしょう。」
    そう言って彼は床に転がり落ちたワタシの御神刀を手に取った。
    「……これは私が丁重にお預かりします。よろしいですね?」
    何故か悲しそうな顔をしてそう言う彼が、なんだか憎らしかった。
    「……あぁ、完敗だ。」
    負けを認めるしかない……
    自分に有利なはずの勝負を自ら受けて、負けたのだから。
    アウールが御神刀を保管庫に戻した後、ワタシのそばに駆け寄ってきた。すぐに彼が肩を貸してくれて、何とか立ち上がることが出来た。どうやらそのまま自室に送り届けてくれるらしい。
    廊下を歩きながら、アウールがワタシにこう言った。
    「何があったのかは伺いませんが、……あまり自分を追い込まないでください。まだ全てを投げ出す時期ではありませんから。」
    その言葉にワタシは励まされたどころか、何をわかった気になっているんだと無性に怒りが湧いた。こんなことを言う彼も、どうせワタシが協力をあおげばホーネルのように手のひら返しだ。
    「…………」
    しばらく居心地悪い無言が続く。
    すると、アウールがはぁ、とため息をついてこう言った。
    「今日、ホーネルが書庫で何やら調べ物をしていました。……まぁそれだけではいつもと変わりありませんが、興味本位で少しだけ彼のノートを覗いてみたのです。するとそこに何やら奇怪な言葉が綴られていました。確か、大きい地と書いて、“大地”…………」
    「…………なんだって?」
    信じられない言葉に目を点にしていると、アウールは何故か確信したような顔をした。
    「いや、これはただの勘ですがね。ただ、あなたの様子がおかしかったことと何か関係があるのではと思っただけのことです。」
    「…………」
    ワタシが何も言わずに黙り込んでいると、アウールは気にせず更に続けた。
    「何がなんだか分かりませんが、今日は一日中騒がしかった。昼にはあなたがいないと焦ったホーネルが私の元にやってきて、次に彼を見かけた時には無言でひたすら調べ物をしていました。それこそ、普段とは比べ物にならないほどの集中力でしたよ。話しかけても気がつかない程の、です。……そして夕食後は何やら外が騒がしく、気になって外に出てみたら大勢の救護班が何か探し物をしている……。根拠などありませんが、私はその“探し物”がファイ様なのではと考えました。」
    「アウール、お前……」
    ワタシは隣から彼を見つめた。普段と変わりない、剣術講師の顔だった。
    すると、彼はワタシの視線に耐えかねんといった様子でこう言った。
    「かなり自分本位でプライドの高いあなたがここまで心身をすり減らすことになった原因など、あの方以外に存在しないと思ってのことです。そしてファイ様に絡んだ話だと考えれば、昼のあなたとホーネルの行動も全て辻褄が合います。」
    アウールは軽く咳払いした。
    「つまりギラヒム様……あなたは自分が思っているよりもわかりやすいのですよ。全てバレバレです。少なくともこの私にはね。」
    ワタシはひたすら前だけ見て足を進める彼が、なんだかとても暖かい存在のように思えた。そしてほんの少しだけ、ホーネルにも向き合いたいと思えたのだ。
    「ギラヒム様……あなたが思っているよりもあなたの味方は多いのだということを、忘れないでください。」
    部屋につき、アウールがゆっくりとベッドに降ろしてくれた。
    彼は部屋から出ていく際、今回のことは私たちの秘密ということにしておきましょうと言った。普段真面目な彼らしくないと思った。だがこれらの行為や、初めに戦いを提案してくれたことも全て、彼なりの気遣いなのだと気づけた時に、傷ついた心が少しだけ満たされた気がした。

