Recent Search
    Create an account to secretly follow the author.
    Sign Up, Sign In

    メロ澤

    @mel_fjs_low

    @mel_fjs_low メロ澤。アルティメットハピエン厨。
    ここには月鯉しかない。

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 😘 💪
    POIPOI 6

    メロ澤

    ☆quiet follow

    逃●恥にことよせた月鯉①
    清書校正はまだしてない!

     14日ぶりの日本の空は青く澄み渡っていた。天高く薄い雲が浮かぶいわゆる秋空だ。いつもより長めのモスクワ出張が終わり、やっと戻ってきた日本の美しい青空をみるとホッとする。中秋の日本はまだまだ暑く、月島は成田空港の長い通路を歩きながら背広を脱ぎワイシャツを腕まくりした。モスクワとは大違いだ。きっと帰り着くまでに汗だくになるだろう。
     でもかまわない。今日は久しぶりにちゃんと風呂へ入れるのだ。心待ちにしすぎて10時間のフライトの間に風呂へ入る夢を2回見た。
     荷物がベルトコンベアに乗って出てくるのを待っている間も風呂のことばかり考えていたらスマートフォンの着信音が自動お湯はりを完了したときの通知音に聞こえてしまった。慌てて電話をとる。
     すると、明日から来なくていい。と電話口の社長から直々に仰せつかった。
     休みをもらえるのかと思ったらそうではなく、月島の勤める会社は倒産したのだった。雇用保険の書類などは社側の準備ができたら連絡するから後日受け取りに来てくれと言う。そして社長は一方的に電話を切った。
     突然無職になってしまった月島は虚無の気持ちで、重い足と大して重くないキャリーバッグを引きずって成田から自宅のある神奈川へやっと帰ってきた。
     と思ったのに、我が家に入ることはおろか近づくことも許されなかった。
     月島の目の前には、集まった消防車と消防士たちが燃え盛るボロアパートを囲んでいた。彼らは真っ赤な光をあびて消火活動をしながらも、呆然とたたずむ月島を親切に安全なところへ誘導してくれた。眺めたところでどうにもならないのに、木造の古びたアパートすなわち我が家が焼け落ちていくのを最後まで見届けた。
     海外出張のためすべての貴重品と少しばかりの衣服とを持ち出していたのは不幸中のわずかな幸いだった。もう考えるのも動くのも億劫で、いまや全財産となったキャリーケースを引いて最寄り駅前にあるネットカフェへ向かった。駅前のこの店舗がそこそこ清潔で設備も最新であることは知っていたから、そこで夜を明かそうという案はすぐに思いついた。鍵付き個室を確保するだに、心労からぱったりと眠りにおちた。
     月島は家も職も家財も一日ですべて失ってしまった。
     翌朝目覚めても、それは夢ではなかった。失意のままハローワークへ通い始めた月島は早々に難しい問題に直面した。
     住所がなければ面接にたどりつけない。
     しかし仕事がなければすんなりと部屋を借りられない。
     という堂々巡りなのだ。ネットカフェを住所にすることも考えたが、調べられたらすぐに宿無しであることはバレるだろう。社員寮など住居を提供される求人もあるにはあるが、どれも工場・製造系の経験者優遇のものばかり。営業職しか経験のない月島にはやや不利だった。
     そうしてハローワークに通い詰めて成果のないまま二週間ほど経ったとき、窓口で不思議な求人を紹介された。
     それは今どきめずらしい家政婦または家政夫の求人であった。
    「住み込みの家政婦ですか……しかも男性歓迎で急募とは。奇妙な求人ですね……」
    「そうなんですよ。字面だけみるとあまりにも怪しいから女性にはお勧めしにくくて。給与も少ないですから男性にもちょっとねぇ。でもまぁ、管轄のハローワークに問い合わせたら雇用主はごく普通のしっかりした方なんだそうです。家事が不可でなければ条件、あなたにはぴったりだと思います。ひとまず住めるわけですからね」
