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    ミドリ

    @midori_002

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    ミドリ

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    マツバ・ミーツ・チャナキ(チャイニーズマフィアミナキ)

    ミナキくんと瓜二つのチャイニーズマフィアのお話 マツバはコガネの街中で、ミナキの顔を見かけた気がして立ち止まる。しかし妙に派手な格好をしている。普段も派手だが……光沢のある紫の地に刺繍の入った、中華風というのだろうか。長い裾が足運びを飾って目を引いた。雑踏の中でも品良いそれは、スイクン色のタキシードとは似もしなかったが顔は確かにマツバの古い友人だ。ミナキくん、と声をかけようとしたが、マツバには気づかぬ様子で路地へ消えていく。あ、と思って思わず追うも、背の高いビル群に区切られた暗がりに姿はとうに沈んでいた。数歩入っただけで喧騒からも切り離された妙に寂しい路地だった。人影どころかコラッタ一匹見あたらない。
    「ワタシに何か用か?」
     とっぷりとした影からの唐突な声に振り向いた。背後にあるのはやはり見知った顔である。口調も言葉も丁寧だったがどこか不思議な響きがある。
    「ふむ、こんな可愛らしいヒト忘れるはずがないんだが」
     うすい緑のカラーグラスに遮られた視線を受けて固まっていると、マツバの意識が薄らいだ。固めた茶色の前髪が、視界の隅でゆらめいていく。睡眠薬を嗅がされたのがわかったのに、もう口元をふさぐ布を振り解く力は残っていなかった。

    「驚いたな、アレを嗅いでこんなに早く起きた人間ははじめてだ」
     ふわふわとした感触に頭を起こすと豪華なカウチに寝かされていて、向かいのターンテーブルで複数人が食事をしているのが見てとれた。かなり大きい、くるくると回るアレだった。テレビくらいでしか見ない。もう少し周りの様子が知りたかったが頭以外は起こせなかった。腕が後ろで縛られている。
    「キミもどうだ?」
     身を乗り出してきたのは先まで追いかけていたあの男だ。きゅっと上がった口角から、いたずらっぽく舌先が覗く。
     はいあーん、と促され、薄暗い照明を照り返す北京ダックが目の前に。差し出す男の指から手首へとタレが伝ってゆっくり線を描いていたが、ミナキの顔の男は意にも介さぬようだった。手ずからの餌付けのようだとマツバは逡巡したものの、結局口を開けたのだった。
    「味は良いだろ? 最近買ったレストランのシェフに作らせたんだ」
     存外やさしくマツバの口に北京ダックをおしこんで、最後に残ったタレは舌と唇にすりつけられた。もぐもぐと噛んでいる間終始男は微笑んでいた。テーブルには他の人間もいたと言うのに、言葉を発しているのは目の前の男だけだった。
     さて、と、一通りの食事が済んで取り巻きごと皿を下げさせると、男はゆっくり近づいてマツバの横たわるカウチに乗り上げ前髪を軽くかきあげた。近くで見ても顔はミナキそのものだったが、ずれたカラーグラスからはしばみ色の瞳が覗く。マツバは、は、と固まった。違う、確かにミナキではない。彼の瞳は日向の水たまりに似た浅瀬のみどりだ。
    「縛ったままで悪いが、暴れたらケガをするのはキミだから我慢してくれるな?」
     こんな言動と状況でも、意識のどこかでミナキのように感じていた自分がすこしおかしかった。
    「すみません、その、僕は人違いをしていて」
     なぜかマツバの身体をまさぐりはじめた男に必死に声をかける。ほとんど覆いかぶさられていて、小さな声でも耳に届くはずなのに男は聞くそぶりがない。
     黒いセーターがめくりあげられ、へその下を男の人差し指がなぞる。妙にひやりとした指だった。自分が熱いのかもしれない。
    「ごめんなさい、本当に間違えていて……ミナキくんっていう僕の友人で、こうして話していてもミナキくんと話しているみたいで」
    「そんなにか?」
     男がやっとこちらに反応した。訳の分からない焦りで高くなりそうな声をどうにか抑え、完全にミナキ本人だと思って追いかけたことを小声で詫びる。なんとなく、さっきの部下が近くにいるのは察せたので、騒ぐのははばかられた。
    「本当です、僕のギアに写真があるので見たら分かると思います……」
     ふぅん? と男の手が止まり、部屋の隅にまとめられていたマツバの鞄を取りに立つ。かなりはだけられてしまった服が気になったが、とりあえずの中座に息を吐く。今更になって襲われかけていた自覚が生まれ、遅れた動悸にマツバは胸を喘がせた。
    「ギアってこれか」
     襲われかけていたのは過去形ではなく進行形かもしれないと、男の声が気づかせた。腕を自由にできないかとみじろぎしていたが無駄のようだ。そもそも抵抗はたぶん得策ではない。明らかにカタギの居場所ではなかった。君はにぶいなぁと幾度となく古い友人に言われたマツバだが、そのくらいはわかるのだった。
    「それらしい写真はないが」
    「一番下のフォルダの、鍵付きの……」
    「……パスワードは?」
     四桁の数字を告げると男は素早く操作しながら、何の数字だ? と問いかけた。完全に暇つぶしの質問だ。
    「誕生日……ミナキくんの」
    「好きなのか?」
     ふふ、とすこし笑うとますます似ていた。
     流し見ていた男だが、次第に様子が変わっていった。時間をかけて数枚の画像を繰り返し眺めると、くるりとマツバに向き直りごく朗らかに話しかける。
    「よし、キミはもう帰っていいよ。安全な表通りまで送らせよう!」
     ぱん、と両手を合わせて人懐こく首を傾げ、大変機嫌が良さそうだった。拘束を解き、身支度を整え陽の当たる道の見えるところへ来るまでずっとマツバの肩に手を乗せていた。
    「じゃあ僕はこれで……」
     マツバは正直もう走り出したかった。後ろから撃たれる妄想さえなければそうしていた。だが、そうだ、という男の声がマツバの伺いを遮った。
    「また今度、食事に行こう。今日は中華だったから次は和食がいいな」
     親しげに、さも別れを惜しみ次の約束をする友人のように男は語る。肩を抱く手は軽く乗っているだけだったが、マツバはどうにも気になった。
    「次のときは是非、そのご友人も一緒に」
     カラーレンズ越しの瞳がきゅうと細くなったのは、たぶん気のせいではない。
     肩に置かれた男の手と、ニッコリとした男の顔を見比べて、マツバはゆっくり頷いた。帰れる路はこれしかなかった。
     笑みを深めた男はぱっと手を離す。ひらひらと振られるてのひらは楽しげだ。
    「じゃあな、マツバ」
     名前を伝えた覚えはなかった。

