『エラー、サンマルゼロゼロ。エラー、サンマルゼロゼロ。エラー、サンマルゼロゼロ。右上腕欠如。左眼窩陥没、及び左眼認識反応無。類似カテゴリ識別認証機能停止。疑似血液四十パーセント喪失。プログラム再構築を推奨します。繰り返します、エラー、サンマルゼロゼロ。エラー、サンマルゼ、』
「喧しいですね。この程度で私が死ぬとでも思いましたか」
確かに、死んだと思った。最強を欲しいままにしていた第二十三軍のトップである、加賀美隼人軍団長。おおよそ軍の中でも一番強いであろうその軍団長でも、腕を飛ばされ左目を潰されてしまえば、最早立っていようとも死んだと言えるのではないかと。後から駆け付けた僕でさえ、あの軍団長が。なんてことで頭が支配されたのに。
けれど僕の耳に聞こえたのは相対していた敵兵の劈くような断末魔と、間延びするように聞こえた誰かの声。いや、最早声と言って良いのかも分からない。確かに滑らかな人の音声ではあったが、感情のようなものは含まれていなかった。そもそもこの場には僕と加賀美軍団長しかいないのに、誰が。
そこまで過ぎった僕の前で、軍団長はぽつりと独り言を落とした後にふと背後を振り返った。おそらくは、気配を感じた僕を見止めるために。
「ああ、剣持参謀長」
「……加賀美軍団長。なんでその状態で生きていられるんですか」
「……ああ、成程」
僕の質問など意にも介していないのか、軍団長は残っていた左手で自分の顎を手袋越しにゆるく撫でた。血に染まって重そうなその端からは黒い何かが滴っている。おおよそ重傷どころか普通の人間であれば出血の問題で意識を失ってもおかしくないだろうに、目の前の人はまるで当たり前のように佇んでは僕を見つめて、ゆったりと口を開いた。
「聞いていましたか、今のを」
「ええ。ばっちりと」
「そうでしたか……まあ、聞かれていたとて問題ではなかったのですが」
余裕をたっぷりと含ませながらも、軍団長が顎に添えていた手を離してからそうっと自らの軍帽のつばへと手をかけた。一連の動作を眺めつつも僕は、胸の裏側でどくんどくんと騒ぎにも似た緊張を走らせる。
思えば、目の前の人とは二年ほどを同じ軍で働いてきていた。死線を幾度となく越え、死した部下を山ほど看取った。けれどその生活の中で一度も、一度たりとも、彼がその軍帽を脱いだところを見たことはなかったのだ。勿論少しばかり気にはなっていたけれど、プライベートに足を突っ込むのはな、と言及したことなどあるはずもない。
それが、どうして今。僕の目の前で行われようとしているのだろうか。この状況下で、このタイミングで。
身を強張らせつつ無意識で腰のサーベルに手を重ねた僕を見てか、加賀美軍団長はどこか楽しげに笑みを浮かべた。まるで、いつものように。
「頭の良い貴方ならご存じなんじゃないですか、剣持さん」
「……何を」
「我が国で行われていたという噂のやつですよ。幻の『第三十三軍』の存在とやらを」
「……モノクローム計画……?」
「そう。人体をメインとして我が国の最新技術を駆使し、機械を埋め込む改造手術を行うことで「殺しても死なない軍隊を作ろう」という与太話ですね」
「だけどあれは! 教会から派遣された倫理委員会が計画段階で中止したって話が公式で、」
「その教会が関わっていたら、話は別だと思いませんか」
「……は?」
ぱさ。やけに小気味いい音と共に、加賀美さんは自らの軍帽を脱ぎ落す。血と硝煙と土に塗れた地面に、質のよさそうな帽子は汚されて。けれど、僕の目にはそんなものは映りやしなかった。
脱ぎ去った軍帽があった、艶めく茶色の髪の上部。そこにはおおよそ美術館の宗教画でしか見ないような、金輪が備わっていた。まるで最初から、それを隠すつもりだったかのように。
『コード入力完了。上位開放権限を許可します。欠如情報補完プログラム起動。三十パーセント、五十パーセント……』
さっきも聞こえたその声に、ようやっと僕はそれが目の前の男のような様相の者から鳴り響いていることに気付いた。それと同時に、失われていた腕や目がまるで早送りで元に戻るように治っていく。最初からひとつも欠けていなかったかのように、怪我のひとつさえなかったかのように。
言葉を失くしてただ瞠ることしかできない僕へ、加賀美さんはへらりと笑った。
「すみません、同じ人間でさえなくて」
その一言がどうにも彼らしいのが、一番解りたくなかった。
『欠如情報補完プログラム、修復完了。開放権限を行使しますか?』
「ええ」
『承認コードを入力してください』
「…………──、」
神の御業と祝福を、我らに。
それは、この国に住まう者なら誰でも知っている。神の一番の敬虔な祈り子である、天使の発した言葉のはず。聖職者しか口にしてはいけないと厳しく躾けられるであろうその一言を、まるでさも加賀美さんは当たり前のように零して。
そうして彼は、その背から大きく白い翼を生やした。宗教画に描かれる天使たちのようにも見え、戦場に降り立った軍神のようにも見えるその様相に、僕は呼吸すら忘れるように凝視する。
こんなものを、国は。──神は、良しとしたっていうのか。
『プログラム、モノクローム開放。御帰りなさい、天使よ。敵を殲滅なさい』
「……はい、御父上」
ぽそりと零された一言。それは、今まで僕が彼と共に過ごした中で、一番に、哀しく孤独に聞こえた。