     たしかに担当者の言う通りだ。幸い学生時代からの長いひとり暮らしを経て、一通りの家事はこなせるし案外嫌いではない。大掃除なんかは毎年張り切って家中をピカピカにしているし、実家がクリーニング店を営んでいたので洗濯の知識は自信がある。栄養や盛り付けはさておき、レシピサイトを参考に作るだけなら料理も苦はない。
     なんとなく、いけそうな気がする。
     というフィーリングだけを頼りに。
    「応募するだけしてみていいですか」
     他にいくつかのごく一般的な求人にも同時に応募していたが、最初に連絡が来たのはこの摩訶不思議な家事代行の求人であった。暇を持て余していた月島はすぐに求人元と面談することにした。
     勤務先となる予定の雇用主の自宅は横浜市内だった。最寄り駅から5分ほどの小綺麗なマンションで、ごく一般的なの住宅街の中だ。ちょっとした高台に建っていてベランダからの景色はなかなかよさそうに見えた。月島は約束の時刻ちょうどにエントランスのドアホンを押し、どうぞという若々しくハリのある男性の声に導かれてエレベータで2階へ。207号室の扉の前に立つと、呼び鈴を押す前にカタンと扉が開いた。
     スーツを着た雇用主は予想していたよりもずいぶん若くて、そして予想していたよりもずいぶん美しかった。
     突然目の前に現れた美しい男に、月島はただ言葉を奪われ、目を奪われた。浅黒い肌にくっきりと長いまつげに縁取られた切れ長の目元は涼しく、唇はうすいけど艷やかで鮮やかだ。意志の強そうな眉が表情をどことなく険しくみせている。そして正面から漂う好い香り、これはたぶん彼のにおいだ。
     男性だとは聞いていた。
     けれど『美しい男性』との邂逅なんて、おっさんは予想どころか夢想もしないものだから。
     驚きのあまり月島はボカッと口を開けたまま、何をしに来たのか忘れたように固まってしまっていた。
    「あの?」
     ちょっとぼんやりと見惚れすぎたらしい。怪訝そうに声を掛けられて月島はハッとして慌てて一礼した。
    「はっ!あ、はい、すみません月島と申します」
    「ハローワークからご紹介いただいた家事代行の希望者のかたでまちがいないですよね?」
    「はい家事代行の希望者です」
    「あなたが? ホントに?」
    「えっ……ホント……ですが……」
    「サラリーマンに見えるのだが。求職者のフリした何かの営業ではないだろうな」
    「あっ服装、なるほど、あのすみません、今諸事情でまともな服がこれしかなくて。いや、今じゃなくていつも大したものはないですけど」
     しまった。ビジネスカジュアルくらいの服を買っておくべきだったか。職場へ行く感覚でなんの疑いもなくスーツを着てきてしまった。いちおうクリーニングしたてだが。
     彼の三白眼がギュッと射るように月島の頭の先から足元までをじっくり検分している。美人は怒ると迫力があるというイメージそのものの、少々威圧感すら感じる視線だ。だがなんとなく、怒ってはいないと思う。思いたい。
    「そうですか。ふぅん。まぁ服装を規定しているわけじゃないし、別にいいですが」
     どうぞといいながら彼が視線を外したので、緊張が解けてホッとした。彼に続いて室内に上がらせてもらった。
     雇用主は、コイトですと言いながら月島に名刺を差し出した。名刺に記された『鯉登音之進』という名前と字面もやたらとかっこいい。脇に書いてある大企業の社名も霞んでみえるほどだった。濃い紫色のワイシャツも個性的だが彼の肌と髪の色にとてもよく似合っているように思う。
     すぐにリビングのテーブルに座るよう促された。テーブルにはA4サイズの紙が一枚置かれていて、向かい側の椅子に座った鯉登がそれを指さしながら説明した。鯉登の提示した職務内容と規定をかいつまむとおおよそ次のようなものであった。
     