     僕はミナキくんを売ったのでは、と気づいたのはしばらく経ってからだった。しかし名前は知られていたが、電話番号を聞いたでもなし、接触する方法がないのだから食事の誘いも冗談かも。マツバの淡い期待は、無機質に鳴るギアの着信に切り捨てられた。嫌な予感に、こっそりと廊下に出てから応答する。
    『よう、マツバか』
     知らない番号が表示されていたが、まぎれもなくあの男だ。声すらミナキとよく似ていた。
    『約束覚えてるか? 来月の金曜にコガネで食事をしよう。もちろんご友人と一緒に……ああそうだ、ドレスコードがあるんだ、まず服がいるな。デパート六階の紳士服売り場に十八時に来てくれ』
    「ミナキくんがつかまるかどうか……」
    『こちらから迎えを出すか?』
     黒塗りの高級車に連れ去られるミナキのビジョンがふと浮かび、僕が連れて行きます、と伝えてかき消した。
     楽しみだ、と言い残してギアは唐突に切れる。
     そう、北風と同じくらいミナキを捕まえるのは難しい。そのはずなのだが。
     マツバは画面の消えたギアを一瞥してから居間へと戻る。障子を開けると、卓袱台に片肘をついた退屈そうな茶色の頭が振り向いた。
    「マツバ、テレビ変えても良い……ん、電話か?」
     スイクンの手がかりがない、と、もう三日もここマツバの家で日がなごろごろとしているのが件のミナキその人であった。こんなときに限って、つかまえるのは大変簡単なのだった。
     マツバがため息を呑み込んで、食事の誘いを伝えると一も二もなく喜んだ。
    「私も誘ってくれるなんて、君の知り合いは良い人だな!」
     良いか悪いかなんてのは認識如何でどうにでもなるよね、とマツバの思考は逃避して、うん、と微笑んでおいたのだった。

