トワイライトなんか知らない 夏はやりたいことがたくさん待っている。スイカ割りを寮の庭でするとか、水鉄砲大会をするとか、巨大なパフェを作ってみるとか。自分のスマホに作った夏休みのやりたいことリストは、着々と積みあがっている。
もちろん、折角の夏休みだからオケの練習も大事。だけど練習ばっかりでは音楽が死んでしまう、というのがぎ……一ノ瀬先生の教えだ。遊び、大いに結構!私もそう思う。楽しいことは、音楽にもつながっている。
でも限りがある休みだし、特に遠方のみんなや3年生は受験の事もある。相談して優先順位をつけないとなあ、と考えてるとふと香坂先輩の事が浮かんだ。先輩は両方ともしっかり当てはまる。……やっぱり実家に帰っちゃうのかな。ベットでごろりと寝返りを打つ。夏休みが近づくたびに、先輩のスマホには誰かから電話がかかってくることが増えた気がする。着信音が鳴った時の、先輩の表情が陰ることも。
……スタオケに入ってくれたみんなのことはもっと知りたい。けど、先輩のこと、知りたいというのはみんなとはもう少し違う感じがする。ちょっとの間、その違いについてうなっていたけど、ええい、というかこうなったら、先輩に一緒に遊んでくださいってお願いしてみよう!うん、そうしよう!ともうひと転がりをして、踏ん切りをつけて、スマホの画面を睨んでいた時の事だ。コンコン、と控えめなノックがなる。今日は平日の夜で、私のいる場所は女子寮で、そこに入れる人物は限られていて、つまり、と慌ててスマホの画面をミラーに切り替えてチェックする。うん、意外に髪の毛はベッドで転がっていたわりにまとまっている、奇跡!と自分の運の良さを確かめてからドアを開く。
「香坂先輩!どうしたんですか」
やっぱり私の予想通り、香坂先輩がパジャマ姿で立っていた。先輩の使っているトリートメントのラベンダーがふわりと香る。
「朝日奈さん、夜遅くにごめんなさい。夏休みの土日、どこか空いている日ってあるかしら。この前、お買い物をした時に抽選で浴衣着付け付きのペアチケットが当たったの。よかったら、一緒に出かけない?」
「行きます!!」
「よかった。じゃあ来週の土曜日、練習の後どう?」
スマホを開かなくても、先ほどまで死ぬほど睨んでいた自分の夏休みのスケジュールは把握済み。もちろんその日は空いている。嬉しくってぶんぶんうなづけば、先輩も柔らかく微笑んだ。
「そんなに、だったかしら」
「えへへ~。ちょうど香坂先輩と夏休みに遊びたいなって思ってたから、誘ってくれたの嬉しくって」
「……あなたって私を喜ばせるのが上手いんだから」
「ほんとですもん」
「ふふ、そうね。あなたはーそうだったわよね。じゃあ来週、楽しみにしているわ」
それからというもの、スマホケースのポケットに入れたチケットは宝物みたいに大事にしていた。だって、実家に帰るかもしれない、受験の準備もしないといけないと忙しい時間の中で、行かなくてもいいお出かけに、わざわざ自分を誘ってくれた。そのことが何よりも嬉しくて、約束の証であるチケットを見ては顔がちょっとにやけていた。ちょっとだけ。まあ、朔夜にその様子を見られて「何やってるんだ」と多少不審がられたりもしたけど、それも気にならないくらい私は浮かれていた。
待ちに待った当日、案内されたお店の中は、数えきれないくらいの浴衣がラックにかけられていた。「ひゃ~……」と声が思わず出る。一面の布景色、探すのだけでも時間がかかりそうだ。横にいる先輩も「思ったよりたくさんあるのね」と目をぱちくりさせている。
圧倒的な物量にびっくりしている私たちに、慣れた様子でお店の人が「好きな色を着るのも素敵ですし、折角だからいつもは違う雰囲気のものを選ぶのもいいですよ」とアドバイスしてくれた。確かに、いつもと違う恰好をするんだから、普段とはがらりと変えてしまうのも楽しいかもしれない。着物を日常で着ない分、ちょっとしたコスプレをするような気分だ。
