さよならプリズム 部屋にけたたましいアラームの音が響く。音に共鳴するようにバイブレーションがその身を震わせ、音の正体――目覚まし時計がカカカカカと木の机に当たって細かな音を立てた。
「あ」
重なった声は僅かな差ではあったけれど沢北の方が早かった。二人の視線は自然と目覚まし時計に集まっている。
――時刻は二十一時五十五分。
「もう時間ベシ?」
深津が問うと沢北はこの世の終わりのような絶望感を纏わせ「はい」と頷いた。深津は立ち上がって目覚まし時計を手に取り、振動を止める。振り向くと、いつもなら釣り上がってみえる沢北の眉がぺしゃんとひしゃげた顔をつくっていた。
沢北は悲しいと訴えるとき、怒られて泣きそうなとき、いつもそういう顔をする。顔の表情筋を器用に使い、百人が沢北の顔を見たら全員が悲しんでいるのだと納得できる顔をつくるのだ。深津の表情筋は悲しかろうが楽しかろうが、誰かに頬を固定されているのかと思うくらい動かないので、沢北の内面が素直に顔面へ照らされる様子を好ましく思っていた。深津みたいな人間は世の中では僅少であることは知っていたけれど、沢北のように考えていることが全て表情に出る人間もまた珍しいと深津は思う。ただでさえ、人の心なんて分かりにくいのだから、沢北のように内心何を考えているのか分かりやすい人間ばかりだったらいいのにと考えることも少なくはなかった。
今日もわかりやすく一瞬で悲しみに染まった顔を見ては可哀想だと感じるけれど、深津にはどうしようも出来ないのだからしょうがない。原因はわかっている。夕飯後、いつものように深津の部屋に訪れた沢北は、「今日の点呼、二年の部屋からなんで忘れないようにします」と深津の目覚まし時計のアラームをこの時間に仕掛け、それからたわいも無い話をしていたらあっという間に終わりの時間が来てしまったのだ。
「そろそろ戻れベシ」
「はーい、おやすみなさい! 深津さん」
「おやすみベシ」
「松本さんもー」
「おー」
沢北は松本の返事を聞くまでもなく慌ただしく部屋を出て行った。消灯まではあと五分。きっかり二十二時になれば当番の三年が各部屋をまわり、生徒の不在を確認する。事前に外泊申請を出していないとトイレだろうが風呂だろうが各部の顧問に報告されるため、何が何でもこの点呼の時間に遅れてはならないというのが寮の決まりだった。
「慌ただしいベシ」
「……俺にも挨拶しろよ。俺は次いでか?」
「きっと部屋の外で言ってるベシ」
「今まで聞いたことないぞ」
「走りながら言ってるベシ」
「……はあ。全く先輩をなんだと思ってるんだか」
一年、もしくは二年から順に始まり、三年の部屋への点呼は最後に行われる。深津は寝るために布団に入りながら、松本は勉強机の上を片付けながら、嵐のように去って行った後輩のことを思い出していた。「なんだよあいつ」とぶつぶつと文句を言いながらも松本が案外沢北を可愛がっていることは周知の事実で、部活中はもちろん放課後もなんだかんだ理由をつけてこの部屋に入り浸っている沢北を追い出したことは一度もない。むしろ最近では「ちょっと走ってくるわ」とか「イチノの部屋に行ってくる」だとか深津と沢北に対して気をつかっているような雰囲気すら感じとれるのだ。
……もしかして、松本は気づいているのだろうか。二人が付き合っていることに。
沢北と自分がそういう関係にあって、その上で直接は言ってこないものの二人きりにしてくれているのではないだろうかと深津は度々怪しんでいる。松本という男はそういうきらいがあって、武士道だとか、昭和の男だとか。余計なことを言わずに背中で語ることが美徳だと思っている節がある。確かにその野暮なことを言わない姿勢は無駄が嫌いな自分の性格とよく合うなと思うけれども、知りに知り尽くしている松本だからこそ、まるで母親に付き合っている相手を知られるような気恥ずかしさがずっと胸を占めている。
「……」
「……」
点呼を待っている間、不意に落ちた沈黙が少し気まずい。もういっそのこと自分から切り出した方がいいのだろうか、というところまで考えが飛躍する。例えば「俺と沢北が付き合ってるって言ったらどうする?」とか。……いや、そんなストレートに聞くものでもない。じゃあ「沢北って付き合ってるやついるって聞いたことあるか?」とか。いや、そう聞いてお前だろと言われたら終わりだ。もっとオブラートに包んで、だけれど的確に確かめられる言葉はないだろうか――――…………。