    翌朝、ワタシはいつもより少し早起きしてホーネルの部屋に向かった。
    今日アルマクの書斎に行ってしまえば、彼が調べようとしていることなど意にも返さないほど大量の真実を知ることが出来る。だから今更彼の元を訪れたとして、特段それ以上の何かを得ることが出来る訳でもない。
    それなのに何故かワタシはホーネルの元に向かおうとしていた。
    目的の部屋の前にたどり着き、コンコンと二回扉をノックする。
    「ホーネル、ワタシだ。ギラヒムだ。」
    名前を呼ぶと、眠たげな顔をしたホーネルが扉の向こうから顔を出した。彼は寝ぼけているのだろうが、ワタシの顔を確認した途端、普段閉じた目を見開いて固まってしまった。
    少ししてようやく現状を理解したホーネルが呟いた。
    「……ギラヒム様。何かご用ですか」
    気まずそうに言う彼に、ワタシは小さな声で答えた。
    「……ここじゃなんだし、とりあえず部屋に入れてくれないか?」
    すると彼は少しだけ困った顔をして、それでもワタシの願いを聞きいれてくれた。
    部屋に入ってすぐ視界に入る机の上には、何ページもある重そうな本が何冊か重ねて開かれており、そうでないところは沢山の紙とペンが卓上を埋め尽くしていた。
    ワタシはそっと、部屋に備え付けられたホーネルのベッドを椅子がわりに座った。
    しばらく待っていると、姿を消していたホーネルがコーヒーを持ってワタシの元にやってきた。
    粗末なもので申し訳ありませんがと前置きして、彼がホットコーヒーの入ったマグカップを渡してくれた。
    そして彼も、テーブルの上の沢山のメモ書きをどかしてマグカップを置き、椅子に座った。
    最初はお互い何も言わずにコーヒーを飲んだ。そうしてしばらくの間無言が続いた。いい加減この空気にも耐えかねて、ワタシは口を開いた。
    「ベッドが冷たい……。ホーネル、お前、徹夜していたのだろう?」
    もしベッドで寝ていたならばまだ温かいはずなのに、シーツに触れた手のひらからは朝の冷え込みの名残しか残らないからだ。
    「………ギラヒム様の観察眼には恐れ入ります。」
    そう言ってホーネルは再度、困ったように微笑んだ。
    それを見てワタシは再度コーヒーを喉に流し込んだ。
    「なに、そんなにかしこまらなくてもいいんだ。ただ、少しだけお前と話がしたくてな。」
    「……なるほど。それで話とは?」
    同じくコーヒーを啜りながら言う彼に、ワタシは思い切って聞いてみた。
    「お前、あの後独自に大地について調べていたのだろう?」
    しかし彼はあくまでシラを切るつもりらしい。
    「はて、なんのことでしょう。」
    「いや、別に隠さなくたっていいんだ。全てアウールから聞いているからな。」
    訝しげな顔をするホーネルに、ワタシはアウールから聞いたことを全て話した。
    「アウールめ、一体いつ覗き込んだんだ……」
    普段の穏やかな表情が嘘のように悔しそうにするホーネルに、思わず笑いがこぼれる。
    「そんなに不服げにするな。お前がどう頑張ったってあの剣術バカには叶わないさ。」
    そう言うとホーネルはため息をついた。
    「……どうやらとんだ失態をギラヒム様にお見せしてしまったようですね。」
    「いや、そんなことは微塵も思わないさ。むしろ感謝しかないと思っているよ。」
    「……滅相もございません。」
    こうやって彼と話すのは昨日の昼以来なのに、何故か酷く久しぶりのように感じる。
    ワタシは手にしたマグカップを膝の上に乗せ、本題に入った。
    「実はファイの失踪に母上が絡んでいた事が分かってな。紆余曲折あり、母上に全ての真相を教えて頂けることになったんだ。……だからホーネル、もうお前は危険を犯してまで知ろうとしなくてもいいんだ。」
    「………………」
    何も言わないホーネルに続きを促されている気がして、ワタシは更に続けた。
    「お前がワタシを突き放した理由は、あの時お前が言った通り、神に背く恐ろしさに抗えなかったからなのだろうが……しかし実際のところお前は今このように神に背く行為をしている。どういう心境の変化でそのように至ったのかはわからないが、いずれにせよお前には感謝と謝罪をせねばならないと思ってな。どのような理由であれ、お前はやりたくないはずの調査をワタシのためにしてくれたのだから。」
    「……なるほど。それでわざわざ朝早くにこのような場所までおいでくださったわけですか。」
    「迷惑だったか?」
    「いえ、そのようなことは決してございません。……ですが、ひとつだけ勘違いがあります。」
    「勘違い……?」
    やはり、ホーネルはどこか少しだけ困ったように笑っていた。
    「……私は根っからの学者気質だということですよ。」
    言っている意味が分からなくて眉をひそめていると、彼は気にせず先に続けた。
    「口ではあのようなことを言ってギラヒム様を突き放しましたが、結局初めて聞く“大地”という言葉と女神像に隠された秘密に関し、あなたと別れた後興味が尽きなくなりましてね……。ついに我慢ならなくなって、結局自ら禁忌に触れるような真似をしてしまったのです。」
    「……なるほどな。つまりお前は本来学者がすべきことを全力で全うしたってわけだ。何もおかしなことは無い。……むしろ尊敬に値するよ。」
    「はは、ありがたいお言葉です。」
    そう言って笑うホーネルは本当にどこか嬉しそうで、こちらまで少し気分が良くなった。
    「……それで、何か分かったことはあったか?」
    いつものふにゃりとした間抜け面に戻ったホーネルにダメ元で聞いてみると、彼は頭を搔きながらこう言った。
    「いやぁ、完敗ですよ。何しろ“大地”という言葉や女神像内部の空間なんて、生まれてから一度も見聞きしたことがないものですから……数時間調べた程度では収穫なんてゼロですよ。」
    「……まぁそうだよな。」
    思った通りの反応に少しがっかりしていると、ホーネルが意味深なことを言いだした。
    「しかし、一つだけ気になったことがありました。」
    そう言うと彼は机の上に開かれた数冊のうち、比較的薄いものを手に取った。
    それは本というより絵本だった。一人の少年が寝転がり、空に向かって手を伸ばしている様子が表紙に描かれている。
    「この本……正確には絵本なのですが、題名を“空の約束”と言います。」
    「空の約束……?」
    「えぇ。ギラヒム様はこの物語をご存知でしたか?」
    そんな話、見たことも聞いたこともない。
    「……いや、知らなかった。」
    「そうですよね、実は私もなんです。」
    どうぞと言って、ホーネルは絵本をワタシに渡してくれた。
    表紙を開くと古臭い本の匂いが鼻を掠めた。
    きっと長年の間開かれずに仕舞われていたのだろう。
    「一体どこでこんなものを見つけたんだ?」
    中身はどんな感じなのかとページを一つ一つ捲りながら尋ねると、彼は神妙な面持ちで応えた。
    「……やはり、お気づきになっていないようですね。」
    妙なことを言う彼に怪訝な顔をすると、ホーネルは少し間を置いてこう言った。
    「実はその絵本、講堂のギラヒム様の机の中に仕舞われていたのです。」
    「講堂って座学の方のか?」
    「はい。」
    「……それは確かに妙だな」
    ワタシはこの本を机の中に入れた記憶が無い。まして先程も述べたように、こんな物語があるなんて見たことも聞いたこともない。
    そんなものがワタシの机の中に入っていたなんて。
    というより……
    「ホーネル……お前、まさかワタシの机の中を勝手に開けたのか?」
    信じられんと睨みつけると、そんなことは絶対に有り得ませんとあたふたしながら彼は言った。
    「見回りも兼ねて“大地”や女神像について調べようと講堂に向かった際、ギラヒム様の机の引き出しが少し開いていたのです。私はあなたが忘れ物をしたのかと思い、中を改めさせてもらったところ、その絵本が入っていたのです。」
    ワタシは前回出席した神学の講義を思い出した。といっても昨日は例のごとく講義に出ていなかったので、それより更にひとつ前の講義になる。
    あの時、机の中に何か入っていただろうか……。
    考えてみてもあまり思い出せない。しかしワタシはいつも、講義終わりに必ず机の引き出しの中を確認するようにしている。その習慣を信用すれば、前回の講義後には何も入っていなかったことになる。
    とすると、前回出席後から昨日の夜ホーネルが絵本を見つけるまでの間に誰かが意図して入れたと考えるのが自然だろうが……。
    ふと、脳裏にファイの姿が過ぎった。
    もしかしたら彼女の仕業なのではないかと、純粋に思ったのだ。
    ……ただワタシが自分の都合のいいように解釈してしまっているだけなのかもしれないが、正直このように考えてしまうのも無理は無いと思うのだ。なぜなら絵本が引き出しに入っていたと考えられる時期が、時系列的にワタシがファイの姿を確認できていなかった頃と重なるからだ。
    だがもしそうだとして、どのような意図の元この絵本を机の中に入れたのだろう。
    ファイが大切にしていたものならば、ワタシが知らないはずは無いのである。
    だがワタシはこの絵本のことを何も知らない。
    だからこそ、何も分からないのだ。
    とにかくあれこれ思案するより先に内容を確認してしまう方が先だと考え、ワタシは最初のページから物語を読み進めた。
    物語は大まかにこんな感じだ。

