序
――ストーム・ボーダー、管制室。
「新しい特異点?」
マスター、藤丸立香はそう訊ねた。
彼女の言葉に、シオンが答える。
「はい。場所は現代で言うインド。時代は紀元前5000年頃ですね」
「先輩にもわかりやすく言うと、マハーバーラタ――カルナさんやアルジュナさんが活躍した時代です」
シオンの言葉を補足するように立香の隣に立つマシュが付け加えた。
立香の脳内にかの叙事詩で活躍した面々が浮かぶ。……うん、とにかく色々インフレしまくっている時代というのは理解できた。だがしかし、彼らの姿はここにはない。
「それならカルナ達も一緒にレイシフトするのかな? でもここに来てないよね」
立香の問いに、ダ・ヴィンチが困った様に眉を下げた。
「それがねえ……どうも、マハーバーラタに登場するサーヴァント達は軒並みレイシフト適正がないみたいなんだ。弾かれてる、とも言うべきかな。
ああ、でも一人だけいたんだよ? 適正があるサーヴァント。もう既に呼んではあるんだけど――」
「す、すまない! 遅くなってしまった!」
ダ・ヴィンチの声を遮り、一人のサーヴァントが管制室に現れる。インドのジャンヌ・ダルクと謳われし王妃、ラクシュミー・バーイーであった。
「ちょうど特異点の概要を話し始めていた所です。問題ありませんよ、ラクシュミーさん。そうですね、ダ・ヴィンチちゃん」
マシュの言葉に、ダ・ヴィンチはうんうんと頷いた。ラクシュミーはそれを見てあからさまにホッと緊張を緩める――どうやら、随分と急いで来たようだ。
「随分と疲れてるねラクシュミーさん」
「ああ、マスター……。これは言い訳になってしまうのだが……」
ラクシュミー曰く、管制室に呼ばれた時彼女は図書館で本を読んでいたのだが、本を元に戻そうとした所で〝不運にも〟テスラと直流交流論争をしていたエジソンがぶつかってしまい、その拍子に本棚にぶつかってしまいその棚の蔵書の半分が落下してしまったとか。司書である紫式部の指示の元、テスラ、エジソン、居合わせたサンソン、そして論争を聞きつけ現れたエレナと共に作業したことでさほど時間はかからずに片付けは終わり図書館を出た所、今度はどうやらアルテミスによる仕置きとして投げられたクマの方のオリオンが〝不運にも〟彼女の胸部にぶつかってしまい、それを目撃し再び激昂するアルテミスをできる限り宥めていたとか。
「それは……大変だったね……」
ある意味いつも通りと言うべきだろうか、立香は彼女のあんまりな不運に苦笑いを浮かべるしかなかった。
そんな彼女らを見やり、コホン、とダ・ヴィンチが咳払いをする。
「さて、これでメンバーは揃った訳だ。改めて、今回の特異点の説明をしよう」
かくかくしかじか、ダ・ヴィンチによる説明が始まる。基本的な内容は先程言われていた通り。更に追加として、レイシフト先は神代なために何が起きてもおかしくない。十分な警戒を持って調査に当たること、カルデアからも出来うる限りの最高のバックアップを行うとのことだ。
「――最後に、今回カルデアからレイシフトに同行できるのはマシュとラクシュミー・バーイーの2名のみ。戦力的には不安が残る状態だ。以前あったように、現地でサーヴァント召喚が行えない可能性もある。現地民でも逸れサーヴァントでも構わないから、とにかく早急に協力者を作って欲しい」
そう締めくくられ、作戦説明会は終了した。
レイシフトのために各種準備を済ませて通路を歩いている途中、一人のサーヴァントが立香の視界に映る。長い紫の髪を一つにまとめ、白い宮廷衣装に身を包んだ男――ビーマであった。キッチンシフトを終えたのだろうか、どこか美味しそうな匂いをまとっている。彼も立香に気づき、いつも通りの快活な笑みを浮かべて歩み寄って来た。
「ようマスター! 新しい特異点が見つかったんだってな。生憎、俺は同行出来ねぇようだが」
そう言って、彼は少しだけ顔を曇らせる。
「俺が生きていた時代なんだろ? 一緒にレイシフト出来れば良かったんだが――」
そこまで言うと、彼は再び二カリと笑った。
「――まあ、幾つもの苦難を乗り越えたマスターのことだ。あまり心配はしてねぇよ!」
それから一言二言会話を交わす。弁当は必要か? 軽食は? どちらも既に用意されてマシュが盾に収納しているので大丈夫――と話が進んで行った。そうしてそろそろ話を切り上げようとした頃、ビーマが静かにマスターと呼んだ。
「何?」
「……何かあったら、迷わず兄貴――ユディシュティラを頼れ。兄貴なら訳を話せば必ずマスターを助けてくれる」
やけに神妙な顔だった。それが少しだけ気にかかるものの、集合時間が迫っていたために立香はアドバイスありがとうとだけ言ってその場を去ったのだった。
1章
――何かが間違っている。
そんな意識がずっと心の中にあった。
しかしどんなに考えた所で間違いなど全く思い至らない。だが確かに座りの悪い心地がある。
そう思いながらも、ただ日々を積み重ねている。
名誉、栄華、王権、正義、英雄性。
〝わし様〟の望む全てを手にしたはずなのに、一体何故なのだろう?
*****
「マスターの体調、魔力循環、周辺環境オールグリーン。レイシフト成功ですね」
「私も何も異常はないようだ。事故がなくて何よりだな」
マシュがそっと笑いかけ、ラクシュミーはほっと胸を撫で下ろす。
立香達が降り立った場所は森の中の開けた花園だった。名前こそわからないものの、色とりどりの花々が辺り一面に咲いており、ここが特異点であることを忘れさせるような景色だ。
「凄い綺麗な花畑だ…」
思わずそんな呟きが立香から漏れる。
「では、さっそくカルデアと通信を――え?」
マシュが通信機を起動するも、ノイズだらけでまともに繋がる様子はない。映像どころか音声も拾えず、しまいには通信自体が切れてしまった。
「これは……かなりまずいのでは?」
そう言ってラクシュミーが顔を青くさせる。マシュも深刻な表情で立香の顔を伺った。そんな二人の視線を受け、立香は一人唾を呑み込む。
「……ま、まあまあ! 通信が繋がらないことなんて稀によくあることだから! だいたい何とかなるよ! ね!」
「そ、そうですね、先輩! 今にして思えば通信が繋がらなくても無事に特異点攻略出来た経験がありますからね!」
「な、何とかなるのか……? 私がいて……?」
空気を変える為に絞り出した空元気にマシュが乗ってくれるも、それでこの重苦しい空気が変わりきれるはずもなく。辺りにはただ立香とマシュの愛想笑いが響くのみだった。
ガサリ。
そんな辛気臭い花畑に、突如何かによる物音が割って入る。
ラクシュミーが剣を抜き前へ、マシュは盾を構え立香を庇う様にそれぞれ立った。
音がしたのは彼女達の視線の先の森の中。暫くの間があって、一人の人影がゆっくりと姿を現す。
誰だ、とラクシュミーが問うた。人影は身につけていた、酷く見覚えのある仮面を外し、静かに名乗る。
仮面の下から現れたのは紫の髪に紫の眼。立香はその顔を知っていた。否、彼と同じ顔を知っていた。
「――アーチャー、ヴィカルナ」
ドゥリーヨダナと全く同じ造形の顔が、立香を見つめニコリと笑った。