白虎の転寝 嫋やかに吹き抜ける風の中、加賀美はぼんやりと自室へとこぼれる陽の光を見上げていた。時刻は一刻を過ぎた辺り、丁度昼の寝にはいい時間帯だった。
「平和ですねえ……」
それは過ぎたる人の民たちにとっては有難いことこの上ないことであろうが、現時点で暇を持て余していた加賀美にとっては睡魔を呼び出してしまうような穏やかさだ。が、如何せんあと半刻もする頃にはこの屋敷に加賀美以外の四神がやってくる予定だ。定例会と称した雑談会のため、使獣たちも今朝からぱたりぱたりと走り回っていた。今も遠くで、やれお八つの菓子が足らないだのという話が流れ聞こえてくるが、おそらく足りなくなったとて他の者たちが土産を持ってくるだろうに、問題ないのではないだろうか。主に東を治める剣持なんかは自身の土地の新作甘味を山ほど持ってくるのだから。
が、そんなことを口にする前に出たのは、特大の欠伸だった。ふああ、というおおよそ他の誰にも見せられないような大きなそれと共に、自身の意識がうつらうつらと舟を漕ぎ始める。寝過ごすなんて失態はあまりしたくないけれど、という思考が少しばかり過ぎった加賀美の元に、ふわ、と突然何かが擦り寄ってきた。
「……ああ、あなたでしたか。どこに行っていたんです?」
加賀美に身体を寄せたそれは、彼と同じほどの大きさをした白い虎だった。彼の一番の使獣であり相棒にも近しいその虎は、記憶が違わなければ今朝から姿が見えなかったはずだ。まあ、必要な時や戦いごとになる時は呼び出せばいつでもやってくるので基本的にどこにいるかを気にしてはいないのだが、それにしても今日は姿を見せるのが遅かったなと思いつつそう言うと、虎は喉を鳴らして加賀美の背に座り込んだ。香箱座りを崩すような姿と共に、加賀美の身体がいとも簡単にぽすんと倒れる。どうやら、虎の尻尾に身体を引き寄せられているようだった。
「なんです?」
「がう」
「……そろそろ来客ですよ。寝ている時間は──」
「ぐるる……」
「……あなた、相変わらず寝るのだけは早いですよね……」
加賀美が注意するより先に、そして尻尾の合間から脱出するより先に、虎は既に夢の世界へと旅立ってしまっていた。主人を拘束しつつもなんて豪胆な、なんて過ぎる加賀美だったが、誰に似たかなんて一目瞭然だったので最早諦めるしかない。何よりこの僕、力が強いのである。誰かさんに似て。
はあ、と大きな溜息を吐いた加賀美は、大人しく虎の身体に身体を埋めた。もふもふとした肌触りは温かく、ゆるやかに上下する呼吸の響きが、どこか意識を落ち着かせ眠りへと誘う。陽の光は屈折しながらきらりと瞬き、遠くで聞こえる喧騒が子守唄のように彼の耳へと届いて──。
抗う間もなく、加賀美は眠りへと落ちてしまった。こんなに温かくて、穏やかで、平和で、ゆるやかであるのが悪いんだ。きっと半刻後には起きられるだろう、そう信じて。
◇
「……おおー、ほんとだ。加賀美さん寝てる」
「寝てんの見るの初めてじゃね? この人いつも隙無いからなー」
「いつ寝てんのか分かんないくらい仕事早い時あるしね」
半刻後。加賀美の屋敷にやってきた四神──この場合は加賀美を除いて三神であるが──一同は、物珍しいものを目撃していた。
四神の間でも隙がなく、きちりと仕事をこなす印象の強い加賀美がすやすやと昼寝をしている姿だ。それも使役獣の虎と共に、三人がやってきても起きる気配もなく。比較的彼に窘められることの多い三人が故に、その光景を見るのは大変珍しい。三人が遊び疲れて寝転がっているのに布団をかけてくれることはあっても、その逆は今までの長い付き合いでもほぼ無いに等しかった。
三人は加賀美の眠る部屋の前で顔を見合わせてから、少しだけ嬉しげに肩を震わせた。
「オレ、薄い掛布団借りてくるわ」
「じゃあ僕は、会議時間ずれること連絡しときますね。あー……これ、泊まりになるかな」
「なるんじゃない? っていうか別に泊まっていっても加賀美くん怒らないでしょ。夕餉の買い出し、うちの使獣にも手伝わせるか」
「ああ、じゃあ僕のとこにも言っておくんで、好きに使ってください」
「オレんとこのもいくらか貸せられるし、好きに使っちゃって~」
「おっけー。何リクエストしよっかな、加賀美くんちの使獣、料理美味しいんだよな」
そっと閉じられた襖の向こうで、三人は声を落としつつ部屋の前を立ち去る。薄暗く落ちた畳には、未だ規則正しく寝息を立てるひとりの神様と──その小さな耳をぴるる、と震わせた、演技の上手な虎が寝そべっていた。