本探し「ハウル君、ハウル君」
書架を覗き込み、そう声を掛ける。
けれど真剣な表情でパラパラとページを捲るハウルは当然のようにウィレームの声に気付かず、その手は止まらない。
その様子にウィレームは1人、苦笑いを浮かべた。
(この調子だと、もし仮に警報が鳴るようなことがあっても気付かず逃げ遅れてしまいそうだ)
そう思う程に凄まじい集中を、その気になれば彼は何時間でもしてしまう。むしろ先に限界を迎えるのは体力の方……という経験を既に何回かしているらしい。
だが、それも昔の話。
今のハウルには頼もしい存在がいるのだ。
ウィレームの声に反応したのか、ハウルの持つ肩掛け鞄から音もなくじわりと黒い靄のような物が溢れ出ては、そのまま空中に集まり形を作り始める。そうして朧な輪郭が明確になり現れたのは、まるで幼い少女を模した人形のような姿。
白い肌と白い髪、そして動く青い瞳の付いた黒い帽子と黒いワンピースを身に付け、しかし袖と裾はあれど手足どころか首も無ければ、長い髪の下に目も鼻も見えない。そんな、異形の幼女。
けれどウィレームは気にすることなく、むしろ少しホッとした顔を浮かべ、それと同時に幼女はハウルの背をその空っぽの袖でベシベシと叩き始めるのであった。
「っ!……レージュ?どうした?」
痛みにようやくハウルが肩を上げ、それから振り返って幼女の名を呼び首を傾げる。そうすれば幼女ことレージュはビシッと腕を上げてウィレームの方を指し、それに釣られてハウルもそちらへと顔を向けた。
「ん?あ、館長……、……あっ?!」
姿を見つけてようやく思考を回してから柄にもなく大きな声で、しかしそれに気づかない程にハウルは慌てた顔をしながら夜空柄の蓋を持つ懐中時計を取り出し、時間を見てはサッと顔を青くする。
確かレージュには利用者が増え始める時間に合わせて15分経ったら教えてと頼んでいたはずだ。だが今は既に30分経っており、子供達が来始める時間を過ぎている。そう思ったのだ。
勿論レージュはちゃんとウィレームの動向を“影から”見たり、館内放送を聞いた上で放置を決めていた訳だが。
「すっ、すみません、つい……。すぐに準備して来ます!」
「あぁいいや、大丈夫だよ」
今にも従業員用ロッカー室に飛び込みそうな勢いで謝るハウルに、すぐさまウィレームも両手を上げてどうどうと宥める。そうすればハウルはオロオロしつつもなんとか思い留まったようだが、すぐにまた慌てたように辺りを見回した。
「って、あれ……?スピカは……」
先までウィレームと共にいたはずの少女。
けれど今はどこにも見当たらず、不安が駆け巡る。
また泣いていないだろうか。
期待させて、傷つけてしまっていないだろうか。
そんな心配。だがそれはすぐに晴れることとなる。
「スピカさんなら今、あそこだよ」
「え?」
にこやかなウィレームに手招きされて書架に挟まれた空間から出る。それから指先の示す方を見上げれば、ガラス越しに輝く笑顔で星々の煌めきに包まれながら彼女だけの特別な“マホウ”を披露する姿が見えた。
「マジック……ショー?」
「あぁ。今、子供達の遊び相手をしてくれていてね」
「えっ」
「捜し物をするにも何をしたら良いか分からないから、と請け負ってくれたのだよ。だからその間に私もハウル君を手伝おうと思ってね」
「い、良いんですか……?」
「勿論だとも。我々司書の役目は、お客さんの望む本を見つけ出すお手伝いをすることだからね」
「……!ありがとうございます!」
先までの不安はなく安心したように、そして嬉しそうに頭を下げるハウルにウィレームはニコリと微笑む。どこまでも真っ直ぐで純粋な彼はやはり好ましいし、懐いてくれる様はなんとも孫のようだ。……実際はどうやら祖父より父に似ているらしく、時折「父さん」なんて間違えて呼ばれるが。
ともあれそんなハウルを支える為に、そして1人で挫けず歩み続ける少女を助ける為にも、早速仕事に取り掛かる。
「いえいえ。それじゃぁまずは分担をしようか。私が本を探してハウル君が確認するで良いかい?私よりハウル君の方が読むのが速いし、翻訳もする必要が無いからね」
