Shayt ④-3夕七つ。
この時間になると店達は暖簾を下ろし始め、行き交う客は自身の家か宿へと帰って行く。それは陽が沈む夕七つ半から月が上がる暮れ六つの間──つまり、空に月も太陽も無く邪鬼が最も活発になる「逢魔時」を避ける為の和の国全土で見られる風習であり、一輪堂も例に漏れず店を閉める。と、看板には書いている。実際は朝に仕事を始めるのが遅いせいで仕事が終わらず閉店時間を越えることの方が多いのだが。
しかし、今日はそうも言ってられない。
ということで、街の中央にある鐘楼の鐘が夕陽に照らされながら七回響くと同時に店の表に掛かっている「開」と書かれた札を裏返しては、店の中に戻りしっかりと扉も鍵も閉めて後ろを振り返った。
「──と、これが大体の一日の業務だ。終業は早ければこの時間。遅くても残業は半刻くらいで終わるかな」
「了解した。ではこれで帰らせて貰う」
「あぁ、また明日」
私が返事を言い切るよりも少し早く、新たな従業員ことシェイムは煙霧に包まれ白虎から夢魔へと姿を変えつつ消え去る。なんともそそっかしい男だ。……だが、今は私も用がある。
そのままさっさと自身の部屋に向かい、箪笥から着物を着るに必要な物──例えば腰紐や伊達締め、それから裾除けに襦袢などを掻き集め、ついでにいつもより部屋が綺麗なことに気づかれぬよう敢えてそれらを畳や居間の机の上にばら撒き、それが終われば一番肝心な着物そのものと帯をいくつか衣紋掛けに並べて見比べながらじっくりと吟味する。そしてようやく候補が藍色の物と山吹色の物に絞れてきた所で、袂から「すまほ」を取り出し唯一の連絡相手へと電話を繋げた。
『……もしもしラギさん?どうしたんです?』
「あぁ、ゆの。悪いが今少し空いているかい?」
繋がって早々、電話相手こと弟子の戸惑い気味な声にとりあえずの要件だけを告げながら着物選びを再開する。
こういう時、弟子は大体「急すぎる」だの「人使いが荒い」だのと呆れるなりするがそれでもなんだかんだ頼みを聞いてくれる優しい娘で、此度もそれを期待していた。しかし。
『え、今?……結望ちゃんと晩御飯作ってるんですけど』
(……しまった)
声からありありと伝わる弟子のじとっとした表情と、呆れの感情。そしてそうなるのも納得な理由。
普段食事は気分でしか取らないし、夕食を食べるにしても大抵が逢魔時後に開く店に行く程度で……急いでいたのもあり彼女達がこの時間に夕食の用意をしているのをすっかり忘れていた。
(仕方ない。後にするか……)
弟子の言う通り私も多少は人使いが荒い自覚はあるが、それでも無理を頼んだり何も考えずに押し付けはしていない……つもりだ。
なので確かに急ぎの用ではあったが時間を改めようかなと少し考え始めた所で。
『んぇ?弥琴お姉さんのお使い?』
不意に電話口の向こう側から、結望ちゃんの声が微かに聞こえた。そしてそのまま黙って二人の会話に耳をそばだてていれば。
『まぁ多分…?』
『なら私は大丈夫だよ!材料切るのはしてくれたし、あとは煮込むだけだもの!』
『そう…?』
『うん!任せて!』
『……じゃぁお願いするね』
仲睦まじい少女達の、そんな会話。
勿論食事の予定というものを失念していた上に突然呼び出した若干の申し訳無さで和むに和みきれない心境ではあったが……まぁ決まったものは素直に甘えさせて貰おう。
『ん、お待たせしました。今からそっち行けば良いですか?』
「あぁ。用意はこちらでしておくからそのまま来ておくれ」
『はーい』
返事から一拍置いて、電話が切れる。と同時に家の庭に気配を感じ、「すまほ」を仕舞いながら居間の襖を開ければいつも通り異世界の服、確か「ぱーかー」とやらを着てこちらを見上げる弟子がいた。
「済まないね、急に呼びつけて」
「まぁ今に始まったことじゃないからもう良いですけど……」
そうぼやきながら、丁寧に揃えて靴を脱ぎ縁側に上がって来る。そんな弟子を連れて居間と私の部屋に行くと、着物用の小道具達で散らかる惨状を見て察したのか弟子は少し嫌そうな顔をしつつも諦めたように服を脱ぎ始めた。
「……まだ着物は慣れないのかい?」
「慣れませんよ…。着るの難しいし」
そう言いながらげんなりと。
まぁ確かに弟子のよく着ている異世界の服に比べれば少し工程が多いのは事実だろう。