     ・職務内容
      掃除、洗濯(取り入れて畳むところまで)、食事の用意と片付け、予算内での食料品や日用品の購入、宅配の受取り、ゴミ出し、平日中にマンション業者などが訪れるときの応対。
     ・勤務時間
      1日あたり5時間。時刻は指定しないが最大でも20時までにすべて終えているのが望ましい。土日は原則休みだが、食事は平日のあいだに土日の分も作り置きをしてほしい。場合によって残業も認める。
     ・備品について
      リビングはWi-Fiやテレビを含めて自由に使ってOK。トイレ洗面所風呂もOK。
     ・禁止事項
      鯉登の部屋は掃除や片付け以外は入らないこと。鯉登の部屋のクローゼットを開かないこと、デスク上のものには触らないこと。
     
     住み込みの条件や契約解除や解雇についてなどもさらに詳細に記載しているのでこちらも読んでおいてほしいとファイル冊子を渡された。雇用契約書とタイトルがつけられている。先ほどのA4サイズの紙はこれを抜粋したものだったのだろう。
     月島にしてみれば、住民票をまともな住居に移せるというだけで本当に御の字だった。そのうえでかなりの自由時間が設定されているので就職活動も可能に思える。収入としては少ないが食うことだけに使えばおおよそ何も困らないだろう。申し分のない条件だ。
     今日はまず3時間の勤務で簡単にリビング・キッチンの掃除と夕食の用意を頼みたいとのことだった。
     これはきっと採用試験だろう。そしておそらくこの一発勝負だ。なんとしても合格したい。月島はやる気が満ちてくるのを感じていた。
     静かに闘志を燃やしている月島に、鯉登はふたつの封筒を差し出した。
    「これは今日の分。前払いです。こちらは今日の食料費です」
    「確認します……確かに。拝受しました。ありがとうございます。鯉登さんは、いまからお仕事ですか」
    「そうだ。あぁ。あなたが帰るときは施錠して鍵を郵便受けに入れておいてください。ではこれで」
    「承知しました。いってらっしゃい。お気をつけて」
    「あ……ウン。いって、きます」
     玄関で月島は鯉登が出ていくのを見守って鍵をかけた。ベランダに移動し、鯉登が駅の方に向かって坂を下っていくのをそっと見届けたあと、持参したTシャツに着替えて、独り暮らしするには少々大きい2LDKの部屋と向きあう。
    「よし、やるぞ」
     鯉登は指定された場所以外を触られることを嫌悪しそうな気がしたが、トイレだけは使用させてもらったのでついでにピカピカに掃除した。リビングの範疇に入ると思ってベランダの掃き掃除、窓拭き、網戸の汚れ落としもしておいた。夕飯の作り置きは鶏そぼろ丼、ほうれん草とにんじんのナムル、ミニトマト・ベーコン・玉ねぎの味噌汁。お試しなわけだから気合いを入れ過ぎだと思われないようごく簡単なものにした。冷ましたものを器に盛り、ラップをして冷蔵庫へ。苦手なものがあるとかわいそうだから献立をメモしたものを添えておく。ちょうど終わり頃に宅配でミネラルウォーターらしきものが届いたので受け取って段ボールを拭き、玄関に置いた。
     かくしてしっかりきっかり家事に精を出し、12時を10分ほど経過したところで玄関を退出、鍵をポストに入れて寝床となっているネットカフェへの帰路についた。業務をこなした月島は久々に達成感があって狭いネットカフェの個室でもぐっすりと眠れたのだった。
     明けて、土曜日。鯉登からは午前中にメールが届いた。正式に雇用契約を結び、勤務開始日等を決めたいからいつでも自宅へ来てくれと書いてある。
    「ぃヨシ!!」
     メールを見るなり、歯磨き中の月島はネットカフェの洗面所でガッツポーズした。このネットカフェ生活から解放されること、新しい仕事を射止めたこと、そしてなにより彼の、鯉登音之進のお眼鏡に適ったことがうれしかった。だってなんとなく、ハードルが高そうだったし。今日はビールで祝杯を上げることにしよう。
     昼すぎ頃に鯉登の家を再訪すると、粛々と契約書への署名や捺印を進めた。鯉登の進行には終始隙がなくて、どうしてわざわざ住み込みの雇用なのかと気になっていたのだがついぞ聞くことができなかった。
     最後に鯉登は書類のうちの月島の控え分をクリアファイルに入れて渡しながらこう言った。
    「成人男性が受け取るには給与が少なくて申し訳ないが」
    「いえ、労働の対価に男女も年齢も関係ありません。好きにさせてもらえる時間も多いしこんなキレイで立派な職場で、服装も自由ですし。私には何も文句がないです」
    「そうか。なら私も助かる。いつから勤務できそうだ?」
    「できれば、明日から」
    「明日から?!」
    「あっ…………! いえ……あ〜〜明後日からで~お願いします……ははは」
    「明後日か、それでも早いな。引っ越しって大変だろう。私は鹿児島から東京に出てくるときものすごく大変だったぞ」
    「あ、まぁあの、ええと、持ち物が少なくて……身軽なので」
     早くネットカフェを出たい気持ちで急いてしまったので驚かせてしまったようだが、鯉登は了承してくれた。
