Shayt ③大海に面し漁業と貿易で栄える港街、天満。
ありとあらゆる和の国の物だけでなく、時折異国の物も混ざる商店や出店が立ち並びいつも賑やかなその街の一角、大通りから道を一本逸れた所に私の営む雑貨店「一輪堂」はある。……とは言っても。
「もう今日は閉めようかな…」
小さく呟きながら、客を見送り無人になった店内を眺める。
結望ちゃんの茶屋程では無いが、この店も客足はあまり多く無い。一日に精々五、六人。多くても十人程度だ。
しかし仕事は何も接客だけではなく他にも色々と関連することを手掛けているので経営難とは程遠いのだが、逆に言えば気楽とも言い難い。
現に今も客はいないが先の客は丁度七人目だったし、朝と昼過ぎに来た馴染みの商人二人の対応をしたことも含めれば、今日は比較的忙しかったと言える。
その上昨日の弟子が誘拐されるという一件により仕事はいつもよりも溜まっていて、店内を見渡す場所に置かれている目の前の文机には大量の紙の束が積まれていた。……流石にそろそろどうにかしなければ次に弟子が来てくれた時に怒られるだろうし、甘やかさせてもくれなくなるだろう。
「とりあえず……やるか…」
些か気は進まないが、やるしかない。
時刻は先程鐘が鳴っていたから、夕七つになったばかり。それなら願わくば閉店までの半刻の間、客は来ないようにと祈りながら紙の束を手に取った。
別に店を閉めても良いが、それはそれで扉に新しい手紙が挟まれると取りに行くのが面倒だ。
「これは……修理の依頼か。別に来るのはいつでも構わないと伝えたはずなのだけれど…。それからこれは商船の到着予定日。なら積荷の邪気を確認するだけだから返事は要らないね。あとは親の遺品が夜になると泣く…。はぁ、これは私が赴くしかないか」
小さく呟きながら、真面目に手紙達をより分けていく。
まずは返信が必要か否か。不要であれば予定表に書き込む。
次に急を要するか否か。文面から状況を推察し、緊急性が高いと思った物から順に返信を書いていく。
そうした作業を渋々ながらも始めて、ようやく集中が出来るようになって来た頃。
「……ん」
不意に、店とそれに繋がる私の家全体に張られている結界に何かが侵入しようとする気配がした。
とは言っても用途としては邪鬼を弾くかそれ以外の侵入を私に伝えるが主でそう大して強い結界は張っていないし、たまに弟子だって「転移魔具」とやらを使って家の庭に急に現れたりする。だから警戒する気も最初はなかったのだが。
──バタンッ!
家の、それも丁度私の部屋の方からそんな音が響く。
更には立て続けに本が落ちるような音もしたが、同時に覚えたばかりの力の気配を感じ大きく溜息を吐いた。
「はぁ……」
確かに私は来るなとは言わなかったが、まさか最初から不法侵入をしてくるとは。
流石にこれは侑李君の教育を疑わずにはいられない。いや、恐らく侑李君が言った所で改善は見込めないだろうけれど……。
小さく物音。それから、本を捲る音。
「…読むのは良いが、しっかり片付けておいておくれよ」
結局私は部屋に向かってそれだけ言うと、また筆を持った。
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それから一刻程して、ようやく筆を置く。
ふと外を見やればもうすっかり日は落ちていた。
(飛脚に頼むのは明日の昼で良いだろう。今は風呂に入って酒でも飲もうかな)
