不意打ちアイラブユー「今夜もいい夜だね、ジョン」
「ヌンヌン!」
今宵、夜のそぞろ歩きを楽しむドラルクとジョンのはるか頭上では、大きな満月が煌々と輝きを放ちその存在を主張していた。
それに気づいたドラルクは、少しでも近くで月を見られるようにと思い、かわいい使い魔を自身の頭の上に乗せてやる。
「ごらん、ジョン。今夜は満月だ」
「ヌー!」
「綺麗だねぇ」と微笑む主人に、ジョンも嬉しげな声を上げる。
「四月の満月はピンクムーンって言うんだっけ?」
「ヌン」
「日本語訳はたしか、桃色月だったかな。でも私は、この時期には桃色より桜色のほうがふさわしいと思うのだよね」
そう言ってドラルクが視線を向ける先には――
桜、桜、桜。
満開を少しすぎ、それでもまだまだ道行く人々の目を楽しませてくれる桜並木。月明かりに照らされてはらはらと花弁を舞わせる木々たちの姿は、なんとも美しいものだ。
「よし、今夜は満月の下で夜桜見物としゃれこもうじゃないか! 月見に花見、贅沢だねぇ!」
「オヌヌヌヌヌヌヌ、オヌンヌヌヌヌイヌ!」
「『お花見するなら、お団子食べたいヌ』だって? まったく、ジョンは花より団子かね。――おや?」
頭の上ではしゃぐジョンと他愛もない言葉を交わしながらのんびり歩みを進めていたドラルクだったが、ふとなにかに気づいたように足を止めた。
その視線の先には、桜の木を見上げて佇む、彼が秘かに想いを寄せる少女の姿が。
その、どことなく憂いを帯びた美しい横顔に、ドラルクは声をかけるのも忘れてしばし見惚れてしまう。
(ヒナイチくん……なんだか元気なさそうだな……でも、とても綺麗だ……)
もともと少女――ヒナイチに対して整った容姿をしているという認識はあったのだが、近頃はどうも食いしん坊なクッキーモンスターぶりのほうにばかり目がいってしまい、愛玩動物のように扱ってしまっていた。
(うーん……いかんなぁ、私としたことが。ヒナイチくんは立派なレディだというのに。このままでは紳士失格だぞ)
今後、ヒナイチの扱いを少しは改めなければとドラルクが己を戒めていると、視線に気づいたのだろう当の本人が彼らのほうへと振り返った。寂しさをたたえていた表情が、たちまち花咲くような柔らかい笑みに変わる。
「ドラルク! ジョン!」
「やぁ、こんばんは、ヒナイチくん。いい夜だね」
「ヌンヌンヌ、ヌヌイヌヌン!」
吸血鬼と使い魔のもとへ笑顔で駆け寄ってきた少女を、彼らもまた笑顔で出迎える。
「今はパトロール中かい?」
身を乗り出してずり落ちそうだったジョンを頭から下ろしてヒナイチに渡しながら尋ねるドラルクに、ヒナイチは表情を引き締めてうなずいた。
「ああ。人間も吸血鬼も、この時期は浮かれてハメを外す輩がどうしても増えてしまうからな」
「吸血鬼はもちろん、シンヨコの住人は人間にもお祭り好きが多いみたいだからねぇ……」
「ところで」とドラルクが身をかがめてヒナイチの顔を覗き込めば、ヒナイチは少々面食らったようで目をぱちくりさせた。トレードマークのかわいらしい癖毛がぴこぴこと忙しなく動いている。
「な、なんだ、ドラルク?」
「なにかあった?」
「えっ?」
「……桜を見上げている時のきみが、なんだか元気がなさそうに見えてね。少々気になったのだよ」
「ヌー……」
目の前の吸血鬼と腕の中の使い魔。両方から心配そうな視線を投げかけられ、ヒナイチは気恥ずかしそうに苦笑を漏らす。
「ああ、すまない。全然たいしたことじゃないんだ。今年はおまえたちとお花見できないうちに桜の時期が終わってしまうなと思って……」
「ああ、たしかに……今年はなかなか予定が合わなくて……」
「ヌンヌン」
深刻な悩みなどではなくてよかったと内心安堵しつつ「そういうことならば」とドラルクはキザな笑みを浮かべ、ヒナイチに向かってうやうやしく手を差し伸べた。
「今から私たちと一緒に夜桜見物というのはいかがかな、お嬢さん?」
きょとんとした表情でしばし彼を見つめていたヒナイチだったが、やがて再び花咲くような笑みを浮かべると、差し伸べられた手に自身のそれをそっと重ねた。
「ありがとう、ドラルク。それでは、半田が戻ってくるまでご一緒させてもらおう」
「ふふん、エスコートはこの吸血鬼ドラルクに任せなさい!」
ヒナイチの手を取ったまま機嫌よく歩みを再開したドラルクだったが、彼女の口から出た男の名前に、怪訝そうに眉根を寄せた。
「ん? 半田くん? ……ああ、パトロールは基本ツーマンセルなんだっけ。そういえば、相方の姿が見当たらないな……半田くん、どこに行ったの?」
「さぁ……少し前にパトロール中のロナルドと遭遇したんだが、そしたら半田のやつ、セロリを振り回しながらロナルドを追いかけていってしまってな……」
「ええ……勤務中になにやってんの……」
「まったくだ……まぁ、しばらくしたら戻ってくるはずだから」
「それまで私は休憩時間ということにする」と笑うヒナイチに苦笑を返しながら、ドラルクは内心ガッツポーズをする。
(ナイス職務放棄だ、半田くん! おかげでロナルドくん抜きでヒナイチくんとお花見デートができる!)