    「ここで待ち合わせなのか?」
     シックな高級紳士服ショップの立ち並ぶデパートの一角で、ミナキは大変目立っていた。マツバは周りを見回していたが、あの男はまだ見えない。なんなら客もあまりいない。イッシュ語だかカロス語だかもわからない店名が暗い照明に照らされて、その下に飾られたマネキンたちが一様に綺麗なスーツを着せられているのは落ち着かなかった。マツバが普段着だったからかもしれないが。
    「マツバ様とミナキ様ですね、お待ちしておりました」
     折り目正しいお辞儀と共に、デパートのスタッフが声をかけてくる。
     こちらへ、と促されるまま何も書いていない黒い扉をくぐると、広々とした部屋だった。これがVIPルームなのだろうか。マツバも初めて入ったからわからなかったが、足が沈むほどのカーペットに年代もののソファがそう物語っていた。
     ──お飲み物は何をお持ちしましょうか。案内のスタッフが控えめに尋ねるのに、ミナキは妙に慣れた様子で紅茶を頼んでいる。肝が太い。感心しているところに、マツバ様は、と礼儀正しく尋ねられ、しどろもどろにお茶をと答える。
    「玉露、かぶせ、煎茶、ほうじ茶、他はハーブティーなどもご用意ができます」
    「ほ、ほうじ茶で……」
     下がっていったスタッフに聞こえないようにミナキが囁きかけてきた。
    「言えばワインとかも出てくるんじゃないか?」
     やめなよ、と視線で釘を刺し、運ばれてきたほうじ茶に口をつける。産地や製法の高級そうな解説があったが、緊張で覚えていなかった。

    「お手紙をお預かりしております」
     待たせるでもなく急かすでもなく、一息ついた完璧なタイミングでスタッフの静かな声がした。デパートには声かけの時間を測る修行もあるのだろうか。
    〝すまないが急用が入って食事に行けなくなってしまった。キミたち二人で楽しんできてほしい。支払いは気にせず、そのまま帰れるようにしてあるから気兼ねなく。それと、服はプレゼントなのでなんでも好きなものを選んでくれ〟
     赤銅色の封蝋の中にはきれいな文字が並んでいた。サインはない。ほどなくして服が運ばれてくる。
    「君は着物か、いいな、わかってるぜ」
     なにがわかっているのかわからないが、ミナキ側に運ばれてきた服たちを見てマツバは気が気でなかった。
    「私のはだいぶオリエンタルだ、綺麗だが着たことないな」
     どこかで見たような長袍がずらりと並んでいる。紺の地に金のラインが縫い付けられたものや、なめらかな光沢を放つしっとりとした黒無地の生地のもの。燃える熾火の深い紅。さまざまな色と装飾で美しく並んでいたが、どれを選んでもあの男の着ていたものとほとんど同じだ。
     止めるべきか迷っているとミナキは深い紺碧の凝った刺繍のものを選び、ついでだと言ってマツバの着物も選んでしまった。優しい苔色の着物は羽織と色の深さを変えていて、落ち着いているのに目を引いた。マツバの目にも染織の良さが見てとれる。綺麗なものを追っているから、ミナキの審美眼は案外繊細で確かなのだ。
    「マツバ! これどうだ」
     着付けに別室へ行っている間にミナキは着替え終わったようで、小物のサングラスを選んでいた。ライトカラーの丸いレンズをかけて見せる。自慢げな様子を除けば、あの中華風の男と全くもって瓜二つだ。
     影武者。マツバが見ないようにしてきたワードが否応なしに頭の中を駆け巡った。

