2章
「へぇ、それじゃあ君達はこの特異点を解決するためにやって来たんだ」
そうヴィカルナは人当たりの良い笑みを浮かべながら言った。
ドゥリーヨダナと違って髭がないせいか、顔の造りは同じであっても幾らか年若い印象を受ける。そして表情は彼の長兄よりも大人しい。良くも悪くも、ドゥリーヨダナは喜怒哀楽がハッキリ顔に出るタイプである。率直に言って顔がうるさい。
そんな彼の姿を観察しながら、立香は先程のあまりファースト感のないファーストコンタクトに思いを馳せていた。
*****
「――アーチャー、ヴィカルナ。百王子の一人で――「ヨ、ヨダナの弟さん!?」――ああ、兄上のこと知ってるんだ」
思わず叫んだ立香に、彼は少し驚いた様子を見せるもそのまま話を続けていく。
「まあ良いや。普段なら俺が単体でサーヴァントとして召喚されるなんてないんだけどね。どういう訳か、こうしてアーチャーとして召喚されてしまったんだ」
柄じゃないよね、と笑いながらヴィカルナは手にしていた弓を弄る。インドの弓と言えば立香が思い当たるのはアルジュナが持つガーンデーヴァだ。だがヴィカルナの持つ弓はそれとは違い、何の変哲もない普通の弓に見える。
立香の視線に気づいたのか、触ってみる? とヴィカルナが弓をこちらに差し出した。
「別に宝具とかじゃないから大丈夫だよ。持ち主以外が触ったら呪われるなんてことはないから」
「逆にそんな呪いの宝具があるんですか!?」
「古今東西の伝承を考えれば……ありそうですね……」
とにかく大丈夫ですっ、と立香は差し出された弓を押し返した。
「所で……貴殿はサーヴァントの様だが、マスターはいるのか?」
一つ咳払いをし、ラクシュミーが彼にそう尋ねる。
「マスター? ああ、いないよ。逸れサーヴァントとでも言うべきかな」
なら仮契約を結ぶべきだろうか、と立香は考える。逸れサーヴァントなど現地で協力者足りうる人物と出会ったのなら早急に協力関係を結んで欲しいとレイシフト前にダ・ヴィンチに言われていたからだ。
立香とマシュは顔を見合わせ、最後にラクシュミーと視線を合わせ、自分達の素性を明かすことにした。話があるとヴィカルナに伝え、彼と共に花畑の中、少しでも腰掛けやすそうな所に四人とも座り込む。そうして、先の言葉に繋がった。
「そうだ。私達はこの特異点に来たばかりで右も左もわからない。なので貴殿から情報を貰いたいのだが……」
「情報はタダではない。まあ、それくらいはわかってるか。
君達は何を対価にするつもりだい? 言っておくけれど、仮契約による魔力供給は対価にはならないよ。俺はもう魔力供給先を確保している。ああ、勿論魂喰いだなんて羅刹の如き真似じゃあないから安心して。
……それで、君達は俺に何を差し出してくれるのかな?」
そう言って、ヴィカルナは立香の眼をじいと見つめる。正当な対価を、そう視線が命じていた。
「それは……」
マシュが何か言おうと口を開き、すぐに閉じた。魔力供給が対価にならないのなら、現状目の前のサーヴァントに差し出せるものは何も無いからだ。
ラクシュミーも必死に考えを巡らせるが何も思いつかない様子だった。
「……まあ、それは冗だ――「対価はあります!」――え?」
「「先輩/マスター!?」」
突然、立香が立ち上がり叫んだ。立香はヴィカルナの視線を真っ直ぐに受け止め、そして彼の眼を見つめ返す。ビシと指を差して言葉を続ける。
「対価は情報! カルデアでのドゥリーヨダナとカルナとアシュヴァッターマン、ビーマとアルジュナ達の様子を対価として教えます! どう!?」
突然の、あまりにもあんまりな提案にヴィカルナは目を丸くしていた。立香の両隣にいたマシュとラクシュミーも同じ様な表情だ。
「せ、先輩。その提案はいくら何でも……」
「そ、そうだぞマスター。流石にそれは対価にはならないと思うが……」
「……フフッ」
彼女らが慌ててマスターに考え直すよう求めるが、それは思わず漏れてしまった様な笑い声によって止められる。
「フ、ククッ、アハハハハハッ! アハハハ、ハハ……ハーお腹痛い。久しぶりにこんなに笑ったなあ」
「ヴィ、ヴィカルナさん……?」
