居候の始まり「逃げるぞ!」
そう言って、名前も知らない魔術師がオレの腕を掴んだ。……オレが盗賊だって、分かってて掴んだ。
オレがどうなろうとアイツにはこれっぽっちも関係無かったのに、アイツは真っ直ぐオレを見て──
❖
ふと目が覚める。
それから先程と太陽の高さが殆ど変わらないのを見て、溜息を吐いた。
……あの時、白髪に新緑みたいな目の青年はオレの腕を掴んで何かしら魔術を使ったらしい。直後に眩い光に包まれた事と、何か問い掛けるような声が聞こえた気がするのは覚えている。が、次にオレが目を覚ました時には周囲には青年も青年を誘拐した魔術師集団ことメマスも居なければ、場所も全く知らない野原でメマスが目を付けていた物であろう水晶の欠片とオレ1人が倒れていた。
「アイツ何したんだ……?」
助けられたのか、嵌められたのか。
少なくとも夢を見ている訳ではないらしく、試しにナイフで軽く斬った腕は未だ痛むまま。
となるとあのメマスの奴が言っていた、異世界という可能性が脳裏をチラついて仕方なかった。言われた時は本気で「何言ってんだコイツ」と思ったし、今でも半信半疑だが……如何せん、近くの森に入ってみれば見た事無い植物ばかり。まぁ別の国と言われた方がまだ納得ではあるが、どちらにせよ話の通じる人間を探さないことには始まらない。
そう思い、森を歩き始めたのが5日前。
山があったのでそこからなら何か見えるだろうと登ったけれど、見えたのは緑だけでやっぱりセレスタとは全く似ても似つかない土地らしい。本当にどこだここと思いながら彷徨い続け、なんとか食は木の実やら捕まえた鳥やらで対処出来ているが、不慣れな地と時折何らかの気配を感じるせいで睡眠は全く取れていなかった。ただでさえエイダンに行った段階で1週間近く寝ていなかったのに。
という状況、今回も睡眠は上手く取れず再び溜息を吐いては木の枝から飛び降りて、仕方なく川に沿って下流へと歩き始めた。
……本当は、あまり川の傍は歩きたくない。水と魚が得られるのは助かるが、それは他の生き物にとっても都合が良いということ。人間に会うなるまだ良いが野生動物、特に大型は今の体力だと勘弁願いたい。そう思って必要最低限にしか近寄らないようにしていたが、今はもう水分補給の為に川を探す体力も勿体ないように思えて、浅い考えながらこうせざるを得なかった。
「町とか一切ねーの…?」
最早、人間がいるかも分からない。
そう思いつつ吐いた弱音。けれど死ぬのだけは勘弁だと歩き続け、僅か数時間後。
「ひ、と……?」
森の中で、1本だけ周囲とは異なり花を付けた木が目に入った。それがなんとなく気になって近づいてみれば、木の根元で小さな石を前に何かに祈りを捧げているらしい、布面を付けた……恐らくオレより4、5歳上の女の姿が見えついつい声が漏れる。
だってまさか下流に向かうと決めて数時間で人間が見つかるとは思わなかったし、その女は見るからに軽装で……つまり、近くに住んでいるはず。ならここがどこか分かるかもだし、セレスタに帰れそうなら帰って、そしたらやっと寝れる、そう思った。──そう思うくらいしか、頭が回らなかった。
「…!……だ、れ…?」
オレの僅かな声に気づいたのか、女は慌てて立ち上がり不安そうに胸元に片手を当てながら少し後退る。だがオレとしては折角の情報源を逃がす訳にも行かなくて、慌てて駆け寄ろうとした。声を紡ごうとした。
けれど一歩踏み出すと同時に視界は歪んで。
「っ……」
「えっ。……!」
グラリと体が傾く。同時に女の驚いた声が聞こえた……と思いきや、体の傾きが止まる。最初は何が起きたか分からなかったが、どうやらいつの間にか傍に来た女に支えられているらしい。
「大、丈夫……?」
「……寝れる、場所…」
心配そうな声に、もう都合が良いとかそんなのも考える余裕もなく小さく素直に言葉を返す。──あまりにも自分らしくない。こんな無警戒、いつもなら有り得ない。
けれど何故だか少し、この女を見ているとあの呆れるくらいお人好しの青年が頭を過ぎって気が抜けてしまった。もしかしたら助けてくれるかな、なんて淡い期待を抱いてしまった。いつもなら、絶対にそんな油断しないのに。
「寝たいん、です?」
「う、ん……」
「……分かりました。もう大丈夫ですよ」
朦朧とする意識の中で言葉を絞り出せば、優しい声が聞こえ……そこでオレの意識は途切れた。
❖
暖かい。程良い風と鳥、それから木々の音が心地良い。
そんな感想を抱いたのは、いつぶりだろうか。
それから、この慣れない体の感覚も──
「ぅ、ん……?」
重い瞼を上げる。同時に体の違和感に気がつく。
そして直ぐに自分が寝転んでいると自覚すると、吐きそうになる程の焦燥感が襲いかかった。
「っ!はっ、は、はぁ、はっ……」
ガバッと起き上がり、荒くなった呼吸を繰り返す。そうすればどんどん目眩は酷くなって、余計に呼吸が乱れていく。
「(苦…しい……)」
そんな言葉も声にはならず、必死に耐える。耐えようとする。けれど耐え切れそうになくて──
「大丈夫!?」
いよいよ意識が途切れそうになった所で、聞き覚えのある声がした。と思ったら直後には暖かい何かに包まれ、一瞬息が止まる。同時に背中を一定の速度で上から下へ、そしてまた上から下へと優しく撫でられた。
「この速さに合わせて息を吸って、吐いて下さい」
状況は分からない。けれど声にも言葉にも暖かさにも敵意だけは感じなくて、少し落ち着いた。更には言葉の通りに呼吸をすれば段々気分の悪さも目眩も無くなって、気づいた時にはオレに付き纏う寝転べない原因たる「死への大きすぎる恐怖」もすっかり鳴りを潜めていた。
「……大丈夫?」
「う、ん……」
ようやく言葉を返す。
それからユルユルと顔を上げれば、立ち膝を付いたあの面の女に抱きしめられていたと理解した。ついでに今更辺りを見回せば、初めて見る建築様式だが清潔感も温かみもある部屋に寝かされていたらしい。
「お、れ……」
どうしてたっけ。
そう思いながら、ぎこちない言葉を零しつつ碌に回らない思考を巡らせる。
確か森の中でこの女に会って、それから──
「ここは、私の住まわせて貰ってるお家です。寝たいって話だったからここまで運びました。貴方が意識を失ってからまだ3時間くらいです。……覚えてますか?」
言葉を紡ぐより先に、察したように女が口を開く。
淡々とした口調で、けれどしっかりと聞き取れるようにゆっくりとしたテンポで、内容は必要最低限を明瞭に。
お陰でぼんやりとしたままの頭にもすんなり言葉は入った。
「おぼえ、てる」
「良かった。でもあまり寝れては無さそうですね。悪夢でも見ました?」
