思えば宇佐美にとって、それは初めからおかしな事件であった。
事務所とも提携を結んでいるヒーローたちの本部から朝イチで入った連絡は、聞けばとある敵組織が水面下で何か大きなことを起こそうとしているらしいという、さもざっくりとした話だった。なんだそのふわふわした感じ、と宇佐美的には思っていたものの、報告に挙がっていた組織自体が過去何度もドンパチをしたことのあるそこそこでかいものであったため、放置もしてられないだろうという話から、先んじて情報収集のために叢雲と星導が敵アジトへと潜入捜査を試みていた。情報が上がり次第作戦を立てて潰してしまおう、そんな話をしていたはずだったのだ。
叢雲と星導が捜査を始めてわずか半日ほど。彼らは傷ついた姿で拠点へと帰ってきた。それも、武器まで壊された状態で。
「何があったって言うんだよ!?」
「っ、ひゅ……ぐ、」
「喉、やられてるやん……喋れそ? 字ぃ書けるか?」
「医療班! 医療班呼んで、ウェン!」
「もう呼んでるって!」
慌てた様子で駆ける面々に、二人は苦痛に顔を歪めながらも倒れ込んでいる。治療のためにと宇佐美が彼らの傍に膝を付くと、一番近くにいた星導がぎゅっと彼の服を掴んだ。握り返すようにその手を取る宇佐美に、星導は力なく首を振る。
「どした、るべ」
「ッ……ぁ、げほ、」
「無理して喋らなくても、」
「ち、が……」
今まで聞いたこともないような嗄れ声はどうにか喋ろうと口を薄く開閉しながらも、その手は未だ宇佐美の服を離さない。星導の口元まで耳を近づけてその声を拾おうとした宇佐美は、その掠れ潰れかけた喉が明確に何か意志を発しているのを聞き取った。
「に、げて……ぐ、……わ、な、だから……!」
『逃げて。罠だから』
星導から拾い上げた言葉がようやく頭の中で繋がり、は、と目を瞠らせた宇佐美が顔を上げた瞬間、けたたましい爆発音が拠点内で鳴り響く。音の方へ視線を滑らせれば、拠点の出入り口で銃声と怒号が入り乱れて聞こえてきた。
元より叢雲と星導は拠点を割り出すための囮でしかなかったのか。そう気づいた時には既にもう遅かった。元より相手の目的は敵対組織の拠点制圧だったのだろう。割り出されて、入られている時点でもう此方に分などありはしない。
咄嗟に小柳と緋八が武器を手に飛び出していくのを視界端に収めながら、宇佐美はぐるりと巡った頭の中で必死に打開策を探していた。拠点は押さえられている、此方には負傷者が二人。医療班はまだ来ないし、このまま籠城戦をするにはあまりにも手が足らなさすぎる。
「皆!!」
覚悟を決め込んだ宇佐美は、その場で叫び声を上げた。
「千々に散ろう、纏まってたら共倒れだ! 俺はるべを連れて治療してくれる人を探すから、誰かカゲツのこと頼めない!?」
「僕行く!」
「ウェン頼む。……基本二人一組で動こう! 怪我人が出た時は無線で報告して。立ち回ることより怪我しないように逃げることを優先で!」
「テツ、オレと行こう」
「分かった」
「ロウ! マナ! 殿任せるよ!」
「任せとけ」
「どこ集合!?」
出入り口でおそらく敵を食い止めているのであろう緋八からの問いかけに、宇佐美は遥か前の記憶を掘り起こしながら小さく呟く。
それは、以前何の気なしに雑談をしていただけの葛葉がふと脈絡なく言った一言だ。
『ピンチの時は言やぁいいよ、何でも。配信もそうだけど、ヒーローの時でも』
「……事務所に向かおう」
「事務所!?」
「一般人巻き込むのはまずいだろ……」
「……いや、アリかもしれない」
「ロウ君まで何言って、」
「こういう時用に事務所の地下にはシェルターがあるってエクスさんから聞いたことある。そこまで逃げ込めれば二人の治療も出来るだろ……マナ! まだ行けるか!」
「んな余裕に決まってるやろ! あと五時間は戦えるでぇ!」
「もうそれ殲滅してもらった方が早いわ」
「リト。俺、今事務所に連絡して先輩方とかの避難勧告頼んでおくよ」
「頼んだライ。……じゃあ、皆事務所集合で。追っ手は振り切るか応戦だけど、無理そうなら大回りして逃げよう」
宇佐美の一言に、その場の全員が頷く。絶対に生きて帰るのだという意志を宿した光たちは次のうちには散り散りに飛び散り、各方々がそれぞれ事務所へと向かうこととなったのだった。
◇
まずい、まずいまずいまずい。確かにそう頭が警告を発しているのに、この足は今以上の速度が出ることはない。ビルの屋上を次々に飛び走りながらも、伊波の脳内は後ろに迫る敵たちをどうするかでいっぱいいっぱいだった。