そんなことを考えながら、店の表に掛かっている「開」と書かれた木札をひっくり返して「閉」の面を外に向ける。そしてちゃんと戸締りもしてから店の奥にある廊下を通り、居間については羽織を脱ぎ捨てつつ隣の部屋である自室に目を向けた訳だが。
「…おや、まだいたのかい?」
部屋のあちこちに積んでいたはずの本や空箱、そして衣紋掛けと着物に埋もれながらも黙々と本を読む男──シェイムを見つけて小さく呟く。
時刻はもう夕七つ半、つまりは邪鬼が最も活発になる逢魔時を過ぎており、普通であればそれまでの時間に店を閉めたり家に帰るものだ。
だから彼もその頃になれば帰り、また明日にでも改めて来るかと思い気配に集中するも面倒で放置していたが、余程本が好きなのか、侵入してきて私の私物に躓き盛大に転けたであろう体勢のままずっと読書に耽っていたようだ。……まぁそれならこのまま気にしなくても良いか。生憎私は早く風呂に入って一日頑張った自分を労ってやりたいことだし。
「悪いけれどそこは土足禁止だよ。それから読ませてやったのだから部屋はしっかり綺麗にしておいておくれね」
こちらを見もしない彼にそれだけ言い残し、着替えの浴衣を持って庭から見える月を横目に風呂に向かう。そして湯船に湯を張りながら、桶で湯を掬っては体の疲れを流した。
昔の風呂は火を起こして水を温めなければならなかったが、今は輪入道が作る火熱石という物を水が通る管に置くだけでこうして手軽に湯が出てくるのだから便利になったものだ。当然相応の値はするのでそこまで普及もしていないが。
そう思いながらさっさと体を洗い、しっかり泡を流しては程良く溜まった湯船に浸かる。しかしそこに来てようやく酒の用意を忘れていたことを思い出した。
(流石に今から取りに行くのは…面倒だね。仕方ない、後で縁側から月でも見ながら飲むか…)
諦めて、溜息を一つ。
それに別に酒が無くとも今日も今日とて良い湯加減なのは変わらないのだからと自分に言い聞かせて、のんびりとした時間を堪能する。そうしてすっかり来訪者のことも頭から抜け落ちていたのだが。
すたすたと、足音。
それから脱衣所の扉を開ける音。そして。
「あぁ丁度良い。土間から酒を取ってきてくれるかい?ついでに酒器もね」
紙の束を片手に遠慮なく許可も待たず、そして唐突に風呂場の扉を開け放った男に、こちらも気にせず遠慮なく用を言いつける。
そうすれは彼は全く悪びれることなく頷いてから持っていた紙を軽く揺らして首を傾げた。
「了解した。自室に散乱していたこれらの紙は捨ててしまって構わないだろうか?」
「紙?」
聞き返しながら、記憶を辿る。
確か商品の目録を置いていただろうか?いやあれは紐で綴じていたはずだ。……纏め終えた物は。
他は…そう言えば店ではなく個人としてのやり取りをしている手紙も適当に置いていたか。それから……。
「あー…いや、後で確認するから居間の机の上にでも置いておくれ…」
結局思い出すのが面倒になり、半ば投げやりに言葉を返す。そうすれば彼はずかずかと風呂場にまで入り込み私を見下ろした。
「いや、今確認することを希望する。君の自室は後回しの産物だと判断した」
「…風呂で確認すると湿気るだろう。そんなに暇ならついでに居間の整理も頼むよ」
確かにいつも片付けを後回しにして弟子に怒られているのは否定しないが……何も風呂の中でまで仕事をしなくても良いだろう。
そう思いながら更なる仕事を押し付ければ、彼はすぐに風呂場から出て行った。