体は支えたまま、けれど少し離れた女の冷たい手が頬に触れる。それになんだか心地良さを覚えつつも、素直に小さく首を横に振った。
「いや……寝転んで、寝れない…」
「え?あぁなるほど。ごめんなさい、驚かせちゃいましたね」
「大、丈夫……」
殊の外、あっさりと。
今までに寝転んで寝れない事を伝えた相手は尽く根掘り葉掘り理由を聞いて来ようとしたが、女はそれをしなかった。それどころか軽くオレをまた撫でて、首を傾げて。
「座って寝直します?それともご飯とお風呂済ませます?」
「め、し?」
最後にまともな料理というものを食べたのは、もう何日前だろうか。ちゃんと寝た日よりも前な気がする。一応現在の体調で考えれば食より睡眠を優先すべきではあるのだが……。
「えぇ。今、家主の子が作ってくれてるんです。私のこと住まわせて面倒見てくれてるような、すっごく優しい子なので安心して下さいね」
「……」
「あ、勿論先に寝ても大丈夫ですよ。ご飯はちゃんと置いておきますから」
ニコリと、面に隠れていない口元が微笑む。
けれどどうせ後で食べるのなら、出来たてが食べたい。温かな食べ物を食べたい。美味しい物を食べたい。そう思い始めたらもう、眠気どころではなくて。
「……たべ、る」
「分かりました。それじゃぁここにご飯持って来ますね」
「うん」
そうオレが頷くと、すぐに女は立ち上がり横開きの変わった扉を開けて出て行った。と思いきや、すぐに女と知らない……多分、オレより歳下か歳の近そうな女の話し声が小さく聞こえてきて。
「あ!あの子、大丈夫だった……?」
「はい。ただあまりよくは寝れなかったみたいで。それで先にご飯を食べる、と」
「そっかー。うん、分かった!それじゃぁこれを仕上げて…」
「あとはこれ?」
「うん!折角だし私達も一緒に晩御飯食べちゃおっか!」
「そうですね、そうしましょ」
仲の良さげな会話。まるで警戒心は無い。
更にはぼんやりしながら少し周囲を確認すればオレの持ち物は枕元にきちんと全て、武器も含めて置かれていた。
「(平和な所ってことなのか、油断させる為なのか……)」
降って湧いた当然の疑念。
けれど少しだけ、疑いたくないという気持ちはあった。
そんなこと今まで考えたこと、無いのに。
「(寝不足のせい……だな)」
そう自分に言い聞かせ、小さく一呼吸。
利用できるものはとことん利用するつもりだが、油断したせいで死に瀕するのだけは勘弁だ。オレはまだ、死にたくない。……別に生きたい理由がある訳では無いけれど、死ぬのだけは。
そっと枕元に置かれていた荷物の中からレッグシースを手に取り、足に巻き直す。本当は他の片手剣やらポーチも身につけたかったがあまり警戒させても良くない。そう思って最低限の武器だけ……まぁ、他にも服の下に暗器は色々仕込んでいるが、やっぱり使うならこのナイフが1番だ。そう思って準備を終えた所で、足音が近づく。
「お待たせしました」
「お待たせー!」
「……狐?」
変わらず面をしていて口元しか見えない女と、元気良く……頭上の狐耳を揺らす女、というか少女。
その姿に思わずキョトンとすれば、狐耳の女はニコリと笑って。
「うん、そうだよー!私達、妖っていう種族なの」
「あやかし……?」
「……。まぁその話は後にして、今はご飯にしましょう。喉も乾いたでしょう?」
そう言って面の女から水の入ったカップのような物を渡され、少し水面を眺めてからすぐに飲み干した。喉の乾きを癒す為、そして油断をさせる為。
けれど嚥下にはなんの違和感もなく、2人も大して反応はせず。その様子に少しホッとしていると、狐耳の女が深皿をオレの前に置く。
「まだ体調悪そうかなって思って、雑炊にしたの!口に合えば良いのだけれど……」
「……ん」
雑炊というものが何かは知らない。けれど見た目はリゾットに近く、米だけでなく卵と細かく切った鶏肉が入っているらしい。香りは全くリゾットと違うが……悪くない。
「(温かい飯……。いつぶり、だろ)」
そっと皿を持ち、渡された変わった形のスプーンで口に運ぶ。そうすれば何とも優しい味が口に広がって、いくらでも食べられると思った。思うくらいに、美味しかった。
「わわっ、喉に詰まらせないようにね!?」
「あと火傷も気をつけて下さいよ?」
そんな声が聞こえる。けれどそれは頭の片隅にしか残らず、ただ夢中で掻き込んだ。
「はぁ……」
「わぁ、あっという間だったねぇ〜」
「気に入ったようで何よりですよ」
結局ものの数分で完食し、皿を降ろす。
そうすれば2人は少し驚いたような感心するような反応をしていたが、特に怒る訳でも無く。むしろ。
「おかわりあるけど、食べる?」
「あと飲み物のおかわりも要りますか?」
「………食べる、し、飲む」
「じゃぁお皿借りるね!」
そう言うとすぐに狐耳の女はオレの皿を持って部屋を出ていき、面の女はポットのような物でカップに水……ではない、緑ぽい透明な液体を注いだ。あまりにも至れり尽くせりでなんだか変な気分だ。まぁ貰える物は貰っておくけれど……明らかに水ではない液体については少し、戸惑った訳で。
「…?」
「あ、お茶です。苦手ならお水に替えてきますよ」
「おちゃ…」
察したような回答に小さく言葉を繰り返す。それからそっと飲んでみれば、初めての味ではあったけれど風味が良くて意外と美味しい。そう思ってまた一気に飲み干せば、すぐに追加を注いではくれたが。
「この国の一般的な飲み物です」
「……」
面の女の言葉に、思わず目を逸らす。
出来ればあまり怪しまれたく無かったが、すっかり油断していた。本当に自分らしくない。けれど流石にセレスタから出た事なんて片手で数える程しか無いのに事前情報無しの全く知らない土地で上手く馴染めというのは無理がある話だ。
「なんて国から来たんですか?」
「……セレスタ」
真っ直ぐ聞かれ、観念して答える。あわよくば何か手掛かりが欲しいと思いながら。けれど。
「んー、聞いたことないですね。というかここまでどうやって来たんです?」
「どうって……歩いて」
「……なるほど。やっぱり異世界から来ました?」
「…………へ?」
質問の意図が分からずそのまま答えた、はずが予想外の返答に間の抜けた声が出る。頭が混乱する。でも面の女は少し困ったように苦笑いするだけだった。
「ここ、島国なんです」
「し、ま……?」
「はい。他の国から来るなら絶対に、船じゃなきゃ来れない」
「……」
「けれど貴方の装備はどう見てもこの国の物じゃないですし。なのに言葉はちゃんと通じてて、でも出会った場所は海と真反対だったので多分そうだろうなって」
