ポカ話 2:::
『おーい、聞こえるかいのー』
「ん……?」
伸びやかな声が聞こえて、意識が浮上した。
目を開けると、そこは西洋の結婚式に使われるような、教会の聖堂のようだった。
清潔感のあるまっ白い壁とピカピカな床。
部屋の奥にはステンドグラスと祭壇がありその上には大きな十字架が掲げられている。
豪華なシャンデリアの光が聖堂内を照らす。
「どこだここ……」
『おぅ、起きたのう。おはよう』
『おっせぇなぁおい、上司をいつまで待たせる気だよぉ』
どこからかミフネさんと社長の声がするが、辺りを見回しても姿が見えない。
それにその声は、単に耳に届いているというより、直接脳に響いている感じだ。
「あの……ここは?」
『ゲームの世界じゃ。今おまえさんは意識だけがバーチャルの世界にある。視覚や聴覚はもちろん、触覚や痛覚も現実と同じように感じる事ができる。わしらはモニターでおまえさんのゲーム模様を見とるわけじゃ』
「へー」
次世代的だ。
さすが一流企業と感心する。
ふと疑問に思った事を聞いてみた。
「そういえば、他の研修生達はどうしたんですか?いつになったらゲーム始まるんですか」
『もう始まっとるよ。ほれ、後ろ見てみい』
監督の指示通り、振り向いてみて――思わず腰を抜かしかけた。
俺のすぐ背後に、ボロボロのウェディングドレスを纏った女が、鬼のような形相をして出刃包丁を手に持ち立っていたからだ。
慌てて後退りして間を開ける。
すると女は、血走った目で俺をまっすぐ見つめ何事かをブツブツ呟き始めた。
「許さない……絶対許さないわよ」
「え⁉ 許さないって……な、何をですか?」
「しらばっくれんじゃないわよォォォ!ネタはちゃんと挙がってんのよ!」
唾を飛ばしながら喚きだす女。
まるで人が恐怖を覚える要素をかき集めて凝縮したようなその女に、俺は震え上がった。
ななな何だこの女……⁉
答えを求め、俺はこの状況をモニタリングしているであろう傍観者二名に訊ねかけた。
「ミフネさァァん社長ォォォ! 何ですかこの超おっかない女!」
『今作のヒロイン、花子ちゃんじゃ。主人公でプレイヤーの君・ドキュメンタリー君の嫁だぞい』
「何で嫁が包丁装備して怒り狂ってんですか!?」
『少し待っておくれ。今プロローグを流す』
少しの間を置いて、空から可愛らしい女ナレータ―の声が聞こえてきた。
【――平凡青年なキミ、ドキュメンタリー君は、若気の至りでちょっとハッスルし過ぎてデキちゃった結婚をする破目になってしまいました。
でも結婚式当日、ひょんな事からキミが密かに浮気していたのがバレちゃった。
しかしキミを心底愛し執着している花子ちゃんには、キミと別れるなんて考えられない。
彼女は、そのバイオレンス且つ突飛な頭脳で考えた末、それならいっそ命だけでもと思い立ったのでした。
何とかして彼女を落ち着かせよう!
出来なければキミが死ぬだけなのだ☆】
なのだ☆じゃねぇよ‼
声にならない叫びを上げる俺の口から、血が溢れた。
ワオ、さすが最新次世代ゲーム機。
吐血感もリアリティ抜群だ。
なに昼ドラもびっくりなドロドロ愛憎劇場ゲーム作ってんだよ!
『ちなみに他の研修生は全員ゲームオーバーになったから、残ってるのはおまえさん一人じゃよー』
「ええええ」
驚愕の真実に、今度こそ本当に叫んだ。
自慢じゃないが、俺はそこまで成績は良くない。
授業の度に自分が当てられたらどうしようと緊張してばかりで、あまり学校の勉強に集中できなかったからだ。
その分、家で机にかじりついていたから、ここに入社できたのだが。
そんな俺より頭がいいはずの、他の研修社員がクリアできなかったんだ。
俺にできるはずがない。
『――この研修会での真の目的は』
ふと、それまで沈黙し続けていた社長が淡々と語りはじめた。
『ブチ切れ状態の上司や先輩に対し、どういう対応で接するべきか自分自身で考えるっつー社会のルールを学ぶためだ』
『単に、女子ウケの良い恋愛ゲームを開発したかったというのもあるがのう』
こんな序盤から既にスイッチオフしたくなるような恋愛ゲーム、やる女子がいるのだろうか。
ていうか、何も怒った人をウェディングドレス姿で包丁装備した鬼女に置き換えなくてもいいだろうに。
『ほいじゃあ研修生、おまえさんなりの答え示しておくれ』
そこで二人の声は途切れた。
えぇー、答えを示せって言われても……。
普通に謝ればいいんじゃないのか?