拠点襲撃の後、宇佐美の提案で事務所へと向かうことになったヒーロー達。伊波は佐伯と共に行動していたはずだったが、それは敵からの攻撃で分断されることとなってしまった。強烈な一撃をどうにか受け止めた伊波は囮になるため立ち回った後に走り出したが、自らを追う敵は徐々に増え始めていた。
無線では怪我人だった叢雲と星導、彼らを連れていた赤城と宇佐美は無事事務所へと逃げ遂せられたとの報告は聞こえていた。が、はぐれた佐伯、そして殿だった小柳と緋八の所在は未だ分からないまま。出来るならば敵を引き付けるだけ引き付けて耐えきってから、ある程度修復や治療が済んだ他ヒーローたちの元へ誘導して迎え撃つのが理想だが、伊波自身それまで耐えきれるかどうかの方が怪しい。既に自らのスタミナも、武器の破損具合も危ういところまで来ていたからだった。
既にこれ以上のスピードは出ない。ひとりきりでこの量の敵に立ち向かうことも難しい話だ。このままじゃジリ貧になるばかりだ。ならどうするべきだろう。そんなことをぐるぐると考えていた伊波は、ビルの屋上から軽く地面に飛び降り立ったその先で、人が佇んでいることに気付かなかった。
「なん、ッ!?」
うまく受け身も取れず、勢いよく地面へと転がる躯体。痛みに軋む身体のままではっと頭を上げると、既にこの一帯には一般人の避難勧告が出ているというのに少年が一人で泣きじゃくりながら立ち竦んでいた。
やばい、敵が来る。思わず立ち上がった伊波の右足に激痛が走るが、それを無視しながら少年へと近付くと、その大きな双眸は涙をいっぱいに溜めながら伊波を見上げた。
「ぼく、ここは危ないから逃げよう」
「ひ、っく……でも、タローが、」
「……タロー?」
「タローが、逃げちゃって……どこ行っちゃったかわかんないんだ……!」
少年はまたぼろぼろと涙を零しながら、降ろしていた方の手を上げる。赤いリードの向こうはちぎれているのを見るに、どうやらペットが逃げてしまったのだろうと察することが出来た。とはいえ、そのペットを探すにはあまりにも時間が無さすぎる。伊波が上を見上げた瞬間、ビル上からはぼとぼとと敵が雨のように降り注がんとしている最中だった。
彼をどこか安全なところに逃がさないと。伊波は咄嗟に少年を抱き上げようとするが、ずきんと足に痛みが走って崩れ落ちかける。捻ったか、折ったか。抱えて逃げることもままならず、伊波は痛みに表情を歪めながらも武器を構えた。最悪、少年一人だけでも逃がせたら。そんな嫌な想像に腹を決めかけた、刹那の出来事だった。
不意に、敵の向こう側で突き刺すように光を降らせていた太陽が、唐突に翳ったのだ。
「え?」
大きな影が、降り落ちてくる。……否、伊波に到達せんと落ちてくる敵を空中で斃している。潰し、吹っ飛ばし、放り投げ。そうして地上へと降り立った白い体躯は、きらりと金色のラインを煌めかせては伊波の前で立ちはだかっていた。
明らかにそれは、アニメで見るタイプの大型ロボットだ。だが、ヒーローたちの所属する組織では既に大型ロボットを操縦するパイロットなどいないはず。思わず呆然とその機体を見上げていた伊波の元へ、ふと誰かが走り寄る音がした。
「伊波さん!」
「……え、加賀美社長!? 何してるんですか!?」
「良かったぁ、ご無事でしたか」
はっと振り返った伊波の視線の先。そこには何故か加賀美がどこか安堵を滲ませた表情を浮かべて近寄ってきていた。一般人は避難勧告が出ているはずなのに、そう過ぎった伊波の視線の先で、加賀美はどこか照れた表情で笑っていた。
「あれ、私の機体なんですよ」
「あれ……って、あのでかいロボットですか!?」
「ええ。昔、助けてもらったとあるロボットの部品をいただいて作った、自家用機体です」
元より加賀美がロボット系が好きだということは耳にしており、メカニック繋がりで何度か話が盛り上がったこともあったが、まさか自分で大型ロボットを所持するほどとは。思わずまた呆然と見上げたその機体はきらりと目映く輝いている。夢を追い求めた大人の先というのは、こんなに眩しいものなのか。そんなことを考えた伊波の視線の先で、ロボットは少しだけ身体を揺らしてから掌を伊波へと差し出した。まるで、乗れと言わんばかりに。
「まだ、伊波さんたちの敵はいらっしゃるのでしょう。そこの少年も安全な場所まで送りたいですし、乗ってください」
「良いんですか?」
「ええ。元よりそのつもりで出してきたので」
「……オレたちよりヒーローしてるじゃないですか、加賀美社長」
「何言ってるんですか」
先導するようにひらりとロボットの掌へと飛び乗った加賀美は、ゆるやかに振り向く。