    昔、あるところに一人の少年がいた。
    その少年の周囲にはわがままな同年代の子供たちや、私利私欲を満たすことしか考えぬ大人しかいなかった。
    幼い頃から人間の汚い部分を見て育ってきた少年はいつしか周囲に辟易し、心を閉ざした。
    そんなある日、草花のざわめく広大な世界に突如暗雲が立ちこめた。
    神はわがままばかり言う人間に怒りが収まらぬと人々に言った。
    その言葉に人々は膝をつき、頭を垂れて神に許しを乞うた。
    だが神の怒りは収まらず、いつしか人間界には神の威光である陽光が差すことはなくなった。
    暗黒時代の幕開けだった。
    しかしそんな世界でたった一人、神の怒りを免れた者がいた。
    冒頭の少年である。
    少年は心を閉ざしながらも、生まれながらに優しさを持ち合わせていた。
    その優しさに目を留めた神が、いつしか少年を気に入るようになった。
    ある日、少年は人間に対するあまりに悲惨な神の仕打ちに耐え兼ね、自ら神に許しを乞うた。
    神は少年に、お前はかつてお前が嫌っていた人間たちを許すのかと尋ねた。
    しかし少年はその言葉に頷いた。
    神はそんな彼の誠実さに惹かれた。
    そして、人間に対する今までの行き過ぎた罰を改めた。
    いつしか世界には陽光が差し込んだ。
    少年は遂に、本物の空を手に入れた。