     翌々日、ネットカフェを早朝に出ていく月島に、精算してくれたポニーテールの女性店員はおめでとうございます、と明るく言ってくれた。店員たちにはなんとなく状況がわかるのだろう。
    「やっと仕事と家が見つかったので」
    「そうですよね! よかったですね!」
     最後にいい店員さんに当たって、幸先がよかった。意気揚々とキャリーケースを引いて現れた月島に、引っ越し業者はいつくるのかと鯉登が尋ねてきた。荷物はこのキャリーケース以外ないと答えると、本当になんにもないんだな、と笑われた。
    「それでは、本日からお世話になります」
    「あぁ。どうかよろしく頼む」
     2LDKだと思っていた間取りは実際には1SLDKというらしい。Sとはサービスルームといって建築基準法上はいわゆる居室ではないのだとか。この4畳半ほどのサービスルームを鯉登は月島へ明け渡してくれた。家族が訪ねてきたときに使っていたという布団一式も無償で与えてくれた。部屋には小さな収納と小窓があって明るいし、布団を畳めばじゅうぶん広く感じた。ネットカフェで1カ月あまり過ごしたあとだと天国に見えた。しいて言うなら洗濯は別々にといわれてほんのちょっと傷ついたが。
     そうして月島が鯉登の家に住み込みで働き始めてひと月はあっという間に過ぎた。掃除、洗濯、炊事、ゴミ捨て、買い出し。基本的には日々同じことの繰り返しなのだが、それなりに体を動かすし細かい作業も多い。定められた休憩時間があり、自由に取れるから季節の移り変わりを感じる余裕も、放置していた本を熟読する時間もあって、社畜ぎみにサラリーマンをしていた月島としてはストレスが少なく感じた。料理はかなり頭を使う必要があって特に重労働だが、最近は魚を捌くという楽しみを見つけて、新しい魚を見かけると財布と相談して買ってしまうようになった。
     さて、今晩はひじきと揚げの炊き込みご飯、秋ナスと野菜の味噌炒め、湯豆腐、鯛の煮つけ(小さめ)という献立だ。
    「鯛うまぁい。このひと月という短い期間で、料理の腕が格段にあがっているぞ、月島ぁ」
    「そうでしょうか。手際はよくなった自覚ありますけど腕があがっているかどうかは……。どちらかというと鯉登さんの傾向とか好みがわかってきたせいかもしれないです。いっしょに食事をしているおかげですね」
    「まったく本当にあれはびっくりしたぞ」
     少し前のこと、鯉登が平素より早く帰ってきた日があった。そのとき月島はちょうどリビングで夕食をとるため、コンビニで購入してきたおにぎりのビニールをむいているところだったのだ。おにぎりを片手に、お帰りなさいという月島を前にして、鯉登は持っていたビジネスバッグをどさっと床に落とした。そして月島を指さすと、毛を逆立てんばかりの権幕で怒鳴り始めたのだ。
    『何をしてるんだ月島貴様ぁ!』
    『えっ、ばんめひでふが』
    『なっ、お前は自分でわざわざ作っているのになぜ私と同じものを食わんのだ!』
     鯉登は時折、仕事関係とおぼしき電話をしているときも大声を出している。この頃には月島はもうだいぶ鯉登の大声には慣れていて、すぐにこれは鯉登が怒っているわけではなく驚いているだけだということがわかった。
    『あれって鯉登さんのぶんだけではないんですか?』
    『当たり前だろうが!ひとつ屋根の下で生活しちょるのにそんな非効率なことするやつがあるか。それとも予算が足りないのか?』
    『あぁ二人分だからいただいているお金がちょっと多いんですね。なるほど』
    『余った食費でコンビニ飯を食ってるのか?』
    『まさか。これは私のお給料からですよ。余ったやつはプールして、ときどきちょっといい刺身を買ったりとか、果物買ったりしてますけど』
    『とにかく食費は二人分だ!あ、まさか朝も?』
    『あなたが出かけたあとにコンビニ行って──』
    『だめだ!もう明日からいっしょに食え。朝も晩もだ』
    『しかし鯉登さん待ってると遅いじゃないですか』
    『早く帰ってくるから!』
     翌日から、鯉登は本当にそれまでより少し早く、19時までには帰って来た。月島が適当にコンビニ飯で済ませていないか監視する意図があったらしい。
     誰かと毎朝、毎晩食卓を囲む。月島が大学進学と同時に故郷の佐渡を出て以来のことだった。鯉登ひとり分の作り置きの食事を用意するよりも、鯉登の帰宅時間を確認しながらあたたかい二人分の食事を作るほうがやりがいを感じるように思えた。鯉登が実際に食べる順番や速度を見られるおかげでなんとなく好みや傾向も感じ取ることができる。使い終わった食器を洗っているだけでは気づかなかったことだ。
     鯉登は数日前にスタイリッシュなメンズ向けのエプロンを買ってきてくれた。確かに炊事のあとのTシャツは水でびしょびしょ、たまに醤油やタレを飛ばしてしまって慌てて染み抜きしたりしていた。エプロンをしてみるとこういう汚れの類をすべてブロックしてくれてありがたかった。月島と同じように、鯉登も月島と同じように些細なことに気づいてくれたのかもしれない。
     共に食事をするようになってよかったなと素直に思った。最近では鯉登が会社や通勤時にあったことや料理の感想を言ってくるようになり、会話することも増えてきた。ちょっとしたことの積み重ねだが、うれしい変化だった。