「フフ……良いよ。俺が答えられることなら教えてあげる。ただまあ、先にそっちの話を聞こうかな。教えてくれる? 兄さん達のこと」
着席し、立香は語った。カルナは相変わらずの天然と慧眼を発揮しており、少し前に拳で語るセイバーとしてサンタになったこと。アルジュナは最初は近寄り難かったが今ではすっかりインド関係以外の友人もできて一緒に激辛カレーを食べていること。少し遅れて来たアシュヴァッターマンはパールヴァティーに頭が全くと言っていいほど上がらないこと。実は異聞帯という全く別の歴史を辿った世界でのアルジュナもいてそちらは生徒会長になっていたこと(これには今までニコニコと笑って話を聞いていたヴィカルナも困惑していた)。さらに遅れてやって来たビーマは来て早々キッチン部に馴染み今ではクリスマスにオリジナルターキーを作っていたこと。同じ時期に来たドゥリーヨダナは賞賛が足りないと兄活おじさんと化していたこと(これを聞いたヴィカルナは大爆笑の後に呆れていた)。
「――とまあ、こんな所かな」
「それだけ?」
「え?」
「それだけ? 百王子(俺たち)の方は何かないの?」
「ええ……。何か、何かなあ……」
ドゥリーヨダナの霊基に内包されている百王子のカルデアでの過ごし方について、立香が語れることは少ない。ドゥリーヨダナは同肉である縁を利用してある程度召喚コストを削減した上で魔力を消費し戦闘時に宝具として九十九人の弟達を喚び出しているようだが、それは裏を返せば魔力の消耗もなく何の気なしに喚び出せるようなものではないということ。簡単に言ってしまえば、百王子との戦闘時以外の交流は殆どないのだ。
しかし立香はドゥリーヨダナ以外の百王子について語らなくてはならない。特異点の情報を貰う対価として立香はドゥリーヨダナ達のカルデアでの日常を語っているのだ。ここでわからないですごめんなさいと頭を下げた結果、情報を渡すに値しないと見なされてしまえば立香達はカルデアからの通信越しのサポートもないまま一からこの特異点について調べなくてはならなくなる。せっかく見つけた第一村人(逸れサーヴァント)、調査を進めるためにも、後に協力関係を築きやすくするためにも、決して逃してはならない好機であった。
「……あ、そうだ! 実はわたし、最近になって極一部だけど百王子の見分けがつくようになったんだ」
「……へえ、続けて?」
ドゥリーヨダナを除く百王子は、同じ肉から分かたれた兄弟なのは伊達ではなく、その背格好はほぼ同じ。傍から見て区別することは非常に困難であった。顔を見ればヘアアレンジや表情の違いから区別することは可能だが、普段彼らが身に着けている仮面のせいでそれも難しい。そもそも百人いるので名前を覚えることすら覚束ない。
しかしその中でも件のヴィカルナ、それとドゥリーヨダナのすぐ下の弟であるドゥフシャーサナは立香にも何となく区別がつくようになっていた。何て言ったって、二人は言動がわかりやすい。前者は殆どの百王子がビーマやアルジュナ達を避ける中、戦闘が終わり余裕があれば声をかけるしそのまま雑談に入ったりしている。後者は兄であるドゥリーヨダナの傍に常に居て、ビーマを見れば彼の兄以上に突っかかる。それが確り区別がつくようになったきっかけは、ドゥリーヨダナにゲロ甘な声を発しながらビーマには頑なに左手中指立て続けていたドゥフシャーサナ(推定)と、その指を捻じ切らんばかりに青筋が浮かぶほど握り締めながらビーマと穏やかな談笑をするヴィカルナ(推定)を目撃したことだった。当時は立香もあまりの恐怖に思わずラーマの裾を掴んだ程だ。ドゥリーヨダナもビーマも百王子二人の腕に一切視線をやらずにお互いの相手と話しているのも怖かった。たまたま通りがかったカルナが二人の名前を呼んで諌めたことで、立香は件の二人だけは言動で見分けがつくようになったのである。あとその二人は『マハーバーラタ』中でそれなりにキャラが立っていたことも大きかった。何せ他の百王子は最初に名前を列挙され、その最期がようやくの再登場なのがザラなので。
そんなことを立香が話すと、ヴィカルナは何かを懐かしむような笑みを浮かべていた。
「そう……兄さん、相変わらずだなあ……。