どうやら、最初から気づかれていて……そしてその上で、助けてくれていたらしい。見た目はやや怪しいが、どうにも頭の回る女のようだ。まぁそうなると勿論助けたのにも理由がありそうで気は重いが、とりあえず今は……逃げ出すにも貰える情報は出来るだけ貰っておこうと結論づけて、会話を続けた。
「……異世界って、ほんとにあんの?」
「ありますよ?というか、私も異世界からここに来た身ですから」
「え」
「経緯をお伺いしても良いですか?」
「…………分かった」
諦めて、溜息を一つ。
それから出来るだけ詳細はぼかして説明を始めた。
「セレスタのエイダンって田舎町に、魔族が残したらしい物があるって聞いて……」
「魔族?」
「人間以外の、魔法が使える奴らの総称。人間はたまに魔術師ってのがいる」
「なるほど」
「それでその……残した物見に行ったら、盗りに来てる奴らとソイツらに捕まって手伝いさせられてる現地民が居て……それに巻き込まれそうになったら、その現地民が……多分、魔術で助けてくれた。んだけど、気づいたら野原で倒れてて、そこから5日くらい彷徨って今日」
「い、5日も……。んー、ちなみにセレスタでは異世界って認知されてないんですか?」
「ない。……いや、その盗りに来てた集団の頭はその魔族が残したやつ使えば行けるはずって言ってたけど」
「……つまり、十中八九その遺物により異世界に飛ばされてしまった、と」
「多分……」
そう、あくまでも多分だ。なんの確証もない。少なくともオレはこんな話を他人から聞いたら信じなかったと思う。けれど目の前の女は真面目に聞いて、それから悩ましげな声を出した。
「うーん。知ってる異世界であれば送ってあげられたのですが……」
「え」
「え?」
「…………送って、くれんの?」
サラッと出た言葉に、思わず聞き返す。
けれど女はキョトンとしたまま、小さく首を傾げた。
「帰りたいならお手伝いしますよ?直接セレスタにお送りするのは出来なくても、色んな異世界と交流のある世界というのもありますから、そこに送ってセレスタ探しを手伝ったりー……あと、私のと……知り合いに、色んな世界を渡り歩いてる人がいるんです。なのでその人に聞いてみたり、とか。まぁそれでも見つからなければ、その助けようとしてくれた現地の方を探さなきゃですけど」
つらつらと、言葉が並ぶ。
そこから分かるのは、この女の要領の良さ。
そこから分からないのは、助けてくれる理由。
これをオレは、都合が良いと思えば良いのか警戒するべきなのか。
けれどその結論が出るよりも口を開くよりも先に、狐耳の女が皿を持って戻って来た。
「お待たせー!流石に飽きちゃうかなと思って柑橘醤油……えーっと、確かぽん酢?も作って来たの!味が濃いから、少しずつ掛けて調整してみてね!」
そう言って渡されたのは、さっきの深皿と黒ぽい液体の入った注ぎ口のある器。
……うん、色々考えるのは後にしよう。今の所は何も危害を加えてくる気は無いようだし。
ということで、「ん」とだけ返事してまずはそのまま1口。やっぱり美味しい。けれどポン酢とやらも気になって、言われた通り少しだけ掛けて食べてみれば。
「……!」
「どう?」
「……悪く、ない」
「良かったぁ〜!ふふっ、私もそれ好きなんだっ」
「良いですよね、ポン酢。異世界レシピ持ち込んだ甲斐がありましたよ」
「うん!ありがとうね!」
「いえいえ」
目の前で繰り広げられるなんともあっさりした会話。本当に異世界なんてあるんだと思うと、変な気分だ。けれど今は一旦置いておいて、また夢中で食べ進めた。
「はぁ……」
「あ、食べ終わった?おかわり要る?流石にちょっと……お米から炊かなきゃだから時間掛かっちゃうんだけど」
「いや……だい、じょうぶ…」
「そう?お腹膨れた?」
「大体、は」
「良かったぁ」
「……」
心底安心した屈託のない笑顔を浮かべる狐耳の女から、なんとなく目を逸らす。見た目からしてもオレと同じ16歳か17歳だとは思うけれど……なんだか、もっと歳下の子供を見ている気分だ。あの警戒心が全く無くて、疑う事も恐れも知らない純粋な……。
「(はぁ、調子狂う……)」
子供は苦手だ。何故か好かれるけども。
そう思いつつ、雑炊ではない料理を食べる2人をチラッと見ながら茶を1口飲んでは、なんとなく会話に耳を傾けた。
「あっ、そういえばやっぱり異世界の子だったの?」
「そうみたいです。でも帰り方が分からないみたいで」
「そっかぁ。うーん、それじゃぁ……分かるまでここで暮らす?」
「は?……けほっ、ごほっ」
唐突に振られた言葉に、思わず噎せる。そうすれば狐耳の女は「大丈夫?!」なんて言いながら驚いてアワアワしていたが、正直こっちの方が頭大丈夫かと聞きたい。……流石に聞かなかったけれども。
「はぁ……」
「ご、ごめんね?ちょっと急だった……よね?」
「急っていうか……」
「まぁまぁ、まずは色々説明なりなんなりしましょう」
「あっ、そうだね!えーっと……そうだ!先にお名前聞いてもいーい?」
「え。名前……」
「うん!私は桜月結望だよ!」
「私は綾月ゆの、です。私達名前似ててややこしいので、好きなように呼んで下さい」
「……」
流れるように、2人が名前を告げる。さも当然のように。
けれどそれは、盗賊として生きてきたオレにとっては異常というか……違和感というか。内心、盗賊に自己紹介するなんてと思った。が、2人はまだオレが盗賊な事を知らない。知らないから警戒しないし、泊めるなんて言うし、名前も名乗るし、名前も……聞いてくれる。
「(……名前聞かれたの、初めてだな)」
今までは誰も聞いてくれなかった。オレを見てくれなかった。けれど、コイツらは……。
「じゃぁ……サツキと、アヤ」
気づいた時にはそんな言葉が口から出ていた。と言っても名前そのままと勝手に略しただけの物だが、それでも我ながら人の名前をちゃんと呼ぶのは珍しい方だ。いつもなら多分、狐娘と白面……なんて呼び方をしていたと思う。
「……アヤ?」
しかしその少しの省略も気に食わなかったのか、面の女がどこかキョトンとした声で小さく首を傾げた。だから嫌だったのかなと思ったけれど。
「うん。嫌なら変えるけど」
「あ、いえ。……渾名付けて貰えたの、嬉しいんです。私の名前って、気がして」
「……?」
答えの意味がよく分からず今度はこちらが首を傾げた。そうすれば面の女……こと、アヤはくすりと小さく笑って。
「私、自分の本名分からないんですよ。今の名前は適当に付けた物で……」
「っ…そう、なんだ……」
「うん。だから…ありがとう、名前くれて」
「……うん」
あげたも何も、ただ略しただけだ。
けれど自分と同じ、「名前が分からない」という親近感がなんとなくオレを頷かせた。まぁオレの場合は分からないのは苗字だけで、名前の方は分かっているけれど。