    「では行ってくる」
    「お気をつけて。これ弁当です、どうぞ。会社ではチンして食ってくださいね」
    「弁当?!」
    「あ、いらなかったですか?」
    「け、契約外だぞ、これは」
    「あぁ確かに。でも作ってしまいましたから、差支えなかったらお持ちください。それか、不要だったら俺が食ってもいいですか?」
    「おれ……」
    「おっと……失礼」
    「いや、かまわん、新鮮だっただけだ。弁当は、じゃあ、もらっていく」
    「ぜひどうぞ」
    「しかし、なにかしらこれを入れる袋ないかな。このバッグには入らん」
    「あぁ紙袋はあった気が……ハイ。これ」
    「わぁ。ダサいなぁ。ランチバッグ買おう……」
    「ということはこれからも作りましょうか。毎日は予算的にできないですけど」
    「ん、そうだな。月島の飯はおいしいし、ありがたいかもしれん。弁当の曜日を決めて作ってもらうというのはどうかな」
    「いいですね。何曜日か希望があったら教えてください。今日の夜にでも決めましょう」
    「わかった」
    「なんだか専業主夫になったみたいな気分ですねぇ。いってらっしゃい」
    「……ウン」
     そうやって朝送り出された鯉登は、宣言通り弁当箱とランチバッグを購入して帰宅した。会社の周りの飲食店は水・木が定休日のところが多くていつも困っているので、月島と相談し、弁当箱の出番は水・木の二日間と決めた。
    「では水曜と木曜は基本的にお弁当の日ということで。しかしきれいな盛り付けとかはあんまり期待しないでくださいね。そういうセンスはありません」
    「確かに、男子弁当!って感じだった。ジップロックだし。ふふふ。でもおいしかったぞ。ありがとう。中高と母が作ってくれていたことを思い出したぞ。それにしてもなんで急に弁当なんて作ったんだ」
    「たまたま昨晩のおかずの参考にしたレシピ、お弁当にも最適!って書いてあったんですよ。多めに作ったし、弁当にしてみてもいいかなと。それだけです。食費の予算も私の勤務時間もオーバーしていません」
    「ほぅ。弁当って経済的なんだなぁ」
    「しかし社会人の弁当は自分で調整できますが、学生の弁当は否応なく毎日ですよね。母は大変だったろうなってこともわかりましたけど」
    「そうだなぁ」
     食後にはたいていソファに座ってテレビでニュースチャンネルを眺めている。そこへ月島が毎日あたたかいお茶を淹れて持ってきてくれる。茶葉は鯉登が実家から送ってもらっている知覧茶だ。鯉登はふと気になったことを、ソファの脇にあるカウチへ腰掛けてまったりとお茶を飲んでいる月島に問いかけてみた。
    「聞いてもいいか。月島は、自由時間は何をしているんだ。あ、言いたくなければ言わなくてもいい」
    「主に就職活動です。あと数日先くらいまでの献立を検討してるかな」
    「就職活動だと?」
    「はい。前の勤め先は倒産してしまったので、職探ししないといけなくて」
    「倒産……じゃあ、本当にサラリーマンだったのか」
    「隠してたわけじゃないですよ。特に聞かれなかったので……」
    「うん。私からは訊ねてないし、職歴は別に採用条件じゃなかったし、別に構わない」
     確かに鯉登は月島個人についてここ今までまるで興味がなかった。もちろん事前に受け取った履歴書はきちんと目を通したが、結果は、理想的な家事の遂行ぶりと堅実で誠実そうな印象を受けてこの人に頼みたいと直感した。それだけで即決だった。かつて家事代行業者に依頼して派遣されてきた女性たちとの間に起きたようなトラブルは起こらないし、自分の勘はきっと間違っていなかったのだ。
     もし月島がいなくなってしまったら、嫌だな。
     中身が空になってもまだほんのりあたたかい湯呑みを握りながら、鯉登はそう思った。
    「…………ナァ本当に専業主夫になったらどうだ月島」
     ポロッと口に出すと、それはものすごく名案に思えた。月島にはそれだけで意図は伝わらなかった。顎に手を当てて首を傾げ、鯉登のことばを噛み砕こうとしているようだ。
    「ん?……………………どういうことです?」
    「主夫として私が雇用するのだ。そうしたら別に、職探しする必要ないだろう。食事も住むところもあるんだから。あ、しかし貯蓄は、この金額ではあんまりできないかな」
    「はぁ、なるほど、う~~~~む、突拍子もないことですが……確かに一理ありますね」
    「そうだろう。横浜市にはパートナー制度がある。パートナーという形で公正証書を作成すれば、私の扶養にもできるんだぞ。保険や年金などの福利厚生も可能だ」
    「そんな制度もあるんですか」
    「すぐ決めろとは言わん。私は長く快適に月島にここで働いてほしいだけだから」
    「いえ、鯉登さんがお嫌でなければぜひお願いします。無職のおっさんにはありがたすぎる申し出です」
    「ほんとか!よーし、そうと決まったら手続きをすぐ始めるぞ!」
     その日のうちに鯉登は知り合いの司法書士へ連絡し、書類は次々とできあがっていった。司法書士のお墨付きをもらい次第すぐに役所へ月島とふたり連れだって提出しにいった。受理してくれた市役所の担当者はとても感じがよく、にこやかに月島と鯉登のことを祝福してくれて、おすすめのLGBTsフレンドリーな飲食店や不動産屋などもいくつか教えてくれた。
     パートナー証明書を手にすると、なんとなく胸が躍り、新しい日々の始まりにさわやかな風が吹いている気分になった。
    「今日から形式上はパートナーだ。雇用契約書も多少訂正をいれておいた。月島。改めてよろしく頼む」
    「こちらこそ、ふつつか者ですがどうぞよろしくお願いします」
    「うふふ」
     これで月島は末永く我が家を快適に保ってくれる。鯉登はそれがとてもうれしかった。