「ねえ先輩、折角なら今日は「いつもと違う」、私と先輩で逆のスタイルで行きませんか?」
「面白そうね。なら、テーマみたいなのも決めてみましょうか?」
「さんせい~!」
こうして私は「大人っぽい」で香坂先輩は「可愛い」のオーダーで、つまり普段とは微妙に違うテーマでそれぞれ選びはじめたのだった。
「どうかしら、朝日奈さ「かわいいですっっ先輩!」
着付けが終わった先輩の姿を見た瞬間、思わず被せ気味に答えてしまい、しまったと顔が赤くなる。最初はあっけにとられていた先輩もやがて、くすくすといつもの鈴が鳴るみたいな笑い声が漏れてくると、ますますいたたまれなくなる。だって可愛いかったのは本当だし。それを早く伝えたくて口から出ただけだし。子どもっぽいっていうのはわかるけど。
「朝日奈さん」
「……可愛いのは本当です……」
帯の色とか、白にプリントされた大きな花柄とか、大人っぽさではないのをオーダーした先輩の浴衣は「綺麗」じゃなくて「可愛い」くて、そのことをもっと余裕もっていっぱい伝えたかったのに。朔夜からも君は常に表情と声が直結してるって言われているし。
「ありがとう、あなたもいつもと違った装いで本当に素敵よ。それから、」
私の耳元でしゃら、と揺れる。さっきお揃いにしましょう、と一緒に選んだかんざしの花飾りに先輩が触れる。顔を上げれば、至近距離で自分を見つめる視線とぶつかる。熱のこもった目。
「このかんざしもピッタリね」
振れているところから何かが、ひろがっていく。先輩は私に直に触れていないはずなのに、顔にじわじわと熱が集まっていく。お返し、とばかりに自分も先輩の揺れている飾りに手を伸ばす。いつも首下でくっている髪の位置より高めの編み込みされているところに使われているため、背伸びをしてなんとか触れることが出来た。しゃり、と音がする。
「先輩も、ですよ」
からころと足元で下駄が鳴る。いつもの街中も、なんだか違うように見える。暑いからと貸し出してくれた和風の日傘も相まって、違う街を歩いているみたいだ。
「日傘って涼しいんですね~」
日向でさす傘がおもしろく、ついついくるくると回してしまう。
「日傘は初めて?」
「はい!いつもなら走ったりするから、帽子の方が手が空いていいかもって使ったことなかったです」
「そうね、あなたにはそっちの方があっているわ」
それに、と隣を見る。日傘越しだと角度や持ち方によって、あんまり先輩の顔が見れないことにも気づいた。いつもは私が先輩のすぐ横に立てるのに、ちょっぴり距離がある。違うなら、と浴衣の袖から出る先輩の指をちょん、と触れた。
「手、つなぎたいです」
一瞬驚いた顔をしていたけど、先輩はすぐに笑って頷いてくれた。自分とは違う生温い体温が絡められる。
「暑くないかしら?」
「そんなことないです。なんか……遠くになっちゃうから、手をつなぎたいなあって」
「……、」
つないで手がぎゅっと握られる。横の先輩を見れば、日傘の影になっていて顔が隠れていてよくわからなかった。
「先輩?」
声をもういちどかけると、日傘が持ち上げられる。
「なんでもないわ。朝日奈さん、あそこのカフェでかき氷が始まっているわ。食べていかない?」
なにかの線を引かれた。濁されたような気がしたけど、先輩が言いたくないならそのままでいようと「かき氷、いいですね」と私も何でもないふりをして会話をつづけた。
かき氷は冷たくて、甘くて、美味しかった。でも指に残った熱はいつまでたっても覚めないままだった。