「ね!私もアヤちゃんって呼んでも良い?」
不意に、狐耳の女ことサツキが目を輝かせアヤを見上げる。そういえば今までなんて呼んでいたんだという疑問はあるが……ともあれ、アヤはなんだか嬉しそうだった。
「…そうですね、そう呼んで貰おっかな」
「やったー!っとと、お名前聞くの忘れちゃう所だった!」
「なんてお呼びしたら良いですか?渾名でも、呼ばれたい名前でも、本名でもなんでも……お呼びしますよ」
「なん、でも……」
帰って来た話題とその言葉に、一瞬の逡巡。
普段なら迷わず「ラッセル」と答える所だ。だってそれがカーラの指示であり、盗賊として生きるオレの名前だから。けれど本当はずっと、本名で呼んで欲しかった。盗賊とか関係ないオレの名前で、呼んで欲しかった。
そしてその願いが今なら、この異世界で、この2人の前なら叶うんじゃないかと思った。
「…………リ、ア」
「リア?」
「っ…うん。オレの、本名…」
「…!……宜しくお願いしますね、リア」
優しくニコリと笑って、アヤがオレの名前を呼ぶ。
たったそれだけなのに、堪らなく嬉しくて。
気づいた時には自ずと表情が緩んでいた。
「じゃぁ私もリっ……あれ?ごっごめんね!その……一応確認したいのだけど、お兄…さん?お姉、さん?」
「…ん?」
苦笑いを浮かべるサツキを前に、ふと我に返る。
けれど質問の意味がよく分からなくてハテナを返せば、理解したらしいアヤも苦笑いをした。
「あー……えっと、リアの性別聞いても?」
「……男、だけど。何?女だと…思ってたの?」
「う、うん…」
「私もどっちか分からないなって思ってました。髪長いし、私と体格変わらないですし……何より、美人さんだったので……」
「へっ?」
確かに髪は背中の途中くらいまである。そして体格は女のアヤと変わらないくらい小柄で、なんなら身長は少し負けているかもしれない。が、まさか美人なんて言われるとは思わなかった。確かによく女に間違えられはするけども。
「うんうん!私もすっかり女の子かなぁって思ってたんだけど声が男の子ぽくもあって、でもお名前はどっちでも大丈夫そうだし……だから、分からなくなっちゃって…」
「これは着替えさせようとしなくて正解でしたね」
「だ、だねぇ〜」
苦笑いで2人が顔を見合わせる。
正直、男と分かった今もっと他に警戒することは無いのかと言いたくなるが……それよりも2人の行動に少し違和感を持った。
「…?女と思ってたんじゃねーの?」
思ってたなら着替えさせようとしてもおかしくない。いや、実際は暗器まで全部取られると心許ないから、させようとしないでくれて助かったけれども。そう思って聞いてみれば、アヤは少し困ったようにオレの腰元……強いて言うなら服の下の暗器を仕込んでいるベルト辺りに目を向けた。
「思ってましたが……寝転ぶのに邪魔だろうと少し外させて貰った武装の量が多かったので、流石に全て外してしまうと警戒するかと思って」
「……」
確かに、した。したとは思う。
だがまさかそれに気づいていながらわざとそのままにしたとは……思わなかった。流石にいくら平和な世界と言えどもそれだけ武装している相手を前にすれば警戒しても良いと思うんだけど……。
「ということで、荷物はあちらに。お風呂は……」
「入るなら用意してくるよ!」
「……入る」
相変わらず2人は何も変わらず、そして何も聞いてこない。まぁ聞かれて困るのは間違いないが。
「分かった!……あっ!服はどうしよう!父様の物があるけれど……」
「んー……類さんの和服はちょっと大きそうだし着付け難しいですよね。てなると……洋服は私のしか無いし、とりあえず今夜の寝巻きは私の服でも良いですか?さ、流石に服とズボンしか貸せませんけど」
「良い、けど……」
元々数年前まで囮役として殆ど女物ばかり着せられていたし今でもたまにあるから構わない、とは言え……見ず知らずの男に服貸すか?普通。
なんて、この2人を前にすればもう今更と言えば今更な対応……ではあるのだが、流石に困惑も限界でついつい疑問を口にしてしまった。
「……お前らはなんでそんなに世話焼いてくれんの」
「んぇ?だってリア君困ってるんでしょう?」
「そう、だけど……」
サツキのさも当然のような回答に困惑は増すばかり。都合が良いのは間違いないが流石に落ち着かなくてアヤの方に目を向ければ、オレの居心地の悪さを察したのか小さく首を横に振った。
「警戒しない理由は簡単です。ここには結界というものがあり、私達に危害を加える気がある人は弾き出されてしまうんです」
「え。……じゃぁそれが反応しない、から?」
ここに来てまさかの事実。
どうやらただの能天気……ではなく、それなりに理由がちゃんとあったらしい。まぁそれも一応は追加要素、ということのようだけど。
「はい。あとは純粋に、困ってたから助けただけですよ。私達は人を助ける職業なもので」
「うんうん!だから、安心してね!リア君の嫌がる事はしないし、回復するまでここに居ても大丈夫だよ!」
「なんなら住み込みで働いてくれても良いですしね。異世界探しのお手伝いだけでなく、衣食住とこの村と隣町で自由に動ける特典付きです」
「……はぁ。お人好し」
結局決論はそうなって、大きく溜息を吐いた。
美味い話だし、理由もちゃんと分かって居心地の悪さはまぁ落ち着いたけれど……。
「たまたまですよ」
「でもオレはっ……」
盗賊で、そして何人もこの手に掛けたことがあって。
確かに2人に危害を加えようとはしなかったけれど、決してこんな暖かな場所に居て良い人間じゃない。そう言いたかった。それが唯一出来る恩返しだったから。
けれどそう言葉にする前に、アヤがオレの口の前で人差し指を立てる。
「過去がどうであれ、ですよ。私達が見ているのは今のリアですから。だから……昔のこととか素性については、言いたくなってからでいいです。言っても大丈夫だって、リアが私達を信頼したくなってからで、いいです。それまでは運が良かったと思って存分に利用して下さい?……WinWinってやつですよ」
「…、……分かった」
「うん」
ニコリと口角を上げて、アヤがオレの頭を軽く撫でる。
何となくだが、サツキはただの能天気でもアヤはそれなりに思惑があっての事らしい。けれどそれを隠そうとはしないから、ある程度オレの意志を尊重する気があるようだ。……なら、利害の一致ということで今は利用させて貰おう。
❖
その後、先に飯を食い終わったサツキは風呂の準備と言って部屋を出て行き、その間にアヤから軽くここについての説明を受けることとなった。
「ここは、和の国の夢見草っていう村にある神社です」
「じんじゃ…?」