    ここで物語は幕を閉じる。
    もちろん本物はもっと絵本らしく、子供にわかりやすい文章構成で物語が進んでいく。
    稚拙な文章だったが、読み進めていくうちにワタシは不思議な気持ちに包まれた。
    人間なら誰しも持ち合わせる様々な感情が入り交じっており、読了後に神妙な気分にさせるのだ。
    だがもっと不思議なことがひとつあった。
    ……少年の名前が一切出てこないのである。
    何故ここまで名前を出さないのか、最後まで引っかかっていた。
    「ホーネル、なぜこの“少年”には名前が無いんだ?」
    問えば、彼も考える素振りを見せてこう言った。
    「ええ、それは私も疑問に思っていました。……ですが、この様にも考えられるのではと思ったのです。」
    「……どういうことだ?」
    疑問に思いホーネルの顔を覗き込むと、彼は時間が経って冷めたコーヒーで喉を潤してから言った。
    「つまりですね、この“少年”は絵本を読む読者を指しているのでは、ということです。」
    「……なるほど、主人公にあえて名前をつけないことで読者に没入感を与えるというわけか。」
    「はい。まぁもしかしたら意図は他にもあるのかもしれませんが。……それでですね、私が気になった点はここでは無いのですよ。」
    やけに先を急ごうとするホーネルに、ワタシは渋々と続きを促した。
    すると彼は物語冒頭のある言葉を指さして言った。
    「……この言葉が気になったのです。この、“広大な世界”というワード……どこかニュアンスが“大地”と似ていませんか?」
    ワタシは彼のその言葉に何か閃きそうになった。
    「まさか……」
    思わず呟くと、ホーネルはひとつ頷いてこう言った。

    「この物語には、“大地”の秘密を読み解く何かが隠されているのかもしれません。」

    やはり……
    「ホーネルお前、何が“完敗”だ。しっかり学者らしく答えを導いているじゃないか。」
    ワタシは本心を言ったつもりだが、ホーネルは嬉しそうにするでもなく、むしろ少し皮肉げにひっそりと笑いながら言ったのだ。
    「……そうはおっしゃいますがね、分かったことといえばたったこれだけです。しかも、見方によってはこじつけにも捉えられかねないようなことですよ………やはり、裏付けが取れるまではこの考えもただの仮説に過ぎません。なので、やはり“完敗”なのです」
    そう言って困ったように笑うホーネルは、どこか楽しそうだった。
    ワタシは部屋の壁にかけられた時計を見た。
    ……そろそろ母の元に訪れなければならない時間だ。
    “空の約束”について聞きたいことは山ほどあるが、時間的にそろそろ余裕が無いので、ワタシは椅子がわりにしていたホーネルのベッドから立ち上がった。
    「そろそろお暇するよ。今日は朝早くからすまなかったね。」
    「あぁ、もうそんな時間でしたか。……いえ、私もギラヒム様ともう一度お話することが出来て嬉しかったです。」
    そしてホーネルは少し真面目な顔つきで言った。
    「……今日メイシェ様から全てを教えて頂けるというお話ですが……私も独自に調査を進めようと思っております。まぁ、私の些細な調査に意味はないのかもしれませんが……もし気になるようなことがあれば、周囲に人の目がない時に何時でもお尋ねください。」
    彼の言葉に礼を言って、ワタシは扉のノブに手をかけたところで、ひとつ言い忘れたことを思い出して、後ろを振り返った。
    「そうだホーネル。……昨日はあんな態度をとってすまなかったな。もし母上との話の中で“空の約束”について分かったことがあったら、お前に伝えに来るよ。」
    言いながら相手の顔を見ると、彼はしばらくキョトンとした顔をしていた。
    ようやく彼がワタシの言わんとしていることを理解した時には、相手はなんのことはありませんと言って笑っていた。
    「そのことですが……もしメイシェ様とのお話の中で“空の約束”に関するような話題が出ても、態々私のためにお伝えくださらなくてもよいのです。」
    一瞬彼の言っていることが理解出来なくて、ワタシまでキョトンとしてしまった。
    彼は続けた。
    「あなたにはファイ様を見つけ出すという使命があるのですから、一介の民に過ぎない私のために時間を割く必要などないのです。ですからギラヒム様……お身体にだけは気をつけて、存分にやるべき事をなさってください。」
    ホーネルの笑顔が身に染みた。
    ほんの少しだけだが、自分が嫌だと思っていることを乗り越えていけるような、そんな力をもらった気がした。