だが弟子がこの国で生活を始めてからもう一年以上が経つのだし、そろそろ慣れた方が何かと便利なはずだ。何より何故か本人は「和服似合わないもん」なんて言うが、和の国の人間と顔立ちや髪色はあまり変わらないのだから似合わない訳もなく、むしろ……。
「しかし折角君は似合う体型を──」
「それ以上言ったら帰りますよ」
「……」
言葉を遮りながら容赦なく鋭く尖った声と気を向けられ、思わず押し黙る。それから密かに内心で溜息を吐いた。
弟子が私の家で大儺の修行に励んでいた頃。
何度か共に風呂に入っていたが、その時思わず「君は慎ましい胸だね」と言ってしまってからは全く共に入ってくれないようになり、今でも体型の話を出すとこうだ。
と言っても私としては彼女の片手に収まるくらいの大きさは着物を着る時に着崩れしにくく姿も美しく見えるので褒めたつもりだった。何せ弟子よりやや大きい程度の私はともかく、かなり大きめの結望ちゃんは中々に苦労している。だが弟子ならば好きな物が着れるだろうし、それで着物に興味を持ってくれるのなら是非色々な物を買い与えてやりたかった。そうやって甘やかしながら弟子を着飾るというのも師匠の特権だろう。
しかし文化の違いなのか、弟子は自身の物を小さいと認識しておりかなり気にしていたらしい。それ故に私の言葉を煽りと受け取り、未だ許してはくれず今でも私がその手の話をしようとすれば非常に冷たい視線を向けて来る為、下手に弁明も出来ず今に至る。
(まぁ説明したところで相変わらず着物に興味は無いようだし、なんの意味もないだろうけれど…)
再び、心の中で溜息。
だがそんな弟子でも一輪堂の手伝いの為にどうしても必要だと言えば素直に着てくれるのだ。そう、今のように。
「これ、こうやって結ぶんでしたっけ…?」
「あぁ、合っているよ。だが伊達締めはもう少し上げた方が良い」
「こう…?」
そんなやり取りをしつつ、足袋を履かせ素早く襦袢を着せていく。
それが終わればいよいよ着物だが、弟子はどれでも良いと言うので最後まで悩んだ藍色の着物ではなく落ち着いた山吹色の着物に袖を通させた。
(…うむ、やはりよく似合うね。買っておいた甲斐があった)
弟子はいつも私の私物を着せていると思っているだろうけれど、実際は私が弟子の為に買っていた物を着せているのが殆どだ。それは勿論帯も同じで。
「帯はこれにしようか」
着付けも進み、あと少しという所で茜色の帯を渡す。
そうすれば弟子は素直に受け取ってから少しじっと帯に顔を向けて、それから私に……いや正確には私の付けている帯に視線を落とした。
「……なんか、色似てますね」
「ふふっ、たまには良いだろう?仲が良くて」
どこかきょとんとした言葉にくすっと笑い、そっと頭に手を伸ばす。
そんな私に弟子は一瞬固まってから頬を薄ら紅潮させて慌てたような反応をしていたが、恥ずかしげに小さく唸りつつも頭は素直に撫でさせてくれた。
……手を近づけるだけで怯えていた出会った頃とは大違いだ。
「ほら、背中を向けな。帯を結んであげよう」
「…うん」
いつもとは打って変わって、年相応の娘らしくしおらしい様子に笑いながらそっと帯を巻き、私は貝の口結びだが弟子には少し可愛らしく文庫結びに。
それから桜の摘み細工が付いた、これまた弟子用に買っていた帯紐を結んでやり、ようやく着付けを終えた。
「似合っているよ。姿見も見るかい?」
「あ、ありがとう…ございます」
「緩い所は?」
「大丈夫、です…」
如何せん弟子は細身。なので真っ先にその心配をしつつ鏡越しに弟子を眺め出来に満足していたが、当の弟子は最初こそ鏡を見て戸惑いながらも感嘆しているようだったものの、ふと何かに気づいたのか少し俯いて腹部に手を当てていた。
だから最初は帯がきついのかと思ったが、よくよく手元を覗きこめば帯紐の摘み細工を触っていて。
「…気に入らなかったかい?」
「あっ、いえ!ただその、綺麗だなと思って……」
そうは言うが、その割にはどこか浮かない声。
なのでどうしたのかと思ったが、ふと思い当たること……つまりは私がこの帯紐を弟子用として買ったきっかけを思い出して、小さく笑いつつ袂から「すまほ」を取り出し、そこにぶら下がる手作り感溢れる桜の摘み細工の飾りを揺らした。
「あぁ、ここでもお揃いだったね」
「……!ちょ、ちょっとラギさん!それまだ付けてたの?!」