「そう、ですね。なら……レージュ、館長のお手伝いお願いして良いか?」
そう聞くと、レージュはコクコクと頷いた。
見た目は幼女だが、侮ることなかれ。意外にもレージュは中々に力持ちで、分厚い本を何冊も抱えてふよふよと浮かびながら本棚の整理を手伝ってくれることもある。勿論基本は名付け親であり“主”でもあるハウルの手伝いを優先するも、今回は何も手伝えないと思ったのか素直にウィレームの傍に浮かんだ。
「ありがとうね。それで、スピカさんの捜しものについてだけれど……」
「あ、そうですね。探しているのは──」
世界のこと。そしてマスターと呼び慕う家族のこと。
それらを聞いた情報を元に説明し、更には既に確認を終えた数冊の情報も付け加える。そうすればウィレームはうんうんと頷き、それから少し考え込み始めた。
「何か心当たり……ありますか?」
「そうだねぇ、幾つか候補はあるかもしれない」
その言葉に、一瞬不安そうになったハウルの表情がパッと明るくなる。
なんせウィレームはもう40年以上ここで働いているし、読書家だ。ここではまだ5年程度しか働いていないハウルに比べれば、蔵書の知識も豊富だろう。
そして実際、ウィレームは何冊か心当たりがあった。
勿論断片的な記憶なので確実かは分からないが、調べてみる価値はあるだろう。ただ中には既にハウルが確認したらしい本もあり、それならと書庫の方へと目を向けた。
「ここにある本は大体ハウル君も検討がつくだろうし、私は先に書庫で探してくるよ。見つけたらレージュちゃんに運んで貰うから、ハウル君は……そうだね、書庫前の机と椅子を使っておいてくれるかい?その方が2階で何かあった時も分かるかもしれないしね」
「分かりました!それじゃぁ、お願いします……!」
そう言ってすぐに、ハウルは何冊かを抱えて机に向かう。
同時にウィレームもレージュと共に書庫に入っては、普段利用客どころか司書達も滅多に見ることの無い本達と向き合った。
それから暫くして。
ハウルの前には既に大量の本の山が築かれていた。
しかしその殆どが確認済み、つまりは手掛かり無しと判断された物であり、そこに本を積み上げるにつれ少しずつ焦りも増していく。
それでもハウルは読み続け、ウィレームは選び続け、レージュは運び続ける。
時折手の空いた他職員も本を持って来たり、一緒に積読を崩してくれていた。
そんな、一丸となっての大捜索。
それは上階から、ショーのフィナーレが訪れることを知らせる喝采が壁越しに微かに聞こえる中、突然の終着を迎えた。
「ん、この本……」
ハウルがふと手に取った本は、様々な世界の伝説を纏めたらしい一冊。
しかしそれは他の書庫の本に比べれば新しくて状態が良く、何よりも図書館の蔵書であることを示す蔵書印が無かった。なので当然利用客の私物が混ざってしまったのかと思うハウルだったが。
「あぁその本か」
降る声に顔を上げれば丁度レージュと共に本を抱えるウィレームがおり、ウィレームはハウルの持つ本を見て少し懐かしそうに、そして困ったように笑っていた。
「これ……誰かの無くし物ですか?」
「いいや、それはとある人が異世界で買った本らしくてね。亡くなった後にご家族の方が何冊か寄付をしてくれた内の一冊なのだけれど……それだけ中に落書きがあるのだよ。それで流石に表に出す訳には行かなくて、書庫に置いていたんだ」
「なるほど……」
子供の借りた本に落書きがあれば、大抵の親は我が子のした事かと焦ってしまうし、職員側もきちんと把握していなければ弁償問題になってしまう。なのでそういう本は修理をするか表に出さない決まりだ。今回の場合、修理をされていないということは恐らく落書きが字に被ってしまっているのだろう。
そう思い、なんとなくの好奇心でハウルは本を開いた。
落書きは購入者がしたのだろうか。それともされていた本を買ってしまったのだろうか。そう思いながら。
「……ん?」
しかし、パラパラと捲って見つけたのは落書き……と言うよりは、メモのように書かれた文字。
まるで文句を言うように、そこに書かれた物を否定するように、力強く書かれた、異国の言葉。