    ***

    一度部屋に戻り、部屋着からよそ行きの服に着替えた。
    忘れないよう、ワタシはファイのクリスタルの金具部分に紐を通し、首にかけた。
    こうすればいつだって忘れることは無い。
    そしてワタシは母の書斎に向かった。
    扉をノックすると母が返事した。ワタシは無言で部屋に入った。
    母はワタシを確認すると、着いてきなさいと言った。
    「今からあなたをアルマクの書斎に案内します。」
    遂にこの時がやってきた。
    前をゆく母の後を着いていきながらワタシは考えた。
    全てを知れたからといって、その後ワタシはどうすればいいのか。ファイが戻ってくる可能性はあるのか。ファイは、ワタシには到底及ばない、何もかも上の何かに翻弄されているのだ。ワタシに出る幕などあるのかと。
    ……普段の自分らしくない。何を卑屈になっている。そんなことは全部知ったあとに考えればいい。
    首に下がったクリスタルをそっと握ると、不思議と心が落ち着いた。
    しばらくして父アルマクの書斎にたどり着いた。
    母が首に下げた鍵を手に取り、鍵穴に通した。カチャリと軽快な音が響き、遂に真実の扉が開かれた。

    中は普通の書斎だった。だが本棚に立てかけられた一冊一冊はかなり古めかしく、随分長いことここに保管されてきたのだと思わせる。しかしこれらの本に全く埃が被っていないことから、とても大切に扱われてきたのだろうとも一目見て分かった。
    母は木彫りの重厚な椅子にワタシを座らせ、自らは何かを探しに行ってしまった。
    しばらくして母が戻ってくる。
    「私が口で説明するよりも、実際にその目で見てもらった方が早いから……」
    母はそう言って、書斎の本棚に立てかけられていた一冊の本を渡してきた。
    「これはスカイロフトの歴史の始まりをえがいた本です。それを読めば、あなたの知りたかったことが全てわかります。」
    表紙に“歴史”とだけ書かれたその本は、辞典のようにずっしりとワタシの両腕にのしかかってきた。
    きっと一日では読み切らない程の量があるが、ここにファイの手がかりがあると思うといても立ってもいられなくなって、ワタシは表紙に手をかけた。
    今、まさに真実の扉が開かれようとしていた。

    ***

    「また民が暴動を起こしました!」
    男が部屋で職務をこなしていると、一人の騎士がやってきてそう言った。
    「またか。どうせ今回も税収に対する暴動なのだろう?」
    男は大きく溜息をつきながらそう言った。

    神主家が治めるここハイリアの地は、最近興された隣国ローレリアに時間をかけて脅かされていた。
    ローレリアは小国ではあるが、時間が経つ毎に着々と力をつけていった。隣国を次々と巻き込み、少しづつではあるが大きく成長しているのである。もはや、未だ侵攻されていない国は周囲でハイリアだけという危険な状況に立たされていた。
    そんなローレリアはとある一人の男によって興された。その男の出自も、国が出来上がった経緯も、周囲を巻き込み成長していく力の源も、その全てが謎に包まれていた。
    だからこそ神主家は、ローレリアにいつ攻め込まれても対処できるよう民に税を課しているのである。いわゆる防衛費だ。そして民衆たちにはそのような経緯で税を負担してもらうこと度々説明していたのであるが、ここ最近はその税収が民衆にとってあまりにも重く、痺れを切らした彼らが神主家に押しかけ暴動を起こす事態が度々発生しているのだ。

    男は今回もどうせ同じなのだろうとつまらなそうな顔をして、部屋に入ってきた騎士を見た。
    しかし彼は焦ったようにこう言った。
    「……それが、今回に限ってはそのように甘いものでは無いのです。一度に百人程の民衆が押しかけ、皆どこか支離滅裂で……何を言いたいのかさっぱりです。今門の前でインパ様が民衆を窘めていますが全然収まる気配がなく……レグロ様直々にご対応頂きたいとの事で参りました。」
    その言葉を聞き、レグロと呼ばれた男は眉をひそめつつも騎士に向かってこう言った。
    「……わかった。私も今すぐそこに向かうから、お前は持ち場に戻りなさい。」
    嫌な予感が男の胸中を渦巻いた。

    レグロが屋敷の門前に到着した。門の外では一目では数え切れないほど多くの民衆が蠢き、口々に好きなことを言っている様子が見える。
    しばらく待っていると、切れ長の目を顰めて険しい顔をした女が小走りに報告しに来た。褐色の肌をもち、長い白髪を頭の上でひと括りにしつつもそのまま後ろに流した髪型をした女である。額にはシーカー族の象徴である涙を流した瞳のフェイスペイントが施されていた。
    「レグロだ、今どういう状況になっている。」
    彼が問うと女は焦った様子で答えた。
    「何やら“俺の娘がお前らに殺された”などと、訳の分からぬことを言っておりまして……」
    「なんだと?どういうことだ。」
    「いや、それがもう何が何だか分からず……ただ“お前らのような使いっ走りに用はない。神主家の当主を出せ”と、暴徒を束ねる男が言って聞きません。」
    その言葉を聞きレグロは女にこう言った。
    「わかった。とりあえずインパ、お前は私の護衛をしろ。そのまま彼らの話を聞こうと思う。」
    「そんな!あまりにも危険です。門の格子の外から刺される可能性だってあります。」
    インパと呼ばれた女が焦ってそう言うと、レグロは何を訳の分からんことをという顔をした。
    「何を言っている。それを阻止するためにお前がいるのだろう?だいたい、このような輩には何を言っても通用しないんだ。大人しく要件を聞き入れてしまうのが一番害がないし、早くことが済むものだ。期待しているぞ。」
    彼はそう言うと、インパを置いて門の近くまで歩き出した。何を言っても無駄だと悟ったインパも大人しく彼の後を追っていった。