     最上階のレストランはさすがの眺望で、ガラス張りの壁面がそれを余すところなく見せつけていた。宵闇に染まった空とキラキラ輝く眼下の街が美しかった。
     運ばれてくる料理もキラキラとして何が何なのかさっぱりだったが、聞ける相手も特にいない。配膳スタッフは言葉少なく、数歩下がって控えている。
     何種類もの出汁で取られた透明な香り高いスープ、豆のペーストとジュレの固めたもの、野菜を信じられない細かさの飾り切りにして炊いたもの、花のような手毬寿司、繊細な切り込みの入った肉料理、複雑な色味のソースが光をとろりと反射して、くつくつと揺れる土鍋の中の貝はつやつやとして何もかもが尋常でなく美味だった。
    「マツバこれ何かわかるか?」
    「わからない……」
    「でも美味いな」
    「うん……」
    「ん、これ……」
    「え?! 毒!?」
     一瞬何かの実を噛んで怪訝な顔をしたミナキにマツバが身を乗り出す。何言ってるんだ? と影武者疑惑で蒼白なマツバの心配をよそにミナキは呆れ、わかったヒメリの実だ、と解析して喜んでいた。もうコース料理も終盤である。
     銀盆を捧げ持つウェイターが、静々とテーブルに会釈をする。デザートのミルクジェラート、宇治抹茶のパウダー添えですと機械の如き静謐さで告げ、皿が冷たいからであろうか、腕にかかったクロスを手に取る。
    「……あのねミナキくん」
     マツバは意を決し、ミナキに伝えることにした。何も知らせずにいるのは限界だった。
    「実は、今日呼ばれたのは、もしかしたら身代わりにされ、」
     しかしてマツバの言葉はそれ以上続かなかった。配膳しようとしていたはずのウェイターが、ゴトリと床に崩れたからだ。赤いカーペットが黒く染みていく。まるでドラマの射殺シーンだ。問題はこれがドラマではなくおそらく本当の射殺なことだった。ドラマほど、派手な音はしなかった。しかし、一拍遅れて響いたガシャリと言う音は、皿や盆の音ではない。マツバの目が確かなら、ウェイターのクロスの下から覗いている黒い銃口からの音だった。マツバの目は千里眼を除いても大抵確かだったので、もし今このウェイターが撃たれなければ物言わぬようになっていたのはマツバとミナキだったのかもしれなかった。
     その死体の脇をなんでもないようにすたすたと、無造作に近寄ってくるものがある。
    「やあやあ、お疲れサマ」
    「は……? だれ、私??!!」
     言葉もなく固まっていたミナキに向かって近づいてくるあの男だった。
    「わあ、ホントにそっくりだ。良い趣味だな」
     風のようにマツバの後ろに隠れたミナキを検分し、やれやれと手を振って見せる。
    「キミたちのおかげでワタシを狙う殺し屋の始末ができた、感謝してる。さて……今回これを見てしまったキミたちのこれからについてだが」
     すこし話そうじゃないかと、男はレンズ越しの目を細くする。
    「い……言わない!! 絶対誰にも言わないから殺さないでくれ!」
     命乞いが早いのは美徳だろうか。鼻声なのが惜しかったが、死人を前に喋れないでいるマツバより状況に対応できてはいるようだった。
     ふむ、と男は手の動きだけで部下を呼び、彼らの荷物を、と指示を出す。マツバとミナキの財布を勝手に漁り、キャッシュカードを取り出した。
    「キミたちの口座にお小遣いをいれておくから、口止め料ということで。せっかくだからデザートも食べてから帰ると良い」
     あのウェイターが最期に運んだデザートだ。おそらくウェイターではなく殺し屋だったのだろうが……抹茶パウダーのかかったアイスが溶けそうになっていた。もらえるものは食べておく主義のミナキも、自分が身代わりに狙われていたことを知っては手が出しづらいようだった。そもそも死体が転がっているのだ。ニコニコとデザートを勧めるミナキそっくりのその男の目には、もうその死体も映っていないらしかったが。
    「じゃあ、もう会うことはないだろうが…… 再见!」
     ひらひらと手を振る後ろ姿を、マツバとミナキはほぼ抱き合うようにしてただ見送るばかりであった。



    ……さてこれは蛇足の後日談であるが、マツバとミナキの口座には、恐ろしいことにそれぞれ一千万円がきちんと振り込まれていた。しかし、それを巡ったてんやわんやは、また、別のお話である。


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