「んな訳、あるかよ……ばーか……?」
ハウルの生まれた国でも、このミティリア国でも見掛けない言語。けれど趣味と称して様々な世界や国の言葉を学んで来たハウルには辛うじて辞書が無くても読める文であった。勿論、突然の暴言に傍にいたウィレームは少しギョッとした顔をしたが、真剣に文字をなぞる指を見ていれば状況も分かる。
「そう書いてあるのかい?」
「あ、はい……多分」
「うーむ……。ならやはりこれは所有者の方が書いた物では無さそうだね」
「え?」
「実は寄付の後、これに気づいてご家族に連絡をしたのだけれど……「父は厳格で、本に落書きなんて絶対にしない」と言われてしまってね」
当時を思い出し、苦い表情で。
あの時は誰もこの書き込みの意味が分からず、対処に困った結果家族の方には悪いことをした。
そう思うウィレームであったが、ハウルはそれを聞いて再び本に目を落とす。それから改めて本に書かれていた文を、誰かが強く否定しようとした伝説についての記載を見ては──ガタリと大きく音を立てて立ち上がった。
「……ハウル君?」
「こ、これ!スピカの言ってたシリウスさんの特徴に合います!」
「え?」
2人で覗き込むそこには、厄災の魔法使いと題した短い話が載っている。そしてそれに出てくる魔法使いの特徴というのは、確かに少女の探す家族とピタリと合っていた。……しかし。
「だがこれは……」
「……スピカには、見せにくい、ですね」
登場する魔法使いは、ただの魔法使いではない。
“厄災の”魔法使いなのだ。
……そしてそれが、例えば少女と出会う前の魔法使い本人の業による物であればどれ程良かっただろうか。
「魔法使いは人々に魔法を与え……魔法を得た人々は争いを始めた」
「全ては魔法を与えた魔法使いの、せい……か」
身勝手な話だ。魔法が使えないウィレームですらそう思った。
魔法では無いが、魔術を使えるハウルには……尚更のことだった。
けれど皮肉にもそれがまた、確信への手助けとなる。
「確かスピカさんは突然異世界に飛ばされた……のだったね」
「……はい。ずっとそれが謎だったんです。大切な家族に何も伝えず急に異世界に飛ばすか?って……。でも、もし守る為だったのなら……納得は出来ます」
「そう、だね」
遠くから、終わりを彩る拍手と歓声が聞こえる。
しかしそれがぼやけてしまう程、2人の気は重かった。
(全然確証は無いし、他人の空似かもしれない。けれどもしシリウスさんのことなら……スピカは理由を知れる。ちゃんと大切に想われていたんだって、知れる。けど……)
自責、しないだろうか。
人々を、恨んでしまわないだろうか。
もし、この伝説が本当なら。
もし、責任転嫁をして非難の声を上げた人々がいるのなら。
もし、取り返しがつかない程に傷つけられてしまっていたら──
「っ……」
行き場のない恨みは、酷く辛いものだ。
それは、よく知っている。ハウル自身に経験がなくとも、大切な人が苦しむ様を見てきた。
だからこそ、ハウルは「伝えない」という選択に揺らぎかけていたが。
「しかし……もしこれがスピカさんのご家族の話だとして、それならこの文字は誰が書いたのだろうか」
「……え?」
悩み込むウィレームの声に、ふと顔を上げる。
それからもう一度本の文字に、いや落書きの言葉に目を向けた。
『んな訳あるかよ、ばーか』
果たして真実を知る者以外には嘘か真か分からないただの伝説を扱う本に、こんなことをわざわざ書く人が居るだろうか?それも、このページにのみ。なら、もしかしたら。
「シリウスさんの……知り合い?」
全ては推測で、憶測で、希望で。
けれどもしそうなら、少なくともスピカは──1人じゃない。
「こっ、この文字がスピカにも読めるか聞いてみます」
「そうだね、少なくとも私は見たことが無い文字だし、もしこれが母国語なら世界についての情報も絞れるかもしれない」
降って湧いた妙案に、2人の意気も盛り返す。
……本の内容を見せるか考えるのはその後でも良いだろう。
そう思ってすぐにハウルはメモ帳を1枚千切り、件の言語で適当な挨拶の言葉を書いてはそれを握りしめ少女の元へと走った。