    「皆の衆、鎮まりたまえ!ここにいらっしゃるは現神主家当主、レグロ様である。そなたたちの願いを聞き入れるため、態々おいでなさったのだ!」
    インパが地を割くような大声で言うと、ざわめく民衆たちが一斉に静まった。
    しかし、つかの間の静けさを貫くように、先頭で門の格子を掴む中年の男がつんざく声でこう言った。
    「お前らの兵士が俺の娘を手篭めにして殺したんだ!」
    その言葉を聞いてレグロは腕を組む。
    「ふむ、それが本当なら大問題だな。神主家の信用問題に関わる。」
    レグロがそう言うと、中年の男は様々な感情が入り交じったような声色で訴えた。
    「……そうだ。娘を殺されたことに関しては、心がはりさけそうなほど許し難い。今にも、そこでふんぞり返っているお前を殺してやりたいほどだ。」
    男がレグロに向かってそう放った途端、肌がジリジリと焼けるような気配が周囲を満たした。
    「…………言葉を訂正しろ。」
    レグロの横にいたインパが今にも男を突き刺しそうな殺気を放っているのである。
    「……インパ、まぁ話を聞いてからにしようじゃないか。」
    そう言ってレグロが窘めると、彼女は格子の外の男に向かって渋々と言った。
    「……本来なら極刑だ!覚えておけ。」
    すると男はニヤリと笑った。
    「ふん、そうだ。そこの女が言う通り本来なら極刑なんだろうが、そんなのは気にすることはない。悔しいことに、そこにいるレグロとかいう男はそこらの犬と違って話が分かるからだ。」
    男が火に油を注ぐようなことを言うので、インパは今にも爆発しそうである。レグロは溜息をつきながら両者を嗜めた。
    「……御託は良い。それでそなた、娘を殺したという兵士の顔を覚えているのか?実際に殺されたところを見ているのか?殺した男は本当に神主家管轄の兵士だったのか?」
    「ああ、本当にそうだっだ!死に際に娘がそう言ったからだ!」
    「なるほど、では実際に見た訳では無いんだな?」
    レグロが言うと、男はぐっと押し黙ってしまった。
    「……確信が持てないのになぜ力に任せて押しかける。本当に娘を殺した犯人を探したいというのなら捜査に協力しようではないか。私の兵たちに限ってそんな人道に背くことを行うはずは無いのだからな。」
    「…………」
    男は何も言わない。少しくらい憎しみと苛立ちをぶつけることが出来ればと思う気持ちが少なからずあったのに、レグロに上手く諌められてしまったからなのかと隣にいたインパは思った。
    しばらくしてレグロは周りの民衆を見回した。
    「……それで、お前の周りに沢山いる彼らはなんなんだ?まさか全員が全員、娘の殺害に怒って集ったわけではなかろう?凡そ殆どが娘の事件に便乗していつものように押しかけてきた輩といったところか……。」
    レグロが問うが、民衆は何も言わない。ただ黙ってレグロのことを睨みつけている。
    おかしな雰囲気を感じとったところで、何かがレグロの背後に立ち回った。
    「っ……!」
    バサり、何かが倒れる音がした。
    レグロが振り返ると、何故かそこにはインパが倒れ込んでいた。
    「インパ……!」
    ハッとしてレグロが駆け寄ると、インパは苦しそうに脇腹を抑えながらフラフラと立ち上がった。
    「……かすり傷です。それより早くここからお逃げ下さい!どこからか狙われています……っ」
    レグロは、はぁはぁと荒い息をしながら脂汗をうかべるインパの肩を支えた。
    「……とりあえずお前は喋るな。おいそこのお前、インパを手当しろ。」
    ───そう言って、レグロが近くの騎士にインパを任せていた数秒の間にことは起こった。
    「今だ!一斉にかかれ!」
    中年の男が声をかけると、門の一番近くに居た人々が屈んで足場を作り、後ろの人がそれを土台に門の格子を上り始めたのだ。
    殆どは登りきる前に手を滑らせて下に落ちてしまうが、中には登りきって門を飛び越えてくる者もいた。
    突然のことに驚いたレグロはすぐさま兵士たちに指示をかけた。五十人程いる近衛騎士の内、三十人は門側に、残りの二十人をレグロの背後に配置する。……先程後ろから不意を突かれたからだ。
    三十人の騎士たちは、レグロの指示通りすぐさま門の前に立ち塞がり、上から降ってくる民衆を抑えるため槍を構えた。
    レグロの背後にいる兵士たちも同じく槍や剣を構える。
    門を飛び越えてきた民衆は、下から突き出す槍を恐れて次々と兵士たちに捕まっていった。
    息の詰まるような状況だが何とか危機は脱せそうだと、そこにいたレグロも騎士たちも皆思った。
    ───だがその油断が命取りとなった。
    槍と槍の合間をくぐり抜け、一人の男が屋敷内に侵入してしまったのである。
    すぐさまレグロは背後に居る騎士の内、五人に指示を出した。
    「何をもたもたしている!やつが“あの場所”に入る前に必ず捕らえろ!必ずだ!」
    レグロが言い切る前に、洗練された騎士たちは奴を追っていった。
    (……果たして間に合うのか)
    レグロの中に、ある不安がよぎる。
    神主家が神主家としてハイリアの覇権を握る理由───
    建国から今に至るまで、決して民には明かされることの無い永久の秘密。
    それだけは何としてでも死守しなければならないと、レグロは必死だった。