すぐさまぎょっとしながら慌てたように弟子が手を伸ばし私から飾りを「すまほ」ごと取り上げようとしてくる。だが下駄を履いておらずとも背は二寸程私の方が高いのだから同じく背伸びをすれば届かないし、「着崩れてしまうよ?」なんて言えば弟子は悔しそうにしながらも諦めて背伸びを辞め手も下ろした。
「はぁ……。こんなに綺麗な摘み細工の帯紐買えるならそっちも付け替えて下さいよ…」
「確かにそれは綺麗だが、私には君の作ってくれたこれの方が余程価値があるのさ」
悟らせないように、笑いながら。
けれどこの言葉は紛れもない私の本音だった。覚の力が私には通用せず、ましてや他人からの好意を受け取るのが苦手な弟子にはきっとまだ、伝わらないだろうけれど。
「え~。というかそれ、私が上げたんじゃなくてラギさんが勝手に持って行ったんじゃないですか……」
「君が失敗したと言って持て余しているようだったからね。悪いが、取り戻すの諦めておくれ?」
「もう……。それ、人に見せびらかさないで下さいよ?」
「おや勿体ない。折角弟子からの──」
「見 せ び ら か さ な い で、下さいね?」
「……まぁ、善処はしよう」
圧に押し負け、少し苦い顔を浮かべる。
しかしようやく弟子は許してくれたらしく、呆れたように何度目かの溜息を吐きつつも少しだけ照れているような表情をしていた。
きっと、弟子が作ったこの摘み細工は初めて作った物というのもあり、あまり上手とは言えないだろう。それは誰よりも弟子が自覚している。だが、それでも私には嬉しくて仕方なかったのだ。
例え、ただ結望ちゃんに勧められて好奇心で作り始めた物を何となく私に贈ろうとしたのだとしても、弟子が私を想い私の為に作ってくれていたことが。
『摘み細工って昔から見た事だけはあって凄く好き。……折角作るならラギさんに日頃のお礼として渡そうかな?お店に桜の盆栽を飾っているから多分桜が好き……だろうし。でも上手く作れるか分かんないし、困らせちゃうかな……』
今でも触れながら力を込めれば、そんな想いを始めとした様々な記憶を読み取れる。
私の好む色合いを考えていたことも、他にも何かしようかと悩んでいたことも。
……当然、誰だって私を大袈裟だと言うだろう。
しかし私には、物の希少性や美しさなんかよりもたった少しの温かな「私に向けられた想い」というのが、何よりも貴重で尊くて大事だった。かつては得られなかったからこそ。
(済まないが、これは手放してやれそうにない)
小さく微笑んで、また優しく頭を撫でる。
それから、もう少しお洒落に頓着するようになれば今度は揃いの簪でも贈ろうかなと思いつつ、「すまほ」を袂に仕舞った。
出来ることならもう少しゆっくり弟子の反応を堪能していたいが、如何せん時間が無い。それは弟子も察しているようで、改めて白布の面を付け直して目を隠してから私を見上げた。
「……それで、今回はどうしたんですか?」
「実は今日の昼、黄丹の商人からこれを譲って貰ってね」
「箱…?」
「からくり箱だね。これをこうしてこうすれば……」
言いながら、読み取った記憶を頼りに複雑な工程を一手ずつ丁寧に辿っていく。そうすればようやく蓋が抜け、中身が露わとなった。
「わっ、綺麗な指輪。……これが曰く付きか何かなんですか?」
「よく分かっているじゃないか。まぁまだ詳細は読めていないが──」
そっと年季の入った指輪を取り出し、じっくりと眺める。
大きさは恐らく女性用だろう。作られてから数年は経っており、箱の中で擦れたであろう小さな擦り傷や一部劣化は見られるが基本はそれなりにしっかり手入れがされていたと分かる物であり、特に装飾の大きな一粒の宝石……恐らく黄玉は未だ輝きを失っていない。しかしその割に入れ物である箱は仕組みこそ難解なものの指輪に見合う大きさや高価な物とは言い難く、そこにやや違和感を覚えながらも特に大きな想いを受けた時の記憶を掻い摘んで覗いてみれば。
「……どうです?」
「うむ、やはり放っておかない方が良さそうだね。どうやらこれは同居していた恋仲の女子に贈るはずだった物らしい。その為に随分奮発したようだ。内側に字が彫られているが……」
読んだ記憶を元にそう言いつつ指輪を少し傾けて観察してみるも、当然言葉は黄丹の物。私にはまだ読めそうになく、弟子に視線と指輪を向けた。
「ん?あぁ、これは…訳すなら「ジャクソンはアビーに愛を誓う」かな?多分婚約指輪……和の国で言うところの婚前に贈る櫛や簪のような物ですね」