「はい。簡単に言えば、神様のお家です。結望ちゃんはその神様に仕える神使という職で、私は神様や人間を守る大儺という職なんです」
「……え。神って、いるの?」
最初は、黙って聞いているつもりだった。
けれど予想外の言葉に思わず聞き返す。なんせセレスタでは神なんて人間の作り上げた都合の良い幻でしか無いのだから。しかしアヤは流石異世界出身ということなのか、別に気を悪くするでもなく。
「この世界にはいますよ。特にこの国には町ごとに居らっしゃるくらいです。といってもここの氏神様は稀にお声掛け下さる程度で基本居らっしゃらないみたいですけど」
「へ、へぇ……」
「リアの所は完全に空想の存在的な感じです?」
「うん」
「なら……ちょっと戸惑うかもしれませんね。如何せんこの国は信仰が中心というか……神様の存在を信じていない人なんて滅多に居ないというか。なので、その神様に直接仕える神使は、人間からすれば神様の代弁者とも言えるくらい、まぁ言ってしまえば崇拝されているんです」
「ふーん…」
とりあえず分かったのは、何をするのかは知らないが神と呼ばれる何かがいるらしいという事と……サツキは中々に権力者ぽいという事。けれどアヤは少し困ったような顔をしていた。
「でも結望ちゃんは村人との対等を望んでいるので見事すれ違っているのですが……。なので、リアは普通に接して上げて下さい。その方が喜びます」
「分かっ、た」
まぁ別にオレは神なんて信じる気は無いし、サツキが望んでてアヤがそう言うのなら別に良いだろうと軽く了承。そのまま話は次へと移る。
「次に妖と邪鬼の説明ですが……」
「あー…なんか言ってたな。お前も妖?」
確かサツキは「私達」と言っていた。けれどアヤは面で隠れている目の周辺以外、どこからどう見ても人間にしか見えない。それが不思議で首を傾げながら聞いてみれば、アヤは少し苦い顔をしていた。
「そう、です。結望ちゃんはリアの言った通り、狐の妖。妖狐って言います。それで私は、覚っていう妖です」
「さとり……」
「はい。……リア、何か心の中で思い浮かべて見て下さい」
「へ?何かって…」
そう呟きながら、言われたままに考え込む。
けれど急に言われても思いつかなくて、暫く悩んだ末に浮かんだ言葉は。
「(……飯食いたい)」
「え、もうお腹空いたんですか?」
間髪入れずに驚いた声が返って来て、思わずポカンとする。それからハッとしてまさかと思いながらアヤを見れば、少し困ったような苦笑いを浮かべていた。
「お、まえ……」
「覚は、視界内の生き物の心を読めるんです」
「つまり……ずっと読んでた?」
「ずっとでは無いですよ、流石に疲れますから」
「そう、なの?」
「一応……。ごめんね、もう少し早く言えば良かったんですけど」
そう言うとアヤはバツの悪そうな顔して小さく俯く。
……確かに、心を読まれるというのは気分の良いものでは無い。
だが考えてみればそれがあったからアヤはオレをここに置いても良いと思ったのだろうし、こっちとしても訳の分からない無警戒を発揮されるよりはマシ、かもしれない。それに、わざわざこうやって相手に知られていない時が1番真価を発揮するであろう手の内を明かしてくれた訳だし……。
「いや、良い。使える物は使ってこそだし。警戒するのも当然だろ」
結局怒るよりもそう結論づいて、言葉を返す。
そもそもただ利用し合うだけの関係なのだと考えれば、まぁ悪くない能力だろう。……と、思ったのだけれど、アヤは若干硬直してから「え」と零した。
「お、怒らないんです?」
「正直理由もなく信用される方が気味悪い」
「それは、まぁ…。……でもやっぱり、今後は極力使わないようにします。その代わり、リアに直接聞き…ます」
おずおずと、今までのしっかりさが抜けた声で小さく。その様子になんだかんだ思ってたより歳近いのかもなぁと思いつつ「りょーかい」と軽い返事を返した。
これはある種の契約だろう。
オレが不審な行動をすればアヤは心を読んで来るだろうし、そうでなければちゃんと疑問をぶつけてくる。そしてオレは本気で嫌になれば、利害の一致は捨てて実力行使に出るかここを出て行けば良いだけ。そう考えるとあまり悪くない、かもしれない。
なんて思いつつ、話の先を要求した。
「んで?その妖ってのは……」
「あ、えっと……妖は神様に力を貰った存在で、沢山の種族がいます。結望ちゃんみたいな動物系の妖とか、私みたいな人間系、あとは物系の妖なんかもいて……。ちなみに神使や大儺になれるのは妖だけです」
「ふーん……」
「で、この妖と対になる存在なのが……邪鬼。簡単に言えば、全ての生き物に害悪を齎す存在ですね。基本的に邪鬼は妖にしか退治出来ません」
「じゃぁ大儺ってのは、それと戦うのが仕事?」
「はい」
そう言ってアヤは頷いたけれど、なんというか……あまり戦っている姿が想像出来ない。まぁ戦うというのがオレの想像する戦闘ではなくもっとこう……祈るだけのような物なら分からないでもないが。もしくは心を読む以外に何か力を持っている、とか。
「(反射神経は……少なくともありそうなんだけど)」
2度抱きとめられたけれど、あれは中々の速さだったと思う。どちらとも意識が朦朧としていたからあまりハッキリと覚えてはいないけれど。
だがよくよく考えれば2回目はともかく、1回目は駆け寄るにしても結構距離があったような……。
「……」
「リア?どうしました?」
「お前って……なんか、凄い速く走れたりすんの?」
「え?あぁ、私は身体能力は人並みですよ」
「……そうなの?」
「えぇ。正直覚は心を読むくらいしか取り柄がないですから」
言いながら苦笑いをして軽く手を振る。
その様子と言葉をそのまま信じるのであれば、無駄に警戒する必要も無いしまぁ良いのだけれど……。
「でも……その割には速くなかった?最初会った時」
やはりそこの違和感は拭えず、思い切って聞いてみる。そうすればアヤは何の事か分からなかったようで少し首を傾げてから、思い出したように手を打った。
「あっ、あれは転移魔法を使いました」
「転移、魔法?」
「はい。これは覚とは関係なくて……前に大切な人から譲り受けた力なんです。知っている場所であれば一瞬で行けるので、異世界にもそれを使って行ってます」
「えっ。そんなん、あるんだ。じゃぁあの時は……」
「転移魔法でリアの傍に移動しました。倒れちゃいそうだったから」
「……」
そんなどう考えても高度な物を惜しげなく。更にはこうして明かして。それは警戒を解く為なのか、別に隠す程の事じゃないという認識なのか、はたまた……。
「あ、ちなみになんですが転移魔法や異世界についてこの国で知っている人は結望ちゃんと結望ちゃんのお父さんである類さん、それから私の大儺の師匠くらいですので、他の人には言わないで下さいね」