「深津」
松本の声に、深津は考えるのを一旦止め、顔をぐりんと松本の方へ向ける。松本は手にしていた宿題のノートをパラパラとめくっていた。
「何だベシ」
「……沢北どこかおかしくなかったか?」
「おかしい?」
ぱちり、瞬きをする。
「いや、今日だけじゃないんだけどよ。なんか大人しい気がして。妙に落ち着いてるっていうか。最近よく部屋に来るから初めは深津に相談があるのかと思ってたけど別にそんなこともないんだろ?……なにか、悩んでんかあいつ」
「……」
「深津?」
何も答えない深津に、今度は松本がこちらを向いた。
「あ、いや。悩んでる様子は特になかったベシ」
「そっか、俺の気のせいならよかったわ。悪い、気にしないでくれ」
「うん」
深津が頷いた時、トントントンと部屋の扉が音を立てる。点呼だ。松本が席を立ち扉を開けた。
「お疲れ」
「おう、――深津もいるか?」
「いる。ほら」
松本が布団に潜り顔だけ出している深津を指差す。
「うわ、もう深津寝てんのか。早すぎだろ」
「おやすみベシ」
「おやすみ、深津」
「あと隣だけか?頑張れよ」
「おー!松本もおやすみ」
「おやすみ」
パタンと扉が閉められた。ついでのように松本が部屋の電気を消し、あたりは真っ暗になった。
時計の秒針が静まり返る部屋に響く。松本は寝入りがいいからもう既に寝たのだろう。穏やかな寝息が聞こえてくる。
一方、深津は松本の一言で何となく覚めてしまった意識を天井を見つめ続けることで気を逸らしていた。
『……沢北どこかおかしくなかったか?』
確かに松本の言う通り、深津も部活動や学校、寮で過ごす様子を見ていて、最近の聞き分けの良さには疑問を感じていた。
沢北が山王へ入学したのは今から一年前のことで、今日に至るまでここで共に過ごした時間は、深津の他の同期よりは多いのではないかと思う。それは、気がムラな性格を持つ彼を特に気にかけているということも関係しているが、それよりも沢北自身が深津を気に入り雛鳥のように後ろを追ってきているからだった。「ふかつさんふかつさん」と何かあれば深津の名を呼び、何もなくても「深津さんってどこにいます?」と常にあたりを探している様子から、部活仲間の間では沢北の顔を見たら深津の場所を伝えるのがデフォルトになっている。入部したばかりは沢北がこんなに懐くなんて思ってもいなかったのに。
関東から来たというやたらとおしゃれな顔をしていた新入部員は沢北栄治と言った。先生がどこから見つけてきたのは定かではないが、都会の人間は顔の造形まで違うのかと部内が騒然としたのを今でも覚えている。(後に話を聞いてみると、関東は関東でも秋田と変わらぬ田と山に囲まれた北関東の田舎だったと言う)彼の存在に圧倒されたのは顔だけではなく、そのバスケセンスだった。
――一を教えたら十を理解する理解力。そして脳内のイメージをそのまま身体に反映できる運動能力。挙げ句の果てに、大のバスケ馬鹿となれば、容易に山王の中でも上位に食い込むことは想像付くだろう。
ただ、そんな沢北にも苦手と言われることがあった。それは団体行動だった。
通常の練習ではチームの輪を大切にし統率をとることを目的としているため、個々のプレーを磨くというよりはフォーメーションでの練習がメインとなってくる。それゆえ、沢北のような自我が出まくるプレーをする杭は皆と足並みをそろえるために、ボコボコに打たれまくる。沢北は今まで、人より見えているものが多い分、合わせるということが壊滅的に苦手だったのだろう。思ったことをすぐに口にする様子も上級生から生意気だと捉えられやすい。できない故の傲慢さではなく、プレーに裏付けのある我儘なやつを躾けるのは、骨の折れる仕事だった。後輩育成は、深津たちが思っているよりも初歩的な指導から始まった。
普段の練習では厳しくチームプレーについて律していたから、部内の紅白戦では好き勝手、伸び伸びとプレーをさせてやっていた。リードを外された犬が自由に庭を駆け回るように沢北は楽しそうにプレーをするものだから、深津の目の届く範囲ならと多少のセルフィッシュなプレーには目を瞑っていたのだ。