「なるほどね。しかしこれを贈る前に家に侵入して来た輩に襲われたらしい。言い合いをしているのと先の名を口にしているのを見るに、横恋慕の逆恨みか何かだろう。……そのまま二人とも手に掛けられてしまったようだ」
「うわぁ……」
「…大丈夫かい?」
「うん…。でもそっか。この箱に入れてたのはプロポーズ……えぇと求婚前に彼女さんに見つからないように隠してたんですね」
「恐らくそうだろうね。そしてその後、犯人は事切れた男から零れ落ちたこの箱を腹癒せに盗み出すも、開け方も中身も分からず適当に売りに出し、それに尾鰭が付いて行ったのだろう」
指輪を通して覗ける記憶の中の会話は当然異国語での物なので断定は出来ないが、そう推測しつつ弟子が返して来た指輪を再度眺める。
感じられる憂いは最期の最後まで愛した者を想っていた証と後悔なのだろう。
(生憎私には……よく分からないけれどね)
長い長い年月を生きては来たが、強い恨みや殺意といった感情と恋仲の愛という物だけは未だによく分からないというか、抱けたことがない。まぁ分からずとも別に不便は無いのだし、ただ少し自分が薄情に思えるだけのこと。そう言い聞かせながら、明らかに浮かない顔をする弟子を見やった。
「……済まない、君には少し重かったね」
ただの人間であった時から弟子は非常に強い感受性を持ち、誰よりも優しく、そして誰よりも傷つきやすい娘だった。まだ親しくもなく警戒すらしていたであろう私の僅かな身の上話を聞き、涙を零すほどに。
そんな弟子が人の心を読み、そして感情に纏わる力を持つ覚となったのは因果と言う他ないだろう。当然その分心労は増す結果となっているが。
少し不安になりながら、優しく背に手を添える。
けれどすぐに弟子は顔を上げて、少し苦い笑みを浮かべた。
「大丈夫…です。それよりもこれ、持ち主だった亡くなった男性に返したいんですよね?でも商人さん協力してくれるかな…」
話を逸らすように、顔も逸らして。
その様子に心配は尽きないが、あまりそれを伝えても弟子には逆効果だと身に染みている。となればここは事態の解決を優先するべきだろう。その方が弟子も安心するはずだ。
そう思いながら、弟子の不安を思案。確かにこの指輪をあの商人に見せれば故人の想いなんて物よりも売って一儲けを望むだろう。何せ彼も金を払ってこれを仕入れたはずだ。しかし彼には悪いが私が優先するのはこの国の平安と物の存在意義を叶えること。たった一人の女の為に作られたこれは、その者の為にあるべきだろう。
「そうだねぇ、出来れば二人の墓に供えてやって欲しい所だが……まぁ脅せばなんとかなるだろう」
「えぇ…。でも脅すにしても二人の名前しか分かりませんよ?流石にそこからお墓を見つけるのは…」
「そこは恐らくどうにかなるさ。何せ相手は異国に来れる程の商人だからね。商人は知識が無ければ成り立たないのだから、見せる記憶を選べば場所の特定くらい出来るだろう」
「でも記憶って、どうやって見せ……あっ」
はっとする弟子に、にこりと笑みを返す。
やはり聡い子だ。そうしみじみしながら、自室の押し入れの方に目を向けた。
「ということで、箱に詰める為の綿を探して来てくれるかい?恐らく君の方がどこに何があるかは分かっているだろうしね」
「それはそんなに自信満々に言うことじゃ……まぁ今更ですね。それに、そっちは私には出来ないし」
「あぁ、任せておくれ」
何の為に、そして何をするかを説明するまでもなく察してすぐさま探しに行くのを横目に、私も返事をして早速仕事に取り掛かる。
とは言っても特別な準備なんかは何もなく、ただ箱と指輪をそれぞれ手に乗せ読み取った記憶を頼りに過去を想起しながら力を込める。それだけだ。
──戻れ。傷付き朽ちる前の姿へと。
そんな、確かな祈り。
自然の理をも捻じ曲げる、想い。
そうすれば応えるように、傷も欠損もみるみるうちに最初から何も無かったかのように直っていく。
これは物の記憶を読み取る力であったり付喪神に関する力とは大きく異なり、本来あってはならない力だろう。
だがこれこそがこの和の国で唯一私にだけ許された、私たる力。物に纏わる力の中で、最たる権能。──朽ちを意のままに操る力。
(…シェイムには悪いが、この力だけは教える訳にいかないね)
ふと彼の顔がよぎり、内心で苦笑いを浮かべる。
彼が結望ちゃんやその父である類、そして弟子のように誠実で口が堅い信頼に足る者であればまだしも、あそこまで知識に貪欲で尚且つ腹の底の知れない相手とあれば……まぁ隠し事があるのはお互い様だろう。