「……分かった。他に黙っといた方が良い事は?」
「えーっと、あ。この面、村の人達には色々面倒なので読心術……覚の心を読む力が発動しないように付けてるって嘘ついてるんですよ。それも秘密でお願いします」
そう言って、全く悪びれる様子もなくニコリと。
てっきりアヤも結構なお人好しかと思っていたけれど……案外そうでも無い、もしくは村人達と仲良くする気が無いらしい。まぁそこは別にオレと関係無いし、勝手に告げ口する気も無いけれど。
「……ずっと思ってたけど、お前回り見えてんの?」
むしろ気になったのはそっちのことで、そのまま聞いてみればアヤは少しキョトンとしてから頷いた。
「普通に見えてますよ。これは特注品ですので」
「そー、なんだ……」
正直何がどう特注品なら見えるのかはよく分からないが、とりあえずは面の方に仕掛けがあるのであって別に透視能力とかがある訳では無いらしい。まぁそれはともかくとして家の中で付けている理由も謎だが。
「(ここ、そんなによく村の奴来るのか……?)」
内心そう思いつつ、少し先のことを考える。
今はなんだか流れですっかり世話になる感じになっているが、出来ればあまり他人と関わりたくない。もっと言うならそんな権力者と守衛の女2人暮らしの家に赤の他人の男が転がり込むのは……後々面倒そうな気がする。けれど他に行く宛ては無いし、何よりここは飯が美味い。
「うーん……」
「どうしました?」
「いや……オレのことどうする気?」
「へ?」
最早考えるのも面倒になり、そのまま明け透けに問えば、流石にアヤも困惑したのか少し声を裏返してから苦笑いを浮かべた。
「どうって、別にどうにもしませんけど。あ、でも……とりあえず、結望ちゃんが心配するだろうし2週間くらいは看病って名目で面倒見ますよ。ついでにセレスタ探しのお手伝いとか。でもそれ以降もここに住むなら……まぁ、働いて貰いますね。リアは中々に大食いみたいですし」
「働くって……でも、オレ人間だし」
「そりゃ神使や大儺は任せませんよ。まぁここは後で結望ちゃんとも相談しておきますが、実は夢見草って……平和すぎて邪鬼被害滅多に無いんですよ」
「……え、じゃぁお前普段何してんの?」
「えと、先程ここは神社って言いましたが、この建物は神社の敷地の中にある茶屋……お茶と和菓子がメインの飲食店なんですよ。結望ちゃんのご両親が村の人達と交流する為に始めた物で、普段は結望ちゃんと2人でここで働いています」
「なる、ほど。つまりオレにもそれ手伝えって?」
「そうなりますねぇ。勿論村とか隣町に働きに行ってくれても良いですけど。どこも人手は有難いでしょうから」
簡単にアヤはそう言ってのけ、呑気に茶を飲んでいた……が、生憎こっちは生まれてこの方、盗賊としての生き方しか学んで来なかった。少なくとも……接客には向かない、自信がある。
「(傭兵とかなら出来るだけどなぁ……)」
しかしそう言った職がここにあるかは分からないし、そもそも明日にはセレスタに帰っているかもしれない。ということで結局それ以上は考えるだけ無駄だろうと思考を止めたタイミングを見計らってか、カップを置いたアヤがこちらを見て首を傾げた。
「さて、それじゃぁそろそろお風呂の準備も終わると思いますし、家の方に移動がてら外を少し案内しようと思いますが……歩けそうですか?無理ならお風呂まで転移で送りますけど」
「歩ける」
「では、こちらへ」
そう言われて、荷物を回収しアヤについて部屋を出る。どうやらこの茶屋という建物はオレが寝かされていた奥の部屋……アヤ曰く仕事中に休んだり邪鬼とやらのせいで具合を悪くした村人を看病する部屋と、盗賊団の物に比べたらあまり広くない厨房、それから客席のある店内の3部屋に分かれているらしい。
出入口があるのは店内部分のみで、外に出れば赤い門のような物や淡いピンク色の花を付けたやたら大きい木、それから小さなガゼボみたいな物とか、なんだか複雑な作りに見える大きめの建物があった。
「あれが神社の中心とも言える、お社。それからこの木は常桜と言って……氏神様の化身でもある大切なもの。あとあの門は鳥居という神様の領域を示す物で、あっちは手水舎という体を清める場所です」
「ふーん……」
ざっくりした説明に、やや空返事を返しながら少し辺りを見回す。どうにもここはそれなりに高い山の上なようで見晴らしは良かったが、どこを見ても大体が山。麓には確かに村があるのだが、少なくともエイダンよりはド田舎なのがよく分かった。
「何か気になるものはありましたか?」
「いや……別に」
内心少し、住みにくそうな所だなぁと思った。
けれどその分人は来なさそうだし静かで悪くない、気がする。それになんだか、アイツと手を繋いで歩いた林の中を思い出して。
『ラッセル』
そう呼んでオレに笑いかけてくれた声は、顔は、どんなだっただろうか。
「……リア?」
少し心配そうな声に、ハッと顔を上げて我に帰る。そのまま隣を向けば、アヤが小さく首を傾げてこちらを覗き込んでいた。……どうやら本当に心を読むのはしないでくれている、らしい。
「……なんでもない。それより家って?」
「え、あ、こっちですよ」
話を逸らすがてら、純粋に気になったことを聞く。というのも、全く家らしい家というものが付近に見えなかったからだ。だからどこにあるのかと思えば、アヤはスタスタと茶屋の裏手に向かって。
「ここから行けますよ」
そう言ってアヤが指したのは、小さな階段。
そのまま後ろをついて行けば、15段程降りた所でまた道が続いており、少し歩けば木々の間から中々しっかりとした造りの2階建ての建物が姿を現した。
「ここです」
「……意外と普通」
「え。あー……確かに崇拝はされてるんですけど、妖ってあんまり権力欲が無いと言うか……。まぁもっと大きなお家の神使とか大儺もいますけど、少なくともここはあんまり山に手を加える訳にも行かないですから。それに、2人で暮らすにはちょっと広すぎるくらいですよ」
どうして山に手を加えては行けないのか、というのはよく分からないけれど、とりあえず苦笑いをするアヤには「そーなんだ」と雑に返してから、招かれるままに玄関扉をくぐった。
「靴はここで脱いで下さい。それからお風呂はここ。こっちは物置で、あっちは居間……えぇと、リビングとキッチンです。それから寝室は2階にあります」
「……ん」
説明を聞きながら、間取りを頭に叩き込む。これはまぁ職業病というやつだろう。と、勤しむオレの隣でアヤは少し気まずそうに声を掛けて来た。
「ちなみにですけど……リアはどこで寝ます?」