その背中は、ただ恰好良いばかりの一人の大人のものだった。
「いつも街を守ってくださってるヒーローは、伊波さんたちでしょう」
◇
予期せぬ敵の拠点襲来、そしてヒーローたちの逃避行と迎撃は斯くして終わりを告げた。宇佐美が言い出した事務所への救難は結果的に功を奏し、ヒーローたちが戦っている敵に対抗できる面々が居るということは、ヒーローたちにとっても安堵のひとつとなった。自らの存在が原因で事務所に害がなされた時、それに対応する力がある。思っている以上に不慮の事態に対応できる武闘派が揃っているという点においても、事務所のアドバンテージは高かった。
伊波が走らせた救難信号に誰よりも先に反応したのが、追っ手の敵たちを一番多く殲滅した加賀美だったという。自家用の大型ロボットを引き連れて逃げるヒーローたちの援護をしたり、逃げ遅れた一般市民を助けたりしたその姿は一躍時の人となった。とはいえ本人は社長業以外で脚光を浴びるのは配信業だけでいいと避けたせいで、その手柄はヒーローたちのものになってしまったわけだが。
加賀美が引き連れていた自家用機体、ダイカガミ。彼がただ夢を追い求めた結果誕生したその大型ロボットには、古いひとつの部品が使われている。伊波は、その部品の出所を知っていた。
「加賀美社長」
「伊波さん。お疲れ様です、怪我の具合はどうですか?」
「もうすっかり元気ですよ!」
襲撃事件から既に一ヶ月が経った、とある日のこと。いつも通りの事務所の中で、伊波はふと通りかかった休憩所にいる加賀美を見つけ、声をかけた。あの時まばゆいくらいに大きかった背中は、未だそこでさも普通そうに笑みを浮かべている。
「以前、加賀美社長が話してくれたロボットの部品あったじゃないですか。あれ、どの機体か分かりましたよ」
「えっ、本当ですか!?」
「はい。話の通り、やっぱり既に廃棄になっちゃってました。加賀美社長が部品を譲ってもらったって言ってた、数年前に。敵の大型奇襲の時に総攻撃を食らって、心臓部分に致命的なダメージを負って動かなくなったみたいで」
「……やはり、そうでしたか」
「鮮明に記録が残ってましたよ。……うちで使ってたロボットの部品を受け継いでたんですね、加賀美社長は」
あの日の事件の時、加賀美が話した内容に心当たりがあった伊波はその後、加賀美から詳しい話を聞いた後に自らの拠点で情報を探していた。残っていたそれらの中から割り出した情報は加賀美の話の通り、数年前に動いていた最後の大型ロボットの機体から回収された心臓部分の歯車部品の一部だったようだ。そのロボットに乗っていたパイロットは、伊波にメカニックのいろはを教えた後に引退した先輩ヒーローだったのだ。
「あの時、本当に偶然パイロットの方に再会しまして……もうロボットの方は動かなくなってしまったからと部品を譲っていただいたんですよね。その意志を受け継いで、ダイカガミが一人でも多くの人を救えるのなら、私としても本望ですよ」
「……加賀美社長」
「はい?」
「ヒーロー、なりません?」
「……あっはっはっは! 魅力的なお誘いですけど、ご遠慮しておきます!」
「えーっ、加賀美社長なら良いパイロットになれると思うんだけどな……」
「私には大事な社員たちが居ますからね。会社を放っておけませんし、ライバー業もやり続けたいですから。そこにヒーローまでってなっちゃうと、流石に身体持ちませんよ」
大きな、大きな先輩の背中。それはどんな意味を含もうとも決して生半可な気持ちでは越えられない壁であり、頼り甲斐のある壁でもある。ヒーローとしても、エンタメに身を収める者としても、自らの成長をこんなにも歯痒く思うことはないだろう。
ああけれど、そうだとしても。一度転んだだけでは、地面に這いつくばっただけでは、簡単に諦めることなど出来ないのもまた、ヒーローであり、エンタメに身を収める者であるのだろうから。
「……恰好良いなあ」
「ふふ、伊波さんも充分恰好良いじゃないですか」
「そう言ってもらえるのは嬉しいですけどね!」
一つ進めば進むほど、強く強かに立ち上がっていく。きっとそうやって掴もうと手を伸ばした先にこの背中があるのだろう。伊波は少しだけ首を傾けて、あの時見た景色を思い出す。頼り甲斐のある大きなロボットの体躯の上で手を差し伸べる、この大きな掌のことを。
ヒーローっていうのは、きっとそういうもののことを言うのだ。そして自分もこうなりたいと願って。
「先輩。いつも、ありがとうございます」
「いえいえ、此方こそ。いつも街を守ってくれてありがとうございます、ヒーロー」
今日もまた、大きな背を追い掛けていくのだろう。