多少であれば利用されてやっても構わないが、流石にこの力でまた振り回されるのは御免だ。それ程までに簡単に人々の在り様を変えてしまう力なのだから。
「ラギさん、綿これで良いですか?」
「ん、あぁ大丈夫だよ」
弟子の声に顔を上げ、一瞬彼女の手元を確認する。
それからにこりといつも通りの笑みを返しつつ、綺麗に直った箱と指輪を手渡した。と言ってもからくり箱の方に関しては直したのは内側だけで外側は商人に怪しまれないようそのままだが。
「わ、凄く綺麗になってる…。あとはしっかり緩衝材を入れなきゃですね」
そう言いながらてきぱきと箱に綿を詰め、丁寧に指輪を収めていく弟子を眺める。これならきっと航海を経ても傷つくことは無いだろう。あとはそれらしい札でも貼っておけば万が一にも開けようとはしないはずだ。
「よし。これで良いですか?」
「あぁ。後は……」
「御札?」
「ただの邪鬼避けだよ。こうしておいた方がそれっぽいだろう?」
「まぁ確かに」
「それに異国の者に効くかは分からないが怨霊の浄化も多少は出来る物だ。仮に元の所有者がそうなっていても、札と未練の品があれば成仏出来るかもしれない」
「なるほど…。……今日のラギさんはちょっと優しいですね」
「おや、いつだって私は優しいだろう?」
にっこりとしながらそう言えば、弟子はやれやれとでも言いたげな顔で呆れていた。だが確かに弟子の言う通り私は基本的に人間に無関心であり、付喪神が絡む問題に関わるのは当然付喪神や物の為だし、邪鬼から人間を守ることがあってもそれはその場に居合わせてしまったが故の渋々か、心を痛めるか巻き込まれるかしかねない友の孫娘や弟子、それから同族の為だ。
それは今回も同じで、つまりは指輪に邪鬼が宿りこの国で面倒事を起こされ同族が迷惑被るのを防ぐ為というのと、故人に心を寄せてしまう弟子の気を晴らす為、そして物の本懐を曲げぬ為。
物は、使われてこそだ。
だが「誰かの為に作られた物」というのは、その殆どが他の誰かに使われることよりもたった一人の為にあることを望む。──私がかつて幾度となく看取って来た付喪神達のように。
(そういう訳だから、まぁ元の所有者の為とは……言い難いね)
勿論、元の所有者がそれだけこの指輪に愚直で誠実な強い想いを宿し、本当に大切にしていたからこそ願いを叶えてやっても良いかなと思った節もあるにはあるが……。
ともあれそんな訳で世話を焼いてやることにはしたが、逢魔時まであまり時間は無い。
あの商人が帰国してしまう前に、そして他の者……特にシェイムに気取られぬよう返す好機は今だろう。
「さて。これを持って庭用の下駄を履いて待っていておくれ。鏡を持ったらすぐに出る」
「はいっ」
弟子に札を貼ったからくり箱を持って庭に向かわせ、その間に私は店内の方に行き文机の引き出しから絹にくるまれた漆塗りの手鏡を取り出す。それから商品棚に目を向け、紫紺色の印籠を手に取った。
「少しばかし驚かせてやりたい者がいてね。君の力を貸してくれるかい?」
私以外の姿は当然見えない場で、そう独り言ちる。けれどその声に答えるように印籠の根付が一人でに揺れた。それは、紛れもない付喪神からの了承の印だ。
「ありがとうね」
小さく微笑みながら言葉を返し、帯に根付を掛けて印籠をぶら下げ、鏡は懐へと仕舞い込む。そして最後に下駄を手に庭へと向かえば弟子はからくり箱を大事そうに抱えながら私を待っていた。
「お待たせ。異人館の傍にお願いするよ」
「はい」
庭に降りては差し出された手を取る。
そうすれば一瞬の花の香と共に僅かな浮遊感。それが終われば、風景は庭から今日シェイムと共に使った路地裏へと変わっていた。
「それじゃぁ行こうか」
時刻はもう少しで逢魔時。
お陰で人通りは無く、静かなものだ。
だが異国の民である黄丹の者達は和の国の文化に疎く、逢魔時もなんとなく外に出ては行けないらしいくらいしか認識していないことが殆ど。なので本来致し方ない急用はともかくとして、この時間に親しい者以外を訪ねるのは非常識に当たるのだが、まぁ彼らは別に気にしないだろう。
ということで「すまほ」を見ながら商人への挨拶を考えているらしい弟子と共に異人館に向かい、目的の部屋まで行って戸を開けると予想通り商人は普通に品の手入れをしており、私達に気づいても客が来たと嬉しそうにするだけであった。