……うん。面白い話を沢山聞かせてくれてありがとう。それじゃあ今度は俺が話す番だね。具体的に何が聞きたいのかな?」
「そうですね、ではこの特異点について教えてくれませんか? ヴィカルナさんの知っている範囲で構いませんので」
「この特異点についてか、そうだね――」
まず、この特異点の時期について。ヴィカルナはこの特異点はクルクシェートラの戦いが既に起こった後だと告げた。
「成程、ならばもうユディシュティラ殿による統治が始まった頃だろうか?」
そうラクシュミーが尋ねた。『マハーバーラタ』では、クルクシェートラの戦いによりドゥリーヨダナ含む百王子は全員が死亡する。その結果、ユディシュティラがクル国の王となったのだ。
「ああ、そういう訳じゃないんだ。実はね……。
今クル族の王となっているのは兄――いや、ドゥリーヨダナなんだ」
ヴィカルナの発言に三人は言葉を失う。もしやドゥリーヨダナがパーンダヴァを打ち倒し王になるために聖杯を使ったのでは……という考えが一瞬だけ立香の頭をよぎった。
「そ、それは……ユディシュティラさんが死んでしまったということ?」
おずおずと、立香が口を開く。
「いいや。ユディシュティラ殿は生きているよ。ビーマ君達……五王子も全員生きている。
何て言えば良いかな……。
この特異点では、あの戦争はそこまでの死者は出ずに早々に終わったみたいなんだ。
ドゥリーヨダナは〝自らの過ちを認めて〟降伏した。本来ならユディシュティラ殿が王になるのだけど……。どういう訳か、王権はドゥリーヨダナのものとなった」
「ドゥリーヨダナさんが降伏したんですか!?」
「しかも自分の非を認めて……!?」
「カルナやアシュヴァッターマン、神様相手ならまだしも……」
「……兄上がどんな風に思われてるかはわかったよ」
ヴィカルナの衝撃的な言葉に三者共に声を上げる。その内容に、ヴィカルナは苦笑いを浮かべていた。
「あっ……気を悪くされたのなら申し訳ありません、ヴィカルナさん。ただ、私たちの知っているドゥリーヨダナさんからはあまりにも想像がつかなくて……」
「大丈夫だよ。俺もそれを知った時はかなり驚いたから。兄上が――特にユディシュティラ殿やビーマ君達に対して非を認めるなんて考えられなかったし」
ヴィカルナは静かに目を伏せる。
「だから……きっとそれがここが特異点になった原因なんだろう。聖杯か、それに類する何かによって、ドゥリーヨダナは間違いを認め戦争を終わらせた」
そこまで言うと、ヴィカルナはニッコリと優しげな笑みを見せた。
「――俺が知ってることはこれくらい。
後は俺自身も調査中なんだ。ごめんね? 大した情報もなくて」
「そんなことはありません! とても有益な情報でした。ありがとうございます」
「ああ。貴殿の話で聖杯が何処にあるかも見当がついた。感謝する」
マシュ、ラクシュミーの言葉にヴィカルナは「なら良かった」と笑った。そして徐に立ち上がる。
「さて……それにしても喋りすぎちゃったな。ちょっと周りを見て来いって言われただけだったのに、随分時間が経ってしまった」
「そうだったの!? ごめんなさい。長いこと話し込んじゃった……」
「いや、構わないよ。それより――」
ヴィカルナは立香達三人に視線をやる。
「君達は何処か身を寄せるあてはあるのかい?」
彼の言葉に三人はそれぞれ苦笑いし、目を伏せ、不安げな顔をした。
「……その様子だと、なさそうだね……。うん、わかった。それなら俺が良い所を紹介するよ」
「着いて来て」とヴィカルナは言って先を歩き始める。三人はそれを追い、森を幾らか進んだところで「どこへ行くの?」と立香が尋ねた。
「そうだね……とても騒がしくて、飽きなくて、面白い所だよ」
「我々の身の安全は保証できるのか?」
「君達が良い子にしていたら大丈夫だよ」
「あの、それってもしかして――」
マシュが口を開いたちょうどその時、一行は森を抜ける。
目の前に広がるのは巨大な都市。そして中でも一等目を引くのは、その中心にそびえ立つ巨大な宮殿である。
その光景に目を奪われている三人に、ヴィカルナは酷く甘く感じる程に優しげな声でこう告げた。
「ようこそ、ハスティナープラへ」