看病エクスターミネーションから約数日が経とうとしてたその日、ホテルのロビーにはあまりいいとは言えない空気が朝から漂っていた。
ホテルの住人たちが眉間に皺を寄せたり心配そうにオロオロと狼狽える中、異質な者が一人朝からバーで酔い潰れていた。アダムである。
「ね、ねぇアダム、朝からちょっと飛ばしすぎじゃない?パパが今居ないからってそんな…」
ホテルのオーナーであるチャーリーが心配そうに後ろから声をかける。するとアダムは酒を煽る手を止め、ジロリと睨んできた。
「ん〜?何言ってんだってお嬢ちゃん♡こんくらいだいじょぶだって!あ、一緒に呑む?一人で呑むよりおっぱいある子と呑む方が楽しいなぁ私は」
言葉は上機嫌のように聞こえるが、実際表情は不機嫌に近い。酔っているせいか分からないが、顔色が通常の色じゃない。
「あ、ぁーー……、私は遠慮しとくわ!仕事もあるし……」
「ちょっとアダム、朝からこんなことやめてよ。ホテルの評判に関わる」
「ホテルの評判だぁ?はっ!笑わせるぜ。元々私のとこにいたのにお前というやつはこぉんなとこで働き始めるなんて。いい根性してるよなまったく」
ケラケラと笑い、酒に口付けたまま自分を注意してきたヴァギーを見る。そして独り言のようにブツブツと文句を言い始めた。
「なんでこの私がこんな……こんな肥溜めホテルにいなきゃなんねぇんだ。あちこち臭ぇし眠れねぇし……クソっ……」
あのクソチビさえいなきゃな、と息を荒らげながら酒瓶を持つ手に力を込める。フルフルと若干震えるその手を目の前で見ていたバーテンダーのハスクが口を挟んだ。
「おいアンタそろそろやめとけ。その顔色に震え、ただ事じゃないぞ。具合でも悪いのか?」
すると何か癪に障ったのか、アダムがキッと睨み返し、持っていた酒瓶をハスクに向かって投げつけた。ハスクはそれを予想していたのか、サッと避ける。
「うるせぇ!さっきから悪魔如きが誰に向かって口聞いてんだ!私はアダムだぞ!っはぁ、最初に誕生した人類だ!ただ生前に垂れ死んだお前らとは違う!私は偉いんだぞ!」
ガタッと席を立ち威嚇のように吠える。しかしそれには覇気がなく、立っている間もフラフラとしていた。ハスクがやられそうになったのにムカついたのか、ソファに座っていたエンジェルが今度は口を挟む。
「おい!ハスクはアンタのこと心配して声をかけてやったんぞ!なのに何だその言いぐさは!最初の人類かなんだか知らないけど、“元”天使様ってのはそんなに偉いのかよ!?」
「っ……私は今でも天使だ!はぁ、っ……それが当たり前なんだ…っ!口を慎めよクソビッチ。大人しくパパのチンコでも咥えてな」
「なんだと…っ」
「ちょ、二人とも!喧嘩はやめてよ!」
アダムとエンジェルが殴り合いになりそうなのをチャーリーが間に入ってそれを止める。今殴り合いになったら完全にエンジェルの方が不利だ。エンジェルを傷つけさせない、とチャーリーが必死に宥める。
「はっ!大体さぁ天使のリングも無くなって、おまけに自慢の羽が真っ黒くなったのも自覚してないわけ?完全にアンタは今悪魔なんだよ。”俺たちと同じ“な!」
「言いやがったなこのクソカマ野郎…っ」
あーもーなんでこんな時に限ってアラスターもパパも不在なの!?とチャーリーは心の中で泣いた。アラスターは上級悪魔の会議で先程から席を外し、ルシファーも権力者の会議で今はホテルに居ない。絶望的な状況に、いっそもう逃げ出したいとチャーリーは目を瞑った。
「いい、かっ……今のお前らがいるの、は…私、のおかげなんだ、ぞ…。はぁ、っ全ては俺のチンコから始まってん、だっ……感謝しろよ」
「ちょ、ちょっとアダム、ホントに大丈夫?さっきより顔色が悪いわよ。それ以上騒ぐと体に障るわよ?」
