第七話 まだ六歳くらいの子どもに耳打ちされたのは、
「あの子はねえ、お城のとこにいてねえ、色んなお話をしてくれるの。すごく綺麗なの」
という要領の得ない説明で、詳しく聞こうと顔を上げたところで、きゃあきゃあと悲鳴のような、楽しげな声を上げて駆けて逃げてしまった。校内へ回って捕まえて、案内しろと言っても良かったが、もう少し年上の少年がいかにも不審げな目線を向けてきていたので、檸檬に「仕方ない。それらしい場所を探すぞ」と耳打ちをしてその場は立ち去ることにした。
仕事に疲れて屋外で夜を明かして以来、二人の目玉は不調をきたしていた。
目が覚めて、見回した草原には、朝露のような光が散っており、眩暈かと幾度もまばたきをしてみたがおさまらない。檸檬も同じ症状を発していたようで、手持ちの目薬を打ってみたが治らず、応急措置としてガーゼの眼帯を装着したところで、この症状の問題点が浮き彫りになった。
眼帯をしているにも関わらず、瞳には風景が映るのだ。
その上、風景は通常の視野とは異なって、妙なものが二重露光のように目に映った。街の住人を眺めれば、片目には青年や、老婆に見えるものが、もう片目には毛の生えた野獣や、虫に似たものに見えた。瞼を閉じていれば多少マシかと、無理に片目を瞑ってみたが、その奇妙な視界は蜜柑と檸檬の目で連動しているらしく、片方が目を瞑ったところでもう片方が目を開いていれば容赦なく映像として流れ込んでくる。
とても困る。
そのうち檸檬が一人の男の靴紐が、おかしな瞳にはこんがらがって映っているのに気づき、直してやった。蜜柑が休憩に入った喫茶店で隣に座った男から、妙な匂いがすることに気づき、それは男の瞼に妙な色の軟膏が塗ってあるせいだと分かった。
「多分これは、足跡だ」
「俺たちの目をこんなにしたやつのか」
「この痕跡を追っていけば、きっと辿り着く」
「それ以外に方法がないとも言える」
そういうわけで、二人は奇妙な痕跡を追って、この山際の町までやって来たのだった。
子どもの発言は、主観が多分に含まれていて多分に含まれていて分かりにくい。
城にいる、という表現から朽ち果てたおよそ城と呼ぶにはおこがましい廃屋を見つけた、自分たちの索敵能力の高さには感動した。
確かに白い壁も、装飾的なベランダも、新興住宅地の画一的な家々とは違った独自の趣を持っていた。枯れた花が雑然と咲いている様も他とは違っていて、その特別な様のことを指して、御伽話のお城、と言えないこともないかもしれない。
ボロボロの塀に空いた隙間から、二人の子どもが這い出てくると、駆け出していった。
蜜柑と檸檬は塀をぐるりと巡って、敷地内に侵入した。
外からもよく見えたベランダの真下には花壇と思しき囲いができていて、その中央に可愛らしい女の子が座っていた。可愛らしくはあったが、人形のような表情が幼さや可愛らしさよりも、異様さを際立たせている。夕暮れの光に透けるような鳶色の美しい髪を一つに結んでおり、たっぷりとした編み目を肩に掛け、二人に顔を向けた拍子にその髪が揺れた。
「まだ帰らないで、こんなところにいたのか」
蜜柑が問いかけると、嬉しそうに口に手を当てて笑う。
「こんなに色々なことをして遊ぶなんて、最近じゃなかなか。楽しくなって夢中になってしまったんだわ」
「そろそろ潮時だろ。俺たちの目を返せよ」
二人がそれまで付けていた眼帯を外して見せた。途端に現実の風景と、奇妙な風景がごちゃ混ぜになり、歪んだ。
「そんな乱暴な物言いってないね。楽しんでたでしょうに」
言い方が気に食わなかったのか、美しかった瞳をアシナガバチのように引き攣らせて二人の目に向けて唾を吐きかけると、何の思いつきか、檸檬の前髪を一房、鋭い爪で切り取ると身を翻らせて、先ほどまで座っていた花壇の隣に作られていた池に身を躍らせて飛び込むと、消えてしまった。慌てて二人が覗き込むと、水も枯れ果てて枯れ葉の溜まった、金魚池が寒々しい顔を見せいてるばかりだった。