「了解した。ああ、酒は確認した後だよ」
なんて言葉を言い残しながら。
「……はぁぁ。君も弟子と同じことを言うか…」
私の返事も聞かぬまま去った彼の足音が遠ざかってから大きく溜息を吐く。
弟子もいつも「お風呂でお酒なんて危ないでしょ!?」と言って飲ませてくれないが、別に私は酔えないのだから危険は全く無いしその後に紙の仕分けだって、やる気にさえなれば問題無く出来るのだが……。
「仕方ない、早く終わらせるか……」
小さくぼやいて、ようやく湯船を出る。
それからさっさと着替え、髪の水気は軽くだけ拭き取りながら居間に向かった。
酒を飲んでゆっくりしたいという気持ちも当然あるが、一応彼の要件も聞かねばならない。その為にはまず居間の机の上だけでも片付けを──
「…ふむ」
居間の襖を開け、中を見渡しては一言呟く。
そうしている間にも彼はせっせと部屋を行き来し、机の上には紙の束と幾つかの本と先程脱ぎ捨てた羽織が綺麗に畳まれて置かれておりやや手狭にはなっていたものの、部屋全体で見れば随分と綺麗なっていた。どうやら尊大な態度とは裏腹に仕事は出来るらしい。
そのまま彼を呼び止めることもなく黙って机の前の座布団に座り、置かれていた紙の束を手早く分けていく。そして丁度分け終えた所に彼が来れば、そのままにこりとして紙を差し出した。
「あぁお疲れ様。要らないのはこれだよ。こっちは要るから部屋の棚に置いてある木箱に。それとこれは店の文机の上に置いておくれ」
簡潔に、淡々と。
そうすれば彼は音を立てずに持っていた酒瓶と酒器を机に置いてから、紙を受け取り前にも見た煙霧で包み込むと一瞬で紙を跡形もなく消し去った。が、同時に店の方から小さく紙の落ちるような音がしたので、恐らく私の言った場所に転移させたのだろう。
「便利なものだねぇ」
「……君の順応性には素直に驚いているよ。こうも顎で使われるとは思っていなかった」
「おや、使えるものは使うべきだろう?」
「それは同意見だ」
そんな言葉を交わしながら、酒を飲む準備をする。
勿論私は彼に本を貸した対価を払わせているだけで理不尽に顎で使っているつもりはないし、どうやら案外彼も利用されることに抵抗は無いらしい。
そう思いつつ舶来品の綺麗な紫硝子のお猪口に酒を注ぎ、一口。それから彼を見上げて首を傾げた。
「それで?土産は持ってきてくれたのかい?」
「がめつい人だね。タダ働きさせた私から物をせびるのかい?」
なんて言いながらも、彼は茹でられた枝豆が入った純白の小皿を私の目の前に置き、目で合図するようにそれを見やる。
そのどちらもがこの家には無かったはずの物で、最初はまさか枝豆が土産なのかと思ったが恐らく見るからに値の高そうな小皿の方が土産なのだろう。
どうやら文句は言いつつも素直にちゃんと用意はしてきてくれたらしい。
(白い磁器皿か。植物の絵がなんとも鮮やかで綺麗だ。それにこの形状は異国の職人による物だね。今の和の国では相当な高値が付く)
ちらりと見て、人間ならどのような価値を見出すかと一瞬考える。同時に指先でそっと皿に触れ、ほんの僅かに力を込めた。
瞬間、脳裏に流れ込むはこの小皿の記憶。
その中でもとりわけ「強い想い」を受けた時の記憶に集中すれば、自ずとこれを作った職人と仕入れた商人……そして、彼がこれに触れた時の想いが頭の中で聞こえた。
それが、私の特別な──和の国で私だけが持つ、力。
(やはり高級品なのは間違いないか。それから…へぇ?)