顔を見上げながらチャーリーが思わず口を挟んでしまう。誰もが見てわかるほど、今のアダムの様子は異常だった。痛いところを突かれたのか、アダムが舌打ちをする。
「ちっ、お人好しすぎんだ、よ…ッ。それ以上私に口を聞く……っ、!?」
その瞬間、アダムの口が一文字に結ばれた。まるで誰かに操られてるかのように。そして同じタイミングでホテルの扉が勢いよく開いた。
「パパ!」
「やぁ!ただいまチャーリー。席を外しててすまなかったね。今は……ほう、何かあったのかな?」
入ってきたのは地獄の王、ルシファーだった。一切表情を崩さずに、先端にリンゴが付いたステッキをクルクルと回しながら、アダムとエンジェルの間に挟まれるチャーリーの元に近づく。
「アダム、ここにいるからには問題事は起こすなと……私は言ったはずだが?」
するとそこで口が解けたのか、アダムが口を開く。先程の口封じはルシファーの仕業だったのだ。
「っ…!もうこんなとこウンザリなんだよ!おまっ、分かんねぇのか!?仮にも元大天使だろ!はぁっ、はぁ……。きもちわりぃんだよどいつもこいつも…っ!」
そこでルシファーもアダムの異常に気づいたのか、片眉を上げた。
「こんな、っ……息苦しいと、こ…、私は……っ、……、」
声が小さくなってきたと思った次の瞬間、アダムの体が後ろに傾いた。突然のことが目の前で起こり、ホテルの住民たちが目を見開く。スローモーションのようにゆっくりと時が進んだようだった。アダムが完全に床に倒れる寸前に、ルシファーがそれを受け止める。
「アダム!?」
チャーリーが心配するかのようにアダムを抱えるルシファーに近づいた。
「はぁっ、はぁ……、」
「……体が熱いな。環境の変化に精神がやられたか」
ルシファーの腕の中でアダムが辛そうに息を吐きながら目を瞑っているのをチャーリーが泣きそうな目で見つめている。たとえ以前敵だった相手でも、この子は心配してくれてるのかとルシファーは優しい目でチャーリーを見た。
「心配ないよチャーリー、コイツはすぐに治る。ただ、しばらくコイツはパパの部屋で診ようと思う。いいかい?」
「う、うん…!もちろん!」
「すまないね。あとキッチンも少し貸してくれないか?何か少しでも食わせないとまずいだろうからな」
「えぇ!全然大丈夫よ!うん!」
ルシファーはアダムを抱えて自室に向かい始める。その後ろをチャーリーは心配そうについて行った。
「バーが散々な目にあわされたようだね。後でパパが直してあげるからね」
「それは大丈夫よ!散々って言ってもお酒が床に零れたりとか瓶の破片が散らばったりしてるだけだし!」
アダムの治療に集中してほしい、と遠回しにお願いすると、ルシファーは優しい笑みを作る。
「お前は本当に優しいな、チャーリー。それでこそパパの自慢の娘だ」
力になってやれなくてすまないと謝るルシファーにブンブンと首を横に振る。そしてルシファーの部屋の前に着くと、チャーリーが扉を開けた。
「じゃあチャーリー、お前にも伝染るといけないから、お前はみんなのところに戻りなさい」
「えぇ、パパも気をつけてね……。愛してるわ」
「私もだよ、チャーリー」
ゆっくりと扉を締め、廊下に一人ポツンと残る。しばらくしてチャーリーはホテルのロビーに戻った。
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「はぁっ、ふ、っ…はぁ、はぁ……」
ルシファーはアダムをゆっくりとベッドの上に下ろし、コートをハンガーにかけると体温計と一枚のタオルを魔法で出した。
「エデンにいた頃のキミは絶対に体調を崩すなんてことなかったんだがなぁ」
軽く体をタオルで拭いてやった後に、体温計を脇に挟み、合図が来るのを待つ。
やがて軽い音楽が体温計から鳴るのを耳にするとルシファーは体温計に書かれた数値を見た。
