曖昧distance…どうしたらいい。
ツバサはベッドの上に腰掛け落ち着きがない様子で自分の部屋を見渡していた。
自室なのだからソワソワする必要はないのだが、そうせずにはいられない状況であった。
要員は、隣に並んで座っている彼女の存在だ。
一言も発する事もないまま数分が過ぎている。
実際のところ部屋に誘ったのはツバサ自身であるが、いざとなると喋りかけることすら出来ないのかと愕然としてしまう。
しかし、このまま何もせずじっとしてるわけにもいかない。
ツバサはシュバっと勢いよく立ち上がり、思い切って話しかけた。
「と、とりあえず飲み物飲むか!?」
「…ああ…頼む」
「じゃあ…取ってくらあ!」
ツバサは右足と右手を同時に振り上げて飲み物を取りに自室を出た。
少々大きめに足音を立てて階段を降りてリビングに向かえば、台所でツバサの祖母の姿を発見する。
(…そういえば…ばあちゃんいるのに俺は何考えてんだぁ…)
ツバサはわしわしと頭を掻きながら自己嫌悪に陥った。
祖母には彼女…ショウとは友達だとしか公言していなかった。今日もテストのベンキョーをすると言って誘ったと報告している。
なのに頭の中はとても言えないようなピンクな事ばかりでなんとも恥ずかしい気持ちになった。
「ばあちゃん。何してんだ?」
「何って友達が来ているのに飲み物も出さないなんて悪いだろう?持っていってあげようと思ってね」
「えっ、い、いい!俺が持ってく!」
「でも、挨拶はしておきたいしねぇ…」
「そ、それはベンキョー終わってからでも遅くないだろ!?ショウは今集中してっし気にしなくていいって」
「うーん、そうかい?じゃあ、よろしく伝えておいてくれないかい?また帰るときにでも挨拶したいからね」
「わかった!じゃあ伝えとく!」
明らかに動揺の色を隠せない様子のツバサは飲み物を受け取り、再び自室に戻っていく。
祖母は嬉しそうにその後ろ姿を笑いながら見送った。
時間は過ぎて、夕焼けが輝いてきた頃になればベンキョーで使った脳は自然と微睡みと同じような感覚に襲われてきた。
黙々と課題をこなすショウの様子を見やりながら自分のもやり終えると、ツバサは固まった身体をぐっと伸ばした。
「つっかれたー…やっと終わったぜ。ショウは?」
「こっちも問題なく済みそうだ」
「そっか。そろそろいい時間だし終わりにすっかー!」
座りっぱなしから立ち上がったせいか、少しフラつきながらベッドに倒れ込んだツバサは天井を見上げる。
不思議なもので最初の挙動不審は嘘のように落ち着き、すっかり寛ぎ気分でいた。
「明日もガッコだし帰るか?そろそろ親父さん心配してるだろ?」
「………いいや…今日は…」
一瞬ショウが黙り込んで何やら言いにくそうに続けた。
「…帰っても親父はいないから」
「……え…と…つまりそれって…どう…いう」
「………」
「…あ…そっか…」
言葉の意味を悟ったツバサは落ち着いていた鼓動が一気に爆上がりしてしまった。
はっきりと口にはしていないが、つまりは帰っても帰らなくてもどっちでもいいということで、陽が沈んだ外の様子を見れば自ずと選択肢は絞られてくる。
(だから何期待してんだ俺は)
複雑な気持ちに困惑しながらも、ツバサはショウの宿泊の許可を祖母に貰いに行った。
返事は勿論オッケーだそうで。
(…寝床…どうすっかな…)
流石に一緒の部屋で寝るわけにもいかないだろうがなにぶん広くはない家だ。
両親の部屋があるにはあるが今は物が溢れていて寝られる場所は狭い。
となると、ツバサの自室しかないわけだ。
(……また俺は何変なことを…)
彼女であるのにそこまで気を回す必要はないだろうとタイガなら言ってくるだろう。
だが、ツバサはそんなに思い切りよくショウとの関係を進められない。
大事だからこそ尚更。
今晩は自分との戦いだと己に鼓舞しながらそそくさと自分用の寝床を準備するのだった。
晩御飯も済ませ、祖母に促されるままショウは入浴場にいた。
たっぷりとお湯に浸かり浴槽のお湯を指で何度も弾きながら食事の時の会話を思い出していた。