「どこって……どこでも良いけど。木沢山あるし」
「うん。野宿はさせませんからね?」
「え」
「結望ちゃんが絶対に反対します。というか……2階の部屋が余ってるんですよ。だから、高確率でその部屋にリアを泊めようって言い出すと思うんですけどー……リア、隣の部屋とは言え近くに人いて寝れます?」
「っ……!」
アヤの言葉に思わず若干目を見開く。
なんせ、紛れもない図星だったから。
「……寝れ、ない」
どうして気づかれたのか。言ったのは寝転べないことだけのはずなのに。そう思いつつも観念して認めれば、アヤは「ですよねぇ」と呟いてから先程リビングがあると言っていた部屋の方に目を向けた。
「となると、居間で寝て貰うか……茶屋の方で寝て貰うか……。でも茶屋は日中お客さん来るから落ち着かないか。んー、とりあえず2階の1部屋をリアの好きに使っていい部屋として、寝るのは居間……が丸いかなぁ」
「べ、別にそこまでしなくても……」
「あら、そんな遠慮気味で良いんですか?その調子だと素直になれないのかなと思った結望ちゃんに」
「……下で寝る」
続く言葉を察し、早々に白旗を振る。
まぁ恐らくは1階でならギリギリ寝れる、だろう。この場所に慣れたらの話だけども。
「ではその方向で説得しときますね」
「うん……」
渋々頷き、小さく溜息。
なんてしていると、アヤは思い出したように2階に上がって行き、何着か服を抱えて戻って来た。そしてそれをオレに手渡したタイミングで目の前の……アヤが風呂だと言った扉が開かれ、サツキが出てくる。
「あ、お待たせー!準備出来たよ!軽く入り方の説明するね!」
「ん」
一言返事をし、アヤとはそこで別れて荷物を抱えたままサツキに着いて行く。そして脱衣所と風呂の中、特に洗剤のことを説明され黙って聞いていた。
「どう?分かった?」
「多分……大丈夫」
「良かった!じゃぁ……急がなくて良いから、ゆっくりと入ってね?湯船にもしっかり浸かること!」
「ん…」
「うん。私達は多分居間に居るから、お風呂上がったらそっちに来てね」
「分かっ、た」
そう言うと、サツキは屈託のない笑顔でニコリと笑うと風呂と脱衣所から出て行き、それから話通りに歩いていく足音が小さく聞こえた。
「……なんか、変な感じ」
ボソリと呟く。
勿論慣れない風呂というか湯船に対しての感想でもあるのだが、それ以上に……サツキの事がよく分からないと思った。見た目は大体同い歳だし、精神年齢で言えばオレの方が高そう……な気がしていたが、なんとも子供扱いされているような気がする。しかも、違和感無く。
「アイツ何歳だ……?」
思わずそんなことを言いながら首を傾げたけれど、当然答えは分からない。まぁそもそも分かろうが分からなかろうが、どうでもいい話ではあるのだけれど。
ともあれ、早々に考えるのはやめてさっさと服を脱ぎ言われた通りの順番でしっかり体を洗い、木で作られた湯船に浸かった訳だが。
「はぁ〜……」
無意識に、そんな声が零れる。
最初は落ち着かないと思ったけれど……この温かさは中々に悪くない。いや、悪くなさすぎて少しウトウトしてしまいそうなのは問題だが。
「上がる……かぁ」
内心少し名残惜しさを覚えつつ、ようやく湯船から脱する。そしてポカポカとした体と気分のままアヤに渡された服を確認し、適当に着てみればやはりサイズは大体丁度良かった。……流石に下着は自前の予備だけども。というか、実の所服は一式予備を鞄に入れている。けれど1着分しか無いし、明日の分ということで。
「洗濯はー……聞きに行くか」
やけに柔らかくて肌触りの良いタオルを羽織るように肩に乗せつつ、髪は軽く乾かして居間とやらに向かう。そうすれば2人は窓代わりらしき白い薄紙が格子に合わせて貼られた物を開け放ち、居間のベランダみたいな所で寛いでいた。
「あ、リア君!お風呂どうだった?」
「ちゃんと温まれましたか?」
「……悪く、なかった」
部屋に入ってすぐ、こちらを振り返り質問を並べた2人に我ながら素直な肯定を返す。そうすれば案の定サツキには嬉しそうな顔を向けられたが、それ以上何かを言われる前にすっかり日が暮れたらしい外をチラッと見つつ質問を投げた。
「洗濯物ってどうすれば良いの」
「あ、籠に入れて置いておいてくれたら良いよ?明日洗うから!」
「え。いや、流石に自分で……」
「そう?じゃぁ明日やり方教えるね」
「……うん」
出来れば他人に私物をあんまり触られたくなかったから、引き下がってくれて一安心。
そんなオレを他所に、アヤは何か思い出したように立ち上がってベランダから居間に戻って来ると、そのまま隣にあった扉を開け軽くオレを手招きした。
「ん?」
「ここがリビングって言ったんですけど、こっちの襖を開けると……簡易の客室みたいな部屋になってるんです。で、結望ちゃんと相談した結果とりあえずこの部屋をリアの部屋ということにしようって話になりまして」
「ここで寝泊まりすればいーの?」
「はい。ただ隣が居間とお風呂なのでやや気が散るかもしれないのですが……」
「その時はいつでも二階のお部屋に移ってくれて良いからね!あと、お布団は一応敷いておいたから好きに使って大丈夫だよ!」
「あー…うん。分かっ、た」
有言実行、ちゃんとアヤはサツキを丸め込んでくれたらしい。まぁだからと言って寝れるかは別だけれど、まだ2階よりは。
そう思いながら客室の隅に荷物を雑に置いてから振り返れば、アヤはそれで合っていると言わんばかりにコクリと頷いてから、自身の顔の横で人差し指を立てた。
「とりあえず、暫くの間リアは体を休める事に集中して下さい。知らない場所で落ち着かないだろうけど、日中は私も結望ちゃんも大体茶屋の方に居ますのでこっちで好きにしてたら良いです」
「え。監視、しとかなくて良いの?」
予想外の放任に思わず聞き返す。つくづく危機管理能力大丈夫か?と困惑だ。流石に自宅に1人残して放置はどうかと思うのだけれど……アヤは涼しい顔のままで。
「別に。何かやったらリアが結界に弾かれるだけですから」
「……」
淡々と、バッサリと、さも当然のように。
余程結界のことは信用しているらしい。まぁオレだって衣食住を捨ててまで何かを盗む気は無いけれど……。
なんだかちょっと、複雑な心境だ。そう思いつつなんとも言えない顔をしていると、アヤは少し表情を崩して苦笑いを浮かべた。
「まぁ暇だとは思うんですけど、とにかく今は色々考え過ぎずに体を休めて下さい。多分リアが思うより……結構しんどそうな顔してますから」
「っ……」
まさかの言葉に思わず動揺が襲い掛かる。
だって、そんな風に心配をされたのはもういつぶりかも分からない。いや、経験があったかも覚えていない。言い知れぬ感情に、目が泳ぐ。