「………高熱だな。しばらく治まる気配は無いな、これは」
体温計の電源を切り、サイドデスクに置く。そして魔法で追加で出した氷水が入った氷嚢をアダムの額の上に乗せた。
「うっ、……はぁ、はぁ……」
「…………」
辛そうに眉を下げながら苦しむアダムを椅子に座りながらルシファーは見つめる。そこで脳裏に浮かんだのは、彼らが創造神によりこの世に誕生した日のことだった。
「人間というのは、本当に脆い生き物だな」
あの頃は少し楽しかった、とルシファーは目を瞑った。
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さてと、とルシファーは袖を捲り気合を入れた。ルシファーは魔法でものを出現させることができるが、料理するときは基本食材もちゃんとある物を使用し、ちゃんと自分の手で作った料理を食べたいし振る舞いたいという思いがある。時刻は夜の十一時。アダムが朝に倒れて以来近くで見ていたが起きる気配がない。しかし一日何も食べないのはさすがにまずい。ホテルの住人たちが食事を終えた今、誰もキッチンを使う予定がないと予測し、ルシファーは今キッチンに立っている。
ホテルのキッチンは思いのほか色々と調理家電やキッチン用具が揃っていた。ルシファーは広いとはいえないが様々な家電を見渡す。最先端のテクノロジーには疎いが使ってみれば実際どうにかなるだろう。家電とはそういうものだ。
「ほぉ、これはなかなか……」
食材を漁るとこれまた色々と揃っていた。果物や野菜、それに主食となる炭水化物や肉類、卵。それから調味料も文句なしの品揃えである。ルシファーはその中からりんごを一つ手に取った。今夜はこれに頼るとしよう。
ルシファーは包丁を手に取り、器用にりんごの皮を剥いていった。クルクルと回転をさせながら皮が一本になり丸裸にさせられる。その後は芯を取り、縦に切っていき塩水に浸した。
数分放置した後に水気を切り、すりおろし器を用意する。そしてりんごをゴリゴリとすり降ろすと、形状を無くしたりんごが下に設置した器に落ちていった。しばらくその行為と格闘してりんご一個丸々使いきるとルシファーは蜂蜜を取り出し、すりおろしたりんごの上に少量かけ、軽く混ぜた。風邪のときの定番、りんごのすりおろしの完成である。
「久々に作ると結構苦労するものだなぁ」
調理器具を色々と片した後にルシファーはスプーンを持ってキッチンを出た。
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「アダム、入るぞ」
ルシファーが静かに扉を開けると、アダムは咳き込みながらもこちらを見つめてきた。どうやら長い睡眠から目覚めたらしい。
「げほっ、げほ……ぁ?ルシファー……?」
ルシファーはサイドデスクに器を置き、隣に用意した椅子に座る。
「朝から大騒ぎした上にぶっ倒れたんだぞ、覚えているか?」
「……少し」
「勝手なマネはするなまったく…。食欲は?」
「……ねぇ」
「まぁそうだろうな。とりあえず今日はこれを食べてまた寝ろ。水も用意してあるからちゃんと飲むんだぞ」
アダムはチラリと横を見ると氷水が入ったピッチャーと空のグラスが置かれていた。そしてしばらくりんごが盛られた器を見つめる。
「………お前が作ったのか、これ」
「あぁ。すりおろしたりんごだ。りんごには炎症を抑える作用と疲労回復の効果があると言われている。水分補給にもなるからしっかり食うんだぞ」
「うん………」
アダムは弱々しく口を開けると、スプーンに持ったりんごを口に運んだ。その光景をルシファーは頬杖をつきながら見守る。
「………甘ぇ」
「蜂蜜を少し混ぜた。蜂蜜には咳や喉の痛みによく効くらしいぞ」
「ふぅん、」