願ってもない状況ににやけそうになる頬を抑えつつ、ドラルクは傍らの少女をそっと盗み見る。腕に抱いたジョンとなにやらじゃれあっている様子が微笑ましく、またも頬が緩んでしまいそうだ。
……だがしかし。
(やっぱり、私のこと全然意識してないよなぁ、ヒナイチくん……)
ドラルクと手を繋いで歩いているというのに、ヒナイチは照れた様子もなく、ジョンとともに夜桜を眺めて瞳をきらきらさせている。
どうやら今夜も、彼女の鈍感さは遺憾なく発揮されているようだ。
(ヒナイチくんが気づいてくれるまで待とうと決めたのは私だが……こうも意識されないとちょっとへこむぞ)
出会って間もない頃は、ちょっとした褒め言葉にさえいちいちかわいらしい反応を見せてくれていたというのに、今では慣れてしまったのか、そういうこともほとんどなくなった。
どうしたものか……と歩を進めながらぼんやり考え込んでいたドラルクの視界に、夜空に浮かぶ満月が映り込む。
(ああ、そうだった。桜もいいけど、今夜は満月も綺麗なんだ)
「そうそう、ヒナイチくん。今夜は月が綺麗だよ。満月……ピンクムーンだ」
「ほら」と月を指さし、ヒナイチに笑顔を向けたドラルクだったが、自身を見上げる彼女の表情に驚き固まってしまった。
「ヒ、ヒナイチくん……?」
ドラルクに向けられた翡翠の瞳は今にもこぼれんばかりに見開かれ、形のいい唇はわなわなと震え、平素は健康的な温もりある色味の肌が、みるみるうちに髪の色と同じ朱に染まっていく。
「ド、ドラルク! おまえ! そんなこと軽々しく口にするな! 誤解されたらどうする!」
「えっ!? なに、急に!? ていうか待って! 手離して! 私死んじゃう! 落ち着いて、ヒナイチくん! 私なにか変なこと……あっ」
繋いだままだった手をぶんぶんと振り回され、若干砂になりつつうろたえていたドラルクだったが、自身の発言を振り返ったところで有名な文豪の逸話に思い至り、ようやくなにがいけなかったのか理解した。
「あー……あの……ごめん……そういうつもりで言ったんじゃなくて……本当に今夜は月が綺麗だから……」
(いや、正直に言うとそういう気持ちはめちゃくちゃあるんだけれども……! でも、今のは本当にそういうつもりで言ったわけではなく……!)
自身と同じぐらい火照った顔を手で覆いながらしどろもどろに弁解するドラルクを上目遣いに睨み、ヒナイチは腕の中でおろおろしていたジョンを落ち着かせるように優しく撫でながらぼそぼそと告げる。
「わ、私はちゃんと分かってるからいいんだ……でも、本当に気をつけろよ……」
(……私の気持ち、全然分かってないよ、ヒナイチくん)
ため息を飲み込み、ようやく熱の引き始めた顔を手で扇ぎながらドラルクはへらりと笑ってみせた。
「うん。ヒナイチくん以外の人には言わないように気をつけよう」
「ちんっ!? お、おまえはまたそういうことを……! 私をからかうのもいい加減にしろ!」
「ブエーーーッ! スナァッ!」
ヒナイチの見た目に似合わぬ豪腕に、丸まったジョンをぶつけられたドラルクは、なす術なく砂になってしまう。
「ヌアーーーッ!」
「は、半田がなかなか戻ってこないから、探しにいってくる!」
凶器にされたジョンが泣きながら主人の砂をかき集めるお約束の光景に背を向け、ヒナイチはもっともらしい理由を口にするなり全速力で走り去ってしまった。
その耳がいまだに朱く染まっていたのを、夜目がきく吸血鬼は見逃さなかった。
「……行っちゃった。もう少し一緒にいたかったんだけど。ねぇ、ジョン?」
「ヌー……」
砂から再生したドラルクの頬からも、まだ熱は抜け切れない。
「あーあぁ……あんな顔されたら、ちょっと期待しちゃうじゃないか……」
(もしかしたら、ヒナイチくんも私のことを……なんて)
「……さてさて、ジョン。私たちはお花見の続きといこうか。お団子買ってくるかい?」
「ヌン!」
「よし、それじゃあ、とりあえずヴァミマに行くか!」
ジョンの元気な返事に顔をほころばせ、ドラルクは気を取り直してなじみのコンビニへと足を向けるのだった。
◇
(ドラルク様はヒナイチくんのことを鈍感だと言うけれど、ヌンはドラルク様だってたいがい鈍感だと思うヌよ……)