読めた彼の想いに思わず口角が僅かに上がる。
どうやら彼は私に取り入るの為に高価な物を選んだのではなく、日常的にも使える物として皿を。そして大半の者が「勿体ない」と言って飾る物をあえて凡庸に使って見せるという嫌がらせの為に、わざわざ高価な物を選んだらしい。
(…ふふっ、本当に面白い男だ)
真っ直ぐなのに、どこか歪んでいる。
考えてみればそれは先の弟子誘拐の件でも言える事だが……ともあれ、もしも彼が物の助力を借りねば表せられないような些末な自己顕示欲でこの土産を持って来たのなら興味は失せる所だったが、そうではないようだし物を使うことを考えて選んでいるのも中々評価に値する。やはり土産を持って来させて良かった。……であれば。
「おや、人聞きが悪いね。土産は人の家を訪ねるなら必須だろう?それに、不法侵入に目を瞑り私の本まで貸してあげたのだよ。あれらの価値を考えれば、これでもまだまだ働き足りないくらいさ」
刹那の間を何事も無かったかのように、そして決して悟られはしないように、にこりとしながら言葉を並べる。そうすればすぐに彼は呆れを声に滲ませた。
「君の価値観を押し付けないでくれ。等価交換を望むのなら雇われてやってもいい」
「おや、その為にはまず実力を見せて貰わないとね」
「条件があるのなら手短に頼むよ」
表情を崩さない私に、彼もまた表情は変わらないまま。
けれどこれは……利害が一致したと見て良いだろう。
何日か仕事を手伝わせてみても面白いかもしれないと思ったが、最初から彼がその気なら監視も兼ねて雇ってやろうじゃないか。
「片付けを見るに品の手入れは任せても問題無さそうだね。あとは帳簿の管理や品出しに商品の受け取り…あぁそれから接客や鑑定も出来ないとね」
「方法は記憶してあるがここで使えるかは不明だね。1度やり方を見せてくれるかい?一般的に上司は仕事内容を社員に教育するものだろう」
「それは構わないが、今日はもう店仕舞いをしてしまってね。あぁそうだ、いくら技術があってもそもそもその姿じゃ店には立たせられない。何か解決策はあるかい?」
「ふむ…妖ならあれがあるな……」
わざとらしくにこにことする私を意に介さぬまま、彼はそう呟くとすぐにまた昨日のように煙霧に包まれる。
そしてその赤紫が薄れると同時に白が見え隠れし、最初にはっきり見えたのはふわりと揺れる白と黒で縞模様な獣の尻尾。次に頭上で小さく跳ねた、白黒斑な猫のような耳。最後には──
「これで満足かな?」
煙が晴れた先にいたのは、昨日見た彼の人間姿に似ていてしっかりと肌色で淡い青と緑青の瞳を持ちにこりと笑う……しかし、髪は白く猫耳と長い尻尾がある姿の、シェイム。
その特徴を見るにどうやら猫ではなく、妖の白虎を模したらしい。その上異国の物だった服もきちんと白い着物と黒い袴に変わっており、この姿なら問題なく店の手伝いを任せられるだろう。むしろ見目の良さで街の娘達が喜びそうな程だ。……性格と、僅かに漏れる違和感にはやや難があるけれど。
「これはこれは。侑李君から聞いた通り、どの種族にもなれるとは便利なものだね。気配も…多少の違和はあれどまぁ大丈夫だろう」
「おや。この力を感じているのかい?」
結局、彼から感じる異質な力の気配については侑李君に聞きそびれてしまった。まぁ邪鬼では無いから別に構わないが。そう思いながら言った私に対し、彼は何故だか嬉しそうに煙霧を漂わせ、あまり作っているように感じない笑みを浮かべた。
「これでも可能な限り抑えてはいるのだが、まぁ問題が無いのなら明日からお邪魔させてもらうよ」
煙霧を霧散させながら、機嫌良く。
一方の私はこの調子なら彼女が気づいて私を怒りにくる日もそう遠くは無いだろうなぁ……と思いながらも、とりあえずは考えないことにした。勿論彼への警戒を怠る気は無いが。
「多少煩いのは来るかもしれんが…まぁ何とかなるだろう。それじゃぁ明日は朝五つ半、あぁなんだっけ?朝……九時と言う方が弟子の知り合いには伝わるか。そのくらいにでも来ておくれ」
「了解した。煩いのは弥琴君に任せるよ。私の目的はあくまで君だからね」
ひらひらと手を振った私に、彼はそう言うと再び煙霧に包まれ昨日のように消え去った。なんとも嵐のような男だ。
「おや、てっきり弟子目当てだと思っていたけれど……まぁ良いか」
一人になった居間で小さく呟く。
それからはゆっくりと酒を飲みながら、枝豆に手を呼ばした。