(ツバサがいつも貴女の事を楽しそうに話してるから私も嬉しくてね。貴女が来てくれて私も嬉しいわ)
自分のことを楽しそうに話すツバサの顔はどんな表情をしているのだろうと思っただけでもショウの胸の内はぽかぽかとしてくるようだった。
ツバサといて喧嘩も多いし言い合ってばかりだけど、ツバサの優しさが自分に向けられることもちゃんとあって、その度に加速していく気持ちが抑えられなくなってしまう事もあって。
こういうのを好きだというのだろう。
恋人ならば手を繋いで、キスをして、それから先のこともしていくことになるだろう。
それがいつになるのかなんて誰にもわからない。当の本人でさえも。
それは今日、この時かもしれない。
今晩は眠れるだろうか。
そんな疑問を抱きながらショウは濡れた髪を拭きあげて浴室を出た。
「お風呂、ありがとうございました」
「いいのよ。あ、ツバサは先に部屋に行ったわよ」
「そう、ですか。ありがとうございます」
「じゃあ、ゆっくりおやすみなさい」
「…はい……あの…ありがとう、ございます」
「…ふふっ、そんなに畏まらずに普通の貴女の喋り方でいいのよ?」
「…thanks」
「ふふ」
ほんの少し素直な自分の言葉で挨拶を交わせば、祖母はまた嬉しそうに笑っていた。
ツバサの部屋に戻りゆっくりとドアを開けて見れば、疲れていたのだろうツバサが眠っていた。
彼女がいるというのに先に落ちているとは予想していなかったショウは内心ちょっぴりムッとした。
「呑気な顔してやがる」
普段かっちり固めている髪はリセットされて下りていて、普段より幼く見える。
はっきりとした骨格はまさに男らしさが際立っていて、改めて見るとツバサの身体つきはしっかりしている。
本来自分のベッドである場所には寝ておらず、床に敷いた布の上で気を利かせて寝ていた。
「…相変わらず抜かりないやつだな」
そんなツバサの優しさを感じながらショウはベッドに横たわり、鼻から息を吸い込んだ。
微かに残るツバサの匂いに自然と胸が高鳴るのを感じる。
こんなに近くにいるというのに、なんとも不思議な感覚だと改めて思う。
「……ツバサ」
名前を呼んでみるものの、全くと言っていいほど反応を見せないツバサとゆっくり距離を詰めてみる。
穏やかな寝顔を見て、ショウはゆっくりとその頬に唇を寄せ触れさせた。
どうせなら起こしてキスしてやろうか。
そしたらツバサは驚くだろう。面白いほどに。
「……おい起きろツバサ」
「…ん…あ?あ、ショウ…?あれ…俺」
「先に寝るたぁどういう神経してんだ?ツバサ君よ」
「…あ、わり…がっつり寝てた!」
「別に、いいけど。ベッド気遣ってもらって悪いな」
「いいって。仮にもレディーなんだから硬い床で寝かせたら親父さんにぶっ飛ばされそうだからな」
「仮にとはなんだ仮にとは」
「はは、悪い悪い!ついからかっ…ちまっ…て……」
ふと、ツバサの言葉に勢いがなくなっていった。
ショウが首を傾げていると、みるみるうちにツバサの顔が赤く染まっていく。
「えと…その…とにかく寝ようぜ?流石に眠いだろ」
「………」
明らかに恥ずかしさを全面に出しながらショウから目をそらす。
リアルに激しく脈打つ鼓動が聞こえてしまっているのかと思うほどに常に胸を打つ。
「…明日は別々に出たほうがいいかもな!ほら、誰かに見られたら勘違いされそうだし」
「…勘違い、とは?」
「いや、だから…泊まったってバレたら変に勘繰られたりするしよ!」
「……別に…構わないが」
「え……」
「何を困る必要がある?恋人同士だろう、私達は」
恋人。
それは間違いない。なのに自分は何言ってるのだろうと改めて気づく。
ましてやそういう行為があった前提で話が進んでいる。
あらゆる矛盾で頭がパニックを起こしているツバサの目を見たショウが楽しそうに笑いながら、そっと手を伸ばしてツバサの腕の中に収まった。
今にも触れ合いそうな距離で少し見つめ合った後、ゆっくりと閉じられた瞳に誘われるようにツバサは解けそうなほど柔らかい唇を優しく合わせた。
ほんのり香る石鹸の匂いに誘われながら、ツバサはショウの身体を抱き寄せていった。