自分のパスで沢北をより一層化けさせれば、それは山王が勝つ確率を格段に上げることに繋がることは皆の承知だった。だからこそ、沢北の枠からはみ出る行動には目を瞑りつつ、深津が手綱を握っているという構図がデフォルトだったはずなのに、ここ数ヶ月くらいは生意気な様子は鳴りを顰め、先生にもマネージャーにも河田にも怒られていない様だった。
気のせいだと言われてみれば、確かにその程度だ。ただの先輩と後輩という関係だったら、松本のように「気のせいか」と一言で済むだろう。だけれど、深津と沢北は所謂、恋人という関係なのだから、何かあったのなら先輩としてそして恋人として親身になってやりたいと思っている。沢北という人物は、内心が表情に出やすいとか、隠し事が出来ないだとか、そういった類だったはずだ。テストで赤点を取った時も、夕飯で嫌いな食べ物が出た時も、最後まで隠し通せなくて「深津さん」とすぐ泣きついてきたのに。今となっては、彼が何を考えているのか分からなかった。
――そして、今日。
やはり沢北の様子はおかしい。しかも松本から見てもわかる程度の違和感。ほんの僅かな染みは、一度気付いてしまうとじわじわと範囲を広げ、侵食しているような気がしてならなかった。
……少し様子を伺うか。
実際に聞いてみないとわからない。明日から沢北の様子を観察してみることにした。すっきりしない思考を抱えたまま、深津は目を閉じた。
*
沢北に告白をされたのは、まだ学年が上がる前のことだった。
深津は放課後、滅多に行くことのない自転車置き場に呼び出されていた。
登校した時に開けた下駄箱の奥隅に、姿を隠すようにして置かれていた手紙には「放課後、自転車置き場で待つ」とだけ書かれていた。名前はどこにもなかった。角ばった文字で場所だけ簡素に書かれた手紙はまるで決闘状のようでもあり、なにか戦いでも申し込まれるのだろうかと、深津は一日中その事ばかりが頭をよぎる。告白されるなんて露ほどにも疑わなかった。
そして、放課後。自転車置き場の傍にあるベンチに座り、深津はぼうと空を見ていた。今日は珍しく天気が良い。雪が所々太陽に照らされ溶け出している。まだ寒さは続くが、後数ヶ月で春が来るのだと予兆めいたものを感じていた。
――どのくらい待っただろうか。
ポカポカと暖かな日差しを浴びながら日光浴をしていると、誰かが近づいてくる気配がして、深津は顔を上げた。
「沢北」
思わず漏れた深津の声に沢北は「お疲れ様っす」と頭を僅かに下げた。なぜここに?と思ったけれど、体操着の出立ちで現れた沢北は、おそらく体育の授業終わりだったのだろう。着替えもせずに深津へ近づいてくる。
「体育終わりベシ?」
「はい。なんか気がせっちゃって」
沢北は忙しなくキョロキョロとあたりを見渡している。深津は何も疑問に思わず尋ねた。
「何用ベシ?」
えっと、と沢北は言いづらそうに言い淀み、深津が手にしていた手紙を指さす。
「これなんですけど」
「これ?」と深津はぷらぷらと手紙を掲げてみせた。
「書いたの俺なんです」
「この決闘状みたいなやつベシ?」
「え? 違います、告白です」
次いで「え」と反応したのは深津の方だった。驚きが第一に来て、思考が停止する。
「深津さんってさ、なんていうか、えっと俺の先輩であり神でもあり、光とか太陽であって、月っていうかさ。わかります? 俺の言いたいこと」
固まっている深津を他所に、大きな眼を煌めかせ沢北は言う。沢北の言うことには根拠がなく普段から雲を掴むような曖昧さを持っていて、深津はいつもその感覚頼りで抽象的な表現に悩まされているのだけれど、今日はいつにも増して理解が追いつかなかった。
沢北のセンスには納得できるものがあるし、彼のバスケに関してなら理論的に考えられる思考も気に入っている。だけれど、バスケから離れると途端に意味のわからないことを突発的に言い始めるので、どうしたものかと頭を抱えない日はなかったのだ。
沢北が理解しろと言わんばかりの期待した顔で深津を見つめているので、深津は一旦考えてみることにした。出来ることなら彼の頭の中を直接覗き見たかったが、二つに頭を割ったとて、自分と同じようにバスケしか占めていないと言うことだけは容易に想像つく。
――先輩であり神であり太陽で月?