    ※なお現行法のもとでは同性パートナーで扶養にはいったり保険を同一にしたりできません。市役所の対応なども妄想です。一歩進んだ未来の話だと思ってください!
     
    ◆次回!両家顔合わせ!につづく
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    👏👏👏👏💘💞☺🙏💒💞💒💞😭👏☺💒💒💒💒💖💒👏☺🙏🙏💞💞💒💒💗💗💒💒💕💞😍💒💒🙏💒😭😭😭😭💖💖💖💖💘😭💖💲🐉🎋🆔🇪💲🐉😍
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    メロ澤

    MAIKING逃げ恥にことよせた月鯉⑤

    月鯉ウェブオンリー『やぶこい』開催おめでとうございます&ありがとうございます!

    逃げ恥パロつづき。
    契約夫夫なのに新婚旅行に行くことになっちゃった月鯉をお楽しみ下さい!
    ただしはずかしながら完全に未校正ですてへ。

    ①〜④はピクシブにあります。
    https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=21486273
     最近、月島はパソコン作業のために小さな折りたたみローテーブルを買ってきた。それを自室に置いたら、四角い部屋はますます独房みたいになった。独房にこもってパソコンをしていると鯉登からリビングへ呼び出されることがある。
     早めの夕飯を済ませたあと、パソコンに向かって食費と日用品の出費をエクセルにまとめているとドアが軽快にノックされ、時間だぞ、と鯉登が顔をのぞかせた。なぜなら今日は日曜日。「ダーウィンが来た」の放送がある。鯉登はこの番組がお気に入りだ。最近は必ず月島もいっしょに見ることを要求してくる。まぁ別に構わないのだ。おそらくは子供向けの番組なのだが、映像は迫力があり、まったく知らない動物の生態や雑学は純粋におもしろい。見ながらあれやそれやと話しかけてくる鯉登も楽しそうで、平和そのものだ。家族の団欒を体感している気分になって心も落ち着くから、月島もたぶん、この番組がわりと好きなのだ。
    11615

    recommended works