夕方、浴衣を返しに行くと「今日は花火も打ちあがるみたいだから、延長していきなさい」と勧められて高台の公園まで来ていた。いつもの公園で見ようと思ったけれど、場所取りにはすでにたくさんの人が来ていて、なかなかの混雑っぷりだった。同じように浴衣を着ているひとたちもたくさんいる。それでもなんとか、人があまりいないところを見つけたころには、花火が打ちあがるギリギリだった。
「なんとか間に合った~」
「のど、乾いたでしょう?どうぞ」
「わ、いつの間に!?ありがとうございます」
いつの間にか買ってきてくれたらしい、手際の良さにさすがだなあ、と思いつつジュースのお礼とお金を渡して受け取る。
「朝日奈さん、少し袂を直してもいいかしら?さっきの人込みで形が崩れてしまっているみたいなの」
「うう、そっちもお願いします……」
「気にしないで。一生懸命この場所を探してきてくれたのはあなただもの」
おはしょりを伸ばして、整え直してくれる先輩の姿を改めてみる。いつもの先輩なのに、やっぱりどこか雰囲気が違う。
服装のテーマが変わるだけでこんなに感じるのが変わるのって、なんだかクラシックの曲の解釈みたいだ、と思った。歌詞、言葉がない音楽は音とリズム、テンポですべての表現とする。悲しみも喜びも。だから同じ曲一つでもまた違った角度から見ることが出来る。知ることが出来る。
ひとにとっての服装もそうなんだろうか。だったら、ひとつでこんなに変わるなら、いろんな先輩の姿をたくさん見たい。もっと、知りたい。
「はい、できたわ」
「せんぱ、
ドン、と大きな音がした。周りでわあっと嬉しそうな声とカメラのシャッター音が響く。
「……綺麗ね」
続けて、大きい花火がまた夜空に咲く。ドン、ドドン、と打ちあがる。いち、に、さん…数えきれないくらいの色々な光の花。
「あなたにとってはこの花火みたいに一瞬かもしれないけど、私きっと今日の事、忘れないと思うわ」
思わず横にいる先輩をみる。まただ。また、何かを諦めたような、線を引かれた表情。突き放すような、遠くに行ってしまうような。
「先輩、私の事なんだと思っているんですか」
言葉が出ていた。
「今日の事、私だって忘れないです。ううん、忘れます」
「え、」
「先輩、いっぱいいっぱい、私とたくさん楽しいことしましょう。それが”今日”かわからなくなるくらいに」
そうだ。今日の事を大事に大事にされて、先輩の思い出の箱に入れられて、先輩がどこか離れてしまうくらいなら。いつだって、出来るだけ側にいて、その瞬間の楽しさを高速で積み上げて、塗りかえていきたい。いつだっけ、どこにいった思い出だっけ、って笑えるくらいにあいまいなくらい。
だから。だから、
「だから、そんな寂しいかお、私の前でしないで……くだ、さい」
見つめ合う私たちが何も言わない間も花火は次々と上がっていく。光の色によって変わる先輩の表情を見ていられなくて、少しだけ俯く。
「朝日奈さん」
「手を。私、いまあなたと手をつなぎたいわ……いいかしら」
目の前に伸ばされた手は震えたようにみえた。顔を上げれば、少しだけ緊張したような表情の先輩に何も言えなかった。何も。ただ、私は手を差し出して、その指先を絡める。離れないように。私は、ここにいるよと伝えるように。
「朝日奈さん。私、やっぱり今日の事忘れないと思うの」
「……はい」
「だってこんな気持ち、忘れるなんてもったいないから、私は全部覚えていたいわ。その上で、」
つないだ指が柔らかく握り返される。
「たくさん楽しいこと、これからもいっぱいしましょう。それでも、いいかしら」
寂しさがひとつもない、はにかむような表情を浮かべていた。息をのんで、それから手を放す。指だけじゃ物足りなかった。この気持ちは、この嬉しさは、指だけではもったいなかった。ぎゅ、と抱きしめれば先輩のラベンダーがすぐ近くで香る。
「あさひなさ、」
「……はい!いっぱい、しましょう」
「……ええ、これからも」
そっと抱きしめ返した先輩の体温は優しいままだった。