先輩、は一先ず理解できた。その後から続く、神と太陽と月の部分への理解が追いつかない。……結果、考えても何も分からなかった。
「……悪いベシ。カケラも理解できなかったベシ」
「マジっすか?」
深津が静かに頷く。
「だから、えっと、あー、……深津さんのことが好きだって言いたかったんです」
至極冷静にいう様子は少し奇妙であったけれど、告白なんてされる機会はないので比べようにもなかった。もっと慌てふためいたり、顔を赤くしたり、深津はそういう全ての欲求に素直な沢北が好きだったので、若干残念に思う気持ちもあったと思う。
――こんなもんか。
そう言ってしまえばそれきりのことだった。
「だから、付き合ってください」
「無理ベシ」
にべもなく断ると、「なんでですか!」と沢北が断られるなんて思っていないような反応を示した。
「何でそんな意外そうな顔してるベシ」
「だって、深津さんって俺のこと可愛いって思ってるでしょ」
沢北の言う可愛いとは、幼子や動物に向ける母性染みた類であって、恋愛感情があるとか付き合いたいだとか決してそういうものではない。そう深津が弁解しても、「また告白しますから!」とその場から走り去ってしまった。呆然と立ち尽くす深津を置き去りにして。
それからというものの、どこにいても沢北が纏わり付くようになった。飯を食べていてもバスケをしていても、深津の姿を見つけるや否や、「深津さん!」と後から追いかけ回されるのだ。短い十五分間休憩の時にだって、「深津さん〜」と深津の教室を訪ねてくることもある。
――好き、とはなにか。
沢北が度々使う言葉に考えさせられることがある。
彼は好き好き好き言うけれど、自分のどこが好きなのだろうか。
なぜ、どうして。理由を問いたくなる。他の後輩と同様に先輩として接してきた中で、なぜ沢北だけがこんなにも懐いてくるのだろう。沢北に聞いても「深津さんは俺の太陽だからさ」とか根拠になり得ない理由ばかり言ってくるし、考えても考えても深津には分からなかった。
一方で自分はどうだろうか。沢北のことをどう思っているのだろうか、と自問自答する日も多くなった。
顔は、端正でカッコいいと思う。笑うと目尻が上がるアーモンドアイも、拗ねると尖る下唇も。この田舎には中々ない洒落っ気があった。性格も、――まあ、好きだと思う。歯に衣着せぬ物言いや突飛しやすい思考回路は、多少の衝突は避けられないが、深津にはないものだったので未知の生き物を見るような面白さがある。細かなところをあげていけばもっとあるのだけれど、二人の間にバスケ以外の共通点は一切ないので、それ以上の考察を深めることは出来なかった。
分からないことばかりが頭を占めはじめ、嫌いでもないのになんで渋っているのだろうと思うようになった。きっと、絆されたのだと思う。多少の生意気さも可愛いなと思えるようになった。
毎日好き好き言われて、告白の数が二桁になったころ、もはやお決まりになった「好きです」のセリフに、「良いベシ」と何が良いのか分からない返事をした。すると、沢北が少しだけ目を見開いて、見たことがない表情をした。上がっていた口角が元に戻り、薄い瞼の皮膚がぴくりと震える。
「本当ですか?」
「嘘はつかないベシ」
「本当に本当ですか?」
「しつこい」
「じゃあ、本当に本当なんだ。俺と深津さんは恋人ってこと?」
沢北がぽつりと呟いた。
付き合うことを了承した瞬間から崩れた敬語に、注意しようと口を開くも、流れるように両手を握られてしまい、途端に喉に詰まったかのように話せなくなる。言葉をどこかに置いてきてしまったのかもしれない。辛うじて首を動かし、こくりと頷いた。
「じゃあ、今日から恋人だ」
誰に訊かせるでも無い思わずという風に沢北の口から漏れた声には熱が滲んでいて、その感情の昂りを伝えてくる。まだ好きだとかそう言う気持ちはわからなかったけれど、沢北が嬉しそうならいいか。何故かじんわりと深津まで嬉しさが滲んでいくようだった。
それからすぐに学年が上がった。深津が三年になってからも沢北が教室に来る日々は続いていた。
今思えば、おかしいなと思うようになったのはこの頃からである。