「アァ!アナタ、ヒルノ!」
「やぁ。先程はありがとうね。しかし……実は君から譲り受けた物について、少し相談があるのだよ」
「ソウダン?」
きょとんと首を傾げながら独特の音調で言葉を繰り返す商人を前に、言葉が通じているのか少し心配になる。だがそれを見越したように、すぐさま弟子が面で隠れていない口元に淑やかな微笑みを浮かべ胸元に手を添える礼をしてから間に入った。
「Excuse me. I will now speak on behalf of the owner」
(失礼致します。ここからは店主に代わり私が話を勤めさせて頂きます)
「Oh, you speak our language too」
(おぉ、貴方も我々の言葉が話せるのですね!)
「Yes. But I am still learning, so please be gentle with me」
(はい。ですがまだ学んでいる最中ですので、お手柔らかにお願いしますね)
「I understand. So, what is the consultation」
(分かりました。それで、相談とは?)
「In fact, this box was a curse. It belonged to the first owner」
(実はこの箱は呪われています。最初の持ち主の物です)
「What do you mean But I didn't hear anything about that…. And what is this piece of paper」
(な、なんですって?ですがそんな話…。それに、なんですか?この紙切れは)
繰り広げられる異国語の応酬。
勿論私にはたまに理解出来る単語があるだけで繋げた文の意味は全くと言っていい程に分かっていないのだが、怪訝な表情を浮かべながら札へと手を伸ばす商人を見ればおおよその状況は分かった。
「あっ、それは」
傍からすれば、明らかに慌てた声。
しかし弟子をよく知る私からすれば、紛れもない演技の声。
それは間違いなく、私への合図だろう。
(頼むよ)
とんっと、軽く印籠に触れる。
そうすれば商人が札の端を少し剥がすと同時に、からくり箱は一人でにかたかたと音を立てて揺れ始めた。
「What」
部屋に響く悲鳴。叫びながら後退り尻餅をつく商人。
だが直接箱を持っていた弟子は大きな声にこそ少し肩を上げたが、箱が突然揺れたことに対してはまるで無反応で、反射的に手放すなんてこともしなかった。
つまりは私が印籠を持って来たのを見てこうなることを察していたのだろう。
(この印籠に宿る付喪神が「自身と同じ部屋にあり、人が一人で動かせる大きさの物なら自由に動かせる」という力を持つこと、説明したのは結構前なのだけどね…。やはり覚えていたか)
わざとらしい声を出すからそうだろうとは思ったが、なんとも聡いというか策士というか。いくら不慣れな言語で話しているとはいえ口達者なはずの弟子が軽率に怪しませ札に触れさせたのも、狙ってのことだろう。現に商人はすっかり震え上がってしまったが弟子はそこで止める訳もなく、ちらりと私を振り返ると顔を隠している白布の面に[記憶見せてあげて下さい]と文字を一瞬浮かべた。
……なんというか、つくづく容赦ない。
だが同時に「流石上手く面を使いこなしているな」という感嘆もあり、内心でくすりと笑いつつ小さく頷き返した。
「大丈夫かい?」
未だ混乱しているらしい商人の元に歩み寄り、背に手を添え軽く体を支える。そうすればようやく少しは落ち着いたらしく、事を問いたげな目を向けて来た。
「What the hell was that…」
(今のは一体…)
が、当然彼の言葉は私には分からない。
まぁ何か説明を求めていそうなのはなんとなく分かるが、それよりもとっとと話を進めた方が早いだろう。ということで、言葉は無視して懐から手鏡を取り出しては傷一つない鏡面を商人へと向けた。
「落ち着いたばかりで済まないが、これを見てくれるかい?その方が理解しやすいだろう」
「Mirror…」
「あぁ。少し特別な、ね」
覚えのある単語ににこりとしてから、指輪と箱から読み取った所有者の最期の記憶を思い浮かべ「見せたい」と意識する。そうすれば鏡は私の願う通りに、流石に無音ではあるが記憶の光景を映し始めた。
「W, What is this」
(こ、これは?!)