    神主家のルーツはレグロの代から約三千年遡る。
    かつて神界には数多くの神が居て、それを統べる神の王たちが存在していた。
    ある日突然彼らは言った。
    “代わり映えのない神の世界に飽きがきた。そこで私たちがこの目で見て楽しむための、新たな世界を作りたい”と。
    神王たちの無茶な頼みを、神々はその力を総動員し、一夜にして実現させたのだという。現在人間達の住む世界の誕生であった。
    新たな世界の土台は数多くの神々によって作られた。その代表格が三女神フロル・ネール・ディンである。彼女らは世界の土台が出来上がったあと、その秩序を守るため、とある秘宝を世界に投げ込んだ。その秘宝を神々はトライフォースといった。
    トライフォースには誰にも理解が及ばぬほどの潜在能力があった。そのため三女神が神界へと去る際世界に残したエネルギーにトライフォースの力が上乗せされ、それが更なる爆発的なエネルギーの発生へと繋がった。やがてそのエネルギーを元に“生命”という概念が生まれた。
    そしてトライフォースは生命を誕生させた後、そのままどこかに消えてしまったのだ。
    そこから長い月日が経ち、命の源が人間たちを生み出した頃、とある一族が神界から舞い降りた。
    その一族は元々神王に直属で仕える者たちだった。神王に仕えた神の一族は他にも一定数居たのであるが、その一族だけは別格であった。彼らは他の一族よりも頭が良く気品にも溢れ、また芸にも事欠かず、神王に特に気に入られていたのである。
    そしてその一族こそ現在の神主家に当たる。つまり神主家は元々神の国から来た神の一族なのである。
    そして、かつての神主家は大地に降り立つ際、自分たちの配下である種族を引き連れていった。その種族が現在のシーカー族にあたる。
    シーカー族は神界で神々の居城を作り上げるなど、類まれなる技術をその身に宿していた。
    その力に目を留めた神王たちはシーカー族にこう告げた。
    “お前たちの持つ技術のおかげで神界はここまで発展した。そなたたちはその技術を用い、下の世界で新たな楽園を築きなさい”と。
    その命に従い、シーカー族は神主家と共に大地に降り立ったのである。
    その後、神主家は持ち前のカリスマ性で人間たちを統率し、シーカー族は類まれなる技術力で世界を発展させていったのだ。
    そうして人間界では永らく平和な時代が続いていった。
    しかしある時突然その平和が崩れ去った。
    永らくどこかに消え去っていたはずのトライフォースを、とある人間が見つけ出してしまったのだ。その人間がトライフォースに触れたところ、世界が崩壊寸前にまで陥った。その人間が心の奥底に抱いていた闇の感情“世界の崩壊”という願いが実現しかけてしまったためである。
    その出来事に慌てた神主家は、一族の有する神性をもって何とかトライフォースを保護し、世界の崩壊を寸前のところで食い止めることに成功したが、この不始末を神界にすむ神の王たちは決して許さなかった。彼らは一連の出来事を下界を治めている神主家のせいにして、一族の神性を剥奪したのである。神王達にしてみれば、自分たちが目で見て楽しむための箱庭が危うく全て壊れてしまうところだったのだから、怒りの収まりどころがつかないのだ。
    しかし神王たちの中にただ一人、神主家を憐れむ者がいた。それが女神ハイリアである。
    彼女は理不尽にも神性を奪われた神主家の元に降り立ち、彼女の力だけで出来る限りの神性を神主家に与えたのである。一時は神王たちの力によって人間とほぼ同じ存在にまで落ちぶれた神主家であるが、女神ハイリアの与えた神性のおかげで神主家の当主となった者にのみある一定の期間を過ぎると特殊能力が発現するようになったのである。このように女神ハイリアの力だけでは与えられる神性に限りがあったものの、それでも神主家たちは女神の暖かな慈悲に歓喜した。
    女神ハイリアは言った。
    “あなたたちは愚かな神王たちに振り回される憐れな種族……怒りや憎しみは決して計り知れるものではないでしょう。ですが、どうか愚かな王たちのために、そして何より今この世界を生きる多くの生命のために、今一度世界の統治をお願いしたいのです。”
    神主家は女神ハイリアの温かく誠実な心に胸を打たれ、その願いを承諾した。
    続けて女神はこう言った。
    “トライフォース……今回の件で、触れたものの願いを叶える力があると新たに判明致しました。恐らくですがこの力は、本来の秩序維持の力の副産物なのではないかと考えているのです。……ご存知の通り、トライフォースの秩序維持の力は計り知れません。この世から消えて無くなれば世界が一夜にして崩壊してしまう程の力を孕んでいるのです。それに、トライフォースから放たれる莫大なエネルギーが生命を生み出したという話もあります。……つまりトライフォースは、人の世に放っておくにはあまりにも危険すぎるのです。ですのでこの管理を、どうか任されてくれませんか。”と。
    結果神主家はその願いを受け入れた。その後、女神ハイリアと神主家は密かに盟約を結んだ。といっても、神主家が女神の温情に応えるために自らに課したものと言っていい。
    以下盟約の内容である。
    ①神主家は女神ハイリアを唯一神とする。
    ②ハイリアの加護の元、この地に生きる者は全てハイリア人として統一する。
    ③トライフォースの存在は、神主家と神主家に直属に仕えるシーカー族にのみ知ることを許される。
    ④トライフォースに関して、神主家は③で許された者以外の民やその他大勢からなんとしてでもその存在を秘匿・保護し続けねばならない。
    以後、この盟約を元に神主家は女神像を建立し、その内部の空洞でトライフォースを秘密裏に管理し続けた。その女神像は現在神主家の屋敷の奥まった場所に存在しており、神主家の中でも特に許された者しか立ち入ることが出来ないようにされている。