例えば、今までは深津が「自分の教室に帰れ」と言わないと帰らなかったのに、チラチラと時計を見ては「あ、もうすぐ時間なので帰りますね」と一人でに帰っていったり、あるいは一日中教室に顔を見せない日だってあった。別に待っているわけではないのだけれど、習慣付いていたものが急になくなる気持ち悪さは誰にだってあるものだからしょうがないだろう。沢北だって友達がいるだろうし、ずっと深津の元に来れるわけでもないのだから。考え続けていると、脳内が言い訳がましくなるのはいつものことで、深津はそっと頭を振る。
付き合っているのだから、素直に顔が見たいだとか会いたかったと言えればいいのだが、深津にはまだそこまで曝け出す覚悟はない。好きという気持ちが分からないというのに、何故か手を繋いだり少し肌が触れ合うだけで心臓が壊れたモーターのように暴れ散らかる。それなのに、顔が見たいだって? そういう気持ちを素直に口に出すのは少しばかり(いや、結構)憚られた。
「深津ー、今日は沢北くん来ないの?」
「……別に来いって呼んでるわけじゃないベシ」
「へえ、後輩パシってるんかと思った」
「そんなことしないベシ」
「そうなんだー。じゃあなんで先輩の教室なんか来てるんだろうね」
同じクラスの女子が不思議そうに首を傾げる。彼女は確かバレーボール部で主将をしている。深津と同じく部の代表として呼ばれることの多い彼女とは何かと話す機会が多く、軽快なやり取りを重ねていた。
誰にも言わずに付き合おうと提案したのは深津からだった。部活に精を出している今、浮ついていると思われるのも嫌だったし、お互いの一番はバスケであって支障が出るわけにもいかない。深津がそう言うと、沢北はすんなりと了承した。意外だと思ったけれど提案したのは深津からだったので言わなかった。
だからこそこういう時に何と言って誤魔化そうか毎回困る羽目になる。
「沢北くんさ、絶対差し入れ受け取らないところとかクールなのに、意外と礼儀正しくて年上にもウケいいよね。ウチの部活でも人気だよ」
彼女の言う通り、沢北は完璧な後輩だった。部活以外では、我の強さは鳴りを顰め、スンと澄ました顔で深津の側にいることが多い。礼儀正しく(これは河田の指導の賜物だった)、クール(人付き合いが苦手なのは今も継続中らしい)、そしてあの顔を晒していて、モテないはずはないのだ。しかし、その様子は普段の沢北を知っている深津からすると、若干の気持ち悪さを感じてしまう。深津の知っている彼はもっと我儘でうるさくて大きな口をあけて豪快に笑うやつなのに。
「沢北くん、付き合ってる人いる? 後輩でも全然気にならないって言ってる人多くって。今度機会あったら聞いてきてくれない?」
「……」
良いとも嫌だとも言えない状況に、結局黙るしかないのだけれど、深津が黙りこくっても女子生徒には気に障るようなことではなかったようだ。無言を肯定だと捉えたのか、「お願いね」と言うと深津の前から去ってしまった。
翌日。沢北は三年の教室に来たようだった。二限が移動教室だった深津は、教室に戻る途中、教室前方の入り口に佇むツーブロックの坊主頭を発見した。
「あれ、後輩くん?」
友人に断りを入れて、歩く足を早めた。「沢北」と少し離れたところから呼びとめると、沢北はすぐさま跳ねるように顔を上げる。
「深津さん!」
ぱぁーっと花が咲くように喜びを露わにする様子を内心可愛らしく思いながら、「どうしたベシ」と近付いた。
「今日の昼飯、学食行きませんかって誘いに来ただけなんですけど」
「行くベシ」
「やった! あ、もう行かなきゃ! 深津さんまた昼で!」
深津が返事をするのを待たずして、沢北は嵐のように去っていった。
四限が終わり、授業の片付けをしていると、「深津」と誰かが深津の名を呼んだ。振り向くと、河田が教室の出入り口から手をこちらに振っていた。財布を手にしてそちらへ向かう。
「どうしたベシ」
「今日の昼、学食か?」
「うん。沢北とベシ」
深津の口から「沢北」という言葉が出るや否や、河田は途端にしょっぱい顔をして「またか? あいつは飯も深津ベッタリなのか」と言った。
「まあ」
「俺も行っても良いか? 丁度誘おうと思ってよ」
そう言いながら河田は手にしていた財布を振った。
河田は聡い男だ。二人の距離感が他とは違うことに気付いているようだった。だから普段はクラスの違う深津に声をかけてくることはないのだけれど、珍しいこともあるものだと深津は二つ返事で頷いた。
