真夜中の賭け事 人間には限界があるが、そのキャパシティは人によって違う。いつだって自分は思い知らされる側だ。
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ランプの薄明かりに照らされながらしばらくペンを走らせていたが、カドックは不意にその手を止めた。正確には、指が痙攣し指が何かを持つことを拒否している。連日続く労働に肉体の方が先に限界を迎えたのだ。
チ、と自分に吐き捨てながら反対の手で落としたペンを拾う。やること、やらなくてはならないこと、余りにも膨大な数のタスクに果てが見えず流石に途方で気が滅入る。睡眠不足で回らない頭をカフェインで誤魔化していたが、そろそろ瀬戸際だ。立ち上がれば若干よろめいたが、なんとかベッドに向かう。勿論このまま続けてもよかったが、机でぶっ倒れると時間のロスも大きいし、何よりー数日前のことを思い出してそそくさと準備をする。数時間後に起きれるようアラームをセットしてそのまま倒れ込めば、あっという間に意識を失った。
耳元でセットしたアラームが鳴り瞬時に止めようと半覚醒の中、腕を動かす。が、腕が動かない。というより右手が何かに絡まっている。絡まっているというよりこれは、
「おはよう、マスター。まだ夜中だけど」
カドックは自分のサーヴァントであるアナスタシアにのしかかられていた。シーツに投げ出していた両手はガッチリと彼女の手によって封じられており、起きあがろうとしてもびくともしない。
「……アナスタシア」
何をしている、と意味を込めてカドックはジロリと見上げた。この状況を把握しないといけないと警告が頭の中で鳴り響く一方で、腹の上にいる彼女の白く長い髪が暗がりの中でもうっすらと光っているのがやけに目立ち、あながちホラー映画の中で幽霊に白い姿が多いことには理由があるもんだと妙に納得した。最も今彼女にのしかかられているこの状況では、微塵も幽霊の儚さは感じられない。むしろ、自分以外の体温と重さがあって居心地が悪い。そんなカドックの内心などお構いなしに、アナスタシアはにっこりと笑いかけた。
「退屈なんだもの。知っていて? サーヴァントには睡眠が必要ないのよ」
「知ってる。全く羨ましい限りだ」
「あなたが望めば、同じようにすることもできるわよ?」
「どういうこと、」
ーあっという間だった。両手は頭上でひとまとめに拘束され、アナスタシアのもう一方の空いた指がカドックの喉元のピアスに触れる。ゆっくり、それこそ優しい手つきで。
力はかけられていない。けれど反射的に身体が竦む。その隙に、アナスタシアはカドックの顔へと身を乗り出して近づいた。長い髪が幕のように降りてくる。
「このまま、一度死ぬの。それで私がサーヴァントとして召喚し直してあげるわ。ああでも、マスターがここで死んだら本当に何もなくなってしまうかも。どうする?」
くすくすと、なんでもない悪戯のようにアナスタシアは笑って問いかける。冷えた指が僕の喉元をもう一度、二度と撫でていく。実際、彼女が僕を殺そうと思えば僕よりも簡単に殺すことができる。首を絞めなくても、ただその指先の温度を少しばかり下げるだけでいい。
「……めちゃくちゃだな」
本能的な震えは止められない。それは体の大部分に触れている彼女にだって伝わっているだろうけれど、無視して口を開いた。
「そう? あなたの好きな、分の悪い賭けよ。うまく行ったら何もかも望み通りかも」
「残念ながら僕はもう一回死んでるからな。凡人に、チャンスはそう何度も来ない」
キャスターの瞳が一瞬、揺らいだ。が、すぐに戻る。
「ならやめておくわ。お互い、チャンスは大事にしないといけないものね」
そう言うや否や、指先は喉を離れカドックの身体からアナスタシアの重みが消えた。ようやく自分の体が自由になった僕はゆっくりと起き上がり、背中を向けて座っている彼女に向かって声をかける。
「……アナスタシア」
「なあに、カドック」
「退屈だったのなら、次からはもっと穏便な方法にしてくれ。心臓に悪い」
大体、キャスターが自分に対してあのような試し行動のような強硬手段に出る時は二パターンだ。気まぐれか、何かしらの意図したものか。先ほど、揺れた瞳を思い出せばその答えは明白だ。
「なら、日に一度は私に顔を見せなさいマスター」
振り返ったキャスターは真剣な表情を浮かべていた。
「お互い、出来ることと出来ないことがあるのは知っているわ。でもカドック、あなたの夢は私のものでもあるの。私たちの夢は、あなたが一人だけでやり遂げるのでものはないでしょう?」
「……そうだったな」
自分は凡人だ。才能の魔窟たちと違って、特段秀でた能力はない。けれど、今までと違うことがひとつだけある。
閉ざされた永久凍土からこの無謀とも呼べる戦いに挑むのは、自分以外にもう一人。
「それに、私にだってカドックに教えなければならない責務が山程あるのだから」
「え、」
全く予想だにしてない回答に思わず上擦った声が出る。何なんだそれは、と思考を回転させている僕を横目にさっさとアナスタシアはベットから降りてしまった。
「明日からのお楽しみにしてね、マスター」
振り返ったキャスターはふわりと笑い、そのまま霊体化して去ってしまった。
***
次の日、恐る恐るアナスタシアへの部屋へと顔を出しにいけば早速社交にまつわる事例ーダンスやら何やらーをさせられる時間が始まったのは、また別の話。