かち、かち、と時計の鳴る音に混ざりながら、ペン先がノートを滑っている。机に向かっていたその背中が、ふと伸びた。上げた視線の先は壁掛けの時計。既に、午前二時を回っているところだった。
集中の糸が少し途切れたその緑色がぐっと背伸びをする。流石にそろそろ寝るべきかと巡る思考と、書きかけの勉強の後。ここまで、このページまで解き終わって答え合わせをしてしまったら寝よう。そう思いふと息を細く吐いた彼のスマホが、ぶぶ、と音を立てる。いつもであれば勉強中はそもそも耳にさえ入ってこないその鳴りが、ちょうど休憩中故か気になってしまったので、彼──剣持は、伏せていたスマホを持ち上げてちらりとロック画面を見た。
剣持刀也はライバーである。しかしそれ以前に、高校生でもあった。この年で仕事をしているとはいえ、彼の本業は間違いなく学生だ。それはライバー仲間誰しもがそうであるだろうが、きちんとどちらも両立できていなければ胸を張って学生兼ライバーだとは到底言えないのである。故に剣持は自分が学生であるということもおろそかにはしたくなかった。今目の前に広がっているそれも、ちょっとした努力の一環。数日後に控えたテストのための追い込み勉強だった。
とはいえ明日も学校はあるし、告知はしていないが配信をする予定も頭の中では立てている。あまり夜更かしをして根を詰めても身体に悪いことは重々に承知していたので、いいところできりよく終わらせてしまおうとは思っていたのだ。ある程度は勉強も進んだため、今来ている連絡を確認したら問題を解ききってしまおうと滑らせた画面には、学校の友人たちからの雑談が少しと、ライバー業の方のマネージャーからの急ぎではない定期連絡。それと、ろふまおの文字。
「……?」
また何かあの成人男性たちはくだらない話でもしているのかと思い流し見たそれは、どうやら剣持宛に何かを送ってきているようだった。なんだなんだと緑色のアイコンのアプリを開き、トーク画面を開く。会話の一番頭には、どうやら甲斐田から剣持宛のメンションが添えられ、何かの動画が送り付けられていた。
ぽち、と開いたそれは、少しのホワイトノイズと共に、彼が得意としているアコースティックギターの音色が響いてきた。
『も~ちさあ~~ん、べんきょお~がんばぁ~れ~! やれば~できる~、がんばるきみ~はぁ~、えらい~!』
「……っんふふ、なにこれ」
作曲も出来るはずのセンスのいい彼にしては妙にとんちきなメロディと共に、酔っ払ってるのかとも取れるような歌詞が流れてくる。確かに剣持はちょうど昨日頃にテスト勉強のために夜は連絡が取りづらくなると彼らに話してはいたが、まさかこんな風に激励されるとは。思わず短いその動画を三度ほど流し見てしまった後、もう一度トーク画面に戻ると、その下には先にこの動画を見ていたのだろう不破と加賀美からのメッセージが連なっていた。
『なんなん甲斐田、酔ってるん?』
『励ましたいんだか笑わせたいんだか分からないんですが』
『甲斐田は酔ってませんし、大真面目に即興曲を作ったんです! 今さっき!』
どうやら酔っているわけでもなければ、笑わせたいわけでもなかったらしい。然してあまりにもセンスがなさすぎるのはまた如何様か。多分、若干ウケは狙っていただろうが。
その後少しばかりの甲斐田へのツッコミが二人からなされた後、剣持宛へとまたメンションされた不破のメッセージには、近所のコンビニで引き換えることの出来るエナドリのチケットが送り付けられていた。それも三本も。
「いるかよ、不破くんじゃないんだぞ僕は」
案の定不破の贈り物に対しても、加賀美は「あまりにも悪影響」とコメントしているし、甲斐田は「僕よりダメでしょそれ」などと書かれている。この三人、高校生が真面目に勉強している傍らでコントでもしているのだろうか。
その後、また更に少しばかりのやりとりの後。最後と言わんばかりに加賀美からも剣持宛にメンション付きのメッセージがあった。
『あまり無理はなさらず。剣持さんのことですから、きっと大丈夫です』
そう書かれた下には、事務所から程近い場所にある某コーヒーショップの、期間限定フラペチーノの無料引換券が添えられていた。しかも同じく限定のケーキ付。甘いもの好きな剣持を知ってのプレゼントに、アニコブの二人は「流石社長は違う」などというコメントが書き込まれていた。
『もちさん、ちゃんと寝るんやで』
『休憩の時はあの曲聞いてくださいね、もちさん!』
『いつも頑張っている剣持さんのことですから、今回も大丈夫ですよ』
丁度二時間前にそう締めくくられていたメッセージたちに、思わず緩む口元。何とも言い難いむず痒い感情がふつふつと沸き起こっては、笑みを零してしまう。
これだから、あの大人たちは。そんなことを少しばかり思って、すぐにスマホの表面へ指を滑らせた。
『ありがとうございます。もう少しやったら寝ますんで、どこぞの大人たちもたまには早寝したらどうですか』
そんな少しばかりの憎まれ口と共に、すぐ付いた既読の文字は一旦見ないことにして。
「……もーちょい頑張るか」
ぱちりと閉じたスマホの画面を伏せて、剣持はまた、ペンを手に取ることにしたのだった。