恐る恐るながらも話しかけてみた。
「あ、あの、花子さん?」
「何よォォ‼まだ言い訳する気⁉」
うっわあ大激怒。
ただ声をかけただけなのに。
「ちょっと落ち着いて、聞いて下さいよ。少し冷静に……」
「冷製ですって? 冷やし中華を食べる時にこぼれたタレ一滴のように、私の事も布巾で綺麗に拭い去ろうって事⁉」
「どういう解釈ですか。いや違いま……」
「絶対許さないわよ! 離婚なんかするもんですか!」
聞いちゃいねぇ。
駄目だこりゃ、こんなの謝って許してもらう以前の問題だ。
どうしたもんか……。
「……ッ」
頭を抱えていると、不意に腹部に激痛を感じた。
見ると、いつの間に近付いていたのか、花子が包丁をしっかり握りしめて、俺の胸に飛び込んでいた。
俺は、刺されていた。
ガクッと床に膝をつき、柄まで深く埋まった刃物を震える手で掴む。
筋肉や骨が、まるで縋るように刃にへばりつくのを、何とか振り切ってゆっくり引き抜く。
大量の出血とともに眩暈を感じて、その場に倒れ伏した。
出血を抑えようと腹を押さえるが、まったく止まらない。
息をすれば、ヒューヒューという風のようなか細い呼吸音。
俺、死ぬのか?
いや、これはリアルだけどゲームだからゲームオーバー、か……つまり失格だ。
俺の頭の中で、今まで送ってきた入社前の人生の記憶が走馬灯のように巻き戻っていく。
あぁ、もったいないなぁ。
色々やりたい事とかあったし、社内恋愛とかも憧れてたのに。
薄れゆく意識の中、最後に見たのは自分を刺殺した女の悲しげな顔だった――
ーーーーーーー
『おい……いつまで寝てやがる。起きろや』
社長の声が聞こえて、目を開けた。
起き上がって周囲を見渡すと、そこは結婚式でよく使われる、教会の聖堂。
……あれ、デジャヴ。
ハッとして、自分の状態を確認する。
さっきまでの腹部の激痛が、嘘のように消え去っている。
その上、どこにも怪我なんてしてない。
あれ? 俺ゲームオーバーになったんじゃなかったのか?
『何でまだ続いてるのかって言いたそうなツラだなぁ。誰も死んだら終わりなんて言ってねえぜぇ?』
社長のせせら笑う声。
ホント嫌な上司だな、と素直にムカつく。
だが何とかスルーし、訊ねかけてみた。
「どういう事ですか?俺ゲームオーバーになったんじゃ……」
『このゲームにそういうシステムはないんじゃよ』
彼が教えてくれたルールはこうだ。
“DVD”にはバッドエンドやゲームオーバーはない。
これはあくまでも、自分で自分の道を見出すゲームであり、基本的に何でもアリ。
生殺与奪も思いのまま。
社会のルールを学びつつ、お手軽に昼ドラ気分や殺人鬼気分を味わえる、ストレス解消系恋愛ゲームだ……と。
何ていうか、本当心底疲れてるなぁこの人ら、と思った。
そこでふと思いだした。
そうだ、花子。あの鬼嫁はどこだ。
また不意を突かれて刺殺されちゃたまったもんじゃないと、周囲を見渡す。
すると、聖堂の十字架の下に、教会には似つかわしくない、古ぼけたテレビがあるのを見つけた。
何となく気になったので、近寄ってよく見てみるが画面は砂嵐が舞っていて、何も見えない。
壊れてるのか?
バシバシ叩いてみると、パッと画面が切り替わった。
画面より少々離れた所に、これまた古ぼけた井戸が映っている。
……あれ、なんかこれ見た事あるような。こんな映画あったような。
「………」
まさか……なぁ……。
食い入るようにじっと見つめていると、画面上の井戸の中から、ぬっと手が出てきた。
そして現れたのは――花子。
うわーーーと絶叫する。
やっぱりこうなるのね、とかの野暮なコメントは声にならなかった。
某映画と同じく画面から這い出て、花子(貞子バージョン)がいざ降臨した。
「あ~な~たぁあ~~……」
半分うめいてるような声を発しつつ、這いつくばりながら俺に近付いてくる花子。
「別れない……絶対……殺してやるぅぅ」
「うわーうわーうわァァァ!」
怖い怖い怖すぎる。
漲る吐血感を感じつつ、俺は先に失格になった仲間達の事を思った。
優秀とか劣等とか関係ないわ。
こんなもん誰だってリタイアしたくもなるわ。
「ちょっとお二人さん? 何で愛子貞子化してるんですか⁉」
『一回死んだからペナルティ』
「こんなの出てきちゃ更にゲーム進行しづらくなるじゃないスか!」
ちょ、これどうすりゃいいんだ?
“殺られる前に殺れ”の精神で花子を殺せば……?
とか怖い事考えてる俺の心も、だんだん闇に染まっていってる気がする。
しかしそんな俺の思考を見透かしたようにミフネさんが言った。
『あぁそうだ。今のうちに言っておくがの、彼女に危害を加えると、分裂する上にブリッジ体勢になって追いかけてくるぞい』
「何で⁉」
『上がムカつくからって、シメてもいい訳ねぇだろが』
確かに……。
上司や先輩を相手に、ジャブやらアッパーやらをかましても、良い事なんて一つもない。
その法則は激怒中の嫁に対しても有効だ。……って、じゃあどうしろってんだよ!
俺もう死にたくないぞ!
ただでさえ吐血しやすいのに、その上腹からも出血なんて冗談じゃない。
「あなたぁあ~」
「ッ……うわあぁあ!!」
逃げるしかない。
上司や先輩への対応なんか、この際どうでもいい。
これがゲームだろうが関係ない――俺は死にたくない!
考えるより先に、俺は走り出していた。