それからアダムは咳き込みながらりんごを口に入れた。食欲は無いと言っていたが心配する程でもなかった。そしてしばらく経った後、空になった器をルシファーに渡す。
「……ごちそーさん」
「食欲がないと言ってたわりには完食できてるじゃないか。偉いぞ」
そしてルシファーは立ち上がり器を持って部屋を出ていく。しばらくしてまた帰ってきた。手元には小袋が握られている。
「……なんだ、それ」
「解熱剤だ。昼間わざわざチャーリーが取りに行ってくれたんだ。熱下がったらちゃんとお礼言っとくんだぞ。一回で二粒、空腹時を避けて一日二回飲め」
小袋からザラザラと錠剤を出してアダムに渡す。するとアダムは怪しげに薬とルシファーを交互に見た。
「なんだ、薬が苦手なのか?」
「なわけねぇだろ…。これ、ほんとにちゃんとした薬なんだろうな?まさかやべぇやつじゃねぇだろうな?」
「はぁ、そう言うと思ってチャーリーが貰いに行ってきたんだろうが。ほら領収書だ。ちゃんと薬局の名前が書いてあるだろう」
私の娘を疑うな、とルシファーはアダムを睨む。そしてアダムは観念したのか、ピッチャーの水をグラスに注ぎ、薬を二錠手に取り、口に含んだ。
「飲んでしばらくしたら熱が引いてくる。一時的なものだがだいぶマシになるはずだ。もう寝たまえ」
「ん、…」
アダムは短く返事をすると、そっぽを向いてまた布団をかぶり始めた。ルシファーは静かに扉を閉め、隣の誰も使っていない客室のベッドに横に目を閉じた。
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アダムがルシファーとの契約を結んだのは、アダムが堕天した直後のことだった。チャーリーとヴァギーに連れられてホテルにやってきた彼は顔に痣を作り、服もボロボロだった。おまけについ最近まで見かけていた金色に輝く羽は、漆黒に塗りつぶされていた。当然天使のリングも無い。正真正銘の堕天使だった。
その姿を見てルシファーが放った最初の内容が、契約のことだった。
___………天国に戻りたければここで更生してみろ。さもなくばお前は一生このままだ。手助けとして私と契約を結ぶのはどうかね。私がお前の傍にいればお前は暴れることができないからな。悪いことをしないのは更生への一番の近道だ。
そのときにアダムが見せた“憎悪”の表情をルシファーは忘れることはない。嫌いな相手に今後一生跪くことになるアダムの気持ちを考えるとルシファーは愉快でたまらなかった。
それからアダムのすることで毎回ルシファーの監視がついた。食事中や就寝時もいつも一緒である。ルシファーにもこれは応えるが、自分の心身の疲れよりチャーリーの安心が大優先だった。
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「リブ肉が食いたい」
アダムが倒れて二日後の昼、ベッドの上には寝たきりではなく、胡座をかいた男のふんぞり返った態度を見てルシファーはため息をついた。
「お前、自分が病気で寝込んでたのをもう忘れたのか?ダメに決まっているだろう。せめて野菜にしろ」
「ちぇっ」
「まぁまぁいいじゃない!アダムも初日よりは元気になったみたいだし、あとは熱が完全に下がるのを待つだけね!」
ベッドの隣に置いてある椅子に座るチャーリーは久しぶりの元気な姿のアダムを見れて喜んでいるようだった。しかしよく表情が見れない。彼女は今全身を防護服で包んでいた。息をする度にシュコー、シュコーと音が鳴る。大方ルシファーにでも着せられたんだろう。
「そうだぞアダム、病人の自覚を持て。まだ固形物も食べれんくせに。ほらレモンゼリーだ」
「お、サンキュー」
