第二話 信号が青になり、一歩踏み出そうとした瞬間に右足が取られ、転びそうになるのを踏ん張って堪えた。一緒に信号待ちをしていた二、三人がちらり、とこちらを見つめてくる。クスクスという笑い声が聞こえるような気がして恥ずかしくなり、何でもないような顔で大学への通学路を足早に進む。
相田歩が何もない場所で躓くようになったのはここ数日のことだ。
元々そそっかしい性格ではあった。けれど、朝布団から出た瞬間に転びそうになったり、玄関のドアでつまづいたり、日に何度も転ぶようなことはなかった。些細な事故ではあるが、これほど連続して続くと不安になるものだ。
そのうち、瑣末な事故が徐々に大きくなり、交通事故にでも巻き込まれるのではないか、と考えてみたりもする。
考えすぎかもしれない。けれど、そんな不安に襲われるほど足を取られる頻度は高かったのだ。
講義が終わり、バイト先へ向かうために歩道橋を降りている最中に、また足を取られた。けれど今回は場所が悪かった。嫌な浮遊感に襲われ、踏み出した足は地面を捉えられず、せめて数段下に足を乗せられないかと次の足を出すが間に合わず、落下していく。心臓が跳ねる。身を守ろうと反射的に手を広げたところで、背後から伸びてきた手に腕を掴まれた。
「危ないな。見ていられない」
なんで見ていたんですか、という疑問が湧くが、助かったという安堵の方が強かった。
「助かりました」
胸に手を当てながらひゅうひゅうと息をしながら礼を言う。目線を上げると、涼しげな顔立ちの男と、その隣に軽薄そうな男が立っていた。二人ともそれぞれ目に眼帯を貼り付けていて、二人して怪我をしたのだろうか、そそっかしい二人だなと思う。
「靴紐が絡んでたんだな」
靴紐なんて絡んでいただろうか。自分のスニーカーを見つめるが、今朝結び直したばかりで、どう見ても解けてはいない。
「解けてはいないと思うんですけど」
軽薄そうな男は相田の返事には構わずにしゃがみ込んで、靴紐をゴソゴソと弄ると丁寧に結び直す。存外に器用らしい。
「ほら、結び直したぞ。あんなんじゃ、ろくに歩けなかっただろ」
確かに綺麗には結ばれていたが、そんなに偉そうにされる謂れはない。とはいえ、あまり人相の良くない男相手に強気にでるほど肝が座っているわけではないので、ありがとうございます、と礼を言っておく。
後ろも振り返らずに歩道橋を駆け降りた。心なしか足取りは軽くなっていた。
「なあ蜜柑。あれ、見えてたか」
「ああ。よくあんな靴紐がこんがらがっていて歩けたもんだ」
二人は綿でできた眼帯を擦った。屋外で夜を過ごしてから、眼帯で隠れた眼にだけ妙なものが見えるようになっていた。