    これが神主家のルーツ、そしてレグロが民に対し、なんとしてでも貫き通したい秘密の全てである。先程屋敷に侵入した男をレグロがどうしても捕らえたい心理として、このような事情が背景にあったのだ。
    しばらく騎士たちと民衆がいがみ合って膠着状態が続く最中、屋敷に侵入した男を追いかけていった五人の騎士が戻ってきた。二人の騎士に引きづられて、男はぐったりとしていた。
    レグロはすぐさま騎士たちに問いかけた。
    「間に合ったか」
    だが彼らの顔はどこか暗く重い。
    まさか……
    嫌な予感がどんどん膨れ上がっていく。
    「まさか、間に合わなかったのか」
    しばらく騎士たちの無言が続いた。皆が皆、苦虫を噛み潰したような顔をする。
    漸くその内の一人が呟いた。
    「……我々が辿り着いた頃には、既に聖地の中でした」
    レグロの思考は一瞬停止した。
    だが直ぐに立ち直り、騎士たちに指示をする。
    「……その男は牢に入れろ。必ず近衛騎士が三人係で彼を見張るように。監視の手抜きは許さん。いいな。」
    次いで、レグロは門の方を見て言った。
    「そこにいる騎士たちよ、なんとしてでも民衆を抑えこめ。何を言っても歯向かってくる奴らにはどんな手を使っても構わん。いいな。……もう一度言う。“どんな手を使ってでも”民を屋敷の中に入れるな。」
    この時のレグロは、いついかなる場合も冷静に判断を下す彼らしくなかった。
    彼はどこか、取り乱していた。
    レグロは自分の周りに先程の五人の近衛騎士を付かせ、屋敷に侵入した男を連れて屋敷の中に戻っていった。

    レグロは騎士と捕らえた男を連れて、屋敷の地下に続く道を歩いていた。
    しばらくして目的の場所に辿り着く。
    二十四時間陽光も月光も差しこまぬ、罪人達の行き着く先がこの場所だ。
    レグロは三人の騎士に地下牢入口扉の手前で待機を命じ、残りの二人を連れて中に入っていった。
    彼は地下牢の最奥まで辿り着くと、二人の近衛騎士に言った。
    「……明日、こいつを内密に殺す。その仕事をお前たちに頼みたい。」
    レグロは重々しく呟いた。
    対して二人の騎士は無言で頷いた。
    「……お前たちにこのような汚れ仕事を押し付けてしまい、本当に申し訳なく思っている。だが……ハイリアの安寧ためだ。どうか手を貸してくれ。」
    レグロは二人の近衛騎士に頭を下げた。
    騎士たちはどこか悲しそうな顔をしながら、それでも笑って言ったのだ。
    「何をおっしゃいます。我らは命をハイリア国に捧げた身……。神の御加護の元にあるご当主様の命令とあらば、どんな汚れ仕事でも喜んで請け負います。」
    「……えぇ。だからどうかお顔をおあげ下さい。」
    騎士たちがそう言うと、レグロは二人に礼を言う。
    「リンク、オービル……ありがとうな。」
    そしてまた、ハイリアの安寧は保たれようとしていた。
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