ルシファーはテーブルに置いておいた透明なグラスの中に入ったレモンゼリーをアダムに渡す。病人でも食べやすいように砕かれているゼリーは、透明感のある綺麗な黄色の宝石のようだ。口に入れると控えめな酸味とはちみつの甘さが弾けるそれをアダムは受け取るとすぐに食いつく。品も何もない食べ方で。
「チャーリー、みんなの分も作ったんだ。あとでロビーで食べようじゃないか」
「まぁ!ありがとうパパ」
すぐに完食したアダムはその光景をウゲ、と引いた顔で見る。するとチャーリーが立ち上がりヒラヒラとアダムに手を振った。
「じゃあ私はロビーで準備してくるわね!アダム、もう少しだから頑張ってね」
「ん〜」
パタンと扉が閉まる音がする。すると先程まで座っていた椅子に今度はルシファーが腰を下ろした。
「挨拶ぐらいちゃんと返せ。私の娘だぞ」
「へいへい分かってるっての」
アダムはルシファーの言葉に聞く耳を持たなかった。くあぁ、と大きな欠伸をしてまた横になる。するとルシファーの手がアダムの手に伸びた。そのまま優しくクシャリと音を立てて撫でる。
「は!?急になんだよ…っ、びっくりするじゃねぇか」
「…………いや、私はお前とは長い付き合いだが、その…お前が体調を崩すのを見たことがなかったと思ってな。そういえば」
その撫でる表情はとても悲しそうな顔をしていた。
「あ?あー、まぁそうだな。俺も覚えてる限りだと体調崩したことなんてねぇな。ちなみに性病もねぇ」
「………そんなにキツいか、この生活が」
ボソリと静かな呟きが下に向かって吐かれた。突然の言葉にアダムは目を見開く。
「おいおいどうしちまったんだよ急に」
「………自分でも分からん。ただ、あまりに珍しいことだったから自分でも理解が追いついてないのかもしれん」
泣きこそはしないが明らかにいつもより表情が曇っているルシファーにアダムはとあることを思い出した。かつてチャーリーが話してくれたことである。躁鬱を繰り返してしまうようになったルシファーは、たまに一方的に悪い方向へ物事を考える癖がついてしまったのだと。エデンにいた頃の彼からは想像できないほどの変わりように、今度はアダムがため息をついた。
「……俺と契約したこと、後悔してるってのかよ」
「それも分からん…。私がお前と契約を結ばなければお前は熱を出すことは無かったかもしれん。ただあのとき、お前を追い払っていればそこら辺の奴らに殺されていたかもしれないと思うと、吐き気がするのだ」
「意味分かんねぇな…」
「………昔の仲間が傍からいなくなるのはもう嫌なんだ、アダム」
アダムの頭から手を離し、ギュッとルシファーは掛け布団を握りしめる。アダムは冷静な目でそれを見つめる。七年前に失踪したリリスが未だ戻らないことにこんなにも心を苦しめていたのか、とかつて三人で笑いあっていた頃が脳裏に浮かんだ。所詮コイツも人間に惑わされた一人の“人間”だ。
「ん、……」
するとアダムが布団を開け、隣をポンポンと叩いた。まるで空いてますよと言わんばかりに。
「は…?」
「お前一回寝とけ。寝たら少し落ち着くだろ。寒いんだから早くしろ」
「い、いや。私の今のベッドは隣の部屋だから遠慮しておく……」
「バカ、今ほっておいたらお前絶対病み続けるだろ。そうなったら誰がおれの面倒みんだよ」
その言葉にルシファーはぱちぱちと目を動かした。フスッと笑い声が漏れる。
「いや、……ははっ、おっさんの姿のお前が何言ってるんだ」
「うるせぇ早くしろ」
ルシファーはそのままお言葉に甘えてアダムの隣に横になった。多少まだアダムに熱があるせいか、それともアダムの体温が元々暖かいからか、布団の中がとても心地よい。
モゾモゾとアダムの体が動く。するとルシファーの体に寄り添い始めた。
「さみぃから、少し体貸してくれ」
「お前、やっぱりまだ体調悪いんじゃないか。全然平気そうじゃないぞ」