けれどそんなオレを見かねてか、今度はサツキが表情を緩める。
「ここはね、結界のお陰ですーっごく安全な所なの!だから、リア君が私達をちょっとでも信じてくれるのなら……少しは安心してくれると嬉しい!」
曇りのない、子供みたいな笑顔で。……けれどそのお陰かあまり警戒する気にもならない。
傍で見ていたアヤは面のせいでイマイチ感情が読みにくいが、その分色々言葉にしてくれる。幾つか分からないことはあるけれど、それでもそんなに警戒はしなくていい、かもしれない。
「……まぁ、気が向いたら…な」
暫くの躊躇いの後、ようやく出た言葉は生意気な強がり。けれど2人はクスッと笑って、あっさりと答えもオレも受け入れてくれた。
❖ 今更なめちゃ雑ハルリア馴れ初めあらすじ ❖
昔の魔族が残したらしい物が眠っていると聞きつけた魔術師集団ことメマス。彼らはその遺物である水晶と石碑を見つけるも文字が解読できず使用方法が分からなかったので、現地民なら何か知っているだろうと著名な言語学者だった教授の一人息子であるハウルを誘拐、解読させようとするもハウルも知らない言語だったのですぐには解読出来ず、その場で翻訳作業をさせることに。
そこにメマスの動向を不審に思った黒薔薇の盗賊団「ニグルメイ」のリーダーことカーラは丁度別仕事から帰ってきたばかりのリアに水晶を盗って来いとだけ命じて派遣。現地でリアは単独行動していたメマスの下っ端を発見して脅し、状況を理解しつつ下っ端のローブを奪い顔を隠してメマスの一員として紛れ込む。そうしてハウルと出会い、優秀そうなのを見てニグルメイに持ち帰るかと検討しつつ水晶を盗む準備を整えた所でハウルにメマスの一員ではないと見破られ、現場は三つ巴に。
そこにメマスの幹部が突然来たり水晶を異世界に行ける代物だと言ったりしたせいで更に事態はややこしくなるも、リアを狙ったメマスの攻撃からハウルは咄嗟にリアを庇い、共に逃げようとした……が、その際に自宅に転移しようと転移魔術を使ったせいで水晶の発動条件(転移魔術)を満たしてしまい、2人は異世界へと飛ばされることとなった。
メマス
→魔術師集団。昔はまともだけ今は違法なことしかしてない。
ニグルメイ
→国一の盗賊団。昔は義賊だった。リアがやたらハードワークさせられているのはリーダーであるカーラの意向。
水晶
→大昔の魔女が作った。所有者の行きたい所へ連れて行く力を持つ。本編ではハウルの魂の元の所有者(アヤ)に引っ張られる性質と結望との再会の約束を果たしたいという願いや、最後にハフズが訪れた場所として夢見草に辿り着いたが、今回は侑李君との再会の約束を果たしたいという願いと「自分を受け入れてくれる場所に行きたい」という願いが強かったのでそっちに引っ張られた。が、アヤに引っ張られる性質諸々もあった上にリアが「自分を認めてくれる人の所に行きたい」と願ったので見事混線して離れ離れになった。(のかな)
セレスタを出入りする鍵でもあるので、水晶と膨大な魔力が無いと帰れない。
ちなみに。
結望
→ただの100%善意で助けようとしてる。何となくリアが全うな生き方をしていた人じゃないことは察しているが、それはそれとして普通に接してる保母さん。
アヤ
→大儺としてはそうするべきだろうなぁと思って拾った。その後異世界から来たであろう事を察してやや親近感。一応拾った責任くらい持つか……と思いつつ、年下の訳アリな女の子だと思ってたので結構優しくしていたが、男だった。けれど元の世界に帰れないみたいだし、いっそ話次第では自分が死んだ後の後継人(結望のお目付け役)にしても良いかもなぁと思ったり。ハフズの件に全くの無関係な存在なのでかなり気兼ねない。
ちなみにリアが人の近くで寝れないのを察してたのはリアを2度目に介抱した時に死の恐怖を肩代わりしてあげていたから。寝転ぶだけでこうなる人が知らない人の近くで寝れる訳ないよな、と。
リア
→本編より若いし、その分精神年齢も低い。結望とアヤに困惑はしてるけどなんだかんだ警戒は解け気味。
赤みを帯びた黒髪を雑に1つ結びしているのがデフォ。容姿がかなり中性的でよく女と間違えられる。ちなみに健康生活をさせられることになった&本編より若いので多分本編より背が伸びそう(若干)
結望アヤの住んでる家
→本編では「結望が生まれた後に家を建てようとしたがその前に結希が倒れたので結局建てなかった。後にハル結望が結婚した時に和洋折衷な家を建てた」となっているけれど、ここの世界線ではちゃんと結望が生まれた時に家が建った。(でもやっぱり結希は亡くなってる&純和風な家になった)
リアの言っていたベランダは縁側のこと。
❖ この後の話 (妄想) ❖
勿論リアは客間で寝れずに一晩過ごしたが、朝食と洗濯物を済ませて、2人が茶屋の方に行った後に暇潰しがてら睡眠。案外ぐっすり眠り、アヤの戻ってくる気配で起床。2人で昼御飯を食べつつアヤがセレスタについて色々質問。食後はアヤが出掛けた後にまたぐっすり眠り、結望に呼ばれて閉店後の茶屋に向かうもアヤは外出&日課でおらず。それから帰ってきたアヤに有名な異世界(ラトピア)で調べて貰ったがセレスタの情報はなかったと言われ、結局もう1泊する事に。
そうしてリアは日中に出来るだけ眠り、アヤは異世界で情報を探し……という生活を3日程続けてから、リアの体調もだいぶ良くなったし異世界情報も手詰まりだしとアヤが侑李君に連絡。会って欲しい子がいるからと茶屋の閉店後に来て貰う事に。勿論アヤはそれをリアにも伝えていたがリアはまさか転移魔法を使える人が他にもいると思っていなかったので突然境内に現れた侑李君に警戒。咄嗟に結望アヤを守るように立ち塞がり武器を持つが、結望アヤに止められあっさり武器を納める。
その後、アヤが侑李君にリアを拾った経緯とセレスタという国を探している事、そして買い出しに連れて行ってあげて欲しいことを伝える。(流石に体調万全じゃないリアを連れて行く訳には行かなかった&男物の下着とかどう選べば良いのか分からないけど、リアもリアで異世界知識無いから選べない可能性あるよなぁと思い、侑李君を頼るしか無かった(出来れば頼りたくなかった))
それ以降の話は全く分かんない。
村人を誤魔化す為にリアは女装して結望アヤと一緒に住むことにするかもだし、普通に女装せず一緒に住むかもしれない。(どう誤魔化すのか分かんないけど)
はたまた、もしかするとリアと侑李君が意気投合して侑李君の異世界巡りにリアが護衛として着いて行くかもしれないし、基本リアは夢見草暮らしだけど週1くらいで侑李君と遊びに行ってる……かもしれない。案外どうとでもなりそう。