「This mirror reflects the root of the curse. I believe what is being projected is a memory of when the original owner was murdered」
(これは呪いの根源を映す特別な鏡。映し出されているのは元の持ち主が殺された時の記憶でしょう)
「Oh, my God……」
(なんてことだ……)
驚きと動揺から一転、弟子の言葉は分からないものの商人が顔を片手で抑えながら悲哀の声で呟くのを見るに、記憶を見せた甲斐はあったらしい。それならと出来るだけ辛い場面は映さないようにしつつ、説得する弟子を見守った。
「Did any of the people who got this get sick, suffer misfortune, or die prematurely」
(今までこれを持った人の中で、病気になったり不幸な目に遭ったり早くに亡くなったりする方はいませんでしたか?)
「…… Y, Yes No way…」
(……!い、いた!まさか…)
「She is a species that has the same role as an angel in your country. She realized the curse and sealed it with this paper. But this is a temporary measure. Letting go now may not break the curse on you」
(店主は貴国で言うところの天使と同じ役目を持つ種族です。彼女は呪いに気付き、この紙で封印しました。しかしこれは一時的な措置です。今手放しても貴方への呪いは解けないかもしれません)
「Oh, no」
(そっ、そんな!)
「But if you return this to its owner…… , the curse should be lifted」
(ですがこれを持ち主の元に返せば……呪いは解けるはずです)
「Having said that…… No, wait. The clock tower I saw in the mirror earlier through the window, that belongs to the capital. If you can see it in that direction, is that the South Ward And the fireworks that were going off were from the 50th anniversary of the founding of the city, so that was five years ago And then there's this The envelope says Jackson and Abby If I can find these names, maybe I can find their graves」
(そうは言っても……いや、待て。さっき鏡に映っていた窓から見える時計台、あれは都の物だ。あの方角で見えるなら南区か?それに上がっていた花火は50年に一度の建国祭の物だから5年前だ!あとはこれだ!封筒にジャクソンとアビーと書かれている!この名前さえ分かれば墓も見つけられるかもしれない!)
「Thank goodness. Now the curse is kept at bay by this paper. But I don't know how long it will last. ……Please don't ever remove it」
(良かった。呪いは今この紙によって抑えられています。ですがいつまで持つか。……決して剥がしてはいけませんよ)
「O, oh I'm on it」
(あ、あぁ!任せてくれ!)
勢いよく首を縦に振る商人と、安心したように表情を緩める弟子。……つまり、話は上手く纏まったらしい。
そう思って立ち上がりながら鏡を仕舞っていると、弟子に何を言われたかのは分からないが商人に激しく感謝しながら握手を求められ、一応笑顔を取り繕い応えてやるとその後商人は同じように弟子にも握手を求め……華麗に躱されていた。
(やはりまだ私や結望ちゃん以外に触れられるのは苦手なのか。まぁあの無警戒の象徴のような結望ちゃんもそれはそれでどうかと思うけれど……)
ともあれ、商人はしっかりと箱を抱えて何度も頭を下げながら私達を見送ってくれた。あの様子ならきっと問題なく返してくれるだろう。そう、安心しながら外へと出たところで。
「はぁ〜〜〜、なんとかなって良かったぁ……」
人目が無いのをいいことに、盛大な溜息を吐きつつ力が抜けたように項垂れる弟子。その姿は先までの上品な立ち振る舞いの影もない。が、そこは気にせず優しく頭を撫でてやった。
「そう緊張せずとも、問題なく話せていたじゃないか」