「うるせ……。ん、……」
ユルユルとアダムの腕がルシファーに絡みつき、ギュッと抱き寄せられる。ルシファーは意外にもそれを嫌とは思わず、かつて娘にしてあげたように、優しく彼の頭を撫でた。
「お前はやはり、昔と何も変わらないな」
無意識に、アダムの額にキスをしていた。
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「アダム、起きれるか」
「……んーー、」
アダムがぼんやりした意識の中目に入ったのは、ベッドに腰かけながらこちらを見るルシファーの姿だった。むくりと上半身を起こして大きな欠伸をする。
「寝てる間に熱を測らせてもらったが平熱に戻っていたぞ。明日からベッド生活とはおさらばだな」
ルシファーが数値の書かれた体温計をアダムに見せる。眉間に皺を寄せそれを見たアダムは首に手を当てゴキゴキと首を鳴らした。
「んで、お前は落ち着いたのかよ」
「あぁ、落ち着いたよ。すまなかったな、迷惑かけた」
「……別に」
そのとき、グギュルルルと鈍い音が響いた。その発信源はすぐに分かった。アダムが自分の腹を摩る。
「………リブ肉はダメだが鶏肉くらいなら用意してやってもいいだろう。まったく、回復したと思ったらすぐこれだ。夕飯の準備をしてくるからお前はこの部屋にいろ」
静かにドアを閉め、カツカツと靴を鳴らしながら廊下を歩いた。今から作るのはアダムの病人生活最後の回復食である。
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ジュウジュウと塩コショウと薄力粉をまぶした鶏肉が鍋の中で焼けるいい匂いがキッチンから漂う。その間に野菜室から玉ねぎ、セロリ、人参、アスパラガスにじゃがいもを細かく角切りにした。
「パパ、何を作ってるの?」
そのとき、チャーリーがヒョコッとキッチンを覗きに来た。ルシファーはそれを手招きして誘う。
「チャーリー!チキンスープを作ろうとしてたところなんだ。あのバカの体調が完治したからね」
「それは良かったわ。ねぇ、私も手伝ってもいい?」
「もちろんさ!」
ブーケガルニを取ってきてくれないかね、とチャーリーに指示を出す。それに頷いたチャーリーは調味料の棚を漁り始めた。
「アダムだけじゃなくて、お前たちの分も用意してあるからな。皆で食べるといい」
「ありがとうパパ」
ルシファーの近くにブーケガルニを置いてとくと、ありがとうと返事が返ってくる。
「チキンスープ……懐かしいわ。よく作ってくれたわよね、小さい頃」
「覚えててくれたのか!」
「もちろんよ。これだけじゃないわ。レモンゼリーだってりんごのすりおろしだって…今までずっと、私が体調崩したときにパパが作ってきたものじゃない」
チャーリーは幼い頃、よく体調を崩す子だった。そのときは必ず父のルシファーが回復食を作ってくれていた。召使いに任せず、自分の手で。仕事を全て放棄して二十四時間チャーリーの傍にいてくれた。そのとき隣にいた、今は傍にいない母と共に。チャーリーは思い出に浸るように目を閉じた。
「パパは優しいわね、ずっと」
鶏肉を一旦外に戻してから野菜と水、そしてブーケガルニを煮込む愛おしい父に優しく微笑む。
「……お前のそういうところ、アイツにそっくりだ」
軽くてを洗い、ルシファーはギュッと優しく我が子を抱きしめた。
「もぉパパったら、こんなとこで」
「お前を可愛がるのに場所なんて関係ないさ」
チャーリーは仕方ないな、と微笑みながら抱き返した。連絡が途絶えたときが一時期あったがそのときも今も、気持ちは変わらない。
「あ、沸騰してる!」
「おっと、まずいまずい」
ルシファーは名残惜しく手を離し、スープの灰汁をとった後、細かく切った鶏肉を鍋に戻した。そこで火を弱めに設定し、蓋をする。