二人で教室前の廊下に立ち、沢北を待った。河田は最近ハマっているというプロレスの話題を話していた。深津自身何も知らない身ではあるが、度々河田が沢北に何らかの技をかけているので、最近は耳馴染みが良くなってきたと言うべきだろうか。
「深津さんーって、あれ。河田さんもっすか?」
「おう、俺も今日は学食」
「へえ。学食で足りるんすね」
「あぁ?」
河田はいつも寮生に向けて販売している弁当を食べていることが多い。一つではなくて二つも。足りるのかという疑問は普段の様子を知っていれば浮かんでくるものの、普通の人は口にしないというのにさすが沢北と言うべきだろうか。河田の地雷を踏み抜いていく。案の定、顔を合わせて数秒でプロレス技をかけられていた。
三人並んで学食へ向かえば、バスケ部員は学校の至る所にいるので、部活の同期やら後輩やらに声をかけられる。「おー、俺らも学食!」「一緒に行こうぜ」と何人かが学食を利用するとのことだったので、気付けば十人くらいの団体になって学食へ到着した。
「何食べるベシ?」
大人数になると沢北は大人しくなる。口元を引き締め黙ったまま深津たち先輩に着いてくる彼に話しかければ、自然と視線はメニューへと集まった。日替わりはA定食はアジフライ、B定食は唐揚げ。あとは冷やし中華とうどん、蕎麦ら通常メニューの麺類が並んでいる。沢北はそれらを一瞥したあと、「深津さんは?」と逆に聞き返され、思わず「うーん」と唸る。深津はアジフライも唐揚げも好物だったので悩んでいたのだ。アジフライと唐揚げだと、唐揚げ定食の方が学食で出る確率が高い。深津含め、唐揚げ定食は一番人気な定食といっても過言ではなかったから。だったらあまりメニューに載らないアジフライの方がいいかとA定食にすることにした。
「俺は――」
深津が言いかけたその時、河田が「深津はアジフライが好きだからA定食だよなぁ」と深津の代わりに答えながら、沢北の首に腕を回し、しな垂れかかった。そして今度は深津を見やり、口を開いた。
「唐揚げも迷ってんだろ。俺、B定食にすっから少しやるよ」
河田も唐揚げは大好物だったはずだ。ただの善意で好物を分けるほど河田は善良じみているわけではない。普段はそんなこと言った試しがないのに。不審に思いながらも、くれると言うならば嬉しい限りだったので大人しく「ありがとうベシ」と頷いた。
「……へえ。深津さんってアジフライ好きだったんすね」
唐揚げも。と沢北が表情を伏せたまま言った。完全に沢北を蚊帳の外にして話してしまい、その声の低さに、しまったと深津は思った。こういう時は大体「俺の知らない話をしないでください!」と騒ぐか、「……河田さんと距離感近くないですか?」と拗ねるかのどっちかだった。
「さわきた」と慌てて声を掛けると、「……はい」と聞こえてきた返事は硬く、いつもなら読み取れる感情がさっぱりわからない。なぜだかざわざわと心落ち着かなくなる。わかりやすいやつの気持ちが見えないだけで、こんなにも気持ちが急くなんて。
「河田はわざとお前を煽ってるベシ。気にするんじゃないベシ」
深津は返事をしたきり黙り込む沢北を気に掛けるように言葉を重ねる。「な?」と念を押せば、ぱっとその顔が深津を見た。ーーその瞬間、深津はハッと息を呑んだ。
「やだなー。深津さん俺が拗ねてるとでも思ったんでしょ? そんなことしないっすよ」
怒っている、拗ねている。深津の予想と反して、沢北はぺかーと満面の笑みを顔全体に浮かべていた。そして首にぶら下がったままの河田の腕を掴み、「うへえ、河田さんまたゴツくなりました?同じもの食ってるのになんで河田さんだけがゴリラみたいになるんすかね」と普段と変わらない憎まれ口を叩くので深津は面食らってしまった。
(後略)
※※以下、本文内のセリフ抜粋です。繋がってないです。
「……迷惑だったベシ? 俺の好意は迷惑だった?」
「……そうですか。じゃあ一生そうやって予防線張って、俺の意見も聞かずに自己完結して生きていけばいいんじゃないですか」
「深津さんの馬鹿野郎〜!!!」
「お、俺だって好きに決まってるベシ!」
「こんなに大好きなのに、どうしてわかってくれないんすか……」
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