「あれでも簡単なことしか言ってないですよー...。こっちの言葉で言うなら、「この箱は呪われてる。前の持ち主のせいだ」とか「封印した。しかし一時的だ」みたいな。多分結構ぎこちなく聞こえてたと思いますよ」
「それでも伝われば充分だと思うが……。それに、彼の言葉は分かっているのだろう?」
「いいえ?少しは分かるけど全部は無理なんで普通に読心術使ってます。そしたら私にも理解出来る言葉で心が読めるので」
「……なるほど」
覚である弟子の読心術は、生き物の心を自身の“目”を通して読み取るもの。弟子曰く視界に対象の使う言葉ではなく弟子の慣れ親しんだ言葉で文字が現れ、それが声となり頭に響く感覚らしい。なので異国語を話す者は勿論、人の言葉を話さない種族の心も「今考えていること」に限れば問題なく読むことが出来るというのが、私の物の記憶を読み取る力との大きな差だ。
「特に場所を見つけた時の……凄い速さで凄い沢山話してた時のやつなんて殆ど聞き取れませんでしたよ」
「まぁあれはね……」
げんなりした言葉に苦笑いをしながら、先を思い返す。
確かにあれは……速かった。それでも弟子は一切動揺を出さなかったが、それだけ上手く読心術を使えるようになったようで少し安心だ。他の覚の力の制御は、やはりまだ面が必要なようだけれど。
そう思いつつ、共に来た道を戻っていく。
時刻はもう逢魔時を迎え、辺りはひっそりとしているが元大儺と現大儺からすれば別にこの時間は邪鬼が出やすいだけで他の時間も出る時は出るのだから気になるものでもなく。結局そのまま呑気に歩きながら話し込んでいた。
「ところでラギさん。お昼は通訳の人でも雇って行ったんですか?なんか「貴方も話せるんですね」って言われましたけど」
「ん?あぁそうだよ。偶然出会った者が通訳出来ると言うから腕試しがてら同行させたのだが……あまり怖がらせる訳にも行かないからね。やはりこういうことの対処は慣れている君に任せようと思ったのさ」
しれっと嘘を混ぜながら、にこやかに。
だが弟子の読心術は私には効かないし、ただの嘘だけならすぐ見抜かれるが如何せん今回は殆ど嘘を吐いていない。となると流石の弟子でも怪しむことは無く、それよりも私の言葉に噛み付いた。
「慣れてるっていうか、あちこち連れ回されて慣れさせられたというか……」
「良い経験になっただろう?」
「なりましたけどもー。……まぁでもこの街にもやっと通訳出来る人が増えてきたんですねぇ〜。てことで、ラギさんも学びませんか?」
「教えるのは難しいから嫌と言って単語しか教えてくれないのは君だろう……」
「だ、だって……!でもほら、今日お世話になった通訳さんに教えて貰うとか!」
名案と言わんばかりに押し付けようとする弟子の提案から、すっと顔を逸らす。
確かにシェイムには人に教えられる程の造詣があるだろう。しかしそんな彼を怪しませることなく上手く納得させられかは微妙だ。なんせ私が学ばずとも彼に通訳を頼めば良い話だし、知的好奇心でと言い訳するにもそれだと業務外の仕事ということになってしまい……面倒なことになる、気がする。主に対価面で。
「……まぁ予定が合えばね」
もし上手く理由をつけて教えて貰える機会があれば聞いてみるとして、とりあえず今は辞めておこうと結局そう誤魔化す。そうすれば弟子は少しきょとんとしたが、すぐに「あぁ」と納得していた。
「そっか。通訳出来る人なんて引っ張りだこですもんね……。今天満に常駐してる人は三人しか居ないんでしたっけ」
「そうそう。それに、仮に私が話せるようになっても君を連れていくのは変わらないよ」
「えっ?!」
「残念ながら、どう学んでも君のその観察眼に適う物はないのさ」
勿論私が当てにしているのは弟子が覚だから、という理由だけでは無い。それを抜きにしても人を見る目があり、そして良く機転が利くからこそ頼める。……まぁ私が楽をしたいというのと、何かと理由をつけて弟子を構いたいというのもあるが。
「はぁ……」
「今回だって上手く説得してくれただろう?」
「あれは……まず鏡を「呪いの根源を映すもの」て嘘吐きました」
「あはは、良い誤魔化し方じゃないか」
「あとはバーナム効果ってのがあって。今まであの箱を買った人の中に病気になったり早くに亡くなったりした人はいませんか?って言ったんですよ」
「……なるほど。誰にでも普通に当てはまるであろう事だがそれを言い当てられたと思い込み、呪いの存在を信じたのか」
「そういうことです。まぁあまり強く呪いを信じ込ませるとこの世界じゃ現実になっちゃいそうだけども……それはそれで御札が本物であることも信じてくれてるので大丈夫かなって」
「そうだね、なんとかなるだろう」
そう言いながら、遠い海の彼方に少しだけ目を向けた。
私に出来るのはここまで。後は彼らの運と想い次第だろう。
「さてと。ラギさーん。手」
「ん、あぁ」
念には念をと路地裏に入り私に手を伸ばす弟子の声に振り向き、そのまましっかりと手を握る。そして一輪堂に帰って来ては、弟子に散らかしすぎだと文句を言われつつも二人で片付けに勤しんだ。