「パパ、私昔の思い出のこといっぱい話したくなってきちゃった」
「そうか。ちょうどこれこら一時間近く煮込まなきゃいけないからな、ちょうどいい。沢山話そうじゃないか」
野菜と肉がトロトロになるまで、二人は過去を遡り笑いあって話した。
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「アダム、入るぞ」
「……遅せぇ」
ドアを開けるとベッドに横になり本を読んでいたアダムと目が合う。ルシファーは器とスプーンを乗せたトレーを持ってサイドデスクに置いた。
「料理できるぐらい待てんのか。子供じゃないんだぞお前は」
「……なんだそれ」
スンスンとアダムが鼻を鳴らす。ルシファーの手の中の器に入った、具沢山のスープを見てまた腹が鳴った。久しぶりのちゃんとした食事に目を輝かせる。
「すげぇ、うまそう……」
「チキンスープだ。熱いからな、気をつけて食うんだぞ?」
そっと器とスプーンをアダムに渡す。アダムは湯気が立つスープを近くに、ゴクリと喉を鳴らした。傍から見たらまるでその姿は子供である。そしてスプーンですくい、大口でそれを頬張った。
「あつっ!?ん、っ……」
「………どうだね、私の作ったスープの味は」
「………うめぇ。ちゃんと肉も入ってる」
「肉が食いたいってうるさいからな。仕方なく入れてやったんだ」
ちゃんと野菜も食えよ、とルシファーは指摘する。口に入れた瞬間に広がる野菜と肉の旨味に頬が蕩ける。ルシファーはアダムが野菜を嫌うことを知っていた。少しでも野菜独特の青臭さとシャキシャキ感が残っていると絶対に口をつけない。生野菜なんてもってのほかである。だからあえて、本来の煮込む時間より長く煮込んだ。野菜嫌いなお子様でも美味しく食べれるようにトロトロになったそれをアダムは口に次々と運ぶ。
「エデンにいた頃のお前はジャンクな物しか食ってこなかったからな。野菜なんて食べるのは久しぶりだろう」
「ん。あんなん食ってかなくても生きていけるんだから大丈夫だっつーの」
でも、とアダムは続ける。
「お前の作ったこれ、野菜食いやすい…」
ありがとな、とアダムは静かに礼を言った。ルシファーは一瞬目を見開いた後、優しく微笑む。
「はは、普段からそんなに静かだとこちらも世話しやすいんだが」
「あ!?誰が普段からうるせぇってんだよ」
「お前しかいないだろうが」
それからギャイギャイと騒ぎながらアダムはスープを完食した。
「……なぁ、」
「ん?」
ちょうどトレーを持って部屋を出ようとしたルシファーにアダムは声をかける。
「………飯、また作ってくんねぇ、かな」
ルシファーはその言葉に一瞬驚くも、ニヤリとし顔を浮かべる。
「なんだ、まさか胃袋を掴まれてしまったか?」
「お前の娘から、お前の作るパンケーキが美味いって聞いた……。俺にもそれ作れ」
「ホントに掴まれてしまってるな……。はぁ、いいだろう。ただし、私の料理を食べるからにはちゃんと食事のマナーも守ってもらうからな」
あとその腹の肉どうにかしろ、とアダムの腹の肉を指さす。
「だっ、……これは別にいいだろ!」
「良くないに決まってるだろうが。ちゃんと野菜も食べて健康的に痩せてもらうぞ。野菜が混ざったパンケーキなら作ってやってもいい」
その言葉にうっ、とアダムは言葉が詰まる。しかしその後にこくりと頷いた。
「くくっ、いい子だ」
更生の第一歩だな、とルシファーは意地悪い顔で笑った。
「好き嫌いは更生に関係あんのか…?」
この言葉を無視してルシファーは部屋を出ていく。まるで今まで牙を向いていた野良犬が自分に懐いてきた感覚と同じように、ルシファーはそれが少し嬉しかった。
「まずはちゃんとしたカトラリーの使い方からか」